南端泊地物語―戦乱再起―   作:夕月 日暮

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第十二陣「彼女たちの理由」

 日本の中では、二〇一五年の冬から春は平和だった。

 世間では、何事もなかったかのように時間が流れていく。

 

 しかし、深海対策庁内部では大きな動きが生じていた。

 

 トラック泊地防衛戦における問題行為により、作戦本部長である三浦剛臣は停職処分を受けることになった。

 期間は一年。虎の子の超音速輸送機を無断で持ち出し危険に晒したこと、強力な戦力である横須賀・横須賀第二の兵力を自分勝手に使ったことが問題視されたのである。

 免職に至らなかったのは、剛臣の行動にも理があったとみなされたこと、不可能と思われたトラック泊地の防衛に成功したこと、そして剛臣が世間一般に英雄として認知されていたこと等によるものだと噂された。

 

 更に、激戦の中でトラック泊地提督・深海対策庁情報部長である毛利仁兵衛が亡くなった。

 トラック泊地提督の後任は大江元景に決まったが、彼には実績がなく、深海対策庁の情報部長を継ぐことはできなかった。

 

 深海対策庁は、作戦本部長と情報部長という柱を失うことになったのである。

 

 代わりに台頭してきたのが、横須賀第二の提督である長尾智美だった。

 初陣である渾作戦、そしてトラック泊地防衛戦において、彼女の横須賀第二は目覚ましい働きを見せた。それが評価されたのである。

 さすがに作戦本部長という実働部隊トップの椅子につくことはなかったが、彼女は情報部長補佐だったことから、情報部長に昇進することになった。

 更に、剛臣の停職処分中の間だけではあるが、横須賀鎮守府の指揮権も預けられる。

 

 長尾智美の存在感は、もはや一提督の範疇を超えていた。

 

 

 

 二〇一五年、三月。

 ソロモン海は穏やかな情勢の中にあった。

 

 深海棲艦はところどころに現れるものの、それらは巡回する艦娘だけで撃退できる程度の規模で、目立った戦いは起きていない。

 ソロモン諸島の人々は、平穏な春の訪れを感じていた。

 

「――提督」

 

 呼びかけられて、康奈は意識を現実に引き戻された。

 眼前には心配顔の大淀がいる。執務室詰めの泊地中枢メンバーも、皆康奈を見ていた。

 

「……ごめん。何の話だったかしら」

「今月の護衛計画についてです」

「ああ、そうね。うん、そうだった」

 

 資料に目を落とした康奈だったが、どうにも反応が鈍かった。

 

 護衛計画書には、そこまで細々としたことは書いていない。

 あくまで大まかな予定と編成概要が記載されているだけだ。

 普段の康奈であれば、一瞥して気になるところを確認し、それで終わるような代物である。

 

 再び大淀が呼びかけようとしたところで、不意に康奈の手元から資料を取り上げた艦娘がいた。

 

「駄目よ、提督。シャキッとできないなら、まずは休まないと」

 

 康奈に対して口を尖らせたのは、小柄な軽空母の艦娘――瑞鳳だった。

 

「いや、でも休んでるわけには――」

「働き過ぎは却って効率悪くするの。ほらほら、今日はもうお休み。やれることはやっておくから。皆、異議あるー?」

 

 瑞鳳の問いかけに異議を差し挟む者はいなかった。

 誰がどう見ても、今の康奈は仕事になるような状態ではない。

 

「それじゃ大淀。提督のことよろしくね」

「え、私ですか?」

「今の提督を一人にしておくのは危なっかしいもの。よろしくね!」

 

 瑞鳳は康奈を立たせると、グイグイと執務室の外に押し出した。

 提督を半ば押し付けられる形になった大淀は、バタンと閉ざされた執務室の扉を見上げて苦笑いを浮かべる。

 

 ……私も戦力外とみなされたのですかね。

 

 康奈ほどではないにしても、大淀も最近は仕事に身が入らないことが多くなっていた。

 

 康奈がこうなったのは、トラック泊地防衛戦が終わってからである。

 誰もあえて口には出さなかったが、康奈は相当なショックを受けていた。

 

 あの防衛戦の最終局面で清霜がかつてない程の大怪我を負ったこと。

 そして――いろいろとショートランド泊地や康奈のことを気にかけてくれていた毛利仁兵衛が戦死したこと。

 

