南端泊地物語―戦乱再起―   作:夕月 日暮

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第十八陣「西部戦線の死闘」

 全力で逃げる。

 至ってシンプルな命令を受けたショートランド艦隊は、その命令を遂行できずにいた。

 

 敵の攻撃は、母艦に集中している。

 自然、他の部隊に比べると母艦の足は遅くなった。

 

 命令に徹するのであれば、それでも逃げ続ければ良い。

 後ろを振り返らず、一目散に敵の砲撃が届かぬ場所まで。

 

 しかし、ショートランド艦隊はそれができなかった。

 母艦には提督が――康奈がいる。

 

 自分たちだけ生き延びても、康奈が命を落としては意味がない。

 皆が皆、一様に同じことを思った。

 

 中には武蔵同様、二〇一四年の夏に提督を失ったことを思い出す者もいた。

 

「瑞鳳さん」

 

 苦悩する瑞鳳に、瑞鳳隊として参戦していた駆逐艦たちが顔を向けた。

 今、彼女たちは敵から相当の距離を取っている。

 安全圏まで後一歩というところまで来ていた。

 

「なに?」

「戻りましょう」

 

 一人がその言葉を口にすると、全員が頷いた。

 彼女たちの中には、提督を助けに行くという選択肢しかない。

 

 だが、部隊長を任せられている瑞鳳はそう単純に考えることはできなかった。

 瑞鳳の肩には、隊員の命の重みがのしかかっている。

 このまま康奈の命令を遵守すべきか、康奈たちを助けに行くべきか。

 部隊全体の命の責任を負いながら、最善の判断をしていかなければならない。

 それも、できるだけ早く。

 

 敵は待ってくれない。

 瑞鳳が悩んでいる間にも、母艦付近へ敵の砲弾が降り注ぐ。

 護衛のビスマルク隊が奮戦しているようだが、あれでは長時間持たないだろう。

 

 瑞鳳にとって、康奈は提督であるのと同時に、家族のようなものだった。

 

 人間が持つ家族というものに、憧れを抱いていた。

 前の提督は、そんな瑞鳳に対し『自分を家族と思ってくれて良い』と言ってくれた。

 康奈は、そんな前提督の娘同然の存在だった。

 

 最初に会ったとき、康奈は何も知らない無垢な子どもだった。

 己の記憶を持たず、知己もおらず、どこに行けば良いか分かっていない迷子だった。

 それが、前提督や泊地の艦娘たちと接していくうちに、己を持つようになっていった。

 

 皆で育てた、自慢の子である。

 自惚れだと思いつつも、瑞鳳はそう思っていた。

 

 本当なら、我が身を省みず助けに行きたい。

 しかし、他ならぬ康奈から「脇目も振らずに逃げろ」と言われている。

 単に瑞鳳の身を案じての命令ではない。

 そこには、戦力を温存しろという意味も込められていた。

 

「――瑞鳳さん!」

 

 焦れたように部隊のメンバーたちが瑞鳳の名を叫ぶ。

 

 どうすれば良いのか。

 瑞鳳は、苦悩に顔を歪ませた。

 

 

 

 追撃してくる敵の中に戦艦水鬼の姿を認めて、清霜の顔から感情が消えた。

 トラック泊地で猛威を振るったその強さに、本能が警鐘を鳴らし、一瞬で集中力が極限まで高められたのである。

 

「ビスマルクさん」

「なにかしら、休憩ならもうちょっと待って欲しいんだけど」

「まず、戦艦水鬼を落としましょう。あれがいると、駄目です」

 

 断定する清霜の言い方に、ビスマルクも表情から笑みを消した。

 

「落とせると思う?」

「倒すのは無理です。少なくとも、ここにいるメンバーだけでは」

「倒す以外に何か手があるのね」

「目を潰します」

 

 清霜は視線を戦艦水鬼に向けたままだ。

 今、母艦に向かって急接近しつつある戦艦水鬼は片目が潰れていた。

 もしかすると、トラック泊地で交戦したあの戦艦水鬼なのかもしれない。

 

