南端泊地物語―戦乱再起―   作:夕月 日暮

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第八陣「毛利仁兵衛の軍略」

 敵軍は悠然と構えていた。

 こちらが敵の第一陣を早々に迎撃したから警戒しているのか。あるいは、別の狙いがあるのか。

 

 清霜たちは、トラック泊地の東方にある小さな基地に来ていた。

 東方から進撃してくる敵に対する前線基地である。トラック泊地にはこういった小規模の拠点が複数存在しており、さながら支城網のようなものが構築されていた。

 

「基地と言っても、見た目が頑丈そうに見える建物があるくらいだね」

 

 拠点の状態を見て回った時津風がコメントした。

 防衛拠点としての機能は不十分だ。建物の強度も、実際はさほどのものでもない。悪く言えばこけおどしである。

 

「あちこちに設置するわけだし、あまりお金をかけられなかったのかも」

「そんなところだろーね。敵への牽制にはなるだろうし、万一取られてもさして痛くないから、考え方次第かな」

 

 雲龍の推測に時津風は頷いて答えた。

 時津風はよく戦闘中に雲龍の護衛を務めており、その縁からか普段も一緒にいることが多い。

 

「けど、本当にあの軍勢を相手に凌げるのかな」

 

 遠目からも見えるくらい広く展開した敵の大軍を前に、清霜が疑問を口にした。

 戦うことを恐れているわけではないが、戦力差が大き過ぎる。勝てるか疑問に思うのは当然のことだった。

 

「攻城戦では攻め手は守備側の三倍の兵力を必要とする、なんてよく言われたわね」

 

 懸念を浮かべる一同に、康奈が明るい声で言った。

 

「まあそんな単純な計算で彼我の戦力差を見るべきじゃないと思うけど、毛利さんがやるというなら、多分勝ち目はあるんだと思う」

「司令官は毛利提督を信頼してるんだね」

「どうかな。あの人の指揮に従うのは抵抗ないから、信頼してると言えばしてるのかもね」

 

 人間としてはそれなりに信じているが、戦場における仁兵衛の力量を康奈が目の当たりにしたのは、先の渾作戦が初めてだった。

 ただ、それまでも彼の評判や事績は聞き知っていた。仁兵衛に指揮を預けても良いと考えたのは、彼が今まで成し遂げてきた結果によるところが大きい。

 

 仁兵衛の名が知れ渡ったのは、二〇一三年の夏に開かれた大海戦である。

 深海棲艦の活動が活発化し始めていた時期で、人類は各地に艦娘を集めた拠点を作りつつあったが、連携などほとんど取ったこともないような状態だった。大本営が大まかな指示は出していたが、それも十分に機能していなかったらしい。指揮系統もはっきりしておらず、現場でのやり取りも上手くできていなかったという。

 

 そんな現状を看破し、大本営や内地組の提督たちに喧嘩を売るような姿勢で改善策を提示したのが仁兵衛だという。当時彼は着任して日が浅く、その献策は大本営に容れられなかったようだが、三浦武臣等一部の提督はこの一件で仁兵衛を高く評価するようになったという。

 

 その後は、仁兵衛を評価する剛臣たちの取り計らいによって献策がある程度用いられるようになり、鉄底海峡の戦い、霧の艦隊との戦いで辣腕を振るった。その頃には大本営も仁兵衛の実力を認めるようになっていたようで、深海対策庁設立に向けて重要な役職を与えようという話が内々で進んでいたという噂がある。

 

「しかし、指示があるまでは基地で待機しろというのは些か悠長に過ぎる気もするが」

 

 磯風が不満を口にした。

 幸い敵軍は大きな動きを見せていないが、このまま何もせず待っていて大丈夫なのか、という不安はこの場にいるほとんどの者が持っていた。

 

「動くばかりが戦いってわけでもないよ。のんびりしてよう」

 

