南端泊地物語―戦乱再起―   作:夕月 日暮

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最終章「海の彼方で」(第二次SN作戦編)
第十九陣「清霜の意思」


 横井飯綱という少女は、一言で言うなら天才だった。

 幼少期から様々な知識を貪欲に吸収し、小学校に入学する頃には既に高校生相応の知識を持っていたという。

 

 惜しむらくは、協調性というものがなかった。

 欲しい知識は書籍やインターネット等で収拾することができる。

 周囲の人間は、彼女の知識欲をまったく満たしてはくれなかった。

 知識以外に関心を持たなかった彼女は、自然、周囲への興味を持たず、周りに合わせて動くということをしなかった。

 

「彼らは私の欲するものを持たない。なら、相手にするのは時間の無駄です」

 

 両親は投書早熟な彼女に期待をかけていたが、学校に入れることで、娘の異常さを感じ始めたらしい。

 何度か改善を試みようとしたが、却って飯綱の反発を招くことになり、彼女が三年生になった頃、家庭は崩壊した。飯綱は施設に引き取られた。

 

 その施設は、上杉重蔵と繋がりを持っていた。

 表向きは身寄りのない子を引き取る児童養護施設だったが――内実、上杉重蔵に利をもたらす人材の育成機関でもあった。

 

 

 

 リランカ島攻略により、インド方面の深海棲艦は散り散りになった。

 敵の殲滅とまではいかなかったものの、限られた条件の中で行った遠征としては、まずまずの成功を収めたと言って良い。少なくとも、インド洋での人類側の優勢は確保できた。

 

 作戦本部はしばらくインドに滞在して今後のことを近隣諸国と相談していたが、各拠点の艦隊の大部分は戦の終了に合わせて帰還した。ショートランド艦隊もその一つである。

 

「――提督」

 

 大淀の呼びかけに、康奈は顔を上げた。

 

「どうかした?」

「……あ、いえ。なんだか、少しいつもと違う感じがしたものですから」

「変なの。私はいつもと変わらないわよ」

 

 口元を僅かに綻ばせて、康奈は再び書類に視線を転じた。

 西方遠征が終わってしばらく経つ。

 彼女が目にしているのは、横須賀第二鎮守府から届いた『交換留学終了』に関する書類だった。

 

 特に期限を設けず行っていた磯風と朝霜の交換留学を、そろそろ終わりにしたいという申し出だった。

 この件を取り仕切っていた神通は、先の遠征で命を落とした。その影響で、この交換留学に対する方針が変わったのかもしれない。

 

「大淀。最近、朝霜はどうしてる?」

「清霜と一緒にいることが多いようです。元気づけてくれてるみたいですよ」

「……清霜」

 

 その名を聞いて、康奈の表情がかすかに曇った。

 

「近頃は、あまりお会いになられてないんですか?」

「……そうね。曲直瀬先生から、命に別状はないと聞いたけど」

 

 清霜は、西方遠征で右腕を失うという重傷を負った。

 康奈が応急処置を施し、泊地に帰還後、泊地スタッフの曲直瀬医師によって本格的な治療が行われた。

 結果、一命は取り留めたが、艦娘として戦い続けることは不可能だという宣告を受けた。

 

 艤装に艦の御魂を降ろして肉体を構築するタイプの艦娘であれば、霊力さえあれば肉体の欠損も回復が可能である。

 しかし、清霜は人間の身体に艦の御魂を降ろすタイプの艦娘だった。肉体構築に霊力を使う必要はないが、失われた腕を元に戻すことはできない。

 

 利き腕なしで戦場に出ても、足手まといにしかならない。

 もはや、清霜は艦娘としてはどうにもならなかった。

 

「やっぱり、落ち込んでる?」

「ええ。見ている方も辛くなるくらい……。でも、今のままにしておくというわけにもいきませんね」

「……あの子の身の振り方、考えないと駄目ね」

 

 交換留学終了の書類を睨みながら、康奈は沈思した。

 

「大淀。清霜の件と交換留学の件、少しこっちで預からせて。一週間以内には答えを出すから」

「分かりました。お願いいたします」

 

 大淀が退室して一人になると、康奈の表情の陰りが濃くなった。

 誰もいないことを確認して、大きくため息をつく。

 

「……答えを出す、か」

 