「戦艦水鬼の装甲は大和型や長門型でも貫くのに苦労する厚さです。でも、目は違う。私の主砲でも潰せました。あの戦艦水鬼は既に片目を失っている。……もう片方を潰せば無力化できます」

「あくまで可能性はあるって程度の話ね」

 

 ビスマルクの言葉に清霜が頷く。

 口で言うほど、それは容易いものではない。

 

「――けど、可能性があるのとないのではまったく違う。良いわ、その作戦に駆けてやろうじゃない!」

 

 ビスマルクの決断を諫める声はなかった。

 既にショートランド艦隊は追い詰められている。

 取れる選択肢は、殆ど残っていない。選り好みしている場合ではなかった。

 

「ビスマルク、それに皆」

 

 そこに顔を出したのは康奈だった。

 手にはエルモから提供された護身用のナイフを手にしている。

 

「少しなら、私はこれで持ち堪えてみせる。だから、半端な対応はしないで全力で行きなさい。それぐらいでないと、戦艦水鬼の相手はできないわ」

「……良いの?」

「それが結果的に私たちの命を助けることになる。こういうのを、死中に活を求めるって言うんだったかしら」

「合ってるわ。二度と使って欲しくない言葉だけどね」

 

 ビスマルクは敵の陣容を見て、すぐに作戦をまとめた。

 

「雲龍、周囲の雑魚を牽制して。倒せなくていい。艦爆であちこちに爆弾ばら撒いて、敵の動きを鈍らせればいいわ。他のメンバーは全員私と一緒に戦艦水鬼目掛けて突撃。他の敵は無視しなさい」

 

 メンバー全員が首肯するのを確認すると、ビスマルクは清霜の肩を掴んだ。

 

「清霜。悪いけど先陣は頼むわ。私が砲撃で貴方の道を切り開くから、戦艦水鬼を潰してちょうだい」

 

 清霜は以前の戦いで戦艦水鬼の目を撃ち抜いた実績がある。

 ビスマスクは、その実績に賭けた。

 

「大丈夫だ、あたしも一緒にカチコミかける。一人では行かせないからよ」

 

 と、朝霜が清霜の背中を叩いた。

 ビスマルクの期待と朝霜の想いを受けて、清霜は歯を食いしばって大きく頷く。

 

「駆逐艦清霜、必ず作戦を成功させます」

「清霜、成功させるだけじゃ駄目よ」

 

 康奈が険しい顔で釘をさす。

 

「必ず――生きて戻りなさい」

 

 そんなことを言われてはいざというとき迷ってしまう。

 そう思いながらも、清霜は康奈に対して「了解」と応えた。

 

 

 

 一目散に逃げるショートランド艦隊に対し、深海棲艦側は猛烈な攻撃を加えていった。

 しかし、思ったように成果を上げることができない。

 潰走しつつある敵を前にして、闘争本能を掻き立てられた深海棲艦たちが、各々勝手自在に動き始めたからである。

 

 まとまりを失うだけならまだしも、敵を追うのに邪魔な味方を蹴散らそうとする者がいる始末だった。

 そして、そういう者が決して少なくない。

 

 元々、トラック泊地の戦いの後に流れ着いた戦艦水鬼が短期間でまとめた軍勢である。

 寄せ集めと評するしかない。戦艦水鬼自身、軍としての練度は前の方が良かったと思っているくらいだ。

 

 ……ガラクタ共め。

 

 散々な有様の自軍に毒づきながらも、戦艦水鬼は懸命に指揮を執った。

 例え一時優勢であっても、気づけば追い込まれてしまうことがある。

 彼女はそれを、トラック泊地の戦いで嫌と言うほど学んでいた。

 

 そんな戦艦水鬼が、息を呑んだ。

 ショートランド艦隊の母艦から飛び出した、小さな影を捉えたからだ。

 

