赤いトゥーシューズ   作:つきうさぎ

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ブリゼ アン

 ある日。昴はその日、珍しく注文取り以外の任を言い渡され、「コック見習い一年生」と共に街へと繰り出す業務に就くこととなっている。

 

 

 

「(今日も雲ひとつないピーカン……。遠くを見たって雲ないわねぇ。曇りとか雨とか、恋しいなあ。水分と塩分、気をつけなきゃ) むんっ!」

 

 

 

 食材の大口注文は、昴の生活圏なら電話、又はメールやネット注文で事が済み、配送も業者が行ってくれるが、この世界はそのような機能――電伝虫はあるが、携帯電話のように普及はしていない――と、機構がない為、じかに店舗へ赴いて発注を掛け、店舗と弊社間の配送も自ら担うのだ。

 その業務をふだん担当している「コック見習い一年生」ドナートに同行し、取引先との顔合わせ・地理の把握・発注作業を覚えることが、言い渡された任である。

 昴が準備万全で、集合場所にて待っていると、コック服ではなく私服で手ぶらのドナートがやって来た。

 

 

 

「おはようございます、ドナートさん。今日はよろしくお願いしますね!」

「……ん。ヨロシク」

 

 

 

 昴の装いを見て、ドナートは驚き、反応が遅れた。なにせ「準備万全」の装いが、とても重装備なのだ。

 つばの大きい麦わら帽子とサングラス、加えて、メッシュ部分がある日除け手袋を着用。もちろん、日焼け止めクリームだって忘れてはいない。そして、大きなショルダーバッグを提げて、手には使い込まれている手帳。彼と彼女は、面白いほど真逆だった。

 この気候で生まれ育った彼は、昴が熱さで倒れないか不安を抱く。

 

 

 

「…………」

「すっごく楽しみです! 市場なんてなかなか行きませんし、やっぱりスーパーに行っちゃうんですよねえ。そもそも専門店が近所に無くて。家の近くにあった青果店さんで買ったリンゴと、スーパーで買ったリンゴとを比べると、青果店のほうが甘いし安いし、よく買ってたんですけどね、ご高齢になってお店閉めちゃったんですよ。フルーツ、甘くておいしかったのになあ……」

 

 

 

 その不安もどこ吹く風。昴は意気揚々と喋り、今日の仕事を楽しみにしているようだ。

 

 

 

「……なあ。暑くないん……?」

「いえ、まったく」

「ああ……そう。倒れる前に言って」

 

 

 

 力強く頷く彼女を見遣ってから、彼は仕事を始めるべく、とある店舗へ歩き出した。

 昴が高揚してるのは、この世界の店に行けるから、だけではない。初めて、きちんと街へ行くからである。会社の敷地以外で行った場所といえば、社宅つまり自宅と、「ブルーノの酒場」だけだ。酒場は定時後にカリファらと向かうため、会話に夢中であり街並みは意識して見ていない。

 それ故に、窓より遠目から見ていた、ヴェネチア風の街へ行ける事への期待値が高い。

 

 しかし、

 

 

 

「ほら、おいで。行くよ」

「あ……う……」

 

 

 

 そんな高揚も、ウォーターセブンを移動する乗り物を見て、消沈してしまったようだ。

 

 

 

「落ちないから」

「そうじゃなくてぇ……」

 

 

 

 とある店舗。それはヤガラブルという生物のレンタル所のことである。

 ウォーターセブン内を効率よく移動するための乗り物といえばこの、ヤガラブル。現代においての「移動手段としての役割がある生き物」であるウマやラクダ、ゾウに値するものの、昴は、生きてきた中で一度も似た生物を目にした事はなかった。

 

 かの生物は、頭蓋骨の形自体は馬のようだが、顔つきは何にも例えられないギョロ目、首はこれまた馬のように長め、胴体はカタツムリのよう、「カタツムリの家」の部分は荷台になっており、そこに人間や運ぶ物を載せる仕組みになっている。水生物のせいか、その体はぬめりとしていて太陽光を反射している。

 そんなヤガラブルの容姿が、昴にとって思いがけない恐怖の対象になった。ヤガラブル自身は、つぶらな瞳と温和な印象を与える笑みを口に浮かべて、彼女が乗るのを待っている。

 

 

 

