月明かりが照らす夜の海。肌寒い風が吹いている砂浜では駆け抜ける足音と尻餅をつく音が何度も聞こえていた。今この場所にいるのは僕と千歌ちゃんだけ。夕方に姉さんと別れた後、曜ちゃんと梨子ちゃんも地区予選の練習で姉さんに続く形で砂浜を離れていったので、この時間からは3人に代わって僕が千歌ちゃんの練習を見守ることになった。現在の状況としては少しずつ形になってきているのだが、やはり急遽決められた時間制限があるせいか焦っているようにも見えて完成にはまだ遠いといった感じだろうか。僕の今の心境としては正直このままだと間に合わないから諦めようと千歌ちゃんには言いたいが、当の本人は全く諦める素振りを見せようとせずにただひたすらと完成するまで何度も挑戦しているので、その姿を見ていると大事に至らない限りこのまま成功するまで見届けるべきじゃないかと葛藤していた。どちらの判断が正しいのか考えていると、手に持っていた携帯からアラーム音が鳴り始める。それを聞いた僕は練習をしている千歌ちゃんに声をかける。
「千歌ちゃーん。始めてから1時間経ったから10分休憩だよー」
「分かったー!」
僕の声を聞いた千歌ちゃんは練習をしていた場所で大の字に寝転がっていた。このアラーム音はスケジュールの切り替えを表す合図みたいなもの。実は夜からの練習再開に当たって僕は千歌ちゃんに約束の時間までの練習スケジュールを相談していた。
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「1時間の練習ごとに10分の休憩?」
「うん。さっきみたいにふらつくと危ないから合間に休憩を挟もうと思って。長時間の運動は心配だからね」
「大丈夫だよ全然!それに休んでいたら時間がもったいないよ!果南ちゃんの約束の時間まであと少ししかないのに」
「焦って怪我でもしたら元も子もないよ。だから短時間でも休まなきゃ」
「でも…」
「休まないで練習するならもう止めるよ。夕方の勢いのまま続けると危険だから」
「…もう、分かったよぅ」
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こうして千歌ちゃんはスケジュールを基に休憩をはさみながら練習を続けている。最初の頃は休憩の時間になってもまだ続けると言って止めるのに苦労はしたが、何度も繰り返していくうちに千歌ちゃんも自分の体調管理に気を使うようになったのか、それぞれの時間に対してメリハリをつけるような行動が出来るようになった。これなら余程な無茶をしない限り体力面は大丈夫だろうと思いつつ、僕は千歌ちゃんに休憩用のドリンクを渡す。中身は千歌ちゃんの好きなみかんジュースで、それを見ると寝転がっていた身体を急に起こしてすぐさま受け取った。そして好物を美味しそうに飲んでる千歌ちゃんに今の状況をどう感じているのか聞くべく僕は近くで腰を下ろした。
「はい。すぐそこのコンビニで買ってきたものだけど」
「おぉ、ありがとう!」
「それで調子はどう?姉さんの言ってた期限までに間に合う?」
「間に合う間に合わないじゃないよ!絶対に成功させるんだよ!」
「…そっか。僕も少しながら応援してるよ」
千歌ちゃんの熱意に圧倒されつつも僕は些細なエールだけ送った。そうしているうちに休憩時間が終わったので千歌ちゃんはまた練習を再開して、静かだった砂浜に先程と同じ音がまた聞こえ出した。何度も走っては転び、それでも立ち上がってはまた走り出す。どれだけ失敗をしてもまた挑戦して乗り越えようとする千歌ちゃんの諦めない姿はとても輝いて見えた。それに比べて僕ときたら、過去に体験した恐怖を未だに克服ができていなくてそれを乗り越えようとしなかった結果、さらに悪化してずっと立ち竦んだまま打ちひしがれている。
「(本当にこのままでいいのかな…)」
以前までなら無理に乗り越えなくてもいい。危険な道ならその不安がなくなるまで待つべきだと思っていた考えが今になって揺らぐ。それはきっと目の前で自分とは違う形で危険な道を乗り越えようとしている人がいるからであり、その人の行動の方が正しい、または自分が今足りてないものをその人は持っているから乗り越えられるんじゃないかという微かな期待があるからこそ自分自身に疑念が生じているだのろう。
するとまたアラーム音が鳴りだしたので休憩することを伝えるべく練習をしている千歌ちゃんの元へ歩きながら声をかける。
「休憩の時間だよ。身体の方は大丈夫?休みながらとはいえ夕方からかなり時間は経っているけど」
「全然平気だよ。ほら、こんな風に」
そう言って千歌ちゃんは転んだ状態で起き上がろうとしていると、立ち上がった途端に膝から崩れ落ちてしまった。それを見た僕は急いで千歌ちゃんの元へ駆け寄る。
「はぁ…っ、はぁ…。あれ…?おかしいな…」
「平気じゃないじゃん!大丈夫!?」
「あはは…、大丈夫だよ。ちょっと休憩すれば元通りになるから」
