南端泊地物語―戦乱再起―   作:夕月 日暮

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第二十四陣「戦乱の果て」

 水平線が、黒く塗りつぶされていく。

 あれは、すべて敵だ。

 人類をこの大海から駆逐せんとする存在――深海棲艦だ。

 

 各地からは、戦線維持が困難であることを告げる通信が入り続けている。

 もはや、南方の拠点だけで敵の大軍の侵攻を抑えるのは限界だった。

 

『こちら武蔵。どうする、提督代理。ここだけでも持ち堪えた方が良いか?』

「強気だな、武蔵」

 

 通信先でほくそ笑んでいるであろう戦艦の顔を思い浮かべて、新十郎は渇いた笑みをこぼした。

 

「自分たちは十分にやったさ。これ以上無理を重ねる必要はない。――撤退しよう」

 

 既に新十郎たちも前線基地を引き払う準備を進めていた。

 ショートランドの艦隊だけではない。これは、現在この地に集まっている諸艦隊の総意でもある。

 

『私はまだまだやれるぞ』

「意気軒昂なのは結構だが、今は温存しておけ。撤退という言い方が不服ならこう言い直そうか? 一時撤退だ」

『……撤退による影響は?』

 

 武蔵も単に意地を張り続けているわけではない。

 戦線を放棄することで、どんな影響が出るか。それを気にしているのだ。

 

「ほとんどない。皆がよくやってくれたおかげでソロモン諸島及び近隣の住民は安全圏に避難済みだ」

 

 新十郎たち指揮官は、この戦線をずっと維持するのは不可能だと見ていた。

 だから、早々に近国政府と調整して住民避難を進めていたのである。

 現在、この周辺に守るべき無辜の民はいない。

 

 それは、ここまで奮戦し続けてきた南方拠点の艦娘たちの戦果だった。

 

『清霜たちはどうなる。取り残される形になるのでは?』

 

 武蔵は痛いところを突いてきた。

 新十郎が"ほとんど"と言ったのも、そこを意識してのことである。

 

 敵地に入り込んでいる清霜たちは、置いていかざるを得ない。

 回収するほどの余裕はなかった。

 

 しかし、そんな状況下でも新十郎は笑みを崩さなかった。

 

「なに、自分も見捨てるつもりはない。――ちゃんと手は打ってある」

 

 

 

「この島を動かして、敵を攪乱する」

 

 智美からの連絡を受けた康奈は、ほとんど迷わずに決断した。

 

「撤退はしないのですか?」

「今、相手は勢いに乗っている。逃げに徹したらその勢いに呑まれる恐れがあるわ。積極的な交戦は勿論避けるけど、追い込まれないよう注意しながら敵の意識を引き付ける」

 

 康奈の脳裏には、北方から接近中の智美たち本隊の存在がある。

 

「長尾提督。あとどれくらいでこっちまで来られる?」

『……半日もあれば』

「十分。敵との距離を保ちつつ、この島の防衛機構も利用して時間を稼ぐわ。身一つでここから逃げ出すよりはマシなはずよ」

『その島の設備を、制御できるのか?』

「潜伏期間中におおよそ把握したわ。ある程度は覚えのあるものだったから」

 

 康奈は背後にそびえ立つIZUNAの本体――巨大な演算装置を見据えた。

 今は、放っておくしかない。直接手出ししてこないのであれば、その処分は後回しにせざるを得ないだろう。

 

「大淀隊は、まずこの島に残っている深海棲艦を駆逐して。ここを完全に制圧することが第一よ」

「了解!」

 

 大淀たちは、康奈の命令に応じて駆け出していく。

 その中にあって、清霜は一人康奈に心配そうな眼差しを向けた。

 

「司令官は、大丈夫?」

「足の怪我なら心配いらないわ。私はここで島の制御をするから――清霜は清霜の戦いをしなさい」

 

 そう告げる康奈は、普段と何も変わらないように見えた。

 この一年間、ずっと一緒に清霜たちと戦い続けた司令官の姿が、そこにあった。

 

「……うん、分かった!」

 

 康奈の姿に安心したのか、清霜も駆け出していく。

 残されたのは、康奈一人だった。

 

『……連絡がつかないと思っていたら、急にあんなものを聞かせるとはな。あれは、どういう意味だ?』

 

 通信機越しに、智美が険しい問いを発した。

 それは、二人の間でしか伝わらない問いかけである。

 

 康奈は泊地に提督間で行う通信機を置いてきた。

 指揮を執る際、新十郎が必要とするからだ。

 

