南端泊地物語―戦乱再起―   作:夕月 日暮

23 / 29
第二十二陣「南端の戦地へ」

 どういうキッカケで検査することになったのか、記録には残されていない。

 ただ、あるとき横井飯綱は艦娘適性検査を受けて、極めて高い数値を叩きだした。

 

 この結果を受けて、飯綱の研究施設は相当の議論を重ねたらしい。

 否、研究施設だけではない。

 彼女の支援者である上杉家や関連企業からも様々な意見が出た。

 

 艦娘化は危険が伴う。安全に艦娘化するためのプロセスは確立されていない。

 実験の過程で命を落とす者もいるし、精神に異常をきたす者、記憶を失う者もいる。

 飯綱を被験者にするということは、彼女の極めて優秀な頭脳を失う恐れがあるということだった。

 

『慎重に判断すべきだ。艦娘適性が高い子は他にもいる』

『しかし、ここまで高いとなると――。これまでは控えていた高難易度の検証にも耐え得る可能性があるのですよ』

『研究の発展には最適なサンプルと言える。だが、これまで艦娘研究に深くかかわってきた彼女の頭脳も替えが利くものではない』

 

 そう言った周囲の懊悩を見聞きしながら、飯綱は静かに準備を進めていた。

 要は、実験に必要な飯綱の身体と研究を主導するための飯綱の頭脳を分けることができれば良いのだ。

 

「――私の思考を再現可能な人工知能を用意しました」

 

 自ら思考し成長していく人工知能。

 実用化されたものではないが、元々飯綱がいた施設の一人が開発した代物だった。

 そこに飯綱は自身の思考パターンや知識を叩き込んだ。

 もし自分がすべてを失っても、研究を主導するための頭脳を失わないようにするためだ。

 

「これがあれば、仮に私が命を落としたとしても研究が頓挫することはないでしょう」

 

 飯綱の発案に、彼女の周囲で働いていた研究員はさすがに戸惑ったが、上層部は狂喜した。

 選び難い二者択一が解消され、艦娘人造計画が発展する可能性が高まったのだ。

 

「所長は、どうかしてるんじゃないですか」

 

 人工知能の件を公表した直後、飯綱に面と向かってそう言ってきた研究員がいた。

 

「貴方の頭脳は残るかもしれませんが、それは貴方ではない。今ここにいる貴方は間違いなく無事では済みませんよ。計画の被験者がどれほど惨い目に遭っているかは、他でもない我々が一番よく分かっているはずだ。貴方は自らそこに飛び込もうとしている。貴方の立場なら、そこから逃れることだってできたはずなのに」

 

 そのとき飯綱の脳裏に浮かんでいたのは、上杉静のことだった。

 他の名もなき被験者たちのことまでは、正直考えていなかった。

 ただ、僅かな接点を持ったあの純粋そうな少女を死なせたくないと思った。

 

「なぜ、貴方はわざわざあんなものを用意してまで被験者になろうとしたんです? 被験者たちへの罪悪感からですか? だとしたら貴方はズルい人だ。我々にもっと重いものを背負わせようとしている」

 

 研究員の言葉は悲鳴に近いものだった。

 彼らとて好き好んでこんな研究に手を出しているわけではない。

 深海棲艦の脅威から国を――身近な人々を守るための手段を得るため、悲痛な思いで研究に携わっている。

 

 飯綱の行動は、彼らにとっては裏切りとも取れるものだった。

 自身は良心の呵責との戦いから逃げ、研究員たちにはこれまで以上の苦しみを与える。そういう行為に映ったのである。

 

「気にする必要はないわ。私は計画がもっともスマートに進展するであろう方法を選んだに過ぎない。私の行動に貴方たちが後悔することはない。苦しむことはない」

 

 飯綱はこのとき、初めて本当の意味で研究員たちと向き合ったとも言える。

 

「他の誰が認めずとも私は貴方たちの働きを評価します。だから頼みます。一刻も早くこの計画を成就させてください」

 

 飯綱が被験者となったことで、これまで実施が躊躇われていた検証が行われるようになり、その結果艦娘人造計画は大きく発展していくことになった。

 

 ただ、この後も当該研究施設の所長は『横井飯綱』のままとされ、これまで通りの体制が続いているように扱われた。

 非人道的行為を含む研究を人工知能が主導している。そんなSFじみた話を上層部はあまり表沙汰にしたくなかったのだ。

 