 深海棲艦との戦いは命を懸けたものだ。

 当然、誰かが傷つき斃れることもある。

 それでも、そういうものだ、と割り切るのは難しい。

 

「清霜の様子でも、見に行きますか?」

「……そうね」

 

 康奈は短く頷いて、医務室に向かって歩き出した。

 

 ショートランド泊地は、昨年の夏に敵の空襲を受けて半ば壊滅した。

 しかし、今は大分再建も進んでおり、拠点としても相応に様になってきている。

 ただ、ほとんどの部分を再建したが故に、かつての面影は大分薄くなっていた。

 

「ここも変わったわね」

「ほとんど、作り直しましたからね」

「先生が見たら、なんて言うかな」

「よくここまで立派に再建した、と褒めてくれると思いますよ」

 

 康奈が前任の提督のことを口にするのも久しぶりだった。

 毛利仁兵衛のことがそれだけショックだったのだろう。

 彼女にとって、前任の提督は親代わりだったが、仁兵衛は叔父のような存在だった。

 

「ねえ、大淀」

「はい」

「大淀は、いなくならないわよね」

「……ええ。私はずっといますよ」

 

 確約はできない。

 それでも大淀は、康奈が安らげるようにと、そう答えた。

 

 清霜の怪我は酷いものだった。

 幸い四肢は繋がっていたが、戦艦の主砲をまともに喰らったためか、骨や内臓があちこちズタボロになっていた。

 泊地常駐の医者が「生きているのが不思議」と評するくらいの惨い有り様である。

 

 幸い、艦娘としての回復機能が少しずつ働いた結果、清霜の身体は大分元の状態に戻りつつある。

 しかし、意識は一向に戻る様子がなかった。

 

「大淀は、最近清霜の様子見に行った?」

「いえ。片付けなければいけない仕事が多かったので……」

「そっか。考えてみれば、私と一緒にずっと執務室に缶詰状態だったものね」

「昨日、食事のときに早霜と会ったので話は聞きました。意識は戻っていないものの、身体的には異常はなく、落ち着いているそうです。今は何人かが交代で様子を見ているそうで」

 

 話しているうちに、二人は清霜が寝かされている医務室に到着した。

 コンコンとノックすると、中から早霜の「どうぞ」という声が聞こえる。

 

「――」

 

 扉を開けて、康奈と大淀は目を丸くした。

 そこには、ベッドの上で美味しそうに林檎を頬張っている清霜がいたのである。

 

「あ、司令官に大淀さん」

「……あ、じゃないわよ。もう」

 

 張り詰めていた何かが途切れて、康奈は身体から力が抜けてしまった。

 危うく倒れそうになったところで、大淀が抱き留める。

 

「ついさっき、目を覚ましたの。後ほど連絡しようと思ったのだけど……」

 

 リンゴの皮をむきながら、早霜が申し訳なさそうに弁明した。

 

「いえ、いいのよ。全部無茶して人を心配させた清霜が悪いんだもの」

「えっ、そんなに怒られるようなことだった!?」

「それはそうよ。いくら命を賭して戦っていると言っても、清霜は無茶が過ぎるわ」

 

 清霜のおでこにデコピンをしながら、康奈は口を尖らせた。

 

「……まあ、でも。こうしてちゃんと帰ってきてくれたんだから、良しとしましょうか。おかえり。あるいは、おはようって言った方が良い?」

「えへへ。おはよう……ただいま!」

 

 鼻を擦りながら、少しはにかんだ表情で清霜が礼をする。

 それに返礼する康奈は、先程までよりも、少しだけ生気が戻っていた。

 

 

 

「これが、毛利提督の調査レポート?」

 

 翌日。

 清霜は、康奈の部屋で大型のモニターをじっと眺めながら首を傾げた。

 

 トラック泊地防衛戦の最中、毛利仁兵衛が報酬として康奈たちに提供したデータ。

 それは、彼が独自にAL/MI海域の調査をした結果をとりまとめたものだった。

 

 清霜は、AL海域の作戦行動中に龍驤たちの艦隊が拾ってきたという。

 ただ、当人にそのときの記憶はほとんど残っていない。

 

 龍驤も、あまり清霜の素性についての手掛かりは持っていなかった。

 AL海域における作戦行動中、彼女たちは深海棲艦が群がる小島の存在に気づいた。

 戦場においてはさほど重要でもなさそうな地だったが、深海棲艦の動きから「何かある」と踏んだ龍驤たちは、同島を制圧。その中で、奇妙な施設を発見した。清霜はそこで倒れていたのだという。