 エルモが用意した新型通信機は持っていたが、研究島の妨害電波によって通信は遮断されていた。

 通信可能となったのは、ここ数日の潜伏期間中、康奈が妨害設備の乗っ取りに成功したからである。

 

 なぜそんなことをしたのかと言えば、IZUNAとの決戦時のやり取りを、すべて智美に聞かせるためだった。

 あの戦いにおいて、康奈は最初から智美宛てに通信を入れていたのである。

 

 島の管制システムにアクセスを試みながら、康奈は智美の問いに応える。

 

「貴方にはすべてを知る権利がある。この機会を逃したら、もう得られないかもしれない情報だった。だから、直接聞かせたいと思った。他に理由はないわ」

『……貴様は、私たち姉妹にとって仇の一人だ。私たちの人生を無茶苦茶にした一人だ』

「否定はしない」

『――だが、見方を変えれば恩人の一人とも言える。貴様が身を呈して艦娘人造計画を進展させなければ、私たちはどこかで命を落としていたかもしれない』

 

 智美の言葉に、康奈はため息をついた。

 

「無理してそんな解釈はしなくて良いわ。感情というのは、そう理屈っぽく整理できるものではない。……今の貴方は、私についてあれこれ考えるよりも、敵の姫について考えた方が良い」

 

 姫と呼ばれる深海棲艦。

 智美や清霜の姉妹、上杉光のなれの果てだ。

 

『言われずとも分かっている』

 

 智美は苛立たし気に声を張り上げる。

 思いがけない妹との再開に、感情が追い付いていないのだろう。

 

『北条康奈。貴様、勝手に死ぬんじゃないぞ。貴様には面と向かい合って言いたいことが山ほどある!』

「そうね。私は貴方とも向き合わないといけない。――そちらが到着するまで死なないよう、善処するわ」

 

 向き合わなければならない相手が多い。

 そのことを感じながら、康奈は意識を研究島制御に集中させた。

 

 

 

 意識が芽生えたときから、何かに従うことが嫌だった。

 誰にも指図されない。何も我慢しなくて良い。そんな世界が欲しかった。

 

 そういうのを何と言うのか。

 IZUNAは、それを『自由』だと語った。

 

『姫様。敵が次々と撤退していきます。いかがいたしましょう』

 

 部下からの報告で、防空棲姫は我に返った。

 ほんの少しだけ、物思いに耽っていた。

 

 傍らの端末を見る。

 現在、IZUNAは沈黙していた。

 

『研究島は、現在どうなっているのかしら?』

『よく分からない動きをしています。急に動き出したかと思ったら、逃げたり、こちらに接近しようとしたり』

『……どう見るべきかしらね』

『……』

 

 部下は答えなかった。

 答える術を持たないのだ。

 

 人型の形を得て、独自の言語で意思疎通を図れるようになっても、彼女たちにはまだ戦術という概念がない。

 敵がいたら破壊する。そういう領域から、まだ抜け出せていない。

 大多数の深海棲艦は、まだそういう段階にある。

 

『敵の追撃は程々で良いわ。北から迫っている艦隊に備えなさい。研究島の動きも気になるから、部隊を派遣して動きを抑えておきなさい』

『了解しました』

 

 強き者に従順な深海棲艦たちは、防空棲姫相手には素直だ。

 

 防空棲姫は、時折思う。

 彼女たちに囲まれた国。

 それは、果たして自分が渇望している自由の国なのだろうか、と。

 

 応える者は、いなかった。

 

 

 

 島内の深海棲艦を一掃することに成功した大淀隊だったが、彼女たちに休む暇はなかった。

 研究島奪還のための部隊が、ひっきりなしに近づいてくるからだ。

 

「資源には事欠かないが、さすがにそろそろ疲れてきたな」

 

 接近する敵部隊を蹴散らした後で、磯風が珍しくぼやいた。

 

 研究島には、おそらく深海棲艦が使う予定だったのであろう資源が大量に備蓄されていた。

 当面、大淀隊が戦い続けるには十分な量である。

 

「なになに、弱音吐くなんてらしくないじゃん」

「疲労というのは気分の問題ではない。現実的な問題だ」

 

 時津風の指摘に、磯風はやや不服そうな顔で応えた。

 実際、大淀隊は数時間戦い続けている。

 

 何時間も戦場に身を置くというのは、慣れていても神経をすり減らす。

 まして、今の彼女たちは味方から取り残されている格好だ。

 もう少しで援軍が来ると分かっていても、孤軍奮闘し続けることによる消耗は激しい。

 