 こうして、自らを犠牲にして計画の発展に貢献した少女は『横井飯綱』ではなくなり、名もなき誰かになった。

 

 やがて少女の身体は研究に耐え切れなくなり限界を迎える。

 だが、その在り様を不憫に思った研究員たちの手で、彼女は命を落とす寸前のところで凍結された。

 

 その後程なく施設は諸事情により放棄され、少女は取り残される。

 

 そして少女は、ある縁により再び目覚め、奇跡的な回復を果たし――南端の泊地へと流れ着いた。

 

 

 

 雨が降り続けている。

 智美の眼前にある墓石には、大量の雨粒が容赦なく叩きつけられていた。

 

『上杉家之墓』

 

 そう刻まれた墓石の脇には、故人の名前が刻まれた墓誌がある。

 

 上杉景華。

 上杉光。

 上杉静。

 

 砂利を踏む音がした。振り返らなくとも、智美には誰が来たのか分かっていた。

 

「趣味の悪いことだ。こんな場所に呼びつけるとは」

「故人の話をするなら、ここが最適だろう。上杉景華にも聞かせてやらねばならんからな」

 

 智美は吐き捨てるように言いながら振り返った。

 そこに立っていたのは、厳めしい顔つきの大柄な壮年の男性だった。

 昔からこの男はいつもこんな表情を浮かべていった。笑ったところなど見たことがない。

 

「口の利き方を忘れたか」

「年上だからという理由だけで敬意を払う性質ではないのでな。貴様の社会的地位も私が畏れ敬うようなものではない」

「父親に対する口の利き方ではないと言っているのだ。景華よ」

「景華? 上杉景華はこの墓の下だ。私は長尾智美。横須賀第二鎮守府の提督にして、深海対策庁作戦本部の情報部長だ。貴様とは縁も所縁もない赤の他人だよ」

 

 己のスタンスを明確にした智美に対し、男性は深いため息をついた。

 心底見下すような、呆れ果てたような――そんな眼差しを智美に向ける。

 

「昔からお前はそうだった。己の納得のいかないことに行き当たると不貞腐れて周囲に強情を張る。そんな態度が何を生み出すというのだ、愚か者めが」

「強情だけで生き延びてきたものでな。こいつは今後も捨てるつもりはない」

 

 智美の態度には、ありありと敵意が現れている。

 国家のためという理由で自分たちを捨てた男が目の前にいる。

 できることなら、今すぐ飛び掛かって喉笛を食いちぎってやりたいくらいだった。

 

「無駄話はこれくらいで良いだろう。そちらも暇などないはずだ。こちらも暇ではない。用件を言わせてもらおう。――大本営を動かしたのは貴様だな?」

 

 少し前、大本営から作戦本部に対して人事異動命令が出た。

 対象は長尾智美。異動先は大本営だった。

 

「私に異動の内示があった。今のこの状況で私を外そうとする人間は殆ど思い当たらない。私はあくまで対深海棲艦でのし上がってきた身だ。通常の国家公務員試験など受かっていない。無理筋なんだよこの話は。そんなことが可能で、する理由のある人間は貴様以外思い浮かばない。……どうだ、答えろ上杉重蔵」

 

 智美の問いかけに、重蔵はあっさりと首肯した。

 

「そうだな。私が掛け合った」

「今すぐ撤回させろ。これから大規模な作戦が始まる。今このタイミングで私が外れるのは死活問題だ!」

 

 智美は横須賀第二鎮守府の提督というだけでなく、横須賀鎮守府の提督権限の代行者でもある。加えて、各拠点の連携を取る際の中心となる作戦本部の重要ポストにもついていた。

 作戦開始直前のタイミングで智美が抜けることになれば、現場は間違いなく混乱する。

 

 しかし、重蔵は頭を振った。

 

「死活問題と言うほどではない。確かに多少の混乱は生じるだろうが、貴様の後任はきちんと考えてある。大本営とも協議済みだ」

「後任だと? そんなものを務められる奴が――」

「貴様は自惚れ過ぎだ」

 

 重蔵の短い叱責に、智美は息を呑んだ。

 

