赤いトゥーシューズ   作:つきうさぎ

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グラン・ジュテ ドゥ

「……あれ? もう日本……?」

「ニホン?」

「…………」

「………………」

 

 

 

 昴は寝惚け眼で自分を起こした人物を見遣り、その後ぐるりと周りを見渡した。飛行機の中じゃない……、と漏らして数十秒後、ぽやんとしていた目がかっと見開き、大声と共に身を起こす。

 

 

 

「そうだ! ターミナルの入口が見えたのに!」

「ンマー、落ち着け」

「男の人に囲まれて、鳩が喋って……」

「だから落ち着けって」

 

 

 

 バリトンボイスと共に頭に重みが掛かった。ハの字の眉のまま昴は声がした方を向くと、己の頭に手を乗せている男性と、いかにも優秀そうな女性がベッドの脇に立っていた。

 

 

 

「何はともあれ、元気そうだな。良かった」

 

 

 

 男性が思いのほか近距離におり、その近さに恐怖心が芽生えたが、にっこりと微笑まれ、「男性」に苦手意識を持っている昴でもその微笑にドキリとする。

 

 

 

「あ、え……はい」

「ンマー、良かった良かった」

「アイスバーグさん、セクハラです」

「セクハラ?!」

 

 

 

 意外な単語が飛び出してきて、アイスバーグが何かを言うより前に、昴が疑問系で復唱した。

 セクシャルハラスメントだなんて言われる要素が今の一連のやり取りの中であっただろうか? と、唖然としていると、セクハラだったな、と彼は手を引っ込めてしまった。

 

 

 

「い、いえ! セクハラだなんて私自身が思ってないので! 訴えませんし、あの……っ、ですから、そのっ、お気を悪くなさらず……?」

 

 

 

 こちらは何とも思っていないのに、相手が犯罪者として捕まってしまうのは非常に気分が良くないので、気にしてないと必死に伝えていたが、言っている内に彼は口元を手で隠し横を向き、何やら肩を震わせている。昴が控えめに、あの……、と声を掛けると、もう限界だと言わんばかりに声を上げて笑い出した。

 

 

 

「アイスバーグさん」

「ああ、わかってる、カリファ。悪かったな。必死になってる姿が可愛かったもんでつい。ンマーそれでだ。少々お前に聞きたい事がある」

「……はあ」

「だがもう夕食時だからな、食事をしながら話そう。よし、カリファ」

「既に予約済みです」

「ンマー! 流石だな!」

「恐れ入ります。 ――貴方」

 

 

 

 カリファが眼鏡のズレを直しながら昴に問いかける。

 

 

 

「荷物はあそこにあるので全部?」

「あそこ? ――ああ、そうです、あれで全部です」

「運び出しても構わないかしら」

「え? 運び出す?」

「もう会社は終わってるからな」

「会社……」

 

 

 

 いまいち状況が読めなかったが昴は彼らの指示に従い、予約されているというレストランへと同行したのだった。

 

 

 

「(……高いよね、ここね、絶対にね)」

 

 

 

 レストランに着いた昴は、間抜け顔にはならずとも呆然とした。

 

 

 

「こちらです」

 

 

 

 ウエイターに案内され着いた先はVIPルーム。

 そして、渡されたメニューを開くとなんとローマ字・英文で書かれていた。日本語で話していたから、てっきり日本語が普及しているのだとばかり思っていた昴だったが、こうしてひとつの疑問点に気が付けば、次から次へと不可思議な事柄が沢山沸いてくるので戸惑う。

 

 視線をメニューから対極に座る彼らへ移して盗み見てみると、どう見ても日本人の雰囲気ではなかった。

 

 

 

「(そうだよ、二人共どうみても外人さんだよ! 鼻高いし、手足長いし、女の人は目が青いし)」

 

 

 

 視線をメニューへ戻し、再び不可思議な点を見つける。それは単価。同席者の顔立ちは西洋だが言語は日本語、なのに単価はドルでも円でもない。

 

 

 

「(うええええ? ビーって何よ、ビーって)」

「決まったか?」

「んにゃ?! あ、……あ、えと」

 

 

 

 慌ててメニューから、いちばん数値の低いメニューを頼む。考え事に没頭していて分からなかったが、テーブル脇にオーダー待ちのウエイターが立っていた。昴がそのメニューを言って、以上です、と続ければアイスバーグから、それだけで腹膨れるのか?と言われたので、はい、と誤魔化す。

 

 自分が持っている通貨はドルだけなので、当然支払えない。出来れば注文さえしたくなかったが、こうなってしまっては事情を説明して後日どうにかして必ず返すしかない、と昴は心に決めた。

 

 

 

「では、本題へ入りましょう」

「あ、はい」

「ンマー、お前は能力者か?」

「…………はい?」

「ルルから聞いた話によると、お前は、いつの間にか一番ドッグの奥にいたらしいじゃねーか」

「それが、私自身も何がなんだか……」

 

 

 

 俯く彼女に、アイスバーグとカリファは困惑した様子で顔を見合わせると、

 

