TSした男のアイドル生活? 作:ディアドコイ
目が覚める。
一応やっておこう。――知らない天井だ。
確かに知らない天井だが、建物の雰囲気で自分がどこにいるかはわかる。
病院だ。
「念入りに検査したけど、特に身体に異常は見つからなかったから安心してくれ」
白く貫禄のある髭を生やした壮年の医師がこちらへ笑いかけてくれる。
患者に安心感を与える優しい笑顔だ。こちらも思わず笑って感謝の言葉を述べる。
述べようとする。
「……」
あれ?声がでない。
なんなら頷くのすら非常に緩慢にしかできない。
こんな些細な首の上下運動なんて気づく人が果たしているのだろうか。
どうして身体に異常は見つかりません、と言えるんだ。
今気づいたが、声が出ないどころか前より体は痩せ細っているし、全身異常まみれなんですけど?
「まだ少し混乱しているんだね。君に会いたい、と言っている人がいるんだが、落ち着いた時にもう1度連れて来ることにするね」
白衣を掴んで止めようとするが、全く体が言うことをきかない。
咄嗟に声を掛けようとするが、その前に去っていってしまう。
というか今は声が出ないから掛けれないんだった。
……まあ、一人になってしまったからには、取り敢えず現状を確認しよう。
30分ほどかけて、ようやく色んなことが分かってきた気がする。
分かったは良いが、問題が多すぎて解決策なんて物はどうも見つかりそうにない。
まず、声の問題だ。
声を掛けれなかったのはさっきだけだと思い、色々と試したがなかなか上手くいかない。
たまに、物凄く低確率で綺麗なソプラノボイスが出る。
このことから同時に今の自分が女性になっていることがわかる。
思えば妙に体力が無くなっていたり、日焼けのない白い肌になっていると感じていた。
鏡がないので自分の顔はわからないが、男だった頃のように疲れた顔をしているだけだろう。
更に体が自分の言うことを聞かない……時がある。
体を起こすことはできるが、ナースコールを押そうとすると手が全く動かなくなる。
後は表情筋が死滅したのだろうか、ほとんど顔の筋肉が動かない。
頬を膨らませることが、ギリギリできないくらいだ、本格的にヤバいような気もしてくる。
どちらも何か条件がある気もするが、今は情報が無さすぎてこれ以上わかることも無さそうである。
そして、自分にとって一番大切なことだが、ここはおそらく自分が住んでいた日本ではない―と思う。
状況から察するに、この世界に性別が女性の自分が存在していて、そこに私が憑依したのではないだろうか。
テレビをつけてみても、自分が知っている番組に似た名前はあっても、一致するものは殆どなかった。
しかし、もう馬車馬のように働かなくてもよい、というだけで女になったことを差し引いてもプラスのことのように感じてしまう。
要約すると、声も体も顔も思い通りに動かず、更には体が女に変わった状態で家がない。
……前言撤回、むしろマイナスではないか。
3回ほど扉がノックされた後に、先ほどの医師と後ろに連れられて大柄の男が入ってきた。
鋭い三白眼を持っていて、この体が勝手に反応して少し萎縮してしまう。
それに気づいたのか、どこか申し訳なさそうに首筋へと手を回していた。
「さっきぶりだね。だいぶ落ち着いたように見えるけど、もう大丈夫かな?」
今度は意識して首を縦に振る。
自分としてはブンブン降っているつもりなのだが、1度しか首は動かなかった。
先ほどよりは、まだ1度動いただけでも御の字だろう。
医師がこちらの意識がはっきりとしているか確認する質問を何度か繰り返して、納得したのか戻っていった。
……大男を俺、じゃなく私の前において。
沈黙は続く。
ただ、何か話を切り出そうという雰囲気は感じるのでこちらは待たせてもらう。
――こちらから声を掛けようとして失敗するのが嫌だからなんだが。
意を決したかのように男がこちらを見る目に力を込めたかと思うと、ついに口を開いた。
「あの、私こういう者ですが。」
手を伸ばして名刺を差し出してくる。
株式会社346プロダクション、シンデレラプロジェクトマネージャー。
武内さんというらしい。
社名も聞いたことがないが、纏う雰囲気から『できる男』というのだけは伝わってくる。
マネージャーという肩書きを持つ人なのだから偉い人なのだろうか。
そんな人が自分に何のようだろうか。
「シンデレラプロジェクトというのは――」
老舗プロダクションである346プロのアイドル部門としての新企画らしい。
つまりこの人は自分をアイドルにスカウトしに来たというわけだろうか。
未だに自分の顔を見ていないのでわからないが、ひょっとしたら期待しても良いのかもしれない。
……表情筋が死んでいるので、ほぼ間違いなく無表情であろうが。
更に自分の思い通りに体とか動かせないのでは、すべきことはアイドル活動よりもリハビリなのではないだろうか。
しかし、この世界に来てしまった時点で一人になることは確定している。
更には収入もなければ住む家もないような自分に寮を用意してくれると確約してくれた。
武内さん曰く、入れば私がメンバー第1号らしい。
すぐにお役御免、となることはないのである。
アイドルとしてレッスンを受けて、とりあえずバイトでもしながら生計を建てることも可能である。
生活が安定してきた頃には、体の問題や、自分の使えなさがバレて、クビになるはずだ。
そうすれば自由に過ごすことも夢ではない。
「説明は以上になりますが、どうでしょうか?」
率直に言うならうまい話に乗せられている気がする。
ただ話を蹴るのは勿体無い、と思えるほどの厚待遇だ。
前世の頃から得意であった、縦とも横とも取れるように首を動かすことで話を保留にして、名刺もあることだし後日決めることにしよう。
体は上手く動かなかった。
具体的には頭が横へと動くことを拒否した。
つまり話を聞いてしっかりと時間を使って考えた上で、頷くように見える構図が完成した。
まずい。
「……ありがとうございます」
「……」
何となく予想はしていたが、勿論口は動かない。
相手も1回でこちらが了承すると思わなかったのか、若干の困惑を感じる。
だが、私の意見が変わる前に契約を結ぼう、と思い直したのか慌てて鞄から何枚もの書類を出してくる。
1枚1枚の書類について説明してくるが、正直ほとんどが契約の話ばかりで頭にしっかりと入ってこない。
そうして私が目を白黒させているうちに、最後に、と一言添えてこちらへ名前の記入を要求してくる。
……ここまできたならば、成るようになれ。
そう思った瞬間に体が勝手に渡されたボールペンを使って全く見覚えのない名前を書き始めた。
『高柳志穂』――なんとなく体が書き慣れているようにも思う。
きっとこの名前が今の自分の名前なのだろう。
武内さんが来たときよりも少し安心したような顔で帰っていった。
最初は常にこんな厳つい顔をしているのか、と内心凄く怖がっていたのだが、よく見ると微妙に表情が変わっているのがわかる。
……まだ表情筋が生きているんだろうな。
退院まであと2日かかり、退院後に武内さんが346プロの社内を案内してくれるらしい。
とりあえず、それまでには自分の顔を見ておきたい。
少しでも評価して頂けると筆の進みが速くなります。