南端泊地物語―戦乱再起―   作:夕月 日暮

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第三陣「若輩者の気概」

 艦艇だった頃のことを、自分は比較的よく覚えていた。

 進水日。冷たくも気持ちの良い感覚が、目覚めのときだったと記憶している。

 

 多くの人を乗せ、仲間と共に大海原を駆けた。

 自分が戦うために生み出されたものだということは、誰に教わるでもなく理解していた。

 砲火を交えることは怖くなかった。ただ、使命を全うすることだけを考えた。

 

 似たような姿形の仲間は沢山いたが、その中でも特にそっくりなのが何隻かいた。

 自分も含めて、白露型駆逐艦というらしい。

 艦艇はいくつかの艦種に分類され、同じ艦種の中でも艦型というもので分かれている。

 艦型まで同じ艦艇は共通項が非常に多く、姉妹艦と呼ばれているようだった。

 

 自分は、白露型駆逐艦のうち村雨・夕立・五月雨と共に行動することが多かった。

 駆逐艦四隻による駆逐隊というやつだ。自分たちの隊は、第二駆逐隊というらしい。

 

 数々の作戦を共にした。

 一緒にいることが当たり前のようになって、互いに欠かせない存在になっていると感じた。

 

 四二年、十一月。

 何度目かのソロモン海戦に、第二駆逐隊が参加することになった。

 このとき、隊は村雨・五月雨と夕立・春雨で分かれることになった。

 それまでも分かれて行動することは何度もあったが、このときは少し嫌な予感がした。

 

 予感は的中した。

 悪天候。連携訓練の不足。度重なる進路の変更。

 様々な悪条件が重なり、艦隊の陣形は大いに乱れた。

 先行していた自分と夕立は、敵陣近くに取り残される形となった。

 

 悪条件が重なったのは敵艦隊も同様で、戦いは混沌としたものになった。

 夜だったこともあり、視界は不明瞭だった。側に夕立がいてくれると信じて、がむしゃらに動いた。

 

 だが、気づいたとき、夕立はいなかった。

 どこにいったのか。不安になったが、自分にはそれを誰かに尋ねる術がない。

 未知の恐怖を感じながら、戦いの趨勢が決まるのを待った。

 

 そうして。

 自分は初めて『喪失』というものを知った。

 

 

 

 部隊の違いというものだろうか。

 鬼怒隊には、大淀隊とはまた異なる雰囲気が漂っていた。

 

 鬼怒隊は旗艦の鬼怒と、白露型の艦娘たちで構成されていた。

 春雨は白露型五番艦なので、姉妹艦だらけということになる。

 だからか、よく馴染んでいるように見えた。

 

「いや、しっかしすげえな。聞いたぜ清霜」

 

 そう言って話しかけてきたのは、白露型の末妹・涼風だった。

 江戸っ子風の気風の良い性格の持ち主で、これまでも顔を合わせると気さくに話しかけてくれた。

 

「深海棲艦を組み伏せて沈めたんだって?」

「それは大袈裟だよ。元々沈みかけてた深海棲艦にしがみついてただけだし」

 

 自分の掌を見る。

 多少は回復したが、まだ焼け跡はくっきりと残っていた。

 

「だけって言うけど、それも十分凄いことだと思うけどな。あたいも今度やってみようかな」

「やめときんさい」

 

 涼風の思い付きを諫めたのは旗艦の鬼怒だった。

 長良型姉妹の五番艦。こちらも明るい雰囲気の人となりで、泊地ではよく誰かと一緒にいろいろなことに取り組んでいる。

 真面目一徹な大淀に比べると、多少適当で融通の利く性格と言えた。

 

「せっかく艤装があるんだし、理由がないなら素直に砲撃で仕留める方が無難だよ。接近戦もできるに越したことはないけど」

「鬼怒はできるのか?」

「いやー、全然。サッパリ。そういうのは天龍とか木曾とかに任せることにしてる」

「なんだ。得意なら教えてもらおうと思ったのに」

 

 まるで日常会話のようで、今どこにいるのか、清霜は忘れそうになった。

 

 ここはニューギニア近海。

 鬼怒隊は他の拠点の諸部隊と連携し、敵部隊を撃滅する作戦行動中だった。

 敵部隊を率いるのは駆逐棲姫と名付けられた強力な深海棲艦だという。

 

