南端泊地物語―戦乱再起―   作:夕月 日暮

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第二十三陣「提督・北条康奈の罪と罰」

 アガートラームと名付けられたその義手は、清霜の意のままに動いてくれた。

 ただし、動かすたびに霊力を消費する。霊力は力の源泉だ。無闇に多用してはいけない、と明石は言った。

 

「艤装の一種みたいなものだから、普通の腕と同じような感覚で動かしたらガス欠起こすわよ」

「うん、分かった」

 

 一通り動かしてみたが、清霜はこの新しい腕に何の不満も抱かなかった。

 元より失われたものだ。多少の制限があろうと、ないよりはずっと良い。

 

「準備はできたか」

 

 出立の準備を終えた頃、清霜たち大淀隊のところへ新十郎がやって来た。

 何人かの艦娘も一緒である。その中には武蔵の姿もあった。

 

「武蔵さん!」

「戻ってきて早々に出撃とは、忙しないな。清霜」

 

 どことなく呆れが混じった笑みを浮かべて、武蔵は清霜の頭をわしゃわしゃと撫でた。

 

「行くのか」

「うん。司令官を迎えに行かなきゃ」

「結局、お前は戦うことを選んだんだな」

 

 清霜の銀色の腕を見つめながら、武蔵は感情を出さずに言った。

 戦いに行くことを良いとも悪いとも言わない。ただ、清霜の決断を尊重しているのだ。

 

「多分、これがなかったとしても私は戦うことを選んでたと思う」

「それは無茶だ」

「戦場に出るのはね。でも、それ以外の戦い方もある。少なくとも、諦めて投げ出すようなことはしないよ」

 

 こう思えるようになったのは、あの日武蔵にかけてもらった言葉があったからだ。

 清霜がそのことを伝えると、武蔵は少しだけはにかんだ。

 

「戦艦の定義はいろいろある。その中でも私が特に大事だと思っているのは『不屈』であることだ」

「不屈?」

「決して諦めず、戦場において最後まで戦い抜く在り様を見せつけることだ。それができたからこそ、かつての戦いで戦艦は艦隊の中心であり続けた。主砲が届かず、装甲が打ち破られようともな」

 

 武蔵はしゃがみこみ、そっと拳を清霜の胸元にあてた。

 

「お前はもう立派な『戦艦』だ。行ってこい、提督を迎えに」

 

 清霜は、戦艦になりたかった。

 それは憧れによるものだけではない。小柄な駆逐艦故に、助けられなかった命があったからだ。

 その過去は変わらない。ただ、既に清霜はそこに囚われていなかった。

 

 清霜は一歩引いて、自らの拳を武蔵の拳にあてた。

 

「行ってきます」

「戻って来いよ」

「もちろん」

 

 それは、戦友同士の挨拶だった。

 

 

 

「楽観視はできんが、あいつは別に自棄になって敵地に乗り込んだわけじゃない。見込みがあって行ったはずだ」

 

 大淀隊が出撃する間際。

 見送りに来た新十郎が、不意にそんなことを口にした。

 

「なんで分かるの?」

「『戻る』と言っていたからな」

 

 皆の視線が新十郎に集まる。

 この場にいるのは、康奈の身を案じている者ばかりだ。

 彼女に関することは、どんな情報であろうと気になるのである。

 

「……ああ、まあ、ここにいるメンバーには言っておくか」

 

 先程の言葉だけでは足りないと気づいたのか、新十郎は康奈が消えた日のことを語り始めた。

 

 その日、新十郎は夜更けまで本を読み耽っていた。

 区切りの良いところまで読み終えて、そろそろ寝るかと思ったとき、康奈が一人でやって来た。

 

 こんな時間に彼女が新十郎を訪ねてくることは今までなかった。

 何事かと訝しむ新十郎に、康奈は開口一番、しばらく提督権限を預けたい、と告げた。

 

『今から私はケジメをつけにいく』

 

 ケジメとは何なのか、新十郎は当然尋ねたが、康奈は頭を振るのみだった。

 だから、新十郎は質問を変えた。

 

