南端泊地物語―戦乱再起―   作:夕月 日暮

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第三章「向き合うべきもの」(西方遠征編)
第十三陣「西方からの救援要請」


 ショートランド島では、本州ほど四季の変化はない。

 暦の上では春だが、その日もショートランド泊地はむわっとした暑さの中にあった。

 

「そこまで!」

 

 演習の監督役を務めていた長良が声を張り上げた。

 演習場で縦横無尽に駆け回っていた艦娘たちが、動きを止める。

 

「勝者は紅組。それぞれこの後演習内容をレポートにしてまとめて提出すること。以上、解散!」

 

 長良の終了宣言を受けて、演習に参加していた艦娘たちは思い思いに散っていく。

 白組――負けた側に参加していた清霜は、何がまずかったのかと考え込みながら歩いていた。

 

「よっ、どうしたよそんな考え込んで!」

 

 その背中を、後ろから思い切りバシッと叩く艦娘が一人。

 夕雲型の一員で、清霜の姉にあたる艦娘――朝霜である。

 

 ただし、彼女はこの泊地の艦娘ではない。

 彼女は、紺色のスカーフを身に着けていた。

 これは、横須賀第二鎮守府の艦娘のトレードマークである。

 

「痛いなー、もう。せっかくさっきの演習について反省してたのに、頭から吹き飛んじゃったよ」

「それくらいで吹き飛ぶ内容なら大事なもんじゃなかったってことだろ。改めて考え直すこった」

「うー、そうかもしれないけど」

 

 朝霜は先程の演習で紅組に属して戦っていた。

 清霜とは直接相対することはなかったが、終始そつのない動きをしていた。

 白組のうち一人を轟沈判定に追い込む戦果も挙げている。

 

「朝霜から見て、私って何が足りないと思う?」

「直感に頼りすぎ。嗅覚は大したもんだが、それに振り回されて釣られてる場面が多い」

「そうなの?」

「ああ。実際何度か揺さぶりかけたら成功したし」

「気づかなかった……」

 

 知らないうちに朝霜の術中にはまっていたことを知り、清霜はがっくりとうなだれた。

 

「砲火を交えるだけが戦いじゃないってことだ。より長く戦場に立っていられるよう、目的を遂行できるよう、あらゆる手段を講じる。それがあたしの基本ポリシーだ」

「横須賀第二は皆そんな感じなんだ」

「……いや、ちっと違う。あそこは『目的を遂行できるようあらゆる手段を講じろ』がポリシーだな」

 

 両者の僅かな違いに、清霜は何かを言いかけて、やめた。

 そのことについて深く追求するなと、朝霜の表情に書いてあったからだ。

 

「けど、大丈夫かね」

「ん?」

「いや、磯風のヤツだよ」

 

 磯風は、朝霜と入れ替わりで横須賀第二鎮守府に留学に行っていた。

 当初、康奈は交換留学について懐疑的だったが、磯風が自ら希望したため、彼女を行かせることにしたのである。

 

「あそこはマジで地獄みたいな訓練するからな。一週間で吐かなくなれば上出来だと思うが」

「大丈夫じゃないかな。磯風、ここにいるときも人の倍近く訓練してるから」

 

 ショートランド泊地は、横須賀第二鎮守府のような強豪ではない。

 しかし、曲がりなりにも最前線に位置する泊地である。訓練は決してぬるいものではなかった。

 

「訓練量だけの問題じゃないけどな。ま、そこはあんまり心配しても仕方ないか」

「そうそう。あーあ、私も病み上がりじゃなかったら立候補してたんだけどな」

 

 交換留学の話が出たとき、清霜はまだ本調子ではなかった。

 そのため、立候補しようとした手を早霜や春雨によって抑えられたのである。

 

「お前のその向上心……と言っていいのかどうかよく分からんものは、どこから湧き上がってくるんだろうな。磯風と言い物好きなもんだぜ」

「えー、そうかな。訓練いっぱい積んだら、戦艦みたいに活躍できるかもしれないじゃん」

「戦艦ねえ」

 

 朝霜は訝しげに清霜を見やった。

 

「なあ、清霜」

「なに?」

「なんでお前――そこまで戦艦に憧れてるんだ?」

 

 それは、身近な人々から何度となく尋ねられたことだった。

 ただ、朝霜はこの泊地の艦娘ではない。

 だからか、清霜の反応は普段と少し異なるものだった。

 

