南端泊地物語―戦乱再起―   作:夕月 日暮

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第十四陣「変化の兆し」

 リンガに集結した遠征軍は、慎重に西進していった。

 西方海域は深海棲艦が跳梁すること甚だしく、各国が十分に対応できていないため、少しずつ制海権を確保していかなければ退路を断たれる恐れがあった。

 

 総指揮を執る呉の浮田提督は、その慎重さが評価されている人物だった。

 このような遠征においては打ってつけの人材とも言える。

 

 無論慎重過ぎては救援が間に合わなくなるが、その辺りは補佐役である情報本部長・長尾智美が上手くバランスを取っていた。

 

「大きな抵抗はなかったよ」

 

 周辺の敵を掃討してきた清霜が、汗を拭いながら康奈に報告した。

 

「深海棲艦自体はそれなりにいるけど、この前のトラックのときみたいな統率が取れてる軍って感じじゃなかった」

「ありゃ拠点活動型じゃなくて流浪型だな。個体の強さはともかく、集団としてまとまってないからどうとでもなる」

 

 清霜の報告を朝霜が報告した。

 異なる拠点の艦娘ではあるが、同じ夕雲型であり艦艇時代も接点があったからか、二人はなんとなく馬が合うようだった。

 

「ただ、流浪型の出現頻度自体は高い。インドを攻めている深海棲艦の軍勢と戦うことになったとき、流浪型が乱入してくる可能性を考えると、あまり良い状況じゃないな」

「ありがとう。その報告は作戦本部にもあげておくわ」

 

 おそらく深海棲艦の軍勢とぶつかる際、何割かは流浪型の警戒・対応に割く必要が出てくるだろう。

 ショートランド泊地がどちらに回されるかは分からないが、いずれにしても厳しい戦いになりそうだった。

 今回は敵地に乗り込んでの戦いになる。先日の防衛戦とはまた違う辛さが待ち受けているのだろう、と康奈は感じていた。

 

 そのとき、船室の扉がノックされ、叢雲と武蔵が入って来た。

 二人は清霜たちとは別の隊として、哨戒任務に出ていたのである。

 

「戻ったわ。康奈、少し相談があるんだけど良い?」

「ええ。何かあった?」

 

 叢雲はショートランド泊地創設メンバーの一人で、康奈の補佐を務める副司令官の立場にあった。

 これまでは康奈が外征する際に留守を守っていたのだが、今回は大規模な戦いになることが予想されたので、康奈と同じように戦略的指揮を執れる者がもう一人欲しい、ということで参戦することになった。

 

 途中で提督として着任した康奈からすると、叢雲は指揮下にある艦娘であるのと同時に、頼りになる先輩でもあった。

 

 場の雰囲気を察して清霜たちは出て行こうとしたが、それを叢雲は制止した。

 

「ああ、清霜たちも残ってていいわよ。別に内緒話をするわけでもないし」

「どのみち後で話すことになるからな。もし意見があれば聞かせてほしい」

「わ、分かりました」

 

 さすがの清霜も副司令官と大戦艦を前にすると緊張するのか、表情が強張っていた。

 ただ、単に緊張しているだけでなく、どこか気まずさを覚えているようにも見える。

 

「私と武蔵、それに千歳・千代田で少し遠くまで様子を見に行ってみたわ。結果、流浪型の活動範囲と軍勢の位置取りが部分的に分かった」

 

 そう言って叢雲は海図に深海棲艦のマークを描いていった。

 流浪型は赤く、軍勢は青く記載している。

 

「……なんか、そのまま敵の軍勢まで行けそうですね」

 

 清霜の言葉に叢雲が頷いた。

 流浪型は各所に散らばっているが、敵の軍勢へのルートを阻害するような位置にはいない。

 

 深海棲艦の軍勢は何かしらの目的をもって動くが、流浪型は明確な目的もなく、近づかなければ積極的に襲い掛かってくるようなこともない。

 無視しようと思えばできるのである。

 

「ただ、この流浪型の数は少し多い気がするのよ」

「確かに、普段ソロモン諸島の巡回で発見するよりもずっと多いわね」

 

 康奈の記憶にある限り、一海域にこれだけ流浪型が集まっているケースというのはほとんどない。

 