 鬼・姫と名付けられる個体は、いずれも抜きん出た能力を有する強敵だという。

 そんな相手と一戦交えることになる。その事実に、清霜は先程から緊張し続けていた。

 

 鬼怒たちは特にそういう様子は見受けられない。

 他愛ない会話を続けながら、作戦開始ポイントに向かっている。

 ただ、油断しているわけでもないようで、話をしながらも周囲の警戒を行っているようだった。

 その様子が自然体なので、清霜は気づくのにしばらくかかった。こういうところに練度の差を感じてしまう。

 

「皆、すごいんだね」

「ん?」

「油断せず、緊張もせずって感じで」

「なんだ、そんなことか。こういうのは慣れだよ慣れ。清霜も、春雨の姉貴だって、慣れればできるようになるさ」

 

 その春雨は、先ほどから白露や村雨と何かを話していた。

 

「春雨の姉貴を助けようとしてくれたんだってな」

「うん」

「その――ありがとよ」

 

 涼風は鼻っ柱をこすりながら短く礼を言うと、少し離れていった。

 

「結局、それが言いたかったみたいだね」

 

 鬼怒が、涼風の背を見ながら微笑む。

 自分の行動が、誰かのためになった。その実感を得られて、少しだけ心が弾む。

 

 作戦開始ポイントまで、もうすぐだった。

 

 

 

 清霜たちが作戦開始ポイントに向かっている頃、康奈は作戦本部から送られてきた機材の搬入指揮を執っていた。

 ショートランド泊地のように、自前の母艦を持っていない拠点の場合、作戦本部との連絡手段が限られる。

 それをどうにかしようと、通信機器やディスプレイ等が届けられた。本格的な作戦行動に入るまでの間、迅速に設置していかなければならない。

 

「作戦までにはどうにか間に合いそうね……」

「ええ、お疲れさまでした」

 

 大淀が労いの言葉と共にタオルを差し出した。

 艤装が損傷しているせいで出撃はできないが、大淀自身は多少回復しており、船内での仕事はできるようになっている。

 

 大きく息を吐いた康奈は、微かに視線を感じて面を上げた。

 

 少し離れたところに、何人かの整備員らしき男たちが立っている。

 その中の一人が、若干気まずそうな表情を浮かべながらこちらを見ていた。

 

 覚えのある顔である。

 少し前、三笠で会った男の片割れだ。

 

 男は他の整備員たちに何かを告げると、こちらにやって来た。

 大淀が警戒して康奈の前に出ようとしたが、康奈はそれを制した。

 男から、敵意を感じなかったからだ。

 

 男は気まずそうな顔のまま康奈の正面に立つと、被っていた帽子を取り、頭を下げてくる。

 

「ショートランドの提督さん、だよな。先程はすまなかった。あなたを見た目で判断して侮辱してしまったようだ」

「……いえ、こちらこそ。乱暴な振る舞いをしてしまいました。申し訳ありません」

 

 少し意外な心持になりながら、康奈は自身の非礼を改めて詫びた。

 頭に血が上っていたとは言え、あのときの行動は決して良いものではない。

 

「その言葉からすると、我々の提督を認めていただけたということでしょうか」

「大淀」

 

 どことなく不機嫌そうな大淀を窘める。

 だが、男は大淀の態度に気を悪くした風でもなく、素直に頷いてみせた。

 

「そうだな。船内での様子やさっきの仕事振りを見せてもらったが、そちらの提督さんはきちんと仕事ができる人のようだ。その人となりをよく知りもせず、侮るようなことを言ってしまったのは、恥ずかしい限りだな」

 

 そう返されて大淀も毒気が抜けたのか、そうですか、と相槌を打った。

 

「お名前を聞いても良いでしょうか」

「横須賀で艦娘の艤装整備をやっている上田だ。こういう作戦のときは他の拠点のカバーもしている」

「私はショートランド泊地で提督をしている北条康奈という者です。今後ともよろしくお願いいたします」

 

 第一印象ほど悪い人物ではない。

 そう判断して、康奈は上田に手を差し出した。

 上田は少し意外そうな表情を浮かべたが、ごつごつの手でしっかりと握手に応じる。

 

「上田さん、一つ聞いても良いでしょうか」

「ああ」

「あのとき、なぜあなたはあそこまで怒ったのですか」

 

