南端泊地物語―戦乱再起―   作:夕月 日暮

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第十五陣「胎動の戦場」

 輸送部隊の捜索・散在する敵への警戒対応を行う水雷戦隊は叢雲が率いることになった。

 康奈は主力艦隊を率いて前線に向かう。

 指揮系統は完全に分けることにした。

 

「こっちは任せておきなさい」

 

 第二改装を終えて少し雰囲気の変わった叢雲は、そう言い残して康奈たちと別れた。

 駆逐艦だけあって、その背中は小さい。

 

「叢雲さんたち、大丈夫かな」

「他人の心配している場合じゃないでしょ」

 

 見送りながら不安を口にした清霜に、康奈は笑って応えた。

 

「それに、叢雲は大規模作戦で艦隊の指揮を執った経験がある。心配いらないわ」

「そっか。司令官がそう言うなら、間違いないね」

 

 唯一懸念事項があるとしたら、叢雲が大掛かりな作戦に出るのが久々という点くらいである。

 ただ、それについても康奈は特に心配していなかった。ブランク程度で潰されるほど、ショートランドの初期艦はやわではない。

 

「清霜の方こそ、緊張してたりしない?」

「まったくしてないってわけじゃないけど、戦艦と一緒に戦うのはこれが初めてってわけでもないから」

 

 先日のトラック泊地防衛戦で、清霜は僅かながら金剛たちと戦線を共にした。

 その経験が緊張感を和らげているのかもしれない。

 

「それは良いことだけど、今回は戦艦の護衛が主な任務なのを忘れないように。前は奇襲部隊だったから敵を倒すこと以外考えなくて良いって言ったけど、今度は立ち回りも重要になるからね」

「立ち回り、かあ」

 

 清霜は少し困った風に頭をかいた。

 

「演習とかでも立ち回りはあんまり上手くできないことが多いんだ。私、勘で動いちゃうところがあるみたいで」

「自覚できてるなら直せば良いわ」

「うーん。気づいたら動いてるって感じだから、ちゃんと自覚できているかと言われると……」

「なら自覚するところから初めてみなさい。それに気を取られてやられないように気を付けながら」

「難しそうだけど、頑張ってみる」

 

 清霜の良いところは、前向きなところだった。

 常に成長しようとしている。そういう点が、康奈には少し眩しく映る。

 

「提督。もうすぐ敵の軍勢が見える位置に来るよ」

 

 偵察機を飛ばしていた瑞鳳が報告した。

 周囲の艦隊も少しずつ母艦から艦娘を出し始めている。

 

 敵の領海に入り込めば、いつ戦闘が発生するか分からない。

 ここは、その境界線の辺りといったところだろうか。

 

「分かったわ。事前に伝えておいた編成で出撃するよう伝達をお願い。私は艦橋で状況をモニタリングしてるから」

 

 清霜と瑞鳳が「了解!」と元気よく応じて駆け出していく。

 それを見送ると、康奈はディスプレイに映し出されたマップに視線を向けた。

 

 今回の作戦において、作戦本部は主力部隊を中央・北・南の三つに分けた。

 ショートランド泊地の艦隊は南軍に属している。

 南軍の指揮権はブルネイ艦隊の提督に与えられていた。機動性を重視するスタンスの人物である。

 

 作戦本部が南軍に命じたのは、敵主力部隊を南方から攻めながら迂回し、敵の陣形をかき乱すことだった。

 無論、それはあくまで基本的な方針に過ぎない。かき乱した結果敵陣に隙が出来たと見た場合は、即座に本丸へ突っ込んで敵の首魁を討ち取る権限も与えられている。

 

 ……清霜だけじゃない。今回のこの南軍は、立ち回りの上手さを要求される。

 

 自分も気を引き締めてかかる必要があると、康奈は頬を叩いて気合を入れ直した。

 

 

 

 リランカ島と呼ばれる島の深奥。

 鬱蒼とした森の中に、異形の影が三つ。

 

『――東方の軍勢の侵攻が始まった』

 

 額の角と大きな両腕が特徴的な人型の深海棲艦――後に港湾水鬼と呼称される深海棲艦が口を開く。

 

『思っていたより早いのね。彼女が言っていた攪乱というのは?』

『断念したようだ。野良どもになりすまして後方をかき乱す算段だったそうだが、敵が相応の数を残したことで対応が困難になったと連絡があった』

『あらそう。まあ、気分屋だものね、彼女』

 

