あの大きい八咫鴉は今度はいつこの木の梢へもう一度姿を露わすであろう?
ああ、未来の天才はまだそれらの実の中に何人とも知らず眠っているーーー。
芥川龍之介『桃太郎』
そこには鮮やかに地獄が再現されていた。
燃え盛る集落には何百という鬼の一族が押し寄せて村人達を刺し、千切り、蹂躙していった。
「やめろっ。こっちへ来るな」「化け物が」「ひえっ、ああ」
村人達は狼狽しきり、各々武器をこさえているが男どもは鎌や鍬、鋤といった農具と若い衆はただの木の棒。それと子供を背中におぶった母親達はおたまや包丁を鬼に向け威嚇している。
鬼は軟弱な人間に怯むことなく村を破壊していった。
「これはお前達の怠惰のせいだ。 我々は力を有する。 力無き者は軍門に降り、己の非力さをただ呪うしかないのだ」
オニはまた一つの藁で覆われた家を焼き払った。絶望の焔の前に涙すら枯れ果てた住民は為す術がなかった。
「十人、ただ供物として捧げれば良いだけの話。 人間は考えることのできる生き物なのだろう」
疑問を投げかけるのは数多のオニを率いている大将、その身なりは轟々しく、頭にはツノだけ出した鉄の兜、体には麻の布と厚い毛で覆われた服を着ていた。その姿はひどく人間と酷似していたが、頭のツノが人類ではないことを物語っている。
「こうしている間にも無駄な命が失われていくのだ。 さあ、考えろ人間」「我々も貴重な資源を無闇に捨てたくはない」
この殺人は鬼の威厳を見せるためだけのものであった。今一度、誰が上に立ち、誰が下にいるのかを確認させるためだけのもの。
誰かの怒号や誰かの慟哭の間をぬるりと縫って、村の長老がオニの大将に持ちかけた。
「なあ、オニさんや。 もちろん儂らも不可侵の掟を忘れたわけではない。 丁度捧げるはずだった女子や若人が体調を崩してのお」
長老はへり下りつつも心だけは屈せぬ姿勢で言葉を続けた。
「人も健康で新鮮な方がいいだろう。 だからせめてあと三日待ってほしい。 ある女子の兄が今、下痢に効く薬草を摘みに行っている」「糞尿まみれの餌も嫌だろうよ、それまでしばし待たれよ」
長老は禿げ上がった広いおでこと皺々の手をゆっくりと血と汗が混じった土に付けた。その頃には村人達も武器を下ろし、それぞれの感情を押し殺していた。
「勝手に育つ家畜は有難いが、知恵がつくとどうも手に余る」
オニの大将は腰に手をつき首を横に振った。「三日後に用意できなかったら、わかるな」
長老は尊厳や矜持を捨て、か細い声で返事をした。
「村の女を無理に孕ませ、できた子供を焼いた後に骨を砕いて血を啜り、臓物や肉を余すことなく食べることになる」
その言葉のおぞましさに村の女達はわなわなと震え、全身が粟立つのを覚えた。その言葉を置き土産とし、オニ達は業火の地を後に踵を返した。そこに残ったのは焼け焦げた愛する人の亡き骸や、無残にも頭と胴が離別した我が子をくっつけようとする母親の姿。涙では消えない復讐の炎を胸に宿す青年がいた。それぞれの醜さや寂しさ、悔しさが顕著にそこに現れた。
誰もがこの世に救いがないと思った。誰もが死を願ってしまっていた。
桃太郎は、戦いに意味を見出せずにいた。例えば、誰かを守るため、自分の力を誇示するため、金のため、または湧き上がる衝動のためとは違い。無意味にオニの腕を切り落とし、目を抉り、はらわたをひっくり返していた。
疑問だけが桃太郎に剣を持たせていた。自分はどこから来たのか、自分は何者なのか、そして自分はどこへ行くのか。それだけが戦いの炎へと薪をくべていた。間も無く鬼達との血遊びも終わりを迎えようとしていた。
あの雪原で出会った『犬』。あの廃墟で手合わせした『猿』。鬼化した烏との戦いの最中現れた『雉』。
一人の無意味さを知り、命の有限さを知り、師から離れたあの日から疑問のために旅をし、仲間を集めていった。
「桃太郎、鬼ヶ島の北東、近くの小さな村落が鬼に襲われたらしい」
オニを匿っている人間の女を殺してほしいという依頼が桃太郎のところに舞い込み、そのために滞在することになったこの村では仕事を済ませた後も村人からは英勇扱いされ、村一等の宿屋に8連泊し疲れを取っていた。ある朝、朝食を取っていた時の猿の一言だった。
「酒場のオヤジの姪がその村にいるらしくって、様子を見に行こうにも怖くて行けねえんだと、呆れた」
猿が人間の弱さに天を仰ぐと雉が言葉を挟んだ。
「普通の人間が鬼達に挑んでもそれはただの蛮勇にすぎません。 賢いと私は思います」
犬は円卓の上で食事を貪っていた。会話に適当な相槌は打つものの関心は目の前の肉や魚に関心がいっていた。
「俺たちは鬼を屠るだけだ。 この世界には色々な種族が共存しあっているが、鬼がその理を乱すならそれを間引くだけ」
そう冷徹に言い放す桃太郎の目には一瞬、人ならざるものを皆感じた。
「じゃあ飯を食い終わったら俺が村長に船を貸してもらえないか話してくる」
桃太郎は人が変わった様に朗らかに次の行動を指示する。「みんなも食料や武器、何か必要なものを揃えておいてくれ」「二時間後、村の船着場で落ち合おう」今いる場所からその村までは船で海を渡り、正味16時間程度で着くものだった。
「おう」「わかりました」「ん」と返事をし、宿舎を後に散り散りになった。
閑散とした桟橋にはしっかりとした作りの木造船が着いていた。
「おーう皆、村長から借りようと思ったらくれたぞ、船」
桃太郎は嬉々とした表情で仲間を出迎え、船の帆を張り出発の準備をしていた。犬、猿、雉はそれぞれ食料や寒さを凌ぐための布や武器、その他の道具を携え集まった。おおよそ旅の終盤であることは皆勘付いてはいただろう。乗組む足取りは重く、だが未来を見据える眼差しは強く輝いていた。あらゆる命を絶ってきたその太い腕で船を繋留してあった綱を解いた。
「行こう」
桃太郎は虚空にそう呟いた。
FOREVER CHALLENGE