南端泊地物語―戦乱再起―   作:夕月 日暮

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第九陣「トラックの黄昏」

「ふと疑問に思ったんだが、お前は僕と話をしていて腹を立てたりすることはないのか?」

 

 それは、些細な好奇心から生じた問いかけだった。

 互いの拠点の近況報告を済ませた後の雑談の中で、毛利仁兵衛は通信機の向こうの相手にそんなことを聞いてみた。

 

「僕はそのつもりはないのだが、どうも相手を苛々させてしまうところがあるらしい。うちの艦娘ですらそうだ。だが、極稀にそんな素振りを見せない奴がいる。お前もその一人だ。だが、実際のところはどうだろう。表に出さないだけで、苛々していたりするのか?」

『また答え難い質問をするな、仁兵衛は』

 

 相手は、若干呆れたような声で応じてきた。

 

『私はあまりそういうのは気にしない性質だよ。鈍い鈍いとよく言われる。……まあ、仁兵衛相手に苛々する人の気持ちも分からなくはない。ああ、これはこの人は怒るだろうなあ、と思うことはある。もう少し話し方というか、人への接し方を見直したら良い。石田治部みたいになるぞ』

 

 石田治部というのは、安土桃山時代の武将である。

 主君亡き後、主家のために活動したものの、生来の人望のなさで破滅したとされる人物だ。

 

「答え難いという割にはズバズバ言ってくれるな。ま、僕はそういう奴の方が話していて楽しいが」

『それはどうも。私も仁兵衛の話は聞いていて面白いよ。お前はいろいろなことが見えているからな。いろいろなことに気づかされる』

 

 言葉だけ並べたてるとおべっかのようにも受け取れるが、相手の声音にそういった卑屈なものは一切なかった。

 彼は平凡な男だった。仁兵衛のような智略もなければ、三浦剛臣のような優れた指揮能力があるわけでもない。

 ただ、人の話をよく聞き、人の長所を見つけ出し、それを伸ばすことのできる提督だった。

 

「……たまに思うことがある。お前が大本営のトップに立っていれば、今より皆もっとやりやすくなるんじゃないかとな」

『冗談を言うな。私にはとても務まらん』

「お前一人じゃそうだろうが、優秀な側近がいれば話は別だ。お前はそうせい侯として丁度良い」

『なんだ、治部に例えたことへの意趣返しか』

 

 そうせい侯というのは、部下の言うことにしょっちゅう「そうせい」と答えた江戸時代末期の殿様のことである。

 相手は仁兵衛の言葉を冗談として捉えたらしく、おかしそうに笑った。

 だが、すぐに苦しそうに咳き込む音が聞こえてくる。相手は、あまり身体が丈夫な方ではなかった。

 

「悪いな。長話し過ぎたか」

『いかんなあ、友達との話は時間を忘れる。今日はこれくらいにしておこう』

「そうだな。養生しろよ」

 

 仁兵衛はそう言って通信を切ろうとする。

 その直前に、相手がポツリと呟いた。

 

『もし私に何かあったら、康奈のことを頼んでいいか』

「縁起でもないことを言うな。お前はしばらく休養するだけだろ。さっさと回復して面倒見てやれ」

『もちろんそのつもりだ。そのつもりだが、人間、何があるか分からないからな』

「……ふん。そう言われると反論のしようがないな。しかし僕で良いのか。こんな偏屈野郎で」

『石田治部なら、この手の約束を破ることはないだろう』

 

 石田治部は、周囲に理解されず破滅した。

 しかし、最後まで主家のために奮闘した。それは、石田治部と敵対した相手も認めたところである。

 

「ずるい奴だ、お前は」

 

 仁兵衛はそう言って通信を切った。

 

 AL/MI作戦が始まる、ほんの少し前のことである。

 

 

 