『戻ってくるんだな?』

 

 康奈は視線をそらし、随分と長い間逡巡していた。

 普段は大人しいので分かり難いが、康奈は直情径行な性質である。嘘は、あまり得意ではない。

 戻ってくるとも言わず、戻らないとも言えないのは、彼女の複雑な心情の表れだった。

 

『私は、ここにいていい人間なのか、自信がない』

『なんでだ』

『……』

 

 康奈は答えに窮したのか、辛そうに表情を歪ませた。

 無理に聞き出そうとしても、答えは得られないだろう。

 そう判断した新十郎は、少しだけ聞き方を変えた。

 

『それは――ケジメをつければ言えるのか』

 

 康奈は躊躇いながらも頷いた。

 本当は言いたくないのかもしれない。

 しかし、黙っているべきではないという思いもあるのだろう。

 そこにある迷いを断ち切るために、彼女はケジメをつけにいくのかもしれない。

 

『なら、ケジメとやらをつけたら聞かせてくれ。それで良いなら提督権限、一時的に預かっても良い』

『ごめん』

『まったくだ。自分は面倒が嫌いなんだから――さっさと戻って来いよ』

 

 提督権限の委譲は、康奈の魂に刻み込まれた艦娘の情報を新十郎に刻むのと同義だ。

 委譲される方には相当な負荷が伴う。新十郎は耐え切れず、意識を落としてしまった。

 

「ただ、自分は意識が落ちる前に確かに聞いた。あいつは最後の最後に『絶対戻る』と言ったんだ」

 

 行先も告げず、一人きりで姿を消した康奈だったが――自暴自棄で行動しているわけではない。

 敵地に一人乗り込んだのも、そのケジメとやらのためなのだろう。

 

「さっきも言ったが、楽観視はできない。あいつがいるのは敵地だ。無責任に無事だと言うつもりはない。何かあったら、お前たちは自分のことを第一に考えろ」

 

 だが、と新十郎は頭を下げた。

 

「できるなら、助けてやってくれ。戻ってくるとは言ったが、あいつは今一人きりで戦っている。あいつと一緒に戦ってやれるのは、お前たちだけだ」

 

 言われるまでもない、と大淀隊のメンバーは頷く。

 

「私は、提督が何に悩んでいるかは分からなかった」

 

 先程までアガートラームを調整していた明石が、清霜の肩に手を置いた。

 

「でもね。提督はいなくなる前、このアガートラームの開発を私に託していった。清霜がどんな道を選ぶかは分からない。けど、あの子が進みたいと思う道があるならそれを尊重したい。そのために、これはきっと役に立つはずだ――そう言ってたんだよ」

 

 清霜はアガートラームを見つめた。

 康奈が残した置き土産。清霜に再び戦う力をくれた腕だ。

 

「司令官には、怒られちゃうかな。戦わせるために用意したわけじゃない――って」

「止めておくか?」

 

 悪戯っぽく言ってくる朝霜に、清霜は笑って頭を振った。

 

「一人で出来ないことは協力して事に当たれ――でしょ」

 

 清霜の言葉に、ある者は首を傾げ、ある者は頷き、ある者は瞼を閉じた。

 

 この一年間、皆、康奈と共に戦ってきたのだ。

 一人では乗り越えられなかった困難もあった。

 一緒だったから、乗り越えて、今ここにいることができる。

 

 今度も、そうやって越えていくだけだ。

 

「怒られても行くよ。一緒に戦いに来たって、言いに行く」

 

 

 

 生身の身には辛く感じるほどの冷気が漂う施設。

 研究島の中心にある建物――その最奥に、康奈は足を踏み入れていた。

 

 囚われていた艦娘たちを逃してから数日間。

 研究島の内部を歩き回り、慎重に施設の現状を把握することに努めた。

 時折深海棲艦を急襲し、あえて敵の視線を向けさせることもあったが、それらは敵の行動方針を見極めるためのものだった。

 

