「カクさん、彼は私の、ダンスのパートナーです! 今のは『こんにちは』のハグで、カクさんが心配してるようなことではありませんよ……!」
男性は、カクからの威嚇に対して驚きの表情を浮かべていたが、にっかりと歯を見せて笑い、左手の甲を掲げて、その薬指に輝く指環をカクに見せた。指輪と男性の顔を、交互に見遣ったカクは、帽子を脱いで頭を下げて謝罪する。
「すまんかった」
「彼女の事情は、僕も聞いていますよ、カク職長」
「む? わしを知っとるのか」
「嫁さんがね、ガレーラの職長たちの追っかけをやってまして。ああ、行きながらーー」
男性は、追い付いていたシュライヤにも、にっかりとした笑みで挨拶を送った。男性とカクが前を歩き、昴とシュライヤが後ろを着いていく形になり、練習場でもある劇場へ四人で向かう。
「よく話してくれますし、週に二日は、職長がたの出勤を見に行ってますよ」
「……あの中に、おるんか……」
毎朝の黄色い声を思い出したのか、げんなりと呟く。
「ああ、そうだ。写真が欲しいと、言ってました。このあと、撮らせてもらえませんか?」
「いやじゃっ!」
俊敏に腕を交差させてバツを形どり、頭を勢いよく横に振った。魂を抜かれたくない、と青ざめてカクが悲鳴を出すと、後ろで傍聴していた昴が笑い始めたので、三者三様の反応で男共が、彼女に注目する。
「笑うなんて、酷いぞ。すばるぅ……」
「ごめんなさいっ。あはっふふふ。だって、父さんとおんなじこと言ったんで、ツボりました」
「写真に写るくらいで、魂抜かれるわけねぇだろ」
シュライヤが、呆れて言い放つ。「写りたくない人の言い訳に、よく使われるんですよ」と、昴は笑いすぎて出た涙を拭いながら説明した。
「気が合うのう、お父さん」
「あ、たぶん、ほんとに気が合うと思いますよ。テンションが似てて。――写真って、つまり、ブロマイドってことですよね? アイドルだあ。私も子供の頃、大好きなアーティストさんのブロマイドを、両親にねだって買ってもらってました」
「嬉しいものかい?」
「嬉しいですよ! 写真を見るだけで、彼女の演奏が思い出せて、気持ちが盛り上がってやる気が出ると言いますか、元気が出ると言いますか。挫けそうになった時とか、ずいぶん助けられましたもん」
男性は、昴の言葉を受けて、再びカクに写真撮影を頼んだが、玉砕してしまう。「嫁さんが、他の男の写真を持っているのは、如何なものか」とカクが抵抗しても、「愛しているのは、僕だけだから」と抑え、「一枚くらい、イケますよ」と昴さえも味方についた。それでもカクは、頑なに撮影を拒否した。
「諦めましょう、イェレさん。三回頼んでダメなら、ダメです」
「そうだね、残念だけど。――それで、すっかり聞き忘れてた。カク職長と、その子は? 追加のダンサーかな?」
「わしゃ、踊れんぞ」
「ひとりじゃ危ないということで、護衛をお願いしてるんです。セント・ポプラに危ない海賊が来てるの、知ってます?」
男性――イェレ――は、知ってる、と縦に頷く。そして、もう捕まったよ、と続けた。
「別の海賊が、捕まえたらしいんだよね」
「えっ? 海賊が海賊を捕まえるって、あるんですか?!」
「僕も又聞きで、細かいところは分からないけど、昨日の夜、暴れだしてすぐに、鎮圧されたらしいよ」
「へえ、そんなことがあるんだ、実際。びっくりね」
驚く昴に対して、カクが、写真撮影ほどではないがマイナスの感情を込めた声色で、説明を加える。
「モーガニアを狩ったり、ただただ宝を求めたり、『ピースメイン』なぞと謳ってる海賊もおる。わしからすれば、ピースメインでも海賊は海賊じゃがな」
捕まえた海賊はどんな奴らなんだ、とシュライヤがイェレに問う。
「さあ……。僕は見ていないから。ただ、女性たちが『いい男だった』と色めき立って、話していたよ」