 トラック泊地の艦隊の勢いが、少しずつ衰えてきていた。

 燃料や弾薬が尽きた隊は、適宜後退して補給しながら戦っている。資源はまだ豊富に残っていた。

 ただ、艦娘たちの疲労は蓄積し続けていく。数の上では相手の方が圧倒しているため、休ませておける隊がいないのである。

 

「司令官。そろそろ……」

 

 朝潮が仁兵衛に目配せした。

 

「ああ。各隊に、少しずつ後退するよう伝えろ。防衛ライン沿いに退き、そこで長期戦の構えに移れ」

「了解。各隊、防衛ラインまで後退!」

『了解!』

 

 朝潮の指示に、通信機から応答の声が聞こえた。

 疲労感が滲み出ているが、戦意はまだ十分だ。後退は難しい動きの一つだが、そこで無様を晒すようなことはないだろう。

 

「……少し霧が出てきたね」

 

 戦場を覆うように、少しずつ海霧が広がってきている。

 互いに相手の姿が確認し難くなる。それが、トラック側にとって吉と出るか凶と出るか。

 天候が戦の趨勢に影響を及ぼした例は少なくない。仁兵衛は、この霧に何か嫌なものを感じた。

 

「霧は身を隠すのを助けてくれる。これが彼女たちの力になってくれると良いんだが」

 

 タイミングは任せてあるが、そろそろ康奈と智美が奇襲を仕掛けてもおかしくない頃合いだった。

 危険な仕事を押し付けてしまった負い目を感じながら、仁兵衛は彼女たちの艦隊の無事を祈る。

 いかに策を練ろうと――最後にはこうすることしかできないのだと、そう痛感しながら。

 

 

 

「北条提督」

 

 霧が濃くなりつつある中、康奈に声をかけてくる者がいた。

 新十郎だ。包帯で全身を包み込んだ男は、出撃していった艦娘の方を見やりながら、複雑そうな表情を浮かべている。

 

「何か懸念事項でもあるの?」

「あるなら作戦会議のときに言っているさ。多分奇襲作戦はそれなりの効果を出すと思う。……ただ、この霧がちょいと気がかりでね。これは想定していなかった」

 

 新十郎は不安そうな眼差しを大海原に向ける。今や、視界に入る光景の大部分に霧が広がりつつあった。

 

「これだけ霧が広がると、向こうも同じことを仕掛けてこないかが気になる」

「……毛利提督の船?」

「あるいはトラック泊地。この船もヤバイっちゃヤバイが、それは霧とは関係ないからな。霧に乗じて攻めるという意味なら、最初に挙げた二つのどちらかだろう」

 

 新十郎の指摘はもっともだった。

 敵は本能のまま襲い掛かってくる獣ではない。中には人語を解する個体もいる、戦術・戦略的行動を取る存在なのだ。

 

「毛利提督ならその可能性に気づいていると思うけど、念のため通信で警告はしておくわ」

「その方が良いだろう。……その通信は安全なんだろうな?」

「提督同士専用の通信機で連絡する。これは互いの霊力によるテレパシーの応用らしいから、普通の方法で傍受されることはないと思う」

 

 かつて横須賀鎮守府の技術開発部が開発した専用の通信機だ。

 提督同士の通信にしか使えないという欠点はあるが、電波妨害等の影響を受けないという長所もある。

 

 康奈は通信機を取り出し、毛利仁兵衛宛てに通信を試みた。

 

 

 

 霧はますます濃くなってきた。遠方の敵はまともに捕捉することもできない。

 ただ、それは相手も同様のはずだった。つまり、今は奇襲を仕掛ける絶好のチャンスでもある。

 

 相手はまだこちらを捕捉していない。加えてこちらは小勢なので、視界の悪さで起こり得る同士討ちの不安が少なかった。

 トラック泊地の艦隊と深海棲艦の砲撃戦はまだ続いている。既に戦端が開かれてから結構な時間が経過していた。そろそろトラック艦隊の疲労も溜まってきている頃だろう。

 

