南端泊地物語―戦乱再起―   作:夕月 日暮

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第二十一陣「彼女たちの為したいこと」

 横井飯綱に友人はいなかった。

 

 施設に入る前も入った後も、周囲の人々が見ていたのは彼女が持つ才だけだった。

 世俗の人間はその才を恐れ、施設の人々はそれを尊重した。

 接し方は異なるが、どちらも彼女の才だけを見ていたという点では共通している。

 彼女の人間性に気を払う者は、誰一人としていなかった。

 

 彼女が小学校を卒業する頃、施設の方からある提案がなされた。

 

「最近問題になっている深海棲艦を知っているかい?」

「現在、奴らへの対策を講じるためのプロジェクトの話が持ち上がっている」

「国家主導で進められるプロジェクトだが、うちの方からも人員を派遣することになった」

「相談したんだが、我々としては君を推したい」

「――どうかね?」

 

 飯綱は何の気負いもなく「行きましょう」と答えた。

 知らないことを知る。それ以外に望みはなかった。

 新規事業の立ち上げに携わるのであれば、いろいろと発見も多いことだろう。

 そんな、軽い気持ちだった。

 

 予想と違っていたのは、とある施設のリーダーに推されたことだった。

 その施設で、飯綱は再び異端になった。他のスタッフは、極めて優秀ではあったものの――施設のメンバーほどの異才の持ち主ではなかった。

 

 所長と部下という関係だったので、才の違いは以前ほど問題にはならなかった。

 スタッフは、若きリーダーに敬意を払っていたからだ。

 

 ただ、飯綱は苦悩した。

 自分ならできるということをスタッフに頼んでも、思うように進まないことが多々あった。

 スタッフ同士のいざこざも発生した。

 ごく一部ではあるが、飯綱に従おうとしない厄介なスタッフもいた。

 

「無理言わないでください。我々だって一生懸命やってますが、できないものはできないですよ」

「所長、あの人どうにかなりませんか。仕事にならないでしょ、あんなんじゃ」

「私には私のやり方があるので。気に喰わないなら外してもらっても構いません」

 

 円滑にプロジェクトを進めるため、飯綱は『人間』というものに初めて真剣に向き合う必要に迫られた。

 

 ……これはノイズだ。

 

 知的欲求を求める過程で生じた雑音。

 人間模様をそのように定義した飯綱は、しかしそれを放置しておける立場でもなくなっていたため、一人頭を抱えることが増えた。

 

 このとき、もし彼女に頼れる存在や親しい友がいれば、相談に乗ってやることもできただろう。

 しかし、彼女は以前と変わらず――どこまでも孤独なままだった。

 

「――どうかしたの?」

 

 飯綱がその少女に出会ったのは、ただの偶然だった。

 

 その少女は、研究施設に集められた被験者の一人だった。

 飯綱の研究施設は、人間を対深海棲艦用の兵器――艦娘に作り替えることを大目標としている。

 そのため、施設には適性があると見込まれた全国の少女たちが集められていた。

 

 その少女の名は、上杉静という。

 施設の出資者である上杉重蔵の娘でありながら、被験者として差し出された子だった。

 

「……なに?」

「お姉さん、ずっと壁に向かってブツブツ何か言ってるみたいだったから。どうかしたのかと思って」

 

 二人が出会ったのは、研究員と被験者双方が出入りする区画の一部だった。

 被験者は自分たちを道具のように扱う研究員を忌み嫌っている。

 そのため、両者の接触が最小限で済ませられるよう区画が分けられていた。

 ここは、数少ない例外の一つだった。

 

「もしかして、試験で何かあったのかなって。……大丈夫?」

 

 このとき、静は飯綱のことを被験者と勘違いしていた。

 研究員は素性が割れないよう、被験者の前に出るときは仰々しいマスクをつけることになっていた。

 しかし、飯綱はそういうことに頓着しておらず、このときも素顔を晒していた。

 

「なんでもないわ。少し困ったことがあっただけ」

「そうなんだ。良かったら聞いてあげようか?」

「なぜ?」

 

 上杉静に飯綱の悩みを解消できる能力はない。

 そういう認識から出た疑問符だったが、静はその点について気にしていないようだった。

 

 問われた静は、ほんのわずかな寂しさを滲ませながら、

 

「――ここでは、頼れる人が少ないから。だから、初めて会った人でも、困ってたら力になってあげたいって思ったんだ」

 