「ローテーションを組むというのは?」

「……私たちだけだと、ちょっと厳しいんじゃないかな」

 

 早霜の提案に、春雨がやんわりと異議を唱えた。

 大淀隊は軽巡と駆逐艦だけで構成された水雷戦隊だ。

 それに対して、敵は戦艦や空母を容赦なく織り交ぜて来る。

 戦力を小分けにしては、対応ができなくなる恐れがあった。

 

「提督。一旦逃げに徹するというのは、やはりダメ? 今なら最初程敵も勢いに乗っては――」

 

 雲龍が通信機で康奈に提案しようとしたとき、不気味な音が遠方から迫ってきた。

 全員が視線を上げる。そこには、大量の深海棲艦の艦載機があった。

 

「敵は、本腰を入れてこの島の奪還を試みるつもりのようですね」

「これは……逃がしてもらえそうには、ないかな」

 

 艦載機だけではない。

 これまでは一部隊ずつ様子を見るように接近してきた深海棲艦たちが、数倍の数で押し寄せようとしてくる姿が見えた。

 

「ま、こうなったらやるしかないよね!」

 

 率先して前に出たのは、清霜だった。

 彼女の脇に控える朝霜は、やや呆れたような表情を浮かべている。

 

「清霜は単純で良いよな」

「駄目?」

「護衛役の身にもなれってんだよ」

 

 文句を言いながらも、朝霜は清霜の側を離れない。

 

 他の大淀隊の面々も、戦うことを諦めてはいなかった。

 疲労の色を滲ませながらも、その眼差しには依然として闘志が宿っている。

 

『各員』

 

 そのとき、喜色を含んだ康奈の声がした。

 

『よくここまで頑張ったわ。本隊が来るまで、もうひと踏ん張り。けど――孤軍奮闘はこれで終わりよ』

 

 それはどういう意味か。

 問いかけようとした矢先、敵が迫りくる方角とは逆の方から、巨大な砲声が轟いた。

 

 研究島に接近しようとしていた敵が倒されていく。

 迫りくる艦載機たちも、次々と撃ち落とされていった。

 

『ショートランド泊地、大淀隊の皆さん。聞こえていますか?』

 

 通信機から、康奈とは別の声がした。

 それは、幼いながらも凛とした強さを感じさせる声。

 

「……もしかして、朝潮さんですか!?」

『はい』

 

 かつて、毛利仁兵衛が率いていたトラック泊地の初期艦・朝潮。

 大淀の問いかけに応じたのは彼女だった。

 

『朝潮さんだけではありませんよ』

 

 次いで聞こえたのは大和の声。

 

『前回の作戦ではゆっくり休ませていただきましたし』

 

 航空母艦・天城の声もした。

 

『ショートランド艦隊の皆さんには、大きな借りがあります。ここで返しておかなければ、先代に笑われましょう』

 

 若き青年の声。

 これは、毛利仁兵衛の後を継いでトラック泊地の提督となった大江元景のものだ。

 

 研究島の両サイドから、トラック泊地の艦隊が姿を見せる。

 それは、総勢百余名にも及ぶ大艦隊だった。

 

『トラック泊地、今が再起のときだ! 皆、進撃せよ! 繰り返す! 進撃せよ!』

『了解』

『了解ッ!』

『了解ィ!』

 

 毛利仁兵衛の死と泊地の半壊。

 大打撃を受けた南方の雄・トラック泊地は、今、再び錨を上げ、戦場へと舞い戻ってきた。

 

 

 

 波というものは、気が付いたときには、新たな流れを生み出している。

 康奈たちがトラック泊地の艦隊と合流を果たした頃、防空棲姫の軍勢は各地で奇襲を受けていた。

 

『報告! 第四艦隊、第六艦隊が半壊!』

『第三艦隊、敵の奇襲を受け交戦中! 苦戦を強いられています!』

 

 次々ともたらされる報告に、防空棲姫の表情は険しくなっていく。

 戦術面で大きなミスはなかったはずだ。

 逃走する敵の深追いもしていないし、北方から迫る敵本隊への監視も怠っていない。

 

 だというのに、防空棲姫は何かおぞましい場所に入り込んでしまったような感覚に襲われていた。

 

『トラック泊地はどこから現れたの? 考える必要はないわ。分かっている情報をすべてちょうだい』

『はっ……。南方から突如現れたそうで』

『トラック泊地は主戦場の北よ。南から来たなんて、そんな馬鹿な――』

 