 窓の外は、常夏の晴天かと思えるくらい明るい。

 逆に室内は、冬の夜を思わせるほど暗かった。

 

 

 

 清霜は、海を見渡せる丘の上に来ていた。

 朝霜はいない。清霜が一人になりたがっているのを察したのか、今回はついて来なかった。

 

 海に向かって手を伸ばそうとする。

 右腕を動かしているような感覚はある。

 しかし、それは感覚だけで――あるべきはずの腕は、もうなかった。

 

「清霜」

 

 声をかけてきたのは、武蔵だった。

 清霜が無言で振り返ると、武蔵は日本酒を掲げて見せた。

 

「一杯、どうだ?」

「……私、お酒はあんまり」

「まあ、そう言うな。酒は味わう以外の効能もある」

 

 言いながら、武蔵は少しだけお猪口に酒を注いで清霜に薦めてきた。

 よく見ると顔が少し赤い。どうやら武蔵自身は、既に少し飲んでいるようだった。

 

「私、多分身体は子どもです」

「だが艦娘だ。人間の法は適用されん。それは良い面も悪い面もあるが、な」

 

 武蔵が差し出したお猪口を引っ込めないので、清霜は渋々それを受け取った。

 どうすべきか逡巡したが、何かどうでも良いような気分になって、一気にそれを仰いだ。

 

 口の中に、馴染みのない味わいが広がっていく。

 それは心地よいものではなかったが、広がるにつれて身体が温まり、思考が拡散されていくような感覚に陥った。

 

「すまなかったな」

 

 武蔵は清霜の隣に腰を下ろして、静かに頭を下げた。

 

「酒のことじゃない。この前の作戦のことだ。私が変なことを言ったせいで、お前に無理をさせてしまった」

「別に、武蔵さんのせいじゃないです」

 

 酒の力か、比較的スムーズに言葉が出てきた。

 近頃は、何かを言おうとしても暗い思考が邪魔をしていた。

 

「私は、武蔵さんの言葉がなくても多分戦ってました。いつも通り全力で挑んで、それで負けたんです。私は――何もできなかった」

 

 元々勝算は低かった。

 それでも、清霜は勝つことだけを考えて戦艦水鬼との勝負に臨んだのだ。

 

 結果、右腕を失った。

 そして、一人の艦娘が命を落とすことになった。

 

「戦艦水鬼を倒した神通さん、私は何度か会ったことがあります。強い人でした。怖い人だって言う人もいたけど、私はそうは思わなかった。強くて、優しい人だと思ったんです」

「誇り高い武人だったと聞いている。それに、清霜がそう言うなら優しい人でもあったんだろう」

「私が負けたせいです。神通さんが死んだのは、私のせいなんです。……私は、何もできなかった。右腕があるかないかなんて関係ない。私は、艦娘失格です……」

 

 後半は、嗚咽混じりの言葉になった。

 悔しさと悲しさから、涙がボロボロと零れ落ちてくる。

 

「私の中にいるもう一人の子が、泣いてるんです。多分、あの神通さんは私の元になった子を知ってる。大切な――大切な誰かだったんです。何もできなかったことが、こんなに悔しいなんて、私、知らなかった」

 

 清霜の独白に、武蔵は何も言わなかった。

 ただ、泣き続ける清霜の肩を抱いて、じっと泣き終わるのを待っていた。

 

「……清霜。何もできなくて悔しかったなら、次はどうしたい?」

 

 清霜の感情が落ち着くのを待ってから、武蔵は静かに問いかけた。

 

「どうしたいって、言われても。私には、もう何も……」

「何かをしたいという意思があるなら、何かはできるはずだ」

 

 武蔵は、清霜の失われた右腕を見つめながら続ける。

 

「お前は確かに前の戦いで何もできなかったかもしれない。失ったものもある。だが、何もしなかったわけじゃない。何もできなかったことに憤りを覚えて涙を流すなら――何かをしたいという想いもあるはずだ。なら、今考えるべきは、次にどうするかということだ」

 

 ポンポンと清霜の頭を軽く叩いて、武蔵は腰を上げた。

 

「私だって、何もできないことはある。失ったものもある。それでも、もう何もしなくていいと思ったことはない。成したいという意思がある。だから私は今も戦い続けている。意地一つでな。そんなちっぽけな艦娘だよ、うちの大和型二番艦は」

