ソナーに反応があった。
最初に気づいたのは春雨である。先日のビアク島の一件以来、彼女は以前よりも冷静かつ大胆になった。些細な変化を見逃さず、自身の判断に迷うこともあまりなくなったと言える。
「敵潜水艦がいると思われます。正確な数は不明ですが複数。おそらく数隻の偵察部隊ではないかと」
「こちらでも感知したよー。ここってもうトラック泊地の防衛圏だよね。ってことは、放置しておけないな」
時津風が春雨に続いて報告した。
幼さを感じさせる容姿と性格だが、戦場での立ち振る舞いは清霜たちの同期の中でもっともクレバーである。訓練での成績は妹の磯風に劣るが、磯風は加点・減点の波が激しいのに対し、時津風は減点がほとんどない。
「大淀、春雨、早霜、雲龍は母艦護衛に残って。他のメンバーは対潜作戦を速やかに実施するように」
「司令官。私は……」
何か言いたそうな春雨に、康奈は真っ直ぐな眼差しを向けた。
「別に春雨が引っ込み思案だからって後方に置いたわけじゃないわ。春雨の『守る力』を頼みにしてるからよ。私とこの船、守り切ってくれるわね?」
「……はい!」
春雨が、そして他のメンバーが力強く頷いた。
康奈の指示に従って清霜たちは散開する。素早く敵を発見して爆雷で撃破するためだ。
早速、清霜のソナーにも反応があった。同時に潜水艦が魚雷を発射する。隠れているのも限界だと思ったのだろう。
清霜は魚雷によって生じる波の変化を見た。以前は落ち着いて視認することが難しかった魚雷の航跡だが、今は冷静に観測する余裕がある。
敵の魚雷を避けつつ旋回し、その航跡から敵潜水艦の居場所を探る。
「そこっ!」
清霜は掛け声と共に勢いよく爆雷を放り投げた。
弧を描き、海中に投下された爆雷が勢いよく水柱を立てる。
「油断するなよ」
「分かってるって!」
釘を刺すように言ってきた磯風に応えながら、清霜はすぐにソナーで周囲の探索を再開した。
しかし、他に残っている反応はない。清霜以外のメンバーも皆それぞれ爆雷を投下していた。おそらくそれで一通り仕留めることができたのだろう。
敵の気配が収まったことを確認し、康奈が「警戒終了」と声をかけようとしたとき、遠方で大きな音が聞こえた。
爆雷の音だ。別の場所で戦闘が行われている。爆雷の音がしたということは、片方は潜水艦なのだろう。
「司令官、どうする?」
「片方はおそらくトラック泊地の哨戒部隊だと思う。多分大丈夫だと思うけど、放っておくわけにはいかないわ」
「へへ、そうだよね!」
康奈の答えに清霜は満面の笑みで応える。
大淀は困った様子で溜息をつき、磯風は軽く肩を竦めてみせたが、表立って反対する者はいなかった。
しかし――音のした方へと向かった一行が見たのは、予想していたものとは少し違う光景だった。
既に戦闘行為は終了したのか、海は静けさを取り戻している。
そこには、紺色のスカーフを巻いた一団が立っていた。
「お久しぶりですね、清霜さん。ショートランド泊地の皆さんも」
「……横須賀第二の、神通」
昨年の秋、姫クラスの深海棲艦を容易く屠ってみせた横須賀第二鎮守府の水雷戦隊。
それを束ねる神通は、静かに康奈へと一礼した。
客室にいた人物を見て、毛利仁兵衛は僅かに身体を硬くした。
「……突然の訪問だな、長尾君。いや、情報部長補佐官とでも言うべきかな」
「どちらでもお好きな方で。両方とも私を指す言葉ですし、悪い意味は込められていませんから」
席から立ち上がり、仁兵衛の前で静かにお辞儀をしたのは、横須賀第二鎮守府の提督――長尾智美だった。その側には軽巡洋艦・川内もいる。
康奈と対面したときと比べると幾分柔らかい雰囲気だが、見ようによっては慇懃無礼とも言えそうな所作である。
智美には、礼法に則った振る舞いをしても相手をざわつかせるようなところがあった。
情報部長補佐官という肩書は、ビアク島攻略作戦の褒賞として得たものである。
日本の今後がかかった戦いで、彼女が率いる横須賀第二鎮守府は著しい戦果をあげた。
それに対して何か与えようという話が大本営――深海対策庁のトップから出てきたとき、彼女が求めたのは情報部への参画だった。
