南端泊地物語―戦乱再起―   作:夕月 日暮

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第一章「再起のための新たな牙」(渾作戦編)
第一陣「再起の号令」


 二〇一四年・夏、日本は深海棲艦に対し一大攻勢を仕掛けるべく、深海側の重要拠点と見られるAL/MI海域に軍勢を差し向けた。

 深海側は精強だったが、大規模な軍勢を用いたことが功を奏して、同海域を制圧することに成功する。

 ただ、その隙を突かれて各地の拠点を深海棲艦の遊撃部隊に急襲された。

 多くは撃退できたものの、一部は深海棲艦によって占拠されてしまい、そのまま今日に至る。

 

 奪われた拠点の中に、パプアニューギニアの北部に位置するビアク島があった。

 ここで深海棲艦に足場を固められると、パプアニューギニアだけでなく、インドネシア・オーストラリア・ソロモン諸島といった周辺諸国の海上輸送に支障が出る。空路も深海棲艦のせいで十分に使えない現状、海上封鎖の影響は以前よりも遥かに大きい。

 

 日本は、こんな状況に陥った責任を追及されていた。

 深海棲艦と対等に戦える戦力――艦娘を保持しているのは、この辺りでは日本だけだった。だからか、表向き追及はさほど苛烈なものではない。

 ただ、諸国の不満が高まっているのは誰の目にも明らかである。

 

「だから、組織再編がまだ十分にできていない状況でも、急いで対応しないといけない――ってことなんだよ」

「春雨は物知りだねー」

 

 パプアニューギニア南部の海域を行く複数の影がある。

 あまり立派とは言い難い母艦と、それを守るように囲んでいる人影。

 海上に二つの足で立つ彼女たちは、深海棲艦と戦う力を持った存在――艦娘だった。

 

 現在の日本を取り巻く情勢を話していたのは、ピンク色の髪をした愛らしい顔立ちの艦娘だった。

 白露型五番艦――春雨という。

 その話を聞いて感心していたのは、夕雲型の最終艦・清霜だ。

 

「私は次の戦いがどんなものになるかで頭いっぱいだよ」

「何のために戦うか分からないと不安にならない?」

「んー、そこは司令官に任せようかと」

 

 あっけらかんと言う清霜に、春雨は少し困ったような表情を浮かべた。

 

「私は戦いのことを考えるの怖いな。だから別のことを考えようとしちゃうのかも」

「そうなの? 春雨って夕立さんと一緒にソロモン海で敵に突入したって言うじゃん。実は凄い武闘派なのかもって思ってたけど」

「あ、あれは夕立姉さんについていこうとしてただけで……。結局すぐ離脱しちゃったし」

 

 清霜から期待の眼差しを受けて、春雨は慌てた様子で否定した。

 謙遜しているわけではなく、誤解されて本気で困っているようだった。

 

「興味深い会話をしてるわね」

 

 船上から、二人に声をかける者がいた。

 二人の司令官――提督・北条康奈だ。

 

「司令官!」

「聞いてたんですか?」

「盗み聞きするつもりはなかったんだけど、波の音と一緒に聞こえてきてきたのよ。清霜は戦いに対するやる気十分という感じね。春雨は作戦の意図を汲み取ろうとする視野の広さがあって良いと思う」

 

 清霜と春雨は気恥ずかしそうにはにかんだ。

 けど、と康奈は続ける。

 

「自分の苦手分野はしっかりと克服するよう努力した方が良いわ。清霜はもっと視野を広げなさい。私に任せっきりにしていたら、連絡がつかなくなったときに困るでしょう?」

「う、うん……」

「春雨もね。戦いが怖いというのは分かるけど、そこから意識を逸らしたら却って危険よ。戦うための勇気は持てなくても良いけど、生きるための勇気は持てるようにしておきなさい。その勇気が持てれば、意識も逸れなくなるわ」

