十九時。
気が付けば、時は十九時頃であった。練習は終了となって、ダンサー各々が楽屋で帰り支度をしている中、ただひとり、いまだ舞台上で大の字になって、疲労困憊している人物が居る。
「ぜぇ……はあ……」
「ふふふっ、おつかれさま、バスクード君」
横たわるシュライヤの頭を、昴は隣にしゃがみこんで、労いの言葉を掛けながら撫でた。そっと心の中で、ふわふわのような髪を撫でてみたい、という欲望を抱いていたので、叶えられて笑みを溢す。想像と違わず、猫っ毛で、撫で心地が良かったようだ。
「戦闘でも……こんな、疲れねーのに……」
「私は戦ったことがないから、比較できないけど、きちんと筋を伸ばしたり、真っ直ぐな姿勢を意識して、動いてたからだと思うよ。背筋をピンとして立ってるだけでも、意外に疲れるしつらいものだもの」
「はぁー……。あんなに飛んで跳ねて、回ってるお前が、……平気なツラしてんの、気に食わねェ」
「しどいっ」
「昴に撫でられてるの、気に食わん」
「あっ、カクさん、お早うございまあす」
待機中、睡眠をしていたカクは、伸びをして、座席で寝た故に固まった節々を解しながら、二人へ近寄っていった。帽子を外して、大あくびを隠すと、ポリポリと頭を掻いてから再び被る。その際、ベリーショートのオレンジ髪に、帽子の縁に沿ってわずかに癖がついていたのを、昴は見つけてしまい、可愛さに微笑みをこぼした。
「なんじゃ」
「帽子の癖が、ついてましたよ。――軽くシャワーを浴びてから、戻ってきますね」
「おお」
「バスクード君も、入りましょう」
「着替え持ってねぇから、いい……」
そこへ、数時間前のように三人以外の声が参加する。
「そうだと思った。僕ので良ければ」
「Wow. イェレさん、準備よすぎです」
シュライヤが参加し始めて、すぐに電伝虫で嫁に連絡をし、半袖のTシャツと半ズボンを届けてもらっていた、と話しながら、着替えを差し出すイェレ。着替えがあるなら、とシュライヤも舞台裏のシャワー室へ、昴と共に向かった。
そして、残ったカクは、イェレに話し掛ける。
「のう」
「なんでしょう?」
「シャワー室があるのは、関係者以外立ち入り禁止ってエリアじゃろ? わしも行けるか?」
「――しっかり男なんですね、職長殿も」
「は?」
質問に対し、まったく回答になっていない反応が返ってきて、つい、ポカンと口を開けて、彼を見つめてしまった。ニンマリとした笑みを見て、破廉恥な勘違いを起こしていることに、すぐさま思い当たり、訝しげな視線からジト目に変わる。
「阿呆。誰が、覗き見するかい。見たいが」
「見たいんだ」
「シャワー室から遠くも近くもないところで、見張っていたいんじゃよ」
カクが、護衛の任を頑張ってる傍ら、昴は汗のべたつきを落として、リフレッシュを終えていた。幾人かの現地ダンサーも、疲れや汗を流しているので、談笑もしつつ、帰り支度を着々と進めていく。
「昴って、上手だしすっごく綺麗に踊れるのに、アタシたちのダンスは、ヘタよネー」
「ふぐぅ……。それを言っちゃあいけませんよ、シニョリーナ……! 私だって、ああいうノリのダンス、踊りたいよ! でも、裏拍のノリって、クラシックの真逆だしさあ」
そのシャワー室は、個室ではなくて複数人が同時に浴びられるように、部屋自体は広い。プールや海水浴場のように、シャワーノズルが一人分のスペース毎に、壁に取り付けてある。胴部分だけが仕切りやドアで隠れるタイプなので、ふくらはぎや肩は、他人から見えている。そのため、振り返れば向かい側でシャワーを浴びているダンサーが、自分達のステップを小さく踏んでいるのが、昴からでも分かった。
口先を蛸のように突きだして、いじけていることをアピールした。
「みゅー……。ボックスダンスさえ、母さんに負けてるもんなぁ」
「ボックスダンス?」
「右足を、左前に出して」
「――こう?」
「そうそう。それで――」