 今が頃合いだと、康奈は判断した。

 

「大淀隊、金剛隊は共に出撃。大淀隊はこちらの近くに布陣していた遊撃隊を殲滅。金剛隊は敵本隊に突撃を仕掛けて、大いにかき乱して。撤退の判断は現場に任せるわ」

「了解デース!」

「了解しました」

 

 金剛と大淀が康奈の指令に応じる。彼女たちの側で、磯風や他のメンバーも出撃の準備を終えていた。

 

 奇襲を仕掛けるからか、出撃メンバーはそれぞれ黙々と母艦から出て行く。

 康奈もそれを無言で見送っていたが、磯風が出撃するタイミングになって、不意に彼女の肩を叩いた。

 

「司令?」

「……期待してるわ。武勲を立てて来なさい」

 

 康奈からの激励に、磯風は少しだけ顔を赤らめて、大きく頷いていった。

 

「しれー。磯風に発破かけて良かったの?」

「フラストレーション溜まってるみたいだし、思いっきりぶちまけるための後押しをした方が良いと思ったのよ」

 

 時津風は磯風と康奈のやり取りを見ていたのだろう。

 怪訝そうに康奈へ問いかけたが、康奈はあえて調子の良いことを時津風に言った。

 そうやって皆を上手く乗せてやることも、時には大事なのだ。今回のように寡兵で臨まなければならない戦いの場合など、景気の悪いことを言っても逆効果だと、康奈はそう考えていた。

 

「危ないと思うなー。歯止め利かなくなるかもよ」

「そのときは時津風が抑えてね」

 

 時津風の肩を叩いて、康奈は少し甘えるように言った。

 

「仕方ないなあ、しれーは。今度何か奢ってよね」

「考えとくわ。だから、ちゃんと帰ってくるように」

「あいあいさー」

 

 時津風は普段と変わらぬ気楽さで出撃していく。

 そのマイペースっぷりが、今は頼もしく映った。

 

 

 

 後退するトラック泊地の艦隊に対し、深海棲艦はこれを追撃するか決めかねているようだった。

 これまで相手に翻弄される形になっていたので、警戒心が働いたのかもしれない。

 

 そこに、霧に乗じて南北からショートランドと横須賀第二の部隊が挟撃を仕掛けた。

 急襲部隊の勢いは凄まじく、視界が悪いことも相まって深海棲艦の軍勢は大混乱に陥った。

 

「行く手を阻む輩は全部敵デース! 遠慮なくぶっ飛ばしてくだサーイ!」

 

 景気の良い金剛が先頭を行き、その後ろに高尾や愛宕、木曽が続いた。

 磯風や時津風も彼女らに負けじと前に出ていく。

 

 金剛の言う通り、周囲はすべて敵で埋め尽くされている。

 おまけにまだ混乱の最中にあるようで、適当に撃つだけでも敵に次々命中するという有様だった。寡兵で奇襲を仕掛けるメリットの一つである。

 

「ならば、遠慮なく行かせてもらおうか!」

 

 磯風は金剛たちを追い抜き先頭に躍り出る。

 駆逐艦の主砲は射程・威力ともに戦艦や重巡より貧弱だった。

 そのため、敵との戦いでは距離を詰めたインファイトに持ち込む必要がある。

 

 深海棲艦の懐に飛び込むと、磯風は相手の急所を見定めて主砲を撃ち込んだ。

 駆逐艦のものとは言え、零距離から放たれる攻撃である。まともに喰らった深海棲艦は致命傷を負った。

 

 そんな深海棲艦の身体を抱えると、磯風は敵軍目掛けてそれを投げつける。

 敵かと早合点した深海棲艦たちは、一斉に投げ込まれた同胞に攻撃を加えた。

 その隙を突く形で、磯風は魚雷を撃ち込む。放たれた魚雷は、周囲一帯の深海棲艦を巻き込んで大爆発を起こした。

 

