南端泊地物語―戦乱再起―   作:夕月 日暮

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第二陣「弱き者たちの挑戦」

 さすがに経験値が違う。

 ショートランド泊地が北東方面に部隊を出す前後、他の艦隊も同じような動きを見せた。

 

「目先の戦いに気を取られるような人はいないってことね」

「今回作戦に参加しているのは横須賀・呉・舞鶴・佐世保といった強者たちだからな」

 

 那智が補足した。出撃した大淀と交代で康奈の補佐を務める形になっている。

 

「うちの泊地ができる前から死線を潜り抜けてきた者たちだ。強いし、判断力も優れている。でなければ生き残れん」

 

 北東方面に進んだ軍勢の電探に反応があった。

 少し距離が離れているが、深海棲艦がいた。

 南東に攻め寄せていた集団よりも規模が大きい。呼応してこちらを脇から急襲する腹積もりだったのだろう。

 

『提督、どうしますか』

 

 通信機越しに大淀が問う。

 間髪入れず仕掛けるべきだ、と思った。

 敵も、急襲が失敗したこと、自分たちが狙われていることはすぐ気づくだろう。逃げるであろう敵を、少しでも多く倒しておきたい。

 

 ただ、他の艦隊も呼応して攻めかけてくれないと、戦力差で不利になる。

 逡巡していると、康奈の持つ別の通信機が着信音を鳴らした。

 

『各自、聞こえているか。こちら作戦本部。三浦剛臣だ』

 

 三浦剛臣。横須賀鎮守府の提督であり、作戦本部の部長も務めている。

 艦娘と契約し、深海棲艦と戦い始めた最初の人、と言われている。

 彼の率いる艦隊は名実ともに最強と見られていた。それは過大な評価ではない。事実、彼は一年以上に渡る深海棲艦との戦いで、常に目覚ましい戦果をあげ続けていた。

 

『北東方面の先に深海棲艦が布陣している。現在北東方面に展開している各部隊は、連携してこれを撃滅してくれ。撤退するような奴がいたら後をつけて敵本隊の位置が探れないか試すように』

 

 剛臣は気負いのない声音で、世間話をするかのように命を下した。

 

『また、これから三笠も前に出る。会議で戦略を決めようと思ったが、この状況で悠長に話し合いをしても仕方ない。幸い各艦隊の準備は万端のようだし、このまま敵に手痛い反撃を加えることにする』

 

 大丈夫なのか、という不安が康奈の胸中をよぎる。

 ただ、反対する者はいなかった。それだけ剛臣の力量が信用されているのだ。

 

 他の艦隊の練度はいずれも高いものだった。

 射程距離に入った深海棲艦を無駄なく撃ち落としていく。

 

 大淀隊の動きは、他と比べると些か鈍いと言わざるを得なかった。

 あの部隊は着任してそこまで日が経っていない。基礎訓練は終えているし、伸びしろはあると聞いているが、如何せん経験値が不足している。

 

「見ていて、少し不安になるわ……」

「一応言っておくが、迂闊にそんなことを言うなよ。特に本人たちには」

 

 思わず漏らした言葉。それに那智が釘を刺した。

 康奈が何に対し不安を覚えたか分かっているようだった。少なからず、那智も同様の印象を受けたのだ。

 

「分かってる。さすがにそこまで失礼なことはしないわ」

「失礼という話ではないぞ、提督。戦場において指揮官の心情というものは伝播していく、それに気を払え、ということだ」

 

 那智の言うことはよく分かった。

 指揮官の不安が皆に広がれば、全体の士気にかかわる。

 しかし、多くの命を預かって戦場に立つのは、経験したことのない人間には想像もつかないような重みがある。

 

「……もし吐露することで楽になりたいなら、副官や補佐官に言え。そういう話を聞くのも、補佐役の務めの一つだ」

 

 那智が声を和らげた。厳しいことを言ったと思ったのかもしれない。

 その言葉はありがたかったが、自分から人に弱音を吐くのはどことなく抵抗があった。

 

 泊地の艦娘は信頼しているが、自分の情けない面をさらけ出すのは、信頼・信用とは別の関係性が必要だという気がしている。

 清霜たちは自分が提督になって間もない頃に着任したので、他の艦娘よりも近しいものを感じる。それでも、彼女たちに自分の弱い面を見せられる気はしなかった。

 