 

 作戦行動中ということもあり、龍驤たちは清霜を確保するとすぐに島を離れた。

 詳細調査は作戦後に然るべき者が行えば良い。そう判断したのだという。

 

「ま、報告した後何を見たかとか不審なものを見かけなかったかとか、胡散臭い質問飛んできて、何かヤバイもん見つけたかなあ、とは思ったけど。ああ、そういう質問にはまとめて『何も見なかった』と答えておいたで。ウチらが見たのは艦娘一人だけ。不審なとこなんか何もないもんな」

 

 そう言って龍驤はケラケラと笑っていた。

 

 閑話休題。

 その後、AL/MI海域は大本営の管理下に入り、維持困難という理由によって先日放棄された。

 おそらく、今はもう何も残っていないのだろう。少なくとも、康奈たちが求めるようなものは、何も。

 

 仁兵衛が遺したデータは、大本営が管理していた頃に彼が独自調査を行った内容をまとめたレポートである。

 情報部長という立場を利用して、彼はかなり際どいことまで調べていたらしい。

 ざっと通しで見ただけでも、いくつか危ない情報と思しきものがあった。

 

「うぅ、見てもサッパリ分かんない……」

 

 どうやら、清霜には少し難しい内容だったらしい。

 モニタに映し出される情報の数々に、彼女はすっかり目を回していた。

 

「分からないところは飛ばしても良いのよ。私も全部を理解できるわけじゃないし」

「司令官でも?」

「別に私、そこまで頭良いわけじゃないもの」

 

 この場に大淀辺りがいたら「嫌味に聞こえますよそれ」と突っ込むところだったろうが、生憎ここには康奈と清霜、それに早霜・春雨がいるのみだった。

 

「私もサッパリ分かりません……」

「なんとなく、という感じね。分からないところはとりあえず流してるけど」

「早霜のやり方で良いのよ。分からないところは後で確認する。とりあえずは全体を見て、気になる情報だけチェックすれば」

 

 早霜と春雨は、清霜のことが心配で付き添いとしてやって来たのだった。

 当然、心配しているというのは、怪我の具合だけではなく清霜の素性のことも含まれている。

 

 清霜が元々人間だったということは、泊地内ではもう隠してはいなかった。

 少しずつ噂としては広まっていたが、トラック泊地防衛戦以降はもはや公然の事実のようになっていた。

 これ以上隠してあらぬ風聞が立つのも良くない、と思い、康奈は主要な艦娘に事情を説明したのである。

 

「こういうのは、意外と時津風が得意なのだけど」

「磯風・時津風・雲龍さんは哨戒任務で出払ってますもんね。……あ、でも清霜が意識戻したって伝えたら喜んでましたよ」

「そう? 三人にも早く会いたいなあ。心配かけちゃったもんね」

 

 自分たちとルーツが異なっても、清霜と同期の艦娘たちの関係性は変わらない。

 そのことを目の当たりにして、康奈は胸を撫で下ろした。

 信じていなかったわけではないが、どこか不安を感じていたのは確かだからだ。

 

「……司令官。それ」

 

 早霜が表示されているウインドウの一角を指し示した。

 今映し出されているのは、艦娘人造計画の被験者となった子どもたちの一覧である。

 早霜が指した子どもは、どこか清霜に似ていた。もっとも、面影があるかないか、という程度の類似性だ。

 

「これ、私?」

「分からない。今とは大分違うけど……」

「艦娘にしていく過程で、人間だったときの個性や特徴は少しずつ削がれていく――ってさっき見たわ。であれば、元々の顔と今の顔では結構違っているのかもしれない」

 

 被験者の詳細情報も載っていた。

 

 上杉静。

 上杉家は数世代に渡って議員を輩出している名家であり、静はそこの本家の娘だった。

 姉妹共々艦娘適性があることが判明。相手が相手だけに政府も駄目元で交渉を仕掛けたところ、静の父――現当主は『国家の存亡にかかわることであればやむを得ない』として、娘たちを艦娘人造計画の被験者とすることに合意したという。

 ただ、母親の方はそれで納得したわけではなかったらしく、娘たちが送り出されて程なく離婚している。

 

 静たち姉妹は艦の魂と高い親和性を示した。

 研究は順調だった。親和性の低さから精神に異常をきたす被験者も多く出たが、その中にあって静たち姉妹は極めて良い成績を出し続けている。

 