 港湾水鬼に問いを発したのは、後に泊地水鬼と人類に名付けられる深海棲艦である。

 この場にいない『彼女』という存在のことを思い浮かべて、両者はため息をついた。

 

『奴のことなど最初からアテにはしていない。お前たちもそういう料簡であったのだろうが』

 

 最後の影が口を開いた。

 片目に大きな傷跡を残した、大型の艤装の持ち主。

 戦艦水鬼である。

 

『そうね。いえ、少しだけ期待はしていたのよ。彼女、頭は良いから』

『過ぎたことだ。それよりも対策を練らねばならん』

『余裕がないのね』

『ないな。私は一度経験している。人間や艦娘は深海棲艦に比べて脆弱だが、同時に強い。間違いなく強い』

 

 戦艦水鬼が片目を抑えながら低い声をあげる。

 その凄味に、港湾水鬼と泊地水鬼は押し黙った。

 

 単純な戦闘力であれば三者はほぼ拮抗している。

 自分と同等の力を持つ戦艦水鬼の言葉は、戯言として聞き流すには重過ぎた。

 

『連中の侵攻が思ったよりも早かった。こちらはまだ十分に布陣を固めきれていない。そこが問題だ』

 

 港湾水鬼が地面に海図を描きながら問題を提起した。

 現状、リランカ島の艦隊はインド方面に何割かが出向いていてやや数が心許ない。

 今のままでも敵の先鋒と戦うことはできるが、その後の展開も考えるとあまり良い状況とは言えない。

 いたずらに戦力を消耗するだけになってしまうからだ。

 

『偽の輸送部隊を用意して連中を釣り出すという手が使えるかもしれない』

 

 戦艦水鬼は、リランカ島北東部の海域を指し示した。

 

『敵の進行方向を少しの間逸らす。その間にインド方面の艦隊を戻して体制を整えれば良い』

『釣られるかしら?』

『トラック泊地での戦いで、最後に奴らは輸送部隊を狙ってきた。今回も姿を見せれば狙ってくる可能性はある』

 

 戦艦水鬼の言葉に、港湾水鬼と泊地水鬼は頷いた。

 

『ならばその手で対応してみよう』

『けど、不思議なものね。こうして軍の動かし方、敵の動きの読み方を考えるようになるなんて』

『勝つため、奪うために必要なことだ。必要であればする。単純なことよ』

 

 艦娘たちへの対応方針をまとめると、戦艦水鬼は自らの持ち場に戻っていく。

 その姿を見送りながら、泊地水鬼は『やっぱり妙な子ねえ』と呟いた。

 

『前から知らない仲ではなかったけど、ここ最近はまた少し様子が変わったみたい』

『トラック泊地での敗北が、あいつを変えたのだろう』

『そこも不思議よね。前の彼女なら、負けたことを恥じて自死しそうなものだと思ったけど』

『……おそらく、恥を忍んででも成し遂げねばならぬことがあると、思い定めているのであろうよ』

 

 戦艦水鬼の在り様から言葉にし難いものを感じながら、港湾水鬼はそう口にした。

 

 

 

 突如姿を見せた輸送部隊に対し、作戦本部は主力部隊の何割かを向かわせて撃破させることを決定した。

 その中には、北軍に含まれていた横須賀第二鎮守府の神通隊の姿もある。

 

「あの輸送部隊についてどう思いますか、磯風」

 

 輸送部隊への侵攻を阻もうとする敵勢力との戦いの最中、神通は随行していた磯風に尋ねた。

 

「陽動という気がするな、神通殿。あの位置なら敵本隊との合流を阻むよう間にいくつかの小隊を差し挟めば良い。そんな感じがする」

「同意見です。どうもわざと姿を見せてきたようにしか思えない。おそらく、あの輸送部隊は敵にとってさほど重要な存在ではないのでしょう」

 

 磯風の回答に満足しながら、神通は自分の見解を口にした。

 横須賀第二鎮守府の隊の中にあって、磯風は驚くほど馴染んでいた。

 

 元々、横須賀第二鎮守府は諸事情あって他の拠点にいられなくなった艦娘の集まりである。

 他所の拠点の艦娘に対し、排他的な姿勢を取る者はほとんどいない。実力さえあれば認められた。

 そして、磯風はその実力を存分に示している。

 

 駆逐艦としてはかなり高い戦闘能力を有しており、加えて状況判断も的確だった。

 この短期間のうちに、彼女を頼りにする風潮すら生まれてきている。

 厳しい環境に身を投じるだけあって、皆『誰に頼れば生き残れるか』という嗅覚には秀でていた。

 