即物的な褒美を求めるわけでもなく、そんなものはいらないと突っぱねるでもなく、情報部への参画を求めた彼女に、仁兵衛は明確な意思を感じていた。情報部に入ることで得られるものを使って、長尾智美は何かをしようとしている。
警戒はしていたが、情報部長と言えど他の情報部職員の行動を制限する権力は持っていない。
裏で智美が何かしている気配を感じつつも、決定的な証拠を押さえることはできずにいた。
「それで、今日は何か用かな。君と会う約束は……あまり自信はないが、確かしていなかったような気がするんだけどね」
「意外ですね。あまり記憶力には自信がないと?」
「僕は自分の興味あること以外あまり覚えられない性質でね。ああ、気を悪くしないでくれ。今のはスケジュール全般についてのことだ。親しい友人と会う約束すら忘れそうになることが多い」
「それは、周囲の人はさぞかし大変でしょう」
「朝潮君にはよく怒られるな。ははは、困ったものだ。――で、どうなんだ」
「約束はしていませんね」
笑みを引っ込めて再度尋ねた仁兵衛に、智美は動じることなく答えた。
「一度、貴方とは記録に残らないような形で話してみたいと思っていたのです」
「新進気鋭の提督である君に言われるとくすぐったいな。で、テーマは何かな」
「――艦娘人造計画について」
智美の雰囲気が少しだけ変わった。
それまでは先輩、上司として仁兵衛を立てるような雰囲気だったのが、一気に対等のところへ上がってきた。
たった一言が、それくらいの重みを持っている。
艦娘人造計画。
仁兵衛も、それについては知っている。
「……君はその計画の何を知っている?」
「私は当事者でした。落第して、こういう身の上になりましたが」
断片的な情報だが、それでも仁兵衛には十分伝わった。
長尾智美は艦娘人造計画の被験者で、艦娘にはなれなかった。
……だが、何かしらの事情があって提督として引き立てられた、ということか。
ショートランドの康奈に近い境遇の持ち主だが、仁兵衛に拾われて成り行きで提督になった康奈と引き立てられた智美では、まるで立ち位置が違う。
「僕は詳しいことは知らない。噂話で聞いたことがあるくらいでね。しかし、実際にそういう計画があったのだと考えると、少々嫌なものだと思ってしまうね」
「御冗談を。貴方はかなり深いところまで調べておられるでしょう」
穏やかな表情のまま、智美は踏み込んできた。
「貴方が情報部長の権限を行使したり、そうでない独自のルートを使ってこの計画の調査をしていることは分かっています。貴方だけではない。ショートランド泊地の前の提督――伊勢新八郎――彼も一枚噛んでいた。調査に着手された正確な時期は不明ですが、貴方たちがいつ頃この計画の存在に気づいたのかは推測可能です。北条康奈を貴方が発見し、伊勢新八郎に預けた。その頃でしょう」
「……」
仁兵衛は内心舌を巻きながら、目の前にいる若き提督を見直した。
智美の言っていることはすべて当たっている。当てずっぽうでここまで具体的なことは言えないだろう。
艦娘人造計画は、防衛省に存在する非公開の部局が進めていた計画だ。
通常、艦娘は提督が持つ契約の力でこの世に呼びだす。しかし契約の力は天賦の才とでも言うべきもので、提督になれる者は極めて少ない。一人の提督が呼びだせる艦娘の数も有限なので、深海棲艦に比べると戦力は心許ない。
そんな状況をどうにかせねばと、危機感を持った一部の人間が非情な手段を取ることにした。それが艦娘人造計画――人体実験により人間を艦娘に変質させる計画である。
深海棲艦による被害は既に世界規模のものになっており、悠長に計画を進める余裕はなかった。
だから、彼らは相当強引な手を使って研究者・被験者を集めた。本格的に調べようと思えば、あちこちでその痕跡が見つけられる。
おそらく、康奈も智美も、そういう強引な方法で被験者に仕立て上げられた子どもなのだ。
康奈を拾い、その裏側にある計画の存在を察した仁兵衛は、新八郎と共にこの件の調査を進めていた。
