『死の外科医』ローは、アイスバーグよりかは低い背だが、それでもたいそう見上げなければならないのだから、百八十センチは超している大男だった。余談ではあるが、昴の身長の目視目安は『現代』でのパ・ド・ドゥパートナーとの身長差を基準としている。百六十と少しの彼女は必然的に、彼の氷のような印象のグレーアイに見下ろされ、無意識にカリファの背に隠れるよう半歩移動した。その様子に、カリファが目を吊り上げた。
「ミスター・トラファルガー。昴にセクハラをなさったのですか?」
「は?」
「この怯えよう、既に危害を加えているのでは?」
「……キャプテン、あんたーーあ、いえ、なんでもないです、すんません、そっと
ローが、手にする棒を揺らした瞬間、前面に大きく『PENGUIN』の印字がされた帽子の船員が、勢いよくハンズアップをした。船員が怖がるその棒は一体なんだろうかと、昴がよくよくその棒を見ると、どこか日本刀に似ている印象を抱く。その分野に明るくないので日本刀と断定できないが、とにかく、日本刀に似ていて船員が怖がる棒は「武器」だと理解した途端、心臓がいやに速くなり、呼吸が浅くなる。
「面と向かうのは初めてだ。――おい、なにもしないから落ち着け。過呼吸になるぞ」
アイスバーグとはまた違った艶のある声で、ローは昴を宥めた。その言葉で、カリファが昴を再び見遣って、更に怯える様を確認して尚更ピリピリとしたオーラを纏い、シュライヤが担ぐ木材をさりげなく持ち直してローを睨み付けたので、ローは面倒臭そうに溜め息を吐くと、持っていろ、と刀らしき物をクマに預けた。
「アイアイ」
熊が喋った?! 昴はそう目を見開いた。恐怖心があっても、ハットリの時のようにテンションが上がる。手ぶらになったローは、ズボンのポケットに手を入れて、彼女と相反して冷静沈着のまま話を続ける。
「見掛けたのは、お前らで間違いない。社長さんよ、こいつらが欲しい」
「俺は頷かねえし、彼女たちも頷かねえな」
「あっ、あの!」
先程の話題が上がり、昴は挙手をして発言の許可を待つ。学校の授業の発言時みたいな行動をしてしまったのは、絶対服従を要求しそうなローの雰囲気に当てられたためである。視線がアイスバーグから昴に移ったことを許可と取り、緊張しながらも辞退を申し出た。
「大変申し訳ありませんが、ご遠慮させていただきます。私は医者ではありませんし、医者になるつもりもありません。ここを離れるわけには行きませんので」
「おれもパス」
「こ、断ることを、どうかご容赦ください」
歯向かうな、と斬り捨てられないか不安になりながらも、意見を素直に伝えて頭を下げる昴。アイスバーグが補足として、表向きの理由を付け足した。
「それに、昴は男が苦手でな。閉鎖空間の航海じゃ、辛すぎる」
「ちっ。心療は得意じゃねえ……」
「あ……凄い……でも、やれるんだ……」
昴は、ぽそりと呟いた。どうやらそれはローに届いていたようで、滅多に診ない、と答える。カリファが二回、手を叩いて場を締めた。
「交渉決裂ね。昴、シュライヤくん、貴方達は仕事の続きをお願い」
「おー」
「はい! さ、最後にひとつだけ、いいですか……?」
ローの背後に立つクマと、おずおずと目線を合わせて、名前を訊ねた。アイスバーグは声を上げて笑い、カリファとシュライヤは溜め息を吐く。
「おまえさあ……」
「だって! 考えてもみなよ、バスクード君! くまちゃんとお話しできるなんて、もうないんだよ?!」
「そんなんだから、俺くらいにみられんだよ」
「こればっかりは子供にみられても構わないわ! アニマルとお話しするのは、小さい頃からの夢だもの。――くまちゃん、私、すばるって言います」