「戦艦って、大きいでしょ」

「ああ。でかいな」

「とても頑丈だし、遠くにも手が届く」

「おう。耐久力や砲撃戦での射程に関しちゃ、右に出る者はいないな」

「――それがね。羨ましいんだ」

 

 どこか遠くに思いを馳せながら、清霜はゆっくりと告げた。

 

「私は、よく夢を見る。武蔵さんが沈む夢。……戦艦・武蔵が沈む夢、と言った方が良いのかな」

 

 それは、艦娘になる前の――艦艇としての記憶だ。

 艦娘は時折、かつての記憶を夢という形で振り返る。

 

「武蔵に乗っていた人たちを助けたかった。でも、私も、一緒に護衛についていた浜風も、近づけなかった。武蔵の沈没に巻き込まれたら、私たち駆逐艦じゃひとたまりもなかったから。……そのときは、仕方ないなあって思ったんだ」

「……駆逐艦・朝霜と合流したのは、その後だったな」

「うん。それで、多号作戦や礼号作戦で一緒になったんだよね」

 

 懐かしいなあと、清霜は笑った。

 どこか寂しい笑みだと、朝霜は思った。

 

「そして、礼号作戦で私は沈んだ。……沈むとき一人でね。誰も側にいなくて、乗ってる人たちを誰も助けてくれないのか――って思ったとき、あのとき武蔵も同じ気持ちだったのかなって、初めて後悔したんだ」

「……清霜も浜風も、助けること自体を諦めたわけじゃなかったろ。武蔵沈没後に、助けられるだけ助けたって聞いたぞ」

「うん。でも、それは武蔵が沈んだ後だったから。……駆逐艦・清霜だってそう。あの後霞・朝霜が助けに来てくれたっていうのは艦娘になってから知ったし、そのことは感謝してもしきれない。けど、沈むときは――やっぱり辛かった」

 

 清霜は空に向かって腕を伸ばす。

 

「あのとき清霜が戦艦だったなら、武蔵に横付けして、もっと多くの人を助けられたと思う。武蔵を安らかな思いで送り出せたと思う。私が戦艦みたいになりたいのは――そういう思いもあるからなんだって、そう思うんだ」

 

 伸ばした腕は、武蔵のものと比べると、いかにも小さく、細く、便りのないものだった。

 

 

 

「失礼します」

 

 ノックをして入室した神通は、海図を相手に唸る智美の姿を見た。

 情報部長という役職についてから、智美は前以上に働き詰めになっている。

 

「少しお休みになられてはいかがでしょう」

「……ん、神通か。何か用か」

 

 集中していたからか、神通が来ていたことに気づいていなかったらしい。

 やはり、疲れが溜まっているのかもしれない。

 

「朝霜からの定例報告が届きました。文書化してありますので、お時間のあるときにご確認ください」

「――ああ、交換留学、だったな」

 

 神通から報告書を受け取って一瞥する。特に変わったことは書いていなかった。

 

「大した情報はないな。元々あそこの泊地自体はそこまで気にかけるようなところでもないし、こんなものと言えばこんなものだが」

 

 神通が提案した交換留学の実態は、ショートランド泊地への諜報員派遣である。

 朝霜には、できる範囲でショートランド泊地の内情を調査し、定期的に報告するよう申し付けてある。

 

「提督は、あそこの泊地をもう少し気にかけておられると思っていましたが」

「あくまで一部だけだ。あの泊地そのものにはさほど興味はない」

 

 智美は他にも複数の場所に諜報員を派遣している。

 情報部長になる前から、彼女は情報の重要性を理解していた。

 戦いにおいても、それ以外の場面においても、情報を制する者は優位に立つことができる。

 

「それに、本格的な諜報活動をするなら朝霜は人選ミスだろう。奴は嘘が上手くない。向こうの泊地に気づかれている可能性もあるんじゃないか」

「特定の情報を探るようなケースでは不向きかもしれませんが、今回は内情偵察が主な目的ですし、それくらいなら朝霜でも問題ないと判断しました。デリケートな情報を扱うわけでもないので、むしろ嘘がつけなさそうな艦娘の方が適任ではないかと」

「……なるほど、そういう考え方もあるか」

 

 実際、朝霜の定期報告の内容は業務日誌のようなものばかりで、見ていて退屈さを感じる。

 ただ、こういう情報でも積み重ねていくことで見えてくるものはある。智美はしっかりと内容を頭に叩きつけた。

 

