アリマゴ島鎮守府周辺の海域に広がる結界。
その起点は、赤煉瓦の施設群の一つである入渠ドッグと呼ばれる建物の地下にあった。私たちが逗留している棟の一つ隣にある、中々大きな建物だ。
厳重に隠蔽された地下への階段を金剛と共に降りていく。
士郎はいない。普通の魔術師としては戦力外である事を自覚している士郎は、この鎮守府の掃除とか備品の修理とか、そういった事で少しでも恩を返すと張り切っていた。
「ここは提督がいた頃は秘書艦以外の立ち入りが禁止されていた場所デース。だからここを一番よく知っているのは当時秘書艦だった叢雲ネー」
「ふーん……。ごめんね?お休みのところ」
振り返って声を掛ける。
そこには睡眠不足を押して付き添ってくれた青銀の髪の少女が、若干機嫌が悪いのを取り繕った様子で付いてきている。眠気故か、頭上に浮く耳のような機械も、力なく垂れ下がっていた。
「気にしないで。この島の護りが戻るのなら安いものよ」
なるべく早く済ませようと心に決める。
ここには大きな霊脈があるのを感じるし、地下という閉じた空間も魔術を行使するにはうってつけだ。
「着きました。ここがある意味この鎮守府の中心、あるいは『霊力』の源泉デス」
降り立ったのは、テニスコート二面分ほどの広さの静謐な空間。白い石造りの壁や床、そしてここに満ちる濃い魔力が、ここが霊的な意味を持つ『神殿』であると教えてくれる。
「綺麗ね……」
照明の無いはずの地下空間が光で照らされている。壁には照り返しの水紋が揺らいでいて、なんとも幻想的だ。
この空間は私たちが今立っている部分と、その先の階段状に低くなっている部分で構成されている。そしてどうやら、その低くなっている部分を満たしている水が光源であるようだ。
いや、ただの水では無い。青白い光を放つこれはーー
「
それは魔術師にとってごく身近なものだ。それが霧のように凝り集まって水に溶け込み、ここの床を満たしている。
『エーテル』といっても化学で言う有機化合物の類ではない。魔術師にとってのエーテルとは、地・水・火・風の四元素に続く五番目の要素であり、魔術が成立するためには不可欠なものである。簡単に言えば他の四元素に溶け合って形を成す、魔力の原料である。
私は妖しく光を放つ水面を指して言った。
「これが貴女たちのいう『霊力』なの?」
「ハイ。安定したエネルギーである『霊力』は、結界の維持だけではなく鎮守府の各種機能や、艦娘の戦闘に必要な燃料や砲弾の原料としても使われていマス」
「じゃあもしかして、深海棲艦にとっても『霊力』って大切なものだったりする?」
「Yes。深海棲艦の身体を構成しているのも、あの子たちが放つ砲弾も、この『霊力』で出来ていることが解ってマス」
それを聞いてはっきりした。
彼女らの指す『霊力』は『第五架空要素』の事で間違いない。エーテル単体では何の役にも立たないので、攻撃などで消費される際には魔力に変換されているはずだが、そのどちらも一緒にして『霊力』と呼んでいるのだろう。私としては、魔力ではなくエーテルの状態で集められているのは珍しいと思ったが。
深海棲艦にしても、身体がエーテルで構成されているのなら、近代兵器が効きづらいのも不思議ではない。聖杯戦争で召喚されるサーヴァントと、仕組みは近いはずだ。流石にその核となる物まで同じだとは思わないし、思いたくもないが。
「……でもこれなら」
なんとかなりそうだ。
根底にある術理が、私たちの世界と近い。ならば理解することも、手を加えることも出来るはず。
「何か分かりマシタ?」
「いえ、これから調べるわ」
架空要素のプールに足を踏み入れる。
「リン!?」
「大丈夫よ」
驚く金剛を引き留めたのは、私ではなく叢雲。
「提督も普通に触れてたわ。人間にとっても超強力なパワースポットみたいなもので害は無い、って」
仄かに輝く水の中を進みながら、指先に小さく切傷を作る。流れ出た血は水に落ちて溶け込んでいった。
プールの中心付近で足を止める。一番深そうな所だが腰までの水深しかなかった。