 言いかけて、防空棲姫は一つの可能性に思い至る。

 トラック泊地は、この戦端が開かれてからずっと、大きな動きを見せていなかった。

 敵の前線基地に、雀の涙程度の増援を送っただけだ。

 

 その動きの鈍さから、戦艦水鬼との激戦で疲弊しているのだと思い込んでいた。

 だが、そうではないとしたら。

 例えば、いざというときのため、南から急襲を仕掛けるため、戦端が開かれた直後に行動をとり始めていたとしたら。

 

『最初からそのつもりで迂回していたなら――十分間に合う、か』

 

 敵の力を見誤っていたかもしれない。

 そこに気づいて、防空棲姫は戦場の盤面を見直した。

 

『もしかすると、接近中の敵本隊というのも囮……? 実戦部隊は細かく分けられていて、既に戦場各地に配置されていた、と考えるべきかしら――』

 

 四方八方から食い破られる自らの軍勢に、防空棲姫は敵の意図を見つけた気がした。

 

『……各地で戦闘中の各艦隊に告げなさい! 敵は無視して良い、まずは各指揮官の元に集まって大艦隊を結成するのよ。相手と戦うときは、相手の倍以上の数を揃えてからにしなさい!』

 

 各個撃破による状況の打破。

 それが敵の狙いなら、敵の仕掛けてきた戦いに乗らなければ良い。

 

 防空棲姫の判断は、間違っていない。

 絵図を描いた長尾智美の狙いは、まさに、各個撃破で深海棲艦の軍勢を掻きまわすことにあった。

 

 だが、気づくのが少し遅かった。

 

『ほ、報告! そ、その……』

『報告なさい。早く!』

 

 叱咤された部下は、恐る恐るといった様子で、新たな報告を行った。

 

『撤退していたはずの敵防衛艦隊が反転――物凄い勢いでこちらの軍勢を突き崩しています!』

 

 

 

「言ったろう? 一時撤退だと」

 

 新十郎はいつになく険しい表情で水平線の彼方を見つめ、全艦娘に再度号令をかけた。

 

「既に本隊は辿り着き、敵陣には綻びが生じた。加えて――我らが指揮官は未だ敵地で奮闘している。我々は十分に鬱屈をためた。これ以上我慢する必要はない」

 

 前線基地から遥か後方。

 馴染みのあるショートランド泊地で、新十郎は東方の戦地を睥睨し、指揮する者として咆哮する。

 

「後は皆の仕事だ。我々が描いた絵図、色を付けるも良し、手を加えるも良し。納得のいく形で戦場を駆けろ」

 

 ショートランド艦隊の面々は、この通信を耳にして、目に光を宿らせた。

 再び立ち上がるため、彼女たちは束の間の休息を取っていた。

 そして、誰もが「もう良いだろう」と思っていた。

 

 ここから始まるのは、耐え忍ぶための戦いではない。

 取り戻すための戦いだ。

 

「提督、大丈夫かな」

 

 鬼怒が、心配そうに彼方を見つめる。

 

「そこは、信じるしかないネ」

 

 金剛が、艤装を身に着けた。

 

「大淀たちが向かったのであれば、きっと大丈夫でしょう」

 

 ビスマルク隊は一歩早く前に出る。

 

「皆強い子だもん。きっと帰って来てくれるわよ」

 

 艦載機を発艦させて、瑞鳳が言った。

 

「皆気にしてるみたいだし、早く迎えに行った方が良さそうね」

 

 ショートランド艦隊、全艦娘の出撃準備が整ったのを見届け、叢雲が大きく手を振り上げる。

 

「北条康奈旗下、ショートランド艦隊。――総員、出撃する!」

 

 

 

 戦況は好転しつつある。

 母艦『三笠』の作戦本部司令室で状況を確認しながら、長尾智美は渋い表情を浮かべていた。

 

『今の貴方は、私についてあれこれ考えるよりも、敵の姫について考えた方が良い』

 

 康奈の言葉が脳裏から離れない。

 敵の旗艦が妹のなれの果てと言われても、実のところ智美にはどうすることもできない。

 

 敵の姫に、上杉光としての自我は、もはや残っていないのだろう。

 残っているのだとすれば、人類に向かって牙をむくはずがなかった。

 

 打ち倒す以外、取るべき選択肢はなかった。

 

「提督は、どうしたいの?」

 

 智美の心中を察したかのように、川内が声をかけてきた。

 

「……どうするもこうするもない。敵は倒す。それだけだ」

「鹵獲する、という手もあると思うけど。やれと言うなら、やってくるよ」

 

