南端泊地物語―戦乱再起―   作:夕月 日暮

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第十陣「憤りし者たちの行軍」

 霧の海に、人の姿が見えた。

 二人――否、その背中に抱えられた人も含めて、四人いた。

 

「あれは……」

 

 紺色のスカーフを巻いた川内と、清霜だった。

 二人はそれぞれ、仁兵衛と朝潮を背負っている。

 四人は、いずれも怪我をしているように見えた。

 

「大変。大江さんに知らせないと」

 

 トラック泊地の天城は、慌てて通信で大江元景を呼び出した。

 元景に四人のことを伝えると、天城はすぐに四人の元へと駆け寄った。

 

 近づくにつれて、四人の様子がはっきりと見えてきた。

 全員、怪我は決して軽いものではなかった。あちこちに撃たれた跡がある。敵艦載機に襲われたのだ。

 

「皆さん、大丈夫ですか!」

 

 声をかけられて、川内はようやく天城に気づいたらしい。

 

「あれ、貴方は……トラックの艦娘?」

「正規空母・天城です。着任間もなかったので留守を任されていました。……提督は?」

「……」

 

 川内は自分の背中でぐったりしている仁兵衛を見た。

 仁兵衛も川内たちと同様、怪我を負っている。決して軽い怪我ではない。

 艦娘に比べると、人間は脆い。同程度の怪我でも、危険度はまるで違っていた。

 

「早く泊地で治療しないとまずいかもしれない。悪いけど頼める?」

「はい。皆さんは……」

「もうすぐそこなんでしょ? だったら自力で行くよ。……行ける?」

 

 川内は隣の清霜に尋ねた。

 清霜は「はい」と力強く頷く。川内と比べると清霜の怪我はそこまで酷くはなかった。敵が重点的に仁兵衛と、仁兵衛を背負う川内を狙ったからだ。

 

「良い返事だ。……天城、毛利提督を頼むよ」

「分かりました。必ずお助けします」

 

 天城は川内から仁兵衛の身体を受け取ると、あまり揺らさないようしずしずと泊地に戻っていく。

 

「毛利提督、助かりますよね」

 

 清霜の問いに川内は答えなかった。

 

 霧の中での逃亡劇は凄惨なものだった。

 こちらは反撃できない。敵はやたらめったらと撃ち続けてくる。

 撒けたかと思えば別の艦載機が襲い掛かってくる。そんなことが何度も続いた。

 

「悪いね、清霜。少し先に行ってくれないかな。私は少し疲れたよ」

「それは駄目です」

 

 清霜はキッパリと川内の提案を蹴った。

 そして、崩れ落ちそうになっていた川内に肩を貸す。

 

「ここは泊地の側ですけど、いつ敵が来るか分からないですもん。連れていきます。私が」

「――ハッ。大した返事だ。うちの提督や神通が気にかけるのも分かるよ」

 

 清霜は川内の評を聞いていないのか、歯を食いしばりながら二人分の曳航を始めた。

 

 砲声は未だ止まず。

 トラック泊地を巡る攻防は、新たな局面を迎えようとしていた。

 

 

 

「撤退か」

 

 旗艦・金剛からの指示を聞いて、磯風は無念そうに表情を歪ませた。

 眼前には、躯となった鬼・姫クラスの深海棲艦が横たわっている。

 大物には違いないが、本命である巨大な戦艦棲姫は健在だった。ショートランド・横須賀第二の部隊から距離を置きつつ、部下をけしかけて戦いを冷静に見据えている。

 

「このまま残ってもやべーし、ここが潮時だろうさ。暴れるのは好きでもやられるのは嫌だろ?」

 

 磯風の隣で、横須賀第二の朝霜が息を切らしながら言った。

 挟撃部隊の消耗も激しくなっている。また、敵が徐々に磯風たちを囲み込むような動きを見せつつあった。

 

「互いに生き残りましょう。貴方の戦ぶり、見事なものでした」

 

 そう告げたのは、横須賀第二の旗艦・神通だった。

 彼女は、この場の誰もよりも深い傷を負っている。しかしその反面、一番涼しい顔をしていた。

 

 華の二水戦の旗艦・軽巡洋艦神通。

 その名を冠するだけあって、彼女の戦い方は苛烈を極めていた。部下にも無茶な要求をするが、それ以上に無茶なことを自身でやってのけている。ショートランド泊地にも神通はいるが、この神通ほどの凄味を感じたことはなかった。

 

 そんな相手からの称賛の言葉は、武勲艦たらんとする磯風にとって最高の栄誉だった。

 