「磯風の方はどうだ?」

「優秀ですよ。初日しか吐きませんでした。今日などは通常の訓練の後で自主訓練をしているようです」

「……私がいうのもなんだが、なかなかクレイジーだな」

 

 通常の訓練と神通は言ったが、それは朝霜がいうところの『地獄』である。

 大抵の艦娘はそこで心身ともに力尽きてしまうものだが、磯風はこの短期間で既に適応してきているらしい。

 

「使いものになる、という理解で合っているか?」

「はい。これまであまり表立って評価されることはありませんでしたが、あそこは最前線に位置する拠点です。訓練も十分に行われているようですし、艦娘の練度もこちらの認識以上だったと見て良いでしょう」

「そうか。ならば『今度の作戦』でも、存分に頼らせてもらうことにしよう」

 

 智美は短く頷いて、神通の方を見た。

 

「ところで神通。磯風はショートランド泊地に連絡を入れているのか?」

「いえ、まったく」

 

 磯風が施設内から出た様子はないし、施設内では外部に連絡を取ろうとすればすぐに検知できる。

 どうやら、磯風は純粋に横須賀第二鎮守府の在り様に興味を持ってやって来ただけらしい。

 

 智美は何とも言えないような顔で鼻を鳴らした。

 

「たまには連絡を入れるよう言っておけ。地獄の横須賀第二に派遣した艦娘から連絡がないとなれば、向こうも余計な心配をするだろう。それは、面倒だ」

 

 

 

 康奈は、全資料に目を通し終えて、大きく息を吐いた。

 毛利仁兵衛が力を尽くして収集した情報だけあって、得るものは多かった。

 

 艦娘人造計画の変遷。

 被験者となった少女たちの情報。

 艦娘という存在に関する論考。

 深海棲艦という存在に関する論考。

 

 その中で、清霜の前身と思われる少女の情報も掴めた。

 それだけではない。横須賀第二の智美の前身と思しき少女の情報も、このデータには掲載されていた。

 一気に詰め込むには多過ぎるくらいの情報が、ここには含まれている。

 

 しかし。

 

「ない」

 

 康奈は再び息を漏らす。

 疲労だけではなく、失望を感じさせる吐息だった。

 

「私に関する情報は、何もない」

 

 もしかしたら見落としているのかもしれない。

 そう思って、被験者となった少女たちの情報に関しては何度も繰り返し目を走らせた。

 しかし、引っかかるものは何もない。自分の素性に関する手がかりは、どこにも見当たらなかった。

 

「毛利提督も、全部を調べられたわけじゃない――ってことなのかもしれないよ?」

 

 瑞鳳が慰めるように康奈の頭を撫でた。

 しかし、康奈は得心がいかずパソコンの画面をねめつける。

 

「毛利さんのメモがところどころに残ってるの。……少なくとも、AL/MI海域にあった研究施設に関しては網羅してるみたい」

「康奈が元々いたのが、別の海域の研究施設だったってことは?」

「可能性はゼロじゃない。でも、毛利提督のこのメモを見る限り、その可能性は低いと思う」

 

 そう言って康奈は適当な名称がつけられたテキストファイルを開いた。

 その中には、資料に対する仁兵衛のコメントが記載されている。

 この手のメモは他にも多数残されていて、仁兵衛の調査がどこまで進んでいたか確認するのに役立っていた。

 

<彼女の情報がないのが不審。『霧』が敢えて嘘をつく理由もないはずだ。なぜないのか>

 

 ここに出てくる『霧』というのは、康奈を研究施設から連れ出した者を指し示すワードである。

 その正体は康奈も把握していないが、今重要なのは『霧』の正体ではない。

 その『霧』がもたらした情報が正しければ、この資料の中に康奈に関する情報が含まれているはず、というところである。

 

「多分、私が元々いたのはこの資料に載ってる施設のどれかだと思う。けど、手がかりがない」

「康奈は、やっぱり元の自分のことが分からないと不安?」

 

 少し控え目な口調で瑞鳳が尋ねる。

 康奈はハッとしたように面を上げて、瑞鳳の顔を見た。

 

「……ううん。私には、この泊地の皆がいる。今、私は十分恵まれた環境にいると思ってる。だから不安はない。そのはずなんだけど――」

 

