南端泊地物語―戦乱再起―   作:夕月 日暮

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第四陣「飢えた者たちの牙」

 夕立を失った後も春雨の戦いは続いた。

 ソロモン海戦のような激しい戦闘はなかったが、戦線を支えるための輸送作戦に従事した。

 人員や物資を運ぶための大事な作戦だった。姉妹艦の喪失に落ち込んでいる暇などなかった。

 

 あるとき、敵の潜水艦とやり合って大怪我を負った。

 もう駄目かと思ったが、悪運が強かったのか、危ういところで助かった。

 ただ、その代償と言わんばかりに村雨が沈んだ。修理中、連絡が届いたのだ。夕立に続く駆逐隊仲間の喪失だった。

 

 残された春雨と五月雨は、同じく僚艦を失っていた白露・時雨と合流した。

 第二駆逐隊は解隊となった。夕立や村雨がいたという事実そのものが失われたような寂しさを覚えた。

 

 やがて春雨は、□■■に参加することになった。

 白露・時雨・春雨・五月雨たちはこのとき初めて一堂に会した。

 駆逐隊を指揮するのは春雨の役目だった。もうこれ以上姉妹艦を失いたくない。そう、強く思ったのを覚えている。

 

 そうして。

 そうして自分は△△を受けて、そこで××を――。

 

 嗚呼。

 なぜ、思い出せない。

 記憶がノイズ混じりになる。

 

 ここで、自分は大切なことを実感した筈なのだ。

 思い出さなければならないことがある。

 

 なのに、なぜ。

 なぜ、思い出せないのか。

 

 

 

 駆逐艦と言えど、姫級と認定されただけあって、駆逐棲姫率いる部隊の動きは尋常なものではない。

 基本的に深海棲艦は、集団で動くことはあっても、会敵すれば個々が好き勝手に戦うだけである。

 しかし、部隊に鬼・姫級のような司令塔がいる場合は違う。相手も戦術的行動を取ってくる。

 

 元々深海棲艦は、単純なスペックなら艦娘を凌駕する個体も多い。

 それに対し艦娘は、技術や連携――戦術によって対抗していた。

 深海棲艦側が戦術を駆使するようになれば、苦戦するのは当然のことと言えた。

 

「陣形を乱さないで、固まって! 敵を一体ずつ確実に仕留めていくよ!」

 

 分散し翻弄するように動き回る駆逐棲姫部隊に対し、鬼怒隊は陣形を固めて防衛を優先する形を取った。

 耐えながら敵に打撃を与えつつ、味方の増援を待つ。

 経験の浅い清霜・春雨、そして負傷した涼風を抱えた鬼怒隊では、単独でこの敵を殲滅するのは至難の業だった。

 

 しかし、耐えても耐えても敵の攻撃の手は緩まない。

 むしろ、鬼怒隊のダメージが蓄積されていくばかりだった。

 

「あー、もう! 救援はまだなの!?」

「……どうも、敵の増援が来たみたいね」

 

 敵の攻撃を回避しながら苛立ちの声を上げる白露に対し、村雨はある場所を指した。

 かろうじて視認できるほどの距離のところに、呉の部隊がいる。この包囲戦の指揮を任されている部隊だ。

 しかし今、その部隊は敵の重巡部隊に取り囲まれていた。

 

「さっきまでいなかったじゃん!」

「こちらの警戒網の外に潜んでたか、文字通り深海から出てきたかのどちらかだろうね!」

 

 鬼怒の砲撃でようやく敵の一体が倒れた。

 駆逐棲姫の部隊は、鬼怒隊と同様駆逐艦中心の構成である。各個体の動きが素早く、動きを捕捉するだけでも一苦労だった。

 

『――鬼怒!』

 

 そのとき、鬼怒の通信機に康奈の声が響いた。

 

「提督! ゴメン、今ちょっと苦戦中!」

『分かってる。他の部隊は皆足止めを喰らってるみたい。場合によっては、私たちだけでそいつを仕留めないといけないかもしれないわね』

「それはかなり無茶な注文……ん、私たち?」

 