 こうして素直に謝れる性格だと分かると、あのとき上田が激昂したのが少し妙に思えた。

 無論、単に虫の居所が悪かっただけという可能性もある。ただ、あのときの怒り方に少し引っかかるものを感じたのだ。

 

「あのときのあなたは、私に向かって怒っているわけではないように見えました。本当は別の何かに怒りを向けている。そう感じたのですが――違いますか」

 

 上田は険しい顔でしばらく押し黙っていた。

 どれくらいそうしていただろう。

 やがて、彼は大きく息を吐いた。

 

「……俺には、娘がいた。ちょうどあなたと同じくらいの年だった」

「娘さんと同い年くらいの子どもが戦場にいる。そのことに対する苛立ちがあった、ということですか」

「それもあるが、それだけじゃないよ、艦娘さん。……」

 

 上田は周囲を見回した。

 先程までいた整備員たちも今はいない。この辺りには三人しかいなかった。

 

「……俺の娘は、国に奪われた。『艦娘適性がある』。ある日突然そう言われて、問答無用で引き離されたんだ」

「艦娘――適性」

 

 康奈は表情を強張らせた。

 その言葉には――聞き覚えがある。

 

「娘を連れていった奴は言っていた。人間でも艦娘になれる可能性がある。国防のためには、その実現が急務なのだ――と」

「……」

「勿論俺も妻も反対した。眉唾ものの話だと思ったし、いろいろ話を聞いてみれば、まだ安全性の保障もできないような状態だっていうからな。ただ――向こうも次第に手段を選ばなくなってきてな。脅しに屈するような形で、連れていかれたんだ」

 

 上田の双眸には、怒りの炎が浮かび上がっている。

 あのとき見せたのは、これだったのだ。

 

「あれ以来、娘には会えていない。行方を探ろうとしても駄目だった。世迷いごとを言う狂人なんて言われて終わりだ。だけど、親としては諦められない。どんな手段を使ってでも見つけてやりたい――そう思って、俺はここに来た」

「……だから、子どもを戦場に出すような大人が――うちの先代のことが、許せなかったんですか」

「そうだ」

 

 上田は力強く頷いた。

 しかし、すぐに頭を振る。

 

「だが、そちらの先代の提督がどんな人だったのか、考えてみれば俺はまったく知らない。どういう経緯であなたを提督にしたのかも知らない。だから、あれは結局――八つ当たりだったんだろう」

 

 すまなかったな、と改めて頭を下げて、上田は去っていった。

 

 残された康奈と大淀の間に、重い空気が漂う。

 

「……人間を艦娘にする、ですか」

「まさか、こんなところでその話を聞くなんて思ってなかったわね」

「深海棲艦への唯一の対抗戦力でありながら、艦娘の数は不足がち。その不足を埋めるために……ということなのでしょうけど」

 

 大淀は気遣うような視線を康奈に向けた。

 それが、康奈には少しばかり煩わしい。

 

「上田さんの話は信じても良いと思う。現に一人、ここに艦娘になり損ねたのがいるんだもの」

 

 康奈には過去の記憶がない。

 泊地に来る前のことはほとんど思い出せない。

 

 ただ、そうなった原因は知っている。

 

 艦娘量産のための人体実験。

 その実験で『不合格』の烙印を押され、廃棄されかけていた出来損ない。

 それが――北条康奈の正体だった。

 

 

 

 作戦開始地点には他の部隊も集まっていた。

 顔見知りでもいるのか、鬼怒は通信機で他の部隊の指揮官に挨拶をしている。

 

「夕立姉さんも時雨姉さんも、さっきは凄い戦いっぷりだったって」

 

 白露たちとの会話が一段落ついたのか、春雨が清霜のところにやって来た。

 鬼怒隊には夕立・時雨が所属していたのだが、先ほどの戦いで艤装がやられてしまったらしい。

 清霜と春雨は、二人の交代要員ということになる。

 

 夕立・時雨はどちらも艤装の第二改装を実施しており、他の艦娘と比べて一歩抜きん出た実力を持つエースだった。

 艤装がやられてしまったのも、二人を警戒した深海棲艦が攻撃を集中させたからだという。

 

「二人のようにはできないかもしれないけど、私は私なりに、二人の代わりとして頑張るよ」

「うん。私も頑張るよ」

 

 そう言って互いに手を叩く。

 同期で共同訓練をしていた頃も、一緒に頑張ろうというときはこうやって手を叩き合ってきた。

 