「磯風、凄いネー。駆逐艦でこれだけ無茶苦茶やるの、夕立くらいだと思ってたヨー!」

 

 縦横無尽に暴れ回る磯風に、金剛は驚きの声を上げた。

 しかし、磯風は金剛の声など気にも留めず、どんどん奥へと突き進んでいく。

 獲物に食らいつく猟犬のような獰猛さだった。

 

「やっぱり、相当フラストレーション溜まってたなー、あれは」

「時津風。何か心当たりあるデース?」

「んー。触発されてたんだと思うよ。横須賀第二鎮守府と――清霜たちに」

 

 磯風を一人にすまいと、金剛や時津風たちも懸命に後を追う。

 事前に調べていた敵旗艦の所在地まで、あと少しのはずだった。

 

「この前の戦いでは、磯風はほとんど出番らしい出番もないまま終わっちゃったからね。一方で、春雨は懸命に戦い抜いたし、清霜は尋常じゃない戦い方を示してみせた。横須賀第二は言うまでもないっていうか。凄い活躍を目の前で見せつけられて、自分は何もできなかった。それが『磯風』の名を持つ身としては耐え難かったんだと思う」

「……なるほど。武勲艦の強味でもあり、辛いところでもあるところネ」

 

 艦娘は艦艇の魂を宿している。そのため、元々の艦艇の存在に引きずられてしまう面がある。

 これは良くも悪くも個性となる。広く名を知られた艦や武勲を打ち立てた艦は、そういった傾向が顕著に現れるケースが多かった。

 

「言ってしまえば一種の負けず嫌いなんだけど、うちらの場合負けたくないって意地は自分だけのものじゃないからね。艦艇の記憶に責め立てられる気持ちになるんだ。お前はそれでもこの名を継ぐものなのかって。ある意味、呪いの一種だよ」

 

 そんなことを言い合っているうちに、金剛隊は大きな壁に当たった。

 軽巡と思しき新種の人型深海棲艦に、戦艦棲姫や空母棲姫。

 それらが、ある深海棲艦を守るかのように陣を組んでいた。

 

 見た目は戦艦棲姫に似ている。

 ただ、戦艦棲姫よりも一回り大きな艤装を背にしていた。

 戦艦棲姫のものと同様、人に近い形をした怪物のような艤装である。

 

「――同時に到着みたいネ」

 

 と、金剛が深海棲艦たちの向こう側を見て呟いた。

 そこには、紺色のスカーフを身に着けた一団がいた。

 

 先頭に立つのは神通。

 その両脇を扶桑・山城が固めていた。更に後ろには軽巡・駆逐・空母が控えている。

 駆逐艦の中には朝霜の姿もあった。横須賀第二のメンバーとして、ここまで戦い抜いてきた。

 新人とは言え、それくらいの実力は持っている。

 

 神通は金剛隊を一瞥すると小さく頷いた。

 それに応じるかのように金剛も頷く。

 

「ここで敵の親玉を仕留めマース! 総員、突撃してくだサーイ!」

「了解!」

 

 号令と同時に、磯風が先陣を切って敵に飛び込んでいく。

 姫クラスが相手でも物怖じする様子はない。

 むしろ、先程までよりも闘志は増しているように見えた。

 

 

 

 敵陣の変化に、仁兵衛はすぐ気づいた。

 トラック泊地軍を追撃する敵の勢いが僅かに落ちている。

 おそらくショートランドと横須賀第二が挟撃を仕掛けたのだろう。

 

「司令官」

「ああ、分かっているとも朝潮君。……各部隊、前進せよ! 敵の意識を後方に集中させるな! 彼女たちが撤退するまで、敵前衛の視線をこちらに釘付けにするんだ!」

 

 敵前衛部隊が後方に引き返したら、ショートランド・横須賀第二の部隊は袋のネズミになる。

 今は、疲労を押し殺してでも敵の目をこちらに引き付けておく必要があった。

 