 康奈の言葉に違和感を覚えて、鬼怒は復唱した。

 

『今、母艦ごとそっちに向かってる。私が直接指示を出すから、それに従って合流して。そうすれば連携して挑める』

「マジで!? 危ないって! 護衛ちゃんとつけてるんだよね?」

『……ええ、つけてる!』

 

 嘘だ、と鬼怒は内心舌打ちした。

 本人は自覚していないかもしれないが、康奈はかなり分かりやすい性格をしている。

 今の僅かな間は、正直に言うべきか嘘をつくべきか迷ったことで生じたものだ。

 鬼怒だけでなく、それを聞いていた全員が理解した。

 

 おそらく残りの部隊は別行動をとっているのだろう。

 動かせる部隊があるなら、そもそも康奈自身が危険を冒して動く必要がない。

 

「……でも、止めたところで聞かないんだろうな」

「それが提督さんの困ったところでもあるし、綺麗なところでもあると思います」

 

 手傷を負いながら村雨が言った。

 鬼怒は自らの髪をわしゃわしゃと掻きむしりながら吠える。

 

「あー、もう分かったよ! 指示ちょうだい、提督。鬼怒さんが、全部背負ってみせるからさ!」

 

 半ば自棄になりながら、鬼怒は覚悟を決めた。

 望もうと望むまいと、腹を括らねばならないことが戦場では多々生まれる。

 これもその一つだと、鬼怒は割り切ることにした。

 

 

 

 康奈の指示はシンプルなものだった。

 防衛中心のスタンスは変わらない。ただ、積極的に動き回る。

 動くことで、周囲の戦況を少しずつ変えていく。

 

 鬼怒隊と康奈たちが合流するための最短ルートは他にあったはずだが、康奈はその策を取らなかった。

 他の敵増援に足止めされている部隊に近づき、敵部隊を刺激しつつ適当なところで距離を取る。

 それを繰り返すことで他の部隊を動けるようにし、連携して駆逐棲姫の部隊に当たる。それが理想的な形だった。

 

 もっとも、駆逐棲姫隊を相手にしつつ他の部隊にちょっかいをかけるだけあって、リスクは高まったと言える。

 

「けど、このリスクを背負わないと後々もっと面倒なことになるもんね……!」

 

 負傷した涼風の前に立ちながら、清霜は主砲を敵駆逐艦に放った。しかし当たらない。相手の動きが早過ぎるのだ。

 

「清霜、横!」

 

 春雨の声と同時に、砲弾が宙を切り裂く音が聞こえた。

 身を低くして空を見る。一瞬、砲弾が視界に飛び込んできた。

 

 着弾。

 砲弾が叩きつけられたことで、海面が凄まじい水飛沫を上げた。

 周囲に大きな波が生じて、身体が揺れる。

 

 さっきからこんなことの繰り返しだった。

 命がいくつあっても足りない。戦場がそういうものだということを、改めて思い知る。

 

「大丈夫?」

「へーきへーき! 司令官がせっかく来てくれるんだもん。合流する前にやられたりはしないよ!」

 

 清霜も微かに被弾していたが、まだまだ十分に戦える状態だった。

 意気軒昂といったところである。

 それに対し、不詳を重ねた涼風は戦闘続行が困難になっていた。

 

「……悪いな、二人とも。もしあたいが足手纏いになるようだったら――」

「見捨てたりはしないよ」

 

 涼風の言葉を封じるように清霜が言った。

 

「私は、もう誰も見捨てたりなんかしない。それは絶対に絶対だッ!」

「うん。私も……もう、仲間を失うのは嫌だから、置いて行ったりしないよ」

 

 涼風の手を握り締めながら、春雨が清霜に同調した。

 

 康奈の策は、少しずつ芽が出つつあった。

 いくつかの隊が鬼怒隊と合流し、駆逐棲姫の部隊に対応し始めてきたのである。

 だが、各部隊とも既に負傷している者が多く、数が増えても駆逐棲姫に決定打を与えることは出来ていない。

 

 康奈は他の部隊と直接通信できないので、鬼怒隊以外の指揮を執れない、というのもマイナスに響いていた。

 部隊間の連携が思うように取れないのだ。

 