時には情報部長の権限を使い、時には私的なコネクションを利用し、かなりの情報をかき集めた。
それは、紛うことなき事実である。
「――それで、君の用件は?」
「貴方の持っている情報を私にも提供していただきたいのです。それから、艦娘人造計画の調査について、今後も出来る限りご協力をお願いしたいと思っております」
「なるほど。君が情報部への参画を願い出たわけが、少し分かった気がするよ」
情報部には数多の情報が集まる。また、情報収集のための権限も付与される。智美が欲しかったのはその権限なのだろう。
艦娘人造計画という国家の暗部を探る。そのためには、国の中心部で情報を集められる力が必要だった。
「しかし、これは脅しと取ればいいのかな? 艦娘人造計画は政情を大いに乱しかねない危険な火種だ。それを独自に調査していたことが露見すれば、いかに希少な提督であっても、無事では済まないだろう。君の言葉一つで僕は消される可能性がある」
「それはいささか過剰に警戒し過ぎではないでしょうか。あるいは、作家ゆえの思考なのでしょうか」
「フィクション作家は自作をフィクションと割り切って書くものだよ。いたずらに陰謀論をぶち上げたり被害妄想を展開するのは阿呆のすることだ。僕がこう言っているのは、調査を依頼したうちの何人かが実際に行方をくらましているからだよ」
智美の表情がかすかに動いた。
実際にそういう被害が出ているとは思っていなかったらしい。
「一人だけなら偶然と思うだろう。二人だけなら確信には至らない。だが、三人目が消えた時点で僕は確信した。この計画は今も動き続けている。そして国はこの件に触れられることを極端に嫌がっている。……さすがにこれ以上首を突っ込むのは危ういと思い、手を引くことにしたのさ。僕一人ならともかく、他の人をこれ以上犠牲にするのは忍びない」
「……それではいつまで経っても奴らを裁けない」
智美が怒気を孕んだ声を出した。
慇懃無礼な態度ではない。微かに感情が垣間見える表情だった。
……これが彼女の本心か。
何を考えているか今一つ読めない少女だったが、これがおそらくこの子の芯の部分なのだ、という気がした。
そのとき、トラック泊地全体に響き渡るようなサイレンが鳴り始めた。
同時に、智美の通信機と、客室に備え付けられた電話が音を立て始める。
「敵襲かい?」
電話を取った仁兵衛が尋ねると、受話器の向こうから『はい』と朝潮の声が聞こえた。
『かなり大規模な潜水艦の部隊が東方から接近中。哨戒中の部隊が迎撃を始めていますが、思った以上の規模なので増援を出して欲しいと』
「分かった。残っている水雷戦隊の半数を出して良い。残りの半数は北方・南方・西方に出してくれ。重巡・戦艦は泊地周囲の警護を。空母は偵察機を各方面に出して、追加の敵戦力がいないか確認して欲しい」
『出撃部隊の内訳は?』
「スピード重視だ、君に任せる。僕も今すぐそちらに向かうよ」
『承知しました』
通話を切ると、智美もちょうど通信機の通話を終えたところらしかった。
「暇潰しをしているよう申し付けていたうちの艦隊も、潜水艦隊の迎撃を開始したそうです」
「うちの担当海域内で勝手に戦闘行為をしたことは不問にしておこうか。協力を要請しても構わないかい?」
「ええ。……毛利提督は、この攻勢をどう見ますか?」
「全体像を確認しないことには何とも。ただまあ直感的な意見で良いなら――陽動か威力偵察のどちらかだろう。どちらにしても、潜水艦舞台の背後には、ここを攻めるための『本隊』がいると考えている」
仁兵衛はすぐさま立ち上がり、泊地の司令室へと向かう。
その後に、智美と川内が続いた。
「……提督。どうするの?」
先を行く仁兵衛に聞こえない程度の小さな声で、川内が尋ねてきた。
「今後の協力を取り付けられないにしても、今持っている情報をいただくことはできる。そのためにもここで恩を売っておくことにしよう。川内、お前は隊を率いて偵察に出ろ」
「護衛は?」
「この泊地内なら私一人でも問題ない。それより敵の動向を知ることが肝要だ」