この辺りでいいだろう。
水面に手をかざして軽く念じる。それだけで、水が私を中心にして渦巻いていく。やがて渦が消えると、今度はプールに満ちる架空要素の水が左右に押し分けられていった。まるで、モーゼの起こした奇跡の極小版だ。
後ろで叢雲たちが驚いている気配がするが、必要な事なのでどうか許して欲しい。
「これが結界起点の術式か……」
水の引いたプールの底には、予想通りかなり大きな術式が敷き詰められていた。まずはこれがどういう意味を持つのか読み解いていく。
ふむふむ、と床に刻まれた術式を検分していると、叢雲たちが水の引いたこちらに降りてきた。
「ここの底ってこんなふうになってたんだ……」
「初めて見たネー。まあ、下手に触るのも怖かったですカラ」
「その人は専門家っぽいから大丈夫だと思うけど。それで、何か分かった?」
後半は私への言葉だ。とりあえず、見たままの事実を話すことにする。
「この島に敷かれた結界は二つあるわね。一つは、この鎮守府に大源……貴方たちの言葉でいう霊力を集める結界。島の周辺の海底を流れる地脈に手を加え、その力がこの神殿で収束するようにしてある。貴女たち、多分この島にいる限りはかなり強いでしょう。その原因がこの結界ね」
これは多くの霊地に敷かれているタイプの結界で、幾つかの支点を作り、その内部を護る役割を持つ。霊地の管理者はこれにより内部の魔力を独占できるのだ。
この島の場合、恐らく艦娘たち全員がこの恩恵を受けているため、『管理者』ということになるのだろう。本人たちにその感覚があるかは知らないが。
「もう一つは集めた大源を使ってこの島を隠匿する結界。魔術の知識がない者にはまず見破れないでしょうけど、貴女たちは……」
「鎮守府に登録された艦娘にはその機能は効かない。だから、よそからの寄港時なんかはこの島の艦娘が誘導していたの」
「そういう事ね。……それで、この結界が侵入者感知とか、多分深海棲艦除けの役割も兼ねてるみたい。高性能な反面、多少繊細な術式みたいで、今綻びが生じてるのはこっちの結界ね」
綻んでいたのがこちらの結界で助かった。この術式ならこの場で修復できるし、時間もあまり掛らない。最初の魔力独占用の結界を修理するなら、複数の支点を探して回る必要があっただろう。
思えば、私たちがこの島を認識出来たのも結界の綻びがあったおかげかもしれない。深海棲艦も同じタイミングで侵入していたことだし。
「それじゃ、始めるから。少し下がっててくれる?」
ポケットから宝石を取り出す。先ほど返して貰ったアタッシュケースに入れておいた、数少ない手持ちの宝石だ。この中に溜め込んだ魔力で、結界の術式を修復・補強していく。
「すみません。お手を煩わせてしまって……」
鳳翔さんがそう言って頭を下げてくる。
「俺が好きでやっていることですから。それにこういう修理とかは得意なんで」
工廠と呼ばれる沢山の機械や工具がある建物で、俺は備品の修理をやらせてもらっている。
時計や発動機、工作機械等、種類は様々。『霊力』――――多分魔力のことだと思うが――――で動くタイプが多かったが、幸い問題なく直せている。
「いえ、修理もそうなんですが……」
鳳翔さんが言っているのは、周りに集まっている駆逐艦の四姉妹のことらしい。
小学生くらいの姿をした少女たちは、修理の様子を後ろから覗き込んだり、時折活性化する魔術回路に興味津々で触りに来たりする。響という銀髪の子に至っては、床で作業する俺のあぐらの上にすっかりと入り込んで見物している。表情の起伏の乏しい子だが、とんでもない物怖じの無さだ。
作業はやりにくいが、まるで学校の先生になったかのような、或いは野生の小動物と仲良くなったような感じがして、案外悪くない気分だった。
「すみません。この子たちも人と触れあうのが久しぶりで、ついはしゃいでしまってて」
「賑やかなのは良いことなんじゃないかな……。あ、響……君。この部品をちょっと持っててくれるかな」
「了解した。それから今の私は正確にはВерныйだ」