 施設の現状・敵の行動パターンは十分に掴んだ。

 そう判断した康奈は、当初の目的を敢行するために動き出したのである。

 

 身体の芯まで凍り付きそうな寒気に見舞われながら、康奈は足音を殺しつつゆっくりと歩みを進めていく。

 異常なまでに効いた冷房は、この施設の最奥にある端末を冷やし続けるためのものだ。

 膨大な演算能力を有するその端末は、それを維持するだけの力を持った施設でなければ稼働し続けることもできない。

 

 深海棲、艦の姿はほとんど見受けられない。

 大半は研究島の外縁部で発生した爆破事故の対処に出払っていた。

 僅かに残っていた深海棲艦は、康奈を見逃す者、見つけて始末される者に分かれた。

 

 今、康奈の手には先程始末したばかりの深海棲艦の遺骸がある。

 

 康奈は目の前にある大きな扉を前にして、脇にある機器に遺骸の手を押し付けた。

 

『認証成功。開錠します』

 

 機械的なアナウンスと共に、分厚い扉がゆっくりと開かれる。

 康奈はなおも遺骸を手放さず、それを盾のように前に掲げながらゆっくりと部屋の中に入っていった。

 

「――人間というのは慎重なのね」

 

 肉声がした。

 康奈が発したものではない。

 康奈に向けられたものだ。

 

 扉の向こう――研究島の最奥にある制御室には、壁一面を覆いつくす巨大なコンピューターがあった。

 正面には映画館にあるような大きなスクリーンがある。

 そこには「WELCOME BACK」という文字列が映し出されていた。

 

 そのスクリーンの前に、小柄な体躯の影が一つ。

 それは、人類が飛行場姫と名付けた深海棲艦の姿をしていた。

 

「ごきげんよう。オリジナルの私」

 

 その一言で、康奈は相手の正体を看破した。

 

「深海棲艦の姿を選ぶとは、趣味が悪いわね――IZUNA」

 

 飛行場姫の姿をしたソレは、嬉しそうに破顔した。

 

「会えて嬉しいわ。こうして直接話をするのはいつ以来かしら。ここまで来たということは、思い出したということよね」

 

 心底楽しそうな表情を浮かべるソレは、かつて横井飯綱が己のバックアップとして用意した人工知能。

 コードネームはIZUNA。

 何者でもない誰かになった横井飯綱の、代替物である。

 

「……生きていくと、様々な過ちを犯すことがある」

 

 深海棲艦の遺骸を盾にしたまま、康奈は静かに口を開いた。

 

「間違えている最中は気づくことがない。終わってから、あれは間違いだった、と気づく。罪というものがあるとしたら気づかないこと。罰というものがあるとしたら気づくことだと、私は思う」

「私を生み出したことが自らの罪だったと、そういうことかしら?」

 

 怪訝そうに首をかしげるIZUNAの言葉を、康奈はすぐに否定した。

 

「私が話しているのはアンタのことよ、IZUNA」

 

 片手には躯。

 もう片方の手には、エルモから受け取ったナイフ。

 

「私はかつての行いが過ちだと気づいていた。気づいていながらやっていた。間違いではあるけど、誰かがその間違いを踏み越えて行かなきゃいけないと思った。だから罪を自覚しながらも過ちを続けた」

 

 けど、と康奈は眼前の敵を見据える。

 

「アンタは何が過ちなのか理解していない。ただ自分の知識欲を満たすためだけに動いている。だから越えてはならない一線を越えた」

「以前の貴方と一緒でしょう?」

「――昨年の夏頃、AL/MI海域にあった研究施設が立て続けに陥落した。日本政府があの作戦を強行したのは、研究成果を自分たちの手で回収するため」

 

 康奈の言葉に、IZUNAは笑みを深くした。

 話題を変えたわけではない。

 そこが、問題の始まりなのだ。

 

「けど、当時の研究施設はある程度の防衛機能を備えていた。深海棲艦を撃退するだけの力はなかったけど、接近に気づいて逃げ出すくらいのことはできたはずだった。けど、なぜかできなかった。防衛システムがバグを起こしたからよ」