「了解」
短く告げると川内は姿を消した。
待機させていた部隊のところに向かったのだろう。
外では神通隊と那珂隊が対潜行動に移っている。
仁兵衛と同様、智美も潜水艦隊とは別に本隊がいると考えていた。川内にはそれを探ってもらった方が良い。
しかし、と智美は奇妙な縁を感じていた。
神通の報告によると、ショートランド泊地の艦隊と遭遇したらしい。
……奴らも毛利仁兵衛から何か聞き出そうとして来たということか。
妙なタイミングの良さに、何か因縁めいたものを感じざるを得ない。
「単なる偶然なら良いが」
胸騒ぎを覚えながら、智美はこの後の立ち回りをどうすべきかに思考を切り替えた。
横須賀第二鎮守府の神通たちとの話は、ほとんどできなかった。
再会の挨拶を交わした直後に、新たな反応をソナーが捉えたからだ。
ショートランド・横須賀第二鎮守府の部隊は、対潜行動に専念する必要に駆られたのである。
「単なる偵察にしては数が多いねえ」
母艦に戻って爆雷を補充してきた時津風がぼやいた。
こういうときのため、母艦には消耗品である燃料や弾薬等が積んである。
ただ、今回は大規模作戦に従事するために来たわけではないから、あまり多くは持ってきていない。
戦力も大淀隊ともう一部隊のみだ。
「今のところ被害は出てないからいいけど……」
「潜水艦は魚雷による一撃必殺を得意とするから、油断はするなよ。一発もらえばそれで戦闘不能になる」
「むう、分かってるよ磯風」
磯風に注意されて、清霜は頬を膨らませた。
時津風はそんな二人の肩を叩いて「それじゃ行くよ」と促した。
それから更に爆雷が五つ程投下された頃、三人の元に紺色のスカーフを巻いた駆逐艦が近づいて来た。
「よう、そっちの状況はどんなもんだい」
夕雲型の制服を着ているが、その艦娘に見覚えはない。ショートランド泊地にはまだいない艦娘のようだった。
「えっと、貴方は? この前はいなかったよね」
「へえ、記憶力良いんだな。お前清霜だろ。この前大暴れしたっていう」
面白そうなものを見るように清霜を覗き込んでくる。
笑みを浮かべた口元から見えるギザギザの歯が特徴的な艦娘だった。
「あたいは朝霜。まあ横須賀第二鎮守府じゃ新入りさ。着任したのもついこの間だしな」
「朝霜――」
その名前を聞いて、清霜は呆けたような顔になった。
「朝霜……朝霜なんだ!」
「おう。なんか不思議なもんだな、艦娘として会うのは初めてなのに、どうにも懐かしいような気になっちまう」
「うん……うん、そうだね!」
思わず清霜は、朝霜の手を取ってぶんぶんと振り回した。
清霜と朝霜は、共に夕雲型の駆逐艦であるだけでなく、共にレイテ沖海戦や礼号作戦に従事したという縁がある。
夕雲型は短命な艦が多く、一度も顔を合わせたことのない組み合わせも沢山いる。そんな中、共に戦ったことがある朝霜は、清霜にとって特別な思い入れのある艦の一つだった。
「そっちは時津風に……磯風か」
「うん、よろしくねー」
「久しぶり……と言うべきかな」
「どうだろうな」
磯風と朝霜も浅からぬ縁を持つ艦だった。
奇妙な邂逅に、二人はどこかくすぐったそうな表情を浮かべる。
「おっと、のんびりと話してる場合じゃなかった。神通さんにどやされちまう。こっちは母艦に戻って周辺海域の警戒にあたるけど、そっちはどうすんだ?」
「うちは……どうする、司令官?」
清霜は通信機越しに康奈へ尋ねた。
これまでは主に指揮官にしか持たされていなかった通信機だが、いろいろと不便だと言うこともあり、最近は安価なものが全員に支給されるようになっている。
『私たちは一旦トラック泊地に向かうわ。一度仁兵衛さんに話を通しておきたいから。……そちらの提督は既に泊地にいるのかしら』
「ああ、あの鬼……いや、司令は泊地にいるぜ」
『ありがとう。なら、そっちにも挨拶しておかないとね』
通信を切ると、朝霜が「いいねえ」と羨ましそうな声を上げた。
「羨ましい?」
「そっちの司令さ。少し声聞いただけだけど、なんか優しそうじゃんか。ちゃんと礼も言ってくれるし」