 父親に見捨てられ、人体実験が行われるような恐ろしい場所に送られた少女は、そう言って笑みを作ってみせた。

 

「私はね。姉様が二人いるからずっと良い方だと思う。だからその分、他の誰かに頼られるようになりたい。少しでも支えになりたいんだ。……だから、もし良かったら!」

 

 静は自分の胸を力強く叩いた。

 

 結局のところ、上杉静と交わした言葉は飯綱の悩みを解消するのに全く役立たなかったが――その間だけ、飯綱は孤独を忘れることができた。

 その後も何度か二人が言葉を交わす機会はあったが、飯綱にとって上杉静は、最後までそういう存在だった。

 

 

 

 康奈は慎重だった。

 

 近場の島まで小型艇で移動し、そこからは生身でこの敵拠点に乗り込んだ。

 見つかれば一巻の終わりだったが、思いの外上手くいったと言える。

 

 この場所について、康奈は既に知っていた。

 知っていたが、その情報は少し前のものだ。

 現在どういう風になっているか、島の外縁部から少しずつ中心に迫っていく形で調査を進めた。

 

 ……あの頃と変わってない。

 

 この地を一言で表すなら「巨大なバックアップ装置」である。

 

 艦娘人造計画を含め、国は――大本営は表沙汰にできないような研究を複数行っていた。

 研究は基本的に人の手が入り難い離島で行われたが、深海棲艦の襲撃等で退去せざるを得ない状況に陥ることも考えられた。

 そこで、万一の事態に備えて、各研究施設を巡回しながらデータのバックアップを行うものを作り上げた。それがこの大型船――通称『研究島』と呼ばれるものである。

 

 おおよその調査を終えると、康奈はすぐさまある場所に向かった。

 島の中枢――ではなく、どちらかというと外れの方にある小さな建物である。

 

 この研究島は、データ以外にも様々なモノを保存していた。

 

 例えば――試験薬を投与されたまま凍結された艦娘人造計画の被験者。

 

「……いた」

 

 建物は地上部こそこじんまりとしているが、地下が広くなっている。

 地下には大量のコールドスリープ装置があった。中には、艦娘人造計画の被験者たちが収められている。

 

「試験薬を投与したけど安定化が難しく、鎮静剤を打って眠らせた者。施設廃棄に伴い研究のことを外部に漏らさないよう半ば口封じで凍結された者――理由はいろいろだけど」

 

 周囲に深海棲艦の姿がないことを確認してから、康奈は装置の管理端末を起動させた。

 電源は今も通っているらしい。昔のままなら他の設備との連携はされていないから、気づかれる恐れもないはずだ。

 

「クリア。クリア、クリア――クリア。アラートなし。すべて閾値以内に収まっている……皆、生きている!」

 

 収納されていた被験者たちの状態を確認し終えて、康奈は安堵の息を吐いた。

 

 思わず腰が抜けそうになったが、どうにか堪えて重要なログを一通り確認する。

 どうも、深海棲艦はこの辺りのシステムを放置していたらしい。

 さほど興味がわかなかったのか、使い方が分からなかったのか、システム自体起動したのは久々のようだった。

 

 念のため外部との通信が発生していないかキャプチャを取ったが、それもない。

 この棟に何者かが潜んでいないのであれば、システムの起動は気づかれていないと見てよさそうだった。

 

「なら、早く済ませないと」

 

 康奈はすばやくコンソール画面を動かして、コールド状態の解除に踏み切った。

 さすがに解凍した途端暴れ出すような被験者はそのままにするしかないが、施設側の都合だけで冷凍された者はすべて解凍する。

 

 康奈が危険を冒して研究島に潜入した理由の一つが、この被験者たちの救出だった。

 

「しかし、こんな装置があるなんて知ったら世間はビックリするでしょうね……。これは確か高階の研究だったかしら」

 

 物体の保存について研究していた女子のことを思い出して、康奈は頭を振った。

 今は、往時を懐かしむときではない。

 

「……ここは……」

 

 徐々に、解凍された被験者たちが目を覚まし始めた。

 康奈は管理端末から彼女たちの情報を拾うと、一人一人に声をかけていく。

 

 そのうちの一人、銀髪のショートカット姿の子を前にしたとき、康奈は僅かに逡巡した。

 

「……貴方は、上田羽美さんね?」

「え――ええと、はい。おそらく。今は、改白露型一番艦の……海風ですが」

 

