南端泊地物語―戦乱再起―   作:夕月 日暮

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第二章「失われた過去から始まる道」(トラック泊地編)
第六陣「ある男の記録」


 薄暗い空の下、一隻の船が横須賀から出航しようとしていた。

 トラック泊地の母船である。甲板には泊地を預かる毛利仁兵衛の姿があった。

 

 仁兵衛は埠頭にやって来た男をじっと見ていた。

 

「なんだ三浦、見送りに来たのか」

 

 埠頭の男――横須賀鎮守府提督の三浦武臣は、仁兵衛にまっすぐな視線を向けた。

 深海棲艦に立ち向かう国民的英雄は、マスコミの前では決して見せないような険しい表情を浮かべている。

 

「やはりトラック泊地へ戻るのか」

「僕の本拠地はあそこだ。いろいろと便利だが、ここは息が詰まる」

「お前に抜けられるといろいろと困るのだ。俺は、どうも交渉事が上手くない」

「なら上手くなれ。僕だって最初から上手かったわけじゃない。こちとら元々はただの作家だぞ」

 

 毛利仁兵衛は、今でこそ提督として艦娘を率いる立場にあるが、元々は歴史作家だった。

 誰かを指揮して戦うような立場にいたわけでもないし、この界隈にコネがあるわけでもない。

 提督になるまで仁兵衛が経験した交渉など、出版社を相手にしたものくらいである。

 

「トラック泊地の防衛も重要だ。あそこは本土と南方拠点を繋ぐ要所だからな。落ちたらまずいことになる」

「だからこそ懸念している。敵がトラック泊地に攻め寄せてお前に万一のことがあれば、深海対策庁としては大きな痛手だ」

 

 仁兵衛はもはやトラック泊地の提督というだけの身分ではない。

 深海対策庁作戦本部の情報部長――日本の対深海棲艦組織の最重要人物の一人である。

 智勇兼備の三浦、日ノ本の盾浮田、兵站の鍋島等、作戦本部に選出された提督たちは皆優れた能力を持っている。

 仁兵衛は特にその知恵を高く評価されていた。深海棲艦の動向を読んで戦略・戦術を練る際は仁兵衛が中心になる。無論他の提督も十分な知恵を持っているが、仁兵衛のそれは頭一つ抜きん出ていた。

 仁兵衛に何かあれば大きな痛手になる、というのは剛臣の大袈裟な評価ではない。

 

「だから安全な内地に引きこもっていろと? それこそ危険な判断だ。僕以外にあの要所を任せられると思うのか、お前は」

「……お前の弟子はどうなんだ」

「元景か。あいつは優秀だよ。真っ直ぐな気性の持ち主だが、読みの力にも長けている。日々の精進も怠らない逸材だ。ただ若い。まだあと二~三年は学ばせておきたい」

 

 弟子の自慢をしつつ、仁兵衛は話を打ち切るかのように大きく頭を振った。

 

「気を付けるべきはお前だよ、三浦。今やお前は救国の英雄だ。お前に何かあれば、この国は深い傷を負うことになる。ある意味総理大臣より死んではいけない男さ、お前は」

「俺は――」

「お前がどう思おうと関係ない。周囲がお前をそう見ているんだ。だから三浦よ。こんな夜更けの港に単身来るような阿呆な真似は二度とするんじゃあないぜ。どこに行く際も護衛を必ずつけろ。それはお前の義務だ」

 

 そのとき、剛臣の名を呼ぶ声が近くから聞こえてきた。

 どうやら横須賀の艦娘たちが剛臣を探しに来たらしい。

 

 トラックの朝潮が、仁兵衛の元に船の出港準備ができたことを告げに来た。

 仁兵衛は軽く頷くと、剛臣に視線を向けた。

 

「じゃあな、三浦。昨年はバタバタしていたから、今年は本拠地でゆっくりと年を越させてもらう。良い年を」

「良い年を。……くどいようだが、気を付けろよ」

「ああ。お互いにな」

 

 仁兵衛たちを乗せた船が動き出す。

 その音を聞きつけて、横須賀の艦娘たちが集まってきた。

 

 剛臣や横須賀の艦娘に見送られながら、仁兵衛は傍らの朝潮にぼやいた。

 

「まったく、あいつは隙だらけで困る。僕が敵の指揮官なら、多少強引な手を使ってでもまず横須賀を落とすところだよ」

「司令官も、あまり人のことは言えないと思います」

 