「そっちの司令官は違うの?」
「あー、駄目駄目。あれは鬼だ。深海棲艦よりおっかねえよ。あたいたちのことなんか駒としか見てない」
心底うんざりしたような顔で肩を竦めてみせる朝霜に、清霜たちは顔を見合わせた。
横須賀第二鎮守府の提督について、清霜たちはあまり多くを知らない。康奈は一度直接対面したことがあるようだが、詳しいことは誰にも話していなかった。
「訓練で成果を出せなければすぐにどっかに飛ばされるし、実戦でも容赦ない指揮を執るから他所と比べて被害が段違いだ。今じゃうちの艦隊は『九死軍』なんて呼ばれてる。十のうち九は死にそうな奴らってわけさ」
その苛烈な在り様は、噂としてショートランド泊地にも届いていた。
ビアク島攻略作戦以降も横須賀第二鎮守府は各地で戦功を上げ続けているが、あまりに激しい戦いぶりに味方すら恐れをなすと言われている。
『朝霜、長引きそうですか』
朝霜の通信機から神通の声が聞こえた。
しまった、という顔をしながら、慌てて朝霜は「すぐ戻ります」と応えた。
「やれやれ。上司もトップもおっかねえったらありゃしない。……んじゃあな、また会おうぜ」
若干名残惜しそうにしながら去っていく朝霜を見送って、時津風が「面白い子だったねえ」と感想を告げる。
「横須賀第二は皆おっかない子たちばかりだと思ってたけど、ああいう子もいるんだね」
「朝霜も歴戦の武勲艦だ。そんな朝霜をしてあそこまで言わせるのだ。横須賀第二、噂通り尋常ならざるところのようだな」
「お、磯風興味津々?」
時津風が磯風の顔を覗き込む。
磯風は去り行く朝霜の後ろ姿を見ながら、複雑そうな表情を浮かべた。
「私は『磯風』の名に恥じぬ戦いができれば、それで良い」
その言葉には、少しだけ己を誤魔化すような響きが混ざっていた。
「お待ちしていました。北条提督」
トラック泊地で一行を出迎えたのは、まだ年若そうな青年だった。
「お初にお目にかかります。私は毛利提督の下で提督候補生として働いている大江元景です」
「はじめまして。ショートランド泊地の北条康奈です。突然の来訪、申し訳ありません」
型通りの挨拶を交わしながら、一行は泊地の中へと進んでいく。
あちこちで艦娘やスタッフが忙しなく動いていた。臨戦態勢なのだ。泊地全体に緊張感が漂っている。
「状況は?」
「対潜部隊は概ね迎撃に成功したと見られます。引き続き警戒は必要ですが、敵の第一陣は撃退できたと考えて良いでしょう」
「第一陣ということは、後続部隊が?」
「情報収集中です。ただ、毛利提督も、本日来訪されている横須賀第二の長尾提督も、第二陣以降はあると見ているようです」
話しているうちに、トラック泊地の司令室に着いた。
中では仁兵衛と智美、そして何人かの艦娘が卓を囲んで会議をしていた。
「せんせ……毛利提督。北条提督をお連れしました」
「ああ」
普段のような愛想の良さはない。他のことに頭を使っているのか、仁兵衛の回答は短かった。
一方、智美は康奈の方を見てにっこりと笑みを向けてきた。もっとも、智美の本性を既に知っている康奈にとって、その笑みは素直に受け取れるものではない。
「今日は千客万来だな。康奈君まで来るとは思っていなかった。君とは会う約束をしていたかな?」
「いえ、少し個人的にお聞きしたいことがあって来たのですが――それは後にしましょう」
「そうしてくれると助かる。あと、力を貸してくれるともっと助かる」
「それはもちろん」
「ありがとう。早速で悪いがこれを見てくれ」
仁兵衛は卓上に広げた海図を指し示した。
そこには、トラック泊地の防衛に関する様々な事柄が記されている。仕掛けられた機雷、三段階に分けて設けられた防衛ライン、予測される敵の進行ルート等だ。
「敵の第一陣によっていくつかの機雷が破壊された。これにより予測される進軍ルートがいくつか増えている。ただ、東方以外は現状敵の気配が見当たらない。第一陣が進軍してきたルートから見ても、敵は東から来ると見て間違いないだろう」
「現在うちの千歳さん、千代田さんが長距離偵察を敢行しています。じきに報告が来ると思います」