「私は貴方ほどのもののふを知らない。できれば、また共に戦う機会を得たいものだ」

「同感です。……朝霜、戻りますよ」

「了解」

 

 神通は朝霜を連れて、元来た道に戻っていった。

 

「磯風。こっちもモタモタしてる余裕はないよ」

「承知している。早く戻って司令を安心させてやろう」

 

 時津風に促されて磯風も踵を返す。

 

 本命だった巨大な戦艦棲姫が何かを叫んだ。

 逃がすな、と言っているのかもしれない。

 

 ……追ってこれるものなら追ってこい。

 

 内心の昂ぶりを抑えきれず、磯風はつい笑みをこぼした。

 

 

 

 トラック泊地を覆う雰囲気は暗くなる一方だった。

 

 泊地の部隊は、異常を察した大江元景の指揮でかろうじてまとまっている状態である。

 

 元景は泊地で待機しつつ仁兵衛たちの艦を経由して戦況を確認していた。

 その途中、突如仁兵衛たちと連絡が取れなくなったため、急遽代理で指揮を執り始めたのである。

 この動きのおかげで、トラック泊地の艦隊は潰走を免れた。

 

 それでも、本来の指揮官の不在は大きな痛手だった。

 加えて、トラック泊地の艦娘たちは実力を十分に発揮するだけの霊力を仁兵衛から得られなくなり、元々疲労が重なっていたことも相まって弱り切っていた。

 

 艦娘は受肉する際に提督と契約を結び、提督から得られる霊力を活動の糧としている。

 仁兵衛が重傷を負ったことで、それが十分に得られなくなった。

 人間で例えるなら、水分が不足して脱水症状を起こしているに等しい。

 

 戦闘の継続が困難になり泊地に戻ってくる部隊も多くなった。

 そこで彼女たちを待ち受けていたのは、仁兵衛が重傷を負ったという知らせである。

 泊地の空気が暗くなるのも無理はなかった。

 

「はい、お水どうぞーっ」

 

 そんな空気の中、一人元気に駆け回る艦娘がいた。

 清霜である。

 

 清霜は仁兵衛と契約を交わしているわけではないから、霊力不足に陥る心配はなかった。

 負傷してはいるものの、動けないほどではない。

 

 ……だったら、今できることをしなくちゃ。

 

 気落ちしている艦娘たちに差し入れをしつつ、清霜は意識して明るく振舞っていた。

 

「あんたは元気だねえ」

 

 差し入れを一通り配り終えて一息ついているところに、身体を引きずりながら川内がやって来た。

 彼女の傷は深い。深海棲艦が積極的に狙っていた仁兵衛を背負っていたからだ。

 清霜と違って、彼女は動くのが精一杯という様子だった。

 

「元気なのが取り柄ですから!」

「なんだか眩しいな。うちにもあんたみたいなのがいれば、大分雰囲気変わるんだろうけど……」

 

 川内は肩を落としながらぼやいた。

 

「すまない。少し邪魔をする」

 

 そこに、大江元景が姿を見せた。

 側には朝潮もいる。

 

「いいんですか、指揮は?」

「今大和に替わってもらったところだ。実戦で指揮を執った経験は彼女の方が多い。心配はないだろう」

 

 トラック泊地の大和は数多の戦線で戦果を挙げてきた強者で、この泊地における司令塔の一人だった。

 朝潮が提督の補佐官なのに対し、大和は方面司令官として経験を積んできている。

 こういうときは、非常に頼りになる存在だった。

 

 元景は、大分憔悴しているようだった。

 

 提督というのは、艦娘や拠点のスタッフにとって組織的にも精神的にも支柱と言うべき存在である。

 それが重傷を負い、敵の大軍が目前に迫っている。

 今や、トラック泊地の命運は風前の灯火だった。

 

「それより朝潮から聞いた。先生がこれを君たちに、と言っていたそうだな」

 

 元景はポケットから二つの小箱を取り出して、中身を清霜たちに見せた。

 それぞれの箱には、一枚のフロッピーディスクが入っている。

 

「君たちへの報酬は海外のサーバーに保管されている。このフロッピーには、そこにアクセスするための認証情報が入っている。一週間経過すると無効になるから、それまでにダウンロードしておいてくれ」

「……」

 

 清霜は渡された小箱をじっと見据えた。

 

 彼女は、康奈から自分の出自について既に聞かされている。

 元々は人間だったこと。その出自の手がかりがAL海域にあること。

 今回トラック泊地に来たのは、その手掛かりについて毛利提督に確認したいことがあるからだということ。

 