「お前は優秀だ。それは認めてやろう。だからこそ私は大本営に推挙したのだ。国のためにだ。身内だからという贔屓によるものではない」

「だろうな。貴様が身内に贔屓するような性質なら、貴様の娘たちはあんな目に遭わなかったろうよ」

「だが、現状のお前の代わりなら各地の提督たちでも十分可能だ。現場指揮官・情報本部長としてのお前は、何においても代え難い人材というわけではない」

「言ってくれる。なぜ貴様にそんなことが――」

「ずっと見ていたからだ。お前のことも、他の提督たちのことも」

 

 重蔵の言葉に、智美は微かな悪寒を覚えた。

 そんな彼女の異変に気づいているのかいないのか、重蔵は淡々と続ける。

 

「私にとって最優先は国家の存続だ。そのため国防の要となる提督・艦娘という存在には常に目を光らせている。当然、貴様が最初に提督として活動し始めた当初から、その動向は把握していた。死んだと思っていた娘が思いがけない形で姿を見せたことに、最初は驚いたがな」

「……貴様は、随分と前からこっちの動向を掴んでいたようだな」

「そうだ。だから推挙した。お前の資質は十分知っていたから、このまま野放しにしておくのではなく、国家で管理できる場所に置いておいた方が良いだろうと判断した」

「推挙、か」

 

 薄々感じてはいた。

 素性も定かではない野良の提督だった智美は、あるとき大本営に立場を認められ、突如横須賀第二鎮守府の提督として任じられた。

 元々はぐれの艦娘等を集めてある程度の組織を作っていたから、その点を評価されたのだと思っていた。

 だが、実際は違っていた。裏で重蔵が動いていたからだったのだ。

 

「すると何か? 私が提督としての立場を保証されたのも、情報本部長まで上り詰めたのも、すべては貴様の根回しによるものだったと。こういうことか」

「お前の働きを私が認めたからだ。今回の大本営への推挙も同じこと」

 

 智美は歯を食いしばって重蔵を睨み据えた。

 

「それはフォローのつもりか? 要するに私は、すべて貴様の掌で滑稽に踊っていただけということだろうが! そんなことで、私は――私や咲良、光たちは……ッ!」

 

 今にも智美が重蔵に掴みかかろうとしたとき、智美のポケットからけたたましい音が鳴り響いた。

 緊急のアラームだ。苛立ちを抑えながら携帯を見ると、作戦本部からのメールが届いている。

 

『エス泊地より緊急連絡』

 

 そう題されたメールには、機密情報にアクセスするためのURLが掲載されている。

 いくつかの認証を経由して開いたファイルには、智美が驚愕する情報が載っていた。

 

『ソロモン諸島に侵攻している敵旗艦は人語を解する姫クラスと推定。会話ログによると、この深海棲艦は艦娘を捕食した結果進化を遂げた存在とのこと』

 

 どういう手段で得たのかは不明だが、その深海棲艦の映像データも届いていたらしい。

 それを目にした智美は、わなわなと口元を震わせた。

 

 ……知っている。私はこの顔を知っている……ッ!

 

 あの日、艦娘となった妹は、智美の眼前で深海棲艦に捕食された。

 映像データに映し出されている深海棲艦は、そのときの妹の姿に瓜二つだった。

 

 衝撃が収まりきらない中、更にもう一通のメールが届いた。

 差出人は不明。フリーのアドレスから送信されたものらしい。

 

 捨て置こうかと思った智美だったが、件名を見て指を止めた。

 

『ショートランドの清霜より』

 

 本文は、短くこう書かれていた。

 

『また来ます。今度はきちんとお話しできると嬉しいです』

 

 智美は、目を閉じた。

 

 これまで積み重ねてきたもの。

 目の前にいる復讐相手。

 守りたくて、失ってしまったもの。

 

 いろいろなものが胸中に去来する。

 

 目を開けたとき、智美は己がどうすべきか決断を下していた。

 

「上杉重蔵。私は貴様がどう動こうと今回の作戦には参加する。内示は蹴る。後でどんな処罰が下ろうともな」

 

 携帯を閉じた智美は、そう短く告げると、重蔵のことを見ないまま一目散に駆け出した。

 

 重蔵は呼び止めず、去っていく娘だった者の背を見送った。

 

 

 

「――お前は追わなくて良いのか?」

「すぐに追いつくよ」

 

 重蔵に問われたのは、近くの墓石の影に潜んでいた川内である。

 彼女は智美の護衛として、常に側に控えていた。

 