「はい、気を付けます」

 

 頷く二人を前に、康奈は「いやはや」と口元を綻ばせた。

 

「まあ、私も人にとやかく言えるような立場じゃないんだけどね。……二人とも、しばらくはとにかく生き延びなさい。最低限それができれば良いから」

 

 康奈の眼差しは徐々に険しいものになっていく。

 その視線は、進行方向の遥か先へと向けられている。

 

「……見えてきましたね」

 

 春雨の言う通り、彼方に船影が見えた。

 こちらの母艦とは比べ物にならない立派な艦。

 日本の対深海棲艦組織が持つ最大の母艦。

 かつて日本海軍の栄光の象徴とされた名を持つその艦は――三笠という。

 

 

 

 側近として大淀・大和・武蔵を引き連れ、康奈は三笠に乗り込んだ。

 まだ年若い少女が大和型戦艦を従えている――そんな光景に艦内のあちこちから奇異の眼差しが向けられた。

 提督として艦娘の指揮を執っている者は少しずつ増えてきているが、康奈ほど若い提督はいなかった。

 

「どうも、落ち着かないわね」

「……気になさらない方が良いと思いますよ」

 

 周囲の気配を感じ取って、康奈は眉間にしわを寄せた。

 大淀がフォローしたものの、それで気にならなくなるわけもない。

 

 艦娘とは、艤装と呼ばれる依代にかつて存在した艦艇の魂――その分霊を宿し、受肉させた存在である。

 分霊を宿して受肉するためには、契約が必要となる。その契約を実行することができる者だけが、提督になれた。

 契約ができるかどうかは特別な才が必要で、訓練等でどうにかなるものではない。

 そのため、元々軍事とはまったく無縁だった提督も多い。康奈もそうした提督の一人だ。

 

「……あれがショートランドの新しい提督か」

「まだ子どもじゃないか。大本営はよく認めたな」

「仕方ないさ。提督としての才は希少だ。細かいことにどうこう言ってられる状況じゃないんだろ」

 

 彼女は元々身寄りのない孤児だった。昔のことは覚えていない。

 そんな彼女を引き取ってくれたのが、ショートランド泊地の先代提督だった。

 康奈は、彼の後を継ぐ形で提督になったのである。

 

「なんでも元は孤児だったって噂もある」

「そんな素性の知れない子どもを提督に据えて大丈夫なのか……?」

 

 康奈は耳がいい。

 普通の聴力なら聞き逃してしまいそうな声も、はっきりと聞き取れてしまう。

 

「前の提督も頼りなさそうだったが、今度のは輪をかけて頼りなさそうだな。あんな子どもに何ができるんだか」

 

 すれ違った男たちが、少し離れてからそんなことを口にした。

 

 康奈の表情がピクリと動いたのを見て、大淀・大和・武蔵が冷や汗をかいた。

 

「深海棲艦の奇襲受けたとき、迎撃部隊の戦力出し惜しみしてやられてしまったって聞いたぞ」

「なにやってんだか。提督の連中がそんなんだから、俺たち下っ端まで無茶振り喰らってひでえ目に遭ってるってのに」

「もっとまともに指揮執れる奴に提督の資質があればな……。挙句あんな年端もいかない嬢ちゃんに重責押しつけて、無能のろくでなしじゃねえか」

 

 男たちは、康奈に聞かせるつもりで言ったわけではない。

 むしろ、聞こえないように小さな声で話している。

 ただ、それでも康奈の耳には届いてしまっていた。

 

「――あっ!?」

 

 大淀たちが男たちの会話に意識を向けていた隙に、前を歩いていた康奈の姿が消えていた。

 慌てて周囲に視線を巡らす。

 

 康奈は、男たちの真後ろに立っていた。

 不平不満を口にする男たちの一人の腕を、背後から思い切り掴む。

 

「……ん?」

 