 駆逐棲姫は鬼怒隊に攻撃を集中した。

 自分たちが囲まれつつあることを察し、一点突破を図ろうというつもりなのだろう。

 集中攻撃を受けて、鬼怒隊の損害はますます酷くなっていった。

 

 村雨が被弾し大破したのを皮切りに、白露、そして鬼怒までもが大破した。

 艤装の損傷が激しく、主機もまともに動かせなくなる。隊としての機動力が奪われ、余計被害が増えやすくなってしまうのだ。

 

「……大丈夫。私、敵を攪乱させます!」

 

 艤装の状態をチェックし、清霜が前に飛び出した。主砲は損傷が激しくまともに動かせないが、動き回るだけならどうにかなる。

 敵は攻撃の手を緩めない。このままでは、鬼怒隊から轟沈する者が出かねなかった。

 

「待って清霜、行くなら私が――」

「春雨は他の人たちをお願い!」

 

 他の隊の動きに合わせる余裕はない。

 清霜は、我武者羅に敵部隊の中央に突っ込んだ。敵の陣形を割ろうとしたのである。

 

 しかし、相手が駆逐艦一人だと見た駆逐棲姫隊は、陣形を固めてこれを迎え撃つ構えを見せた。

 

「そっちがその気なら――!」

 

 無理にでも隊を割ってやる、と清霜は自身の進行方向目掛けて魚雷を放った。

 これなら隊を割らざるを得ない――そう考えた清霜だったが、その目論見はすぐさま破られた。

 魚雷の前、敵の駆逐艦が飛び出してきたのである。

 

 魚雷が敵駆逐艦に到達し、炸裂した。

 それによって水柱がたち、清霜は一瞬足を止めざるを得なくなる。

 

 その隙を突いて、水柱の向こうから駆逐棲姫が主砲を清霜目掛けて撃ち込んだ。

 

「――ッ!」

 

 悲鳴を上げる間もなかった。

 正面から主砲をまともに喰らい、清霜の小柄な身体は海面を跳ね――その意識は、深い闇の中へと沈んでいった。

 

 

 

 春雨は、時が止まったような錯覚を覚えた。

 清霜が海面を何度も跳ねながら転がっていく。艤装の破片がいくつか吹き飛んだ。

 もう戦えない。一目で分かるくらいのダメージだった。

 

 集まった他の部隊も、鬼怒隊と似たような状況だった。

 戦闘続行が可能な艦娘は、春雨くらいしか残っていない。

 

 敵部隊も決して万全な状態ではない。その数は既に半数以下になっている。

 しかし、駆逐棲姫とそれを取り巻く護衛数体はまだ健在だった。

 

 もう逃がしてしまえば良いのではないか。そんな思いが春雨の脳裏に浮かび上がる。

 敵は十分引き付けた。いくら姫級と言っても、この状態からではろくなこともできまい。

 

 しかし、そうも言っていられなかった。

 駆逐棲姫は、吹っ飛んだ清霜を一瞥すると、春雨目掛けて突っ込んできたのである。

 その眼差しは敵意に満ち溢れていた。

 春雨がもう戦いたくないと思っていても、向こうの戦意は依然として高かった。

 むしろ、散々邪魔をされた分だけ膨れ上がっている。

 

「……やっぱり、逃げの考えじゃ駄目だね」

 

 康奈の気配が近づいて来ていた。

 もしかしたら、振り返ればもう見える位置まで来ているのかもしれない。

 

 だとしても、今、振り返るわけにはいかない。

 

 突入してきた駆逐棲姫たちに向かって、春雨は応戦する構えを取った。

 

「駄目だ春雨の姉貴! 逃げろ!」

 

 涼風が止める。鬼怒たちも皆口々に避難するよう言ってきた。

 しかし、今ここで逃げれば他の誰かが狙われるかもしれない。

 そうなれば、きっと誰かが犠牲になる。

 

 かつて――夕立と離れて、一人だけ助かってしまった。

 そのことが、ずっと心にしこりとなって残っていた。

 