 ならば耐えるしかない。

 

 指揮官とは孤独なものだ、と何かの本で読んだことがある。

 そのときは言葉の意味がよく分からなかったが、こうしてその立場になってみると、嫌でも分かった。

 

 

 

 初陣は済ませた。

 深海棲艦との戦いはできるようになった。清霜はそう思っていた。

 だが、この戦場は違っていた。以前の戦いが突風のようなものだとしたら、ここは嵐の真っ只中だ。

 

 戦いが止まらない。

 眼前に迫る敵部隊をどうにか撃退しても、周囲に目を向けると、他の誰かが別の敵と戦っている。

 

「清霜、前方注意!」

 

 大淀が鋭く叱責する。

 見ると、前方から人型の深海棲艦が六体、こちらに向かって来ていた。

 

「雲龍は残った艦載機で迎撃を! 時津風は雲龍の護衛! 他は私と一緒に突撃を敢行します!」

 

 大淀の下知に従い、清霜たちは隊列を整え直した。先程の戦いで乱れていたせいだ。

 その隙を突く形で、深海棲艦の砲撃が清霜たちを襲った。

 

 早霜が、次いで大淀が被弾した。これまでの連戦が祟ったのか、動きが鈍くなっている。

 雲龍の艦載機が敵部隊に襲い掛かるが、空母一人分の機体数では、六体もの深海棲艦を倒すには至らない。

 何体かが艦載機の猛攻を掻い潜り、接近してきた。

 

 敵を攪乱しようと、清霜・磯風は散開した。

 しかし、それが仇となった。敵は二人を無視して、ダメージを負っている大淀・早霜の元に向かう。

 

「しまった!」

「くそ――」

 

 急旋回して戻ろうとする。しかし、間に合わない。

 そのとき、春雨が大淀たちの前に出た。深海棲艦から二人を庇うような位置に立つ。

 

「私だって……! 春雨、守り切ります!」

 

 怯みそうなところを踏み止まって、春雨は深海棲艦目掛けて主砲を撃った。

 命中する。だが、仕留めきれない。

 それは春雨も分かっていたのだろう。主砲で動きを止めた相手目掛けて、ありったけの魚雷を発射する。

 

 敵は散開しようとしたが、春雨の魚雷は大きく広がるような軌道を描いていた。逃れきれず、直撃する。

 魚雷が命中し、あちこちで爆発が起こる。

 

「……やった!」

「まだだ!」

 

 春雨が安堵の息を漏らすのと、磯風が鋭い声を上げるのはほぼ同時だった。

 爆破炎上する深海棲艦の一体が、残りの力を振り絞って春雨たちに主砲を向ける。

 

 春雨の表情が凍り付く。

 避ければ、大淀たちに命中する。避けなければ、自分が直撃を喰らう。

 

「い、いや……!」

 

 そのとき、主砲を向ける深海棲艦目掛けて清霜が体当たりをした。

 駆逐艦の小柄な体躯。相手が万全の状態なら、微動だにしないところだったはずだ。しかし、今は瀕死の状態だった。

 

「私の仲間に、手出しするなっ……!」

 

 雄叫びを上げながら清霜を捕まえようとする深海棲艦に、清霜はむしろ自分から飛び掛かった。

 主砲を撃たせまいと、相手の腕を抑えにかかる。

 

 炎上し、沈みかかっている深海棲艦は、熱かった。

 掴もうとすると、肌が焼けるような感触がした。それでも、離そうという気は微塵もわいてこない。

 離せば、この深海棲艦は春雨たちに牙をむく。それは、清霜にとって看過できないことだった。

 

「離すもんか。私は、今度は守るんだっ!」

 

 やがて、力尽きた深海棲艦は海の底へと沈んでいった。

 残されたのは、それを最後まで押さえ続けていた清霜だけだ。

 

「大丈夫、清霜!?」

 

 駆けつけてきたのは、時津風と雲龍だった。

 大淀や春雨たちのところには、磯風が向かっている。

 

「あ、うん。平気平気……っ、いたた……」

 