 

 武蔵は後ろを振り返らず、そのまま日本酒を手にしたまま戻っていく。

 あの酒は、武蔵自身が言葉を紡ぐために必要としたのかもしれなかった。

 

 

 

 翌日、護衛任務を片付けて泊地に帰還する部隊があった。

 清霜が埠頭でぼんやりとその部隊を眺めていると、二人ほど駆け寄ってくる者がいた。

 早霜と春雨である。

 

「清霜、どうかしたの?」

「あ、ううん。なんでもない。ちょっと考え事してただけ」

「昨日からこんな感じなんだよな」

 

 側で釣り糸を垂らしていた朝霜が、不思議そうに清霜を見た。

 昨晩の武蔵との一件は、朝霜にも話していない。ただ、何かあったことは察しているようだった。

 

「護衛任務、どうだった?」

「今回は何事もなかったわ」

「深海棲艦と遭遇することもなかったよね。いつもこうなら良いんだけど」

 

 春雨は心底ホッとしたように胸を撫で下ろした。

 昨年秋の作戦では防空棲姫相手に奮闘した春雨だったが、本来は心根の優しい性分で、争いは好まない。

 早霜もその点は同様で、あまり好戦的なタイプとは言えなかった。武を重視する清霜や磯風とは対照的である。

 

「……ねえ。二人だったら、もし戦えなくなったとき、どうする?」

 

 やや緊張気味の清霜の問いかけに、早霜と春雨はきょとんとして顔を見合わせた。

 

「考えたこと、なかったわ」

「私も」

 

 早霜も春雨も、人間ベースの艦娘ではない。

 どれだけの傷を負っても、霊力を注ぎ込めば再び戦える状態まで回復することができる。

 彼女たちが戦えなくなるというのは、轟沈したときだけである。

 

「でも、他人事ではないものね。一緒に考えてみましょうか」

「うん。清霜が困ってるんだもんね」

 

 自分たちには関係ないと一蹴することなく、早霜と春雨は清霜の問いかけに対し真摯に応えようとした。

 しかし、なかなかこれといった答えが出てこない。

 朝霜も含めた三人は、清霜の問いかけに対ししばらくウンウンと唸り続けた。

 

「なにしてんの、皆して」

 

 そこに、雲龍とその肩に乗った時津風がやって来た。

 どうやら泊地内を散策していたらしい。

 

 二人にも同じ質問をしてみると、時津風は「なんだ、そんなことか」と呆れたように言った。

 

「戦えなくなっても何かしたいならさ、クルーとして頑張ってみるとか、内地のスタッフとして頑張ってみるとか、いろいろあるじゃん」

「あっ」

 

 清霜たちにとって、それは盲点だった。

 つい艦娘であることを前提に考えてしまうから、戦えなくなったという不足分をどうにかして埋めようという方に思考が傾いていたのである。

 

「直接戦う力のない人たちにも、私たちは普段たくさん助けてもらってる。そっちに目を向けるのも良いかもしれないわ」

「そうそう。戦い方なんて人それぞれだよ。艦娘が戦いに専念できるよう尽力するのだって、立派な戦い方の一つなわけだし」

 

 雲龍と時津風の言葉に、皆が「おお」と感嘆の声を漏らした。

 改めて埠頭を見ると、護衛任務の報酬である食料等を運び込んでいる人々の姿が目に入る。

 彼らのような存在がいるからこそ、艦娘は深海棲艦との戦いに集中できるのだった。

 

「ま、合う合わないはあるだろうけどね。視点を変えてみればいろいろ選択肢はあるってことだよ」

「そもそも、私たちは深海棲艦を倒すためにいるわけではないものね」

「え、違うの?」

 

 雲龍に対して時津風以外の面々が不思議そうな顔を向けた。

 艦娘は、現状深海棲艦に対抗できる唯一の戦力である。

 艦娘といえば「対深海棲艦用の存在」と見るのが自然だった。

 

 しかし、雲龍は頭を振る。

 

「極端な話、襲ってこない深海棲艦とは戦う必要はないでしょう。私たちが深海棲艦と戦うのは、あくまで海上での人々の安全を確保するため。ただの手段に過ぎない。だから、戦いを支援するってだけじゃなくて、誰かのためになるってことなら――それも一つの戦いだと思うわ」