「……そうだ。私は、もう後悔したくない」

 

 駆逐棲姫たちの進行先に主砲を放つ。

 海面に叩きつけられた砲弾が飛沫を上げ、駆逐棲姫たちの足を止めた。

 

「だから私は、絶対退かない!」

 

 そこ目掛けて魚雷を放つ。

 足を止めたところを狙う。先程清霜が駆逐棲姫にやられた戦法だった。

 

「――コンナトコロデ、止マッテラレナイ」

 

 そのとき、駆逐棲姫は大きく口を開いた。

 明確な意思を伴った人の言葉。

 人語を解する深海棲艦がいることは春雨も知っていたが、正面からそれに相対すると、奇妙なざわつきを覚えた。

 

「仲間ガ待ッテル――ダカラ、私ハ絶対戻ラナイトイケナインダ――ッ!」

 

 駆逐棲姫が、咆哮しながら跳躍した。

 宙にいる相手に、魚雷は届かない。

 春雨は咄嗟に主砲を構えた。しかし、装填が間に合わない。

 

 鬼気迫る表情の駆逐棲姫が迫る。

 その瞬間、春雨は背筋が凍り付くような感覚に襲われた。

 

 沈む。

 暗い海の中に、一人沈む。

 

 それは――嫌だ。

 春雨は知っていた。自分が沈んだ後、残された姉妹艦がどういう思いを抱いたのかを。

 艦娘として着任した後、姉妹艦たちが教えてくれたのだ。

 

 姉妹艦を失う痛みを知りながら、自分が沈むとき、春雨はどこか満足していた。

 しかし、それは残される者たちのことを忘れていたからこそ覚えたものだ。

 

 ……満足なんて、できるはずがない。今私が沈めば――悲しむ人がいっぱいいる!

 

 仲間を守るだけではない。

 仲間を悲しませないよう、自分自身も守る。そういう戦い方をするのだと、春雨は誓っていた。

 

 折れそうになった春雨の闘志が、土壇場で蘇る。

 その身を焦がすような気迫の駆逐棲姫を、春雨は真正面から睨み据えた。

 

 このままでは主砲の装填が間に合わない。

 ならば、ギリギリのところで敵の攻撃を避け、着地の瞬間に生じる隙を突くしかない。

 

 超近距離での対応は至難の業だ。

 しかし、諦めたくないのであれば、やるしかない。

 

 春雨と駆逐棲姫が衝突する。

 見ていた誰もがそう思った瞬間――駆逐棲姫は、横合いから何者かに殴り飛ばされた。

 

 

 

 鬼怒隊が視界に入ったとき、既に状況は最悪に近しいものになっていた。

 ほとんどの者が倒れ、唯一無事な春雨が駆逐棲姫と相対している。

 

 その光景を見て、康奈の心臓は跳ね上がった。

 数ヵ月前に味わったときと同じ感覚。身内を失うということへの恐怖である。

 

 春雨が逃げれば誰かが沈められるかもしれない。

 逃げなければ、春雨自身がやられる。

 

 ……先生。

 

 助けられなかった人がいた。

 そういうのが嫌で、こんな無茶な強行軍を敢行した。

 

 それでも、結局は助けられないのか。

 

「――雲龍、艦載機を出して!」

「それは、すぐには無理……!」

 

 母艦の護衛任務についていた雲龍が悲痛な声を上げた。

 現在、この母艦は雲龍の戦闘機と磯風・時津風によって守られている。

 戦闘機から艦攻・艦爆に切り替えて発艦させるのは、どうしても時間が必要だった。

 

「……私が出る!」

 

 堪りかねた磯風が、一人母艦から飛び出した。

 無謀極まる行動だが、他に打てる手がない。

 

「誰でもいい。誰か――私の家族を守って……!」

 

 甲板の手すりにすがりつきながら、康奈は悲痛な願いを口にした。

 

 

 

 ……声が聞こえる。

 

 助けを求める声だ。

 混濁した意識の中で、声の主を求めて手を伸ばす。

 

 しかし、届かない。

 