 それは偽りのない康奈の本心だった。

 しかし、それとは別に、胸中をざわつかせるものがある。

 

「この資料を見ていると、妙に頭が痛くなるの。息が詰まるような息苦しさを感じる。この資料の裏側に、私に関する情報が隠されているのだとしても――むしろ、私はそれを知りたくない。でも、知らないままでいるのも、怖い」

 

 知りたいという欲求ではない。

 どちらかというと、知らなければならないという強迫観念がある。

 だから、取っ掛かりがない今の状況は、ひどく落ち着かなかった。

 

「少し、休もう?」

 

 瑞鳳に言われて、康奈は小さく頷いた。

 近頃は、日中は提督としての業務、それ以外の時間は資料の精査に追われていて、ほとんど休む間もなかった。

 そろそろ無理やりにでも脳を休ませないと倒れかねない。

 

 しかし、ベッドに横になろうとしたタイミングで、康奈が持っていた通信機が震えた。

 提督同士の間でのみ通信可能な専用機である。

 相手は、横須賀第二鎮守府の長尾智美だった。

 

「……もしもし」

『お疲れのようだな』

 

 康奈の声音から、智美は彼女が今どういう状態なのかを察したらしい。

 

「何か用かしら。今、資料に目を通し終えて非常に疲れているところなんだけど」

『そうか。そちらはいろいろ忘れているから確認に時間がかかるのだったな』

 

 嫌味のつもりはないのだろうが、智美のそういった物言いは疲労して苛々している康奈には毒だった。

 何か言い返そうとしかけて、眼前に瑞鳳がいることを思い出し、かろうじて言葉を飲み込む。

 

『では単刀直入に用件を話そう。大本営から通達があった』

 

 大本営、という言葉に康奈は意識を改めた。

 通常の泊地運営に大本営が口を出してくることはほとんどない。

 大本営からの通達は、重要な作戦の前触れであることがほとんどである。

 

『インドが現在深海棲艦の攻勢を受けている。そこで――西側から来るイタリア軍と共に、この深海棲艦どもを打ち払え、とのことだ』

 

 

 

 インドの海は広い。広いが故に、制海権の維持は困難を極めた。

 

 インドも艦娘を戦力として抱えてはいるものの、日本と比べるとまだ艦娘の数は心許ない。

 そのため、広大なインドの海の制海権を十分に確保できているとは言い難かった。

 

 その状況で、深海棲艦の軍勢による攻勢が始まったのである。

 窮地に追いやられたインドは、日本とヨーロッパに救援を依頼した。

 

 日本もヨーロッパも深海棲艦との戦いに相当の戦力を割いているため、救援にはかなりのリスクがある。

 しかし、東西を結ぶ海が深海棲艦の支配下に入れば、今後連携を取ることができなくなる。

 

「そういった諸々の事情を鑑みて、大本営は今回の救援作戦に踏み切ったそうよ」

 

 ショートランド泊地の司令室。

 そこには、泊地司令部に属する艦娘が揃っていた。

 司令室の外にも、話を聞きつけた艦娘たちが大勢集まっている。

 

「ヨーロッパの方はイタリアが手を挙げたの? イギリスではなく?」

 

 疑問を口にしたのはビスマルクだった。

 彼女は司令部の一員ではないが、今回ヨーロッパ方面との連携が発生するということで康奈が呼んだのである。

 その側には、昨年秋に着任したプリンツ・オイゲンの姿もあった。

 

「インドと縁が深いのはイギリスだけど、どうも現状イギリスは四方から深海棲艦に攻め込まれていて、外洋に出せるような戦力がないらしいのよ。そこで、比較的余裕のあるイタリアの白羽の矢が立ったみたい」

「イタリアの艦娘か……。ヨーロッパの中では、比較的私たちとも接点がある方ですけど」

 

 と、オイゲンは若干気まずそうに頬をかく。

 ビスマルクやオイゲンが艦艇だった頃所属していたドイツは、各地を敵に回して猛威を振るった歴史がある。

 そのことに関する是非はさておき、ヨーロッパの艦娘相手には少々やりにくさを感じるところはあった。

 

 一応イタリアはドイツと同盟関係だった時期もあるので、他よりは多少話が通じやすい。

 ただ、最終的には同盟関係も決裂してしまったので、遺恨がないというわけでもない。

 

