エピローグ「人は皆、何度でも立ち上がれる」
二〇一五年、初秋。
この日、ショートランド泊地の艦娘代表団はソロモン諸島の首都・ホニアラを訪れていた。
先日の戦いで命を落とした前提督・北条康奈の葬儀を執り行うためである。
日本大使館の長崎は沈痛な面持ちで一行を出迎えた。
「皆さん、既に集まられています」
「ありがとうございます。いろいろと手配していただいて」
謝辞を述べる大淀の顔色は悪い。
あの戦いの後、なにかを振り切るように仕事に没頭し続けていたのだ。
放っておけばすぐにでも倒れそうで、かなり痛ましい。
後に続く清霜たちの表情も暗いものばかりだった。
葬儀とはそういう場ではあるが、艦娘たちの喪失感は、見ている方にも辛さが伝わってくるようである。
長崎も、在りし日の少女の姿を思い出して、なんともやるせない気持ちになった。
まだ若い。戦場で散るには、あまりに若過ぎる命だった。
葬儀の場には、多くの人が集まっていた。
横須賀鎮守府の提督・三浦剛臣。
呉鎮守府の提督・浮田秀雄。
トラック泊地の提督・大江元景。
他にも近隣の提督やその代理、深海対策庁に名を連ねる面々が揃っていた。
彼らはショートランドの代表団を見つけると、丁寧に弔辞を述べた。
若手ながら、康奈の存在は提督たちの間でも、確かに認められていたのだ。
ただ、会場に長尾智美の姿はなかった。
彼女は大本営の辞令を蹴り、作戦に独断で参加した。
その責を問われ、横須賀第二鎮守府の提督権限を剥奪され、作戦本部からも外されることになったという。
ショートランド代表として、そして義兄として、新十郎が葬儀を進めていく。
この間、面倒臭がりな彼にしては珍しく、面倒だとはぼやかなかった。
遺体は見つかっていないため、火葬は行われず、形式的に空の棺が出された。
「――これで終わりなのか」
どうにも実感がわかない様子で、磯風が呟いた。
他の皆も同じような表情を浮かべている。
康奈がもういない。
そのことを、まだ十分に受け入れられていないようだった。
参列者たちはしばらく残って故人の思い出話をしていたが、皆激務の身ということもあって、程なくその場はお開きということになった。
「本当はもう少しゆっくりしていきたかったんだが」
「三浦提督は早々に戻った方が良いだろう。復帰して、やることが盛り沢山なんじゃないか」
新十郎の言葉に、違いない、と剛臣は微笑を浮かべた。
智美が外されたことで、剛臣を取り巻く状況は急変しつつある。
横須賀鎮守府の再編や作戦本部の人事替え等、彼はしばらく忙しない日々を送ることになるだろう。
そんな剛臣は、清霜の姿を見かけると、こっそりと耳打ちしてきた。
「今夜、教会の側にある康奈君の墓地に行ってみると良い」
「え?」
それはどういう意味かと問いかけようとしたが、そのとき既に剛臣は遠くに行ってしまっていた。
「清霜、どうかした?」
「……ううん。なんでもないよ、早霜姉様」
剛臣の言葉の意味は分からないが、そこで何が待っているのかは、なんとなく予想がついた。
それなら、あまり余人には話さない方が良い。
そう決めた清霜は、大人しく夜が訪れるのを待つことにした。
ショートランド泊地の面々は、この後も所用があって残ることになっていたので、宿舎が用意されていた。
夜半、清霜はその宿舎をこっそりと一人で抜け出す。
昼間は活気のあるホニアラの町並みも、夜は静けさを増し、いつもと違う雰囲気を漂わせていた。
知っているようで知らない道を駆け足で進み、教会の墓地へと辿り着く。
そこには、先客がいた。
北条康奈の墓石の前に立ち尽くす、小柄な人影。
「――景華姉」
清霜が声をかけると、上杉景華――長尾智美は静かに振り返った。
「……静。そう呼んでも良いのかな」
智美の様子は、これまでと大分違っていた。
清霜がこれまで見てきた智美は、表面を取り繕うことはあっても、常にどこかへと怒りを溜め込んでいるようなところがあった。
今は、それがない。憑き物が落ちた――そういう印象を受ける。
清霜が頷くと、智美はほんの少し嬉しそうに笑った。
「最近、どうしてるの?」
「父に捕まらないよう、どうにか逃げ回っているよ。あの男の掌で踊るのは我慢ならないからな」
「あの人は、景華姉をどうしたいのかな」