 以前もそうだった。

 救いを求める声に応じようとして、動けなかった。

 

 海に消えゆく巨大な艦影。

 その周囲には、すべてを飲み込まんとする渦が生じていた。

 

 近づけばただでは済まない。

 だから、近づけなかった――否、近づかなかったのだ。

 

 伸ばしかけた手を、引っ込めてしまった。

 助けようとして助けられなかったのではない。

 助けることを諦めて――見殺しにしたのだ。

 

 完全に見捨てたわけではない。

 安全が確保できる状態になったのを見計らって動いた。

 助けられた命もあった。あのときは、ああするのが最善手だったのだ。

 

 そう思いつつ、それは逃げの理屈だ、という思いが絶えず脳裏にこびりついている。

 

 だから。

 今度、助けを求められたら、理屈などかなぐり捨ててでも応じなければならない。

 

 

 

 康奈が面をあげたとき、戦場で一人の艦娘が立ち上がるのが見えた。

 ボロボロになった身体を、錆びついた機械のように、ガクガクと覚束ない様子で起こす。

 

 清霜だった。

 

「あの子……何を!?」

 

 康奈の隣で様子を見ていた大淀が戸惑いの声を上げた。

 清霜は満身創痍だった。主砲は既に原型を留めておらず、主機も最低限の機能が働くかどうかといった有様。

 なにより、清霜自身があちこちに傷を負っていた。あちこちから血が滲み出ていて、全身が赤黒くなっている。

 

 そんな状態にもかかわらず、清霜は立ち上がり、あろうことか海面を走り出した。

 主機による滑走ではない。大地を蹴るような調子で、海面を二本の足で全力疾走している。

 

 無茶苦茶な動きだったが――それは妙に速かった。

 

 駆逐棲姫が春雨に飛び掛かる。

 春雨はそれに応戦する構えを見せた。

 危うい。誰もがそう思った。

 

 しかし、駆逐棲姫の刃が春雨に届くことはなかった。

 その寸前で、横合いから飛び掛かった清霜が、駆逐棲姫を殴り飛ばしたからである。

 

「嗚呼アアアァァァァ!」

 

 駆逐棲姫を殴り飛ばした清霜は、まるで獣のように吠えた。

 海面に叩きつけられ、身を起こそうとする駆逐棲姫目掛けて飛び掛かる。

 

 殴る。

 蹴る。

 反撃に出ようとした駆逐棲姫の腕を掴み、その腕に噛みついた。

 

 もはや艦娘の戦い方ではない。

 それは、理性を失った獣の戦い方だった。

 

 駆逐棲姫は噛みついた清霜を振り払うと、至近距離から主砲を撃ち込む。

 

「――清霜ッ!」

 

 康奈が悲痛な声を上げる。

 今のは、どう考えても致命傷だった。

 誰が見ても助からない。そう思わせる一撃だった。

 

 しかし、至近距離から姫級の主砲を喰らっても、清霜は倒れなかった。

 傷はより深くなっている。いつ死んでもおかしくないような深い傷だ。

 しかし、それでも清霜は再び駆逐棲姫に殴り掛かった。まるで自分が負っている傷に気づいていないかのように。

 

「……大淀。あれは、なんなの?」

「分かりません。ですが……あれは、良くないです。いかに信じられないような底力を出したとしても、徒手空拳では――」

 

 清霜の艤装は既に攻撃能力を失っている。主砲は破損し、魚雷もまともに射出できない。

 駆逐棲姫を倒すための決め手がない。驚異的なタフさと身体能力があっても、あれではいつ力尽きてもおかしくない。

 

 磯風が急ぐ。春雨が動く。

 清霜は、暴風のように駆逐棲姫の周囲を飛び回った。通常の艦娘からはまず考えられないような、凄まじい機動力だ。

 

 しかし、清霜がいくら攻めても駆逐棲姫は倒れない。

 掴みかかった清霜の頭を駆逐棲姫が掴み、海面目掛けて叩きつけた。

 艦娘としての力が残っているからか、清霜の身体は沈むことなく跳ねた。

 だが、さすがに限界だったのか――今度は、もう起き上がらなかった。

 