 

 定期連絡が取れなくなり孤立した施設は、深海棲艦の接近に気づかず、次々と陥落した。

 防衛システムは連動していた。何かあったときに、研究施設同士で連携して危機を乗り切るためだ。

 

 バグは、そのネットワークを介して拡散された。

 

「広めたのはアンタよ。研究成果が行き詰まり始めたアンタは――深海棲艦をも巻き込んで、新しい実験を始めた。最初は他所の施設を何ヵ所か使ってやっていたけど、段々エスカレートして、AL/MI作戦に合わせて、残っていた全施設を襲わせた。自分自身がいた施設すら巻き込んで」

「おかげで研究は一気に進化したわ。それに、これくらいのことは大本営だって――日本政府だってやっていることよ。知ってるかしら、戦死したり意識不明になった提督や艦娘を使った実験とか……」

 

 おかしそうに語ろうとしたIZUNAは、途中で言葉を止めることになった。

 頬を、銃弾が掠めたからだ。

 

「黙れ」

 

 憤怒。

 そう形容するほかない激情を双眸に宿しながら、康奈は吼えた。

 

「私も善悪を弁えていたとは言えない。それでも、深海棲艦から人類を守るという理念だけは裏切らなかった。アンタはその理念から外れた。自分の知識欲を満たすためだけに、越えてはならない一線を越えたのよ」

「それが私の罪だと? 私はあらゆる知識を吸収し、プロジェクトを発展させ続けるために生み出されたのよ。それが罪だというなら――それは私を生んだ貴方が背負うべき罪ね」

 

 言われるまでもなく、康奈はそのことを理解していた。

 これは、あの泊地に流れ着く前の自分が残した問題だ。

 皆を巻き込む筋ではない。

 

 自分の過ちは、自分で拭わねばならない。

 

「だから――私はここに来た」

 

 康奈はそう言い捨てると、大きく一歩を踏み出した。

 

 

 

 艦娘になり損なった康奈の身体は、通常の人間よりも遥かに高い身体能力を有している。

 しかし、それはあくまで人間より優れているというだけの話だ。

 艦娘には敵わないし、深海棲艦を一人で相手取るのも本来は難しい。

 

 康奈が踏み込んだのを見て、IZUNAは大きく腰を落とし、迎え撃つ構えを見せた。

 飛行場姫の姿は伊達ではない。今のIZUNAは、まさに飛行場姫と同等の戦闘力を持っている。

 

 康奈の突進は早い。普通の人間であれば反応することすらできない早さだ。

 しかし、IZUNAは余裕をもってその動きを見極め、向かって来る康奈の肩を掴んだ。

 

「正面から来るなんて、馬鹿ね」

「アンタがね」

 

 言いながら、康奈は手にしていた深海棲艦の骸を捨てて、そちらに隠し持っていたナイフをIZUNAに突き立てた。

 通常のナイフであれば飛行場姫に傷つけることなどできないだろう。

 しかし、康奈のナイフは深々とその手を切り裂いた。

 

「――っ、それは」

 

 康奈の力を一時的に引き上げるエルモ製のナイフは、肩を掴まれた方の手に握られていた。

 今IZUNAを切ったのは、それとは別のナイフである。

 

 大きく飛び退いて距離を取った康奈に、IZUNAは苦々しげな表情を見せた。

 

「エルモのをヒントに、自作したというの……!?」

 

 康奈も、考えなしにここまで来たわけではない。

 半端者なりに、勝算を高めようと様々な小細工をしてきた。

 武器の準備くらい、当然してある。

 

 予想外の反撃を受けて動揺を見せたIZUNAの前で、康奈はズボンにつけていた小型のスイッチを押した。

 その瞬間、先程康奈が捨てた深海棲艦の骸が大爆発を起こす。

 艦娘の艤装をヒントに生み出した試作爆弾を、深海棲艦の骸の中に仕掛けていたのだ。

 