「けど――異変があった」

 

 二〇一四年、春。

 ピーコック島に離島棲鬼と名付けられた深海棲艦が現れる直前、静たちがいた研究施設は深海棲艦の標的にされた。

 秘密裏に進めていた艦娘人造計画の施設だけあって、彼らは表立った援軍を呼ぶことができなかった。

 実験も佳境に入っている。後少しで成果が出せる、というところまで来ていた。

 

 施設長は決断した。

 比較的高い親和性を持っていた被験者たちを、急ぎ艦娘にしてしまい、その戦力を以て施設を防衛する。

 完全な艦娘化はまだ十分な検証が出来ておらず、危険が伴う。

 それでも、この施設を手放すよりは良いと、施設長は考えたらしい。

 

 静たち姉妹も、このとき選ばれた。

 どの艦の魂に見初められるかは、直前にならないと分からない。

 何一つ確かなものがない賭けに、彼女たちは付き合わされることになったのである。

 

 そして、施設による記録はそこで途絶えていた。

 施設自体は無事だったが、いくつか損傷している箇所も見受けられたため、交戦の末敵わないと見て放棄することになったのだと思われる。

 

 それが、上杉静に関する記録だった。

 

「……これが、この子が私なのかな」

「ハッキリとしたことは言えない、けど……」

 

 他の被験者の記録と照らし合わせてみると、艦娘適性があると言っても、その適性度合いはピンキリで、この記録の施設において最終的に艦娘化できるとみなされた子はそう多くはない。

 清霜は実際に艦娘になっている。そして、上杉静は艦娘になり得るとみなされた数少ない被験者だった。

 両者が同一人物である可能性は、それなりに高い。

 

 だが、これが事実だとすると、清霜は親に半ば見捨てられたということになる。

 

 ……清霜。

 

 康奈は清霜の様子を窺う。

 意外にも、清霜はそのことにショックを受けていないようだった。

 

「姉妹、かあ」

 

 清霜の関心は、上杉静の姉妹に向いているようだった。

 上杉静の資料には、姉妹の名前は載っていない。対象以外の個人名は徹底して避けるのが、この施設の記録の特徴のようだった。部分的に流出したとき、影響を最小限に抑えるための措置なのかもしれない。

 

「なにか思い出せそう?」

「ううん。でも、なんだろう。思い出せないのが……なんだか、少し苦しい気はする」

 

 清霜が険しい表情を浮かべる。

 そのとき、早霜が清霜を後ろから抱き締めた。

 

「大丈夫よ。もし思い出せなかったとしても――ここに、私がいるから」

「……うん。ありがと、早霜……お姉ちゃん」

 

 気恥ずかしそうに言う清霜を、早霜は目いっぱい抱き締めた。

 少し力が入り過ぎたのか、途中から清霜が「タンマ、痛い、痛いってばー!」と悲鳴を上げる。

 

 その様子を眩しそうに見る康奈に、春雨がおずおずと声をかける。

 

「あ、あの。私もぎゅーってしましょうか……?」

「え? あ、あー……。ううん、いいわ」

「そ、そうですか」

「落ち込まないでってば。別に春雨が嫌なんじゃなくて、私からすると春雨は妹みたいなものだから、されるのは何かこう違うっていうか……」

 

 慌てて釈明する康奈を見て、清霜と早霜がおかしそうに笑う。

 春雨も、本気で落ち込んだわけではなかったのか、クスクスと口元を隠しながら笑みを浮かべた。

 

 

 

 仁兵衛のデータは数が多い。

 一日ではすべて見れそうになかったので、康奈は清霜たちを帰らせた。

 

「提督、まだ起きてる?」

 

 夜間、康奈が一人でデータをチェックしていると、瑞鳳が尋ねてきた。

 

「起きてる。どうかしたの?」

「ううん。昨日は元気なかったから、どうかなーって思って。大淀から、少し元気戻ったって聞いてはいたけど」

「ごめんね。今日はお休みもらっちゃって」

「いいのよ。康奈は働き過ぎなくらいなんだから。もっと休んで欲しいくらい」

 

 そう言って、瑞鳳はお盆のクッキーとコーヒーを康奈のデスクに置いた。

 

「はい、お夜食。康奈のことだから、早く寝なさいって言っても寝ないだろうし」

「そうね。今日はちょっと、これをしっかり見ておこうと思って」

「……大丈夫? 顔色、少し悪いけど」

 