 と、妹を宥めるように時津風が言った。

 彼女は敵の様子が見える窓の近くに腰を下ろし、大きく欠伸をしている。

 

「動かないことで相手にプレッシャーを与えることもあるし、いざというとき十全の働きができるよう英気を養う効果もある。時津風の言う通り、今は待とう」

 

 康奈が時津風の言葉を補足すると、各員は一応納得したようで、それぞれの場所に散って待機の姿勢を取り始めた。

 

「時津風は大人って感じするね。私より、少し遠くまで物事が見えてるみたい」

 

 康奈の側にいた清霜が感心したように言った。

 

「妹分の磯風がいるから、姉としてしっかりしないとって思ってるのかもしれない」

「お姉さんか。私は末っ子だから、そういうのあんまり分からないな」

「無理に分かろうとする必要はないと思うわよ」

 

 それより、と康奈は磯風が去っていった方向を見やった。

 

「清霜。最近、磯風なにかあった?」

「……んー。やっぱり司令官も気づいたか」

 

 清霜は少し困ったように頭をかいた。

 

「磯風、最近焦ってるみたいなんだ。同期の皆もそれには気づいてる」

「いつ頃からっていうのは分かる?」

「あんまりはっきりしたことは言えないけど、多分――渾作戦が終わった頃からかな。普段はそうでもないんだけど、たまにすごく苛々してるときがあるんだ」

「……そう」

 

 磯風は誇り高い武人としての性質を持っているが、意味もなく怒りを周囲に見せるようなタイプではない。

 彼女が何かに苛立っているのだとしたら、その理由は限られてくる。康奈には、その心当たりがあった。

 

「理由をそれとなく聞いてみたことあるんだけど、あんまり取り合ってくれなかったんだ。だから、皆で相談してもうちょっと様子を見よう……って」

「そうね。私の想像が合ってるなら、磯風の苛立ちは皆との相談とかで解決できるものじゃないわ」

「そうなの?」

「多分、だけどね」

 

 出撃編成は少し考えて組んだ方が良いかもしれない。

 そう思いながら、康奈は連れて来ていたもう一部隊の様子を見に行くことにした。

 

 

 

 康奈たちが前線基地に入って数時間後。

 相変わらず動きを見せない敵軍の一角で、大きな音がした。

 

「戦闘が始まったのか?」

 

 駆け足で全員が集まり、窓から双眼鏡で敵の陣容を確認する。

 深海棲艦が砲撃している様子はない。ただ、各所で散発的に轟音が響き渡っていた。

 

「……おそらくトラック泊地の潜水艦による奇襲ね」

「敵もそう判断したみたいだね。軽巡洋艦を始めとする駆逐艦を前面に出してきたよ」

 

 康奈に言葉に時津風が応じた。

 時津風の言う通り、敵の水雷戦隊が前に出てきた。対潜装備を整えているようで、すぐさまあちこちに爆雷を投下し始めているようだった。

 

 それでも潜水艦によるものと思われる雷撃は止まない。

 あちこちで繰り返される攻撃に堪りかねたのか、深海棲艦はより多くの水雷戦隊を前に押し出してきた。

 

 そのとき、康奈たちがいる前線基地の上空を航空隊と思しき影が駆け抜けていった。

 完全に対潜体勢に切り替えていた深海棲艦たち目掛けて、航空隊は雷撃・爆撃を続々と敢行していく。

 

 海の下に意識を取られていた深海棲艦たちは、航空隊による攻撃をまともに喰らった。

 次々と倒れていく前線の対潜部隊を押しのけるようにして、後ろに下がっていた主力艦隊が出てきた。

 しかし、彼らも対空体勢が十分ではなかったようで、航空隊をなかなか落とすことはできないようだった。

 対空装備を整えた部隊が出てきた頃、航空隊は既に全機引き上げていた。

 

「上手い具合に敵を翻弄した形になったな。引き際も絶妙だった」

 