 駆逐艦清霜。

 かつてトラック泊地の戦いで、戦艦水鬼から片目を奪った駆逐艦が、母艦の護衛から離れ、戦艦水鬼目掛けて突撃を仕掛けてきたのだ。

 

『――ハ』

 

 思わず笑みが零れ落ちる。

 トラックの大和と並び、ショートランドの清霜は必ず破壊すると決めていた。

 その標的が自分からこちらに迫ってくる。それは、戦艦水鬼にとって最高のシチュエーションだった。

 

 しかし、沸騰しそうになった彼女の感情は、配下の深海棲艦たちが奏でる不躾な咆哮によってクールダウンした。

 

 突出してきた清霜たちを叩き潰そうと、我武者羅に迎え撃とうとする深海棲艦たち。

 その手合いは、すぐさま雲龍の艦載機やビスマルクの砲撃によって蹴散らされた。

 

『無暗に突っ込むな! 取り囲んで潰せ!』

 

 尻込みしそうになっていた配下に檄を飛ばしながら、戦艦水鬼も清霜たち目掛けて砲撃を敢行する。

 しかし、距離のせいか相手の練度のせいか、なかなか命中する様子がない。

 

 清霜たちは、囲みこもうとする戦艦水鬼軍の動きを無視して、ためらいなく真っ直ぐに突き進んできた。

 

『愚かな。追い詰められて血迷ったか』

 

 失望を口にしながら期待を胸に、戦艦水鬼は迎撃姿勢を取った。

 

 囲い込みを図ろうとする深海棲艦たちよりも、清霜らの進撃の方が速い。

 清霜――そして朝霜の二名が、戦艦水鬼本隊に肉薄する。

 

 戦艦水鬼に向けられる清霜の眼差しは、狩人のものだった。

 いかにして獲物を狩るか。そのことしか考えていない双眸である。

 

『その目――覚えがある。あのときも、貴様はその目をしていた!』

 

 戦艦水鬼の随伴艦の砲撃を尽く避け、清霜は主砲を戦艦水鬼の足元に向けた。

 ここまで接近されては主砲は当てにくい。そう判断した戦艦水鬼は、艤装による格闘戦で応じた。

 

 戦艦水鬼の艤装は、自立したモンスターのような外見をしており、清霜の倍以上はありそうな剛腕と、鋼すら噛み砕く大きな口がついている。清霜・朝霜にとっては、十分脅威となる代物だった。

 朝霜は咄嗟に飛び退いて避けたが、清霜はむしろ更に突っ込んできた。

 

 ……こいつ、恐れ知らずか!?

 

 もはや手を伸ばせば届きそうな距離まで迫った清霜は、見る者をぞっとさせる冷たい眼差しで戦艦水鬼を見据えていた。

 

『私を、怯ませるつもりか――!』

 

 異形の怪物じみた戦艦水鬼の艤装が、その剛腕を清霜めがけて叩きつける。

 盛大に水飛沫が上がり、一瞬、戦艦水鬼は時が止まったような錯覚を覚えた。

 

 潰せたか、どうか。

 思いを巡らせる戦艦水鬼の眼は、飛沫の向こうに見える影を捉えていた。

 

 清霜が、飛沫の反対側で戦艦水鬼の顔に向けて主砲を構えている。

 その眼に自分の瞳が映っているのを見て、戦艦水鬼は清霜の狙いに初めて気づく。

 

 清霜の主砲が音を響かせたのと、戦艦水鬼が動いたのは――ほぼ同時のことだった。

 

 

 

 飛沫が収まったとき、朝霜が目にしたのは想像を超えた光景だった。

 

「――き、清霜ッ!」

 

 膝をつく戦艦水鬼と、その目の前でうずくまる清霜。

 戦艦水鬼の外傷は傍目からではよく分からなかったが、清霜のダメージは一目で分かるものだった。

 

 右腕の肘から先が――ない。

 

 じんわりと傷口から血が溢れ出していく。

 それを左手で押さえ、顔中汗だらけになりながら、清霜は必死に歯を食いしばっていた。

 