 海風は、康奈を警戒している様子だった。

 否、彼女に限った話ではない。

 目を覚ました被験者たち――艦娘となった彼女たちは、皆、素性のしれない康奈に訝しげな眼差しを向けている。

 

「皆、一通り目を覚ましたみたいね」

 

 最後のメンバーに声をかけ終えてから、康奈は目覚めた艦娘たちを前にして、静かに告げた。

 

「ここは敵地。貴方たちは今、深海棲艦の拠点の中にいる」

 

 康奈の宣告に、艦娘たちは皆動揺した。

 強制的に集められ、被験者として散々な扱いを受け、目覚めてみればこの有様。動揺するのも無理はなかった。

 

「ど、どういうことですか」

「なんでそんなことになってるの?」

「っていうか、アンタは誰だ?」

 

 不安が広がり、ざわざわと声が増していく。

 そんな艦娘たちに対して、康奈は「静粛に」と短く告げた。

 大音声というわけでもないが、その言葉には妙な迫力があった。

 ざわめきは、意外なほどあっさりと静まった。

 

「私は深海棲艦と戦う者です。今は、そうとしか言いようがありません」

 

 その答えに納得したのか、艦娘たちから疑問の声は上がらなかった。

 康奈は頷き、言葉を続ける。

 

「これから貴方たちには、ここを脱出してもらいます。今から手順を教えるので、その通りにしてください。その後どうするかは――貴方たちの自由です」

 

 それは、IZUNAが深海棲艦の死体を発見する少し前のことだった。

 

 

 

 清霜が通されたのは、横須賀鎮守府から少し離れたところにある吹雪の私邸だった。

 

「吹雪さん、自分のお家持ってるんですか」

「持ち家じゃないよ。借りてるだけ。それに越してきてそんなに経ってないんだ」

 

 ほのかに生活の香りが漂っているが、どことなく小綺麗すぎるところもあった。

 まだ馴染み切っているというほどではない。

 

「今、私外に出向中なんだ。鎮守府からでも通える距離なんだけど、鎮守府の業務に携わることがほとんどないから、心機一転する意味で外に出てみろって司令官が」

「出向?」

「うん。……以前、トラック泊地の毛利提督に『もっと多くの場所に行って多くのことを学べ』って言われたんだ。艦娘としてやるべきことをやるだけじゃなくて、他の道も探ってみろって。それからいろいろ考えて、司令官と相談して決めたんだよ」

 

 もっとも、いざ上の方に話を通そうとしたとき、トラック泊地防衛戦で横須賀の三浦提督が処分を受けたので、その話は立ち消えになりかけた。

 

「けど、少し前にこの話を長尾提督が拾ってくれたんだ」

「姉……長尾提督が?」

「うん。司令官からの引継ぎのときに話は聞いていたらしいんだけど、私を外せるような状況じゃなかったから先送りにしてたんだって」

 

 智美は横須賀鎮守府の指揮権を預かる形になったが、基本的に内部への介入は一切行わなかったらしい。

 三浦に気を遣ったというわけではなく、単純に横須賀のことは横須賀に任せるのが一番だと判断しての措置だったが、おかげで横須賀鎮守府は大きな混乱を起こすことなく、今も以前と同じように動き続けていた。

 

 ただ、そういう方針である以上、三浦に次いで横須賀鎮守府の内部を把握している吹雪の存在は外せなかった。

 最近になって、吹雪抜きでも動けるようになったことから、出向の件が実現したのである。

 

「でも、良かったんですか? それだと長尾提督を出し抜くっていうのは……」

「確かに少し気が引けたけど、やっぱり監禁とかそういうのは良くないと思うから。それに、長尾提督からも『お前たちはお前たちの裁量で動け』って言われてるし」

 

 しれっとそんなことを口にする辺りに、最強の艦隊の代表格を務めてきた風格が滲み出ていた。

 横須賀鎮守府も今は難しい立場になっているが、したたかに逞しく動いている。

 

「まあ、それはともかく。ここには横須賀鎮守府の皆も滅多に来ないから、自分の家だと思って過ごしてくれて良いよ」

 

 そう言って吹雪は清霜を席に着かせると、冷蔵庫からお茶を出して入れてくれた。

 

「あの――大規模作戦のこと、教えてくれませんか」

 