「才覚があるから推挙する、か」

「何か言いたいのかね」

「いや。その言葉に嘘はないんだろうと思うよ。例え血を分けた子どもでも、無能なら切り捨てる。多分貴方はそういう人なんだろうね」

 

 ただ、と川内は付け加えた。

 

「このタイミングで大本営に転属させようってのは、これ以上危険な目に遭わせたくないという親心を感じるけどね」

「……貴重な才覚が前線で失われるのは惜しい。それだけだ」

 

 重蔵はそう言って、上杉家之墓の隣にある墓石――川内が隠れていた墓を見た。

 そこの墓誌には、咲良、という名が刻まれている。

 

 言葉はない。

 ただ、重蔵は黙祷した。

 

 再び目を開いたとき、そこに川内の姿はなかった。

 雨に濡れた墓石が、二つ並んでいるだけだった。

 

 

 

「横須賀艦隊が急遽出撃したらしい。こちらに最大船速で向かっているそうだ」

 

 磯風の報告を受けて新十郎は頷いた。

 彼の目の前には、敵の拠点――研究島から脱出してきた艦娘たちがいた。

 

「改めて礼を言う。疲れはもう癒えたかな」

「ええ。その――ありがとうございます。助けていただいて」

 

 艦娘たちを代表して、銀髪の少女――海風が頭を下げた。

 

「礼を言うとしたら、君たちを助けたという例の女性だな。自分たちは大したことはしちゃいないさ」

 

 海風たちを助けた女性は十中八九康奈に違いない、と新十郎たちは判断していた。

 彼女は海風たちに脱出する算段を伝え、敵艦隊に関するいくらかのデータを与えると、再び敵基地の中に消えていったという。

 

 危険極まりない敵地の中に、今も康奈は一人残っているのだ。

 

「その女性は我々にとって大事な人なんだ。疲れているところをすまないが、改めて敵拠点について聞かせてくれないか。……なにがなんでも助けに行きたい」

 

 磯風が言うと、海風たちは快く頷いた。

 

「はい、それは是非。あの人は私たちにとっても恩人ですから」

 

 戦況は苦しいままだったが、ショートランド泊地のメンバーは康奈を連れ戻すという方針を既に決めていた。

 タイミングや方法は慎重に練っていく必要がある。しかし、放置しておこうという者は一人もいなかった。

 

 康奈の提督権限は新十郎に委譲されている。

 それでも、ショートランドの艦娘たちにとって、提督は未だ康奈のままだった。

 

「とは言え、これはかなり厳しい条件だな」

 

 海風たちからヒアリングを終えて、新十郎はしかめっ面を浮かべた。

 敵軍はかなり広域に展開している。これを避けて敵拠点に接近するのは容易ではない。

 海風たちが脱出してきたルートは、まさに針の穴を通るようなか細いものだった。

 

「海風たちは夜間かつ少人数だったから脱出できたと言えそうだな」

「それに敵も当然動くでしょうから、いつまでもこのルートが使えるとは限らないですよね」

 

 磯風と春雨は、険しい表情で海図を見た。

 

「潜水艦で潜入を試みる……というのは駄目かしら」

 

 早霜の提案に、新十郎は頭を振った。

 

「潜水艦は数が少ない上に敵の偵察や攪乱で手が一杯だ。今も大分無理してもらって、どうにか戦線を支えてもらっている状態でな」

「となると、なるべく高速移動できる少数精鋭の部隊を送り込むしかありませんね」

「ああ。できれば急造の部隊ではなく、ある程度連携の取れている部隊が望ましい」

 

 大淀に頷きながら、新十郎は瞼を閉じた。

 現在の戦況はかなり際どい均衡状態と言える。

 一歩判断を間違えれば、取り返しのつかないことになりかねなかった。

 

「司令官代理。我々では駄目だろうか」

 

 悩む新十郎に、磯風が名乗りを上げた。

 

「大淀隊はこの一年でいろいろな戦いに参加した。それなりの練度には達していると思う」

 

 大淀・春雨・早霜・時津風・雲龍も頷いた。

 大淀以外のメンバーは、皆康奈が提督になって初めて迎えた艦娘たちだ。

 この一年間、彼女たちは康奈と共に歩みを重ねてきた、特に親しいメンバーでもある。

 

「私は、司令官を助けたいです……!」

「私も同じ意見よ。私たちは、司令官がいたからここまで来れた」

 