「この艦はもう少し後方に下げた方が良くありませんか」

「いいや。この霧だ、味方艦隊から孤立するのはまずい。他の艦隊と併せて前に出るよ」

 

 仁兵衛は、先程康奈と交わしたやり取りを思い出していた。

 奇襲の可能性。元々その可能性も考えていたが、康奈も警戒していることを踏まえると、より注意しておくべきだと思った。

 

 ……僕にしては消極的だろうか。

 

 仁兵衛はどちらかというと守りよりも攻めを重視するスタイルだった。

 無策の突撃は決してしないが、彼の戦術は自ら仕掛けていくことに比重を置いている。

 

 いつもより慎重なのはこの霧のせいか。

 そんな考えが脳裏をよぎった瞬間、朝潮が鋭く叫んだ。

 

「――司令官!」

 

 なんだ、と仁兵衛が口にするよりも早く、朝潮が仁兵衛の身体を突き飛ばした。

 その小さな身体が、無機質な怪物の身体によって殴り飛ばされたのは、その直後のことだった。

 

 いつの間に入り込んだのか――仁兵衛たちの母艦の艦橋に、一体の深海棲艦がいた。

 重巡洋艦の深海棲艦。取り立てて珍しい個体ではない。鬼・姫クラスのような相手でもない。

 ごくありふれた深海棲艦だったが――それが今、艦隊をすり抜けて母艦内部に侵入している。

 

「各員、逃げろ!」

 

 仁兵衛の叫びによって、艦橋は悲鳴に包まれた。

 深海棲艦は人間を凌駕する身体能力を有している。訓練された軍人でも、まともに戦って勝つことはできない。

 まして、トラック泊地のスタッフたちは仁兵衛含めて民間出身者ばかりだった。

 

 恐怖のあまり動けない者、我先にと逃げ出す者、様々な者たちの悲鳴に覆われる艦橋で、深海棲艦は真っ直ぐに仁兵衛を見据えた。

 

 侵入する際に邪魔になったからか、深海棲艦は艤装を身に着けていなかった。

 もっとも、素手でも人間相手ならば何の支障もない。

 首を掴んで力を入れれば、それで終わりだった。

 

 仁兵衛はじりじりと後ずさりながら朝潮の様子を窺った。

 敵の奇襲をまともに喰らったのだろう。お腹を抱えて苦しそうに咳き込んでいる。

 

 他の艦娘は全員外に出していた。

 一歩ずつ迫りくる深海棲艦相手に、仁兵衛が打てる手は、何もない。

 

「……まいったな。こんな読み違いをするとは。こんなのは奇襲ですらない。暗殺だ。こんな手を打つなんて、まるで人間そのものみたいじゃないか」

 

 深海棲艦はゆっくりと腰を下ろした。

 仁兵衛に飛び掛かり、一息に捻り殺すつもりなのだ。

 

 仁兵衛の頭の中が真っ暗になった。

 さすがに、これは助からない。そして、死を前にしても冷静でいられるほど、仁兵衛は怪物じみた精神の持ち主ではない。

 

「ちくしょうが。こんな形で負けるなんざ――納得できるか……っ!」

「――なら、助けようか」

 

 声がしたのは、まさに深海棲艦が飛び掛かろうとしたその瞬間のことだった。

 深海棲艦目掛けて、どこからともなく銃弾が放たれる。

 致命傷にはならないものの、鬱陶しいと思ったのか、深海棲艦はすぐさま飛び退いた。

 

 仁兵衛と深海棲艦の間に割って入ってきたのは、紺色のスカーフを巻いた川内だった。

 

「どーも。うちの提督に言われて、助けに来たよ」

「……智美君が?」

「そ。もしかすると毛利提督は暗殺されるかもしれないからって。だから、勝手ながらこっそり忍び込んで護衛させてもらってたんだ。……ま、それに見合った報酬はいただくつもりだけどね」