 お茶をいただいて一息ついたところで、清霜はずっと頭の中で気になっていたことを尋ねた。

 近々行われるという大規模な作戦。それに参加するための艦隊に紛れて帰ることになると上田は言っていた。

 眼前の吹雪自身、今回の件を「清霜にとって他人事ではない」と言ったのだ。

 

「もしかして、ショートランドが危ないとか……」

「うん。隠してても仕方ないから言うけど、もう小競り合いは始まってるみたい」

 

 今はそこまで大事になっていないが、どうも敵の軍勢がショートランド東方にあるサモア島に集まりつつあるらしい。

 大本営はそれを踏まえて深海対策庁としてサモア島を確保するよう命令を出したそうだが、それについて作戦本部が疑義を呈している状態なのだという。

 

「作戦本部の浮田・長尾両提督はAL/MI海域の失敗を懸念してるらしいの。確保しても維持が難しい場所に大軍を派遣する。その隙を突かれて、以前相当な痛手を受けたから。今、その辺りの調整を進めているみたいなんだけど」

「……それに時間がかかりそうなんですか?」

「そう聞いてる。もちろん、その間手をこまねいているわけにもいかないから、横須賀・横須賀第二からある程度先発隊を送るって話だけど」

「その先発隊の艦隊に、乗れますか」

 

 身を乗り出す清霜を宥めながら、吹雪は「ちょっとリスクはあるよ」と説明した。

 

「先発隊は横須賀艦隊の『三笠』じゃなくて、横須賀第二の母艦で行くことになる。両鎮守府の合同部隊になるし、指揮を執るのは横須賀第二の艦娘だって聞いてる。本隊の『三笠』ならうちの方で匿えるけど……」

 

 もし潜り込んだところを見つかれば、再び横須賀第二に強制送還させられる恐れがあった。

 

「本隊の出発もそこまで長引くとは思わないし、そっちを待ってからの方が良いんじゃないかな」

 

 以前の清霜であれば、吹雪の提案を断って早々に帰る道を選んでいただろう。

 清霜は、己の右腕を見た。そこには今、何もない。

 今急いで戻ったとしても、何の役に立てるのか、分からなかった。

 

 ……私は。

 

 そのとき、吹雪の家のチャイムが鳴った。

 ワンルームの小さな家だ。玄関もすぐそこにある。

 

「なんだろう。宅配便かな。ちょっと待っててね」

 

 用心のためか、吹雪は声を出さず扉まで近づくと、覗き窓から外の様子を窺った。

 清霜も用心のため部屋の隅に移動する。

 

「えっと、清霜ちゃん」

 

 外を見て、吹雪は戸惑った様子を見せた。

 吹雪に手招きされて、清霜も扉に近づき、そこから外の様子を確認する。

 

 そこにいたのは、配達員でもなければ近所の住民でもなかった。

 

「……ちっ。いねーのか? いるはずなんだけどな」

 

 横須賀第二鎮守府の朝霜が、たった一人、堂々と扉の前で立っていた。

 

 

 

 部屋の中は緊張感で溢れかえっている。

 普段は吹雪が使っている小さなテーブルで、清霜と朝霜が向かい合って座っている。

 そんな二人の様子を、サイドから吹雪が窺っていた。

 

「そんなに警戒しなくても、他の奴は連れて来ちゃいねえよ」

「……なぜ、ここが分かったの? 尾行はされてなかったけど」

「いやいや、実はこっそりつけてたんだよ」

「ううん。尾行はなかった。だから、あなたがここに来れた理由はハッキリさせておきたい」

 

 吹雪の言葉の端々に、静かな圧があった。

 朝霜もさすがに「おっかねえな」と冷や汗を垂らす。

 

「元々あたいは神通さんからコイツの護衛を頼まれてた。そのために神通さんは、清霜の位置がいつでも確認できるような仕掛けを用意してたんだ。具体的な方法は言えないけど、その方法が使えるのは今現在あたしだけのはずだぜ」

「方法は、言えませんか」

「あたしが一人でここに来た。それで『他の奴は知らない』って証明にはならんかね」

「確かに、今のところ他の艦娘の気配はありませんね」

 

 朝霜が来てから、吹雪は神経を尖らせている。

 周囲に他の艦娘が隠れていないか警戒しているのだ。

 

「朝霜は、なんでここに来たの? 護衛の任務は――もう終わったんでしょ?」

「厳密には終わってないけどな。あたいに命令を出したのは神通さんだ。うちの司令は知らない。……いつが終わりなのかは、もうあたいが自分で決めるしかない」

 