 磯風が感心していた。否、他の皆も言葉に出さないだけで、トラック泊地の鮮やかな戦い方に驚いていた。

 先の渾作戦では横須賀第二鎮守府の存在感が圧倒的だったが、元々トラック泊地も練度はかなり高く、内地の拠点を除けば最高クラスの練度を誇ると言われていた。これくらいのことはやってのけて当然とも言える。

 

「けど、敵の損害は全体の比率で考えるとそこまで大きくはないわね」

 

 康奈は残った敵陣を見て険しい表情を浮かべる。

 確かに今回の戦闘では多くの敵を倒したが、残っている敵の数はもっと多い。

 

 今の攻撃に対し敵がどう出てくるか、まだ予断を許さない状況だった。

 康奈たちは息を呑んで敵陣の動向を見張り続ける。まだ散発的にトラック泊地との間で小競り合いが続いているようだったが、その後はあまり大きな動きがないまま一夜が明けた。

 

 毛利仁兵衛からの通信が入ったのは、康奈たちが手持ちの携帯食で朝餉を済ませているときだった。

 

『待たせたね』

「出撃ですか?」

『いや。調査が終わったから情報共有をと思ってね。複数端末での通話に切り替えるよ』

 

 画面上に『長尾智美』の表示が加わる。智美も交えた作戦会議――ということらしい。

 

『おはようございます、毛利提督。攻勢に回るのであれば我々にもお声かけいただきたかったですわ』

『すまないね。だがあれは攻勢というほどのものではない。本当に仕掛けるときは君たちの腕を存分に振るってもらいたい』

 

 智美の言葉をさらりと流して仁兵衛は続ける。

 

『さて。昨晩僕らは潜水艦と空母による陽動作戦を実施した。その間に周辺の索敵を実施して敵の陣容を確認した。地図データを二人の端末にも送るから確認してくれたまえ』

 

 データはすぐに送られてきた。

 万一盗聴されたときのために、基地防衛に関する詳細情報は省かれている。

 ただ、敵の布陣や規模についてはきっちりと載っていた。

 

「よくこれだけ調べられましたね」

『千歳と千代田には感謝しないとね。他の軽空母たちもそうだ。潜水艦と正規空母は陽動作戦に集中してもらったし、他の艦種の子たちは住民の避難誘導で手一杯だった。今、うちの軽空母組は死んだように眠ってるよ』

『よくそのような大胆な采配ができましたね。敵が本格的に攻め寄せてきたかもしれませんのに』

『そのために君たちを前線に配置したんじゃないか。ま、来ないような気はしていたけどね。これは直感だったが、調べてみて確信に変わりつつある』

 

 仁兵衛はそう言って地図データの何ヵ所かを赤く点滅させた。

 敵の本隊から離れたところに陣取っている。単なる別動隊と言うには、少々規模が大きいような気がした。

 

『第一陣の後にすぐ攻めてこなかったから、これは何か裏があると思ったのさ。あれだけの数がいるなら力押しがもっとも効果的だからね。あのまま攻め込まれていたらこちらは苦しい戦いを強いられていただろう』

『……これは、囮、ですか?』

 

 仁兵衛の地図データを見て、智美が低い声で呟く。

 地図データには、トラック泊地の東方に位置する巨大な軍勢と、その北に位置する中規模な軍勢、その他の位置に陣取る遊撃隊らしきものが載っている。このうち中規模な軍勢は、本土の南東近くに陣を構えていた。

 

 トラック泊地と本土のラインを断とうという作戦なのかもしれない。ただ、その割には位置が半端だった。

 

「もしかして、内地の拠点がトラック泊地に応援を出した隙を突こうとしている……?」

『二人ともご明察。この北の中規模な軍勢、中身は空母だらけだ。一気に本土を叩こうとしていると見て間違いないだろう。トラック泊地を急襲するにしては、ちょっと遠すぎるしね』