 少し呆れたような表情で告げる朝潮に、仁兵衛は困った表情を浮かべて頭をかいた。

 

「……君は、もう少し隙を作った方が男にモテると思うぞ?」

「セクハラで訴えますよ」

「すみません」

 

 物凄い速さで謝る仁兵衛に、朝潮は思わず吹き出す。

 二〇一四年の暮れのことだった。

 

 

 

 二〇一五年になってからしばらく経った頃。

 康奈は清霜たちを伴って、ソロモン諸島の首都・ホニアラ市を訪れていた。

 日頃の協力への御礼も兼ねた、少し遅めの年賀の挨拶回りである。

 

「やっぱり、こういうのは苦手だわ……」

 

 政府高官との会合を終えた康奈は、市内を歩きながら思わずぼやいた。

 康奈がまだ子どもだということもあってか、要人たちは皆ある種奇異の視線を向けてくる。

 理屈では康奈が提督になった理由を理解していても、実際目の前にするとどうにも妙な風に映るらしい。

 

 中には、パイプを作ろうと「うちの息子を紹介しようか」などと言ってくる者もいた。

 もっとも、そういう提案はすべて大淀がやんわりと拒否していたが。

 

「提督に悪い虫を近づけさせるわけにはいきませんから」

「大淀、最近少し先生みたいになってきたわね……」

「光栄です」

「今のは褒めたわけじゃない」

 

 ドヤ顔で眼鏡を光らせる大淀に、康奈は笑ってそう言った。

 

「悪い虫ってなあに、司令官?」

 

 と、前方を歩いていた清霜が不思議そうに尋ねてきた。

 渾作戦の後遺症は残っておらず、今はすっかり元気になっている。

 ただ、以前よりも康奈と一緒にいることが多くなった。

 

「大淀が私と仲良くして欲しくないって思う相手……だと思うけど」

「そうなんだ。皆仲良くできればいいのにね」

「清霜、世の中には悪い人がいっぱいいるの。そういう人に騙されないよう注意しなければいけないのよ」

「そうなんだ。大淀さんが言うなら、そうなのかな」

「大淀の言うことが絶対だと思わない方が良いわよ、清霜」

「んー?」

 

 康奈と大淀の言葉を反芻し、清霜は首を傾げた。

 大淀の言うことを信じるべきかどうか、必死に頭を働かせているらしい。

 

 それからすぐに、一行はホニアラ市内にある日本大使館へと辿り着いた。

 大使はショートランド泊地や本国と連携して動くため、康奈たちにとっても重要な場所である。

 康奈もここへは何度も来たことがあった。

 

 だが、この日はこれまで訪ねたときと少し様子が違っていた。

 いつもは受付の人が出迎えてくれるのだが、今回そこにいたのは受付の人とは思えない風貌の人物だった。

 顔中を包帯でぐるぐる巻きにしている。まるでミイラのような人物だった。

 

「……み、ミイラ男……!?」

「敵かっ……!」

 

 清霜と並んで前方に立っていた春雨が少し怯えたような声を上げた。

 後方にいた磯風も、思わず康奈の前に出た。警戒心丸出しである。

 

「どーも。大使館へようこそ」

 

 しかし、緊張感を高める康奈一行に対し、そのミイラ男は気さくな様子で話しかけてきた。

 ひらひらと手を振ってくる緩い様子に、磯風たちもどう反応すべきか戸惑いを見せる。

 

「あの、貴方は?」

「自分か。自分は――いや、それに答えるために一つ質問させてくれないか。そちらはショートランド泊地の提督さん?」

「……ええ、そうだけど」

 

 警戒しながら答えると、男は得心したように頷くと、席から立ち上がって一礼した。

 

「自分は、以前そちらさんに助けられた男だ。……と、長崎さんから聞いている」

「あ、司令官。この人あのときの人だよ、多分」

 

 と、清霜が何かに気づいたようにパッと顔を輝かせた。

 両者の反応を見て、康奈もようやく思い出した。

 渾作戦前、ソロモン政府と交渉するためホニアラ市に来る途中、正体不明の船を深海棲艦から救った。

 その船には、大火傷を負った男が一人乗っていたはずだ。

 

「そう、あのときの」

「ああ。こうして自分が生きていられるのはそちらさんのおかげというわけだ。感謝感激ってやつだな」

 