 

 

「貴方は何処から来たの?」

 

 

 

 と、出身地を聞く。しかし告げられた地名は、二人にとって全く知らない名前だった。

 

 

 

「アメリカです……」

「聞かねぇとこだな。どこの海だ」

「はい?」

 

 

 

 アイスバーグの台詞に当然昴は、アメリカ合衆国を知らないなんて……!と驚く。世界で最も有名な国を知らない二人はいったい……、と目を見開きつつ弱弱しい声で続けた。

 

 

 

「聞かないって……アメリカですよ?」

「アメリカ、ねぇ……」

「イギリスもロシアも……まさか、知らない……なんて事は……」

「悪いが聞いた覚えがねぇな。カリファは?」

「さすがの私も」

「――No way……」

 

 

 

 それは彼らへの問い掛けではなく、独り言だった。そこへ、頼んだ料理が運ばれてくる。

 

 

 

「ンマー、とにかく乾杯といこう」

「――……ん? あれ? 私、ドリンクは頼んでませんけど」

「頼んでいないようだったので私が頼んでおいたの」

「す、すみません」

「いいのよ」

 

 

 

 三つのグラスが、チン、と鳴り響き、それぞれが一口を飲むと食事が開始された。アメリカを知らないと言われ、パニックを起こしていた昴だったが、その傍ら、そういえばどうして私だけオレンジなんだろう、とも思う。

 

 

 

「(ワイン、好きなんだけどなあ)」

「ンマー、それでだ。お前の名前は? 俺はアイスバーグ。彼女は俺の秘書のカリファ」

「宜しくね」

「あ、はい、宜しくお願いします。私は昴。星谷昴です」

「昴か。それで、そのアメリカというのはどこの海にあるんだ?」

「北太平洋にあるんですが……」

「キタタイヘーヨー?」

 

 

 

 その後、どうにも認識が擦れ違い、会話が成り立たず、一旦仕切り直しとしてアイスバーグは昴に、一番ドックに来るまでどうしていたか話すよう促した。

 するととんでもない事が発覚。愕然とする昴と、驚きながらも何処か納得しているアイスバーグとカリファ。

 

 

 

「でも、そんな……」

「ンマー、ここは偉大なる航路グランドラインだからなあ」

「別の世界だなんて……非現実的な……」

「貴方の世界で、アメリカと聞けば知らない人はいないんでしょう?」

「……奥地以外なら、きっと、ほぼ知っているかと」

「世界地図もどうやら異なるようだし、にわかに信じられないけれど貴方がいた世界ではないわね」

「……」

 

 

 

 思わず昴は食事の手を止め、無言になった。

 殆ど不満はなかったアメリカ暮らしから、ようやく故郷の日本に帰り、自分の大好きな布団でゆっくりと休息を取るはずが、飛行機に乗る前に別の世界に飛んでいたこの事実。

 日本人の性質に合わない海外とはいえ、日本料理店はあったし、同じバレエ教室の日本人の友人が何人かいた為、それなりに日本を感じる事が出来た。しかし、ここが本当に別世界だというのなら、日本の「に」の字も感じられないし、右も左も判らない。

 

 

 

「もしかして……帰れない……?」

 

 

 

 ぽそりと呟いた昴の言葉に、アイスバーグが優しく声を掛けた。

 

 

 

「ンマー、政府に前例があるか聞いてみるさ。何か分かるまで俺の所にいればいい」

「政府……。――え? 政府?! うわっ、もしかして私って不法侵入国者扱いじゃ!」

「あら、どうして?」

「どうしてって、パスポート……って、ああそうだ、この世界に私の知ってる常識は通じないんだった……。でも、入国するには許可が必要ですよね……?」

「許可なんざいちいち要らん。めんどくせえ」

 

 

 

 腕を組み、妙にえばりながら言うアイスバーグに口元が引き攣るも昴は、ここのトップの方に事情を説明しなければ、と言えば、

 

 

 

「俺がトップだ」

「なんだ、アイスバーグさんがトップ……、え、いちばん偉い?!」

 

 

 

 と、アイスバーグが名乗り出たので昴は驚く。その驚き方が可笑しかったのか、カリファがくすくすと笑い、彼の身分を説明してやった。

 

 それから、この世界の説明は後日徐々に教えるとして、今後の昴の身辺について話し合い、三人はレストランを後にする。からりとした夜の空気に気持ちよさを感じながら夜の街を歩いていて、ふと昴は夜空を見上げた。

 

 

 

「(別世界か……でも星空は同じだぁ。月があって、星があって……。昼間も、太陽があった……)」

 




グランジュテとは。
 走り幅跳びのジャンプのようなパの名前です。あそこまで、勢いつけて跳びませんけどね。
 ジュテ(ジュッテ)が、ちょっとした水溜りを飛び越えるくらいのジャンプ。グランが、『大きく』『とても』の意味合いを持ちます。
 現実の世界と物語の世界を、大きく超えたことを表しました。
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