「ぞっとしますね。もし目の前の大軍を恐れて本土に援軍を要請していたら、首都圏や横須賀鎮守府が襲われていた可能性もあった、ということですか」

 

 現在、深海対策庁の設立によって艦娘が所属する拠点の数は増加しつつある。

 しかし、やはり中心となるのは首都圏と横須賀鎮守府だ。この二つが壊滅的打撃を受けた場合、日本は相当の痛手を被ることになる。

 

『援軍要請は出してないからその点は心配いらない。逆に絶対こっちに来るなという連絡はさっきしておいた』

「……この中規模な軍勢を叩いてもらってから応援に来てもらうというのは?」

『微妙なところだね。いきなりここを叩きに行ったら、敵も自分たちの狙いが看破されたとみなして、一気にこちらに攻め寄せてくるかもしれない。僕としては、こいつらはしばらく放置しておくのが良いと考えている』

「敵の狙いに気づいていない振りをするんですね。となると……」

『叩くべきは正面の大軍か周囲の遊撃部隊ということになりますね』

 

 遊撃部隊を放置しておくと正面の大軍と相対するときに不安材料が残る。

 ただ、遊撃部隊の撃破に気を取られ過ぎるとその隙を突かれてしまう恐れもあった。

 

『叩くのは両方だ』

 

 仁兵衛は簡潔に方針を示した。

 

『こちらも住民の避難誘導は一段落ついた。動かせる艦娘の数は増えている。持てる兵力の大半を注ぎ込んで敵に正面からぶつかる。その隙に君たちは遊撃部隊を叩きつつ――敵の親玉を狙ってくれ』

「……旗艦を、ですか?」

 

 突然の要求に康奈は思わず聞き返した。

 あれだけの大軍の中にいる旗艦を狙えというのは、酷い無茶振りである。

 半ば死にに行けと言っているようなものだった。

 

『狙っているぞ、と相手に知らしめることができればそれでいいよ。本気で首を獲って来いとは言わないさ。こちらが本気で眼前の敵相手に足掻こうとしていることをアピールしたい』

『あら、そうなのですか。獲って来いと言われれば本気で案を考えたのですが』

『……さらりと怖いことを言うな、長尾君』

 

 智美が言うと冗談に聞こえない。

 彼女もあまり多くの手勢を連れてきているわけではないが、それでも敵旗艦を討ち取りそうなところはあった。

 ただ、その場合犠牲はかなりのものになるだろう。恐ろしいのは、それでもやると言っているところだった。

 

『言っておくが決戦はまだ少し先の予定だ。こちらの本気度をアピールしつつ、被害は最小限に抑えて欲しい』

『了解しました』

「了解」

 

 その後、三人はそれぞれの役割分担を取り決めた。

 まず、トラック泊地の艦隊が正面から敵軍にぶつかりに行く。

 ある程度敵の陣形が動き、相手の意識が正面に集中し始めたら、北から横須賀第二鎮守府が、南からショートランド泊地が攻めかかる。遊撃部隊を蹴散らしつつ、後方に回り込む形で敵の旗艦目掛けて突撃を敢行する。

 それが大まかな作戦方針となった。

 

「部隊を二手に分けるわ」

 

 通信を終えた康奈は、その場に集まったショートランド泊地の面々に告げた。

 

「一隊は遊撃部隊の排除に全力で臨んで。もう一隊は敵本陣に切り込むことに専念してもらう」

 

 編成表を各メンバーに渡す。何人かは少し驚いたような表情を浮かべていた。

 今回、康奈は大淀隊ともう一部隊を連れて来ていた。今回の編成は、両部隊でメンバーを何人か入れ替えている。

 

「遊撃部隊の排除は大淀隊。敵本陣への切り込みは――お願いできるかしら、金剛」

 

 康奈の問いに、ショートランド泊地トップクラスの練度を誇る部隊指揮官――高速戦艦・金剛は笑って応えた。

 