「さあな。これまでの長尾智美としての立場はすべて奪われた。元々は大本営の一員に加えるつもりだったそうだが、今は何を考えているのやら」
雨で湿った草の香りが、夜風に乗って漂ってくる。
昼間はしとしとと降り続けていたが、今はもう止んでいた。
「あいつは、元気にしているか」
「……うん。今は、他の皆と基礎訓練中」
「記憶は、戻らないか」
「うん」
「そうか。……そうだな。そこまで、都合よくはいかないか」
景華の語ったあいつというのは――防空棲姫のことだった。
川内隊や清霜に倒された防空棲姫は、その場で駆逐艦・照月へと姿を変えた。
これまでも、艦娘によって倒された深海棲艦の艤装が浄化され、艦娘用の艤装に変化したということはあった。
しかし、深海棲艦が直接艦娘に変化するというのは、異例の事態だった。
このことは、極僅かな者しか知らない。
大本営すら掴めていない情報のはずだ。
もし掴んでいたとしたら、照月は捕らえられ、実験材料として扱われていることだろう。
それは忍びない。
そう判断した者たちの手で、照月は普通の艦娘として、ショートランド泊地に配属されることになったのだった。
「いつか、戻るかもしれないよ」
「そうだな。そのときまでは、私の分まで、お前が守ってやってくれ」
「……なにか不思議な気分だね。景華姉が、私になにかを頼むなんて」
昔は、叱られてばかりだった。
そう言うと、智美は少しばつの悪そうな表情を浮かべる。
「お前も、大きくなったからな。それに、私は自分の不甲斐なさも思い知った。信用できる者は、もっと信頼すべきだと思ったまでだよ」
そうして、二人は言葉を止めた。
残す話題はあと一つだけ。
眼前の墓に名前を刻んだ、若き提督のことだけである。
「……景華姉は、司令官のこと、やっぱり許せない?」
「そうだな。お前の前で、故人についてとやかく言うのもなんだが――正直に言えば、許し難い部分はあるよ」
艦娘人造計画によって、人生を無茶苦茶にされた智美にとって、計画に与していた横井飯綱――北条康奈は用意に受け入れられる存在ではなかった。
「だが、あいつの経歴を追ってみると、一概に責めることもできない。あいつが計画に与するようになったのは、そもそも父に原因があるようだったしな。……それに、あいつがいなければ、私たちは今こうしてここで再会できていなかった、とも思う」
智美の言葉は、歯切れが悪い。
彼女も康奈の死をまだ割り切れていないようだった。
「……もっと、沢山お話したかったな。司令官」
「そうだな。恨み言を言うにも、感謝を述べるにも、奴がいなければ始まらない。……本当に、早過ぎた」
智美は、墓を前に手を合わせて静かに祈った。
清霜もそれに倣って瞼を閉じる。
二人で、しばらくそうしていた。
そのとき。
誰かの足音が、近づいて来た。
こんな夜更けに墓地へ来るのは、教会の人間か、もしくは特別な用事のある人間くらいだろう。
念のため警戒しつつ、二人は一斉に振り返った。
「――」
「――え」
そこにいたのは、顔の半分を覆うような眼帯を身に着けた小柄な人物だった。
その人物は、足を引きずりながら、ゆっくりと二人の元に歩み寄ってくる。
「こんな時間にこんな場所にいるってことは、貴方たちも三浦さんに呼び出されたのかしら?」
その声は、清霜にとって忘れ難いものだった。
その顔も、半分だけだが、見間違えようがない。
「……しっ、しししし………司令官――!?」
深夜の墓地で、清霜の声が響き渡る。
彼女たちの前に姿を現したのは、葬られたはずの北条康奈その人だった。
宿舎は、天地がひっくり返ったような大騒ぎになった。
もっとも、騒ぎの元である康奈本人はというと、やや居心地悪そうに周囲の様子を探っている。
あの戦いで研究島共々沈んだかと思われていた康奈は、その実、沈む直前で脱出していた。
ただ、研究島の沈没によって生じた海流に呑まれ、しばらくは海を漂流するハメになったという。
それを見つけて救い出したのは、戦後処理にあたっていた横須賀鎮守府の艦娘たちだった。
「そのときはかなり危険な容態だったらしくて、東京の病院に連れて行かれて、何度か手術をして、どうにか一命を取りとめたみたいだったのよね」