 あまり感謝感激しているように見えない口振りだったが、少なくともこちらへの害意は感じない。

 どうも飄々としていて腹の内が読めない感じはしたが、ここに来た目的はこの男と問答することではなかった。

 

「長崎さんはいますか?」

「ああ、奥の部屋にいる。ちょっと待っててくれ」

 

 男はゆったりとした動きで奥へと引っ込んでいった。

 全身が包帯だらけで、本当にミイラ男としか言いようのない風体である。

 

「大淀さん、あの人は悪い虫なの?」

「……ええっと。ちょっとよく分からないわね……」

 

 清霜の何気ない問いかけに、大淀も困惑の声を上げるしかなかった。

 

 

 

「いや、驚かせたようで申し訳ありません」

 

 部屋に招き入れられた康奈たちに、日本大使である長崎は頭を下げた。

 

「最近はときどき大使館の仕事を手伝ってもらうようにしているのですよ」

「結局、あれからずっとこちらで身柄を預かっているのですか?」

 

 以前助け出したとき、ミイラ男は意識不明の重体だった。

 素性も何も分からなかったので、市の病院に入院させつつ、身柄は一旦長崎に預けていたのである。

 

「彼の素性は未だ不明ですが、どうも日本人ではないかと思われる節がありますので。ソロモン政府とも協議しましたが、こちらで預かることにしたのです」

「未だ不明……ですか?」

 

 ちらりと横で待機しているミイラ男に視線を向ける。

 本人の意識が戻ったなら聞けば良いのではないか、と康奈は疑問を抱いた。

 

「自分はここに来る前のことを何も覚えてないんだ」

 

 康奈の疑念を察したのか、ミイラ男は肩を竦めて見せた。

 

「医者にも見せましたが、虚言の類ではないだろうとのことでした。日本語や英語に関する知識、一般常識は持ち合わせているものの、自分自身のパーソナルな情報が欠損しているようなのです」

「そういうわけで、自分はここで居候の身になっている。働かざるもの食うべからずということで、長崎の旦那にはこき使われているってわけだ」

「……彼はとても頭が良いのです。いろいろと助けられていますよ。サボり癖さえなければもっと嬉しいのですが」

 

 長崎の含みのある言い方に、ミイラ男は明後日の方向へ視線を逸らした。

 否定しないあたり、サボりがちなのは事実らしい。

 

「おっと、こちらの話ばかりで申し訳ありません。泊地の近況はいかがでしょうか」

「深海棲艦との小競り合いはありますが、基本的には平和なものです。渾作戦以降、あまり敵も活発な動きを見せていませんし」

「AL/MI方面は深海棲艦に奪取されてしまったと聞いていますが、そちらは問題ないのでしょうか」

「トラック泊地を中心に防衛ラインを構築中です。元々あの辺りまで維持するのは無理がありましたし、構築した防衛ラインを堅守する方針で問題ないと思います」

 

 康奈と長崎大使が戦略について話をし始めると、ミイラ男は欠伸をしながら清霜たちの方にやって来た。

 

「年賀の挨拶というのは随分と物騒な話をするものだな。どうだ、暇なら自分と軽く遊ばないか?」

「ナンパならもう少し上手くやることだ」

「いやいや、自分は子どもには手を出さんさ。そちらのお二人さんならお誘いしたいところだがね」

 

 牽制してきた磯風に釈明しながら、大淀と雲龍に向かって笑いかける。

 もっとも、包帯だらけのせいでその笑みは若干恐ろし気なものになってしまっていた。

 

「謹んでお断りします」

「よく分からないけど、右に同じ」

「残念。けど、あんたらもこうして待ってるだけだと退屈だろう。こういうのはどうかな?」

 

 そう言って、ミイラ男はお手製のものと思われる木製の独楽を取り出した。

 その出来栄えに、早霜が感心したような表情を浮かべる。

 

「あら、上手ね」

「お褒めにあずかり光栄だ。ここの仕事はどうにも面白くなくてな。こんなものを作ったり、あれこれ調べ物をするくらいしか楽しみがない」

 

 ミイラ男はそう言いながら、独楽以外に人形やネックレスのようなものを取り出した。

 いずれも素材が悪くあまり見栄えのするものではなかったが、加工技術に関しては確かなものを感じさせた。

 

 清霜や春雨たちは興味深そうに渡された小物を見つめている。

 磯風も少し距離を置きつつ、その様子を眺めていた。

 