 春雨と早霜が磯風に賛同の意を示す。

 一方、時津風・雲龍・大淀は慎重だった。

 

「あたしも司令は助けたいけど、少数で突入するのはリスクが高過ぎると思うな」

 

 時津風が口を開いた。

 先程から、皆の意見を聞くばかりでずっと黙っていたが、彼女は彼女なりに現状を分析していたのである。

 

「単独で潜入するってことは、なにか生き残る算段があるってことじゃないのかな。そういう意味で、司令を信じてみるのも良いと思うけど」

「どちらにしてもリスクはある。……私は、潜入部隊を送る方が高リスクだと思うわ」

 

 雲龍が時津風の意見を補足する。

 磯風たちも、時津風と雲龍の意見を否定はしなかった。

 

「大淀はどう思っている?」

 

 新十郎は、酷な質問と知りながら大淀に問いかけた。

 彼女は、康奈の側に一番長くいた艦娘だ。

 いつも康奈のことを気に欠けていた。実の姉妹のような関係だったと言っても良い。

 

 しかし、大淀はこういうことに私情を差し挟む艦娘ではなかった。

 

「――私は、少数精鋭部隊を送り込むということに賛成できません。提督を救う方法は他にもあるはずです。他の手段も検討すべきです」

 

 隊長格である大淀の言葉は、他のメンバー以上の重さを持つ。

 それに、感情を押し殺して慎重論を唱える大淀になにかを言える者はいなかった。

 

「……再度状況の確認だ」

 

 新十郎は集められた情報を整理し直す。

 大淀や磯風たちも、必死になってそれを手伝った。

 

 打開策が見つからず、全員の顔に諦観の念が表れ始めた頃、通信機が鳴った。

 

「はい。こちらショートランド提督代理、北条新十郎」

『おお、包帯のあんちゃんか。話には聞いてたが、マジで代理やってるんだな』

「……誰だ、お前さん?」

『なんだ、つれねぇな。面識あるだろうが。横須賀第二の朝霜だよ』

 

 新十郎はそれを聞いて、すぐさま通信機をスピーカーモードに切り替えた。

 

「朝霜。今お前さんはどの辺りにいる? 少し前に言ってた横須賀第二の先発隊か」

『ああ。今はトラック泊地まで来てるぜ。じきにそっちの戦線に合流できる』

 

 戦力増加は現状なによりもありがたい知らせだった。

 大々的に動くには本土から来るであろう本隊を待たねばならないが、戦線の維持は大分楽になる。

 

「朝霜、ショートランドの磯風だ。つかぬことを聞くが、清霜の行方は分かるか?」

『清霜? あ、ああ……そっちではどういう扱いになってんだ?』

「横須賀第二鎮守府に問い合わせても、そっちに戻ったはずだ、の一点張りだったぞ」

「トラック泊地に問い合わせても、うちには戻って来てない、としか言われないし……」

 

 早霜が不安そうに胸を抑えた。

 

『……んー。そうだな、ここまで来たなら傍受されても良いだろ。……ちょっと待ってろ』

 

 そう言って、朝霜は通信機の向こうで誰かを呼んだ。

 誰かが通信機のところに駆け寄ってきたのか、朝霜となにか言葉を交わしているのが聞こえてくる。

 

 それは、大淀隊にとって聞き慣れた声だった。

 

「清霜……!」

 

 磯風たちの呼びかけに、通信機の向こうから応じる声があった。

 

『皆、大丈夫。私はここにいるよ!』

 

 

 

 トラック泊地を出立した横須賀第二鎮守府の先発隊は、ショートランド泊地ではなく、ソロモン諸島東部の前線基地に直行した。

 トラック泊地の艦隊も何割かが同行してきている。

 

 清霜は、横須賀第二鎮守府の母艦から人目をはばかるように出てきた。

 一応、密航という扱いなのである。

 

「清霜、おかえりなさい」

 

 そんな清霜をいの一番に取り囲んだのは大淀隊のメンバーだった。

 姉妹艦の早霜は、まっすぐに清霜に駆け寄って力いっぱい妹を抱き締める。

 

「心配したのよ、もう」

「ごめんね。こっちもいろいろあって」

 

 しばしの抱擁を終えると、清霜は大淀隊の後ろに控えていた新十郎に目を向けた。

 