「……この流浪型、ダミーってことはないのか?」

 

 口を開いたのは、海図を少し遠くから眺めていた包帯男――新十郎だった。

 火傷の跡は今も残っており、簡単には消せないらしい。そのため、彼は今も全員を包帯で覆っていた。

 

「ダミー?」

「こいつらを無視して突っ切り、敵軍勢と戦ったとして、そのときこいつらに後背を突かれたら俺たちはひとたまりもない。ただの流浪型ならそんな動きは取らないが――取らないとこちらが判断することを見越した策だとしたら、という話だ」

 

 新十郎の提言を受けて、康奈は改めて海図を見直した。

 流浪型を無視して突っ切れば無駄な消耗を抑えた状態で敵軍勢と戦える。

 しかし、流浪型と敵軍勢が連携していた場合、新十郎が言ったような背後からの奇襲を受けることになる。

 

「元々流浪型か軍勢かの違いは、指揮官タイプの個体がいるかどうか、一定以上の数で集まって動いているかどうか、というものでしかないわ。流浪型になりすますこと自体は難しくない」

「叢雲、あなたも新十郎と同じ見解ということ?」

「そうね。それを危惧したから、こうして相談に来たのよ」

 

 叢雲はショートランド泊地でもっとも多くの戦いを見てきた艦娘だ。

 最近は泊地の運営が主な仕事になっているが、渾作戦やトラック泊地防衛戦についても目を通している。

 戦略・戦術両面をこなせる彼女の言葉は、軽々しく扱うことができない。

 

 新十郎に関しても、最近は泊地で様々な功績を上げており、艦娘やスタッフからの信頼を着実に得ている。

 肉体労働はからきしだが、頭脳面においては泊地首脳陣からも一目置かれる存在になっていた。

 

 康奈としては、二人の考えは杞憂なのではないかという思いもあった。

 しかし、杞憂かどうかを確認せずに仲間を危険にさらすのは指揮官の仕事ではない、とも感じている。

 

「敵軍勢の規模はかなりのものよ。おそらく本部はいたずらに敵を増やしたくない、と言ってくるはず。それにあまり時間もかけられないわ。インド方面が落とされれば私たちの負けになる」

「なら、このまま突っ切る気か?」

「違うわ新十郎。康奈は、本部を説得する方策を考えろって言ってるのよ」

 

 付き合いの長さの違いか、叢雲は即座に康奈の考えを察した。

 新十郎はまだそこまで康奈のことを理解できているわけではない。

 ただ、すぐに納得して頭を働かせ始めた。こういう切り替えの早さが彼の持ち味である。

 

「この流浪型に奇襲されないようにすれば良いんですよね」

 

 と、そこで一同の話を聞いていた清霜が声を上げた。

 

「なんだ清霜、いっちょまえに何か策でもあるのか?」

「策っていうほどのものでもないけど」

 

 朝霜に突っつかれながら、清霜は若干自信なさげに言葉を紡いでいく。

 

「正面から敵軍勢に追いつかれたら、背後に流浪型を抱えることになるから、思い切って大きく迂回しちゃえば良いんじゃないかなって」

「……敵軍勢の側面を回り込むってことか」

「成功すれば、流浪型に追いつかれることなく、敵の軍勢と当たれる構図になるわね」

 

 新十郎と叢雲が海図を指でなぞりながら、清霜の案をシミュレートする。

 

「ただ、側面を移動するとき敵軍勢から猛攻を受けることになる。そういう点ではかなりリスキーだが」

「背後に潜在的な敵を抱えるよりはマシでしょ。流浪型が仮に動いたとしても、敵軍勢とまとめて相手すればいい」

 

 清霜の言葉をきっかけに議論が展開していく。

 その様子を見て、朝霜は「やるじゃん」と清霜の背中を叩いた。

 

「いや、私はただなんとなく思ったことを言っただけで」

「言えるってのがすげえんだよ。いや、ここだと普通のことなのかもしんないけどさ」

「横須賀第二だと違うの?」

「あそこはな……。司令の言うことが絶対というか、何か言える空気じゃねえんだよ。司令に物申せるのは神通さんくらいじゃねえかな」

 

