影山が雪乃の元へと戻ると、会場では黒柳とデーブが死亡していた。
まさか原作通りに本当に彼がリアクションで死亡するとは思わず、影山は目を丸くするが、彼がした反応はその程度だった。
「雹?! あれって大丈夫なの!?
救急車? いいえ、警察・・・? それとももう手遅れ・・・? 雹、私はどうすれば」
「大丈夫だよ、雪乃。
彼はリアクションのためなら全国放送で何をするにも躊躇わず、美味いパンのために生きているような男だ。そう簡単には死亡しないさ」
審査員二名の死亡に取り乱す恋人の手を握ってやりつつも、救急車などが呼ばれる会場を見ながら、必要ならばいつでもフォローに入れるように空いている手は携帯を握りしめる。
そして、しばらくして叫ばれる勝者の名。
「しかし、一口も食われないで終わった彼のパン。もったいないなぁ」
話を聞いているだけでも層が多いクロワッサンはサクサクとしているだろうし、焼成にまでこだわられたパンは間違いなく絶品だろう。東和馬などという変わり者が居なければ彼の実力は確実にパンタジア屈指であり、こんな噛ませ犬のような役にもならなかった筈だ。
「もったいないなぁ」
もう一度呟く雹に雪乃が無理やり口にタルトを突っ込んだ。
「
恋人の突然の行動に影山が目を丸くすれば、雪乃は顔を逸らして頬を膨らませていた。
「彼が凄いことは認めるけど・・・ その、他の人のパンをあまり褒めないで」
嫉妬である。言うまでもなく嫉妬である。
影山はそんな恋人の行動にたまらないと言わんばかりに頭を抱えるが、雪乃の膨らんだ頬をつつくことから開始した。当然膨らんだ頬はおかしな音立ててしぼみ、雪乃は雹に非難の目を向ける。だが、視線を向けた雹はこれまで以上に甘い笑顔を彼女に向けていた。
「俺が好きなのは雪乃のタルトで、毎日食べたいのも雪乃が作ったものだけだよ」
口先だけで同じ言葉を繰り返す人間はいくらでもいるが、彼の場合は本気で思っているし、仕事などがない限り彼の食事はどこでも雪乃による愛妻弁当である。
「雹・・・!」
「明日のお昼はサンドイッチがいいなぁ」
「腕によりをかけて作るわ!」
笑顔で張り切る雪乃に笑みがたえない影山、彼らの一面しか知らぬ者から見ればとても異様な光景であり、彼らをよく知る者にとってはよくある日常的な光景であった。
(ペターライト、か。
だが、手出しはしないって約束したし、どうしたものかな)
とりあえず持ち物管理は職人の基本だということで、影山は会場管理者へと連絡を取った。
次の日、決勝戦である東和馬VS冠茂との試合が始まり、会場は先日よりも賑わいを見せていた。それはその筈、先日の審査員達のリアクションを記者が記事にしたことにより、多くの観客が会場に詰め寄せていたのだ。
「凄いな・・・」
影山がポツリと呟く声は会場の音に飲み込まれ、原作とは違いシンプルで上品な服に身を包んだ雪乃と共に挨拶回りを行っていた。
そうしてふと会場の片隅へと視線を向ければ、そこには両選手が何かを話していた。
「その表情からは余裕が感じられますね、東君」
「そうか?」
「例の板の恩恵ですかね、その余裕」
「例の板?」
嫌味ともとれる冠の物言いに、東は疑問を投げるが冠は静かに見つめ返した。
「とぼけなくていいですよ、黒柳先輩を天国送りにしたパンを作るのに使ったあの板です」
「あぁ、あれか。
アレはこの決勝では使わん」
「!?」
予想外の言葉に冠のみならず話を立ち聞きしていた影山も驚くが、声に出すようなへましない。
「いや、使えんのじゃ」
何かを察したのか冠は影山へと視線を投げかけるが、影山は静かに首を横に振るのみである。
「それがなぁ・・・」
はぁと溜息を零す東は仕方ないと諦めている様子であり、それは先ほど冠が察した余裕に似ていた。彼は既に例の板がなくとも勝利を掴む手段を用意しており、試合に臨むことが出来るということがその様子から十分うかがえる。
「割っちまったんじゃ」
「は?」
ドジを照れるように頭に手をのせる東に、冠の目は丸くなる。
「あれ、焼いて作ったもんだからなー。結構脆いんじゃよ。
落とすと割れるし、下手な扱いするとすぐ欠けるし」
「は、はぁ・・・?」
「一枚目も同じことして台無しにしちまったから、今回は河内と一緒に持ってたんじゃけど、二人ですってんころりんじゃー」
アッハッハッハと朗らかに笑う彼に影山もすっ転んでしまい、雪乃が何事かと目を向けた。そして、冠から謝罪の視線を投げかけられる。
「ま、まぁ、東君に怪我がないようでよかったですね・・・」
「おー、サンキューな。
でも、本当は会場に一回忘れたのを管理者のおっちゃんが届けてくれたんだよ。せっかく届けてもらったのに申し訳ねーなぁ。
でもまさか、俺が板をキャッチしたのに転んだ河内の肘鉄ですっ飛んでくるなんて思わねーだろ?」
どんな状況なのか、常人には理解が苦しむが彼らにとっては日常なのだろう。
そして、管理者が忘れ物として東に届けたのは影山の指示である。会場において個人の物が紛失したなどというのは、主催者側の信頼問題である。
「話はすんだか?