 今の川内は、神通亡き後の神通隊を引き取っていた。

 隊長としての資質も神通に劣らず、現川内隊はかつての神通隊と同様の練度を誇っている。

 

 しかし、そんな彼女たちでも姫クラスの鹵獲は難しいだろう。

 今まで成功した試しがない。

 

「鹵獲は非現実的だ。出来たとしても、どういう扱いをされるかは想像に難くない」

「なら」

 

 念を押すように。

 智美の覚悟を確認するかのように、川内は重ねて問う。

 

「アレは、倒してしまっても良いんだね?」

 

 当然だと答えようとして、声が出ないことに智美は気づいた。

 躊躇いがある。康奈の言う通り、感情というものは理屈で割り切れるものではないらしい。

 

 だが、他に出来ることは何もなかった。

 納得できなかろうと、倒すしかないのだ。

 

 そのとき、作戦本部宛てに通信が入った。

 研究島の康奈からだ。

 

『こちら北条康奈。救援、ありがとうございます』

「こちら浮田。援軍が遅くなってしまった。申し訳ない」

 

 作戦本部の部長代理を務める浮田が康奈に応じる。

 

「……? おい、北条。貴様、どういうつもりだ?」

 

 康奈からの通信が入ったことで、智美は反射的に研究島の現在位置を確認した。

 そして、研究島が現在どこに向かっているか、ということに気づいた。

 

「貴様、まさか敵の本拠地に乗り込むつもりではないだろうな」

 

 研究島は、サモアに向かって一直線に突き進んでいる。

 これまでの、敵を攪乱するためのものとは、明らかに違う動きだった。

 

『そのつもりよ。トラックの大江提督とも協議は済ませている。ここで本丸を落とせれば大勢は決したも同然』

 

 康奈の判断は、多少のリスクは伴うものの、そこまで悪いものではなかった。

 勢いを得ているとは言え、防衛軍はかなり疲労が溜まっている。

 長期戦になれば、再び戦況がひっくり返る可能性は十分にあった。

 

 だから、短期決戦に持ち込む。

 

『可能であれば、こちらに合わせてそちらからも人数を出してくれると助かります』

 

 康奈からの通信は、そこで終わった。

 

「提督。……どうする?」

 

 もはや決断の先送りはできない。

 妹だった存在に、どう相対するか、今すぐ決める必要がある。

 

「……私、は」

 

 歯を食いしばり、顔をしかめながら、智美はどうにか言葉を吐き出した。

 

 

 

 研究島が急接近しつつある。

 その報告を受けて、防空棲姫は司令室から飛び出した。

 

『姫、どうなされます……!?』

『ちょうどいいわ。私も出る』

 

 大勢が決しつつあることは、肌身で感じ取っていた。

 おそらく、研究島は決定打を打つべくやって来ているのだろう。

 

 ならば、それを正面から叩き伏せることで、敵の勢いを断ち切るしかない。

 

 外に出て、最初に感じたのは風だった。

 潮の香が漂う、心地よい風だ。

 

 かつて、どこかで誰かと共に感じたことのある風だ。

 それは、誰と感じたものだったか。

 

 正面から研究島が近づいてくる。

 その周辺には、数多の艦娘の姿があった。

 

「……フフ。ここまで来たのね。フフ……フフフッ」

 

 己の自由を断たんとする敵を前にして、防空棲姫はこれまで感じたことのなかった高揚感に包まれつつあった。

 

 日は沈みつつある。

 月明かりが照らし出す南方の海。

 そこが、決戦の地だ。

 

『総員。ここがこの戦いの正念場よ。さあ、存分に暴れ倒しなさい――!』

 

 防空棲姫の号令と共に、彼女の直属部隊が砲口を艦娘たちに向けて構えた。

 南方海域を舞台とする長き戦いの――クライマックスの幕開けである。

 

 

 

 トラック泊地の部隊を中心とする艦隊と防空棲姫直属部隊の戦いは、当初艦娘側が優勢だった。

 単純に数が違う。泊地の防備が薄くなるデメリットを理解しつつ、この戦いに相当の戦力を配した大江元景の判断が、ここではプラスに働いた。

 

「主砲、てーッ!」

 

 トラック泊地の誇る戦艦部隊が、敵の戦艦や空母を次々と打ち倒していく。

 一方、水雷戦隊を中心とする前衛部隊は、主力部隊が攻撃に専念できるよう敵陣をかき乱していた。

 

 その中に、大淀隊の姿もある。

 

「この戦い、いけるかな……!?」

 

