逃げるにも逃げる事ができない兵士 作:ならは
「感染病…?」
「はい」
アリアの父が目を丸くして聞き、ジバは鉄仮面を外して、跪きながら無機質に答える。
今の時間はティータイム。貴族は腐っても貴族。拷問などという悪趣味をもっているアリア家でさえも、午後のティータイムというのは存在していた。父は新聞を読みながら、母はある日誌に筆を走らせながら、娘のアリアはクッキーを一口でパクリと頬張りながら、紅茶を嗜んでいる。
光景的に見れば上品さが伺えるが、会話の内容はそれとは真反対のものである。
「私が倉庫の見張りを行なっていたのですが、アリア様所有の少女とご婦人の少年が倒れており確認したところ、イバヤ病特有の黒い痣が浮かび上がっていました」
「まぁ、イバヤ病だなんて…」
「我らにまで感染るのではないか?」
ジバの話は、イバヤ病という病の存在は真実であるが、それ以外は全くの出鱈目だ。しかし、腐敗を嫌っているジバを皮肉にもアリア家の人間は信頼していた。その理由はジバは帝都でも名は知れ渡っているからである。
帝都警備隊でも、隊長である”鬼のオーガ”と競り合うほどの実力を持っているのだ。
それ程の力をもっている兵士の言葉にはそれなりの信憑性があるとアリア達家族は理解している。
「イバヤ病を感染したものは、僅か数日で死に至らしめます。治癒法もありますが、それはある危険種の血を飲む方法という規格外のもの」
「という事は実質不可能だと?」
「そういうことになります」
「…ふむ」
新聞紙を畳み、アリアの父は小さく顎をさする。
「もちろん処分はしただろうな?」
「はい」
アリアの父は大きく溜息をつき、紅茶を飲んだ。
「全く家畜風情が…上級貴族の我らまでをも迷惑をかけておって…」
「ッチ…あのクソ女、もう少し痛ぶって殺そうと思ったのに」
平民をまさに下等生物の何かと認識した言葉。同じ人間であるのに、生まれや生活環境でこうまで変わっていくのかと、ジバは目が痛いほどの極彩色を飾られた絨毯を見つめながら思っていた。
「はぁー…また新しい玩具を調達しなくちゃいけないじゃない。ジバ、馬車を出して」
「…わかりました」
クッキーを食べ終わったアリアは立ち上がって、跪いているジバへと声をかけた。
———
アリアのオモチャ探し。
遠い村からやってきた民を宿泊させてあげるという名目を立て、監禁を行う。
他の兵士から見ればそれは狂気の沙汰であった。もはや盗賊ともいえる所業に、何故ジバを含む兵士達が反抗する事が出来ないかというと、アリア家の父は帝都の実質権力を握っているオネスト大臣との癒着関係であり
、逆らうものならば死刑という事もあり得るからである。
「どこにいるのかなぁ?」
アリアは馬車の中から、顔を覗かせる。側から見れば無邪気な少女の仕草の様で可愛らしいが、馬車の中でまた待機しているジバ達からすれば恐怖の何ものでもなかった。
「あっ〜!あれあれ!あの人に決定!!」
アリアが辺りを見渡していると、酒場のウエスタンドアの前で佇んでいる茶髪の少年を目にし、その方向へと指で差し馬車を動かす兵士に声をかけた。
「そこの人、困っている事があるの?」
馬車を少年の方へと近づけ、アリアは馬車から降りて彼へと歩み寄る。
ジバもそれに沿って降りて少年を目にした。
大きなリュックを背負い、それに重なる様に一振りの剣があった。恐らく帝都へと出稼ぎに来たのだろう。あの剣は帝都の警備兵になるためのもの。
「え…えっとその…金がなくなって…」
「それは大変ね。何か行く宛でもあるの?」
アリア達の会話を見て、白々しいとジバは思った。それを見かねて話しかけたのであろうと、惚けているアリアの態度に対して毒を吐いた。
「それじゃあ私の家に泊まらせてあげようか?」
いつまでこの狂った所業が終わるのか。純粋な瞳でアリアを見つめていた少年の姿を見ながら、鉄仮面の中で目を細めた。
———
少年…タツミと共に、家へと帰るついでに買い物へと寄り道した。アリアは数人の兵士を引き連れ店へと入っており、タツミはジバと同じく馬車で待っている。
今ならばアリアの正体をタツミに教えたいと思ったジバであったが、タツミだけでなく、アリア家直属の街女も馬車にいる。タツミに教えるのを彼女らに告げ口されれば、拷問による凄惨な死は免れないだろう。そして、自分の親縁らにも罪が被さる事となる。
もし、拷問初日に投薬などされなければ…とジバは願う。
実は彼はイエヤスとサヨだけでなく、今まで拉致られた人々を逃した事があるのである。その時も、感染や拷問による死という事をアリア家に偽っていた。
今回も例外ではなく、タツミという少年を逃がしたいと思っていた。
しかし、投薬をされた人間は自我崩壊をしているため逃げるという行為すら不可能な為、どうにもする事ができないのである。過去にそれは何十回も経験した。
「…もしかしてアンタ、帝都警備兵の人か?」
「…!?…ああ」
隣に座っていたタツミがジバへと見つめながら喋りかけて来た。その時に深く思考に陥っていたジバは体をビクリと震わせて小さく頷く。
ジバの肯定に、タツミは目を輝かせた。
「いや、アンタの鉄仮面はよくわからないけど、その格好は警備兵のものだろう?」
「そ、そうだ」
「か弱い少女の護衛のために派遣されたんだろう?やっぱ帝都の治安を守っているんだなぁ」
「…」
腕を組みながら勝手に自己納得へと至るタツミ。少しヤンチャな雰囲気は漂うが、悪い人間ではない事は確かである。瞳には希望に溢れているかのように真っ直ぐジバを捉えていた。
だからこそ、ジバはこの少年に何を言えばいいのかわからなかった。