電子の海でふたりきり   作:梶五日

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3.午後十一時のまた明日

 

 やあ、また会ったね。

 うん、ただいま。

 無事だよ。この通り。

 提督業はどうだい。

 案外大したものでもないだろう。

 もうふたつきくらいになるのかな。……三ヶ月?

 そっか。どうも日付の感覚が鈍るね。

 今日はね、お土産ふたつ。

 ちゃんと届いたかな。そう、ならよかった。

 

 最近はさ、少しずつ、日が暮れるのが遅くなってるみたいだ。

 いつも同じ天気と気温だから、どうにも実感がないけれど。

 きっと少しずつ、夏に近づいているんだろうね。

 雨も雪も降らないけれど。

 ねえ、提督。

 ……僕はさ、秘書艦の役割をちゃんと果たせているのかな。

 だって、きみにお茶すら出せてないよ。

 秘書艦ってそういうものじゃない?

 まあ、きみがそう言うんなら。

 うん。

 提督を支えるのが、秘書艦の役目、か。

 そうだね。そうか。

 確かに、きみに必要なのはお茶じゃないのかもしれない。

 たくさんのお土産かな。

 ――昼間の話し相手には、事欠かないと思うんだけど。

 どうかな?

 

 

 いただきます。

 今日のカレーは……肉じゃが風なんだね。

 うん、好きだよ。ありがとう。

 結構いろんな食材があるよね。

 特にチェックしてないけど、賞味期限とか大丈夫なのかな……

 書いてないか。うーん。

 まあ、食べ物がなくならないのはいいことだね。

 僕もたまには、作ってみようかな。

 ちょっとは料理、できるようになったんだよ。

 ……ねえ、提督。

 僕は、まだ……ううん。

 ここにいるよ。

 僕は、ここにいる。

 困ったら、辛かったら、いつでもそう伝えていいんだ。

 マイペースでいいんだよ。

 

 おやすみ、提督。

 今日もお疲れさま。

 うん、また明日。

 

 

 

 

 

 また明日。

 時雨さんを見送って、私はひとり椅子に腰かけます。

 一人きりの執務室は、いつも通りの夜の静けさです。

 誰も起きていない。

 時雨さんが眠ってしまえば、間違いなくそうなります。

 私は提督でした。

 すくなくとも、時雨さんの前ではそうあるべきでした。

 ひとつ伸びをして、目を閉じれば、波の音だけが聞こえます。

 時雨さんの言葉を信じるのなら、夜はすこしずつ短くなっているのでした。

 

 時雨さんから提督の役割を預かって、何度目の今日が過ぎたでしょうか。

 いつからか、そんなことを考えるようになりました。

 きっかけはなんだったのか。その答えは持ち合わせています。

 私は、引き出しの奥にしまい込んだ、一枚の紙を指でなぞります。

 出撃票。

 日付と時刻、編成だけが書かれた紙のことです。

 ある日、一枚の古びた出撃票を見つけました。

 旗艦、時雨。

 僚艦として、私の名前がありました。

 過去の日付が記されたその紙は、どこにでもあるような、一枚の記録にすぎません。

 だけれどそれは、時雨さんの字でした。

 古びた紙。

 それがあること自体は、不自然ではありません。

 過去には時雨さんが艦隊を率いていたわけですし、私が提督になってからしばらくのあいだ、時雨さんはいつもの癖で、名前を書こうとしていましたから。

 ほんとうは、同じようなものがたくさんあったはずでした。

 ですが、それからどこを探しても、それ以外の紙をふたたび見つけることはできませんでした。

 時雨さんに尋ねればよかったでしょうか。

 なぜですか、と。

 どうして時雨さんは、この紙だけは処分できなかったんですか、と。

 

 時雨さんの眠った鎮守府は静かでした。

 時雨ちゃんはみんな眠っていました。

 私たちも眠っているようでした。

 またひとつ短くなった夜に、ただ私だけが起きています。

 

 私は尋ねませんでした。

 おそれたのです。

 それによって明らかになるなにごとかを。

 私たちの生活を、決定的に壊してしまうものごとのことを。

 そうしてなによりも、壊れてからの私たちのことを、私は恐れたのでした。

 今日も一日を過ごしました。

 朝目覚めて、時雨さんを送り出し、一通りの掃除を進めて。

 時雨ちゃんを出迎えて、晩御飯の支度をし、そうして夜になり。

 眠ってしまった時雨ちゃんを、いつもの部屋まで連れてゆき。

 おかえりなさい、また明日、と、時雨さんに挨拶をする。

 何一つ変わらない、それは日常でした。

 昨日もおとといも、一週間前も。

 私たちは同じことを繰り返してきました。

 同じ日々。

 同じ毎日。

 一杯のコーヒー。ひと切れの食パン。

 毎日作られるカレー。

 買い出しにさえ行っていない食材たちが、なぜ尽きないのか。

 その答えさえ導こうとしないまま。

 毎日のように、新しい子がやってきます。

 同じ顔で、同じ声で。

 癖も好みもほくろの場所も、みんな同じ女の子。

 そうやって、じわりじわりと蝕まれていくようでした。

 ――私は、考えないようにしていたのです。

 この鎮守府が、どこからきて、どこへゆくのか。

 どこへも行くことのできない私たちは、どこへ行こうとしているのか。

 そんなことを憂うくらいなら、一分でも一秒でも、この鎮守府であの子と一緒に生きていたい。

 ずっと、そんなことを願っています。

 私はたぶん、提督としては贅沢すぎるのかもしれません。

 あの子が無事に帰ってきてくれるだけで、それだけでいいはずなんですけどね。

 

 

 手元の紙に百、と書いて、今日のお仕事を終わりにしましょう。

 ゆっくりと椅子から立ち上がれば、ぎい、と軋む音が響いて、長い廊下の先に続く夜へと遠ざかってゆきました。

 おやすみなさい、と呟いて、答える声もないと知りながら、今日は明日へ変わってゆきます。 

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