 掴まれたことに気づいた男が振り返り、すぐに顔をしかめた。

 腕を掴む康奈の力が並外れていたからだ。ぎりぎりと、腕をへし折りそうな強さで握り締める。

 

「訂正してください」

「な、なにがだ……っ!?」

「先生は無能なろくでなしではありません。……もう一度言います。訂正してください」

 

 言いながら、康奈は更に力を込めた。

 男は激痛に顔を歪ませながらも、歯を食いしばって抵抗する姿勢を見せた。

 

「な、なんでだ。お前みたいな子どもを提督に仕立てあげるなんざ、まともな大人のすることじゃねえだろ……!」

「……っ」

 

 康奈の眼差しには、怒りの炎が宿っていた。

 彼女は、自分が未熟だと自覚している。だから自分に対する悪評には耐えるつもりでいた。

 しかし、恩人である先代の提督に対する悪評に関しては許容できなかった。

 

「その言葉、私に喧嘩を売っているとみなします……!」

 

 康奈が男の腕をへし折ろうとした、まさにそのとき――周囲一帯に、パアンと大きな音が響き渡った。

 

「――どうしたんだい、随分と機嫌悪そうじゃないか」

 

 大きな音で手を叩いた糸目の男が、にこやかな表情を浮かべながら立っていた。

 その姿を見て、康奈は男の首から手を離す。

 

「……毛利さん」

 

 そこに立っていたのは、切れ者として名を馳せているトラック泊地の提督――毛利仁兵衛だった。

 海自出身でないにもかかわらず、提督として着任する前後から目覚ましい戦果をあげ続けている、ある種異様な人物だ。

 

「やあ康奈君。親しみを込めて仁兵衛さんと呼んでくれても良いんだよ」

「いえ、結構です」

「そうか。残念だ」

 

 本気で残念がっているようには見えない素振りだった。

 毛利仁兵衛。彼はトラック泊地の提督である。

 

「ともあれ、暴力沙汰は感心しないな」

「……失礼しました。申し訳ありません」

 

 康奈は男たちに向かって頭を下げた。

 仁兵衛が現れたことによって、少し冷静さを取り戻したらしい。

 

 男たちはやや気まずそうに頭を下げて、足早にその場を去っていった。

 

「さて。それじゃ落ち着いたところで、少し歩こうじゃないか」

 

 そんなことを言いながら、仁兵衛は康奈と並んで歩き出した。

 

 

 

 康奈たち以外のショートランドのメンバーは、三笠に移乗せず自分たちの母艦周辺で待機していた。

 これから三笠で行われる会議の最中、深海棲艦の襲撃がないとも限らない。

 そのときの備えとして、各拠点の母艦・艦娘たちは三笠を囲むように陣取っていた。

 

「あーあ、私も三笠で作戦会議に参加したかったなー」

「参加して、内容分かるの……?」

「むー。……分からない、かも」

 

 隣にいた早霜に指摘されて、清霜は降参のポーズを取った。

 

「でも司令官に言われたんだ。苦手なことをそのままにしてたら駄目だって。だから分からなくても参加してみたかったの!」

「分からないと意味ないんじゃない?」

「分からないということを身をもって知ることができる!」

「前向きね」

 

 特にからかう風でもなく、素直に感心した様子で早霜が頷く。

 早霜はどちらかというと控え目で慎重な性格だった。だから、妹である清霜の前向きな言動を羨ましく思っているところがある。

 

 そんな二人のところに、一人の艦娘が近づいて来た。

 

「あれ。……あれって神通さんだよね」

「ええ。でもうちの神通さんじゃないわね」

 

 神通は、かつての大戦で華の二水戦と呼ばれる精鋭部隊を率いた軽巡洋艦である。

 清霜たちのショートランドにも神通は所属しているが、今回の作戦には参加していない。

 それに、元になった艦ごとに艦娘の姿形はおおよそ決まるものの、個体によって細かい特徴は異なる。

 清霜たちからすれば、今近づいてきている神通は知り合いによく似た人といったところだ。

 