「それはどうでもいい。あとで、海兵に聞くか。それにしても……。捕まえたのに、警備がいなくならないのは、おかしいな」
「バスクード君も、今の逮捕の話は、初めて聞いたんですよね? 連絡のタイムラグということでは」
「俺と違って、海軍は、ひとりひとりか、班ごとに子電伝虫を持ってる。すぐに連絡がまわるんだ」
「ふぅむ……。一件落着、とはいっとらんようじゃ。シュライヤ、油断せずにゆくぞ」
そうして話している内に、劇場へ到着し、揃って足を踏み入れる。護衛の二人には、練習中は自由行動を伝えているが、彼らは、離れては意味がないと言って、後列の適当な座席へ腰を下ろして、待機した。
昴は、それを見遣ると、楽屋へと足早に向かい、早々に髪をお団子ヘアにして、レオタードに着替える。気候で暑さはあるが、それは表面のみ。身体の内部はまだ解れておらず、冷えているのでウォームアップパンツーーバスローブのような生地のオーバーオールーーと、レッグウォーマーを着用して、舞台上へ急いだ。
やはり、バレエをしている時がいちばん幸せな時であり、自分をさらけ出せて気分が良くなるのを、再実感した昴は、満面の笑みで、現地のダンサーとコミュニケーションを取りながら自分を鍛えていった。
「はあぁぁ……、し、あ、わ、せ」
「んぶはっ」
「ほんと、『恋する乙女』だぜ」
現地のダンサーらが、昴の吐息をからかうも、彼女自身は自信満々に、
「うん! バレエが恋人だよ! アフフッ」
と、宣言した。
どれほど経っただろうか。ふと、昴は、シュライヤが座席を移動して、前列に座っていることに気が付いた。そして、とても熱心にダンサーらを視線で追いかけていることにも、気が付いた。中断して、舞台前方の端にしゃがんで、話し掛ける。
「バスクード君。ダンスに興味が、湧きましたか?」
「いや。でも、さっき、跳んで両足を蹴りあげてるのが使えそうだと思って。また、やんねーかな」
「『跳んで両足を蹴りあげてる』……。どのダンサーさんが、していました?」
「一緒に来たやつ」
「イェレさんね」
イェレは、昴のパ・ド・ドゥの相手であり、そのお陰で唯一『クラシックバレエのパ』を踏む現地ダンサーである。『パ』とは、バレエのひとつひとつの動作を示す。ポスターなどで一番使われて目にしやすい『アラベスク』という、片足で立ってもう片方を後ろへ上げて静止するあのポーズも、パのひとつだ。
さて、シュライヤが言ったパは、現地ダンサーらの振り付けでは、踏まない。イェレは現地の振り付けと、パ・ド・ドゥの振り付けを踊っている。つまり、シュライヤが見たのはパ・ド・ドゥのパだ。そして、シュライヤが言った特徴に当てはまるパが、いくつかある。
昴は、それらの点で予想をつけて、少しだけ声を張って呼び掛けた。イェレはすぐに振り向き、颯爽と近寄ってきた。その様は、姫をエスコートするために近寄る、王子のようである。
「どうしたんだい?」
「バスクード君、気に入ったパがあったみたいで。彼に見せてもらいたいの。でも、どれだかは分からないのよ。グランジュッテ、ジュッテ・アントールナン、バレルターンのどれか」
「お安いご用さ。全部、跳べばいいんだろう?」
三つのパを単体で披露した結果、最後のパがシュライヤの目当てだと判明した。
「それを使いてェ。教えてくれ」
「かまわないけど、ちょっと難しいよ?」
「ちょっとどころか、難しいわよ。バスクード君は、からだは柔らかいの?」
「足ぐれぇは上がる」
前方に足を蹴りあげた。バレエ界の言い方をするならば、グラン・バトマン。足はそれなりに垂直に近い開きをしていたが、ダンスのプロからしてみれば、いつ、筋や腰を痛めてもおかしくない悪い姿勢での蹴り上げで、昴とイェレはアイコンタクトで「きっちり教えよう」と言い合った。