 

 川内は軽い口調で仁兵衛に説明したが、一寸たりとも気は抜いていなかった。

 飛び退いた深海棲艦は変わらず仁兵衛に狙いを定めていた。相手に付け入る隙を与えないよう、殺気を相手に向かって放ち続ける。

 

「……ちっ。まずいね」

 

 何かに気づいたのか、川内は舌打ちして朝潮を抱きかかえた。

 そのままスッと仁兵衛の側まで後退する。

 

「来るよ」

「なに?」

 

 川内の言葉に呼応するかのように、艦橋の入り口の方――何人かのスタッフが逃げていった方から、甲高い悲鳴が聞こえてくる。

 やがて、悲鳴がパタリと止み、何人かのスタッフの死体を両手に抱えた深海棲艦たちが艦橋に入り込んできた。

 

「この霧に乗じて侵入してきたか、あるいは個別に潜入していたのか……」

「どっちにしても同じだよ。けど、これじゃまずいな。毛利提督、もしかすると守り切れないかもしれない」

「冗談じゃない。こんなところで死んでたまるか」

 

 川内から受け取った朝潮を背負いながら、仁兵衛は憤慨した様子で吐き捨てるように言う。

 

 そのときだった。

 艦橋の入り口付近に立っていた深海棲艦を、小柄な艦娘が砲撃で吹き飛ばしたのは。

 

「――大丈夫ですか、毛利提督っ!」

 

 水上ではなく船上で艤装を振り回す。

 そんな、一歩間違えば船を破壊しかねない危険なことをしでかした駆逐艦――清霜は、開口一番そう叫んだ。

 

「……少しは希望が、見えてきたかもね」

 

 仲間をやられて殺気立つ深海棲艦たちを前に、川内はどこまで本気か掴みかねるコメントをした。

 

 

 

「ひゃあっ!?」

 

 艦橋に踏み込んだ清霜は、すぐさま川内に襟首を掴まれた。

 川内は清霜を掴んだまま、仁兵衛たちを艦橋から脱出させる。

 

「簡単に説明するよ。艦橋に深海棲艦が何体もいる。他にも侵入してきてるかもしれない。救命ボートを確保して毛利提督を泊地まで逃がす。理解した?」

「は、はい!」

 

 有無を言わさぬ口調の川内に、清霜は思わず敬礼して答えた。

 

 艦橋から出た先にも、深海棲艦たちが待ち受けていた。

 トラック泊地艦隊の意識が敵前衛に向いていた。その隙を突かれた格好になる。

 

「くそ。こんなことになるなんて……!」

 

 仁兵衛は苛立たし気に髪を掻きむしった。

 彼は常に冷静沈着というタイプではなかったが、ここまで感情をあらわにするのは珍しい。

 

 深海棲艦たちに見つからないよう、物陰に隠れながら救命ボートのところへと向かう。

 

「……司令官。落ち着いてください」

 

 深海棲艦にやられた傷が痛むのか、朝潮が苦しそうに声を絞り出した。

 

「こういう形での奇襲は、想定できたはずです。これは見落としです。私も、司令官も見落としていたんです。負けを認めましょう。その上で、先のことを考えましょう。……いつか、司令官が私たちに教えてくれたことです」

 

 仁兵衛は息を呑んだ。

 朝潮の言葉を噛み締めるように、何度か深呼吸をする。

 

「……すまなかったな、朝潮君。そうだ。本当は気づけたはずだ。連中がこういう手段に訴えてきたのは、今回が初めてじゃない。気づく機会はあった」

「――AL/MI作戦のこと?」

 

 川内が尋ねると、朝潮は頷いた。

 

「あのとき、AL/MI海域の大海戦に日本は兵力の大半を割いた。その隙を突いて、手薄になっていた各地の拠点が襲われた。……ただ、その奇襲によって出た被害は思いの外少ない。奴らは特定のものを狙って動いていた節がある」