「オーケー。ドンとお任せネ!」

 

 

 

 前線基地の守備をトラック泊地から来たメンバーと交代し、康奈たち一行は南東に進軍した。

 敵の警戒網にかからないよう大きく迂回し、後背を突く。そのためしばらくは大淀・金剛隊が共同で動くことになる。

 

「私も敵陣切り込みしたかったなー」

 

 道中、母艦の甲板上で清霜が背を伸ばしながらぼやいた。

 さほど不満に思っている風でもない。少しだけ残念に思っている、というところだった。

 

「前々から思ってたけど、清霜は結構戦うの好きなの?」

「好きってわけじゃないけど、私の目標は戦艦みたいに強い艦娘になることだから。そのためにはいっぱい戦って経験積んでいかないと駄目じゃない?」

「酷いなあ、司令官。清霜を馬鹿にしてるでしょ」

 

 そんな二人のやり取りを、微笑ましそうに見守る人影があった。

 金剛である。

 彼女の気配に気づいた康奈は、少し気恥ずかしさを覚えた。

 

「楽しそうネー。提督も随分元気になったみたいで、私安心したヨ」

「……金剛。悪かったわね、心配かけて」

「ノープロブレムネ!」

 

 金剛は明るくサムズアップしてみせた。彼女のこういう明るさは、先代を失って落ち込んでいた康奈にとって、随分と救いになった気がする。

 ショートランド泊地の中でも、金剛は特に先代を強く慕っていた艦娘の一人だった。先代がいなくなってかなりのショックを受けたことは間違いない。だが、彼女はそれをおくびにも出さず、周囲を励ますかのように明るく振る舞い続けた。

 金剛とは、そういう艦娘なのだった。

 

「欲を言えば、私たちにもそんな風に砕けた感じで接して欲しいところだけどネ!」

「それは、なんというか……少しやりにくいというか」

「ンー、残念……」

「……一応、善処はしてみるけど」

 

 康奈がそういうと、金剛は喜色満面の笑みを浮かべた。

 先代に引き取られて間もない頃、よく康奈の面倒を見てくれた艦娘が何人かいる。大淀もそうだし、金剛もその一人だった。先代が父のような人だとすれば、金剛は母や姉のような存在だ。

 信頼はしているが、清霜たちを相手にしたときのようにフランクな接し方をするには抵抗がある。

 

「へー。司令官、金剛さんたちの前だとまた少し違う感じなんだ」

「そうダヨー、清霜。とても御堅い感じになって。前はもっとあどけない感じだったんだけどネー。お姉さんは寂しいデース」

「それは良いでしょ、もう。それより金剛、何か用があったんじゃないの?」

「オー、そうネ。提督。一つ聞いておきたいことがあるんだケド……」

「今回そっちの隊に編入させた子たちのこと?」

「イエス。私も彼女たちと組むのは初めてだし、今回の任務はかなりデリケートなものになりそうダカラネ! 何か気を付けないとイケナイことがあるなら教えて欲しいネ」

 

 今回康奈が金剛隊に移したのは、磯風・時津風・雲龍の三名だった。

 

「時津風は立ち回りが上手いから特に気を付ける点はないわ。雲龍は少しマイペースなところがあるけど、集中力は十分だから、なるべく彼女のペースに合わせてあげた方が活躍できると思う」

「なるほど。……で、磯風はドウネー?」

「――あの子は、誇り高い武人よ。だから、その誇りを損なわないような戦いをさせてあげて欲しい」

 

 康奈の声音が少し変わったことに気づいたのか、金剛は表情を引き締めて小さく頷いた。

 今回このような編成にしたきっかけは磯風にある。そのことを金剛も察したのだろう。

 

「磯風にどうしても言うことを聞かせたい場合は、時津風経由で命じた方がスムーズにいくかもしれない。ただ、道理を説けばきちんと分かってくれる子だから、なるべく正面から向き合ってあげて」