 朝霜はほんの少しだけ痛ましげな表情を浮かべた。

 ショートランドで一緒にいる間、朝霜はよく横須賀第二の愚痴をこぼしていた。

 ただ、神通についての悪口はどことなく避けようとしていた節がある。

 

「なあ、清霜。お前は、本当にショートランドに戻るつもりなのか。戻るにしても、今すぐじゃないと駄目なのか」

 

 逆に朝霜から問われ、清霜は口をつぐんだ。

 戻りたいという思いはある。しかし、戻ったところで何ができるのかという迷いもあった。

 

「あそこは確かに悪い場所じゃない。戦えなくなったとしても、お前があそこに戻りたいって言うならあたいは止めない。けど、今は時期が悪い。もう聞いてるんだろ、次の作戦のこと」

「うん。聞いたよ、うちが今大変なことになってるのは」

「なら、終わってからでも良いんじゃないか。何も考えずただ突っ走るのは、良くないと思うぞ」

 

 朝霜は、清霜を連れ戻しに来た。

 ただ、横須賀第二の――智美の意図を汲んでの行動ではない。

 ショートランドで共に過ごした姉妹艦として、友人として清霜を想って止めに来たのだ。

 

「……ありがとう。心配かけちゃったかな」

「バッ、別に心配とかしてねーよ! ただお前が無茶してくたばったら、あっちにいる神通さんがキレるだろうが! あたいはそれが嫌なだけだ!」

 

 反射的に清霜の言葉を否定しにかかる朝霜を見て、吹雪が思わず笑みをこぼした。

 清霜もつられて笑ってしまう。

 朝霜は、居心地の悪さを咳払いで誤魔化した。

 

「フン。……それで、どうするつもりなんだ? ハッキリ言っておくが、納得いく答えがもらえなかったらあたいはお前を連れて帰るぞ。例え横須賀のが相手でもな」

「……まあ、そうだね。そこは私もちゃんと聞いておきたいかな」

 

 凄味を利かせる朝霜をやんわりといなしながら、吹雪も清霜をまっすぐに見据えた。

 

「清霜ちゃん。あなたがショートランドに戻りたいのは分かった。けど、いつ戻る? 戻って――どうする?」

 

 二人の視線を受けて、清霜は静かに瞼を閉じた。

 浮かんでくるのは、ショートランドで過ごした日々。

 それ以前の記憶を持たない清霜にとって、ショートランド泊地は故郷も同然だった。

 

「――ショートランドは、私にとって家なんだ。あそこにいる皆は、家族なんだよ」

 

 夕雲型の姉妹艦たち。

 同期の仲間たち。

 一緒に戦った多くの艦娘。

 それを支えてくれるスタッフ。

 そして――康奈。

 

「皆が辛い状況にあるなら、私もそれを分かち合いたい。私はこんな状態だし、向こうの戦況も正確には分かってないから、役に立てるかどうかは分からない。でも、何も知らず遠くの場所で呑気に過ごしてることなんかできない。……そういう答えじゃ、駄目?」

 

 先行きの見通しが立っているわけではない。

 無謀と言えば無謀な話だ。

 理に適った意見とは言い難い。

 

 それは清霜自身にも分かっていたが、今はそう言うしかなかった。

 

「……家族か」

 

 朝霜が、頭を掻きながら大きく息を吐く。

 

「あたいは――横須賀第二に着任する前、ある離島にいた」

 

 元々朝霜は、離島に暮らす老人と契約を結んでいた艦娘だった。

 老人の中にあった提督としての資質が、偶発的に目覚め、たまたま呼びだされた。そういう縁だった。

 

 その老人の家は広かった。

 かつては子どもたちや孫も一緒に暮らしていたが、深海棲艦を恐れて内地に避難したらしい。

 残っているのは、老人とその妻だけだった。

 

 二人は朝霜が艦娘だということを理解しつつ、どこか孫娘のようにも扱った。

 艦として第二の生を受け、深海棲艦を倒すことに集中していた朝霜は、二人のそういう接し方に戸惑った。

 

「けど、居心地は悪くなかった」

 

 あるとき、老夫婦の子どもたちが島に来ることになった。

 迎えに行ってやって欲しい、と頼まれた。

 ここは良いのかと朝霜は尋ねたが、老夫婦は「構わない」と答えた。

 