「特定のもの、ですか?」

 

 清霜が首を傾げると、その場にいた全員が複雑そうな表情を浮かべた。

 

「そうか。君はあの戦いの後で着任したんだったな。……君をここへ寄越したのは康奈君かな?」

「はい。念のため毛利提督の護衛をしてくれって」

「とすると彼女も気づいていたわけか。……狙われていたのは、各地の『提督』だよ」

「……提督を、深海棲艦が?」

「連中は理解しているんだ。艦娘を率いる提督って存在を。それが艦娘にとっての最大の急所であることを」

 

 仁兵衛は苦々しい表情を浮かべた。

 

「AL/MI作戦のときは、拠点に残っていた提督の1/3が何らかの被害に遭ったらしいよ。軽傷で済んだなら運が良い方で、中には再起不能ほどの重傷を負ったり、亡くなった人もいるらしい。……私が前にいた泊地の提督も、それにショートランドの先代提督もそうだった」

 

 川内が物憂げに補足する。

 横須賀第二鎮守府が設立したのはAL/MI作戦の後だが――川内はそれ以前から、どこかの拠点で艦娘として活動していたらしい。ただ、彼女はそれ以上言葉を重ねることはしなかった。

 

「情けない話だ。僕はまだあの戦いに正面から向き合えていなかったってことだ。……こんなんじゃ、あいつに笑われるな」

「司令官」

「分かっている。今は逃げることを優先しよう」

 

 深海棲艦たちは周囲の人間を手当たり次第襲い始めていた。

 艦橋の中や甲板は、既に地獄の様相を呈している。

 

 甲板上の目立つ位置に置いていた救命ボートは、すべて破壊されていた。

 

「これじゃ逃げられないね。いっそのこと身一つで海に飛び込んだ方が良いかもしれない」

「深海棲艦からしたら格好の的になりそうだな……。だが、救命ボートにこだわって逃げる好機を逃すのも同じくらいまずいか」

「人を抱えながらだとまともに戦えないから一方的に攻撃され続ける恐れもあるけど、この霧なら相手に気づかれずに逃げられる可能性もなくはないね。清霜、朝潮を頼める?」

「分かりました」

 

 朝潮を清霜が、仁兵衛を川内が背負い、海に飛び込んで一直線にトラック泊地まで駆け抜ける。

 かなり危険な方法だが、それしか道は残されていないようだった。

 

 しかし、清霜が朝潮を受け取って背負おうとしたとき、更なる異変が艦を襲った。

 

 砲撃である。

 

 乗り込んできた深海棲艦によるものではない。

 彼らは暗殺を第一と考えているからか、艤装を付けていなかった。

 艤装の力を振り回せば艦を沈めてしまう恐れがある。標的を確実に仕留めたという確証がないうちに沈めてしまっては、暗殺の成否が判断できない。

 

 砲撃は、敵前衛艦隊によるものだった。

 直撃こそしなかったものの、至近距離に砲弾が落下し、船が大きく揺れ動く。

 

「まずい。僕からの通信が途絶えたことでこっちの前線が崩れ始めている」

「こっちが生き延びるかどうかとは別の大問題だね。今は後方で神通たちが攪乱しているだろうけど、指揮官不在のままじゃ押し切られる」

「……なら、尚更早くトラック泊地に戻らなきゃ駄目ですね。戻れば、各部隊への連絡手段もあるんですよね」

 

 川内の予測を聞いて、清霜は仁兵衛に問いかけた。

 仁兵衛は頷く。この艦に備え付けられていた各部隊との通信設備は泊地にもある。

 急ぎそこまで戻れば状況を立て直すことも可能だった。

 

「なら、全速力で行くよ!」

 

 仁兵衛を背負いながら、川内はすぐさま通路から飛び出し、甲板上を駆け抜けて海へと飛び込む。

 清霜も朝潮を背負って、その後を慌てて追いかけた。

 

