「遠坂、身体は本当に大丈夫か?どこか違和感があったり……」
俺と遠坂だけになり、静かになった医務室。
枕(強化解除済み)に身体を預け再び思索に沈んだ遠坂は、天井を見上げて苦笑する。
「心配ありがと。まだ魔術回路が麻痺してるような感覚は残ってるけど、大分ましになってきてる。この感じだと、明日にでも全快すると思うわ」
それを聞いて安堵する。
なにせ遠坂は、第二魔法の暴走でダメージを負ってしまった可能性が高いのだ。この世の究極とも言うべき神秘に晒されてこの程度で済んでいるのは、奇跡なのか彼女の才能故なのか。
「よかった。でも俺たちの世界に戻るためには、もう一度宝石剣を使わなきゃいけないんだろ?……俺にもアレが扱えたらいいのに」
再び遠坂が宝石剣を振るえば元の世界に帰還出来る。さっきまでは簡単に考えていたが、そのためにはまた遠坂を危険な目に遭わせないといけないのだ。そこに俺が手伝えるような要素はない。
「相変わらずね。リスク全部を自分が引き受ければいいってものじゃないでしょう」
遠坂は怒るというより困った子を見る目で言った。
ジトっとした視線に少し居心地が悪くなる。
「まあいいわ。それに明日すぐに宝石剣を使うわけじゃないから」
「?」
「借りっぱなしって嫌いなのよ、私」
遠坂の言う“借り”とは、金剛たちに海中から助け出されたことだと分かった。命を救われた以上、何も返さずにさっさと帰るなんてことは、彼女の性格上許せることではないだろう。
そこは俺も同感だった。
(いや、そもそも借りなんて無くても俺は……)
深海棲艦が遊弋するこの世界を、できることならなんとかしたい。先ほど話を聞いた時から、そんな考えが脳裏にこびりついている。
だが理性がその考えを押し止める。世界中の海にいるという深海棲艦を、俺一人でどうにかできるわけもない。いくら俺でも、それは分かる。それに今俺たちが優先すべきは桜だ。そのために宝石剣にまで手を出したのだから。
さっきから、自分の無力さを痛感するばかりだ。
ふと気がつくと、遠坂が静かにこちらを見つめていた。
遠坂の碧眼は、彼女に四分の一流れている異国の血によるものらしい。澄み切った湖面のような瞳は、まるで俺の考えていることなど見通しているかのようだった。
「……」
しかし結局遠坂は何も突っ込んでこなかった。
それはなんだか、厄介事に首を突っ込みがちな弟の成長を優しく見守る姉、のような感じがして、思わず溜息が出そうになる。
(早く遠坂に見合う男にならないと)
そうは思うのだが、道は果てしなく遠そうだった。
その後は、叢雲たちから得られた情報について話し合うことになった。
「彼女たちの話、どう思う?」
俺は先ほどまでの会話を思い返しながら考える。
なんというか、とんでもない情報密度を伴った会話だったな、というのが率直な感想だった。
お互いに相手のことが未知であり、どの程度信用すれば良いのか判断に困る。
それでも――――
「気になることはあった。でも、あの子らに悪意があるようには感じなかった」
「基本的に信じていいんじゃないかってことね。私もそう思うわ。嘘をつくためだけに私たちを助ける理由はないだろうし」
遠坂はそう言ったあと、窓の外に広がる海を眺めた。
「でもにわかには信じられないわね。海があんな化け物に埋め尽くされたなんて」
「ああ。そもそも深海棲艦って何なんだろうな。俺らの世界に当てはめるなら、魔獣になるのか?」
「ん……。いえ、名前に艦って付いている以上は艦艇なんじゃない?私たちを襲ったやつも、砲口らしき部分があったし」
思わず腕を組んで唸ってしまう。
「それって、さっきあの子らが説明してた『艦娘』と同じように、深海棲艦の正体もかつての軍艦とかの魂だってことか?」