「提督も、その可能性は十分に考慮されているようでした。一定の打撃を与えたらすぐ本隊と合流するように言っていたのがその証左です」

「……以前の長尾提督なら、このような指示は出さなかったのか?」

「今も本当は出したくないのだと思います。ただ、今の提督は作戦本部の指揮権を持っている。以前より多くのものを見なければならない。その違いに、まだ苦労されているのでしょう」

 

 立場が変わることによる苦悩。

 それについては、磯風も分かるような気がした。

 

 横須賀第二鎮守府で過ごし始めてしばらくした頃、嚮導駆逐艦をやってみないかという話を持ち掛けられた。

 艦艇時代に経験があったので引き受けてはみたが、最初のうちはまったく思い通りにならなかった。

 艦娘と艦艇では、命令する側もされる側もいろいろと勝手が違う。その違いに磯風は大いに戸惑った。

 

 多少ましになったが、今も悩みが解消されたわけではない。

 

「神通殿も、悩むことはあるのか」

「常に悩み続けていますよ。正解などありませんから。……いえ、あるにはありますが、それは常に変わり続けている、と言った方が正確ですね」

 

 磯風から見て神通は常に果断で心の内を滅多に見せない。

 それ故周囲から畏怖されている面もあるが、指揮官としては良いスタンスだと磯風は思っていた。

 そんな神通も、やはり内心思うところはあるらしい。

 

「磯風、こんなときですが一つ相談があります」

「なんだろうか。神通殿にはいろいろと世話になっている。可能であれば恩は返したい」

「……」

 

 神通は僅かに押し黙った。

 が、迷いを振り払うように頭を振ると、磯風をまっすぐに見据えてくる。

 

「――この戦いが終わったら、正式に横須賀第二鎮守府に来ませんか」

「……なに?」

「移籍の誘いです。貴方が私の右腕になってくれると、私は嬉しい」

 

 突然のことに、さすがの磯風も困惑した。

 どう返すべきか。

 思考を巡らせている最中、前方に敵影が見えた。

 

 磯風含め、神通隊は全員が戦闘態勢に入る。

 

「答えはすぐに出さなくとも構いません」

 

 そう言いつつ、神通は突撃の合図を出して敵影目掛けて突っ込んでいく。

 磯風としては、それに続くしかない。余計なことを考える余裕はなかった。

 

「……まったく、横須賀第二は刺激だらけだな!」

 

 胸中のモヤモヤを吹き飛ばすように笑いながら、磯風は主砲を構えた。

 

 

 

 リランカ島の敵主力軍はなかなか動かない。

 南軍は南方から回り込むように攻撃を繰り返しているが、相手は僅かに反撃してくるのみで、本格的に打って出てくる様子を見せなかった。

 

「あまり良い状況ではないわね」

 

 ショートランドの南軍艦隊旗艦を務めるビスマルクは、この状況に顔をしかめていた。

 敵はインド方面の攻勢部隊をリランカ島に戻しつつある。

 インドの脅威は薄れるので一概にマイナスとは言えないが、リランカ島の防備が強化されれば敵拠点攻略の難易度が上がる。

 

 敵拠点を落とさなければ、インド方面の脅威が去ったとは言えない。

 遠征軍が去った後に再び侵攻を再開するだろう。

 

「ビスマルク、提督から連絡。南軍司令から指示があって、少しちょっかいをかけるって」

「了解。瑞鳳、攻勢部隊の編制については指示あった?」

「ビスマルクに任せるって」

「分かったわ」

 

 ビスマルクは淀みなく攻勢部隊のメンバーを指名していく。

 その中には、清霜と朝霜も含まれていた。

 

「最近期待の有望株、その腕前を見せてもらうわよ」

「が、頑張ります!」

 

 やや緊張気味に応じた清霜の頭をポンポンと叩きながら、ビスマルクは攻勢部隊出撃の号令をかけた。

 先頭を行くのはプリンツ・オイゲン。最後尾にビスマルクがつき、艦隊全体の動きを見る陣形である。

 清霜と朝霜はオイゲンのすぐ後について、臨機応変に動けるよう備えていた。

 

「いやあ、緊張するねー」

 

 と、先頭を行くオイゲンが清霜たちに声をかけてきた。

 彼女は昨年秋の渾作戦の頃に着任した艦娘で、着任時期的には清霜よりも後輩になる。

 厳しい訓練を積んでビスマルクの片腕と言われるようになっていたが、大規模な作戦に参加するのはこれが初めてだった。

 