「元通りになんてならないよ!今回は身体に問題はなさそうだけど、次また練習を再開してもし怪我でもしたらどうするの!?ラブライブに出られないかも知れないんだよ!?」
気づかない間に感情的になっていた僕は千歌ちゃんを叱責する。それを聞いていた千歌ちゃんは少し驚きながらも怒られていることに気づいて謝ってきた。
「…ごめん」
「いや、こっちこそ急に声をあげて悪かったよ。とりあえずもうこれ以上は続けない方が…」
「それは駄目!」
すると今度は千歌ちゃんが声をあげながら両手を伸ばして僕の両腕を掴んできた。
「お願い!最後まで続けさせて!このままじゃ終われないよ!」
「だけどもう限界じゃないか。今の千歌ちゃんにこのダンスの負担は大きすぎるんだよ。だから怪我をする前にもう諦め…」
「嫌だよ!まだ何も出来ていないのに!応援してくれてる皆に何も返せていないのに!だから私は…まだ諦めたくないよ…」
僕の腕を掴んでいる手に更に力が加わる。そして最後の言葉を言い終わった後にはすすり泣く声が聞こえてきた。僕はそんな千歌ちゃんの姿を見て「諦めよう」という言葉を再度口に出すことが出来なかった。すぐにでも言わなきゃいけない筈が何故か寸前で遮ってしまう。それどころか口に出してしまいそうなのは「頑張れ」、「もう一度やってみよう」、「まだ時間はある」の励ましの言葉ばかりだ。もうこれ以上は危険だと分かっているのに。どうしてなのか戸惑いつつも僕はその場から動かずに千歌ちゃんが泣き止むまで待っていた。それから時間が経って少しずつ落ち着いてきた千歌ちゃんを見て僕は口を開く。
「…千歌ちゃんは凄いよね。どんなに失敗しても諦めないで何度も挑戦し続けているから」
「別に凄くなんかないよ。絶対に完成させたいから私は頑張ってるだけで」
「でも今挑戦しているのは姉さん達が完成出来なかったものだよ。鞠莉さんが怪我したことを聞いていざ自分が始めようとしたとき怖くなかったの?」
「私は…正直ちょっと怖かった。果南ちゃん達が出来なかった事を今の私に出来るのかなって。そう思ってた最初の頃は失敗した時のことを想像して手が震えてた。でも後悔はしてないよ。もしあの時やるって言わなかったらきっと私達だけの輝きは見つけられなかったし、そっちのほうが後で後悔してた筈だから。それに学校の皆や町の人たちのことを考えたらやらないなんて選択肢は初めから無かった。今まで助けてもらった分、今度は私が恩返しする番。果南ちゃんの言ってた通り難しくて大変だけど、それでも私は絶対に諦めないよ。時間のギリギリまで精一杯足掻いて絶対に出来るようになるから!」
千歌ちゃんの言葉を聞いて僕は何故励ましの言葉を贈ろうとしていたのか分かった気がする。それはきっと千歌ちゃんの成功を信じられるようになったから。どんなに失敗を重ねても諦めずに挑戦する姿を見て僕の想像する未来が変わったからだと思う。以前まで想像していたラブライブに出られなくなる姿はもう見えない。見えるのは成功させてAqoursがラブライブ地区予選を突破する姿だ。
そんな心境の変化に気付いた僕は自分の手を見つめる。それは過去の恐怖で震え続ける手。夕方までの僕だったら克服しようとせずに初めから諦めていたが、千歌ちゃんの練習を見ていたことで僕の中では少しずつ挑戦心が芽生え始めていた。だけどまだ恐怖心が大きいために始める一歩を踏み出す勇気が出ない。どうしたら前に進められるのか。そう考えていると後ろから千歌ちゃんを呼ぶ声が聞こえた。その方向へ振り向くと別の場所で練習していた7人の姿があった。
「恩返しがしたいのは千歌ちゃんだけじゃないよ」
「私たちも同じ気持ちで頑張っているんだからさ」
「頑張れ!千歌ちゃん!」
「千歌ちゃんなら絶対に出来るずら!」
「頑張るのよ!リトルデーモン!ヨハネの加護がある限り、必ず成功するわ!」
「私は信じています!千歌さんがやり遂げることを!」
「Fightよ!千歌っち!私たちで目の前の壁を乗り越えましょ!」
そして最後にもう1人、
「千歌。そろそろ時間だよ!準備はいい?」
千歌ちゃんの視線の先には姉さんが待っていた。よく見ると姉さんたちも体の所々に怪我跡や絆創膏が張られている箇所が見える。きっと皆も千歌ちゃんと同様に諦めず挑戦し続けていたのだろう。千歌ちゃんが出来ることを信じて自分たちの輝きを形にするために。だからなのか、僕には9人の姿がとても眩しく、同じ場所にいるはずなのにとても遠い存在のように感じた。その理由は簡単。ずっと動かなかった僕とは違ってAqoursの皆は常に前に進み続けていたのだから。そんな僕を更に追いていくかのようにAqoursのリーダー千歌ちゃんは姉さんに見せつける。自らが足掻いて練習してきた成果を。7人の声援を送られて宙を舞う姿はまさしく皆で探していたAqoursらしさそのものだった。
「ありがとう、千歌」
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