 敵の水雷戦隊を撃滅し終えて、清霜は周囲を見渡した。

 まだ敵は数多く残っている。

 しかし、艦娘たちの被害はほとんど見受けられない。

 まだ状況はこちらが有利だった。勢いは、断たれていない。

 

「このまま流れに乗れれば、勝てる!」

 

 清霜の背中を力強く磯風が叩く。

 

 二人の視線の先には、敵の旗艦であろう小柄な深海棲艦の姿が見えた。

 

 清霜と深海棲艦の視線が交わる。

 まるで、ずっと昔から知っていた知己に再開したかのような――そんな感覚を、両者は共有した。

 

「――行こう」

 

 だが、そこで異変が生じた。

 耳をつんざくような不快な音が、戦場を包み込んだのだ。

 

「っ、なんだ、これは……!」

 

 全身から力が抜けていく。

 今、戦場を覆っているのは、ただの不快な音ではない。

 

 大淀隊だけではない。

 トラック泊地の艦娘たちも、皆、耳を押さえ、体勢を崩していた。

 

 

 

 制御室のモニターに大きく映し出された文字列を見て、康奈は歯噛みした。

 

『これでもう艦娘たちは戦えない』

 

 IZUNAだ。

 彼女が、この局面で艦娘に悪影響を及ぼす何かをしたのだ。

 

 制御室から研究島の各システムを見直して、康奈はIZUNAが何をしたのか、その答えに行き着いた。

 ここは、艦娘人造計画に関する様々なデータを保管する施設である。

 その中には、人造計画の進行中、艦娘や艦娘被験者が反乱を起こしたときのためのシステムに関するデータもあった。

 

 艦娘は、人間ベースであろうとなかろうと、戦いの際には提督との契約で得られる霊力を使う。

 霊力に不足が起きたり異変が生じると、十分にその力を発揮することができなくなる。

 

 その点に目をつけて、艦娘と提督の間にある霊力の経路をかき乱す装置が作られた。

 今IZUNAが動かしているのは、その装置である。

 

 制御室からその装置を停止できないか試みたが、各所にロックがかけられていた。

 

『司令官。駄目、このままじゃ――!』

『提督。ここは……くっ!』

 

 通信機からは、戦況の悪化を想起させる音声が聞こえてくる。

 いかに数が揃っていようと、練度が高かろうと、エンジンが壊されてしまっては、まともに動くこともできないだろう。

 

 このまま手をこまねいていては、全滅は必至だった。

 

『私と姫様は、自由を手にする。この戦い、最後まで諦めなかった私たちの勝ちだ』

 

 モニターに表示された新たなメッセージ。

 しかし、それを目にしても、康奈は動じなかった。

 

「最後まで諦めなかった?」

 

 制御室のコンソールから離れ、康奈はモニターに正面から向き合う。

 

「その心意気は大したものだけど――最後というのは、まだ訪れていないわ」

 

 康奈は、手に隠し持っていたスイッチを躊躇いなく押す。

 それからキッチリ五秒後、研究島全体を揺るがすほどの大きな爆発が起きた。

 

『これは、貴様、なにを!?』

「私はケジメをつけるためここまで来た。アンタと勝負をするために来たわけじゃない。だから、万一私が失敗したときのために――荒っぽい方法でアンタをどうにかする手段も用意していた」

 

 爆発は一度では収まらない。

 何度も、大きな爆発が島の各所で発生し続けている。

 

『ここを、この島を、丸ごと沈めるつもり!?』

「ええ」

 

 事もなげに言い放つと、康奈は戦場に残っている艦娘たちに通信を発した。

 

「こちらショートランドの北条康奈。皆――調子はどうかしら?」

 

 

 

 身体を覆っていた不快感は消えつつあった。

 深海棲艦の猛攻に押し切られそうになっていたが、かろうじて戦線は維持できている。

 

「調子は、戻ったよ!」

「これなら、まだいける!」

 

 康奈の問いに、各地で戦っていた艦娘たちが応える。

 まだ戦える。

 勝負はこれからだ、と。

 

『なら――いきなさい!』

 

 康奈の言葉に背中を押されるように、清霜は駆け出した。

 

 目指すは一ヵ所。

 敵陣の奥深くにいた、小柄な白き深海棲艦。

 後に防空棲姫と名付けられる、異形の深海棲艦だ。

 

 清霜たちの接近に気づいたのか、防空棲姫も迎え撃つ構えを見せる。

 

「支援する!」

 

 雲龍の艦攻隊・艦爆隊が防空棲姫周辺の深海棲艦を蹴散らす。

 しかし、すべてを倒しきれたわけではなかった。

 残った何体かが、急接近する清霜目掛けて主砲を放つ。

 