まったくウチの馬鹿がもっと注意してりゃぁ」
タイミングを見計らって登場した松代と月乃が溜息まじりに訪れた。
「わざわざ管理人さんが届けてくださったのに、本当に申し訳ないです・・・
その方の話を聞いたら、上司から『選手の忘れ物がないかを確認してあげてほしい』と言われたそうなんですが・・・ 親切な方もいるんですね」
「そうですね・・・」
月乃の笑顔は『誰がしてくださったか、察しがついてます』と書かれており、冠は視線を泳がせる。邪魔をしないようには頼んだが、まさか影山がここまでしてくれるとは予想できなかった。
「冠さん、何かご存知じゃありませんか?」
「いいえ全然、パンタジアの社員は仕事熱心なところがいいと思います。
それでは東君、皆さん、またあとで」
むしろ名前を聞きたそうに追究する月乃に対し、冠は適当な言葉で場を流し、その場を後にする。
そして、場所を把握していた影山の元に駆け寄り、頭を下げた。
「影山さん、疑ってすみませんでした」
「いや、かまわない。状況的に私に疑いがかかるのは無理もないだろう。
だが、流石に私も予想外だった・・・」
親切心で届けた物を偶然で割られてしまうなどとは誰も思うわけがなく、仮に試合の流れが変わったとしてもそれはそれでかまわないと影山は思っていた。
この大会で大事なのはパンタジアがメディアに取り上げられ、新人職人たちの意欲をあげることである。その役目は決勝以前にすでになされていた。
(これが原作の矯正力か・・・)
珍しく遠い目をするが、その視線の先に自然と恋人を追いかける辺りバカップルである。
「というか、影山さん。
雪乃さまの傍にいなくていいんですか?」
「居たいんだが・・・ その、さっき私がこけただろう?」
自分が聞いていたことを知っていた前提に話す影山に、こちらの視線に気づいた時点でわかっていたので冠は素直に頷いた。
「だからその・・・ 少し休んでなさいと、言われてな?」
嬉しいような、恥ずかしいような表情をして言葉を言い淀む影山に、冠は珍しい上司の表情を楽しむ。
「あんな話を聞いたら誰でもそうなると思いますけど・・・ 本当に仲がよろしいですね」
「まぁ、な」
影山はそこで咳払いを一つしてから、残念そうにオーブンを見る。
「しかし、ペターライトの板の紛失は惜しいな。
あれがパンタジア全店で使えるようになれば、パンの種類の幅も広がり、味もあがっていただろうに」
「強度だけはどうにもなりませんからね・・・
それこそオーブンから特注にするしかないでしょう」
「そうだな・・・
とりあえず、板の製作者である彼の親族に何枚か発注することは前向きに検討しよう」
「ですね」
外装であるオーブンは板に合わせてしまえばどうとでもなるし、させると言わんばかりに影山は手帳にそれらの考えをまとめていく。
「あぁ、それから君の研究資料等を移動させた部屋の鍵だ」
「・・・本当に爆破するんですか?」
「こういったことは派手な方がいい、私と雪乃がどういった人間なのかを周知徹底させるためにはね」
「当事者は騙せないと思いますけどね・・・」
当事者である月乃を浮かべながら、冠は苦い顔で笑う。
「当事者は全てを知っていること前提に始まっている以上、周囲を騙せればそれでいい。
もっといってしまえば、内部の職人たちは真実を知っていた方が動きは取りやすいだろう?」
「そうですけど・・・
あなたほどの人がそこまで準備して対処しなければならない相手なんですね、サンピエールのオーナーは」
「念には念を、ね。
パンタジアですら全てが味方ではない以上、私達は悪役でなければならない」
影山はニヤリと楽しげに笑いながら、雪乃の元へと向かう。
「どこへ行くんですか・・・ って、聞くまでもありませんか」
「冠君、試合は頑張ってくれたまえ。そして予定通り・・・」
勝っても負けても、彼らの元へ行ってくれ。
影山の言葉は試合を待ち望む観客の声に埋もれ、彼自身もまた人混みの中へと消えていく。
愛する恋人が戦っている、食えない狸共の巣窟へと。