 戦艦水鬼の艤装には、返り血が付着していた。

 自らの目を狙わんとする清霜の腕を、戦艦水鬼は艤装で強引にもぎ取ったのである。

 

 戦艦水鬼が起き上がる。

 同時に、朝霜も動いた。

 清霜の元まで駆け寄り、そのまま清霜の身体を肩に担いで、遮二無二その場からの離脱を試みる。

 

 だが、すぐにその足は止まることになった。

 戦艦水鬼が囲い込みをかけていたため、敵の懐に入り込んだ清霜と朝霜は、完全に包囲される形になっていたのである。

 

「くそっ、どこか――」

 

 どこか薄いところはないか。

 必死に敵情を確認する朝霜だったが、二人で突破できそうなポイントは見当たらなかった。

 ビスマルクたちも二人の窮地に気づいたのか、援護を仕掛けようとしているものの、あちらも他の敵に囲まれつつある。救援を期待するのは絶望的だった。

 

 朝霜たちの背後から、戦艦水鬼が少しずつ近づいてきた。

 その右手は、何本か指が欠けている。ギリギリのところで放たれた清霜の主砲によるものだった。

 

 戦艦水鬼の表情は、怒りに満ちていた。

 二度に渡り同じ相手に不覚を取った。そのことが、武人としてのプライドに瑕をつけたのである。

 

『壊せ』

 

 戦艦水鬼の言葉は、朝霜には分からない。

 ただ、それが自分たちの破滅を示すものだということは察することができた。

 

「悪い清霜。いざとなればお前だけでも逃がすつもりだったが、これっぽっちもアイディア出てこないわ」

「……」

 

 本当にか細い声で、いいよ、と聞こえた気がした。

 

 そのとき――さほど遠くない場所で、悲鳴のようなものがあがった。

 

 戦艦水鬼軍の後方からである。

 その悲鳴らしき音は、波及的に広がっていった。

 

 朝霜たちを囲んでいた深海棲艦たちも、思わず視線をそちらに向けた。

 向けざるを得なかった、と言って良い。悲鳴を上げていたのは、戦艦水鬼軍の者たちだった。

 

 悲鳴を上げさせているのは、横須賀第二鎮守府の神通隊だった。

 南軍に西からぶつかりにいった軍勢の背後を大きく迂回し、戦艦水鬼軍の虚を突く形で乱入してきたのである。

 背後を取られた戦艦水鬼軍は、烏合の衆だったこともあり、驚くべき勢いで離散していった。

 

 先頭は、神通である。

 

 神通隊は、ドリルで穴を穿つように戦艦水鬼軍を裂いて突き進んでくる。

 誰もが鬼気迫る表情を浮かべていた。横須賀第二鎮守府の艦娘は鬼のように恐ろしいと言われることもあったが、今の神通隊は鬼そのものと言って良い。

 

 尋常ならざる敵の出現に、戦艦水鬼も意識を朝霜たちから神通隊へと切り替えざるを得なくなった。

 

『こいつらは捨て置け! まずは奴らを止めるぞ!』

 

 戦艦水鬼の号令に従って神通隊に向かっていく深海棲艦たち。

 しかし、それで「命拾いをした」と胸を撫で下ろすほど、朝霜は能天気ではなかった。

 

「待ってろ、すぐに……!」

 

 それは、深い傷に苦しむ清霜に向けた言葉なのか、強大な敵に立ち向かう神通隊に向けた言葉なのか。

 朝霜自身にも、それは分からなかった。

 

 

 

 ここに至るまでの道のりで、既に燃料はほぼ尽きかけている。

 逃げるという選択肢は、もはや取れそうにない。

 

 自分について来てくれた部下や磯風に心の中で謝りながら、神通は眼前の大敵と対峙した。

 

 戦艦水鬼。

 トラック泊地での戦い以来、二度目の相対だった。

 

 清霜は、朝霜が逃がしてくれたようだ。

 これで、目的の一つは果たされた。あとは、母艦ごと遠くまで逃げ延びてくれればいい。

 