と、ステップを教え、加えて上半身の、いわゆる『縦ノリ』も教える。それらを同時に実行すれば、楽しい小さなダンスになる。彼女らは確認しながら数回踏んだだけで、若い頃にディスコ通いをして、そのノリが得意な昴の母と、大差ない仕上がりになっていた。
「うわあ……もう物にしてるう……」
「イエーイ! なんだかハイになってきたネ、アタシ!」
「わたしもー! なにこれ何コレ! 楽しい!」
「『マヤ、恐ろしい子……』」
海列車の運行がそろそろ終わるので、ボックスダンスで盛り上がっている彼女らに「また明日」と挨拶をして、カクと、恐らくもう浴び終えているだろうシュライヤの許へ、小走りで向かう。案の定、男二人は合流しており、昴を待っていた。
「お待たせしました。――バスクード君」
「なんだ」
「すっっごく! かわいいね!」
「かわ……っ?!」
「わっはっはっはっ! 出よった! 昴の、男への『可愛い』!」
先程イェレから借りた服に着替えており、半袖ハーフズボンと言えども、大人サイズのためブカブカで、背伸びして大人ぶりたい少年という印象が強くなっていた。
「『いちご牛乳とコーヒー牛乳、どっちが好き? 今度、おごるからさ』」
「飲みもんくらいの金は、持ってる」
「や、つい言いたくなって。ショウタっぽいから」
「ふっくくっ、ふはははっ」
「そこ! 笑うんじゃねえ!」
「さあ、最終列車が行ってしまう、ゆくぞ!」
「コラぁ!」
終電のひとつ前に乗れて、ウォーターセブンへの帰路につく。何事もなく、全ての「護衛任務」が終わったと思われたが、
「あ」
「どうしたの?」
シュライヤが、ウォーターセブンの駅に降りたとき、何かに気付いて声を漏らした。
「海賊の名前、聞くの忘れた」
「えっと、ツタを捕まえた方の?」
「用心棒仲間に、教えてもらえば良かろう」
「そういう情報は、教えてくれねぇよ」
「あら、なんで?」
情報の共有は、防衛には最低限必要なのではと、洋画で得た知識から不思議に思う昴は、同じ雇い主の
「金づるの情報だぞ。横取りされないようにするに、決まってるだろ」
「そ、う……いう、ものなの? みんなが知ってれば、バリケードというか、対策が練れるじゃない」
「そんな友好的なもんか」
「――お金って、そりゃあ……無いと困るし有れば助かるけど。でも、人が変わるって言うし、独り占めとか、なんか、こわいね……」
現時点では、ウォーターセブンに海軍警備は居ないので、件の海賊団はまだセント・ポプラに、滞在しているのだろう。明日も練習の昴は、捕まえようと思って捕まえたのか、たまたま捕まえたのか分からない、もうひとつの海賊団に対して、複雑な思いを抱きながら、向かうことになった。
「(どうか、ピースメインの良い海賊団でありますように! でも、ピースメインだとしても、出遭いませんように!)」
思わず、胸元で両手を組み、天を仰ぐ。
「なんじゃ、昴。お星サマにお願い事か?」
「お願い事です」
「叶うと良いのう」
「ですね」
「おい、お前ら」
成人二人の子供染みた言動を、少年は冷ややかに一瞥し、明日の集合時間や場所を確認し、街の方へと歩み始めた。昴がその背中に、聴き込みに行くのかと問い掛けると、肯定されたので、夕食がてら着いていく、と追いかける。
「食堂で食わんのか?」
「せっかくなので、バスクード君ともっとお話ししたくて」
「動きづらくなるから、来るな」
「雇い主を、邪険にしよってからに! ガキんちょ!」
「だから、来るなよっ」
「昴が部屋に戻るまでが、護衛じゃ。昴がいるところに、わしがおらんでどうする」
「幼馴染みの兄弟、思い出すなあ。思春期に入ったとき、こんな感じだったっけ」
カクとシュライヤは、彼女の発言が聞き逃せなかったようで、互いを指差して、口調のずれは在れども同時に、
「こいつと兄弟はいやだ!」
と叫び、抗議が重なったことにも眉間にしわを寄せて、睨み合った。仲が良くはなさそうだが、本当に毛嫌いをしているようではなく、いつしか、レストランへの道のりの間中、造船について会話を交わしていた。