 

 

 仁兵衛からの通信が入ったのは、挟撃作戦が始まってしばらく経った頃のことだった。

 康奈だけでなく、智美にも繋がっているようだった。

 

『すまない。やられた』

 

 開口一番、仁兵衛は謝罪した。

 

「無事ですか、仁兵衛さん」

『君たちが派遣してくれた二人のおかげで僕と朝潮君はどうにか。艦は駄目だ。まったく、戦術家気取りも今日で卒業した方が良さそうだ』

『そうやって自己分析できるなら問題ないでしょう。それで、今後どうされるのですか』

 

 仁兵衛の弱音を一蹴して智美が方針を確認する。

 康奈や智美は自分たちの艦隊との連絡手段は持っているが、トラック泊地への連絡手段はない。

 仁兵衛に代わって指揮を執るのは不可能だった。

 

『僕らは今トラック泊地に向かっている。そこまで辿り着けば立て直せるはずだが、それまでうちの艦隊はまとまった動きが取れない。挟撃部隊が追い込まれるリスクはかなり高まったと言える。僕としてはすぐさま撤退することを推奨したい』

 

 仁兵衛は、ショートランド・横須賀第二鎮守府への直接的な命令権を持っていなかった。

 推奨するという言い方をしたのはそのためだ。

 

『撤退後はどうします?』

『……君たちはすぐに自分たちの拠点まで戻ってくれ。僕らも敵を迎撃しつつ、トラック泊地を放棄する』

 

 通信機の向こうからは、砲声が絶え間なく聞こえてきた。

 敵の攻撃が激しさを増しているらしい。仁兵衛が指揮を執れなくなったことで、大勢は決したと言って良かった。ここから立て直したとしても、取り得る選択肢は撤退くらいしか残されていない。

 

「……あまり気になさらないでください。元々無理な戦力差だった。ここまで耐え抜いただけ凄いと思います」

『慰めはいらないよ。それに放棄すると言っても一時的な話だ。すぐに取り戻すさ』

 

 強がりを言っているようには聞こえなかった。

 仁兵衛は、本気で取り戻すつもりなのだろう。

 

『川内君と清霜君は、僕がトラック泊地まで帰り着いたらすぐに帰させるよ。そのときに報酬を持たせておく』

「報酬って……別に、そんなのは」

『トラック泊地に残しておくわけにはいかないものだ。報酬だと受け取り難いなら、預かると思って受け取ってくれ』

『……その報酬というのは?』

 

 智美の問いに、仁兵衛は少し間を置いて答えた。

 

『僕は、独自にAL/MI海域の調査を行っていた。……その結果をとりまとめた資料すべてだ』

 

 そのとき、通信機の向こう側から、どこかで聞いたことのある嫌な音が聞こえてきた。

 

「毛利さん」

『まいったな、敵艦載機だ。すまないがここで通信は切る。――生き延びたまえ』

 

 そこで、ブツリと通信は途切れた。

 

 ……毛利さん。

 

 敵艦載機の音を聞いたせいか、康奈の脳裏にはAL/MI作戦のときの光景が蘇っていた。

 逃げ続ける先代提督と康奈。しかし逃げきることはできず、二人は敵艦載機の攻撃を受けた。

 そして――。

 

「……北条提督」

 

 康奈の様子がおかしいと察したのか、側に控えていた新十郎が気遣うように声をかけてきた。

 おかげで、康奈は正気に立ち返った。

 もう、半年以上前のことだ。いつまでも引き摺っているわけにはいかない。

 

「各部隊に連絡するわ。敵への強襲作戦は中断。各部隊がこの艦に戻り次第――トラック泊地へ向かう!」

 

 引き摺られているわけではない。

 ただ、このままショートランドに戻るという選択肢は、康奈の中に存在しなかった。

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