「残すは――貴方の始末だけですね」

 

 艤装に仕込まれた各種武装が使えることを確認し、神通は戦艦水鬼に側面から急接近する。

 神通が何かをするつもりだと察したのか、戦艦水鬼は迎え撃とうとはせず、一旦距離を取ろうとした。

 

 しかし、後ろに退こうとした戦艦水鬼の動きはすぐに止まる。

 神通隊が、鋼線を張って戦艦水鬼の退路を断っていたからだ。

 

 神通隊を倒すか、神通に対して仕掛けるか。

 戦艦水鬼が逡巡した隙を突いて、神通は戦艦水鬼の艤装目掛けて飛び掛かった。

 

 手には、普段対潜水艦用に使用する爆雷が握られている。

 それを、神通は戦艦水鬼の艤装についている口の中に叩き込んだ。

 

 叩きつけられた衝撃もあってか、爆雷はすぐさまそこで炸裂し――戦艦水鬼の艤装は、内側からの衝撃で半壊状態に陥る。

 

「以前は作戦上無理はしないと決めていましたし、貴方に恨みもなかったので適当なところで引きましたが」

 

 戦艦水鬼の反撃を避けた神通は、再び少し距離を取った。

 その双眸は、先程の清霜以上に冷たく、容赦がない。

 

「今は無理を通すつもりですし、貴方への恨みもありますので――本気でやらせてもらいます」

 

 

 

 母艦に帰投したビスマルク隊を迎えて、康奈は言葉を失った。

 全員、相当の傷を負っている。

 その中でも、特に清霜の傷が酷い。右肘から先を失い、そこから大量の血が流れ出ていた。

 

「提督、清霜が……!」

「傷が、止まらないんです。私たちなら大丈夫なはずなのに……」

 

 血の気のない清霜の顔を見て、康奈は頭の奥底に鈍い痛みを感じた。

 身近な存在の死を間近に感じたからか、それとも別の何かがあるのか、康奈自身もその正体が掴めずにいた。

 

「……人間ベースの艦娘は、艤装ベースの艦娘と違って、身体は元の人間のものがベースになっているの。だから霊力補充で元に戻るようなことはないし……このまま放っておいたら失血死する可能性もある」

 

 それは、毛利仁兵衛が遺した資料から得た知識か。

 それとも、別のところから引き出された記憶か。

 

 康奈を強烈な吐き気が襲う。

 しかし、喉元まで出かかったところで押さえる。

 

 ……今は、そんな場合じゃない。

 

 このままでは清霜が死ぬ。

 どうにかしなければならない。

 

「……まずは止血よ。朝霜、ついてきて。他の皆は護衛を継続して」

「アトミラール。頼むわよ」

 

 不安が見え隠れしていたが、ビスマルクたちは康奈に後を託して母艦の外に出た。

 一人、雲龍はなおも不安そうに清霜の左手を握っていたが、

 

「雲龍さん……大丈夫、だから」

 

 という清霜の言葉に、渋々離れた。

 

「雲龍、必ず清霜は助けるから。貴方は貴方で、今は少しでも多くの仲間を助けることに集中して」

「……分かった。清霜をお願い、提督」

 

 艦娘以外で母艦に乗り込んでいるのは、必要最低限のクルーと康奈・新十郎くらいだった。

 専門の医療スタッフはいない。手が空いている者で対応するしかなかった。

 

「新十郎、指揮と応急処置どっちが得意?」

「どちらかと言えば指揮だ」

「なら指揮は任せる。被害を最小限に抑えつつ、他の南軍が南下して敵を側面から叩く。その実現に向けて最大限努力して」

「分かった」

 

 新十郎も、さすがにこの場面で「面倒は嫌いだ」などと軽口は叩かない。

 それだけ状況は切迫している。康奈はすぐに医務室まで清霜を運んだ。

 

「朝霜、清霜の腕に巻けるものを用意して。あまり細すぎない方が良い。タオル、タオルで良いわ」

「おう!」

 