 叢雲と新十郎だけでなく、武蔵や千歳たちも加わって、議論はますます白熱していく。

 厳しい言葉の応酬もあるが、皆感情的にはなっていない。

 勝ち負けを決めるための議論ではなく、より良い結論を出すための議論をしているという雰囲気だった。

 

 

 

 ショートランド艦隊含め、各艦隊から情報や意見が届けられてくる。

 それらをとりまとめながら、智美はちらりと浮田提督を見た。

 

 三浦提督や毛利提督のように目立った戦果をあげているわけではないが、凡庸な人物というわけでもない。

 果断さには欠けるがその分慎重であり、判断を誤るということがほとんどなかった。

 そんな彼が、作戦開始前に口にした言葉を思い出す。

 

『君が良ければだが、今回の戦いは君に一任したいと思う。責任はすべて私が取るから、存分に腕を振るって欲しい』

 

 随分と思い切ったことを言う、と思ったが、智美としてはありがたかった。

 浮田提督とは何度か顔を合わせたことがある程度だったので、どのように連携を取るべきか考えあぐねていたところだったのだ。好きなようにさせてもらえるなら、その方がありがたい。

 

 もっとも、本当に危ないと思ったら止めさせてもらう――という補足はついている。

 ただ、そう言ってあれこれと細かいところに口を出してくる、というようなことはなかった。

 今のところ、浮田提督はこちらの提案を見て「それでいこう」と頷くばかりである。

 

「提督。各艦隊からの意見をこちらにまとめました」

「神通か、ここに置いておけ」

 

 戦局を確認してから、神通の資料に目を通す。

 前線で水雷戦隊の指揮を執ることが多い神通だったが、出番がないときはこうして補佐官としても働いている。

 補佐官としての神通は優秀だった。報告内容に無駄がなく、必要なときに適切な意見を出す。

 元々神通とは浅からぬ縁がある智美だったが、こうして頼ることが多いのは彼女の能力あってのことである。

 

「……ん?」

「どうかされましたか」

「神通。この資料、誰がまとめた?」

 

 神通が作る資料と同様、よくまとめられた内容だが、どこか普段と違っている。

 いつも神通の資料に目を通していなければ見落とすような違いだったが、智美はそれを見逃さなかった。

 

「ショートランドの磯風です」

 

 智美の声音に負の感情が含まれていないことを察して、神通は手短にそう答えた。

 

「こういった仕事もできるのか」

「物事の要点をすぐに掴む。そういうところには長けているように見えます」

「随分と買っているようだな。お前が誰かにこういう仕事を任せるのは珍しい」

「得難き人材かと。……願わくば、彼女のような者が我が鎮守府にもっといればと思うのですが」

 

 横須賀第二鎮守府の艦娘は皆精鋭だ。

 地獄のような訓練を乗り越えてきた、一騎当千の猛者ばかりである。

 しかし、戦局を見極める観察眼を持つ者、他の者たちとの連携を円滑にするための場を作れる者は、そう多くない。

 

「何人かはいる。なによりお前がいる」

 

 智美の短い言葉の中には、神通への全幅の信頼が含まれていた。

 しかし、神通はそれに頭を振る。

 

「私は前線に出て戦う身です。何かあったときに後を託せる者が欲しい。そう思うこともあります」

「縁起でもないことを言うな、戯け」

 

 神通の言うことを「もっともだ」と感じながらも、智美はそれを杞憂として一蹴した。

 

「だが、何かとお前に負担がかかっているのも事実だ。もしお前が希望するのであれば、進めてみるか」

「と言いますと?」

「磯風の移籍の話だ。磯風自身と先方の意向もあるだろうが、提案はしてみても良いだろう」

 

 交換留学ではなく正式な移籍の話を持ち掛ける、ということであれば、康奈も難色を示すだろう。

 しかし、神通がこれほど誰かを評価するのは珍しい。そういう人材を逃すべきではない、と智美は考えていた。

 

「……負担という点では、提督も相当なものだと思いますが」

 

 神通が釘をさす。

 近頃の智美は、職権が増えた分以前よりも働き詰めになっていた。

 顔色も冴えず、どこか危うい雰囲気を醸し出している。

 

「ふん、要らぬ心配だ。この程度のことで倒れるようで、我が望みを果たせるものか」

 