朝潮が仁兵衛の補足をして、一番外側の防衛ラインを引いた。
「ここを突破されると泊地周辺の民間人に被害が出る可能性が高くなります。長尾提督と北条提督には、今のうちに民間人の避難支援をお願いしたいのです」
「避難? 私たちを安全なところに配置しようという気遣いなら無用だぞ」
朝潮の言葉に磯風が不服そうな声を上げた。たしなめるように時津風が磯風の袖を掴む。
「民間人を守るのは私たちにとって大事なことよ。気遣いなんかで任せるような、そんな軽い話じゃない」
「だったら尚更だ。私たちを前線に出して、自分たちで避難させれば良いだろう。普段からコミュニケーションを取っているそちらの方が妥当なのではないか」
磯風と朝潮の間で火花が散る。
慌てて間に入ったのは清霜だった。
「ま、まあまあ。敵と戦うのも民間人の避難も、どっちも大事だよ。どっちにするかは司令官に任せよう。ね?」
清霜の言葉で、会議室内の視線が康奈と智美に向けられる。
「避難誘導は今すぐやらないといけないし、漏れが絶対にあってはいけない。ちょっと私たちには難しいんじゃないかと思うわ」
「私も同意見です。……うちの部隊は戦いにこそ真価を発揮するタイプなので、あまりそういうことには向いていません」
康奈と智美の意見を受けて、朝潮は難しい顔をした。
「……分かりました。では敵が接近してきたときの迎撃をお願いします。ただ、この海図にあるようにうちの近海はトラップが仕掛けられているので、それは頭に叩き込んでおいてください。最初に避難をお願いしようとしたのは、それがあったからです」
康奈は言われた通り覚えようと、海図の前に立った。
その隣に、さり気ない動きで智美が寄ってくる。
「――貴様も毛利提督から話を聞きに来たのか」
「……ということは、そっちも同じ目的みたいね」
「良いことだ。自分のルーツを知れば、自分が置かれている本当の立場が分かるだろう。それで奴らに逆らう意味がないと思ったなら私の提案は忘れれば良い。私も貴様のことはただの提督としてみなそう。だがそうでないなら――共に復讐を果たそう」
それだけ言って智美は離れていった。
「もう良いのですか?」
「ええ。もう覚えました」
朝潮の問いにしれっと答えて、大人しく椅子に座る。
こうして猫をかぶっているところだけ見ると、愛らしい少女そのものだった。
「……私も覚えました」
康奈はそこでちらりと仁兵衛を見た。
仁兵衛は先程から会話に加わらず、じっと窓の外を見続けている。
どこか心ここにあらずという様子だった。
「――毛利さん?」
そのとき、仁兵衛の通信機が音を発した。
『提督。敵部隊を――いえ、敵軍隊を捕捉しました』
千代田の声が会議室に響き渡る。
仁兵衛は既に我に返ったようだった。通信機を卓の真ん中に置くと、険しい表情で確認を取る。
「規模はどれくらいだ、千代田君」
『……正確には測定不能です。ただ、うちの全艦隊の数倍はありそうな規模です』
『まずいよ提督。これは……アイアンボトムサウンドのときとか、AL/MIのとき以上よ!』
千代田の声もした。こちらはどちらかというと悲鳴に近い。
アイアンボトムサウンドは二〇一三年の秋、ソロモン諸島で発生した深海棲艦との大規模な衝突である。
一方、AL/MIは二〇一四年夏に行われた、これまでで最大規模の二方面作戦だった。
今、このトラック泊地に迫っている敵はそのときの軍勢を上回る規模だという。
さすがにその報告は想定外だったのか、智美も若干強張った表情を浮かべていた。
「ありがとう。では戻って来てくれ」
『……提督。大丈夫よね?』
千代田が不安そうに問う。
その不安は、彼女だけでなくこの司令室にいる全員が持っているものだった。
否。
一人だけ、その不安を持っていない者がいた。
「ああ、まあ――なんとかしてみようじゃないか」
余裕のある言い方ではない。
なんとかなるという確信を持っているわけでもなさそうだった。
それでも――毛利仁兵衛はこの状況をどうにかすると宣言してのけた。