 動脈を確認し、朝霜から受け取ったタオルで傷口より内側の腕を強く縛り付ける。

 かなり強い締め付けに清霜は顔を歪ませた。しかし、悲鳴を上げたり泣き言を口にしたりはしない。

 

「……ど、どうだ。血は大分止まったように見えるけど」

「まだ応急処置を施したに過ぎないから、安心はできない。あまり強く締め付けてると却って良くないから、三十分おきに少し緩めて。あとは――輸血をした方が良いかもしれない」

 

 今この場で実行できることを頭の中で整理し、一つ一つこなしていく。

 ときどき母艦が揺れる。敵の砲撃によるものだろう。康奈は、恐怖よりも苛立ちを覚えていた。

 

 どれくらいそうしていただろう。

 

 今できることはもうない。

 そう判断をくだしたとき、康奈は全身の力が抜け落ちて、その場に膝をついた。

 慌てて朝霜が肩を貸し、康奈を起こす。

 

「大丈夫か!?」

「……ええ。問題ないわ」

 

 朝霜に支えられながら立ち、清霜の様子を見る。

 まだ予断を許さない状態ではあるが、運び込まれたときよりも顔色は良くなっているように見えた。

 今は意識を失っているようで、呼吸の音が微かに聞こえてくるくらいである。

 

「――」

 

 白い部屋。

 ベッドの上で横たわる少女。

 部屋に漂う血の臭い。

 

 改めて周囲を見る。

 そこは間違いなく母艦の医務室なのだが、どこか別の場所のようにも思えた。

 

 ……なに、これ。なんだか、すごくいやなかんじがする。

 

 清霜への処置を終えたことで気が緩んだのか、康奈の中で、濁流のように何かが押し寄せてきた。

 

 死んだように横たわる少女。

 否、あれは本当に死んでいる。

 何人も、何人も、沢山の少女たちが、真っ白な部屋の中で死んでいる。

 

 死への恐怖と明日への希望を持ち合わせていた彼女たちの眼は、もう開かれない。

 

 ……嗚呼、本当は私だって、こんなことを望んでいたわけではなかったのに。

 

 それは誰に対する言い訳だったのだろうか。

 いつの間にか、康奈は意識を失っていた。

 

 朝霜の呼びかけも聞こえない。

 深く暗い深淵の中へと、沈みこんでいった。

 

 

 

 戦局は徐々に変わりつつあった。

 撤退するショートランド艦隊を追いかけていた深海棲艦の部隊に、側面から南軍が突撃を仕掛けたのである。

 これは、他の軍から南軍への支援が行われた結果、西部戦線全体の形勢が逆転したからできたことだった。

 

 西部戦線全体で、人類が勢いを取り戻しつつある。

 

 そんな戦局の変化を肌で感じ取りながらも、神通と戦艦水鬼は互いにそれを無視した。

 

 神通隊はもはや燃料が尽きかけている。ここで戦艦水鬼の相手をする以外の選択肢がない。

 戦艦水鬼の軍勢は、かなりの打撃を被っている。撤退するという選択肢はあったが、戦艦水鬼はそれを選ばなかった。

 

「――なぜ逃げないのか、不思議か?」

 

 不意に、戦艦水鬼が人の言葉を発した。

 

 激動する戦場の中にあって、神通隊と戦艦水鬼がいるこの辺り一帯だけが、奇妙な静寂に包まれている。

 

「形勢は変わりつつある。普通なら、撤退するところでしょう。貴方がこの場に残る理由はない。武人として私たちと決着をつけることを優先している、ということなら話は別ですが」

「武人か。良い言葉だ。人の言葉の中でも、特に好ましい」

 

 戦艦水鬼の艤装はあちこちが損傷している。

 戦艦や空母ですら易々と貫けない艤装を、神通隊は持てる手すべてを駆使して打ち壊した。

 