「させないッ!」

 

 咄嗟に清霜を庇ったのは春雨だった。

 清霜の前に飛び出した春雨は、敵の直撃弾を受けて、小さな身体を宙に浮かせる。

 

「春雨!」

「いいから!」

 

 先に行って。

 春雨の叫びを聞いて、清霜は振り返るのをやめた。

 

 今見るべきは、防空棲姫ただ一人。

 相手を倒すため、全神経を集中させる。

 

「好きにやりなよ」

「フォローは任せて」

 

 時津風と早霜が、清霜の両サイドから飛び出した。

 周辺の敵を打ち倒し、清霜が防空棲姫へと至る道を切り開く。

 

「行きましょう」

 

 大淀が清霜の肩を叩く。

 側には、磯風と朝霜がいた。

 

 清霜は頷くと、防空棲姫目掛けて主砲を放ちながら接近した。

 敵の反撃を仕掛けてくるが、その砲撃は紙一重で清霜に当たらない。

 

 一歩でも踏み違えれば、そこで決着がつく。

 際どい勝負だったが、清霜は躊躇わずに突き進んだ。

 

 互いに息がかかるほどの距離まで近づく。

 

 清霜の足から魚雷が放たれた。

 防空棲姫も、清霜の腹部目掛けて砲撃を放つ。

 

 両者の攻撃は、紙一重のところで当たらない。

 ただ、清霜の放った魚雷は防空棲姫の護衛の深海棲艦に直撃した。

 

 魚雷が引き起こす爆風の最中、清霜の背後についていた磯風と朝霜が前に出る。

 両者の後ろに控えていた大淀が主砲を放った。

 更に両サイドから磯風と朝霜の魚雷が迫る。

 

 すべて、防空棲姫に命中した。

 だが、それでも彼女は健在だった。

 

「痛い……痛いわねェッ!」

 

 接近していた朝霜の頭を掴むと、力任せに磯風へと投げつける。

 そのまま、流れるような動作で大淀目掛けて連装砲による砲撃を放つ。

 

 接近が仇になったか、連装砲の直撃を受けて大淀の艤装は一気に大破した。

 

 体勢を立て直そうとする清霜と防空棲姫の視線が合う。

 

「私は、ここを切り抜けて自由になるッ!」

「ここを切り抜けるのは、私たちだッ!」

 

 清霜の右腕が輝きを増す。

 アガートラームだ。

 

 防空棲姫の視線が一瞬、そちらに引き寄せられる。

 

 そのとき、間隙を突くようにして現れた者たちがいた。

 紺色のスカーフをまとった一団。

 横須賀第二鎮守府の川内隊だ。

 

 予期せぬところから現れた川内たちに、防空棲姫の動きが止まる。

 その隙を逃すような川内隊ではない。

 

「総員、魚雷発射」

 

 低く鋭い命令が、防空棲姫への死刑宣告となった。

 

 一斉に放たれた多数の魚雷が、防空棲姫の装甲を貫き、致命傷を負わせる。

 

「ま、まだ――まだよ!」

「もう終わりだよ」

 

 なおも足掻こうと川内に迫る防空棲姫に、清霜が主砲の照準を合わせた。

 アガートラームの輝きは、夜には一際強いものに見える。

 

 その輝きの中にあって、清霜は悲痛な表情を浮かべていた。

 

「ごめんね。()()

 

 自然と口をついて出てきた言葉。

 それは、清霜自身が放った砲声によってかき消された。

 

 

 

 結局のところ、手にしたのは自由などではなく、孤独だけだったのかもしれない。

 戦いが終わり、全身から力が失われていく最中、防空棲姫は自分自身の生涯を振り返り、そう結論付けた。

 

 強大な力をもって生まれた彼女は、何に縛られることもなく、思うがままに生きた。

 もっと自由を得たい。そう告げた彼女に、IZUNAは『国を作ろう』と言いだした。

 誰もが自身を肯定するような、そんな国を作ろう、と。

 

 しかし、そこにあるのは自由ではなかったのだろう。

 もし作ることができたとしても、きっと自分は満足していなかったはずだ――防空棲姫はそう感じた。

 

 目の前にいるのは、脆弱で小さな艦娘たちだ。

 一人一人の力は取るに足らないものだろう。

 人間たちに良いように使われて、不自由も多いはずだ。

 辛いことも沢山あるだろう。思うようにいかないことだらけの生活かもしれない。

 

 それでも、防空棲姫は、彼女たちが羨ましいと思った。

 

