「どうしよう・・・」
影山は雪乃に膝枕をされながら、珍しく弱気な言葉を呟いた。
雪乃はそれに何も答えず、ただ優しい笑顔のまま恋人の頭を撫で続ける。
「あー・・・ 疲れた・・・
普段の演技も疲れたし、マイスター霧崎にも怪しまれてる感じだし、なのにあっちの霧崎は俺達と交渉してくるし、じーさんはじーさんで『ひ孫はまだなのかい?』とか言うし」
恋人の弱音を聞きながら、最後の発言には雪乃はポッと頬を赤らめる。
「俺だってさー、子ども欲しいよ?
けどね、今の状態で俺達が子どもなんて作ってみろ? すぐさま後継者問題への布石だとか思われんだよ? やだよ俺。いや雪乃との子どもは大歓迎だよ? つーか、俺も作りたいよ? ただそういう風に・・・ もっというと、義父みたいに子どもを使うなんてやなんだよぉ・・・」
涙こそ零しはしないが、弱音を言い連ねてグダグダと迷う影山の姿を雪乃はかっこ悪いなどとは思わない。むしろ自分にしか見せない弱った姿の影山の傍に居られることは、雪乃にだけ許された特権であった。
「とりあえず、乗っ取りの件を説明するしかないのか・・・」
「冠君からの電話ね?」
「あー・・・ あぁ・・・ いや、この件自体が本意じゃないし、彼らになんて説明すればいいかもよくわからないんだが・・・ 誰とも知らぬ相手に乗っ取られて、顔も知らない奴に会社を好き勝手されるぐらいなら、なぁ・・・」
雪乃の膝で顔を隠してうなり続ける影山に、雪乃もまた苦い顔をする。
「お父様に話を通されるぐらいなら、ね・・・」
「なんだよなぁー・・・」
時は少し遡る、そうあれは新人たちによる大会が始まる少し前のことだった。
「君たちにいい話を持ってきたのだよ」
サングラスにスーツなどというどこぞの店長と影山を混ぜ合わせたような姿で現れたサンピエールのオーナー・霧崎雄一は、そう雪乃と影山に切り出した。
(あっ、これ絶対良い話じゃねぇな)
影山は瞬時にそう思ったが、門前払いできるほどの相手ではないと理解している。雪乃へと視線を巡らせれば、彼女もまた静かに頷いた。
「これはこれはサンピエールのオーナー殿、何故一支店の店長である雪乃様と人事部長に過ぎない私の元へ?」
「それは謙遜だな。
君達はそのような役でおさまるような人間ではあるまい」
不敵に笑い合う二人の男とそれを見て楽し気に笑む女、確実に悪役である。
「いえいえ、滅相もありません。
ただ一代において、あれほどのまでの成功を収めたあなたほどではありませんわ。
私の尊敬する祖父と同じことを成し遂げたのですから」
「大したことではないさ、君たちのように次代は育て損ねた」
雪乃が賛辞を送れば、霧崎はそれをさらりと受け流し、影山と雪乃の両名をじっと見つめた。
「息子さんとの和解をお望みなら、こちらもできうる限りの協力はさせていただきますわ」
「いいや、あれはいい。
パンを作るしか能のない者よりも、君達のように私と対等に話せる者を望んでいる」
「ならば、私は席を外しても?」
「君達、と言っただろう? 君もだ、影山 雹。
私の元にも届いているよ、パンタジアを裏で牛耳る者がいるとね」
(誰やねん・・・)
勿論、内心での想いなどお首に出さず、影山はただ笑みを零すのみであった。
「あら? 影山、そんな方いたかしら?」
「存じ上げませんね。
そのような者、このパンタジアには一人もおりません」
「・・・まぁいい。
どうだね? コーヒーでも飲まないか?」
霧崎はニヤリと笑い、二人をカフェへと誘う。断れるはずもなく、二人は霧崎と共にカフェへと向かった。
傍から見れば狸の腹の探り合いのそれだが、影山も雪乃もそんなつもりはサラサラない。だが、これが客観的に見た自分達の演技の結果なのだろう。実に分不相応である。
「単刀直入に言おう。
君達はパンタジアが欲しくないかね?」
(『いらん』って言いてぇ。
鑢七花みたいに『いらん』って言いてぇ・・・)
「お言葉の意味を理解しかねます」
「それにこのままいけば私が後継者になることは確実、わざわざ誰かと手を組む必要なんてありませんもの」
影山の心の声は当然聞こえず、ただ霧崎の言葉を問い返す。雪乃もまた演技に素晴らしいキレを見せ、妖しく微笑む姿はまさしく悪女である。
「本当に、そうかね?
君達が望めばそんな悠長な話ではなく、すぐにでも手に入れることが出来る。そう言っているのだよ」
自分達の作られた悪役っぷりなど彼に比べれば可愛いものだとすら思うが、傍から見ればどっちもどっちである。
「私、もったいぶられるのは好きではないの。
もっとわかりやすく言ってくださらない?」
「早急に事を進めるなら早急に。
今すぐにでも、その内容をお聞きしたいものですね」
「何、簡単な商業戦略だよ。企業の乗っ取りと言ってもいい。
君達ならこれだけ言えばわかるだろう?」
(ここで来るか・・・!)