「ま、でも接点がないよりはあった方が良いでしょう。過去のことをいつまでもグチグチ言い合っていても仕方ないってことくらい、互いに分かっていると思うし。私たちは当然参加するということで良いのよね、アトミラール?」

「そうね。ビスマルク、オイゲン、レーベ、マックス、ユーには参加してもらいたいと思ってる」

 

 康奈が泊地に所属しているドイツ艦娘の名を挙げると、ビスマルクは得心したかのように頷いた。

 彼女たちは元になったのがドイツの艦艇というだけで、艦娘になってからドイツの地を踏んだことはないのだが――艦艇時代の記憶が多少なりともあるので、その辺りはさほど問題にならない。

 

「今回は朝霜にも参加してもらうわ。長尾提督から連れてくるように言われてるから。問題ない?」

「ああ、問題ないさ。居候の身だが、手を抜かずちゃんと働いてみせるぜ」

 

 朝霜は鼻っ柱をこすりながらニヤリと笑ってみせた。

 その隣にいた清霜も身を乗り出す。

 

「司令官! 私! 私も行く!」

「はいはい、ちゃんとメンバーには入れてあるから」

 

 宥めるように言いつつ、康奈は西方遠征に連れていくメンバーの名を次々と挙げていく。

 泊地の全艦娘のうち三分の一に及ぶ、大軍勢だった。

 

「凄い数になりそうだな」

「うん。こんな大勢で出るのなんて初めてかもしれない」

「インドともなると、AL/MI作戦のときと同じくらいの遠出になるからね。報告されている敵の軍勢も、あのときに近い規模みたいだし」

 

 規模の大きさに驚く清霜と朝霜のところに、一人の艦娘がやって来た。

 一見すると普通の駆逐艦娘のように見えるが、どこか他とは違う雰囲気をまとっているようでもある。

 

「叢雲さん!」

「久しぶりね、清霜。朝霜は挨拶のとき以来かしら」

 

 ショートランド泊地の初期艦にして、康奈が不在の際に泊地を取り仕切る副司令を務める艦娘――駆逐艦・叢雲だった。

 最近第二改装を終えたばかりの彼女は、康奈がとりまとめている編成図を眺めながら難しい表情を浮かべた。

 

「今回はこれでも数を抑えている方よ。さすがに大本営もAL/MI作戦のときの失敗は忘れていないみたいね」

「あのときはもっと多かったんですか?」

「ええ。遠征軍も規模は尋常じゃなかった。……今回は妥当なところだとは思うけど、あのときほど遠征軍に余裕がないとも言えるわ。厳しい戦いになると思うから、覚悟はしておきなさい」

 

 清霜と朝霜の肩を叩いて、叢雲はすぐに別の艦娘のところに行ってしまった。

 おそらく、今みたいに皆へ声をかけているのだろう。

 

「今回の遠征、あの叢雲も出向くみたいだな」

 

 朝霜が興味深そうに叢雲の姿を追いながら言った。

 

「叢雲さんがどうかしたの?」

「いや、あいつの名前はうちでも少し知られてるからな。いろいろと参考になるんじゃないかと思ってよ」

 

 叢雲だけではない。

 ショートランド泊地でも有力な艦娘たちの多くは、今回の遠征に参加するようだった。

 渾作戦で清霜たちと一緒に戦った鬼怒隊の面々、トラック泊地で共に戦った金剛たちも名を連ねている。

 そして、その中には武蔵の名前も含まれていた。

 

「……お」

 

 大和たちと談笑していた武蔵が、清霜たちに気づいて手を振った。

 しかし、清霜はそれに短い会釈で応えると、すぐに別の場所へと行ってしまう。

 武蔵と向き合うことを、どこか恐れているように見える逃げ方だった。

 

 ……やれやれ。今回の遠征、何かが起きそうな予感がひしひしとしやがる。

 

 一癖ありそうな面々が、それぞれの思いを抱えたまま臨む西方遠征。

 朝霜にできるのは、何事も起きなければ良いがと祈ることくらいだった。

 

 

 

 日本の対深海棲艦防衛ラインの南東の要はショートランド泊地だが、南西の要はリンガ泊地である。

 

 そのリンガ泊地が近づくにつれて、船が増えていった。

 船の周囲には、護衛の艦娘が多数ついている。おそらく、各拠点の母艦なのだろう。

 ショートランド泊地も、今回は三隻の船を用意してきた。それくらいの備えがなければ持たない遠征である。

 