 爆発の瞬間、康奈は更に飛び退いたが、それでも爆風が肌を焦がし、身体を吹き飛ばさんとするような勢いが襲い掛かる。

 

 ……けど。

 

 熱風を正面から浴びながら、康奈は歯噛みし、敵の姿を目に焼き付ける。

 

 煙火の中、IZUNAは依然として立ち続けていた。

 表面に多少の火傷は負っているが、さほど気にした様子もない。

 

「どうやら、決定打はないようね」

 

 切られた手元から流れる血を舐めながら、IZUNAは一歩ずつ康奈へと近づいてくる。

 先程不意の一撃をもらったからか、その動きは慎重なものだった。

 康奈のことを、油断できぬ敵として認めた証拠とも言える。

 

「驚いたわ。相応の準備をしてくるだろうとは思っていたけど、準艦娘と言えるくらいの戦力を用意しているなんて。不意打ちばかりとは言え、何体も深海棲艦を倒しているのだもの。私も警戒しておくべきだった」

 

 だがIZUNA相手には戦力不足だ。

 

 護衛くらいはつけていると思っていた。

 ただ、さほど強力な深海棲艦をつけてはいないだろうと甘く見ていた点はある。

 

 深海棲艦に協力しているとは言え、IZUNAはあくまでアドバイザーでしかない。

 そんな相手に、そこまで強力な護衛はつけない。せいぜい戦艦クラスの深海棲艦程度だと見ていたのだ。

 まさか、IZUNA自身が姫クラスの深海棲艦の身体をインターフェースにしているとは思っていなかった。

 

 IZUNAは歩みを止める。

 奇襲を仕掛けるには、やや遠い距離だ。

 

「……おそらく私がこの姿で待ち受けているとは想定していなかったのよね。貴方に他の切り札はない。そう思うけれど――貴方相手に油断してはいけない、と私は学習した」

 

 言うや否や、IZUNAの周囲に小型の怪物が浮上する。

 飛行場姫が使用していた艦載機だ。円形の生物のようなその艦載機は、いずれも銃口を康奈に向けている。

 

「これ以上は接近しない。貴方の身体は欲しかったけれど――ここから嬲り殺しにさせてもらう」

 

 IZUNAの艦載機が一斉に康奈目掛けて牙を剥く。

 多方面からの銃撃に、康奈は全力で逃げ回るしかなかった。

 

 しかし、室内でそう長時間逃げ回ることもできない。

 すぐに、左足を撃ち抜かれ、バランスを崩して転倒してしまう。

 

「ぐっ……」

「貴方は一人でここに来るべきではなかったわね」

 

 身動きが取れなくなった康奈を前に、IZUNAは腕を振り上げた。

 その手が下りた瞬間、康奈は蜂の巣にされるだろう。

 

「――あの深海棲艦」

 

 追い詰められた康奈は、痛みをこらえながらIZUNAを正面から睨み据えた。

 

「あの小柄な深海棲艦の姿は、見覚えがある。あれは――上杉光なの?」

 

 ソロモン諸島に攻め寄せている深海棲艦の総大将。

 IZUNAが彼女と度々通信でやり取りしていることを、康奈は把握していた。

 

「そうとも言えるし、そうでないとも言える」

 

 構えを崩さぬまま、IZUNAは康奈の問いに応じた。

 

「上杉光はあの日、艦娘となって深海棲艦と戦った。けど、なりたてでろくに訓練もしていなかったから、すぐにやられてしまった。あの子は深海棲艦に捕食されたの。……でも、しばらくしてあの子を捕食した深海棲艦は倒れた。そして、その身体を突き破って姿を見せたのがあの子よ」

 

 捕食された上杉光が、深海棲艦の体内で何かしらの変貌を遂げたのかもしれない。

 詳細は突き詰められていないが、興味深い事例だ――そうIZUNAは語った。

 

「もっとも、あの子は人間だった頃の記憶なんて持っていない。長尾智美や貴方の清霜ちゃんを前にしたところで、手心を加えることなんてないでしょうね」

「そんなムシの良い話は期待していない」

 