 清霜は、掌が焼けただれていることに気づいた。

 相手を押さえつけている間は忘れていた。時津風たちの姿を見て、ようやく我に返ったのだ。

 

「酷い傷ね。艤装は無事だけど……この状態で戦いを続けるのは、あまり良くないと思う」

「大丈夫だよ、雲龍さん。艤装の操作ができるなら、戦える」

「そうやって無理して後に響いたらしょうがないじゃん」

 

 時津風に諫められて、清霜は口をつぐんだ。

 外見は幼く見えるが、時津風は磯風の姉にあたる艦娘だ。

 マイペースでつかみどころのない性格だが、道理に合わないことは言わない。

 

「清霜もそうだが、大淀と早霜のダメージも深い。二人の艤装は、戦闘継続が困難な状態だ」

 

 合流した磯風が状況を報告した。

 大淀たちは意識こそあるものの、海面に立っているのがやっとな様子だ。

 指揮官である大淀がこの状態では、部隊が機能しない。

 

「すみません。私が不甲斐ないばかりに……」

『気にしないで、大淀。どのみちそろそろ撤退してもらうつもりだったわ』

 

 大淀の通信機から、康奈の声がした。

 

『貴方たちは十分戦ったわ。そろそろ燃料・弾薬ともに尽きつつあるでしょう。一旦戻って来なさい。今、そっちには鬼怒隊が向かってるから』

「分かりました。では大淀隊、これより母艦に戻ります」

 

 大淀隊が母艦に戻る途中、清霜の隣に春雨が寄って来た。

 

「清霜、ごめんね。私がもっとしっかりしていれば……」

「え、全然しっかりしてたよ? むしろ、春雨凄いなって思ったくらいだもん」

「そうだな。あのとき見せた春雨のガッツは大したものだった」

 

 側で話を聞いていた磯風がフォローを入れる。

 

「どちらかというと、清霜の方が無茶苦茶だ。深海棲艦は基本能力なら艦娘を凌駕する個体も多いと聞く。下手に接近して、身体をねじ切られたりしたらどうするつもりだった?」

「えー、いいじゃん。結果として皆無事だったんだし」

 

 あっけらかんとした清霜の返しに、磯風は不服そうな表情を浮かべて視線を逸らす。

 春雨がどこか悔しそうに唇を噛んでいることに、このとき二人は気づいていなかった。

 

 

 

 艦娘は超常的な力で深海棲艦と戦うことができる。

 しかし、そのエネルギーは無尽蔵なものではない。

 疲労もするし、戦うための武器や弾薬が使用できなくなるような事態もある。

 だから、適宜休息や装備の修復が必要になるのだった。

 

 戻ってきた大淀隊を迎えた康奈は、全員の無事に安堵し、次いでそれぞれの傷具合を見て苦しそうな表情を浮かべた。

 

「ごめんね。少し無理をさせ過ぎたかもしれない」

「いえ、お気になさらないでください、提督。私もまだいけると思っていたのです。少し、自分たちの力を過大に見ていたのかもしれません。きちんと状況を把握し、進言すべきでした」

 

 大淀はそう言ったが、康奈の中で後悔は消えなかった。

 いろいろな要因によってこの結果になった。その中には大淀の言うように、彼女たちの判断ミスもあったのかもしれない。しかし、責任は提督である自分に帰すものだ、という考えがある。

 

「とにかく、大淀隊の負傷者はすぐに母艦内の艦娘用入渠施設に行くこと。再度出撃命令があるまでは休養に専念しなさい」

「はーい!」

 

 清霜が手をあげて、元気よく応じた。

 しかし、その手は焼けただれている。それが痛々しくて、早く行きなさい、と急かしてしまった。

 

「……那智。少し、私も休んでいいかしら」

「ああ。顔色が悪そうだ。あまり無理をするなよ」

 

 那智に礼を言って、康奈は船内の自室に戻る。

 備え付けの椅子に腰を掛けてしばらく部屋の天井を眺めていたが、どうにも落ち着かない。

 引き出しから瓶を取り出して、中に入っていた薬を飲み込んだ。

 

 泊地の医者に処方してもらった精神安定剤だ。

 なるべく使わないようにしているが、己の指揮で誰かが傷つく度に、これに頼ってしまう。

 