 瑞鳳が康奈の顔を覗き込んでくる。

 

「大丈夫大丈夫。ちょっと、嫌な内容が多いってだけで」

「心配だなあ。嫌なものなら見ないで済ませるとか、駄目なの?」

「うん。……これは、見ないと」

 

 清霜たちを帰らせた後、康奈が目を通しているのは艦娘人造計画の実験に関する詳細情報だった。

 被験者の心身の安全を省みない、過酷としか言いようのない数々の検証。

 国家の――人類の危機だとしても、本来守るべき対象である子どもを相手に、ここまで惨いことができるのか、と言いたくなるような内容だった。

 

 被験者として集める際、強引な手段で周囲から引き離された子どもも大勢いる。

 過酷な実験の中、犠牲になった子も大勢いる。

 

 目を背けたくなるような内容ばかりだが――康奈は、これをしっかりと記憶しなければならないと考えていた。

 

 覚えてこそいないが、自分もこういった実験の当事者だった。

 今は周囲のおかげで大分良い環境にいられるが、今の自分があるのは、こういう実験での犠牲があったからこそ、という考え方もできる。誰かの命が犠牲になった結果得られた知見で、康奈が死なずに済んでいるのかもしれないのだ。

 

「私は、覚えておきたい。この子たちが歴史の中に葬り去られることになっても――私は」

「そっか」

 

 瑞鳳は短く頷くと、部屋を出て行った。

 幾分あっけない反応だな、と康奈が意外に思っていると、瑞鳳はすぐに戻って来た。

 その手には、枕とタオルケット――そして小さな椅子がある。

 

「……どうしたの、それ?」

「康奈が頑張るなら、私も一緒に付き合おうかと思って」

「別にいいのに」

「駄目よ。康奈ってば、放っておくと全部一人で抱え込もうとするんだもの」

 

 そう言って、瑞鳳は康奈の隣に陣取った。

 

 彼女は、康奈がここに来てすぐの頃から世話をしている。

 だからか、康奈も瑞鳳にはどこか頭が上がらないところがあった。

 姉がいたらこんな感じだったのだろうか――と思うこともしばしばある。

 

「大淀といい瑞鳳といい、私にはお節介な姉が多いわね」

「私たちだけじゃないよ。司令部の皆――叢雲や古鷹たちも、ずっと康奈のことは気にかけてるんだから」

 

 どこか注意するように言ってくる瑞鳳の仕草がどこかおかしくて、康奈はつい笑ってしまった。

 こんな風に何でもないことで笑ったのは、かなり久しぶりかもしれない。

 

 ひとしきり笑い終える頃、康奈の表情は僅かに寂しげなものになった。

 

「……ねえ、瑞鳳。私、毛利さんには随分とお世話になったわ」

「うん。毛利提督は、うちの泊地にとっては恩人よね」

「でも、私は結局何一つ恩返しができなかった」

 

 それは、と瑞鳳が言葉を重ねようとすると康奈は頭を振った。

 

「少なくとも、私はそう思うの。……私、いろんな人のおかげでこうして生きていられる。でも、誰に恩返しできてるわけでもない。恩返しが義務とは思わないけど……何かしたい。今回、毛利さんにする機会を失って――改めてそう思ったわ」

 

 そう告げる康奈の表情には、どこか力強さがあった。

 

「……それが康奈の、戦う理由なんだ?」

「うん。今の私にできるのは、提督として戦うことだけ。だから、できることは全部全力でやっていきたい。ちょっと無理をすることもあるけど……」

「無理はしないで欲しいけど、そういう顔する人って、言っても止まってくれないんだよねえ」

 

 瑞鳳は困ったような笑みを浮かべると、康奈を抱き寄せた。

 

「だから、付き合うよ。康奈が止まらないなら――康奈の辛さを私たちも一緒に受け持つ。多分、皆同じように言うと思う」

 

 力いっぱい抱き締めてくる瑞鳳の温かさに、康奈の目から少しだけ涙が零れ落ちた。

 

 ……嗚呼、私は幸せ者だ。

 

 周囲には、温かい人が沢山いる。

 こんなに恵まれていて良いのだろうかと――そんなことを思ってしまう程に。

 

 

 

 彼女は、眼前で妹が貪り食われる様を見た。

 

 半端な力で対抗しようとしたのが、そもそもの間違いだった。

 ギャンブルの投資者は、いつの間にか姿をくらませている。

 後に残されたのは、身勝手にもチップにされた子どもたちばかり。

 