 ……まだ死んではいない。

 

 康奈と清霜の間に霊力のパスが残っている。だが、そこから感じ取れる清霜の力は急速に弱まっていった。

 

 磯風が距離を詰めていく。しかし、それよりも早く、駆逐棲姫が清霜目掛けて魚雷を放った。

 間に合わない。清霜に魚雷が命中する。

 

 康奈と大淀の表情が蒼白になった。

 そのとき、魚雷と清霜の間に割り込み、清霜の身体を抱き締める者がいた。

 

「……春雨!」

 

 清霜を庇うように、春雨は魚雷に背を向ける形で身を固くした。

 

 轟音が響く。

 凄まじい衝撃が、康奈たちのいる母艦まで伝わってきた。

 

 魚雷の破壊力は主砲の比ではない。

 春雨が無事だとは、到底思えなかった。

 

 康奈の身体から力が抜けて、膝から崩れ落ちる。

 

 二人がこれまでに見せてくれた表情が脳裏をよぎる。

 もっと仲良くしておけば良かった。優しくしてあげれば良かった。

 そんな後悔が、一気に心の奥底から噴き出してきた。

 

「……あ、あ。あぁ……う、うぅぅぅ」

 

 言葉が言葉にならず、呻き声としか言いようのないものが康奈の口から零れ落ちる。

 そんな康奈の肩を、大淀が掴んだ。

 

「提督」

「……」

「提督。見てください」

「……なに、を」

「いいから見てください! 春雨たちは――無事です!」

 

 その言葉に康奈は面を上げる。

 視線の先。魚雷が巻き上げた飛沫が消えて、先程までと同じ姿の春雨と清霜が姿を見せた。

 

 そして、そこにもう一人。

 紺色のスカーフを身に着けた神通が、春雨たちを守るように立っていた。

 

 

 

 何度目だろうか。春雨は、また死を予感した。

 死ぬつもりはない。自棄になったわけでもない。ただ、考えるより先に身体が動いていた。

 

 迫りくる魚雷を見て、心身が共に凍り付いた。

 もう、身動き一つ取れない。さすがにこれは助からない。春雨はそういう確信を抱いた。

 

 そのとき、紺色のスカーフが視界に入って来た。

 横須賀第二鎮守府の神通である。

 彼女は春雨の前に立つのと同時に、流れるような動作で魚雷を射出した。

 

 神通の放った魚雷が駆逐棲姫の魚雷と衝突し、凄まじい爆発が生じる。

 鼓膜が破れそうな音がしたが、神通が前に立ってくれているからか、春雨たちのところに衝撃はほとんど来なかった。

 

 魚雷による破壊が収束し、海が静けさを取り戻したとき、神通が口を開いた。

 

「遅くなりました」

「……あ、えっと」

「ここまで持ち堪えた皆さんの戦いに――敬意を」

 

 そう言って、神通は微かに春雨の方を向き、頭を下げた。

 

「漁夫の利をさらう形になってしまい恐縮ですが、後は我々で始末をつけます」

 

 春雨に完全に背を向けて、神通は駆逐棲姫に相対する。

 その後ろ姿から、春雨は何かただならぬものを感じた。

 

 先程の清霜が見せた動きも凄まじかったが、この神通がまとっている雰囲気は、それよりも一段上の何かを感じさせる。

 

 駆逐棲姫も眼前の敵の危険性を感じ取ったのか、表情を険しくして低く構えた。

 

 荒野のガンマンが撃ち合う寸前のような、張り詰めた空気が周囲を覆いつくす。

 

 先に動いたのは神通だった。

 一歩、駆逐棲姫に向かって足を進める。

 

 駆逐棲姫は動かない。

 否――動けなくなっていた。

 

 神通に攻撃するため身体を動かそうとするが、思うように身動きが取れない。

 いつの間にか、身体のあちこちに細い糸がまとわりついていた。

 

「先程、魚雷で周囲の視界が奪われている間に仕掛けさせてもらいました」

「馬鹿ナ……オ前ニ、ソンナ余裕ハナカッタハズダ……!」

「ええ。私には」

 