 

 清霜たちは、今まで一本の道しか見えていなかった。

 しかし、少し立ち止まって周りを見てみると、道はいくらでもあった。

 

 問題は、自分がどの道を行きたいかである。

 

「ありがとう。皆のおかげでいろいろ見えてきた気がする」

「役に立てたなら良かったわ。この前は、清霜に無理をさせてしまったから」

「あ、ごめんね。気にしてたんだ……」

 

 雲龍は先日の戦いのことを気にしていたらしい。

 特に彼女がミスをしたわけではない。清霜が戦艦水鬼と戦ったとき、雲龍は十分な支援をしていた。

 

「雲龍はあのときちゃんとしてたよ。こうなったのは私の問題だから、気にするのは私だけで良いって」

「そう言ってもらえると、少し気が楽になるわ」

 

 雲龍はそう言って表情を和らげる。

 仲間のこういう表情を久々に見たことに、清霜は今更ながら気づいた。

 

 

 

 それから清霜は、泊地の中を歩き回った。

 普段あまり出歩かないような場所にも足を運び、働く人々や艦娘たちの姿を見ていった。

 

 最後に訪れたのが、工廠である。

 

「あれ、清霜じゃない。惜しかったわね」

 

 やって来た清霜の顔を見るなり、工廠勤めの工作艦・明石はそんなことを言った。

 

「惜しかった? なにがですか?」

「さっきまで提督が来てたのよ。ちょうど入れ違いになっちゃったのね」

「司令官が? そういえば、最近ちゃんと会ってなかったな……」

 

 康奈のおかげで一命を取り留めたということは朝霜から聞いている。

 しかし、意識が戻ってからは誰とも会いたくなかった。

 だから、康奈のところにも顔を出していない。康奈も忙しいのか、清霜のところには顔を出さなかった。

 

「あとでお礼言いに行かなきゃ」

「だな。かなり心配してたぜ」

「朝霜もありがとね。お礼言うの遅くなっちゃったけど」

「よせよせ。照れるだろ」

 

 鼻っ柱を擦りながら、朝霜は視線を明後日の方向に逸らした。

 

「それで、どうかしたの?」

「実は――」

 

 訪れた理由を説明すると、明石は「なるほど」と手を打った。

 

「いやー、もし清霜が工廠来てくれるならお姉さん嬉しいわ。ここにいるのはむさくるしいオジサンと物好きの技術部、あと気まぐれな妖精さんばっかりだから!」

「聞こえてるぞ明石ー!」

「おぬしも大概物好きな方であろうがー!」

 

 後方から野次が飛ぶ。

 それらをスルーしつつ、明石は嬉しそうに工廠の設備を案内した。

 

 明石は大分噛み砕いて説明をしたのだが、清霜と朝霜は聞き慣れない言葉が飛び出す度にハテナマークを頭上に浮かべ続けることになった。

 

 どうも向いていないらしい。

 申し訳なさそうに清霜がそう告げると、明石はからからと笑って手を振った。

 

「いやまー途中からなんとなく察してはいたけどね!」

「いろいろ案内してくれたのに、なんかゴメンナサイ……」

「気にするな清霜。明石、途中から分かってて言いたいことだけ言ってた節があるぞ」

「あ、バレてた?」

 

 朝霜の指摘に明石は小さく舌を出した。

 

「けど、最初からあれこれ理解できるなんてことはないから。今全然分からないからって、適性なしかどうかは分からないわよ。少しでも興味があるならいつでもウェルカムだからね」

「ありがとうございます。……でも、多分足引っ張っちゃうから」

「最初は誰だって足手まといよ。気にしない気にしない」

 

 明石はそう言って清霜の頭をわしゃわしゃと撫で回した。

 

「清霜、良い言葉を教えてあげる。『一人で出来ないことは協力して事に当たれ』」

「……それ、誰かの言葉ですか?」

「ええ。私が一番尊敬してる人の言葉」

 

 そう話す明石は、ほんの少しだけ寂しそうな表情を浮かべた。

 

「清霜は今とても大変なものに向き合おうとしてる。今後どうするかは自分で決めて行かなきゃいけない。でも、どういう道を選んだとしても、一人でやっていかなきゃいけないわけじゃない。それを忘れないでね」