まだ調子は万全ではないらしく、足は元通り歩けるようになるまでかなりの時間を必要とするらしかった。
顔の方も、右の視力は完全に失われ、火傷の跡もしばらくは残るのだと言われた。
「つまり、三浦提督はすべてを知った上で、しれっと提督の葬儀に参加されていたというわけですか」
「ま、まあ三浦さんも私の立場を考えた上で秘密にしてくれていたみたいだから。皆に話す時間がなかったのかもしれないし」
「……戦後処理の中で、私は大本営やその一派から貴様のことをいろいろと聞かれた。おそらく貴様の行動や通信記録を洗い出したんだろう。貴様の記憶が戻っていることは、連中も把握しているはずだ。しばらくは、身を隠していた方が良い。そう判断したのだろうな」
智美の補足に、大淀は不承不承剛臣への怒りを引っ込めた。
康奈のための行動であれば、責めるに責められない。
実際、横井飯綱としての記憶を取り戻した康奈は、大本営にとって非常に都合の悪い存在と言えた。
自らの暗部をいつ暴露するか分からない危険因子である。一歩間違えば、世論を大きく動かしかねない。
もし康奈を見つけたのが大本営の手の者だったら、今頃どうなっていたか分からない。
剛臣は、独自の調査で康奈の事情をそれとなく把握していた。
そんな彼の艦娘たちに見つけてもらえたのは、かなり幸運だったと言える。
「どこで大本営に漏れるか分からないから、皆にも連絡取れなかったのよ。そこは悪いと思っているわ」
「……いえ。ご無事なら、それでいいんです」
頭を下げる康奈に、大淀は困ったような表情を浮かべた。
その目からは、涙が滲み出ている。
「そうだね。本当に、無事で良かった。司令官」
康奈に抱き着きながら表情をほころばせる清霜に、ショートランドのメンバーは頷いてみせた。
「だけど、よく抜け出せたな。完全にロックされちまってたんだろ?」
新十郎の問いに、康奈は「ああ」と思い出したかのように補足説明をした。
「説得したのよ、IZUNAを」
「説得?」
「ええ。このまま二人で海の藻屑になるくらいなら――二人で一緒に生きてみないかって」
そうして、沈みゆくギリギリの時間まで、康奈はIZUNAの持っていた情報を手持ちの機器に移動させた。
IZUNAが本来持っていたデータは膨大な量だ。とても移動しきれるようなものではない。
ただ、外部とのやり取りをするためのインタフェース規格に関するデータは、きっちりすべて確保したという。
「……ええと。それって、どういうこと?」
『私の本体は今も海の底。だけど、こうしてこちらに顔を出すことはできる――ということね』
首を傾げる清霜に、どこからともなく声がかけられた。
康奈のものにも似た、しかしどこか機械的で不自然さのある声。
「右目か」
『ご明察』
康奈の眼帯の内側から声が聞こえる。
心なしか、眼球の位置の辺りがもぞもぞと動いているようにも見えた。
「即席の代物だけど、霊力でパス繋いで会話だけ出来るインタフェースを用意してみたのよ。勝手にあれこれされたら困るから、とりあえず義眼ということで」
『自由に動けないのは気に入らないけど、今はこれで我慢してあげるわ』
「もっとアンタがこの世界に適合したら、ちゃんとしたのを作ってあげるわよ」
そんな二人のやり取りを、周囲は何とも言い難い表情で見ていた。
IZUNAは様々な問題の元凶とも言うべき大罪人である。清霜や智美からすれば仇の一人でもあった。
「……そいつは大罪人だ。そんなものを右目で飼うつもりか?」
「あれだけ生きたい、自由になりたい、と言われたら――生み出した身としてはね」
裁くのではなく、生み出した者としてこれから付き合い続けていく。
そういうケジメのつけ方を、康奈は選んだのである。
智美はしばらく康奈を睨み据えていたが、やがて大きく息を吐いた。
「それがお前のケジメのつけ方なら、私から他に言えることは何もない。――せいぜい貫いてみせることだ」
肯定とも否定とも取れる言葉。
ただ、そこに敵意はなかった。
智美の中にあった一つの因縁は、ここで一区切りついたのかもしれない。
智美は席を立つと、ゆっくりと宿舎の出口に向かっていく。
「もう行っちゃうの?」
「私がいては、水入らずのところを邪魔することになるからな」
扉を開けて出ていく智美の背中を、清霜がじっと見つめる。