「清霜は着任してから何度も大きな作戦に参加したんでしょ? 何か至らないところがあったらドンドンアドバイスしてね!」

「あ、はい!」

「おお、清霜が先輩か。なんか妙な気分だぜ」

 

 朝霜がからかうように言った。

 着任時期だけで言うなら朝霜は清霜どころかオイゲンよりも後になるのだが、横須賀第二という特異な場所にいたからか、本人の性格によるものか、まったく後輩という感じがしない。

 

 ふと、清霜は背筋に寒気を感じた。

 前方を注視すると、空に小さな影がちらほらと見える。

 

 同時に、オイゲンの電探にも反応があった。

 

「敵艦載機、近づいて来てます!」

「了解。雲龍、行けるかしら?」

「問題ない。迎撃用の艦戦部隊、発艦する」

 

 ビスマルクに問われて、雲龍は艦戦部隊を空に解き放った。

 

「敵はこちらに近づいて欲しくないみたいね。他のメンバーは全員対空戦に備えなさい!」

 

 ビスマルクに指示されるまでもなく、艦隊のメンバーは全員対空戦の準備を整えていた。

 清霜と朝霜は他の艦より前に出て、高角砲を両手に迎撃の姿勢を取る。

 敵艦載機を撃ち落としつつ、いざというときは大型艦の盾になる。

 それが護衛役の駆逐艦の仕事だった。

 

「清霜ォ、対空戦は得意か!?」

「実はそんなに得意な方じゃない!」

「なるほど、だったら手本を見せてやるぜ!」

 

 雲龍の艦戦部隊を潜り抜けた敵攻撃機目掛けて、朝霜が躍り出た。

 朝霜の存在に気づいた敵攻撃機が旋回運動を取ろうとする。

 その動きの変化が生じるかどうかという微妙なタイミングで、朝霜は高角砲による対空射撃を開始した。

 

 敵艦載機の動きを予測しながらの射撃は、かなりの命中率だった。

 本来、小さくて機動力のある艦載機に命中させるのは難しい。

 だが、朝霜の対空射撃はかなりの精度を誇っている。

 

「ま、防空駆逐艦ほどじゃねえけどな!」

 

 一方、清霜も必死に敵艦載機の迎撃に務めていた。

 朝霜には及ばないものの、迎撃率は決して低くない。

 

 無我夢中で敵艦載機を撃ち落としているうちに、敵の攻撃は止んでいた。

 

「お疲れ様、二人とも凄いね!」

 

 オイゲンが駆け寄ってきたとき、初めて清霜は自軍の状況を確認できた。

 幸い、誰にも目立った損傷は見受けられない。

 

「敵の攻勢はまだ何度か続くはずよ。皆、気を緩めないで」

 

 攻勢を凌いでホッとする一行に、ビスマルクが注意を促した。

 その言葉を裏付けるように、再度遠方の空に黒い点が浮かび始める。

 

「やれやれ、奴さんはどうしてもこっちに近づいて欲しくなさそうだな」

「朝霜。敵の嫌がることなら、是非ともやるべきだと思わない?」

「違いない」

 

 ニヤリとビスマルクに応じて、朝霜は再び対空射撃の構えを取った。

 

 敵の攻撃が続く限り、守り続けなければならない。

 護衛の難しさを改めて感じながら、清霜も再度高角砲を構えた。

 

 

 

 南軍の挑発は不首尾に終わった。

 敵は頑なに動かない。籠城する構えを見せている。

 

「南軍は西から、主力と北軍は東から一気呵成に攻め立てる。それが最善かと思いますが、いかがでしょう」

 

 作戦本部で、長尾智美は呉の浮田提督に打診していた。

 これまで、浮田提督は基本的に作戦行動の意思決定を智美に委ねていた。

 その方が智美も動きやすいだろう、という配慮によるものである。

 

 智美もその厚意を受け取って、自分の考えで全軍を動かしていた。

 しかし、この局面において独断で動くのは危ういという思いがある。

 

 浮田提督は長考するタイプの人だった。

 だから、早期決着を求められる今回の遠征には元来向いていない。

 ただ、しっかりと考える分、見落としや漏れがない。

 今は、そういう隙のない浮田提督の見解が必要だった。

 

「……長期戦で臨む方針にシフトするという手もあるが、それは取らないという前提なんだね?」

「ええ。補給に関してはインドから支援するという申し出があるので一定期間は問題ないと思いますが、それ以前の問題として、本国周辺の守備を長期間薄くしておくことはできません」