「凄いねえ。おじさんってもしかして、職人さんだったのかな」

「どうだろうな。他にすることがないから手を出したってだけで、そこまで思い入れがあるわけではないが」

 

 時津風に言われて、ミイラ男は頭をかいた。

 

「退屈させているようで申し訳ないね」

 

 と、康奈との会話が一段落ついたのか、長崎大使がいつの間にかミイラ男の背後に立っていた。

 

「あら、もう終わったのか。若いレディとの会話、もう少し楽しんだらどうだ?」

「待たせてる子たちもいるのに長話はできないだろう。……皆さんもすまないね、変な男だと思うが気にしないでくれ。悪い人間ではないんだ」

「ハッハッハ」

 

 何がおかしいのか、ミイラ男は長崎大使の肩を叩きながら大きく笑った。

 しかし、次の瞬間嘘のようにトーンを低くし、

 

「――近々、大きな戦が起きるかもしれない」

 

 と告げた。

 その双眸は、何かを見通しているかのような凄味を宿している。

 先程までとの変わりように、部屋の空気が静まり返った。

 

「……どういうことですか?」

「現在日本は周辺諸国の協力も得て、着実に防衛ラインを強化しつつある。南はかなり固まったし西も最近じゃ優勢だ。北はちと怪しいが、あちらは元々さほど深海棲艦の動きが活発じゃなかった。問題は東。太平洋側だ」

 

 男は長崎大使の机に飾ってあった地球儀を回して、日本の東に広がる大海原を指し示した。

 

「こっちは陸地が少なく小さな島が点在するのみで、拠点を置きにくく防衛ラインの維持が他の三方面よりも難しい。深海棲艦が戦略を理解しているなら、こっちの方から何か仕掛けてくるはずだ」

「……つまり、近いうちに敵が仕掛けてくるってこと?」

 

 清霜が問いかけると、ミイラ男は肩を竦めた。

 

「多分な。これまでの戦闘について自分なりに少し調べさせてもらったが――深海棲艦側はまとまった軍勢を整えるのにおよそ三ヵ月から四ヵ月程度の時間を要している。逆にそれ以上の期間を空けるケースはほとんどない。なら、そろそろ仕掛け時だろうってわけだ。会話を少し聞いた感じだと、そういう警戒をあまりしてないように聞こえたんでな。お節介かもしれないが忠告させてもらった」

「……彼、頭は回るのです」

 

 困ったように長崎大使が言った。

 地球儀をくるくる回すミイラ男をじっと見て、康奈は長崎大使に一つ提案をしたくなった。

 

「長崎さん。この人、うちのスタッフとして雇うのはありでしょうか」

「え? ああ、本人が良いと言うなら私としては構いませんが……」

「だそうだけど、貴方は?」

 

 康奈に問われて、ミイラ男は露骨に面倒そうな顔を浮かべた。

 

「自分、退屈は苦手だと言ったが、面倒はそれ以上に嫌いでな……」

「うちで貴方の頭をフル回転させれば、未然に防げる面倒があると思うけど」

「……さっきの忠告だって、当てずっぽうだ。恩人相手に誠実であるべきだと思い、口にはしたが」

「誠実にそういうことを言える人だと言うなら、尚更欲しい人材ね」

 

 素性は怪しいが、康奈は頼れるスタッフが欲しかった。

 先日の戦いでも痛感したが、自分一人ではやれることに限界がある。

 多くの優秀な人材を揃えなければならない。艦娘たちも日々成長しているが、彼女たちを支える立ち位置のスタッフもなるべく多い方が良かった。

 

 引くつもりのない康奈の姿勢を察したのか、ミイラ男は肩を落とした。

 

「分かった。ただしあまりアテにはしないでくれ。自分は、自分にあまり自信を持っているわけではない」

「貴方がアテになるかどうかは私が責任を持って判断するから、そこは貴方が気にする必要はないわ」

 

 と、そこで康奈は一つ大事なことを失念していたことに気づいた。

 

「ところで貴方の名前は?」

「名前も覚えてない。今は長崎の旦那がつけてくれた名前を使ってるけどな」

「その名前は?」

「新十郎。自分にはよく分からんが――長崎の旦那にとっては、由来のある名前らしい」

 

 

 

「本当に良かったのですか、提督」

 

 船上で航路を確認していると、不安そうな表情を浮かべた大淀が声をかけてきた。

 

「記憶喪失で素性も知れない人を雇うのは、どうも危険な気がします」

「素性が分かっている人なら安全とも言い切れないでしょ。もし駄目だと思ったら、そのときは解雇すれば良い」

 