引き止めたいが、言葉が出てこない。そんな想いが込められた眼差しだった。
その視線に気づいたのか、気づいていないのか、智美は去り際に小声で付け足した。
「また――邪魔をする」
思いがけない再会を機に始まった夜半の祝宴は、終わり時を見失ったまま、夜明け前まで続いた。
康奈の生還に盛り上がるショートランドの面々は、皆、目一杯はしゃぎ倒した。
そうして、皆が力尽きて寝入った頃。
康奈は幸せそうな顔で眠る皆を見渡して、優しげな表情を浮かべると、静かにその場を離れた。
気づく者はいない。それを確認してから外に出る。
じきに夜が明ける。
水平線の彼方からは、ほんの少しだけ陽の明かりが顔を覗かせつつあった。
「司令官」
海を眺める康奈に、後方からかけられる声。
そこには、清霜の姿があった。
一年前、二人が出会ったときよりも、その表情は少しだけ大人びている。
「私は、もう司令官じゃないわ」
「じゃあ、なんて呼べばいい?」
「――とりあえず、康奈、で」
ショートランド泊地の提督・北条康奈は死んだ。
だが、彼女は康奈という名前まで捨てるつもりはなかった。
この名前には、彼女がショートランドに辿り着いてからの、多くの想い出が詰まっている。
「康奈さんは、これからどうするの?」
祝宴中、皆が聞こうとして聞けなかった問いかけ。
ショートランド泊地の提督でないただの康奈が、今後どうしていくのか。
「世界を見て回ろうと思う」
康奈は迷わず答えた。
既に、決めていたことである。
「私はいろいろなことを知りたいと思った。多くの知識を集めた。けど、知識を扱うニンゲンのことを知らな過ぎた。そこから、いろいろな問題を引き起こしてしまった気がする。だから、今は世界を回って――多くの人のことを知りたいと思う」
サッパリとした康奈の答えに、清霜は寂しそうな笑みを浮かべた。
「やっぱり、泊地には残らないんだね」
「大本営に見つかったら問題になるかもしれないでしょ。しばらくは目の届かないところに退散させてもらうわ」
そう言われてしまうと、清霜としては何も言えない。
あえて引き止めれば、他の皆にも影響が及びかねないのだ。
「そんな寂しそうな顔しないの。ときどき、連絡は入れるから」
「うん」
「あと、あまり無茶しないのよ。清霜はいつも無茶ばかりするんだから」
「うん……」
「風邪には気をつけるのよ」
「うん――」
「あと……」
そこで、康奈の言葉が止まる。
言いたいことはいくらでもあるはずなのに、頭の中が空っぽになって、何も出てこなくなった。
ただ一つ。
たった一つだけ、言葉が浮かんだ。
大いに照れ臭いが、この機会を逃しては、もう言えないかもしれない。
そう思って、康奈は一歩踏み込んだ。
「あと……できれば、私と、友達になってほしい」
一人の友も得られず消えた横井飯綱。
司令官という立場からの孤独感と戦い続けた北条康奈。
そのどちらでもなくなった、ただの康奈だからこそ、言える言葉だった。
清霜はきょとんとした表情を浮かべたが、その意味を考えたのか、ゆっくりと満面の笑みで応えた。
失った過去を取り戻し、それを背負って進むと決めた二人の少女は、こうして新たな門出を迎える。
再起の道は険しく遠い。
それでも、このときの想い出がある限り、彼女たちが歩みを止めることはないだろう。
「えー、本日付けでショートランド泊地に異動になりました。夕雲型駆逐艦の朝霜です」
ある秋の日。
ショートランド泊地の執務室で型通りの挨拶をする朝霜を見て、その場にいる全員が笑いを噴き出した。
「なんだよ。なにかおかしいこと言ったか?」
「ううん。た、ただ、なんていうか――」
「凄く今更というか」
笑いをこらえながら応じる清霜と早霜に、朝霜は顔を赤くした。
「うるせえな! こっちだってそんなの分かってるんだよ! けど、こういうのはちゃんとやらないと駄目だろうが!」
横須賀第二鎮守府は解体され、そこに所属していた艦娘たちは多くが横須賀鎮守府に編入することになった。
ただ、希望を出して他の拠点に異動する艦娘もいたという。
「あまりからかってやるな、清霜。朝霜はお前のためにここまで来たんだぞ」
「おい、そういう言い方やめろ磯風。ぶっ飛ばすぞ!?」
「じゃあ違うの?」
「あー、もう! うるっせえ!」
