真っ暗な闇が目の前に広がっている。
そう思った瞬間、チカッとなにかが光った。
薄ら寒く感じながらも歩いて近づくと少しずつそれは姿を現した。
黒い靄は形を取り始め、それは自分のよく知る後ろ姿となった。
ちらりとこちらを一別しそれは近づく自分と同じ方向に向かって歩き出し、距離がまた離れた。
「ま、まって!」
おかしい。
こちらは既に走っている。
なのに対象は歩き続けているのに一項に距離が縮まらない。
むしろ引き離されている。
「お願い!置いていかないで!」
その言葉にピタリと足が止まった。
これ幸いと走り、今度はようやっと追い付いた。
「ねぇ」
ポンと肩に手を触れた。
───────────その体は糸の切れた人形のようだった。
うつ伏せで倒れるように崩れ落ち、いつの間にやら胴体と引き離された首から上だけが足元に転がった。
その瞳は虚ろに…ただこちらを見つめていた。
「あああぁぁぁぁぁッッ!!!!!」
美神令子は晴れ渡った空にすら悪態つきたくなるほどに、機嫌が最悪に悪かった。
夕べ見た夢から一睡もできず、眠いしダルい。
今はまだ初夏の季節に当たるとはいえ蒸し暑い。
おまけに────────
もう最悪だった。
短い人生の中でもぶっちぎりで最悪だ。
「あ、あのぅ!!!」
さらにだめ押しでいきなり、しかも大音量で話しかけられたものだから意図せず顔は険しいものになり、
「悪いけど今急いでるの!」
語尾まで荒くなった。
「少しだけだから聞いてほ…」
「だから、忙しいって言ってんでしょ!!」
ふざけんなと息巻いて、そいつを置き去りに走り出した。
目的地である教会は閑散としていた。
今日は特に依頼もないし、平日の昼過ぎだ。
出迎えた唐巣先生は眉を潜めたが特に小言もなく、懺悔室に通された。
本来なら顔が見えないように締め切る窓を開け、唐巣先生は麦茶を手渡した。
受け取り一気に煽る。
「それで、どうしたんだい?」
ギロリと睨んでしまったが、当の本人は気にした様子もなく自分の分の麦茶に口をつけていた。
空になったグラスにまた麦茶が注がれる。
「………………先生は母から何か聞いていませんか」
やっとしぼり出した声は思った以上に小さく覇気がなかった。
「いや、最後にあったのは長期任務に入ると言うことで君を託してきたあのときだ。何もしらないよ」
潤したばかりの喉がまた急速に乾いていくのを感じた。
「そぅ、ですか」
かろうじてそれだけが口をついた。
「美智恵君の身に何かあったのか?」
ママの名前だ。
あれだけの実力者だ。
大丈夫という根拠のない自信があった。
「長期任務だからって…明日帰るって電話があって、でも学校で受けた電話は──────ママが死んじゃったって」
息を飲んだのがわかった。
支離滅裂な言葉の羅列に信じられないものがまざっていた。
あまりにも衝撃が強すぎた。
理解するより先に心が嘘だと拒絶した。
「!!?確か任務地は公彦君と同じ南米だったね」
その電話は一体。
「ママの部下だって言ってた。遺体は無いって、爆発に…飲まれちゃったって」
もう隠すこともせず令子はプライドを捨てて泣いた。
美少女と世間一般に言われる容姿は涙と鼻水でぐちゃぐちゃで。
先生がそっと差し出したハンカチを押し当て子供のように泣き叫んだ。
泣いて。
叫んで。
吐き出して。
少しは平静を保ち出した心。
それに引き換え体は、泣きすぎて頭がボーとするし痛い。
私がひとまず落ち着いたのを察した先生は教会を閉めた。
「本日の営業は終了だよ」
そう呟くように話した先生も肩が落ち、悲しんでいた。
先生に言われ、唯一の肉親になった父に電話を掛けた。
もしかしたらなんて少しは期待したが、父の返答は予想通りだった。
今私達を取り巻く状況を伝えても、父親の公彦は仕事で戻れないと言っていた。
葬式はママの会社の南米支部で行われるから、こちらで対応すると。
私は唐巣先生について今まで通りに過ごしなさい、とも。
ふざけんな!そう叫んだのは唐巣先生が先だった。
私の手から受話器を奪うように引ったくると怒鳴っていた。
あのお人好しが服を着て歩いていると言われた唐巣先生が。
言い訳もせず淡々と話す父と汚い言葉を交えながら怒鳴る先生。
怒りは収まらないが、まぁこんなものだろうと妙に悟ってそっと教会から出た。
そして、今は何もかもがうっとうしい。
追い風に流れる自身の髪を一瞥した。
「横島君は、…あと4時間はあるか」
それならと手持ちの端末を検索する。
結構思いきりのよい性格をしていると我ながらに思う。
「私は要らない子供だったのかな」
呟いたその言葉がやたらと痛かった。
私は父の声は知っているがそれだけだった。
家族として過ごした記憶はないし、昔から電話をしても言葉は少なく、子供ながらに迷惑なのか、嫌われていると感じていた。
しかもさっきの会話が今まで話した中では一番長かった。
「もうどーでもいいや」
私は父に期待することをやめた。
しばらく歩いてたどり着いた店は、おしゃれなガラス張りの店頭に、イギリスをモチーフとしていた。
店内は白と金を主としていて、とても品がよかった。
天井は高く開放的でシャンデリアまである。
猫脚の椅子や作業台がまたかわいい。
席に案内されて座ると目の前には、額にはまった楕円形の鏡。
それに映った自分の顔を見て私は自虐的に笑った。
目元が腫れ上がって、隈も出来ているし、充血していた。
おまけに鼻も赤い。
「美少女が台無しね」
少し早いが、用事が済んだ私は横島君の家に向かった。
横島君がまだでも百合子ママがいるはずだ。
チャイムを鳴らして挨拶も事情もそこそこに私は百合子ママに抱き締められた。
「令子ちゃん、お帰りなさい」
「!?」
声を出せず、ただただすがり付くしか出来なかった。
たぶん先生が前もって電話をしていてくれたんだろう。
靴を脱ごうとして、今まで履いていたのが学校指定の上履きだったことに今さら気がついた。
通りで足が痛いわけだ。
ああ、あの電話を受けてから半日以上たったのに───────────私はまだッ。
「令子ちゃん、お風呂いってきなさい」
それからご飯皆で一緒に食べましょうね。
出し尽くしたはずの涙がまた溢れて、渡されたバスタオルに顔を埋めた。
着替えまで用意していた周到さに私は閉口したが、優しく頭を撫でるその手に安心感を覚えた。