 なら大丈夫だろうと迎えに行って――その間に、離島は深海棲艦の手で滅ぼされた。

 

 戻ったとき、既に老夫婦の姿はどこにもなかったが、契約をしていた朝霜は、老人との繋がりが静かに消えていくのを確かに感じていた。

 

「離島を襲った深海棲艦は結構な数だった。おそらくあたい一人で残ってても結果は同じだったはずだ。……そう自分に言い聞かせてたんだが、どうにもずっと納得できないものがあった」

「……朝霜は、島に残っていれば、と思ってるの?」

「だろうな。無駄死にしてたとは思うが、それでも一緒にいてやりたかった。……ああ、お前の言葉を借りるなら『分かち合いたかった』ってことなんだろう」

 

 そこまで話し終えると、朝霜は席を立った。

 

「……あーあ。なんつーか、迷いながら来るもんじゃなかったな。ああ、まったく性に合わないったらないぜ」

「朝霜――」

「心配すんな。もう止めないよ」

 

 朝霜は苦笑しながら手を差し伸べる。

 

「理屈だけで考えるなら止めるべきなんだろうが、そういう気分じゃなくなった。また同じ後悔するのも嫌だしな」

 

 一緒にいてやりたい相手がいる。その清霜の気持ちを否定することは、朝霜にはできなかった。

 そして、それ以上に――そういう相手を一人危険な場所に向かわせるのは耐え難い。

 

「付き合ってやるさ、最後まで。――護衛任務、続行だ」

 

 

 

 ソロモン諸島を取り巻く状況は悪化の一途を辿っている。

 敵は本格的な大攻勢こそ仕掛けてこないものの、新十郎たちが設けた防衛ラインを突破しようと絶えず攻撃を繰り返している。

 

 前線で戦う艦娘たちの疲労は確実に蓄積されつつあった。

 ソロモン政府は一時的に首都を西方に移すことを検討しており、住民の避難も少しずつ行われ始めている。

 

「春雨と雲龍が中破。しばらく戦線復帰は難しいそうだ」

 

 前線基地で、磯風が新十郎の被害状況を報告する。

 艦娘の被害は拡大しつつあり、艤装修理のための手が回らなくなりつつある。

 艤装だけではない。艦娘自身の疲労も無視できない状況になっていた。

 

「北部では長良隊も半壊状態だ。幸い引き際は見誤ってないから犠牲は出てないが――このままだとジリ貧だな」

「司令代理。いっそ攻めに回るのはどうだ?」

「やりたいのは山々なんだがな。とてもじゃないが数が足りない。防御を捨てるなら、周辺住民の避難が済んでからだ」

「やはり厳しいか」

 

 磯風も戦況は把握しているので、自分の意見はすぐに引っ込めた。

 兎にも角にも数が足りない。ブイン・ラバウルも応援を寄越してくれているが、敵軍の規模には遠く及ばなかった。

 

 こうして話している間にも、新たな損害報告が届く。

 赤城・加賀たちが率いる精鋭空母部隊にも損害が出始めていた。

 

 練度は申し分ないが、空母や戦艦は数が少ない。

 水雷戦隊はローテーションを組ませてなるべく休ませるようにしているが、空母・戦艦組はそういうわけにもいかなかった。

 そのせいか、部隊の動きが少しずつ鈍くなってきている。身体的な疲労だけでなく、精神的疲弊も無視できなかった。

 

「状況を変える一手を打ちたいところだが――」

「提督代理!」

 

 そこに、血相を変えて涼風が飛び込んできた。

 

「どうした涼風。被害が出たのか?」

「いや、違う。漂流者だ。艦娘の漂流者がいたんだよ!」

「なに?」

「どうも、敵拠点から脱出してきたみたいなんです」

 

 涼風の後を追ってきた五月雨が補足した。

 

「敵拠点から脱出……そいつらは捕まっていたのか。深海棲艦たちに」

「はい。なんでも――ある女性に助け出されて、こっちに向かうよう言われたって」

 

 新十郎と磯風は揃って息を呑んだ。

 深海棲艦の拠点に乗り込んで、囚われていた艦娘たちを助け出す女性。

 二人の脳裏には、康奈の顔が浮かんでいた。

 

「五月雨・涼風、すぐその艦娘たちを連れて来てくれ」

「もしかすると」

 

 新十郎は包帯だらけの顔で東方の空を見上げた。

 

「もしかすると――この状況を変えるキーになるかもしれないな」


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