 話題の主である新十郎は、現在船室で休んでいるはずだった。

 今のところ怪しい様子はない。むしろ、何かをする気はないのかと言いたくなるくらい無気力だった。

 

 ……記憶喪失の素性不明がアウトなら私も駄目だと思うけど。

 

 一瞬そんな考えが康奈の脳裏に浮かんだが、口にすると大淀をへこませてしまいそうなのでやめておくことにした。

 

 船の前方には清霜と磯風が並んで警戒に当たっている。

 清霜の背中を見ながら、康奈は過日のことを思い出していた。

 

 あの日、横須賀第二鎮守府の長尾智美から「共に艦娘人造計画の関係者に復讐を果たそう」と誘われたとき、康奈は答えを保留した。

 自分としては何も覚えていないし、急にそんなことを言われても答えようがない。

 そう告げると、智美は意外にもあっさりと「それはそうだ」と康奈の言い分を認めた。

 

『しかし、いつまでも知らぬ存ぜぬというままで良いとは貴様も思っていないだろう。特に私たちは、連中が思っていたのとは少し違う形で世に出始めている。いつ向こうから手を出してくるか分からない。そういうときに備えて貴様は知っておくべきだ。己の出自をな』

 

 現在康奈が向かっているのはトラック泊地だった。

 毛利仁兵衛。康奈をショートランド泊地へと誘った男。彼なら、康奈の出自について何か知っているかもしれなかった。

 

 ……それに、清霜のこともある。

 

 泊地に戻った後、康奈は清霜を最初に発見した龍驤から話を聞きだしていた。

 清霜をAL方面のどこで見つけたのか。どのような遭遇を果たしたのか。

 

 康奈は、可能ならトラック泊地からそのままAL方面にも足を延ばしたいと考えていた。

 もっとも、AL方面は既に深海棲艦に制海権を奪取されている。行くのは容易ではなかった。

 

「司令官」

 

 物思いに耽っていると、清霜と磯風が心配そうにこちらを見ていた。

 

「どうした、考え事か?」

「あんまり難しいことばかり考えてると眉間にしわが増えるって、足柄さんが言ってたよ」

「……そう?」

 

 素直に眉間へ手を当てた康奈に、大淀が思わず吹き出た。

 気恥ずかしさを覚えた康奈は「これ以上しわが増えないよう少し休む」と告げ、自室に戻ることにした。

 

 ……そういえば、最近は飲まなくなったわね。

 

 自室に戻って横になりながら、康奈はふと、最近は精神安定剤を服用していないということに気づいた。

 少しずつ自分に変化が訪れているのかもしれないと、康奈は錠剤の入った瓶を手に取った。

 前は早く飲んで楽になりたかったが、今はそういう気持ちは湧いてこない。

 

 ……先生のことも、前程は思い出さなくなってきたな。

 

 自分の成長を感じながらも、少しそのことに寂しさを覚えた。

 

 だが、過去を寂しく振り返っている場合ではない。

 家族同然の泊地の仲間を守れるよう、今よりも強くならねばならない。

 

 ……そのためにも、私の、そして清霜のルーツを知りたい。

 

 どこから来てどこへ行くのか。それが分からなければ、進む道を間違えてしまう。

 瓶を引き出しに戻しながら、康奈は気を引き締め直すのだった。

 

 

 

「司令官、また執筆ですか」

 

 ノックして執務室に入ってきた朝潮は、開口一番呆れたようにそう言った。

 手には片付けなければならない書類が沢山ある。

 

「今良いところなんだ。……そうだ、元景。代わりにやっておいてくれないか」

「先生、またですか」

 

 仁兵衛の言葉に苦い表情を浮かべたのは、仁兵衛の隣のテーブルで書類と格闘中の若き青年だった。

 彼が今戦っている書類は、つい一時間前仁兵衛に押しつけられたものである。

 

「これもお前が将来提督になるための訓練だと思えば良い」

「お言葉ですが先生、それならお手本を見せていただきたく存じます」

「書類仕事なら司令官より元景さんの方が早いですね」

 

 朝潮がため息交じりに書類を元景の机に置いた。

 

「朝潮も手伝います」

「すまない。俺一人では限界だった」

「……」

 