 誰かが傷つく姿を見る度に、死という言葉が脳裏をよぎる。

 二度と会えない。どこからもいなくなってしまう。死とはそういうものだと、先代に教わった。

 

 身寄りも過去もない康奈にとって、泊地の人々と艦娘たちは心の拠り所だった。

 先代がいなくなったことは、康奈にとって深い傷になっている。

 

 先代の提督は、泊地が深海棲艦に急襲を受けたとき、康奈と一緒に行動していた。

 敵空母が放った艦載機に、先代も康奈も撃たれた。康奈の傷はまだましな方だったが、先代の傷は深かった。

 

 彼は自分が力尽きる前に、康奈に提督としての力を継承させた。

 継承の負荷によって康奈は意識を失い――その後、先代の姿を見ることはなかった。

 

 これ以上拠り所を失いたくない。それが康奈の正直な気持ちだった。

 しかし、提督という立場にある以上、艦娘を死地に向かわせなければならない。

 その矛盾が、常に彼女を苛んでいた。

 

「……先生。こんなときは、どうすればいいんですか」

 

 誰もいない部屋で一人、康奈は何度も繰り返しそう呟いた。

 

 

 

 三笠に設けられた司令室。

 そこには様々な機器が設置されており、周囲の戦況をつぶさに確認することができるようになっていた。

 

「敵の進行部隊は無事退けられたようだな、毛利」

「当然だ。ここまで準備しておいて無様な結果になってたまるか」

 

 作戦本部長――三浦剛臣の言葉に、毛利仁兵衛はにべもなく答えた。

 愛想のない対応だが、二人の周囲にいる艦娘やスタッフは平然としている。

 

 深海対策庁が発足する前、海自出身の提督とそれ以外の提督にはいろいろと細かい格差があった。

 それを真っ向から批判し続けていたのが仁兵衛だ。故に、彼は海自出身の提督へのあたりがきつい。

 もっとも、憎まれ口を叩きながらも、仁兵衛は剛臣の実力を認めている節がある。周囲もそれは分かっていた。

 

「今のところ勝率はどの程度でしょうか、提督」

「七割程度といったところだ、朝潮君。今のところ想定外の問題は起きていない。すべて対処できる範囲内だ」

「三割はどういう?」

「一割は敵の援軍だ。深海棲艦は拠点を中心に活動する連中もいるが、そうでない連中もいる。拠点活動型の動きは把握しているが、流浪型の動きは捉えようがない。突然海から現れたとしか思えないような奴らがいる。そういう奴らの存在は、常に考慮しなければならない」

 

 司令室に設置された大きなディスプレイには、周辺海域の敵味方の状況が表示されている。周辺に張り巡らされた潜水艦や偵察機の報告を元に作られたものだ。

 そこに突然、大量の敵軍の表示が追加される可能性がある。深海棲艦との戦いは、常にそういう危険がつきまとった。

 

「残りの二割は、敵の友軍ですね」

 

 剛臣の側に控えていた駆逐艦・吹雪が、ディスプレイの一点を見ながら言った。

 絶えず移動を続けている敵の部隊がいる。先程の戦いでも、こちらが攻勢に出ようとすると的確に邪魔をしてきた。

 

「本格的な攻勢に入る前に、あの部隊を叩いておかなければ危険かと思います」

「同感だ。交戦した部隊によると、あの遊撃隊を率いているのは駆逐艦・春雨に酷似した個体らしいな」

「映像、出します」

 

 スタッフがディスプレイの表示を切り替える。

 そこに映し出された深海棲艦は、確かに春雨によく似ていた。ただ、足がなく、肌や髪が深海棲艦特有の暗い色をしている。

 

 司令室内にざわめきが生じる。

 ここにいるスタッフや艦娘は、各地の拠点から召集された者たちばかりだ。

 それぞれの本来の拠点には、春雨がいる。

 

 深海棲艦と艦娘の関係性については、これまでも何度か取り沙汰されたことがある。

 しかし、結論だけ言ってしまうと、今もはっきりとしたことは分かっていない。

 ただ、これだけ艦娘とよく似た深海棲艦が現れたのは、今回が初めてだった。

 