「……清霜、まだ手荒れてるね」

 

 叩き合ったときに気づいたのだろう。春雨が心配そうな眼差しを向けてきた。

 

「艤装はもう修理できてるんだよね。だったら身体の傷も直ってるはずなのに、どうしたのかな」

「うーん、よく分かんない。まあ、前から怪我の直りは少し遅い気がしてたから、改めて気にしても仕方ないんじゃないかな」

 

 艦娘は艤装を依代に、軍艦の御魂の分霊を降ろした存在だ。

 だからか、艤装の損傷は身体への影響が出やすい。艤装が壊れたままだと怪我はなかなか直らない。逆に、艤装が修理できていれば重傷でもあっさりと直る。

 

 自分がそういう艤装からの影響を受けにくいということに、清霜は前々から気づいていた。

 違和感はあったし多少不便に思うこともあったが、深海棲艦と戦えるということに変わりはなかったので、気にしないよう努めてきたのである。

 

「……清霜、あれ」

 

 春雨が少し離れたところに集まっている部隊を指し示した。

 その部隊の艦娘たちは、皆揃って紺色のスカーフをつけている。

 だが、それ以上に見る者たちの意識を引き付けたのは、彼女たちが纏う異様な空気だった。

 

 他の部隊も皆、こういう大規模作戦に参加するだけあって、相応の実力の持ち主である。

 清霜や春雨のように経験がまだ浅い者もいるが、そういう者たちは何かしら期待されてこの場にいる。

 彼らは皆、戦場を堂々と駆ける威風とでも言うべきものを身に纏っていた。

 

 しかし、紺色のスカーフの部隊はそういうものを持っていない。

 その部隊は、ただ敵を打ち倒すためだけに存在している。鋭利な刃物が人の形を得てその場にいる。

 威風などいらない。堂々たる行軍など不要。ただ敵の喉元を掻っ捌ければそれで良い。

 見る人にそういう印象を持たせる――そういう存在感を放っていた。

 

「あれ、あの神通さんだ」

 

 部隊の先頭にいたのは、先の戦いの前に挨拶に来た神通だった。

 

「ってことは、あれが横須賀第二鎮守府の部隊なんだ。なんか、凄いな」

「凄いっていうか、少し怖い気がする……」

「そうかな。……あっ」

 

 神通が、軽く会釈をした。視線は清霜たちにいる方に向いているようだった。

 もしかすると自分に気づいたのかもしれない。そう思って、清霜は頭を下げた。

 

「皆、呉の部隊から指示があったよ」

 

 鬼怒が通信を終えて、部隊の皆を集めた。

 

「今回うちは囲い込み役。敵を捕捉したら、他の部隊と連携して包囲する。機動力が求められる役割だよ。艤装のメンテは抜かりないかな」

 

 鬼怒の問いに全員が頷く。

 それを確認して、鬼怒はもう一つ補足した。

 

「囲い込みって聞くと地味だと思うかもしれないけど、敵はいつどこに向かってくるかも分からない。戦わなくて済むなんて思わないでね。ここが戦場だってこと、忘れないように」

 

 清霜や春雨は、鬼怒のこういった表情を見るのが初めてだった。

 快活な性格で普段はよく笑っている印象がある。しかし、今は戦う者の顔になっていた。

 そのギャップが、今戦場にいるのだという事実をより強く感じさせる。

 

「春雨、清霜」

「はい!」

「二人はとにかく鬼怒たちについてくることだけを考えて。決して艦隊から離れないように。いいね?」

「了解ですっ!」

 

 二人の返事に鬼怒は頷き、部隊は海路を進みだした。

 

 

 

 問題の敵遊撃部隊は、思ったよりも早く捕捉された。

 集結していた艦隊の端に陣取っていたリンガの本隊に食いついたのだ。

 

 リンガからの連絡を受けて包囲部隊が駆けつけると、敵遊撃部隊はすぐさま反転した。

 

「引き際を弁えてるね。ああいう相手は厄介だ!」

 

 敵旗艦の姿が遠目に見えた。事前に聞いていた通り、春雨に酷似している。

 清霜は春雨の様子を窺おうとした。しかし艦隊はかなりの速度で動いている。前を行く春雨の表情は確認できない。

 ただ、動揺しているような雰囲気はなかった。

 