もしそうだとするなら、それは重要な意味を持つことになる。
「だったら、深海棲艦は人工物だってことになる……」
深海棲艦が艦娘と同じように、人間の手によって創られたとするならば、この世界の今の状況は人間によって引き起こされた人災であると言えるのではないか。
「そうとは限らないんじゃない?元々深海棲艦が自然発生的なもので、艦娘はそれを参考に造られたって可能性もある。この点については情報不足で判断のしようがないわ。それよりも私としては、深海棲艦の異常増殖の方が気になるんだけど……」
「“グレイ・グー”ってやつのことか?」
「半日足らずで海を覆い尽くしたってのが信じられないの。そんな短期間で増殖するなんて、どう考えても魔力が足りないわ」
「魔力?」
それは、俺にとって意外な視点だった。
「足りないって、世界中の海の魔力を集めても?」
「少なくともたった半日では絶対に不可能よ。この惑星の魔力を絞り尽くしたのなら話は別だけど」
その辺の感覚は俺には分からないが、遠坂が断言するならそうなのだろう。
しかしそうなると。
「じゃあ叢雲たちの説明は嘘で、深海棲艦の異常増殖は無かったってことか?」
「そうは言ってない。言ってないけど……」
遠坂にも詳細は分からないらしい。
遠坂にも分からないことが俺に分かるはずもないのでこれも保留になる。
「じゃあ、取りあえずグレイ・グーが実際に起こったとして。すぐに消滅したのはどんな理由があるんだろうな」
「ああ、そっちは考えるだけ無駄よ。どうせ二択までしか絞り込めないんだし」
何気ない疑問だったが、遠坂からはあっさりとした応えが帰ってきた。
思わず聞き返す。
「二択って、分かるのか?遠坂は」
「ええ。仮にグレイ・グーが事実だとしたらだけど」
そういって指を一つ伸ばす遠坂。
「まず順当に考えて、魔力切れ。深海棲艦がどうやって海を覆い尽くすほどの魔力を得ていたかは分からないけど、その手段が成り立たなくなって自滅した」
「なるほど」
妥当な線だと思った。つまりその説だと現在の深海棲艦は、本来海に存在している魔力で賄える規模に戻っているということか。
遠坂がもう一本指を伸ばす。
「もう一つは外因。都合良く自滅してくれたんじゃなくて、抑止力の発現によって収束した」
「――――」
確かにそれは考えるだけ無駄かもしれない、と思った。
抑止力の発現は認識することが出来ないといわれている。全てが終わったあとに、状況から『発現したのかもしれない』と推測することしか出来ない。だから、仮に抑止力の発現があったとしても、それを確かめる術は無いのだ。
ともあれ、もし抑止力が発現したとするなら、グレイ・グーは人類滅亡クラスの危機だったことになる。
また、その後も深海棲艦が残っているのは、人類全体を脅かすほどの脅威ではないと判断されたからだろう。
「私が魔術師として気になったのはこのくらいね。勿論あの子たち『艦娘』って存在も興味深いけど」
遠坂はそう締めくくった。そしてこう付け足す。
「これは魔術とか関係ないんだけど。そういえばあの子たち、ちょっとおかしな事言ってなかった?」
これはすぐにピンときた。
「ああ、“外部の状況を知る手段はない”らしいけど、それって不自然だよな、やっぱり」
彼女らは、深海棲艦の異常増殖が世界規模で起きたと言っていた。
しかし、グレイ・グーと同時に電波を妨害する『深海』が拡大したのなら、それが実際に世界規模であるということを知るのは不可能だ。彼女らには、外部の状況を知る何らかの手段があるのだろうか。それを言わなかったのは、俺たちに外部の状況を知られたくない理由があったから?