「今もつかず離れずでこちらを牽制してきている。確かに邪魔だな、三浦」

「ああ。問題はあの機動力か。どうやって追い込むか考えなければな」

「戦艦や空母といった主力は、まだ温存しておきたい」

「理由を聞いておこうか、毛利」

「本命であるビアク島の攻略には、主力の力が欠かせない。万一あの遊撃部隊との戦いで戦闘不能に追い込まれたらまずい」

「なら、水雷戦隊をいくつか編成して当たらせるか」

「それが妥当なところだろう。部下を率いて戦術的な行動を取っていることから、あの個体は鬼・姫クラスと言っていい。ただ、これまでの交戦記録を見る限り、戦闘能力に関しては戦艦棲姫や空母棲姫ほどじゃない」

 

 ざわめきを意に介さず、剛臣と仁兵衛は作戦の行動方針について話し合いを続けた。

 作戦本部のメンバーに選出された提督は他にもいるが、今この場にいるのは二人だけだ。今回の作戦の絵図を描くのは、この二人と言っていい。

 

「どこの部隊を出す?」

「統率は呉の部隊に任せるのが良いだろう。あそこは大海戦における経験も豊富だし、慎重だ。無謀な行動はしない」

「そいつはいいな。今回初遭遇の相手だ、無鉄砲なことをしない統率者は歓迎だ」

「他は――リンガ・タウイタウイ・パラオあたりに頼もうと思うが」

「異論はない。いずれも先の戦いで提督が無事だったところだし、今回の戦いでの動きも悪くはなかった」

「……もう一つか二つ加えた方が良いと思うが、どこか良いところはあるか、毛利」

 

 仁兵衛が先程までの戦いを注視していたことに気づき、剛臣は意見を求めたくなった。

 

「少し危険な賭けになるかもしれないが、ショートランドを加えるのが良いと思う」

「あそこは提督が代わったばかりだが、大丈夫そうか」

「練度自体は悪くない。今回は水雷戦隊多めの編成で来ているみたいだしな。……ただ、以前と比べると精彩に欠ける印象は受ける。だからこそ、積極的に作戦に参加させてみたい。新任提督に不安はあるが、そういう若手も育てていかないと将来が不安だ」

 

 戦力になる、というよりも、今後戦力になるよう育てたい、という見方だった。

 仁兵衛はショートランドに多少の縁がある。しかし、それで贔屓するような男でもなかった。

 

「同じ意味で、横須賀第二も加えたいところだが――あそこはどうだ」

「……第二か」

 

 仁兵衛の問いに、剛臣はやや険しい表情を浮かべた。

 

「あそこは確かに新設された鎮守府だが、練度においては生半可なものではない。いつも死と隣り合わせのような調練を行っている。その厳しさのせいで倒れる者も続出した。今、あそこの正規メンバーとして残っている艦娘は、いずれも万夫不当の兵だ」

「そうですね。あそこの子たちは皆、強い。味方としては頼もしく思うべきなのでしょう。ただ、時折怖いと思うこともあります」

 

 吹雪も表情を曇らせた。

 横須賀の吹雪と言えば、最強と名高い横須賀艦隊の最古参で、今も剛臣の側近として名を馳せている存在だ。

 その吹雪が、怖いという。

 

 仁兵衛は二人の反応を見て、眉間にしわを寄せた。

 

「……今、第二の提督はこっちに向かっているんだよな。どういう奴だ?」

「悪い子ではない。ただ、気難しいところがある。あと、上昇志向がとても強い。おそらく、毛利とはあまり気が合わないだろう」

「なるほど。作戦に参加してもらうかどうかは、そいつの人となりを見てから決めるとしよう」

 

 そのとき、ディスプレイに新たなマークが点いた。

 友軍を示す、緑色のマークだ。

 

「噂をすれば、というやつだな。吹雪、すまないが迎えに行ってきてくれないか」

「了解しました、司令官」

 

 敬礼して出ていく吹雪を見送って、仁兵衛は「わざわざ迎えがいるのか?」と尋ねた。

 剛臣はその問いに、渋面で応える。

 

「まあ、トラブルが起きないように、念のためな」

 

 仁兵衛と朝潮は、嫌な予感を覚えつつ顔を見合わせた。

 

 

 