「え……あ……」
「……応えてやれ」
「アイアイ、キャプテン。おれ、ベポ!」
「ベポ、くん? 可愛らしいお名前ね。教えてくれて、ありがとう。では、アイスバーグさん、カリファさん、……えと、ハートのみなさん、失礼します」
やれやれ、とシュライヤは
「うふふ。これで、王子様が来てくれたらなあ。きっと、私も相手が好きなら、怖くないはずよ」
男性恐怖症でも、愛し愛されたい願望はあるので、いつか、そんな間柄になれる男性と巡り逢えること願って、貼り出し業務を進めた。貼り終えて、食堂の裏手に位置する従業員口へ向かう、同僚らと白いつなぎを着た二人組が、言い争っている様子が目に入る。
「どうしよう。近寄るのは怖いし、正面口から戻っちゃおうかな」
必ず従業員口を通らねばならないこともないので、船大工らが出入りする表口から入り、厨房へ戻った。下ごしらえが既に始まっていて、空腹を刺激するいい香りが鼻腔をくすぐる。一仕事終えた昴に気が付いたのは、料理長で、爽やかな笑顔で迎えてくれた。
「戻りました」
「おかえり、昴」
「いい匂い。朝ごはん食べたのに、お腹空いちゃいます」
「バケットでも食うか? チーズ、オリーブ、黒胡椒のトッピング」
「おやつにいいやつ~。そして、白ワインが欲しくなる」
「はははっ、まだ午前だぜ。待ってな。ワイン以外、持って来てやる」
日除け装備を外して、キッチンに一番近い席で待つ。安全地帯に入ったので、テーブルに腕を放って脱力した。ドックの内にハートの船員が散らばっており、声を掛けられないように気を張っていた為、どっと疲れが襲ったのだ。
「はああ……。ベポくんはいいのよ……ベポくんは……」
「具合、わるいの?」
「んえ? あ、ドナートさん」
「水」
新米同士で、何かとペアを組むことが多くなっているドナートが、コップ一杯の水を昴の前に置いた。礼を言い、喉を潤しながら精神疲労ゆえに少しだけ彼にぼやく。
「遭いたくなかった海賊の方々が、お客様としていらっしゃってて……。ご機嫌を損ねないようにドックを回るの、疲れちゃいました」
「ふーん」
「どこで私を知ったのか、勧誘されて……。断ったので、背中が恐いです」
「背中?」
ウォーターセブンにはその言い回しが無いようで、ドナートは小首を傾げ、恨みを買って死角の背中から刺される、ということを昴が説明する。ちょうどその時、大切な部下が刺し殺されては堪らない、とジーヌがバケットを持ってきた。
「その海賊団の名前は?」
「ハートと言います。船長が、トラファルガー・ローさんです。――いただきまーす!」
「そうか。したら、奴らが去るまで、在庫管理などの、中の仕事に入ってもらおうか。昴と交換できる野郎がいるからな」
「え?! で、ですが、そうしたらそのかたの時間が」
ジーヌと食堂の職員たちの優しさで、外に出なくてもよい業務を担当することになり、代わってくれる若い衆に、昴は大変感謝をした。早速、昼の業務から交換をする。掲示板業務が昴でないことに、船大工からブーイングが上がったが――彼女の姿を見る事が、最近の彼らの癒し――、説明をすれば「修理、巻きで作業する」と鼻息を荒くした。
今夜はカリファと女子会の予定で、昴は定時になるとお洒落をすべく宿舎の自室へ急ぐ。鼻歌を歌いながら帰路を進んでいると、
「うん?」
だいぶん「日常」に溶け込んだ潮の香りに混じって、場違いな「とある匂い」が漂い、嗅ぎとった昴は風上の方を向いた。
「?!」
白。運河と街並みが続くはずの視界に、突然の白。昴は、それがなんなのか判断する前に、悲鳴を出す前に、その場を全力で走り去る。