 敵意がないことを示すためか、神通は両手をあげて交戦の意思がないことを表していた。

 

「はじめまして。こちらは――ショートランド泊地の母艦で合っていますか?」

「はい。私はショートランド所属の駆逐艦清霜、こっちは姉の早霜です」

 

 ハキハキと応じる清霜と、それに合わせて頭を下げる早霜。

 軽巡洋艦は駆逐艦にとって自分たちを直接指揮することが多い艦種だ。

 所属が異なるとは言え、礼をもって接しなければならない、と教えられている。

 

「私は、横須賀第二鎮守府の秘書艦を務めている軽巡洋艦・神通です」

「横須賀――第二鎮守府、ですか?」

 

 聞き慣れない鎮守府に、清霜と早霜は首を傾げる。

 横須賀鎮守府は対深海棲艦のため最初に設立された拠点で、そこの艦隊は最強と言われていた。

 ただ、第二鎮守府というのは聞いたことがない。

 

「組織再編で設立されたばかりの新しい鎮守府です。内地の鎮守府――横須賀・呉・佐世保・舞鶴は、提督たちが対深海棲艦用の組織の運営に携わることになるので、それを補佐・支援するための戦力として第二鎮守府が設立されました。本当は今回の作戦に参加する予定ではなかったので、作戦終了後に紹介されるはずだったのですが――急遽うちは参加することになりまして。その説明と挨拶を」

「そうなんですね。お疲れ様です!」

「ありがとうございます。……貴方は元気があって良いですね。話していると晴れやかな気持ちになります」

 

 神通に褒められて、清霜は満更でもなさそうな顔で「いやー」と頭を掻いた。

 

「私たちの提督は事務手続きの影響で少し到着が遅れる見込みです。提督が着いたら改めて挨拶に伺わせていただきますね。それでは」

 

 そう言って、横須賀第二の神通は踵を返した。

 

「なんだか格好良かったね。やっぱり神通さんはどこの神通さんも神通さんって感じ」

「言いたいことが分かるような分からないような……」

 

 清霜の感想に苦笑する早霜だったが、その表情はすぐに曇った。

 

「私は正直、少し怖いと思った」

「そう?」

「悪い人ではないのかもしれないけど……なにか、底知れないものを感じた気がするの」

 

 早霜は胸を押さえながら、不安げな面持ちになっていた。

 

 この出会いは、ショートランド泊地と横須賀第二鎮守府の奇妙な縁の始まりとなる。

 しかし、遠ざかっていく神通の背を見送る二人は――まだそのことを知らない。

 

 

 

 康奈にとって、過去の記憶は朧気だ。

 知識はある。だが、それをどこで得たのかは分からない。

 地に足がついていない。ふわふわと不安定に宙を漂っている。それが康奈という存在だった。

 

『君はこれからどうしたいんだい』

 

 はっきりと思い出せる最初の記憶は、その問いかけだった。

 どう答えたのかは、しっかりと思い出せない。もしかすると答えられなかったのかもしれない。

 

 ただ、問いかけを発した男――毛利仁兵衛は、そんな康奈をある場所へと連れていった。

 そこには一人の男がいた。

 大勢の艦娘と共に、四苦八苦しながら深海棲艦と戦う、どこか頼りなさそうな男。

 

 先代のショートランド泊地提督。康奈が先生と呼ぶ男だ。

 

 彼は康奈の境遇を聞いて、こう口にした。

 

『大変だったね』

 

 何がどう大変だったのか、康奈は思い出せない。

 ただ、そう言ってもらえたことで、自分が忘れてしまった過去の自分が――少しだけ救われたような気がした。

 

『けど、もう大丈夫だ』

 