 自分が元々人間だったと言われても、そのときのことを覚えていないからか、清霜はあまり実感を持てずにいた。

 ただ、他の皆と違う、という点に少しだけ恐怖を感じた。

 

 今渡された小箱の中にあるのは、その皆との違いをより明らかにするものだ。

 そう思うと、これを康奈に渡さず捨ててしまいたいという気もする。

 

「これからどうするの?」

 

 川内の声で清霜は我に返った。

 彼女は当たり前のように、受け取った小箱を自分の懐にしまい込んでいる。

 それを見て、清霜も慌ててポケットの中に小箱を入れた。

 

「撤退しかあるまい。先生の――失礼、毛利提督の救急対応が終わり次第、ここを引き払う。付近の住民は近くの避難場所に逃れているが、ここが深海棲艦に占拠されるとなると少しでも多く連れ出したいところだが」

 

 元景が疲れ切った表情を浮かべているのは、そういったことも考えているからなのだろう。

 仁兵衛であれば存外救助不可能と判断して置いていくかもしれない。

 ただ、元景にはまだそういう非情な判断はできなかった。

 

「……大江さん」

 

 朝潮が何かを元景に言おうとした、まさにそのときだった。

 

『――大江さん、至急戻ってきてください。繰り返します。大江さん、至急司令室まで戻ってきてください』

 

 切迫した様子の大和の声が、放送機器を通して室内に響き渡る。

 何事だと全員が顔を見合わせた。

 

 その場にいた面々が司令室に駆けつけると、困惑した様子の大和が一同を出迎えた。

 

「どうしたんだ、大和」

「大江さん。その――横須賀鎮守府から通信が入って」

「横須賀から?」

『はい。こちら横須賀鎮守府、司令官代理の吹雪です』

 

 こちらの会話が聞こえたのだろう。

 通信機器越しに、横須賀鎮守府の吹雪が名乗りを上げた。

 

「こちらトラック泊地司令官代理の大江元景です。ご用件をどうぞ」

 

 大和に代わって元景が吹雪に問いかける。

 早く撤退の準備に取りかからなければならない。

 そんな焦りがあるからか、元景の表情は硬くなっていた。

 

『そちらもお忙しいと思うので用件のみ単刀直入に言いますね。……うちの司令官が現在そちらに向かっています』

「三浦本部長が? しかし今横須賀は奇襲部隊に狙われていると聞いています。離れられては――」

『その点は対策済みなので大丈夫です』

 

 吹雪は特に強がる風でもなくさらっと言ってのけた。

 そう言い切るからには、奇襲部隊をどうにかする目途は立っているのだろう。

 

 しかし、横須賀からトラック泊地までは遠い。

 直線距離にして三千キロを超える。船では急いでも二日以上の時間がかかる。

 

 航空機を使えば話は別だが、空は深海棲艦に襲われた際に身を守る術がないという問題があった。

 空母の艦娘を同乗させて護衛させる案も出たが、普段と勝手が違うこともあってかあまり有効に働いたケースがない。

 

 つまり、普通に考えて横須賀からの増援は間に合うはずがなかった。

 

「……三浦本部長のお心遣いには感謝します。しかし、そちらの艦隊が到着するまで持ちこたえるのは不可能です。先刻報告した通り、敵戦力はまだ半数近くが健在。それに対しこちらは毛利提督が指揮を執れない状態で、各艦隊も疲労が限界に達しているのです。我々は撤退しようかと――」

『大江さん』

 

 口惜しさを滲ませながら話す大江を、吹雪が制止した。

 

『大丈夫です。希望を捨てないでください。うちの司令官は――あと三十分もあればそちらに到着します』

 

 

 

 実のところ、三浦剛臣の行動は大本営の許可を取ったものではない。

 ただ、毛利仁兵衛が重傷を負ったという報告を受けて、もはや待てぬと動いてしまった。

 

 それ以前から、剛臣は呉・佐世保・大湊等内地にある各拠点の艦隊に招集をかけていた。

 いざというとき、奇襲部隊を迎撃もしくは先制攻撃で黙らせるためのものだ。

 

 当然そうした動きを見せれば、敵本隊がトラック泊地に総攻撃を仕掛ける可能性がある。

 その場合、トラック泊地の現有戦力だけでは絶対に持ちこたえられない。

 