 智美は神通の懸念を笑い飛ばし、資料を読み込む。

 しかし神通には、その様子が強がりの一種のようにも見えた。

 

 

 

 作戦本部は、艦隊を大きく二つに分けることを決定した。

 敵軍勢との決戦に臨む本隊と、それを支援する巡洋艦以下を中心とした支援艦隊。

 支援艦隊の任務は、各地の流浪型深海棲艦の牽制と輸送部隊の調査だった。

 

「輸送部隊?」

 

 康奈から概要を聞かされて、清霜は首を傾げた。

 先程の軍議では聞かなかった言葉だったからだ。

 

「他の艦隊がそれらしきものを見かけたらしいのよ」

「深海棲艦の連中も物資がなけりゃ戦えない。どこかで資源確保してそいつを届ける部隊は、まあ必ずいるだろうな」

 

 そう語る朝霜は、前回のトラック泊地防衛戦の最終局面で敵の輸送部隊を叩いた経験がある。

 あのとき敵の大軍が撤退したのは、大将が倒れたことと補給に不安が生じたことが主な理由だ、という分析結果が出ていた。

 

「敵が大軍なら物資もその分たくさん必要になる。補給路の重要性も増すことになるわ。だからこそ叩いておきたい。作戦本部はそう判断したみたいね」

「流浪型についてはどうするの?」

「邪魔をしなければ手を出すな、ただし輸送部隊との戦闘行為において邪魔立てするようであれば撃滅すべし、とのお達しがあったわね」

 

 作戦本部は流浪型の存在をあまり重視しなかったらしい。

 そのことに対して不満そうな顔をする清霜に、康奈は励ましの言葉をかけた。

 

「ま、流浪型についてはそれとなく私たちの方で気にかけておきましょう。もしこっちの考えが当たっていたら、作戦本部に大きな貸しができることになるわ」

 

 清霜以外にも大本営の決定に不服を抱いているメンバーはいたが、康奈の言葉で表情が柔らかくなっていく。

 久々の大遠征だが、ショートランド艦隊としての士気は低くない。悪くない雰囲気だった。

 

「司令官、うちはどっちにいくの?」

「二手に分かれるわ。大型艦含む決戦部隊と、輸送部隊の相手をする水雷戦隊」

「そっか。流浪型を避けながら輸送部隊探すの、結構難しそうだなあ」

 

 そう言って頭を掻く清霜に、康奈はちょっと妙な顔をした。

 

「なに言ってるの、清霜。まだ清霜がどっちかなんて言ってないでしょ」

「え、水雷戦隊じゃないの?」

「今回は決戦部隊よ」

 

 康奈に言われて、清霜は動きを止めた。

 まったく予想していなかったらしい。

 

「な、なんで?」

「さっき清霜も言ってたじゃない。今回水雷戦隊側は繊細な行動を求められるのよ。これは向き不向きの話になるけど……清霜はそういうのに向いてないでしょ」

 

 清霜としては、返す言葉もなかった。

 強敵相手にドンパチやる方がシンプルだと常々思っているくらいである。

 交戦を最小限に抑えつつ、目標だけを狙って動く。そういうデリケートな仕事は苦手な方だった。

 

「それに決戦部隊の方だって大型艦の護衛として駆逐艦は必要よ。というか、本来の適性からすると清霜はそっち寄りだと思う。これまでは経験不足だったから同期のメンバーと一緒に行動させてたけど……そろそろ良い頃合いだって、叢雲たちとも相談したのよね」

 

 つまり、今回の決戦部隊への配属は、康奈を始めとする泊地首脳陣が清霜のことを認めたということである。

 しかし、肝心の清霜の表情は冴えなかった。

 

「どうしたの、清霜。もし嫌だって言うなら、配置変えも検討するけど」

「あ、ううん。嫌じゃないよ、嬉しい。だって、ようやく一人前になれたってことだもんね!」

「……」

 

 清霜の様子に妙なものを感じながらも、康奈はそれ以上追及することを避けた。

 今、このまま踏み込むべきではない。そういう予感がしたからだ。

 

「朝霜」

「おう」

「あなたも清霜と一緒に決戦部隊に行ってちょうだい。横須賀第二からの許可はもらってるから」

「あいよ」

「……清霜のこと、それとなく気にかけておいてあげて」

 