 神通が右腕を小さく上げると、それに呼応するかのように五つの影が姿を見せた。

 周囲に倒れている艦娘や深海棲艦の影に隠れていたのである。

 皆、紺色のスカーフをつけていた。神通旗下のメンバーである。

 

 五つの影がそれぞれ手にした糸を引っ張ると、駆逐棲姫の身体に糸がきつく食い込んでいった。

 

「人型の利点は、様々な道具を使える汎用性の高さにあります。艤装以外でも、使えるものは何でも使うべき。私はそう思います」

「グッ……ガァッ……!」

「もっとも、その利点も道具を使う手が封じられれば――意味のないものとなりますが」

 

 語りかけながらも、神通は少しずつ駆逐棲姫に近づいていく。

 ゆっくりと、主砲の砲口を駆逐棲姫の心臓部に向けながら。

 

「抜カセ――ッ!」

 

 駆逐棲姫の脚部にある艤装が大きく口を開く。

 搭載された艤装は、駆逐棲姫の両腕がなくとも敵を屠る力を持っていた。

 

 しかし、神通目掛けて砲撃を敢行しようとしたとき、拘束する糸によって駆逐棲姫は身体の向きを逸らされた。

 放たれた砲撃は、神通の脇を逸れていく。

 

「グ……グアアァァァッ!」

 

 自分の置かれた状況を否応なく痛感し、駆逐棲姫は怒りの雄叫びを上げながら、糸を断ち切ろうともがいた。

 しかし、どれほど頑丈なのか、糸はまったく千切れる気配がない。

 

「切れませんよ。我々に捕まった時点で、貴方の命運は尽きていたのです」

「ア、嗚呼アァァァッ!」

 

 駆逐棲姫は、近づいていた神通目掛けて直接牙を突き立てようとする。

 しかし、それよりも先に神通の主砲が火を噴いた。

 

「――貴方の奮戦に、敬意を表します」

 

 ほぼ零距離からの連撃を受けて、駆逐棲姫の身体が大きく震える。

 神通の指示で旗下の五人が糸を緩めると、その身体はゆっくりと崩れ落ち、海の底へと沈んでいった。

 

 

 

 沈む。

 この感覚は覚えのあるものだと、駆逐棲姫は消えゆく意識の中で思い返していた。

 

 自分は、前もこうして戦って沈んだ。

 満足して沈んだ。そのはずだが、どこか引っかかるものがあった。

 

 水面を見る。

 自分を沈めた艦娘は、既に踵を返していた。

 ただ、もう一人視界に入った艦娘は、じっとこちらを見ていた。

 

 どこか覚えのある顔だ。

 あれは、もう一人の自分かもしれない。

 駆逐棲姫は、そんな突拍子もない考えに一人得心した。

 

 その艦娘は、どこか痛ましげに駆逐棲姫を見ていた。

 腕には、別の艦娘を抱きかかえている。

 

 ……嗚呼、そうか。

 

 その艦娘を見て、かつて胸に抱いた想いを思い出した。

 残される仲間のことを、姉妹艦のことを想ったのだ。

 きっと、自分が沈むことで心を痛めるに違いない。そんな想いをさせてしまって申し訳ない。そう、後悔したのだ。

 

 今、駆逐棲姫は沈んでいる。仲間を助けることもできず、生き残ることもできず。

 ただ、自分と同じ顔をしたヤツが、仲間を助け、この先も生きていくのだという確信を得た。

 

 だから、それで納得した。

 

 何もかも上手くいかない自分のような結末もあれば、ああいうIFもあるのだと。

 その可能性を見出せたのであれば、きっと、この救いようのない結末にも意味はあったのだ、と。

 

 叶うならば。

 もし自分が再び浮上することがあれば――あのIFに辿り着きたい。

 

 そんな願いも、やがて深海の闇に飲まれていく。

 ただ、駆逐棲姫にはその闇が不思議と優しいもののように思えた。

 

 

 