 だから、剛臣は敵本隊と戦うための戦力を引き連れていた。

 横須賀鎮守府の現存戦力の約八割。そして、智美が留守を任せていた横須賀第二の戦力の約八割。

 本来剛臣には横須賀第二の艦娘に対する指揮権はなかったが、深海対策庁本部長の権限を行使して、臨時の指揮権を無理矢理作ったのである。

 

 そうして剛臣がかき集めた戦力は、超音速輸送機に乗ってトラック泊地目掛けて南進していた。

 

「無茶をするな、提督」

 

 横須賀の長門が改めて呆れ顔を浮かべた。

 

「こいつはまだ試作段階だ。いろいろと確認できていないことが多い。深海棲艦の艦載機に追いつかれないかどうか、トラック泊地まで期待通りの速度を維持してちゃんと行けるのか。高額予算をかけて研究開発中の試作機、無断で飛ばしたとなると大問題になるぞ」

「トラック泊地が落ちてしまうよりはずっとマシだ。大本営の判断を待っていてはもはや間に合わん。……俺はな、長門。これ以上仲間を失いたくないのだ」

 

 そういいつつ、剛臣は顔をしかめて額を指で押さえていた。

 自分でも、こんな強引な方法を取ったことが信じられないのである。

 

「とは言え正直後が怖い。俺の首一つで済めば良いが」

「毛利提督に上手い言い訳を考えてもらうか?」

「それなら自分で考えた方がマシだろうな。あいつの言い方は鋭過ぎる」

「であれば、この問題行動を帳消しにするくらいの功績を上げねばな」

「そうだな。後には退けん」

 

 トラック泊地が目前に迫る。

 各員の闘志は十分にみなぎっていた。

 

「でも、到着してもどこに着陸するんですか?」

 

 剛臣に問いかけてきたのは横須賀第二の那珂だった。

 他の拠点の那珂同様明るく元気な子だが、仕事に関しては一切の妥協をしないタイプでもある。

 

「戦線は既に拡大してるし、あの辺陸地も少ないからこの輸送機を下ろせる場所ってなかなかなさそうですけど」

「君たちは降下訓練はしたことがあるか?」

「はい。ありますよ。うちの基礎訓練に含まれてますから」

「なら大丈夫だな」

 

 剛臣は頷いて、輸送機に乗っている艦娘たちに告げた。

 

「これよりトラック泊地近郊に降下する。降下はチーム単位で行うこと。各チームはその後周辺の敵を掃討しつつトラック泊地まで集合するように。不安のある者はいるか?」

「……一つ良いでしょうか、司令官」

 

 剛臣の問いかけに、横須賀の白雪がおずおずと手を挙げた。

 

「司令官は、どうされるのですか?」

「俺か。さすがに皆と一緒に降下して狙われたら即死しかねんからな、……少し離れたところに降下して、自力でトラック泊地まで泳いでいこう」

「白雪。我らが司令官についていってくれ。道中襲われたら問題だ」

「了解しました」

「……うむ。よろしく頼む」

 

 剛臣はバツの悪そうな顔で頭をかいた。

 どうやら道中襲われる可能性を失念していたらしい。

 

 他に手を上げる者はいなかった。

 緊張している様子はない。恐れている様子もない。ただ、やるべきことをやるだけだった。

 

「――では行こうか。我らが同胞のため、進軍するぞ!」

「了解!」

 

 

 

 少しずつ霧が晴れてきた。

 深海棲艦の軍勢は、半数近くを削られつつも未だ戦闘続行の意思を見せている。

 当然だ。指揮官である戦艦水鬼――このときはまだ命名されていなかったが――の闘志はまったく消えていなかったのだから。

 

『慎重に進め。またどこで奇襲を仕掛けてくるか分からん』

 

 戦艦水鬼は慎重になっていた。

 今回の戦いにおいて、主導権を握っていたのは相手の方だった。

 圧倒的に有利だったのはこちらだったはずなのに、終始相手にペースをかき乱されていた。

 

 ……それでも勝つのは我らだ。

 

 そう分かっていても、不愉快な思いは消えなかった。

 前衛は削られ、中央の部隊も左右からの奇襲によって損害を受けていた。

 被害の少なかった後衛部隊を前に出し、周囲に敵の罠がないか確認しながら進んでいく。

 

 徐々に敵の抵抗が少なくなってきていることは、戦艦水鬼も肌で感じ取っていた。

 連絡は来ていないが、敵の指揮官の暗殺が成功したのかもしれない。

 明らかに艦娘たちの動きは鈍くなっていた。

 

 ……指揮官を潰すというのは、有効な策だな。

 