 そのとき、康奈と先生は初対面だった。

 先生がどういう人物なのか、康奈はこのときまったく分からなかった。

 ただ、もう大丈夫と言いながら頭を撫でてくれたその温かさは――今でもはっきりと覚えている。

 

「――君とは何度か顔を合わせているが、ああいう風に怒っているのは初めて見た気がするな」

 

 並んで歩く仁兵衛の軽口に、康奈は意識を現実へと引き戻した。

 もう先生はいない。ただ、仁兵衛はあの頃と変わりない姿でそこにいた。

 

「会議前なのにこんなところにいて大丈夫なのですか、情報部長」

「やめてくれ、その肩書きはとてもむず痒い」

 

 露骨に嫌そうな表情を浮かべて、仁兵衛は手を振った。

 

 AL/MI作戦で深海棲艦の急襲を許してしまったことを受けて、日本は対深海棲艦組織の在り様を見直すことにした。

 シビリアンコントロールの原則によって、組織のトップは内閣の大臣が務める。

 ただ、その下で動く実働組織は海上自衛隊ではなくなった。深海棲艦との戦いをより優位に進めていくために、艦娘・深海棲艦への理解が深いメンバーを集めて専門の組織がつくられたのである。

 

 その名を深海対策庁という。

 

 庁の活動は深海対策本部で決定される。

 本部の幹部は現時点でまだ数名しか決定していないが、その中の一人が情報部長――毛利仁兵衛だった。

 

「僕は海自上がりじゃないし、こんな重職につけられるのは本意じゃない。トラック泊地は会社としてやってるから副業扱いになるんでつけません――なんて言ったら『提督』に関する新法まで用意してきたんだよ。信じられるかい? ……まあ、ともかく公の場以外では役職名で呼ぶのは勘弁してくれないか」

「分かりました。けど、本当にこんなところにいていいんですか?」

「いいとも。やるべきことはすべてやってある。そうだな、朝潮君」

「はい。留守はウチの大和さんに任せてますので、特に問題ありません」

 

 うむうむと頷き、仁兵衛は康奈と並んで歩き出した。

 

 あまり饒舌でない康奈に対し、仁兵衛はあれやこれやと話を振る。

 内容はショートランド泊地の近況に関するものが中心だが、さほど重要性の高くないものばかりである。

 ただ、話しながらも、仁兵衛はときどき周囲に視線を転じた。

 

 ……そういうことか。

 

 康奈は仁兵衛が出向いてきた理由を悟った。

 彼は、軽んじられる可能性の高い康奈に箔をつけようとしているのだ。

 

 民間出身ながら情報部長に選出された仁兵衛は、それだけ一目置かれている。

 そんな仁兵衛がわざわざ出迎えたとなれば、康奈について表立ってとやかく言う者は少なくなるだろう。

 見方によっては『仁兵衛の腰巾着』と言われる可能性もあるが――それについては康奈自身がどうにかするしかない。

 

 ……毛利さんは、先生と親しくしていたから、気にかけてくれているのかもしれない。

 

 毛利仁兵衛は人の好悪が激しかったり、自分の才能を頼みとする傾向が強く、癖のある人物だった。

 ただ、決して他人のことを思いやれないような男ではない。気に入った相手に関しては、人一倍気を配るようなところもある。

 

「毛利さん」

「うん?」

「すみません。いろいろと気を遣っていただいて」

 

 と、礼を口にしたそのとき、三笠全体に警報音が鳴り響いた。

 船内全体が要警戒を示す赤い照明に切り替わる。

 

『東方に深海棲艦の反応あり。各自、厳戒態勢を取れ。指示があるまでは迎撃に専念せよ。繰り返す。各自、厳戒態勢を取れ。指示があるまでは迎撃に専念せよ。――』

 

 事務的なアナウンスが流れる。

 康奈が周囲を見ると、三笠に乗り込んでいるスタッフたちは皆自分の持ち場に向かって駆け出していた。

 急いではいるが、取り乱している様子はない。皆、深海棲艦との戦いを何度も経験してきている者たちばかりだった。

 