 自室で作戦本部からの指示を受けて、康奈は艦橋に戻ってきた。

 先程部屋で飲んだ薬のおかげで、今は落ち着いている。

 

「水雷戦隊か。大淀隊は先ほど帰投したばかりだし、鬼怒隊か能代隊のどちらかになるな」

「那智はどちらが良いと思う?」

「難しいところだな。鬼怒は堅実な戦い方をする。突破力なら能代の方が上だろう。今回の作戦にどちらが合うかだな」

「呉の艦隊と話してみたけど、なるべく損害を抑えつつ敵遊撃部隊を叩きたいようだったわ」

「それなら、鬼怒だな」

 

 康奈も頷いて、鬼怒隊に連絡を取った。

 両部隊は、今も母艦を警護する任務に就いている。

 

「――ということなんだけど、鬼怒、いけそう?」

『うん、大丈夫……と言いたいところだけど、何人か艤装がちょっとやられてるのが気になるかな。出られないわけじゃないけど、万全の状態とは言い難いね。できれば交代要員がいると助かるよ』

「分かったわ。他の部隊で動けそうな子を探してみる」

『よろしく!』

 

 通信を切って、康奈は編成表に目を通した。

 今回の作戦に連れてきたメンバーの名前と、現在の状況がまとめられている。

 水雷戦隊は鬼怒・能代・大淀隊で構成されている。あとは主力部隊だ。

 主力部隊は温存したいと作戦本部から指示があったから、出すとしたら能代・大淀隊の誰かということになる。

 

「少し休息している分、大淀隊の方が良いかもしれないわね。大淀・早霜はまだ動けないと思うけど……」

「あ、あのっ……!」

 

 そのとき、艦橋の入り口の方から声を発する者がいた。

 

「私、行きます!」

「春雨」

 

 春雨は一礼してから康奈の前にやって来た。

 その眼差しは、静かな炎を宿しているように見える。

 

「すみません。司令官が作戦本部の人と話しているのが聞こえてしまって、それで」

「別にそれは構わないわ、特に隠すようなことを話していたわけでもないし。でも、なぜ志願するの?」

 

 作戦本部からは、敵部隊を率いているのが春雨に酷似している深海棲艦だと聞いている。

 それを康奈は口にしていない。だから春雨はそのことを知らないはずだった。たからこそ、このタイミングで志願してきたことに奇妙なものを感じる。

 

「私、初陣のときも、さっきの戦いも、いつも誰かに助けられてばかりでした。だから、自分が誰かを助けられるなら助けたいって、そう思ったんです。いつまでも助けられてばかりなのは、嫌なんです」

 

 それは、康奈にとって耳の痛い言葉だった。

 自分では戦うことができない。安全な場所に立ちながら、皆を戦場へと送り出さなければならない。

 そういう苦悩は、康奈にもよく分かった。戦う力があるなら、自ら戦場に出たい、と思う。

 

「足手まといにはなりません。だから、お願いします……!」

 

 どうすべきかと、那智に視線を送る。

 那智は軽く頷いた。

 

「動ける者も少ないし、今は春雨の熱意を素直に受け取るべきだろう」

「……分かった。なら、もう一人も大淀隊から出しましょう」

 

 誰にすべきか。

 編成表を睨みながら、康奈はそれぞれの艦娘の顔を思い描いた。

 

 

 

 横須賀第二鎮守府の提督の姿を見て、三笠はどよめいた。

 これまで第二横須賀鎮守府については、ほとんど情報が出回っていなかった。

 だから、余計に衝撃的だったのかもしれない。

 

「まさか、また子どもとはなあ」

 

 三笠のクルーの一人が、第二の提督が去った後を見ながら驚きを口にした。

 その側にいたもう一人の男は鼻を鳴らした。

 

「どいつもこいつも、なに考えてやがるんだ」

「……そう怒るなよ。と言っても、無理な注文か」

 

 苛立っているのは、康奈と衝突して腕を掴まれた男だった。

 しわが見え隠れするその顔には、明確な怒りが表れている。

 

「理由があるんだろう。なければ、子どもを戦場に引きずり出すようなことはしないだろうさ」

「なら、理由があれば子どもを戦場に出してもいいって言うのか」

「そうしないと立ち行かないんだろ? 誰だって提督になれるなら、艦娘になれるなら、もっと他のやりようもあるだろうさ」

 