 康奈は朝霜の側に近づき、他の人に聞こえないようそっと耳打ちした。

 

 決戦部隊は伊勢・日向を中心とする連合艦隊となった。

 清霜は第二艦隊で、ビスマルクの護衛につくことになる。

 

 連合艦隊のメンバーに武蔵の名前はない。

 それを見て安心する清霜に、朝霜は内心肩を竦めた。

 

 ……やっぱ、艦艇時代の記憶のこともあってか、武蔵をどこかで避けようとしてるな。

 

「ん、朝霜、なにか言った?」

「別にー」

 

 一方、これまで清霜と戦場を共にすることが多かった同期のほとんどは水雷戦隊に配属することになった。

 決戦部隊に配属される同期は、雲龍のみである。

 

「同期の中で清霜と二人っていうのも、なんだか新鮮ね」

「いつもは時津風と一緒だもんね。でも大丈夫、今回は清霜がバッチリ守るからね!」

 

 どことなく調子づいている様子の清霜に、朝霜は微かな不安を抱くのだった。

 

 

 

 清霜の先ほどの反応については、康奈もおおよそ察していた。

 提督として着任して以降、泊地に属する艦娘の艦艇時代については日々学ぶようにしている。

 清霜と武蔵の縁についても、当然把握していた。

 

「やれやれ。あの様子だとなかなか解決するのは難しそうだな」

 

 そうぼやいたのは、当事者でもある武蔵その人だった。

 武蔵も、どこか清霜に避けられている、というのは当然感じ取っている。

 

「武蔵の方から強引に距離を詰めてみたら?」

「いや、そういうのは、どうもな」

「提督。武蔵はこれでいて、結構人付き合いは奥手な方なんですよ」

「大和、いらんことを言うな」

 

 横から言葉を差し込んできた大和に、武蔵は嫌そうな顔をした。

 泊地に着任したのは武蔵の方が先だったが、それでも姉である大和相手だと頭が上がらないらしい。

 

「実際、艦艇時代の記憶に引き摺られて思うようなことができない、というのは私にも経験があるからな。上から目線で人にどうこう言えた立場ではない。それだけだ」

「とは言え、このままだと艦隊運用に支障が出るのも確かなのよね……」

 

 清霜の成長は目覚ましいものがある。

 このまま順調に成長を続けていけば、そう遠くないうちにショートランド泊地の駆逐艦の中でもエース級の存在になれるだろう。

 そんな清霜と主力最強クラスである武蔵の相性が悪いというのは、どうにもよろしくない。

 

 どうしたものかと康奈が悩んでいると、せかせかとした靴の音が聞こえてきた。

 音が部屋の前で止まったかと思うと、勢いよく扉が開かれ、ベスト姿の白人男性が姿を現した。

 

「ハロー、ショートランド泊地の諸君! ご機嫌いかがかな!?」

 

 突然ハイテンションで現れた男に、室内の面々は動きを止めた。

 横須賀鎮守府の母艦・三笠で会った男である。名は――。

 

「……エルモさん?」

 

 どうにか名前を思い出した康奈だったが、エルモにとってそのリアクションは物足りないものだったらしい。

 

「そこは『貴方はイタリア人なのになぜ英語?』とツッコミを入れるところだよ!」

「……ええと、はあ」

 

 訳の分からない不満をぶちまけるエルモに、康奈は戸惑うことしかできなかった。

 

「提督よ、こいつはなんだ?」

「僕はイタリア出身の研究者エルモだ。よろしく、ショートランドの武蔵」

 

 淀みなく爽やかに手を差し出され、武蔵は若干気圧されながらも握手を交わした。

 にっこりと満足気な笑みを浮かべたエルモは、続けて康奈にも手を差し出した。

 

「改めてよろしく、"康奈"」

「……よろしく」

 

 悪い人間ではなさそうだが、その反面どこか薄気味悪いものを感じてしまう。

 そんな思いをなるべく顔に出さないようにしながら、康奈はエルモと握手を交わした。

 

「それで、何か御用でしょうかエルモさん」

「ははは、もっと親しみを込めてエルモ博士と呼んでくれても良いんだよ」

「エルモさん、何か御用でしょうか」

 