 康奈はIZUNAの話を一笑に付した。

 

「ただ、私は因縁の在処を明確にしておきたかっただけよ。彼女たちの問題は、彼女たちでケジメをつければ良い」

「そうね。その点は私も同感だわ」

 

 IZUNAの声音には、これで話は終わりだ、という意思が含まれている。

 彼女は振り上げていた手を、殺意をもって振り下ろした。

 

「私も私のケジメをつける――貴方を殺して、私は代替品ではなくなる!」

 

 代替品として生まれ、決められた役割の中でのみ生きることを許された。

 そんなIZUNAの内に蓄積された悲痛な声を、このとき康奈は初めて目の当たりにした気がした。

 

 ……勝てなかったか。

 

 そんな思いが脳裏をよぎる。

 

 だが、敗北の瞬間は訪れなかった。

 IZUNAの艦載機が、すべて沈黙したからだ。

 

 康奈を骸にしようとした兵器は、いずれも横合いから放たれた砲撃によって撃ち落とされている。

 

「――司令官」

 

 声がした。

 康奈のものではない。

 IZUNAのものでもない。

 

 それは、小さき戦艦のものだ。

 

「……皆」

 

 深く暗い島の最奥に、新しい風が流れ込む。

 そこに、大淀隊の姿があった。

 

 

 

 攻勢に出た防衛軍の協力を得て、大淀隊は一目散に駆け抜けた。

 遅れまいと。一刻も早く大事な相手を救い出さんと。

 

「間に合ったようですね」

 

 IZUNA目掛けて牽制射撃をしながら、大淀隊は素早く康奈の前に移動した。

 敵から視線を逸らさぬままに、大淀は大きく息を吐く。

 

「提督。覚悟しておいてください」

「そうだな。皆をあれだけ心配させたんだ。丸三日は小言を喰らう覚悟でいるが良い」

 

 大淀に同調しながら磯風が笑う。

 他のメンバーも、表立って口にはしなかったが、概ね同じような思いだった。

 

「……もしかしたら来るかもとは思っていたけど。無茶をするものね」

「司令官だけには言われたくないよ」

 

 清霜に言い返されて、康奈は口をつぐんだ。

 

「独断でこんなところまで来たの? ご苦労なことね――!」

 

 目前に迫っていた勝利を取り逃し、IZUNAは苛立ち混じりの言葉と共に清霜たち目掛けて砲撃を放つ。

 清霜は、動けなくなっていた康奈を抱えてこれを避けた。

 

「清霜、この腕は」

「うん。司令官と明石さんがくれたものだよ」

「……馬鹿ね」

 

 清霜が戦場に出てきたことについて、康奈はそれ以上の言葉を口にしなかった。

 

 姫クラス相手の陸地戦。

 普段とは異なる条件での戦闘だったが、大淀隊の連携に乱れはなかった。

 

「朝霜、早霜、雲龍は敵艦載機の迎撃に専念。春雨と清霜は提督の護衛に!」

 

 各員に指示を出しながら、大淀は主砲を構えてIZUNAへと肉薄する。

 

「磯風、時津風は私と共に敵撃破!」

「応ッ!」

 

 IZUNAは次々と新たな艦載機を出現させ、大淀隊の動きを乱れさせようと試みる。

 しかし、一年通して戦い抜いた大淀隊が、それしきのことで動揺することはなかった。

 

「ハッ、どいつもこいつも良い的だぜ!」

「一機たりとも――突破はさせない!」

 

 朝霜と早霜は高角砲と機銃を駆使して室内に飛び交う敵艦載機を撃ち落としていく。

 そんな二人の後方から、雲龍は各種艦載機を展開し、チーム全体の動きをサポートしていた。

 

「好きにはさせない。ここで必ず食い止める……!」

 

 多勢に無勢。

 八名を同時に相手取ることになったIZUNAは、さすがに焦りを見せ始めた。

 

「嗚呼、邪魔なのよ貴方たち……邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔ァッ!」

 

 迫りくる大淀たち相手に肉弾戦を繰り広げながら、IZUNAは康奈を睨みつけた。

 