「だが、武人としての己は前の戦いで捨てた。ここでは将として戦うと決めていた」

「ならば、なぜ撤退しないのです」

「大勢は決した。一時撤退したところで、もはやこの地での挽回は難しいであろう。ならば将として責を負わねばなるまい。……そこらのガラクタどもが、逃げる間くらいはな」

 

 戦艦水鬼軍の深海棲艦たちは、自分たちが不利と悟ると、大半が逃げ出していた。

 今、戦艦水鬼の周囲にいるのはほんの僅かな深海棲艦だけである。

 

「その心意気は買いましょう。故に、最後まで全力でやらせてもらいます」

 

 神通隊が動く。

 磯風や他のメンバーは、神通の動きを止めようとする戦艦水鬼軍の残党を狙った。

 

 戦艦水鬼に挑むのは神通単騎。

 ほんの少し、神通よりも早く戦艦水鬼が艤装の腕で、海水を神通に浴びせかけた。

 勢いよく突っ込もうとしたところで海水を受けて、神通の動きが止まる。

 

「終わりだ、強き者よ!」

 

 神通も既に相当の深手を負っている。

 今、戦艦水鬼の一撃をもらえば致命傷になるのは間違いなかった。

 

「――させないッ!」

 

 そのとき、戦艦水鬼の目の前に艦載機が飛び込んできた。

 突然の乱入者に、戦艦水鬼の身体が硬直する。

 

 視界はまだ十分に戻っていなかったが、神通は相手の異変を気配で察知した。

 残された魚雷を外し、その手に取って、直接戦艦水鬼の本体目掛けて叩きつける。

 

 戦場を震わす衝撃が、周囲一帯に広がった。

 

 魚雷が起こした水柱が消えたとき、そこに立っていたのは神通だけだった。

 戦艦水鬼は、倒れている。

 その身体は――少しずつ海の中へと沈んでいった。

 

「大丈夫?」

 

 神通隊の元に駆け寄って来たのは、瑞鳳隊だった。

 戦場から逃げ落ちることを良しとせず、少し離れたところからずっと機会を窺っていたのだ。

 

「……ありがとうございます。助かりました」

「――」

 

 そう応える神通の状態を目の当たりにして、瑞鳳は声を失った。

 

 すぐに、他の神通隊のメンバーも集まってきた。

 磯風も一緒である。

 

「――」

 

 皆、神通を見た。

 

「戦況は、もう落ち着きましたか?」

「ああ」

 

 神通の問いに、磯風が応える。

 

 磯風は、視線を遠くに向けた。

 ショートランド艦隊の母艦が見える。

 

「……清霜はどうだ、瑞鳳」

「連絡があった。応急処置で、一命は取りとめたみたい」

 

 瑞鳳の言葉を聞いて、神通が安堵の表情を浮かべる。

 

 肩を貸そうかと磯風が前に出ようとしたとき、神通隊の駆逐艦がそれを止めた。

 

「ごめん。これは、私たちにやらせて」

 

 駆逐艦たちに支えられた神通は、

 

「三笠に帰投します」

 

 と宣言した。

 

「提督に――報告を行います」

 

 

 

 リランカ島、そしてモルディブで発見された敵拠点の歓楽に成功した頃、智美の元に、神通隊が帰投したとの報告が届いた。

 

「そうか、戻ったか」

 

 命令違反を犯した神通隊をどのように出迎えるべきか、智美は決めあぐねていた。

 しかし、そんな迷いは帰投した神通を見て吹き飛ぶ。

 

「ただいま戻りました、提督」

 

 そう告げる神通は、満身創痍としか言いようのない状態だった。

 艤装はほぼ全損しているに等しく、両腕は欠け、顔は火傷によってただれている。

 

 艤装ベースの艦娘であれば、艤装さえ修復すればこの状態からでも元に戻せる。

 しかし、人間ベースの艦娘にとって、これほどの傷は致命的だった。

 

「……なにをしている。早く治療室に神通を運べ!」

「提督」

 

 神通隊に向かって怒鳴りつける智美に、神通は静かな声で語りかける。

 