 鬼怒隊は相手を直接追わず、右側を旋回する進路を取った。覆うような形で包囲するためだ。

 旋回しながら敵を追わなければならないので、速度は更に跳ね上がる。

 主機が悲鳴のような音を立てた。

 

 鬼怒が「ついてくることだけを考えろ」と言った意味が、ようやく理解できた。

 この速さでは、少しでも油断すると落伍しかねない。

 

「大丈夫か?」

「大丈夫! 大丈夫じゃなくても、ついていく!」

 

 清霜の後ろにいた涼風が声をかけてくれた。おそらく落伍しそうになったときのフォロー役なのだろう。

 さすがに他のメンバーは動きが安定していた。少なくとも、春雨や清霜のように身体の軸がぶれそうになったりすることはない。

 

「右!」

 

 鬼怒が短く叫びながら、大きく右に曲がる。

 隊もそれに続いた。速度はほとんど下げないままだ。

 

「春雨の姉貴、清霜! 二人は少し速度落とせ!」

 

 涼風が叫ぶ。今の二人の練度では、他のメンバーの真似をしようとしてもうまくいかない。

 意地を張らずに速度を落としながら方向転換を図る。

 

 そのとき、偶々左方向にいた敵部隊の姿が視界に見えた。

 いくつかの艦影が、こちらに砲口を向けている。

 

「敵艦隊、攻撃してくる!」

 

 清霜が叫んだ直後、砲声が海上に響き渡った。

 

「ちっ、行くぜぇっ!」

 

 着弾までの僅かな間。

 涼風は、速度を下げていた清霜と春雨の背中を押した。

 ぐっと押される感覚と同時に、近くで強い衝撃が走る。

 

「……涼風っ!」

 

 振り返る。

 涼風は被弾していた。艤装がいくらか損傷を受けている。まだ航行は可能だが、万全の状態とは言えなくなってしまった。

 

 清霜と春雨を助けようとして、そうなってしまったのだ。

 

 おまけに、敵部隊は進路を変更して真っ直ぐ鬼怒隊の元に突っ込んできた。

 損害を与えたことで、鬼怒隊を突破できると踏んだのだろう。

 

「こちら鬼怒隊、敵が交戦を仕掛けてきた! こっちで引き付けるから、他の部隊はその隙に包囲して!」

 

 他の部隊に連絡を入れて、鬼怒はすぐさま清霜たちの前面に出た。

 

「き、鬼怒さん。ごめんなさい……!」

「気にしなくていいよ。二人が何かヘマしたわけじゃないでしょ。戦いではよくあることだよ。……そこで落ち込んで足手まといになられる方が、今はちょっとしんどいかな!」

 

 謝罪する清霜に鬼怒はそう言って笑ってみせた。

 鬼怒の言う通り、今は反省している場合ではない。

 姫クラスの敵が率いる部隊が、こちらを食い破らんと猛スピードで迫っている。

 

「ここで足止めできれば他の部隊が包囲してくれる。作戦大成功ってやつだよ! 皆、歯を食いしばる用意はいい?」

「もちろん、一番食いしばるよ!」

「村雨は程々に頑張りますね」

 

 白露、村雨が鬼怒の両脇を固めるように陣取った。

 後方の三人と合わせて、複縦陣の形になる。

 

「敵とのガチンコはこっちに任せて!」

「三人は後方からのフォローをお願いね。……支援射撃一つでこっちの生死が分かれるかもしれないから、お願いね?」

 

 村雨からの頼みに、清霜たちは頷くしかなかった。

 

 装填が終わったのだろう。

 敵部隊が、もう一度主砲をこちらに向けてきた。

 

「さて、いっちょやりますか――!」

 

 

 

 鬼怒隊の状況は康奈たちも当然把握していた。

 艦橋は緊張に覆われている。自分たちの艦隊の仲間が危険な状態なのだ。

 

「鬼怒隊の場所はここからそう離れてはいないわね……」

「提督、まさか行くつもりなのか」

「間に合うかどうかは分からない。けど、提督が近くにいれば艦娘はより力を発揮できるんでしょう? だったら――」

 

 艦娘は依代である艤装に軍艦の御魂を降ろした存在だが、それを可能とするのは提督としての資質を持つ者の霊力である。

 提督と艦娘は霊力の経路で繋がれる。距離が近ければ、経路を介してより多くの霊力を送ることが可能になる。

 それによって、艦娘は最大限のポテンシャルを発揮することができるようになるのだった。

 