「一人でやっていくわけじゃ……ない?」

「ええ。清霜が工廠スタッフになろうとクルーになろうと内勤になろうと、一人になるわけじゃない。誰かがいる。できないことがあれば頼っていい。その代わり、相手ができなさそうなことがあったら助けてあげて。それができれば、きっと上手くいくはずだから」

 

 言われて、清霜は今日一日のことを振り返った。

 今日だけで、随分といろいろな人にアドバイスをしてもらった。

 清霜が戦力になるからではない。清霜が清霜だからというだけの理由で、時間を割いて、付き合ってくれた。

 

「……明石さんの言ってること、少し分かる気がします」

「そう。ならば良し!」

 

 うんうんと満足そうに頷いて、明石は仕事に戻っていった。

 

 明石は工作艦という性質上、戦場に出ることは滅多にない。

 戦う力を失った清霜の境遇について、思うところがあったのかもしれない。

 

「……朝霜」

「ん?」

「私って、もしかして凄く周りの人に恵まれてるのかもしれないね」

「……」

「朝霜?」

 

 清霜が押し黙った朝霜の方を見ると、彼女は顔を真っ赤にしていた。

 

「お前、よく恥ずかしげもなくそんな台詞が出てくるな……」

「え、駄目?」

「いや、いいよ。お前はそのままでいい」

 

 根負けしたかのようにひらひらと手を振る朝霜。

 

 そんな彼女の帰還が決まったのは、それから間もなくのことだった。

 

 

 

「私も……横須賀第二鎮守府に?」

 

 朝霜と一緒に執務室へ呼び出された清霜は、康奈から意外な提案を持ち出されて、戸惑いの声を上げた。

 

「ええ。先方から、差し支えなければ朝霜と一緒に横須賀第二鎮守府へ来ないかと誘いがあったわ」

「……それは、転属ってこと?」

 

 自分の置かれている状況に不安を覚えながら、清霜は康奈に問いかける。

 康奈は静かに頭を振った。

 

「そういう話は聞いていないわね。朝霜の見送りという理解で良いと思う」

「なら、私は良いけど……でも、なんか急だなあ」

「……」

 

 康奈は朝霜をじっと見た。

 その眼差しに込められた意図に気づいて、朝霜はばつが悪そうな表情を浮かべる。

 

「清霜。あれから、なにか思い出した?」

「思い出したって言うと……昔のこと?」

「ええ。なんでもいい。ハッキリしたことでなくても」

 

 康奈の問いに、清霜は腕を組んでここ最近の出来事を思い返した。

 

「……どことなくだけど、横須賀第二の神通さんのことは、昔から知ってるような気がした」

「そう」

 

 康奈は目を伏せて押し黙った。

 何を言うべきか、言葉をまとめているように見える。

 

「良い機会だと思うから、あっちの提督と話をしてきなさい。彼女は、あなたにとって大事な人だから」

「司令官は、なにか知ってるの?」

「ええ。確認はしていないけど、おそらく間違いないと思っている。けど、それは私から言うことじゃない」

 

 いつになく突き放したような言い方のように聞こえて、清霜は気後れした。

 しばらく顔を合わせていなかったからか、康奈が以前とは少し違って見えたのだ。

 

「司令官、なにかあった?」

「……特になにもないわよ。ああ、ごめん。少し冷たい感じになっちゃったかもしれない。ちょっと、疲れてるのかもしれないわね」

 

 そう言って康奈は自嘲気味に表情を崩した。

 やはり、以前とは少し違って見える。しかし、その違いが何なのか清霜にはよく分からなかった。

 

「朝霜。あなたが来てくれて良かったと思ってる。清霜と仲良くしてくれて、本当にありがとう」

「……別に、気にしなくていいよ。それより、司令官は……」

 

 そこまで言いかけたとき、朝霜と康奈の目が合った。

 康奈の双眸からは、何か言い知れぬものを感じる。

 

「……いや、なんでもない。こっちこそ、お世話になりました」

「またいつでも遊びに来なさい。清霜だけじゃない。泊地の皆で歓迎するから」

 

 ささやかな笑みを浮かべる康奈。

 だが、朝霜にはその言葉がどこか他人事のように聞こえた。

 

 

 