 磯風たちが忙しなく負傷者を母艦に運び込んでいく。

 ショートランド泊地のメンバーだけではない。多くの部隊が傷ついた。

 これを放置しておくことはできない。そう言って康奈は負傷者の収容を始めたのだ。

 

 ボロボロになった清霜が、雲龍の手で医務室に運ばれていく。

 酷い怪我だが、まだ生きている。急ぎ艤装を修復すれば、多少はましな状態になるはずだ。

 

 康奈と春雨はそれを並んで見送っていた。

 清霜の姿が見えなくなると、春雨は大きく息を吐いた。

 

「すみません、司令官。私、今回は皆の足を引っ張ってばかりだった気がします」

「そうかしら」

「最初に涼風が負傷したのも、私が未熟だったからです。あれで隊が思うように動けなくなって、被害が大きくなってしまいました。清霜みたいに、果敢に敵に挑んでいけたわけでもないですし……」

「でも、最後まで戦おうとしていたじゃない」

 

 康奈は春雨の頭をポンポンと叩く。

 

「敵に挑むばかりが戦いじゃないわ。最後まで逃げずに踏ん張った。貴方の踏ん張りがあったから、犠牲者がゼロになった」

 

 そう言って、康奈は春雨を力強く抱き締めた。

 

「……ありがとう。皆を守ってくれて。そして何より、無事に帰ってきてくれて」

「――っ」

 

 康奈の抱擁で緊張が解けたのか、春雨は微かに身体を震わせ、泣いた。

 恐怖によるものか、安堵によるものか、それは春雨自身にも分からないだろう、と康奈は思った。

 

 ただ、それがどういうものであれ、今は思い切り泣かせてやりたい。

 そう思う康奈も、自分で気づかないうちに、大粒の涙を零していた。

 

 

 

 戦いを終えた神通は、横須賀第二鎮守府の母艦に戻った。

 隊員一同を先に休ませ、司令室にいる提督のところに向かう。

 

「神通、ただいま帰投しました」

「入れ」

「失礼します」

 

 司令室に入ると、戦局を示すモニターを注視する提督の姿があった。

 

「駆逐棲姫の討伐、完了しました。ただ、単独撃破はできませんでした。あれは、他の各部隊との共同撃破という形になります」

「そうか。まあ、仕方あるまい。なにせお前たちの部隊は戦艦・潜水の部隊を五つも相手にしていたのだ。間に合っただけ上出来だろう」

 

 提督も、おおよその状況はモニターで把握していたようだった。

 作戦中、神通にほとんど指示がなかったのは、そうする必要性を感じなかったからだろう。

 

「総合的な戦果を見れば上々の出来と言える。今回のことは気に病まず、まずは休め」

「……ビアク島の戦況はいかがでしょうか」

「順調だ。うちの長門たちが一番槍だな。北東方面から敵の増援が湧いて出たが、どうやら作戦本部はそれも想定していたらしい。特に慌てる様子もなく、戦力を分けてそれぞれ対処中だ」

 

 そこで、初めて提督は神通の様子をちらりと見た。

 

「……珍しい。お前が負傷するとは。他に負傷者は?」

「いません」

「ますます珍しいな。旗艦だけが怪我をするなど。普通なら旗艦を庇うだろう。そういう調練もしてきたはずだが」

「……私が独断で、駆逐棲姫と交戦中だった艦娘を庇いました。その間、隊のメンバーには駆逐棲姫の動きを封じる準備を」

「……」

 

 神通の報告を聞いて、提督は身体を神通の方に向けた。真正面から神通を見据える。

 

「誰を庇った?」

「ショートランド泊地の駆逐艦・清霜です」

「――出撃前、お前が気になると言っていた艦娘か。そいつに庇うだけの価値があったと?」

「はい。……彼女は、オーバーフローを起こしていました」

 

 神通の言葉に、提督の眼差しが鋭さを増した。

 

「それは、つまりそういうことか?」

「はい。因果関係は不明ですが、そのとき先方の提督が近づいてきていました。もしかすると、提督の方も……」

「……ふん。ショートランド泊地か」

 

 提督は視線をモニターに戻した。

 

「少し興味が出てきた。一度、会っておこうか」


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