「お伝えしたいことがあります」

「話はあとで聞く。今は早く治療だ、治療に専念しろ!」

「――静は、生きています」

 

 智美の声が、止まった。

 神通の視線は、智美の方を向いていない。

 もう、見えていないのだ。

 

「あのとき、静はショートランドに連れて行かれたんです。でも、私は怖くて、静を助けるために出て行くことができず、貴方の信頼を裏切るのが怖くて、本当のことも言えませんでした。ですが、静は生きています」

「……お前、なにを」

「――ショートランドの清霜。あの子が、静です」

 

 神通は、命を削りながら懸命に言葉を紡いだ。

 少し話すだけで、残り少ない生命力が零れ落ちていく。

 

「景華。あなたは、まだすべてを失ったわけではない。復讐が辛くなったら、あの子と、一緒に――」

 

 神通の身体が僅かに震え、そして止まった。

 

 どれだけ待っても、続きの言葉は出てこない。

 

「……ふざけるな」

 

 智美は、駆逐艦たちから奪い取るようにして神通の身体を抱え上げた。

 

「ふざけるな、神通。おい、言いかけておいて止めるな。言いたいことだけ言って、私の言い分は何も聞かないつもりか。ふざけるな、お前には言ってやりたいことが沢山あったんだぞ。いつでも言えると思って、言わなかっただけだ。おい、言わせろよ。……おい、咲良!」

 

 悲痛な智美の声に、勝利に沸き立っていた三笠の艦橋が静まり返る。

 

 智美は、神通の身体を抱きかかえたまま、じっと立ち尽くしていた。

 誰も声をかけることができない。

 

「磯風」

 

 智美は、神通の顔を見据えたまま磯風に問いかける。

 

「こいつは、立派だったか?」

「ああ。あれほど勇猛果敢に戦った艦娘は、他に知らない」

「そうか」

 

 智美は泣かなかった。

 ただ、じっと神通の顔を見つめ続けている。

 

「すまない。少し、二人にさせてくれ」

 

 そのまま、智美は神通を抱えて艦橋から出て行く。

 その後ろ姿は、今までの彼女からは想像できないくらい、小さなものに見えた。

 

 

 

 西方救援作戦が一段落ついた頃、陸地に戻ったエルモは自らが勤務していた研究施設に戻ってきていた。

 軽やかな足取りで自分の研究室に向かう。ここは彼専用に用意された部屋で、他に人の姿はない。

 

 エルモがデスクトップマシンを起動すると、待ち構えていたかのようにテキストメッセージが送られてくる。

 

『お疲れ様。今回はどうだった?』

 

 メッセージを見て、エルモは思わず相好を崩した。

 できれば音声通話をしたい、と希望を出すと、相手はすぐに応じてくれた。

 

「やあ、久しぶり。今回も貴重なデータが取れたよ」

『嬉しそうね。ま、今回のような大規模な戦いはサンプルが大量に取れるから、貴方にとっては最高の環境なのでしょうけど』

「まあね。ボーナスステージのようなものさ。ああ、でも今回はそれ以上に君に話したいことがあってね」

『なにかしら?』

「――『君』に会ったよ」

 

 エルモがそう告げると、相手は『へえ?』と興味深そうな声を上げた。

 

『どうだった、私は。元気にしてた?』

「ああ。なんとまあ提督をやっていたよ」

『なるほど。あのときの実験結果が、そこに結びついたのね。艦娘ではなく、提督か……』

 

 そのとき、通話先から別の誰かの声が聞こえてきた。

 

「誰か来たのかい?」

『うちのお姫様のお戻りね。今回そっちにちょっと顔出しに行っていたのよ』

「ああ、彼女か。報告にも上がっていたね」

『そんなわけで、話の途中だけど一旦離席するわ』

「仕方ない。今回の件はレポートにして後で送ることにするよ」

『それが良いわ。貴方、話が長いし要領を得ないんだもの』

「手厳しいな」

 

 エルモはにこやかな表情のまま、名残惜しそうに告げる。

 

「それじゃあね――IZUNA」


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