「ド……ドナートさん。これ以外で、街を移動するのはないんでしょうか……? ジェットバイクとかモーターボートとか……」

「なにそれ。発注の時間に、間に合わなくなる。早く来て」

「ゴンドラ……」

「観光じゃないんだから、そんな鈍足じゃ今日中に発注作業終わらない。いいから乗ってよ。貿易船のがしたら――」

 

 

 

 ドナートは、すでに乗り込んで手綱を持って待っていたが、しびれを切らして立ち上がり、二ヶ月は食料不足になる、と淡々と言いながら、昴の腕を引いて強制的に乗せた。抵抗する間も無く、彼女は重心を勝手にずらされて、乗り込んだ反対側へ落ちそうになるが、彼が受け止めて座席に座らせる。

 ヤガラブルは、首を捻って背に乗る客の安全を確認してから、泳ぎだした。

 

 

 

「ここに来たときも、乗ったでしょうに……」

「いやあ……まあ……」

 

 

 

 事情を知らない彼に彼女は言葉を濁し、ちゃんと来たわけじゃないし遠目から見てたときは白鳥のボート的なかんじだと思ってたのよ、と心の中で言い訳をする。

 

 ガレーラの食堂は、表通りから離れており水路は見えない位置に建ててあるため、日中にヤガラブルを見ることはあまりない。そもそも、ドック内の連絡係のような業務では、水路は昴の行動範囲外だ。帰宅時間の夕方も夕方で、「彼ら」で移動する住人が少ない。ゆえに、「彼ら」を見たとしても、遠くから、もしくは、太陽の沈んだ暗がりのもとで、はっきりと容姿を見る機会がなかったのである。

 ドナートは、後部座席で縮こまる昴を見て、大きく溜息を吐いた。そして、怯えを和らげようと話題を投げかけた。

 

 

 

「なんで、来たの」

「え?」

「ここに。だって、造船島だよ。サン・ファルドにだって、仕事場ある」

「そうなんですけど……」

 

 

 

 だが、それはそれで非常によろしくない話題で、昴は別の怯え状態に陥る。背中でそのことを感じ取ったのか、ドナートは依然として言い淀む昴の、あの……なんと言いますか……、という言葉に被せてこう言った。

 

 

 

「ワケあり? じゃあ、聞かない」

「す……すみません……」

「怒ってない。おれも、ワケあり。ただ、気が散ればいいと思っただけ」

「……?」

「…………」

 

 

 

 気遣いはあれど、一から十すべてを言うほど、彼は世話焼きではなかった。

 

 その後はどちらも口を開かず、水路や水路沿いの露店のやり取りが耳に入ってくる。昴は、申し訳ないが行き違うヤガラブルの正面や顔を見ないようにして、周りを見物した。

 そんな遊覧の時間を少し過ごし、昴たちの乗ったヤガラブルは徐に、水路に面して踊り場もない、とあるドアに身を寄せる。ドナートは立ち上がり、ガレーラです、と大きな声で呼び掛けて戸を叩いた。

 

 

 

「ここが、野菜の取引先のひとつ」

 

 

 

 そう言われて昴は、ハッとして抱き締めていた手帳を開いて、ドアの真上の店看板に書かれた店名と、ドナートから言われた種類を記す。

 

 数日間、ウォーターセブンで過ごした中で、幸いだと彼女が胸を撫で下ろしたことが、この「文字」だ。通貨は「ベリー」と聞き慣れないが、文字は「英語」で昴の第二母国語でもある。「言葉」に関しては、日本語で会話しているが、もしかしたら双方、映画の吹替のようなことが起きているのかもしれない、という発想で決着している。

 

 ドアが開かれると、恰幅のいい壮年の男性が姿を見せた。手には紙束を持っている。慣れたやり取りのためか、その紙束をドナートへ渡そうと腕が伸ばされており、ドナートも受け取るために紙束を掴んだ。

 ここまではいつもの流れなのだが、なぜか店主は紙束を離さなかった。代わりに、視線は昴へ向いていて目を丸くさせている。

 

 

 

「――……、そうかあ! 恋人ができたのかあ! めでたいな! 式はいつだ? 料理の食材はウチに」

「ちがう……」

 

 

 

 ドナートが静かに否定し、昴も苦笑いを漏らす。彼女の立ち位置を説明し、改めて自己紹介をし合うと、発注作業に移り、一店舗目を無事に終わらせた。


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