「オーケー! リトル長門だと思えば大丈夫そうネ!」

「リトル長門……まあ、確かにそんなところね」

 

 金剛の表現に、康奈は思わず笑ってしまった。

 連合艦隊旗艦を務めた往時の大戦艦・長門。艦娘となった長門は、艦艇時代の名残りか、誇り高く少々融通の利かない武人としての性質を持つことが多い。ショートランド泊地の長門もそんな人柄の艦娘である。

 

「金剛さん」

「ン、どうしたネ清霜」

「……磯風たちのこと、よろしくお願いします」

 

 そう言って、磯風は金剛に頭を下げた。

 清霜は清霜なりに、同期の仲間のことが心配なのだ。

 

「大丈夫ダヨ! ちゃんと全員、無事に帰ってくるからネ!」

 

 金剛は清霜の肩に手を置いて、明るく大きな声で言った。

 

 遠くから砲撃の音が聞こえてきた。

 トラック泊地の艦隊が正面から攻撃を仕掛け始めたらしい。

 

 戦いの気配が近づいている。

 康奈たちは、ごくりと息を呑んだ。

 

 

 

 北部を迂回する横須賀第二鎮守府の母艦に接近する艦娘が一人。

 智美の命令で偵察に出ていた川内だ。

 彼女は母艦警護にあたっていた他の艦娘に目礼すると、物音を立てずに母艦の甲板へと飛び乗った。

 

「戻ったか」

「はい。トラック泊地が調査した通りの布陣でした」

「すまんな、お前には無駄足を踏ませることになってしまった」

「毛利提督が提督同様情報を重視する方だった。そういうことなのでしょう」

 

 川内の言葉に智美は頷いた。

 戦場で指揮官に求められるのは決断力だが、物事を決めるために必要となるのは情報だ。

 正確な情報をかき集めて最適な判断を下す。言葉にすると簡単だが、実際にそれができる指揮官は稀有である。

 

「それで、私はどうしますか。神通共々敵への攻撃に加わりますか」

「いや。今回はまだ本格的な攻勢ではないからな……。お前には別のことを頼みたい」

 

 智美は川内の側に近づき、何かを耳打ちした。

 川内は無言で頷くと、再び甲板から姿を消す。

 

「提督」

 

 川内と入れ替わりで、神通が姿を見せた。

 今回の突入部隊の指揮は神通が執る。川内隊も一時的に神通の指揮下に入り、一部隊として動く形だ。

 

「準備はできたか」

「はい」

「士気は問題ないか? ここまで彼我の戦力差が大きい戦は初めてだ。士気が衰えていては話にならん」

「問題ありません。あの朝霜も腹を括ったようです」

 

 朝霜は最近加入した新顔だ。

 まだ横須賀第二鎮守府の苛烈さに十分馴染めているとは言い難い。

 ただ、見所はある。本人も気づいていなさそうだが、十分な才覚を持っている艦娘と言えた。

 

「この戦力差が却って良かったのかもしれません。この状況、腹を括る以外にどうしようもありませんから」

「逃げたところで深海棲艦が見逃してくれるとは限らんからな。結局のところ我々は戦うしかない。綺麗事を口にするかしないかの違いはあるだろうがな」

 

 双眼鏡で戦況を確認する。

 トラック泊地の面々はかなり勢いよく攻めかけているようだった。

 深海棲艦の前衛が押されている。全軍を倒しきる前に疲弊して力尽きるだろうが、しばらくは優勢のまま続きそうだ。

 