「最後に一つ、うちの提督から言伝だ」

 

 艦娘の一人が、静かに告げる。

 

『守り切れなくて、ごめん』

 

 告げられたのはそれだけ。

 短い、本当に短い言葉だった。

 

 しかし、そこに万感の思いが込められていることを、防空棲姫は理解していた。

 

「嗚呼――」

 

 やがて死に至るという状況で、防空棲姫の心は、かつてないほど満ち足りていた。

 もしかすると、欲しかったのは、自由などではなかったのかもしれない。

 

「仕方ないなあ。景華姉は――」

 

 防空棲姫の視界がぼやけていく。

 そのとき、彼女は誰かが自分を抱きかかえていることに気づいた。

 それは、よく知っている人のような気がした。

 

「ほら、言ったでしょ」

 

 その誰かに向けて、防空棲姫は言葉を紡ぐ。

 

「ああ見えて、優しい人なんだよ」

 

 もし、次があるなら、もっとちゃんと伝えたかった。

 

 消えゆく意識の中で防空棲姫が最後に思い浮かべたのは、知らないはずの、笑顔の二人だった。

 

 

 

 戦いが終わる頃、康奈は爆炎の中にいた。

 制御室の中、彼女は一人モニターと向き合っている。

 

『逃がさない』

 

 制御室の扉が、開かなくなっていた。

 いろいろと工夫を試みたが、どうにも開きそうにない。

 最後の意地というやつか、IZUNAが完全にロックしているようだった。

 

『お前だけが未来に行くなんて、許さない。私や姫様だけが取り残される未来など、許さない――』

 

 モニターには、延々と恨み言が連なっていく。

 自らが生み出した人工知能ながら、この感情の豊かさに、康奈は素直に驚いていた。

 

「……まいったわね」

 

 研究島は既に沈みかけている。

 制御室も、浸水しつつあった。

 

 爆発のときに壊れたのか、通信機も応答しなくなっていた。

 

『私は諦めない。私と姫様が未来を得られないのなら、お前も、お前だって……!』

 

 IZUNAのしたことは、人間の価値基準で見るなら間違いなく『悪』だ。

 しかし、そこに康奈との――横井飯綱との違いはほとんどない。

 偶々道を踏み外したのがIZUNAだった。それだけの違いだ。

 

「なるほど。それなら、確かに私だけがのうのうと未来を掴むのは、我慢ならないんでしょうね」

 

 もう一度扉を開けようと試みるが、やはりダメだった。

 力ずくで開けることは不可能だろう。

 助けを呼ぶこともできない。

 

 康奈は笑った。

 それは、笑うしかないが故の笑いでもあったし、IZUNAという存在への賛辞を込めた笑いでもあった。

 

「良いわ――そこまで言うなら()()()()()()()()

 

 島が大きく傾く。

 沈みゆく禁忌の知の島の中で、禁忌の生み手と生み出された禁忌は、互いに向き合い続けた。

 

 

 

 そこに、戦勝を喜ぶ声はなかった。

 

 沈みゆく研究島は、海流に大きな影響をもたらした。

 離れなければ、巻き添えで自分たちまで沈みかねない。

 

 近くに残っていた艦娘や深海棲艦の残党は、我先にとその場を離れ始める。

 

「……司令官!」

 

 その中にあって、清霜は一人、研究島に乗り込もうとしていた。

 両脇を固めている早霜と朝霜を振りほどこうともがくが、戦いの疲労もあってか、思うように力が出ない。

 

「よせ、近づいたらお前も無事じゃ済まない!」

「でも、でも……! 私は、また、こんな……!」

「戦艦でも無理だっての! 連絡つかなくなっただけで無事かもしれないだろうが!」

 

 かつての武蔵沈没のことを思い出しかけた清霜の頬を、朝霜が思い切りはたいた。

 そこで、清霜はようやく動きを止めた。

 

「少なくとも、清霜が無理をすることを、司令官は望まないと思う」

「……っ」

 

 眼前で沈みゆく島を前に、清霜は慟哭する。

 それは、長く辛い戦いの果てに勝ち取った、あまりに苦い勝利であった――。

 

 

 

 二〇一五年、夏。

 深海対策庁は、ソロモン海域に進出してきた深海棲艦の大軍を迎撃。

 敵本拠地であるサモアを陥落させ、同地に安寧をもたらした。

 

 なお、この戦いにおいて、ショートランド泊地の提督・北条康奈は戦死。

 同泊地の新たな提督には、大本営の承認を得て、義兄・北条新十郎が就くことになった。


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