 康奈が母艦を動かす命令を発しようとしたとき、作戦本部からの通信が入った。

 思いがけない横やりに、康奈は舌打ちした。

 

「はい。こちらショートランド艦隊」

『毛利だ。……機嫌が悪いところすまないけど、今動けるかな』

 

 仁兵衛は康奈の苛立ちを見透かしているようだった。

 作戦本部も戦況は把握している。康奈がなぜ苛立っているのかも含め、すべて承知しているはずだった。

 

「動く? どこにですか」

『ビアク島だ。水雷戦隊によって敵遊撃部隊は動きを抑えられている。こちらの各艦隊の艦娘稼働状況も大分回復した。この隙に敵本隊を叩いて、ビアク島を奪還する』

 

 焦りを覚えながらも、康奈は仁兵衛の言葉を反芻した。

 確かに、タイミングとしては悪くない。ビアク島攻略に関する懸念事項は、もうほとんど残っていない。攻略できるだけの戦力が整ったなら、待つよりも動いた方が良い。それは理解できた。

 

「……うち抜きだと厳しいですか」

『ああ。そちらの部隊が動かせないと、いささか勝率が下がる。今回はあまり余裕のある編成ではないからね。ギリギリの運用をしないといけない』

 

 先日のAL/MI作戦での反省を踏まえて、日本政府は各拠点の防備を重視する方針になった。

 拠点の安全性は向上したが、それは一方で自由に使える戦力が減ったことを意味する。

 

 仁兵衛の言うことはすべて理に適っている。彼は作戦成功のための最善手を打とうとしているだけだ。

 それは分かっている。しかし、今の鬼怒隊を放置してビアク島に向かうことは、康奈にとっては選び難い選択肢だった。

 

「……五分だけ、時間をください」

『五分か。分かった』

 

 一旦通信を打ち切って、設置したばかりのモニタを見る。

 ビアク島の敵戦力。遊撃部隊包囲戦の様子。そして自分の手元にある戦力。

 

 康奈はほんの少しだけ黙考した。

 自分にとっての最適解とは何か。それは比較的すんなり出た。

 ただ、リスクを伴う。そのリスクを周囲にも背負ってもらわなければ、成立しない。

 

 康奈は側に控えている主力部隊の面々を見た。

 最高クラスの砲撃戦力である大和型の大和・武蔵。実戦経験豊富な妙高・那智。他の面々も皆、頼もしい者たちばかりだ。

 

「大和」

「はい」

「――ビアク島に主力部隊・能代隊だけで行った場合、何か不安はある?」

 

 康奈の問いの意味を察して、大和は表情を曇らせた。

 

「この母艦は行かないという理解で良いですか?」

「ええ。この母艦は鬼怒隊の援護に向かうわ」

「……ビアク島攻略については問題ないと思います。提督からの霊力供給が平常通りだとしても、戦力に不安はありません。指揮系統についても作戦本部に預けるということであれば問題ないでしょう。ただ、母艦の警備は手薄になります」

 

 大和率いる主力部隊、それに能代隊をビアク島攻略に向かわせた場合、ここに残るのはほぼ機能停止している大淀隊だけだ。

 ほとんど無防備な状態になる。敵艦隊に襲われた場合、ひとたまりもないだろう。

 

「能代隊だけでも残すわけにはいかないか、提督」

「それは無理よ、那智。毛利さんがああ言った以上、こちらの戦力は全部投入しないとビアク島攻略が失敗する可能性が高い。今回の作戦は日本の信用がかかってる。絶対に失敗できない作戦なのよ」

 

 康奈にとって、日本の信用自体はどうでもよかった。

 ただ、それによって泊地が不利益を被る可能性が高い。

 元々ギリギリのところでやり繰りしている泊地である。今、これ以上問題を増やすわけにはいかなかった。

 

「大丈夫。現状を見る限り、敵戦力はビアク島の方に集中していってる。包囲戦側は敵遊撃部隊にいくつかの支援艦隊がついているだけ。そこに気を付ければリスクは少ない」

「だが、提督の身を危険にさらすような作戦を容認することはできん。……康奈、私たちはこれ以上、もう失いたくはないのだ」

 