じゃれあう艦娘たちを見守りながら、新十郎はボソッとぼやく。
「賑やかなのは結構だが、他所でやってくれんかね……」
「はあ、疲れた……」
本日分の訓練を終えて、海風たちは泊地近くの浜辺に倒れ伏していた。
「お疲れ様。お届け物だよ」
と、そこに顔を出したのは清霜だった。
手には封筒を持っている。
「郵便?」
「うん。はい、これは海風さん宛てね」
清霜に渡された封筒の送り主の名前を見て、海風は表情をほころばせた。
そこには、上田と記載されている。
「またお父さんから。心配性なんだから」
「そんなに心配ならこっちに来れば良いのにね」
「弟や妹のこともあるから……。それに、ここへの配属は私が我侭言ったっていうのもあるし」
上田は今も横須賀で整備員をしている。
娘が艦娘・海風として戦う道を選んだこと、ショートランド泊地に配属希望を出したことについては、一悶着あったらしい。
最終的には父親の方が折れる形になったようだが、条件として、定期的に連絡をよこすよう言われているそうだ。
ちなみに、ショートランドを希望したのは、助けてもらった恩義と、康奈への憧れが主な理由らしい。
着任当初は康奈の死を聞かされてめっきり落ち込んでいたが、最近は再びやる気を見せ始めていた。
康奈が泊地に残らなかったのは残念に思っているそうだが、今度会うときまでに立派な艦娘になる、と現在は頑張っている。
「あともう一通は、はい、照月さん」
「んー、私?」
ぐったりとしたまま、防空駆逐艦・照月は身体を反転させて、清霜から手紙を受け取った。
「あれ、こっちは送り主の名前書いてない」
「そうだね」
ふふふ、と少しおかしそうに笑う清霜に、照月は首を傾げた。
「んー? もしかして清霜、なにか知ってる?」
「どうでしょー。あ、それじゃ私これから出撃だからもう行くね!」
照月に問い質されそうな気配を察して、清霜は足早に駆け去っていく。
不審に思いながらも照月が封を切ると、中には『頑張れよ』という簡素極まりない応援のメッセージが入っていた。
「……誰ー!?」
照月の疑問に応える者はいない。
ただその日、ショートランド泊地には、一人の客人が少しだけ訪れていたそうである。
ショートランドから遠く離れた異郷の地。
パスタを愛する人々の国の片隅で、新たな艤装に関する研究が着手されていた。
「……はあ。こんなことになるなんて」
困ったような表情を浮かべているのは、艤装研究者のエルモだった。
彼の背後には、顔半分を覆い隠した小柄な体躯の少女が一人。
「あら、私との再会は不満?」
「滅相もない。ただ、なんというか、恫喝混じりのコミュニケーションはそろそろ辛いというかね」
「IZUNAとアンタが繋がってた証拠は既に掴んでるし、いつでも公開できるようにしてある。それだけよ? 公開はしてない」
「それを脅しと言うんだよ……。嗚呼、たくましくなってしまって、まあ」
エルモは嘆きながら資料を少女に渡した。
「感謝してるわ、エルモ。私の身分を作るのに手を貸してくれて。これからも良い関係でいたいわね」
「それなら、もっと自由に研究をさせて欲しいと言いますか……」
「モラルって大事だと思わない?」
「イエス・マム」
姿勢を正して作業に没頭するエルモ。
彼の視線の先には、新しいタイプの艦娘の艤装があった。
欧州の戦況は思わしくない。
状況を打開するため、艦娘に関する技術開発の需要が高まっていた。
『こういう状況だと、目的を達成するため手段を選ばなくなったりする人が増えそうだし、しっかりと目を光らせないとねえ』
「アンタがそれを言うか。……いや、私も言えた義理じゃないけど」
間違えた者だからこそ見えるものがある。
そう信じて、彼女は無用の犠牲を少しでも抑えようと、この場に立っている。
「綺麗事だけでは済まないかもしれない。手を汚さないといけない場面もあるかもしれない。けど、それでも――それが汚れたものであるという事実は、見失わないようにしないといけない」
『分かってるわよ。説教臭いわね、貴方は』
「似たのかもね」
『誰に?』
「内緒」
道は分かれ、彼女たちはそれぞれ歩みを進めていく。
いつか再び道が交わるとき、前より立派になった自分を見せられるよう――少しずつ、確実な一歩を踏み固めていく。