 

 今、日本の東方防衛ラインは北方領土付近からソロモン海域までのラインまでしかない。

 そこから東の広大な太平洋は、現在大部分が深海棲艦によって掌握されている。

 

 米国もどうにか勢力を取り返そうと計画を練っているようだったが、あちらは防衛しなければならない国土が広すぎるため、外部に軍を派遣する余力が残っていなかった。

 海外との貿易手段が限定的になったせいで、軍備に回せる経済力も十分ではない。深海棲艦によってもっとも大きな被害を受けたのは、米国とも言える。

 

 米国があてにならない以上、太平洋からの侵攻には常に備えておかなければならない。

 今回の遠征はその方針に反する、かなりリスキーなものだった。

 補給の問題がなかろうと、長期戦にしたくないことに変わりはない。

 

「気になるのは、リランカ島の西側だ」

 

 浮田提督は海図の西側を指し示した。

 インドの国土の南端が突き出ているが、そこから南西には多くの島々が広がっている。

 

「小さい島々だが数が多い。……軍事拠点にすることもできなくはない」

「ここは――モルディブですね」

 

 インド南西に存在する島国だが、深海棲艦の出現以降、国民の大半は海外に脱出しており、現在どのような状態になっているかハッキリしたことが分からない。

 

「モルディブが深海棲艦に占拠されている場合、南軍は挟撃される危険性がある。北部まで旋回させて攻撃した方が安全ではないかな」

「確かにその方が危険性は減らせますが、時間がかかり、燃料の消耗が激しくなる分南軍の動きが鈍くなります。また、リランカ島の敵が西側に逃亡する可能性があります」

「インド方面の制海権を確保するためには、拠点を奪取するだけではなく相応の敵を撃破する必要がある、と?」

「はい」

「分かった。では、長尾提督の案に時間制限を設けるというのはどうだろう。短期決戦で片付けるなら、西側に敵がいても被害は抑えられるだろう」

 

 浮田提督の案は悪いものではなかった。

 元々智美としては短期戦を望んでいた。実質、要望はほぼ受け入れられた形になる。

 

「異論ありません」

「ああ。時間は――二日程度でどうかな」

「それくらいあれば、落とせるでしょう」

 

 浮田提督の承諾を得て全軍に方針を伝えると、どっと疲れが全身に圧し掛かってきた。

 ふと傍らに視線を向ける。しかし、そこに神通はいない。今頃は輸送部隊を叩いているはずだった。

 

「お疲れのようですね」

 

 視線の反対側から声がして、智美は表情を硬くした。

 気配がまるでしなかったからだ。

 

 警戒心を抑えながら振り向くと、そこにはベスト姿の白人男性が立っていた。

 

「……貴方は?」

「エルモと言います。インドで艦娘や深海棲艦の艤装を研究している者です、よろしく」

 

 にこやかに差し出された手を見て、智美は逡巡しつつも握手を交わした。

 

「研究、ですか」

「ええ。各地を飛び回って、必死に情報をかき集めながら、どうにかこうにかやっています」

 

 そう言って、エルモは手にしていたケースから通信機と小型の拳銃を取り出した。

 

「今日はこちらを届けに来ました。新型の通信機と、対深海棲艦用の護身装備になります」

「通信機――と、護身装備ですか」

「護身装備はそれぞれの所有者に適しているものにしています。貴方の場合は拳銃が一番使い慣れているとのことでしたので」

 

 どこでその情報を掴んだのかと、智美は気味の悪さを覚えた。

 ただ、実際手にしてみると不思議なくらいしっくりと来る。

 

「こちらは、有難く頂戴します」

「是非有効活用してください。貴方の役に立つのであれば――父君も喜ばれるでしょう」

 

 エルモの口にした単語に、智美は大きく目を見開いた。

 胸中に深く秘めていた部分に、いきなり土足で踏み込まれたような不快感。

 それを堪えながら、智美はエルモに尋ねた。

 

「……今、何と?」

「父君も喜ばれるでしょう、と。貴方の父君は、我々にとって大事な出資者ですので」

 

 さらりと言ってのけたエルモに、智美は鋭い眼差しを向けた。

 

 長尾智美という存在に、父親はいない。

 戸籍上の父は存在するが、それは提督として活動するため戸籍を作り上げた際に用意した名義だけの存在だ。

 実在する人物ではない。

 

 ただ、智美も無から生まれたわけではない。

 父親は存在する。

 長尾智美になる前の――艦娘人造計画の被験者になる前の父親だ。

 