「司令官代理。話は朝霜から聞きました」

「ああ。悪いな、出迎えが自分で」

「いえ……。それより、司令官を早く助けないとですね!」

 

 気合十分といった様子の清霜に、大淀が心配そうな表情を浮かべた。

 

「清霜。貴方は無理をしては駄目よ」

「それは……分かってるけど。でも、なにかできることがあるなら!」

「気合十分だな」

 

 磯風が苦笑すると、清霜の後ろにいた朝霜が肩を竦めた。

 

「こっちに来るまでずっとこんな調子だ。お守り大変だったんだぜ」

「お疲れ様だったな、朝霜」

「改めて、ありがとう。ここまで清霜を連れてきてくれて」

 

 早霜に手を握られて、朝霜は照れ臭そうに頬を掻いた。

 

「礼を言われるようなことはしちゃいねぇよ。それよかどうすんだ、司令代理殿。本隊が来るまではアンタの指示に従えと言われてるんだぞ」

「基本は戦線維持の方針だ。全体の戦略については後程司令室で主要メンバーを集めて話す」

 

 新十郎は近くに他の人がいないことを確認すると、大淀隊と朝霜にだけ聞こえるような声で続けた。

 

「ここからはここだけの話だ。……しばらく考えてみたが、やはり少数精鋭部隊を突入させる以外に康奈を助け出す方法は思い浮かばない。こっちが敵軍を撃破するまで康奈が生き延びるのを祈るだけってことになる」

「それは……」

 

 不服そうな顔の清霜を制するように、新十郎はニヤリと笑った。

 

「だから、少数精鋭部隊を送り込む。それを大淀隊に任せたい」

「……リスクの件は?」

 

 時津風の問いに答えるため、新十郎は地面に簡素な図を描いた。

 

「海風たちが脱出してきたルートが甘いのは確認済みだ。だが確実にここを通れるかは微妙だ。だから、こちらからこのルート付近の敵に対して攻勢を仕掛ける」

「敵陣を崩すということですか。それで隙を作ると……?」

「軽く敵を挑発して引き付ける。その隙にお前たちは潜入を決行するんだ。リスクゼロにはならないが、大分マシにはなるだろう」

 

 か細い道筋を、こちらからアクションを起こすことで広げる。

 もし上手くいけば、敵に発見される危険性は格段に低くなるだろう。

 

「……分かったよ。そこまで考えてあるならあたしも反対しない」

「私も時津風も、提督を助けたいって思いは同じだから。私も、異論はない」

 

 時津風と雲龍が賛意を示す。

 残すは隊長格である大淀だけだった。

 

「私としても異論はありません」

 

 ただ、と大淀は釘をさすように清霜を見た。

 

「危険な敵地への潜入任務です。清霜は連れて行けません」

「それは……」

 

 仕方ない。

 その場にいる誰もが、そう思った。

 

 清霜自身、十分に戦えない状態では、あまり無理を言えないと理解している。

 ただ、自分一人が残されるのは、身を切られるような思いだった。

 

「――どうしても行きたいなら、手はあるわよ」

 

 と、そこに新たな影が一つ。

 ショートランドの工作艦・明石だった。

 

「明石さん?」

「明石? どうして貴方が……」

 

 不思議そうに明石を見る清霜・大淀に対し、新十郎は「ほう」と笑みを浮かべた。

 

「明石。もしかして間に合ったのか」

「ええ。提督にもらったデータを元に、必死こいて間に合わせましたよ」

 

 そう言って、明石は手にしていた何かを清霜の前に差し出した。

 

 それは、銀色に輝く人の腕。

 

「重傷を負った人造艦娘用に作られた義体――その試作品第一弾。<アガートラーム>です!」

「アガートラーム……」

 

 まじまじと差し出された銀の腕を見つめながら、清霜はその名を口にした。

 

「これは……」

「清霜がどうしても戦いに行きたいと言い出したときに必要かもしれない――そう言って提督が開発用のデータをくれたんですよ」

 

 明石から銀の腕を受け取る。

 冷たい金属製の腕だったが、清霜はそこに不思議な温かさを感じた。

 

「どうする、清霜。急造品だ。十分な検証をしている時間はないが」

 

 新十郎に問われた清霜は、迷うことなく力いっぱい応えた。

 

「行きます。――司令官を迎えにッ!」


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。