俺としてはかなり気になる点なのだが、遠坂的にはそれほどでもないようだった。
「気にはなるけど、教えたくないってのなら無理に掘り返す必要もないんじゃない?知る必要があれば聞けばいいんだし」
「そう……だな」
食事はパスタとスープ、缶詰等だった。
持ってきてくれたのは先ほども見た鳳翔さんと、彼女に連れられた四人の少女たちだった。四人は全員が小学生くらいに見える。叢雲よりも幼そうだ。
「お、お食事をおもちしました!」
「保存食だよ。でも味は悪くないみたいだよ」
緊張した声でトレーを置く黒髪の子に、物静かな感じの銀髪の子。後ろでは、茶色の髪の二人組が鳳翔さんに隠れるようにしてこちらを窺っている。
これには遠坂も目を丸くしていた。深海棲艦と戦うために生まれた存在が、これほど幼い外見をしているとは思わなかったのだろう。勿論俺もそうだった。
聞くところによると、この四人は暁型と呼ばれる駆逐艦の姉妹らしい。同じ型の艦艇は、姉妹艦と呼ばれているそうだ。
「駆逐艦ってことは、叢雲と同じ種類の艦娘なの?」
「うん。暁たちもあのこと同じ、特型駆逐艦なんだから!」
何故か胸を張って応える黒髪の子は、四姉妹の長女であるらしい。
艦娘は人間ではないらしいが、この子たちの振る舞いは見れば見るほどただの少女のものであり、そのことに上手く説明できない感情を覚える。
この子たちは、どんな思いで深海棲艦と戦ってきたのだろう。いや、そもそもこの子らはどのようにして深海棲艦を倒しているのだろう。今の彼女らの様子からは、全く想像がつかなかった。
保存食だと言っていた食事は、想像していたよりもずっとおいしかった。
四姉妹の子たちは早々に出て行ったのでお礼を言いそびれたが、もし次見かけたらおいしかったと伝えておこう。
奇妙な来訪者が逗留しているのとは別の赤煉瓦の棟。
叢雲は誰も居ない廊下を歩く。
空き部屋が目立つが、ここは艦娘が生活する寮のような役割の棟、その一つである。
「……」
一つの扉の前で立ち止まった。
部屋の主が中にいるのが、微かな気配で分かった。
溜息を吐いて呼びかける。
「金剛」
身じろぎする音。
「また泣いてるの?アンタが泣き虫だなんて初めて知ったわ」
少し間をあけて、小さく鼻声が返ってくる。
膝に顔を埋めているのだろうか。
「……私も、こんなに泣き虫だなんて知らなかったネー」
金剛が泣いている理由はなんとなく分かる。
今まで、意味がないかもしれないと予感しつつも、戦い続けてきた。
残された戦力では、この島の周辺の防衛すら際どいものだった。それでも、何かの間違いが起こって、いつか自分たちが必要とされるかもしれない。そう自らに言い聞かせながら、半ば思考放棄してここまで来たのだ。最大戦力である金剛を中心として。
それが突然報われた。
並行世界だとか、魔術だとか、ちょっと胡散臭い話ではあるが、それでも人間に感謝された。
彼らには分からないだろう。何気ない自分の一言が、私たち艦娘にとってどれほどの重みを持つかなんて。
扉に背を預ける。
「一応意味はあったわね、私たち」
「……うん」
「すぐお別れみたいだけど、それまでは死守するわよ」
「うん」
「次に顔合わせるまでに、泣き腫らした情けない顔はなんとかすることね」
「……こんな時くらい優しくしてもバチは当たりませんヨ」
相変わらず湿った声だが、少し苦笑いが混じったようだ。
「ハッ、私がそんなことするわけないでしょ」
大体、優しくするやり方なんて知らないのだから。
扉から背を離し、ガチャリと開けて中に入る。
壁際では、膝に顔を埋めていたであろう金剛が驚いたように顔を上げていた。
「叢雲?」
「昼寝するわ。ちょっと抱き枕が欲しくなったの」