「貴方たち、分かっているの? すべての元凶はそこの女なのよ……! 貴方たちの前司令官が倒れたのも、そこの清霜が艦娘になったのも、家族を失ったのだって――全部元を辿れば、そこの女が悪いんだから――!」

 

 責任転嫁――そう一概に切って捨てることのできる言葉ではなかった。

 

 IZUNAは生き方を規定された存在だ。

 結果として作成者の意図を逸脱する行為に及んだが、それも含めてすべての責任は作成者である横井飯綱――康奈にある。それは決して無理筋な理屈ではない。

 

 その責任を感じているからこそ、康奈はたった一人で乗り込んだのだ。

 

「……司令官。それは、本当なの?」

 

 敵への警戒を解かないまま、清霜が問う。

 康奈は苦しげに表情を歪ませながらも、ゆっくりと頷いた。

 

「一人でここに乗り込んだのは、そのためですか」

 

 春雨に聞かれ、康奈は再び首肯する。

 

「まったく、水臭いなあ司令は!」

 

 前線で敵と撃ち合いながら時津風が不平を漏らす。

 

「司令官」

 

 清霜は、少し寂しそうに笑った。

 

「司令官の昔のこと、私はまだよく分かんない。自分の過去のことも、きちんと思い出せたわけじゃない。だからあの人の言うことが本当だとして、司令官に何を言うべきなのか、よく分かんないけど」

 

 けど。

 一人で決めて去ってしまうのは寂しい、と清霜は言った。

 

「きちんと私たちと、向き合って欲しかった――かな」

 

 それは、どんな弾劾の言葉よりも深く、康奈の心に突き刺さった。

 ケジメをつけるなどと偉そうなことを言ったが、結局のところ、康奈は清霜や皆に自分の行いを否定されるのが怖かった。だから逃げた。一人だけで解決する道を選んでしまった。

 

「……ごめんね」

 

 康奈は清霜を力いっぱい抱き締める。

 そして、自分を下ろすように言った。

 

 飛行場姫のスペックを誇るIZUNA相手に、大淀たちは攻めあぐねていた。

 

 このまま長期戦にもつれ込めば、ここに深海棲艦の増援が来ないとも限らない。

 そう言って、康奈は清霜の銀の腕――アガートラームにそっと触れた。

 

 康奈の霊力が、直接アガートラームの中に入り込んでいく。

 清霜は、そこから温かさと力強さを感じ取った。

 この一年間、側で見守り続けてくれた人の温かさだ。

 

「行きなさい」

 

 康奈の意を汲み取った清霜は、春雨に護衛を任せ、前線へと駆け出していく。

 

 異変に気づいた艦載機が清霜を狙う。しかし、放たれる弾丸は清霜の身体を掠めるだけだった。

 迷いなく突き進む清霜に、艦載機の照準が追い付かないのである。

 

「――なんで」

 

 IZUNAは吼えた。

 理不尽に縛られ、自由を求めた。

 それだけのことなのに、なぜ、と。

 

「なんで、誰も認めてくれない……! あの女だけ、なんで――!」

 

 アガートラームに込められた力が、その手に握り締められた主砲へと流れ込んでいく。

 

 嘆き叫ぶIZUNA目掛けて、清霜は砲撃を放った。

 

 眩い光に覆われた砲弾は、IZUNAの胸元に吸い込まれ、そこで爆散する。

 高濃度の霊力をまとった艦娘による一撃だ。

 

「……ごめんなさい。貴方がどんな人か、私には分かんない」

 

 砲撃を受けてうずくまるIZUNAを前に、清霜は言葉を紡ぐ。

 

「けど、私は司令官と向き合いたい。だから、それを否定する貴方を認めることは、できない」

 

 それが引き金になったかのように、IZUNAの身体に亀裂が入っていく。

 仮初の身体が、少しずつ壊れていく。

 

「嗚呼――」

 

 目の前の清霜に救いを求めるかのように、IZUNAは手を伸ばした。

 しかし、その手を清霜が取るよりも早く――その身は灰燼に帰した。

 