「うーん、やっぱり発音が難しいから君は『響』でいこう」
ちなみに響は2番艦。つまり次女である。長女は黒髪の暁という子。三女が雷、茶色い髪の活発な方。末っ子が電、茶色い髪の大人しい方。
四人ともとても覚えやすい名前だ。旧海軍でも分かりやすさ重視で命名されたのだろうか。
余計なことを考えつつも、修理品に魔力を通して内部の構造を把握。問題のある場所を探しては、借りている工具や替えの部品、時には投影も使って修理していく。構造把握や機械の修理に関しては遠坂も認めてくれるほどで、霊力を使うという特殊な備品も次々と修繕が終わっていく。
「はー、なんとも器用なものかも……」
向こうの方で頬杖を突きながらそんなことを言ったのは、この工廠の管理者であるらしい少女。名前は
艦娘としての艦種は、水上機母艦という聞き慣れないものだった。
「秋津洲ちゃんよりも上手なのです……?」
「ご存じの通り私は航空機の整備が専門かも。がっつりした修理とか開発は明石さんの領分だったかも」
「やっぱり秋津洲さんは水母っていうより工作艦よね!」
電や雷とも親しげに会話する彼女は、淡く暖色がかった銀髪を細長いサイドテールにしている。……のだが、反対側に錨の付いた長いリボンを垂らしているために、ツインテールに見えなくもない。
格好は白と淡緑の士官服のようだが、二の腕や脇腹の布が切り取られたような際どいデザインとなっている。
金剛といい、艦娘の子たちのこういった服装はどういう意図があるのだろう。彼女らがあまりにも普通にしているから、何だか尋ねるのも憚られる。もしかして、この世界ではこれが普通なのだろうか?
軽い疑問を胸に仕舞いつつ、最後の修繕を終わらせる。
「……よし。これで全部直ったかな」
「えーっ。次は暁が膝に乗る……じゃなくて手伝う番なのに!」
不満げな声をあげる黒髪の長女。
響はするりと俺の膝から抜け出して言った。
「殿方の膝に乗りたいなんてレディーの言う台詞じゃないな」
「じ、自分はずっと乗ってたじゃない!」
「お子様ですから」
「暁ちゃんは甘えんぼなのです」
「むぐぐ……!」
なんとも平和で微笑ましい光景だ。周りが深海棲艦の跳梁する海で囲まれていても、彼女らは逞しく過ごしてきたのだろう。
そんな温かい気持になっていた時だった。
少女たちがぴくりと動きを止めた。そして四人同時に海の方を向く。直前の子供っぽい仕草と比べて余りにも機械的に見えて、背筋が一瞬寒くなった。
「……駆逐級が二つ、ですね」
同じように海の方を見ていた鳳翔さんが、ぽつりと呟いた。少し遅れてようやくその意味を理解する。
「まさか、深海棲艦か……!?」
遠坂が結界の修復をしているタイミングで侵入されるとは、完全に予想外だった。
迎撃するにせよ、遠坂の元へ向かうにせよ、直ぐに動かなければいけない。急いで立ち上がった俺はしかし、鳳翔さんに柔らかく制される。
「あの程度でしたら、問題ありません」
「そうよ!ここには榛名さんが居るんだから」
その言葉が終わらないうちに、山手側から大きな砲撃音が響いた。五秒ほど間を開けて、もう一度。
「……何がっ」
慌てて工廠の入り口に駆け寄って外を見る。すると、二~三kmほど沖合で派手な水柱が上がっているのが見えた。とっさに目を凝らすと、水柱に黒い装甲片のようなモノが紛れている。
「もしかして深海棲艦の外殻か……?」
「おおー、初弾から命中……。相変わらずの精度かも。っていうか貴方の視力も人間辞めてるかも」
隣で秋津洲が、感心しているのか呆れているのか微妙な表情で言った。
「倒したのか?」
「うん、榛名さんが」
「……誰?」
「金剛型三番艦。つまり金剛さんの妹かも」
「へえ。妹がいたのか」
「……うん、まあ。いつも島の山頂……っていうか、中央の高台から周囲を警戒してくれてるかも」
つまりこの島にはちゃんとした迎撃態勢があるという訳だろうか。
先ほどの暁たちの反応を見ても、結界の中に深海棲艦が入り込んだ瞬間に把握できているようだし、島の結界と艦娘に何かしらの繋がりがあると考えるのが妥当だ。