「貴様、どこまで知っている?」

「……おや。随分と雰囲気が変わりましたね?」

「答えろ。貴様、私についてどこまで知っている」

 

 近くには浮田提督を含め作戦本部のスタッフがいる。

 荒事を起こし難い状況ではあったが、智美は構わずに殺気のこもった眼差しをエルモに向けた。

 

 冗談は通じないと見たのか、エルモは笑みを引っ込めて真顔になった。

 

「僕は一介の研究員に過ぎません。貴方について知っていることも限定的です」

「それでも良い。知っている範囲で話してみろ。でなければこの場で脳天に風穴を開けてやる」

「……貴方が上杉重蔵氏のご令嬢の一人、景華様だということ。艦娘人造計画による実験を経て、現在は長尾智美という名で活動されていること。それくらいです」

 

 その瞬間、智美はエルモの胸倉を掴み、受け取ったばかりの拳銃をその喉元に突き付けた。

 

「……今、艦娘人造計画と口にしたな。貴様は、その関係者か」

「関係していると言えば関係しています。もっとも、計画の全容は把握していませんが」

 

 エルモは落ち着いた様子で淡々と告げる。

 一方の智美は、明らかに我を失っていた。

 目を大きく見開き、口元をわなわなと震わせながら銃口を突きつける様は、傍から見ても尋常ではない。

 

「長尾君」

 

 いつの間にか、浮田提督が智美の手首を強く掴んでいた。

 周囲のスタッフや艦娘も、不安そうな視線を智美に向けている。

 

「君と彼の間に何があったかは知らないが、この場でそういう振る舞いは許可できない」

「――しかし、この男は」

 

 やっと掴んだ艦娘人造計画の手掛かりだ、と言いかけて、智美は口をつぐんだ。

 それを浮田提督に言ったところで、状況は変わらないだろう。

 浮田提督は、艦娘人造計画とまったく関係がないのだ。

 

「……」

 

 智美は銃を下ろし、エルモから手を離した。

 

「貴方の激情がそれほどのものだとは知りませんでした。艦娘人造計画は、それだけ被験者にとって過酷だったということでしょうか」

「なにを、白々しい――」

「僕はあくまで艤装部分が主な研究分野でしたので。日本の機関に滞在していた頃も、人体に関する研究に直接携わったわけではありません」

 

 エルモは、智美の凶行にさらされても動じる様子を見せなかった。

 あくまで冷静な彼の態度に、智美の中で昂っていた熱気も少しずつ冷めていく。

 

「……ならば、何か伝手はないのか。人体に関する研究をしていた奴に。私はそいつらに用がある」

「大部分は既に連絡が取れなくなりました。僕は部外者でしたので、連絡先の交換もあまりできませんでしたし。ただ、僕がいた研究機関は深海棲艦の襲撃を受けたと聞いています。もしかすると、生き残りは殆どいないのかもしれない」

 

 エルモは肩を竦めた。

 ただ、彼の言葉に込められた微妙な言い回しを智美は逃さなかった。

 

「大部分は……と言ったな?」

 

 つまり、エルモは僅かな生き残りの所在を掴んでいる可能性がある。

 智美の言葉に、エルモは困ったような表情を浮かべた。

 

「生き残っていた――と思われる人は一人知っている。だが確証はない」

「噂話程度でも良い。教えろ」

「……」

 

 エルモは智美と浮田提督の顔を交互に見た。

 話すべきか逡巡しているようだった。

 

「エルモ、話してくれないか。このままでは軍の指揮に乱れが生じるかもしれない」

 

 溜息交じりに浮田提督が告げる。

 それを受けて、エルモは渋々といった様子で口を開いた。

 

「僕が親しくしていた若手研究者に横井飯綱という女性がいる。若手研究者のホープとも言われている女性だった。僕は彼女も死んだと思っていたが、最近になって彼女と瓜二つの女性を見つけた」

 

 そこまで言うと、浮田提督の表情が強張った。

 彼は、今エルモが口にした名前をつい最近聞いている。

 

「本人か確認はしなかったのか?」

「確認したが、彼女は記憶を失っているようだった。だから、仮に彼女が飯綱本人だったとしても――何も出て来ないと思う」

「記憶……?」

 

 智美の眉毛がぴくりと吊り上がる。

 

「まさか、貴様が言っているのは……」

「おそらく貴方も知っているだろう。飯綱と瓜二つの女性。彼女は――北条康奈と名乗っていた」


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