 それを提案してきた不遜な態度の同類の顔を思い浮かべながら、戦艦水鬼は今回の戦いを反芻していた。

 

 ……学習せねばならぬ。

 

 人間や艦娘は、深海棲艦と比べると脆弱だった。

 少なくとも個々の戦闘能力においては深海棲艦が圧倒的に優位である。

 しかし、集団として戦うとき、人間や艦娘は個々の性能差を覆す力を見せることがあった。

 

 それは戦術・戦略というものだ、と先日の戦いで消息を絶った空母水鬼は語っていた。

 人間たちの強さの根幹はそこにある、とも。

 

 戦艦水鬼はあまりその意見が好きではなかった。

 己の力で相手をねじ伏せる。そうして勝ち残った者がすべてを支配する。それがシンプルで良いと思っていた。

 

 だが、個々が好き勝手に暴れまわるだけでは人間たちに勝てない、という事実がある。

 好き嫌いは別にして、戦術・戦略を学ぶ必要性は戦艦水鬼も理解していた。

 

『司令官』

 

 側に控えていた空母棲鬼が緊迫した様子で声をかけてきた。

 元々は戦艦水鬼と敵対していた一派の長だった。それを力でねじ伏せて支配下に置いた。

 深海棲艦も一枚岩ではない。絶えず抗争を繰り返している。

 弱肉強食――それが深海棲艦の世における共通のルールである。

 

『どうした。敵の罠でも見つけたか。あるいは反撃でも仕掛けてきたか』

『後者です。……ただ、反撃に出てきた艦娘の数が想定以上に多く……』

『まさか、増援か』

 

 トラック泊地の軍勢に反撃する余力があるようには思えなかった。

 別動隊が二つあったようだが、あれは小勢だ。機を見て使うなら有効な一手にもなろうが、正面切って反撃できるほどの規模ではない。

 

『司令官。横須賀奇襲部隊と連絡がつきません』

 

 別の空母棲鬼が震える声を上げた。

 

『おそらく、横須賀鎮守府の艦娘どもにやられたものと思われます』

『……構わん。あれはあの駆逐の入れ知恵によるものだ。我らの本意はあくまでトラック泊地の制圧にあると心せよ』

『はっ』

 

 空母棲鬼たちが配下に反撃部隊を速やかに殲滅するよう命じるのを見ながら、戦艦水鬼は静かに苛立ちを募らせていた。

 

 今回の件は貴重なデータだ。

 人間たちの動きを学び、次は同じようなことを自分たちがしてやれば良い。

 そう割り切ってはいるが――。

 

『前衛部隊、二つ壊滅。戦闘継続困難な隊も、一つ、二つ……押されています……!』

 

 ……嗚呼。良いように虚仮にされるのは腹立たしいものだな。

 

 戦艦水鬼のこめかみに、青筋が浮かび上がった。

 

 

 

「すまない、待たせた」

 

 白雪を伴って三浦剛臣がトラック泊地司令室に入って来たとき、既に戦況は大分回復しつつあった。

 

 彼が率いてきたのは最強と名高い横須賀鎮守府の精鋭たち、そして新進気鋭の横須賀第二の猛者たちである。

 トラック泊地の艦隊も相当な練度を誇っているが、横須賀の練度は更にそれを上回っていた。

 

「三浦本部長。今回は本当にありがとうございます」

「ああ、存分に感謝してくれ。後で俺は査問会に呼びつけられるだろうから、援護射撃をお願いしたい」

 

 剛臣は珍しく軽口をたたきながら元景や朝潮に笑いかけた。

 清霜と川内にも軽く会釈し「お疲れ様」と声をかける。

 

「戦況は――今のところこちらが優勢か」

 

 司令室のモニターに映し出された情報を見て、剛臣は頷いた。

 

 横須賀からの増援部隊は、凄まじい勢いで敵深海棲艦を蹴散らしている。

 敵の軍勢はまだ相当な数が残っていたが、トラック泊地の艦娘たちと同様疲労を重ねていたし、部隊としての足並みも揃っていなかった。

 一方、横須賀の部隊は第二も含めて部隊としての練度が極めて高かった。強度が違うし機敏さも違う。布切れを真剣で切り裂くような戦いぶりだった。

 

「前線は横須賀の部隊がこのまま引き受けよう。トラック泊地の艦隊は引き上げさせてくれ。休ませておきたい」

「承知しました」

「報告では長尾君と北条君も来ているそうだが、二人は今どこに?」

 