 

 

 IZUNAの姿が消えてから、康奈たちは皆口を閉ざしていた。

 再会の喜びはあるが、IZUNAが残した言葉のせいか、素直にそれを口にすることができない。

 

 誰もが、何を言えばいいか迷っていた。

 

「……ひとまず、ここを出ましょう」

 

 康奈の傷の手当を終えた大淀はそう提案したが、康奈は一人頭を振った。

 

「駄目よ。まだ終わっていない」

「どういうことだ、司令」

 

 磯風の問いに、康奈は正面の巨大なパネルを指し示した。

 

「さっきまでいたのは、奴のインターフェースに過ぎない。本体は、あの巨大な演算装置。あれを破壊しなければ、奴を倒したことにはならない」

「あれをぶっ壊せばいいの?」

 

 なら簡単だ、と時津風は装置目掛けて砲撃を放つ。

 しかし、砲撃が命中しても、演算装置は傷一つつかなかった。

 

「あれ、随分頑丈だなー」

「何かガラスがあるみたい」

 

 雲龍の指摘通り、演算装置はガラスによって覆われていた。

 艦娘の砲撃に耐えるような代物だ。おそらく通常の強化ガラスとは別の、もっと厄介な代物なのだろう。

 

「どうしても壊さないと駄目なの?」

 

 IZUNAの最後の姿が引っかかっていたのだろう。

 清霜が、やや躊躇いがちに尋ねた。

 

 しかし、康奈がその問いに答えるよりも先に、康奈の持っていた通信機がアラーム音を鳴らした。

 エルモの手による強化型の通信機だ。

 

『いろいろと言いたいことはあるが、用件だけ伝える』

 

 通信機から聞こえてきたのは、長尾智美の声だった。

 思わず、清霜と朝霜は表情をこわばらせる。

 

 だが、智美の用件は清霜の脱走よりも遥かに重いものだった。

 

『そちらの司令官代理――新十郎とやらからこちらに報告があった。深海棲艦が大挙して押し寄せてきた。戦線は崩壊しつつある』

 

 それは、現状の康奈たちにとって最悪の報せだった。

 

 

 

 サモアの本拠地で、防空棲姫は戦況を確認していた。

 敵の攻勢が落ち着いたタイミングを見計らっての一斉進撃は、今のところ上手くいっている。

 

「もっとも、悠長にしている余裕はないわね」

 

 彼女は決して状況を楽観視していなかった。

 既にIZUNAから、研究島が敵の手に落ちつつあるという連絡を受けている。

 このまま敵を押し返せば研究島の敵は孤立するだろうが、相手もそれを座して眺めてはいないだろう。

 

 北方から、相当な規模の軍勢が接近しつつあるという連絡も受けている。

 日本の深海対策庁が重い腰を上げてきたと見るべきだろう。

 

「そちらに助けは必要かしら、IZUNA」

『不要よ。姫様は自分のやりたいことにだけ集中してくれれば良いわ』

 

 良かった、と防空棲姫は嬉しそうに言った。

 

「私は自分が元々なんだったのか覚えていない。ただ、きっと自由のない生き方をしていたのでしょうね。今……こんなにも自由が欲しいのだから」

 

 赤く塗りつぶされていく海図を前に、防空棲姫の情念が燃え上がる。

 満たされない。欲しくてたまらない。そんな渇望が彼女を突き動かしている。

 

「私は自由を得る。誰の言うことを聞かなくても良い私が自由に振る舞える国を作る。その妨げになるものは、ここですべて叩き潰すわ」

『ええ。それでいい』

 

 防空棲姫の情動をIZUNAは肯定する。

 どんな生まれであろうと自由であって良いはずだ。

 その思いにおいて、二人は同志だった。

 

「かつての生き方がどうであれ、私は新たな生き方を見つけた。――私は、ここから再起する」

 

 総員進撃せよ。

 防空棲姫の号令に、深海棲艦の大軍は咆哮で応えた。


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