だが別に不思議な事では無い。
彼女たちの話が本当なら、自力で八年間もここを護り続けているのだ。外部と隔絶された、この孤島を。
それだけの実力を備えているということだ。
「……そっか」
「どうなさいました、衛宮さん?」
「いえ、なんでもないんです」
この世界の問題は、この世界の住人に任せるのが一番いいのかもしれない。そんな事を思った。第一、並行世界の存在が無闇に関わるのが正しい道理なのかと聞かれたら、首を傾げるところではある。
「むー。なんか私と扱いが違うかも」
ちょっと不満げな声で秋津洲。鳳翔さんに敬語で接していることに何かしら思うところがある様子。
「いや、なんかほら。鳳翔さんは大人の女性って感じだし」
「私もオトナかも」
「え?うーん……」
「……そうですか。やはり私は老けて見えるのでしょうか……」
「いえ、そうじゃなくて!なんていうか、こう、落ち着いた感じがですね」
慌てて説明しようとするのだが、暁たち姉妹まで服の裾を引っ張りながら加勢してくる。
「鳳翔さんをいじめるのはダメなのです」
「そうよ、この雷が許さないわよ!」
「ち、違うぞ。俺はただ……」
老けているなんて感想は欠片も抱いていない。
見た目も十代後半から二十代前半と言ったところか。ただ控えめで奥ゆかしい態度が古き良き日本の女性、というイメージを抱かせるのだ。
そんな時、押し殺したような可愛らしい笑い声が聞こえてきた。見ると、鳳翔さんが口元を隠して肩を震わせている。
「ほ、鳳翔さん?」
「御免なさい、衛宮さんが気さくな人だったので、つい」
「勘弁してください……」
意外にもお茶目なところがある人らしい。
というかこれだけ女性が集まると、凄いエネルギーが発生する気がする。たった今、敵の侵入があったばかりなのにこの空気である。思えばあの大人しい桜でさえ、藤ねえと結託すると中々のパワーを発揮していたのだ。そしてこの鎮守府には、恐らく女性しかいない。
知らず、こめかみを冷や汗が伝う。
普通に馴染みかけていたが、ここはもしかすると俺にとって滅茶苦茶危険な領域なのでは無いだろうか……。
その時、艦娘たちが再び何かに反応する動きを見せた。
そして今度は俺にもわかる感触だった。空間に術式が染みこんでいき、一つの秩序が示されていく感覚。
「これは……結界が……?」
「ああ、遠坂の修理が終わったみたいだ」
「えっ、ほんと?」
暁がきょろきょろと辺りを見渡しながら言った。隣では響が両耳を押さえて目を閉じている。
「……
「『視界』がとってもクリアなのです」
土地の管理者である――――と推測される――――艦娘にとっては明確に体感できる変化があったようだった。部外者の俺にはよく分からないが、視力の落ちてきた人が初めて眼鏡を掛けたような感じなのだろう、多分。
ともあれ遠坂は目的を果たした。
後は宝石剣を使い、帰還に全力を尽くすだけだ。せっかく知り合えた艦娘の皆とも、直ぐに別れることになるだろう。そして恐らく二度と再会することは無い。
そう考えると少し寂しいが、本来なら出会うことすらありえなかったのだ。お互いそれぞれの世界で頑張っていくのが正しいのだろう。
「あ、いたいた士郎」
しばらくして、工廠の入り口から遠坂が入ってきた。
「お疲れさま、遠坂。どうだった?」
「万事滞りなく、ってところね。中々貴重な経験だったわ」
そりゃあ他人の所有する霊地の起点なんて、そうそういじれるものじゃ無いだろう。
「で、形だけでも恩返し出来たことだし、今夜にでも冬木に帰りましょう」
「……そうだな」
「時刻は深夜二時。私の調子が一番良くなる時間帯に行うから。成功するかどうかは分からないけど、やり残したことがあるなら、それまでに済ませてしまいなさい」
そう言う遠坂からは、何の気負いも感じない。やるべき事をやる。失敗したら、その時に考える。
そんな感じだろうか。
「ああ、わかってる」
俺も師を見習って、悩むのは失敗してからにしよう。