 那智の言葉が、康奈に重くのしかかる。

 他の艦娘の表情も暗くなっていた。

 ショートランド泊地は、先の作戦で提督を失ったばかりだ。

 今再び提督を危険にさらすようなことはしたくない――そう思うのは、当然だろう。

 

「でも、このままだと鬼怒隊は全滅しかねない」

 

 今はまだ持ちこたえているが、状況は良くない。

 他の艦隊が鬼怒隊の支援に行こうとしているようだったが、敵遊撃部隊の支援に向かった艦隊に阻まれていた。

 

「誰かを見捨てるようなやり方は、うちの流儀じゃない。私はそう思う」

 

 康奈はそのまま艦橋のクルーたちに顔を向けた。

 

「聞いての通り、私はこれから無茶をします。貴方たちはソロモン政府から出向してきただけなので、この無茶に付き合う必要はありません。近くにはラバウルの母艦がいます。付き合いきれないという方は、脱出用のボートでそちらに向かってください」

 

 周囲が静寂に包まれる。

 誰もが、康奈に対しどう答えるべきかを迷っていた。

 

「……常識的に考えれば止めるべきなのだろうな」

 

 口を開いたのは、大和型二番艦の武蔵だった。

 

「だが、なるほど。確かにそれはうちの流儀ではない。あいつがこの場にいても、おそらく同じ選択をしただろう」

「……武蔵」

「提督、上手くやれ。その選択をしたことを後悔しないように。その選択を認めた私に後悔させないようにな」

 

 武蔵の言葉で折れたのか、大和や妙高・那智たちも肩を落として苦い笑みを浮かべた。

 本心から賛同しているわけではない。ただ、康奈の意思を尊重したいと思っての消極的容認だった。

 

「提督さん、俺たちも付き合うぜ」

 

 クルーの一人が屈託のない笑みを浮かべて言った。

 

「あんたたちがいなけりゃ、俺たちは島ごとに分断されて今頃半数以上が飢え死にしてたかもしれない。あんたたちが常日頃から危険な任務を引き受けてくれてるから、俺たちは今みたいな生活が送れている。それが分かっているから、今回もついてきたのさ」

「そもそも俺たち志願して乗り込んだんだしな。覚悟なんてのはとっくに決まってる。あんたが作戦成功のために動くなら、最後まで付き合ってやる」

 

 他のクルーたちも皆意思は決まっているようだった。

 

 思いがけない流れに、康奈は戸惑った。

 もっと反発を受けると思っていた。最悪、母艦が動かせなくなるくらい人が降りるかもしれないと覚悟していたのだ。

 

「なにを呆けている。決めたのだろう、ならさっさと作戦本部に連絡しておけ」

「……うん」

 

 思わず素の口調で答えてしまったが、康奈自身はそのことに気づかなかった。

 

『またリスクの高い方針だね』

 

 話を聞いた仁兵衛は半ば呆れたように言った。

 

『だが、上手くいけば最小限の被害で最大限の戦果を得られるか。……個人的には、嫌いではない』

「では」

『ああ、やってみたまえ。無茶ではあるが無理な話ではない。難しい立ち回りだが、君ならできるだろう』

 

 仁兵衛はそう言って通信を切った。

 

「……我儘を言ってごめん、皆」

「気にするな。鬼怒隊は任せたぞ、提督」

 

 敬礼をして、主力部隊・能代隊が出撃していく。

 それを見送り、康奈は新たな号令をかけた。

 

「これより最大船速で鬼怒隊の援護に向かう! 全員無事に帰還する、それが私たちの勝利条件だ!」

 

 

 

 忙しなく変化し続けるモニタ。

 その様子を眺めながら、小柄な体躯の持ち主が「ほう」と興味深そうに声を上げた。

 

「ショートランドの母艦が前線に出た、か。窮地に陥りつつある自分たちの艦隊を救おうというつもりか」

『提督』

 

 通信機越しに神通の声がした。

 

「神通か。首尾はどうだ」

『こちらの損害は警備。戦艦部隊と潜水艦部隊に絡まれましたが、どちらも殲滅済みです』

「ではそろそろ仕上げだ。姫の首を獲って来い」

『了解』

 

 短く告げて、神通は通信を切った。

 

「我々の力を、見せつける」

 

 狂いそうになる程の憎悪に声を震わせながら、拳を握り締める。

 

「すべては――そこからだ」


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