 剛臣に問われて、清霜と川内は頭を振った。

 

「通信機の調子が悪くて、連絡が取れないんです」

「うちも同じく。毛利提督は『自分たちの拠点に帰れ』と連絡してたけど」

「それで帰るような二人でもないか」

 

 剛臣は苦笑した。

 ともあれ、独自に動いているのであれば戦略に組み込むことはできない。

 

「今はこちらが勢いに乗っているから優勢に見えるが、彼我の戦力差を考えると安心するにはまだ早い。敵艦隊には複数の鬼・姫クラスや、戦艦棲姫の強化型と見られる個体もいるそうだな。そちらへの対策を講じなければ勝ち目はないだろう」

 

 その場にいた全員が剛臣の分析に頷いた。

 一時的に優位になったからと言って安心できる状況ではない。

 鬼・姫クラスの深海棲艦は、単独でも複数の部隊に匹敵すると見て良い。

 それが複数存在するのだから、まだ安心できる状態ではなかった。

 

「確実に仕留めるのであれば、こちらの大和型・長門型・重雷装巡洋艦・正規空母たちによる一斉攻撃を仕掛けるしかあるまい。だが、横須賀と横須賀第二だけで対処できるかは疑問だ。できればトラック泊地の艦隊の協力も要請したいが……」

「申し訳ありません。当方の艦隊にその余力は……。せめて霊力の供給ができれば良かったのですが」

 

 艦娘に霊力を与えられるのは、契約を交わした提督だけだ。

 トラック泊地の艦娘たちは、仁兵衛が復活しないとどうにもならない。

 

「……毛利は?」

「治療中です」

「そうか……。ならば止むをえまい。横須賀の艦隊だけで、やれるところまでやってみるとしよう」

 

 剛臣は、自らの頬を叩いて気合を入れる。

 そこに、横須賀の艦隊から通信が入った。

 

『提督。敵の鬼・姫クラスが前線に出てきたぞ』

「長門、正確な構成は分かりそうか」

『軽巡と思しき新型が五体、空母棲鬼が三体、戦艦棲姫も同じく三体。そして、一際巨大な艤装を有する戦艦と思しき個体が一体。あれが敵の首魁だろうな』

「了解した。まずは倒せそうな相手から集中して倒せ。敵の首魁については情報が少ない。取り巻きを減らすんだ。軽巡の新型についても十分に注意しろ」

『心得た』

 

 長門が通信を切った。

 

「一気に決着をつけようと出てきた――ってことかな」

 

 清霜の呟きに、剛臣は唸り声をあげた。

 

「自軍がこれ以上減らないようにと思っての動きかもしれない。戦線の状況を見た感じだと、鬼・姫クラス以外の敵深海棲艦ならこちらの戦力で駆逐できる可能性が高い。だから、これ以上減らされる前に連中が前面に出てきた……とも考えられる」

「指揮官が先頭に出てくるなんて馬鹿げてる――と言いたいところだけど、深海棲艦の場合指揮官たる鬼・姫クラスとそれ以外との戦力差が大きいからねえ。自ら先陣切って敵を蹴散らし、後に続けと叫びながら進軍する。そんなスタイルも割と有効ではあるだろうね」

 

 川内が嫌そうな顔で語る。

 実際、戦況は少し変わりつつあった。

 

 鬼・姫クラスの個体が前に出てきたことで、横須賀の艦隊はそちらに集中せざるを得なくなっている。

 その隙を突いて、他の深海棲艦たちが少しずつ前に出て来ていた。

 

「少し、押され気味になってきたか……」

「……やはり当方の艦隊も出しましょうか」

「いや、無理に出して取り返しのつかないことになったら一大事だ。十分な戦力として勘定できないのであれば、出すべきではない」

 

 しかし、モニターに映し出される戦況は芳しいものではなかった。

 軽巡の新型――後に軽巡棲鬼と呼ばれる個体はすべて撃破したものの、戦艦棲姫の装甲と空母棲鬼の攻勢によって、横須賀艦隊も苦戦を強いられている。

 

 どれだけ早く戦艦棲姫と空母棲鬼を倒せるか――そこで戦の趨勢が決まる。

 

「――三浦提督さん!」

 

 皆が緊迫した様子で戦いを見守っていた中、清霜がやにわに立ち上がった。

 

「私、出撃してきます!」

「なに? 確かに君はまだ戦えるかもしれないが、しかし一人では――」

 

 そう言いかけて、剛臣は気づいた。

 清霜の手に、通信機が握られていることに。


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