 ソロモン諸島を出立した清霜たちは、海路を北上して真っ直ぐに本土へと向かった。

 トラック泊地まではショートランド艦隊が、そこからしばらくはトラック泊地の艦娘が護衛につき、道半ばのポイントで横須賀第二鎮守府の艦娘と交代する。

 

 交代ポイントで、清霜たちは磯風に会った。

 入れ違いでこれからショートランドに向かうらしい。

 

「磯風、うちの司令官の調子はどうだ?」

 

 軽く挨拶を済ませると、朝霜はそう尋ねた。

 片腕であり長年の友人でもあった神通の死が、何か良くない影響を及ぼしているのではないか。

 そんな懸念を持っていった朝霜だったが、磯風は頭を振った。

 

「直接会う機会はあまりなかったから、はっきりしたことは言えんが……そこまで変わった様子はなさそうだった」

「そうか。……まあ、それくらいで気落ちするような人じゃねえか」

 

 失望混じりの溜息をこぼす朝霜に、磯風は「どうだろうな」と疑問を呈した。

 

「本当は気落ちしているのかもしれない。内心深く傷ついているが、それをおくびにも出さないだけなのかもしれない。私は長尾提督の人柄は最後まで掴めなかったが……あの神通殿が友とする人だ。何も感じないような人物ではないと、そう思いたいところだな」

 

 次いで、磯風は清霜を見た。

 失われた右腕と、久々に見る顔。

 

「……どうやら、立ち止まっているというわけではなさそうだな」

「うん。皆のおかげでね」

「そうか。お前が泊地に戻ってきたら、いろいろ話そう。積もる話もある」

 

 ショートランドに向かう磯風を見送りながら、清霜は口元を綻ばせた。

 

「磯風、なんか前よりカッコ良くなったな」

「そうか?」

「うん。前はもうちょっと怖いところがあったけど、それがなくなってスッキリしたような気がする。きっと神通さんのところで、良い経験ができたんだろうな」

 

 どこか、羨ましそうな響きがこもった言葉だった。

 

 

 

 横須賀第二鎮守府に到着した二人は、まっすぐ執務室に向かうよう指示された。

 

 鎮守府というだけあって、ショートランド泊地やトラック泊地とは設備の充実度が段違いである。

 廊下の窓から見える光景から、歴然とした差を感じて、清霜はどことなく理不尽なものを感じた。

 

「うちもこれくらいあればなあ」

「贅沢言っても仕方ないだろ。それに、ここは首都に近いこともあっていろいろ面倒も抱えてるんだぞ。あたしからしてみれば、ショートランドの方がずっと良いぜ」

「こらこら。あんまりここで文句言っちゃ駄目だぞー。バレないところでしなさい」

 

 二人の先を行く川内が、朝霜に釘を刺した。

 神通亡き今、智美の補佐は彼女が担当しているらしい。

 

「いいじゃないっすか。今日はスタッフの姿も見当たらないし」

 

 朝霜の言う通り、この日、横須賀第二鎮守府に人の姿は見当たらなかった。

 不平不満を口にしたところで、それを咎めるような者はいないのである。

 

「ま、それはそうなんだけどね……」

 

 どことなく歯切れの悪い川内に案内されて、二人は執務室に通された。

 

「駆逐艦朝霜、帰還しました」

「――ああ。よく帰ったな、朝霜」

 

 智美は、書類に目を通しているところだったらしい。

 朝霜と清霜にちらりと視線を向けたが、すぐに書類へと戻してしまった。

 

「日次で行っていた分があるから、細々とした報告はいらん。総括報告書を明日までに提出しろ」

「了解しました」

 

 口頭報告を終えて、朝霜は冷や汗を垂らした。

 磯風の言う通り、特に変わった様子は見受けられない。

 普段と同じ、傲岸不遜でおっかない女傑である。

 

「それと、ショートランドの清霜。よく来たな。お前には少し聞きたいことがある」

 

 そこで智美は手を止めて、再び視線を上げた。

 清霜の腕を見て、微かに顔をしかめる。

 怒っているようにも、痛ましく思っているようにも見えた。

 

「その腕は、痛むか」

「いえ、大丈夫です。うちの司令官と医務室の先生が、きちんと対応してくれたので」

「……そうか」

 

 大きく息を吐いて、智美は改めて清霜に向き合った。

 