 並んであくせく働く二人を見て、仁兵衛の表情が僅かに綻んだ。

 自分なしでも泊地はある程度回るようになっている。

 一年弱前に拾った提督候補生である元景が、期待以上の早さで成長してくれたからだ。

 艦娘たちからの信頼も厚い。留守がちな自分よりも、よっぽど信望を集めているかもしれない。

 

「先生はいったい何を書いているんです?」

「新作の小説だ。もう少しで書き上がる。そしたらまずお前に見せてあげよう」

「それは大変光栄ですが、よくこんな状況で話を思いつけますね。今回はどこの国の、どの時代の話ですか?」

 

 元景は作家としての仁兵衛のファンでもあった。

 作業を押し付けられているためか素直に喜べないようだったが、先程よりも声に活気が出ている。

 

「舞台は現代、とある泊地の話だそうですよ」

 

 仁兵衛の代わりに朝潮が答えた。

 彼女は以前、同じ質問を仁兵衛にしたことがあって、新作の内容をある程度把握している。

 

「……まさかここですか?」

「自伝は趣味じゃないな。それに僕くらいの人間であれば、放っておいてもそのうち誰かが作品として書いてくれるだろう」

「凄い自信ですね」

「朝潮君は僕に手厳しいな」

「長い付き合いですから」

 

 他の拠点の朝潮よりも、トラック泊地の朝潮は大人びているところがあった。

 頭の回転が速く、そのせいで周囲からは破天荒と取られがちな仁兵衛。

 そんな彼のサポートをずっとし続けてきたのだ。否応なく大人びてくる。

 

「……ショートランドらしいですよ。舞台は」

「ショートランド……ですか?」

「あそこの前任の提督とは良い付き合いをさせてもらったからな。餞別代りに一筆したためて候――というわけだ」

 

 毛利仁兵衛は人の好き嫌いが激しい男で、よく他の提督と衝突することもあった。

 そんな彼が気兼ねなく付き合えた数少ない提督が、ショートランドの前任の提督だった。

 

「あいつはさほど優秀な指揮官だったわけでもないし、特に目立った功績もなかった。このままでは歴史の中で風化してしまう。……だが、それは寂しい。なんでもない拠点に、なんでもない男がいて、死ぬ気で頑張っていた。そのことを残しておきたかったのさ」

 

 そう語るときの仁兵衛は、日頃の彼とはまるで別人のように穏やかだった。

 もっとも、それはほんの一瞬のことだった。

 仁兵衛はすぐにいつもの調子に戻ると、

 

「そんな作品がもうすぐ完成なのだ。よって今僕は仕事をしている場合などではない! ということで頼むぞ二人とも」

 

 と、勝手なことをのたまった。

 

「司令官に入る印税の半分は泊地の運営費に回させてもらいますね」

「あれ、朝潮君、もしかして機嫌悪いのかね?」

「先生はもう少し周囲を労わることを覚えた方が良いかと……」

 

 元景の控え目な指摘に、仁兵衛は「分からんな……」と首を傾げる。

 

 そのとき、司令室の電話が鳴った。

 こういうとき仁兵衛はまず出ない。仕方ないので代理として元景が出た。

 

 元景は何度か頷いて、最後に「了解しました」と告げて受話器を置いた。

 

「誰だ?」

「伊勢さんでした。先生にお客さんだそうです」

「客……誰かと会う約束などしていたかな」

「若い女性だったそうですが」

「うーん?」

 

 仁兵衛は首を傾げた。

 この男は優れた頭脳を持っているが、一つ欠点として、自分の興味のないことを全然記憶しない、という悪癖があった。

 

「とりあえずお会いになられてはどうですか。もし司令官が忘れているのだとしたら問題ですし」

「……まあ、そうだな」

 

 椅子から腰を上げて背中を伸ばすと、仁兵衛は思い出したかのように元景に尋ねた。

 

「元景。伊勢は客人のこと以外は言ってなかったんだな?」

「はい」

「分かった。もし哨戒中のメンバーから何か報告があれば、最優先で僕まで連絡するように」

 

 そう言い残して、仁兵衛は部屋から出て行く。

 

「……そういえば先生、最近は哨戒班のメンバーを五割増にしていたな。何か懸念事項でもおありなのだろうか」

「あの人のことだから、きっと何か考えはあるのでしょう」

 

 微かな不安を表情に浮かばせる元景に対し、朝潮はさっぱりとした様子で書類仕事を再開し始めた。

 

 二〇一五年、二月。

 この日、まだトラック泊地は穏やかな空気に包まれていた。

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