「――毛利さん!」

「こりゃあ、会議は少し後にしないとね」

 

 仁兵衛も落ち着いていた。

 先程までは朗らかに会話をしていたその顔は、既に怜悧な戦術家のものに切り替わっている。

 提督として着任してから、この男の戦術眼が曇ったことはない。世間から非難されているAL/MI作戦も、彼は反対の立場を表明していた。

 

「康奈ちゃんは自分たちの母艦に戻っておいてくれ。朝潮君、行こう」

「はい!」

 

 短く告げると、仁兵衛たちは駆け足で去っていった。

 

「大淀、大和、武蔵。私たちも急いで戻りましょう」

「ええ。現場指揮は那智さんに任せているので大丈夫だとは思いますが」

「そうね。でも、提督はこういうとき皆と一緒にいるべきでしょ」

 

 康奈の言葉に、大淀は少しだけ嬉しそうに頷いた。

 

 

 

 深海棲艦の軍勢は、さほど大規模なものではなかった。

 威力偵察が目的だと、大多数の指揮官は判断した。ショートランド泊地の那智もその一人だった。

 

「待ち受けるよりもこちらから打って出る。ただし深追いはするな」

 

 ショートランドから出てきている部隊は四つ。そのうちの二部隊に対し、那智は出撃を指示した。

 

「私たちは出なくていいのですか?」

 

 那智に尋ねたのは、姉である妙高だった。彼女も現場指揮官としての適性はあるが、この方面では那智の方が僅かに秀でている。そういう自覚を持っているから、康奈の判断に同意し、妹に指揮を任せていた。

 

「防衛には一部隊いれば十分でしょう。もう一部隊出してもいいのではないですか」

「いや、念のため自由に動ける部隊を残しておきたい。今見えている敵戦力なら二部隊で対応可能だ。だが、敵がどこかに伏兵を配しているなら、三部隊出していても危うくなるかもしれない」

「分かりました。……ふふ、いい指揮官振りですね」

 

 妙高に褒められて、那智は気恥ずかしそうに頬を掻いた。

 那智は先日のAL/MI作戦において、AL方面のショートランド泊地の指揮官の一人として奮戦している。

 そのときの采配を見込まれて今回も抜擢されたのだ。それ自体は嬉しく思っているが――身内に評価されると、どうにもくすぐったさの方が勝ってしまう。

 

「電探に反応は?」

「今のところないね」

 

 那智の問いに応えたのは、ソロモン諸島から派遣されたクルーの一人だった。

 ショートランド泊地用のレンタル母艦一隻と、搭乗するクルー数十名。

 それが、先日康奈がソロモン政府からもぎ取った支援内容だった。

 

「引き続き警戒に努めてくれ。この船の安全は保証する。周囲の敵影に集中して欲しい」

「了解!」

 

 海上は障害物もほとんどないため、伏兵など潜水艦くらいしか配置できない――というのは間違いだ。

 海は思った以上に歪んでいる。常に波が生じており、見方によっては障害物だらけと言えなくもない。

 それに、海上は平ではない。少し離れたところに兵を伏せられると、案外ギリギリまで捕捉できなかったりすることもある。

 

『那智』

 

 そのとき、通信機越しに雲龍が声をかけてきた。

 この母艦の防衛部隊の隊長代理である。隊長は大淀だが、現在康奈の護衛役として三笠に行っていた。

 

「どうした、雲龍」

『磯風と清霜が、出撃したいと言っている』

「……お前たちの部隊はこの母艦の護衛が任務だ」

『それは分かってるけど、二人が……北東が気になるって』

「北東?」

 

 現在深海棲艦たちは、南東方面から攻撃を仕掛けて来ていた。北東方面に敵影はない。

 ただ、こちらの軍勢の配置を見ると、どうも意識が南東方面に傾き過ぎという気はした。

 