 決死の抵抗で深海棲艦相手に立ち向かった妹は、噛み砕かれ、助けを求める間もなく食われた。

 助けを求められなかったのは、妹思いの彼女にとって幸いだったかもしれない。

 罪悪感を、少しでも減らせるという意味で。

 

 無論、その光景が彼女にとっての悪夢であることに変わりはなく――。

 

「――っぁ!」

 

 深夜。

 眠りから覚めた彼女は、飛び跳ねるように身体を起こした。

 

「ハ、ハーッ、ハァーッ」

 

 呼吸の乱れに気づくのに、しばらくの時間を要した。

 頭が割れるように痛く、吐き気のせいで胸からお腹のあたりが気持ち悪い。

 

 膝を落としてしばらく呼吸を整えていると、短くノックをする音がして、部屋に誰かが入ってきた。

 

「提督。大丈夫ですか?」

 

 聞き馴染みのある声に、ようやく意識が現実へと定着する。

 

「……咲良」

 

 声をかけてきた相手を見ながら、思わず口から零れ出た名前。

 その意味に気づいたのは、相手がこわい表情をしていたからだ。

 

「提督。私は川内型・軽巡洋艦の神通です」

「……ああ。そうだな。神通。分かっている。分かっているさ」

 

 神通の言葉を押しとどめ、彼女――長尾智美は起き上がった。

 

「無様を晒した。忘れてくれ、神通」

「必要であればドクターを呼びますが」

「いや、いい。彼は信用できるが、医者を見るのは今の私には却って毒だ」

 

 そう言って、智美は引き出しの中にあった精神安定剤を飲んだ。

 

 悪夢にうなされることは、少なくない。

 そういうときは、素直に薬の力を借りることにしていた。

 過剰に摂取しないのであれば、薬は使用者の力になってくれる。

 

「最近は以前にも増して忙しくなりました。あまりご無理をなさらぬよう」

「分かっている」

 

 智美の声には苛立ちが含まれていた。

 ただ、神通はそれを気にしている風でもない。

 こういうことは、ときどきあった。

 

「そういえば提督」

「なんだ」

「先日提案した例の件、いかがでしょうか」

「……ん、あれか。そうだな」

 

 数日前、神通は少し変わった提案を持ち掛けてきた。

 神通が何を思ってその提案をしたのかは、智美も分かっていない。

 ただ、面白い試みだという気はしていた。

 

「構わん。進めろ。具体的なことはすべてお前に一任する」

「ありがとうございます」

 

 神通は深々と頭を下げると、智美の部屋から出て行った。

 

「やれやれ……」

 

 残された智美は、ようやく自分の気分が落ち着いてきたことを実感する。

 神通のことは、多くの艦娘の中でも特に信頼していた。

 だが、時折酷く苛々させられることもある。

 そして、問題があるのは神通の方ではない、ということが余計智美を苛々させた。

 

 親に見捨てられたとき、智美は最初の死を迎えた。

 二度目の死は、無謀な賭けのチップにされて、姉妹を失ったとき。

 

 ……三度目はない。

 

 自分たちを見捨てた親。

 妹を貪り食った深海棲艦。

 多くの友人を死なせた挙句、我が身可愛さで逃げ出した研究者たち。

 

 いずれも、許すつもりはない。

 

「私はもっと上に行く。そうして、誰にも文句をつけられないような立場になってから、復讐を果たす。奴らに報いを――必ず報いを与えさせてやる」

 

 

 

 翌朝。

 執務室に出た康奈を待っていたのは、困惑した表情の大淀だった。

 

「おはよう。どうかしたの、大淀」

「いえ、それが……先程、横須賀第二の神通さんから連絡がありまして」

「横須賀第二の?」

 

 今や飛ぶ鳥を落とす勢いの横須賀第二が、こんな辺境の泊地に何の用事だろうか、と康奈は訝しんだ。

 艦娘人造計画に絡む件かもしれないが、それなら神通ではなく智美が康奈に直接連絡を寄越すはずである。

 神通が泊地の執務室に連絡をよこしたということは、横須賀第二からの公的な連絡ということになる。

 

「それで、神通はなんて?」

 

 康奈に促された大淀は、困惑しながらも神通の言葉を伝えた。

 

「――横須賀第二とショートランドの艦娘で、交換留学を実施したい、と」

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