 肩を竦める同僚に、男は何かを言おうとして、ぐっと堪えた。

 

「ほら、それより仕事だ。出撃する艦娘の艤装整備の支援。俺たちは俺たちの仕事をやるしかないだろう、上田」

「……ああ、分かってるよ。次は――嗚呼、ショートランドのとこか」

 

 上田と呼ばれた男は、何かを絞り出すように嘆息した。

 

 

 

 出撃前の準備をしているときの空気感は、戦場にいるときよりも張り詰めたものになる。

 戦場に出てしまえば、どう戦うかということだけを考えれば良い。しかし、出る前はそうもいかない。

 

「やっぱり緊張するね」

 

 声をかけられて、清霜は我に返った。

 目の前には、思いつめたような表情の春雨がいる。

 この二人が、鬼怒隊に編入されることになったのだ。

 

「春雨、大丈夫? なんだか顔色良くないみたいだけど」

「うん。……ううん。ちょっと、怖いかな」

 

 同期が相手だからか、春雨は真情をぽつりと漏らした。

 

「でも、怖いのと同じくらい、今のままでいたくないって思う。ほら、ここに来るときソロモン海での海戦の話したでしょ?」

「うん。夕立さんと一緒に参加したって話だったよね」

 

 かつての大戦において、駆逐艦夕立は敵陣の中に突入し、大いに戦場をかき乱した。

 戦場は混沌とした様相を呈し、正確な状況を把握するのは困難となったが――夕立の暴れっぷりは疑いようのないものだった。

 

「あの戦いで夕立姉さんは縦横無尽に戦った。戦って戦って戦い抜いて――そのまま帰ってこなかった。私は、そのとき夕立姉さんとはぐれて、一緒に行くことができなかった。それが、心残りだった」

「……夕立さんには、そのこと話したの?」

「うん。笑って『気にしないでいいっぽい!』って。でも、私はやっぱり思っちゃうんだ。あのとき一緒に行けていたら、夕立姉さんは助かっていたかもしれない。まったく違う展開になっていたかもしれないって。だから、今度は肩を並べて戦いたい。そうなれるくらい、強くなりたいんだ」

 

 かつての戦いでの強い後悔。それは、清霜にも理解できた。

 自分たちは幸運だと、そう思った。本来は払拭することの叶わぬものを、第二の生で払拭する機会が与えられたのだから。

 

「春雨、一緒に頑張ろう。私も……春雨に負けないくらい、頑張るから!」

「……うん!」

 

 決意を新たにする二人のところに、整備を終えた艤装が運ばれて来た。

 普段は泊地の工廠で整備するところだが、今回のような大規模作戦ではそうも言っていられない。

 こういうときは、艤装整備用の妖精や、人間のスタッフの手を借りる。

 

「終わったよ。これで大丈夫なはずだ」

「ありがとうございました! おかげで戦えます!」

 

 艤装を運んできたスタッフに頭を下げて、清霜と春雨は出撃するために駆け出した。

 

 

 

「行かなくて良かったのですか」

 

 後ろから声をかけられて、康奈は慌てて振り返った。

 そこにいたのは、艤装修理中の大淀である。

 

「急に声かけないでよ」

「すみません。ただ、提督なら気づくと思ったのですが」

 

 大淀はいたずらっぽく笑ったが、すぐ真顔になった。

 

「あの子をつけたのはなぜですか? 春雨が心配なら、抑え役としてもっと他の選択肢もあったと思いますが」

「……今の春雨は、確かに危ういところもあるわ。でも、それは変わろうとしているが故の危うさだと思う。そういうときに必要なのは、抑え役よりも火つけ役なんじゃないかって、そう思ったの」

「苦しい賭けになりますね」

「そうね。……だから、ついここまで足を運んでしまった」

 

 康奈自身、その考えが正しいのかどうか分からなかった。

 自分の判断に対する不安は常にある。だが、その不安から逃げるわけにもいかない。

 

「信じて待つというのは、歯がゆいものね」

 

 そう言って踵を返す康奈に、大淀は何も言うことができなかった。


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