 康奈の返答は素っ気ないものだったが、エルモは気にした様子もなく、むしろどこか嬉しそうにしていた。

 ただ、康奈に対する馴れ馴れしい態度がショートランドの艦娘たちの不興を買った。

 室内の空気がどことなく張り詰めたものになっていく。

 

「おっと、この辺で本題に入るべきか。しかし君は艦娘たちに愛されているね」

「それくらいしか取り柄がないので」

「謙遜は良くない。……では、そろそろ。今僕は各艦隊に新型の通信機と装備を配っているところでね。少し前に日本が発案して、共同で開発していたんだ」

 

 エルモが取り出したのは、耳元に取り付けるタイプの通信機だった。

 

「先日のトラック泊地防衛戦で通信機が不調を起こしたそうだね。これはその対策として用意されたものだ。提督と艦娘の間に通っている霊力のチャンネルを利用しているから、電波妨害等の影響を受けない。カッコカリしてない艦娘相手だと、あまり長距離の通信はできないけどね」

 

 これまで提督と艦娘の通信は、普通の通信機を使用していた。

 そのため距離や場所によっては通信できなくなることもあった。

 この新型は、その欠点を解消するためのものである。

 

「もう一つは、これだ」

 

 エルモが取り出したのは、どことなく装飾品めいた美しさを持つナイフだった。

 手にしてみると、妙にしっくりくる。どこからか力が湧き上がってくるような感覚があった。

 

「……これは、対深海棲艦用の武装?」

「ご明察」

 

 エルモは得意げに笑ってみせた。

 そういう様は、邪気のない子どものような印象を与える。

 

「僕の専門は、対深海棲艦用の艤装や兵装でね。これは先日の一件を踏まえて考案された提督用の武装だ」

「……毛利提督の件ですね」

「惜しい人物だったと聞いている。いや、今生き残っている提督諸氏についてもそうだ。これ以上犠牲を出すわけにはいかない。そう思って作り上げたものだ。受け取ってくれるかな?」

 

 エルモが信用に値する人物かどうか、康奈はまだ決めかねていた。

 ただ、彼が作ったというこのナイフからはやましいものを感じない。

 

「ありがたく受け取ります」

「ありがとう。この武装は提督の持つ霊力を使ったものだ。身に着けている間、少しの間だけ艦娘に準ずる戦闘能力を発揮できるようになる。ただ過信してはいけない。敵を倒そうなどと考えず、味方が駆けつけるまでの時間稼ぎ用と割り切って使うようにしてくれ」

 

 あくまで護身用の武装ということらしい。

 

「分かりました。過信はしないようにしておきます」

「うん。くれぐれも注意してくれ。君はどこか危なっかしいところがあるからね」

「……貴方とは会って間もないはずですけど」

「おっと失礼。どうも、まだ割り切れない部分があるみたいだ」

 

 三笠で会ったとき、エルモが口にしたイヅナという人物。

 それがどんな人だったのか聞いてみたい衝動が、康奈の胸中に湧き上がってきた。

 

 聞いてみようか――そんな考えが脳裏をよぎったとき。

 

「提督」

 

 それは、誰の呼びかけだったのか。

 

 振り返ると、そこには泊地の仲間たちがいた。

 皆、どこか心配そうにこちらを見ている。

 

 イヅナという人物への関心は、いつの間にか薄らいでいた。

 

「そうね、準備を急がないと」

「邪魔をして悪かったね。それじゃあ僕はこの辺で。他の艦隊のところにも顔を出さないといけないからね」

「……一つ忠告しておきますが、予めアポを取ってから行った方が良いですよ」

 

 康奈のもっともな指摘に、エルモは若干ばつが悪そうな表情を浮かべた。

 

「いや、実はサプライズをしかけてみたくてね。ここだけ、わざとアポなしで来たんだ」

「は?」

「それじゃ、また今度!」

 

 そう言って、エルモは逃げるようにその場を後にした。

 

「……なんだったんだ、あいつ」

 

 成り行きを見守っていた新十郎が、半ば呆れたように言った。

 

「それが分かれば、良いんだけどね」

 

 康奈としては、そういうのが精一杯だった。


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