 どの拠点もそれくらいの用意をして臨もうとしている。

 今回の遠征が大規模な作戦になる、というのが肌で感じられる陣容だった。

 

 ただ、すべての拠点が参加しているわけではない。例えば、トラック泊地は今回の作戦に参加していなかった。

 トラック泊地は先日の襲撃で大打撃を受け、現在再建中の状態である。とても遠征を出せる状態ではない。

 大本営もトラック泊地の重要性と現状は理解しているらしく、無理に参加しろとは言わなかった。

 

「お待ちしておりました、ショートランドの皆さん」

 

 横須賀鎮守府の母艦・三笠に着いた康奈たちを出迎えたのは、呉鎮守府の初期艦である電だった。

 その隣には、穏やかな顔つきの青年が立っている。

 

「遠路はるばるご足労いただきありがとうございます。作戦本部部長代行の浮田です」

 

 浮田は呉鎮守府の提督で、停職処分を受けた三浦剛臣の代理という立場にあった。

 三浦ほど華々しい戦果を挙げてきたわけではないが、堅実な戦いぶりが高く評価されている。

 

 三浦同様元々自衛官だったこともあって、大本営からの信頼も厚い。

 作戦本部長代行に推されたのはそういう経歴による。

 

「まだ本会議までは時間がありますので、しばらくは艦内でおくつろぎください」

「ありがとうございます」

 

 浮田や電と握手を交わして、康奈は周囲を見回した。

 

「そういえば、長尾提督は?」

「船内にいると思いますよ。お呼びしましょうか」

「いえ、大丈夫です」

 

 別段会いたいというわけではなかった。

 確認したいこともあるにはあるが、今はプライベートなことを話すような状況でもない。

 

「――イヅナ?」

 

 そのとき、若干の驚きを含んだ声が聞こえてきた。

 康奈たちが視線を転じると、そこには目を丸くしたベスト姿の白人男性が立っていた。

 彼は真っ直ぐに康奈の元にやって来ると、喜色満面の様子で「やっぱり!」と声を張り上げる。

 

「久しぶりじゃないか、イヅナ! 少し大きくなったんじゃないか? 無事だったなら連絡をくれれば良かったのに!」

 

 そう言って康奈の手を取り、がっちりと固い握手を交わす。

 悪意も何もなさそうな男の振る舞いに、康奈も抵抗を忘れて「え、ええと?」と困惑するしかなかった。

 

「あの、私は北条康奈と言って――その、人違いでは……?」

「ヤスナ?」

 

 言われて、男は康奈の顔を怪訝そうに覗き込んでくる。

 

「ンー、やっぱりイヅナにしか見えない。別人なのかい? こんなに似てる別人なんて、初めてだが……」

「エルモ」

 

 と、そこで浮田が男の名を呼んだ。

 

「彼女は北条康奈提督だ。艦娘を率いる指揮官の一人としてここに来ているんだよ」

「提督? フーム。そうか。提督、か……」

 

 エルモと呼ばれた男は、興味深そうに康奈や周囲の艦娘たちを見つめた。

 

「分かった。気になる点はあるけど、今ここで話を続けても仕方なさそうだ。そちらのお嬢さん方にこれ以上睨まれたくないからね」

 

 清霜や大淀、瑞鳳といった面々から向けられる猜疑の眼差しに降参の意を示しつつ、エルモは「また会おう」と足早に去って行った。

 

「……司令官。今の人、知ってるの?」

「ううん。知らない――と思う、けど」

 

 清霜の問いかけに、康奈ははっきりと答えることができなかった。

 もしかすると、自分が記憶を失う前の知り合いなのかもしれない。

 

「彼はイタリアから派遣されてきたメンバーだ。と言っても本国から来たわけじゃない。インドの大使館を拠点に動き回っている――研究者だそうだよ」

「……研究者ですか。何の研究を?」

「艦娘や深海棲艦の艤装まわりについて、と聞いているけど」

 

 康奈の胸中はざわついていた。

 研究者エルモが口にしたイヅナという人物。

 それは、どういった人間なのか――。

 

「司令官、大丈夫? 顔色悪いけど……」

 

 心配するように覗き込んでくる清霜に、康奈はかろうじて笑みを返した。

 

「大丈夫。ちょっと考え事をしていただけだから」

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