「毛利仁兵衛という男、器量次第では利用するだけして後は見捨てても良いと思っていたが、ここで失うのは日本にとって大きな痛手だな」

「失われる可能性が高いとお考えですか。今のところ順調に見えますが」

「それは敵の動きをすべて的確に毛利が読んでいるからだ。これだけの戦力差、一歩読み違えれば即座に崩壊しかねん」

「毛利提督が読み違える、と?」

「古今東西どれだけの名将でも、読みが百発百中などという者はいない。読み違えたときの対応力こそが、名将かどうかの境目とも言える。無論毛利も備えはしているだろうが、このような状況ではできることに限度がある。薄氷を踏むような戦いだ、この戦いは。だからこそ――我らの価値が出てくる」

 

 敵陣が動いた。

 崩されつつあった前衛を下げて、主戦力と思しき一団をトラック泊地の艦隊にぶつけようとしている。

 

「お喋りはここまでだ。神通、手筈通りに行け」

「承知しました」

 

 神通は踵を返し、戦場へと出向いていく。

 そんな彼女たちを見送りながら、智美は戦況に厳しい眼差しを向けるのだった。

 

 

 

 こういうときに備えて、トラック泊地では資源を十分に確保していた。

 敵の攻撃を凌ぎ続けることができれば、一ヵ月は抵抗が可能である。

 

 艦娘の練度も申し分ない。艦娘の能力を引き上げる指輪を持った子も、何人もいる。

 住民の避難を無事に済ませたということもあってか、艦隊の士気は十分なものだった。

 強大な敵に対する恐れはある。あるが、それを乗り越えるだけの気骨を皆が持っている。

 

 トラック泊地の艦隊は、理想的な状態にあった。

 ただ、それでも仁兵衛は心の中に正体の分からない不安があると感じていた。

 

「司令官。懸念事項があるのですか?」

 

 前線近くまで出てきた母艦の艦橋。

 そこで険しい表情を浮かべる仁兵衛に、朝潮が声をかけた。

 

「そういう顔をしていたかな」

「はい。司令官がそういった顔をされるときは、大抵その後まずいことが起きるものです」

「……実のところ自分でも何に不安を抱いているか、見えていないんだ。見えている部分に関しては万全だと思っている。だが、何かが足りてない。こういうのは良くないから早々に解決しておきたいんだが――」

 

 こういうことは今までにも何度かあった。

 正体の見えない不安が何なのか、突き止められるときもあれば、突き止められないときもあった。

 ただ、朝潮の言う通り、そういうときは大抵ろくなことが起きない。

 

「西方のことが気がかりなのではありませんか?」

「西か……」

 

 敵の大軍が東にいたので、索敵は東、次いで南北を重視した。

 西についても多少の注意は払っているが、他の方面に比べると些か不安が残っている。

 

 もっとも、トラック泊地、横須賀鎮守府、ショートランドやブイン等の警戒網をすり抜けてトラック西部に入り込むのは容易ではない。少なくとも大軍が入り込んでいる可能性はほとんどないだろう。

 

「パラオには援軍を頼んである。西に伏兵がいたとしても、パラオから来る部隊が気づくだろう。その点は、おそらく大丈夫だ」

 

 言いながら、仁兵衛はふと周囲に視線を巡らせた。

 艦橋には朝潮含む側近の艦娘が数人と、クルーが何人か乗り込んでいる。

 特に変わった様子は見られない。

 

 ……そういえば、僕も含めてスタッフ陣は全員丸腰だな。

 

 なぜか、仁兵衛はそのことが妙に気になった。

 戦場に出ているとは言え、仁兵衛やスタッフたちは直接深海棲艦とやり合うわけではない。

 やり合うにしても、艦娘や妖精の力がなければ深海棲艦に有効打は与えられない。

 だから、仁兵衛たちが丸腰でも別に問題はないはずだった。

 

「……朝潮君。念のため、この母艦付近の警戒態勢を少し強化しておいてくれないか」

「分かりました」

 

 朝潮は素直に頷いて、他の艦娘たちに指示を出す。

 そんな相棒の姿を見ながら、仁兵衛は意識を正面の戦場に戻した。


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