「北東方面、電探に反応はないな」

 

 那智たちの会話を聞いていたクルーが、そう補足した。

 もっとも、電探も絶対ではない。敵が上手く隠れているという可能性もあった。

 

「――状況はどうなってる?」

 

 そこに、新たな声が入り込んできた。

 康奈だ。側には大淀・大和・武蔵の姿もある。

 

「提督、戻ったか」

「ええ、留守をありがとう。何か問題が起きたの?」

 

 周囲の微妙な空気を察して、康奈は那智に重ねて質問した。

 那智は簡潔に現状を説明する。敵の迎撃自体は問題なさそうだということ。そして、磯風・清霜の進言のこと。

 

「分かった。雲龍、ちょっと二人に繋いで」

『了解――』

『……もしもし、司令官?』

『戻ったか』

 

 清霜と磯風の声がした。

 

「二人とも、話は那智から聞いたわ。北東に敵がいるってこと?」

『いるかどうかは分からないけど、何か嫌な感じがするの』

『現在我々の意識は南東方面に傾いている。ここで北東から奇襲を仕掛けられるとマズい。そう思ったから進言した』

 

 直感的な清霜と、論拠を示す磯風。そういう意味では対照的な二人だが――懸念するところは一緒のようだった。

 

「……二人は、初陣のとき他のメンバーよりも早く敵の動きに対応していたわね」

「ええ。勿論偶然という可能性もありますが」

 

 康奈の問いに、大淀が答えた。

 

「那智はどう思う。戦いにおける、そういう臭いに対する鋭敏さについて」

「侮るべきではないと思う。今回に関していえば、清霜の言葉だけでは些か根拠として弱過ぎる気もするが、磯風の言っていた懸念は私も少し気になっていた」

 

 康奈は周囲を見渡したが、他に異見を唱える者はいなかった。

 

「――大淀隊は北東方面に偵察に出なさい。大淀と雲龍で索敵を行い、磯風・春雨・時津風・早霜・清霜は両者の護衛を行うこと。母艦の護衛は那智隊に交代。現在出撃中の扶桑隊・鬼怒隊は、敵を掃討後、大淀隊の援護に回りなさい」

「了解!」

『了解!』

 

 艦橋と通信機の先にいる各隊のメンバーが応じる。

 それで命令としては十分だったが、康奈は更に続けた。

 

「私にとって、大きな作戦は今回が初めてになる。まだ私のことを信頼できないという人もいると思う。こんな指揮官に任せられるのか。この戦いを乗り越えられるのか。そういう不安は、皆持っていると思う」

『――』

 

 反応はない。

 そういう懸念は、きっと誰もが持っている。

 先程三笠でいろいろ言われて弱気になっている、というのもある。ただ、康奈は元々自分にそこまで自信を持っているわけではなかった。

 

「けど、まずは今だけでいいから私を信じて欲しい。私は皆でこの局面を乗り切るために最善を尽くす。皆を信じて指示を出す。だから、皆も今だけは私を信じて欲しい。――以上ッ!」

 

 康奈が言葉を切る。

 しばらく、静寂があった。

 

『信じるも信じないもないよ』

 

 第一声を上げたのは、清霜だった。

 

『司令官を信じない人が、今この場にいるはずないもの!』

『――そうだな』

 

 磯風が同意の声を上げる。

 それに呼応するかのように、あちこちから激励の声が飛んできた。

 

 康奈への不安がないわけではない。それでも、皆信じると決めたからこの場にいる。

 清霜の言う通りだった。

 

「……参ったわね。これじゃ、余計に無様を晒すわけにはいかない」

 

 康奈は俯き、自分の頬を叩いた。

 頬を赤く腫らした指揮官は、艦橋から前を見据えて大きく手を前にかざす。

 

「ショートランド泊地――改めて、ここから出るッ!」

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