影山は彼と出会った瞬間から薄々内容は理解していたが、まさかここで原作の矯正力が働くとは思っていなかった。
「つまり、株式による乗っ取りをすると?」
「話が早くて助かるよ。
私自身少しずつ進めていたのだが、流石に同じパン会社の敵対企業であるウチがこれ以上そちらの株式を所有すると悪目立ちしてしまうのでね」
「確かに孫娘である私が株式を所有してもおかしなことはありませんものね」
全員が笑みであるにもかかわらず、冷たい空気が流れ続けている。
「それにわかっているのだろう?
尊敬すべき先達ではあるが、君の祖父がもう長くないことを」
その言葉に祖父想いである雪乃は不快そうに顔を歪める。
「何より正式な後継者が決まらぬうちに亡くなってしまえば、余計な混乱が起きるのではないか?
たとえば、君の父上とかね?」
雪乃にとって不快な言葉が続き、雪乃のみならず影山の表情にも崩れが見えた。
霧崎は遠回しに、影山と雪乃が動かないのなら次に声をかけるのは父親だと告げたのだ。
姉妹間においての全ての元凶、身勝手にも後継者の座を降り、企業の根幹であるパン企業を娘に任せてホテルの経営になど逃げた卑怯者。それが梓川貞道であり、何をしでかすかもわからない歩く爆竹のような存在。殺傷能力が低いのは、彼がただ騒ぎを起こすのみゆえだ。
「そのような混乱を避けるには、誰かが素早く後継者の座に座るべきではないだろうか?
それが祖父孝行だと思うがね?」
天使を悪へと堕とすような言葉に、影山は静かに口を開いた。
「そう、ですね」
ここで気圧されてはいけない、主導権を彼に取らせてはいけない。
あくまでこちらが下し、雪乃が選ぶのだと。
協力しなければ話は進まない、目的は達成されないと思わせなければならない。
「ねぇ、影山。
面白い話じゃない?」
影山の心を見透かすような雪乃の言葉に、影山はどんな存在よりも彼女を心強く思った。
「乗るには悪くない。こちらには・・・ いいえ、私には一切妙な疑いも欠けられない。
実に自然だわ」
「そうですね、私達の手に落ちるのが多少早まるだけのことですし。
では霧崎さん、そういうことで」
「協力させていただきますわ」
雪乃がそういってにこやかに霧崎へと手を伸ばし、その手は霧崎と固く結ばれる。交渉はこれで成立である。
「食えないな、君たちは。
だからこそ、その先が楽しみだ」
「あら、食えないなんてとんでもない。
私達が取り扱うのはパンですわよ?」
「食えないものなどいりません。
もっとも私は、パンよりも彼女が作ったタルトが好きですがね」
そういって二人は霧崎へと背を向けて、何気なく笑う。
「これで君はパンタジアの社長だ」
「そしてあなたは、社長補佐ね」
そこで彼らは一度振り返り、霧崎へと同時に言い放つ。
「「では、霧崎さん。
次は私達のパンタジアでお会いしましょう」」
三人の終わらない高笑いに包まれながら、その会談は終わった。
そして、時は戻り、影山は雪乃の膝の上で弱音を吐き続けていた。
「あの時は怖かった・・・ 本当に・・・」
「そうね・・・ もっと悪役について勉強しなきゃね・・・」
「その割にはキレッキレだったぞ? 雪乃」
「強がりだってわかってるくせに・・・ あなただって凄い顔してたわよ?」
互いに互いの演技を誉めながら、影山は雪乃の頬へと触れた。
「乗っ取りは防げなさそうか? 雪乃」
「私達の所有株式を減らせば、霧崎が主導を握ることになるわ・・・
だから、私達はこのまま進むしかないでしょうね」
「そうだな・・・」
このまま進むしかない、それ以外の道はない。
たとえ荒唐無稽で、誰かに道化のように映っても、そうしなければ守れない。
「はぁ・・・ よし! 弱音終わり!!」
影山はそういって膝から顔をあげ、自分の頬を軽くたたく。
「俺は三人と話をして、モナコカップを見守り続ける」
「私は霧崎の傍で彼の動向を見張るわね」
「この騒動が終わるまで結婚式はお預けか・・・ ごめんな? 雪乃」
影山の謝罪はそれだけではなく、持っている知識で彼女の祖父にひ孫どころか孫のウェディングドレスを見せることが叶わないかもしれないからだ。だが、それを彼が口にすることはない。
原作では総退陣以後登場せず、『行方知れず』という扱いということはつまり・・・
「ねぇ、雹。
結婚式はまだ出来なくても、一度だけ写真館でウェディングドレスの写真を撮れないかしら?」
「え?」
「この騒動が終わるまでにおじい様にもしものことがあるかもしれないから・・・ 駄目?」
影山は彼女の思わぬ言葉に驚くことしか出来ず、恋人が自分の心を見透かすことが出来てしまうのではないかとすら思ってしまった。
だが、それでもいいと彼は心のどこかで思う。
「あぁ、かまわないとも。
月乃ちゃんと水乃ちゃんも誘って、孫娘三人とおじい様とで写真を撮ろう」
「あなたもよ?」
「わかってるよ、雪乃」
影山は出そうになる涙を必死に耐え、優しい笑みのまま恋人の額に口づけを落とす。
「じゃぁ、行ってくる」
「いってらっしゃい、雹」
その会話はまだ青く、だがその関係は幸せな夫婦のそれと同じだった。