「ショートランドの清霜。私はお前が人間ベースの艦娘であることは知っている。昔のことを思い出せずにいるということもな。……それは、今も変わらないか」

「はい。はっきりしたことは、まだ。ただ、こちらの神通さんのことは……知っていたような、そんな気がしています」

「そうか」

 

 智美は小さく頷いた。

 小声で何か呟いているようだったが、その内容は清霜たちのところには届かなかった。

 

「あの、長尾司令官は神通さんの昔のことを知ってるんですか?」

「なぜ、そう思う?」

「なんとなく……としか言いようはないですけど。でも、そんな気がして」

 

 清霜は、長尾智美とあまり接点を持たなかった。

 だから彼女のことなど、ほとんど知らないはずなのだ。

 神通とだって、そう何度も会っていたわけではない。

 

 しかし、心の中で何か特別なものを感じていた。

 ただの他人ではないと、清霜の中の誰かが訴えかけているようだった。

 

「もし、何か知ってるなら……よければ、教えてくれませんか」

「……一つ、私の質問に答えてくれれば教えよう」

 

 智美は書類から手を離して立ち上がった。

 

「お前は、これからどうするつもりだ? 腕を失い、戦うこともできず、この先どうしていくつもりだ?」

 

 なぜ智美がそんな問いかけをしてくるのか、清霜には分からなかった。

 しかし、どう答えればいいかは分かっていた。

 

「もちろん、戦い続けます。どうやってかはまだ決められてないですけど――皆と一緒に、これからも戦っていきます!」

 

 一人では、答えることはできなかっただろう。

 泊地の皆がいてくれたから出せた答えだった。

 

「――そうか」

 

 智美はゆっくりと清霜の前にやって来て、腰を少し落とした。

 目線の高さを清霜に合わせて、肩に手を置く。

 

「……ああ。こうして見るとはっきり分かる。本当にお前なんだな」

「え?」

「強くなったな、静。だが――その強さは、もういらない」

 

 そのとき、清霜は首筋に何かが刺さったような感触を覚えた。

 チクリとした痛みと、脳を揺さぶられるような気持ち悪さが襲い掛かってくる。

 

「な、に……を……?」

 

 視界が歪んでいく。

 見えるのは智美の顔だけだ。

 それも、酷く歪んでいて、はっきりと見えない。

 

 安堵しているようにも、泣いているようにも、怒っているようにも見える。

 

 そのまま――清霜の意識は深い闇へと落ちていった。

 

 

 

「……司令官、なにしてんだよ!?」

 

 智美の突然の行動に、朝霜が食ってかかろうとする。

 しかし、その動きは側にいた川内によって防がれた。

 

 腕を後ろに取られ、完全に動きを封じられてしまう。

 

「悪いけど、静かにしてて。大丈夫、その子に危害は加えないから」

「そりゃ、そうだろうよ……大事な妹なんだからな。だけど、なんでっ!」

「戦うと言ったからだ」

 

 意識を失った清霜を抱きかかえながら、智美は静かに告げた。

 

「非難は甘んじて受け入れよう。だが、私はこれ以上失いたくはない。どんな手段を使っても、守るべきものは守り通す」

「そのためなら、清霜の意思なんかどうでもいいってのか!?」

「説得するさ。それでも折れないなら、妥協点を見つけてもいい。だが今は駄目だ。こんな状態で、次の作戦に出すわけにはいかない。絶対に……絶対にだ!」

 

 誰にともなく苛立ちをぶつけるように吐き捨てると、智美はそのまま部屋を出て行った。

 

 智美が出て行くと、川内は「悪いね」と言ってすぐに朝霜を解放した。

 

「なんだよ、あれ」

「提督も必死なんだろう。実際、生半可な状態で次の作戦に臨むのは命取りになりかねない。少なくとも、ショートランドの提督にあの子の身柄を任せる気にはなれないんだと思う」

「……次の作戦ってなんだよ。そんなにヤバいのか?」

「少し前に大本営から通達があってね。サモア方面に、現在深海棲艦の軍勢が集結しつつある。その規模は、かつてのAL/MI作戦のものを上回る規模らしい」

 

 サモアは、南太平洋に位置する島国である。

 

 もっとも近い拠点は――ショートランド泊地だった。


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