第1話
約四年前、私たちの生まれ故郷である冬木市で、大規模な魔術儀式が行われた。
儀式の名は、第五次『聖杯戦争』。
万能の願望器たる聖杯の降霊と、その聖杯の持ち主の選定が目的とされた。
七人の魔術師が各陣営に分かれ、それぞれに英霊を呼び出して主従契約を行い、最後の一組となるまで殺し合う。
そんな物騒な儀式にかつての私は自ら望んで参戦し、士郎は巻き込まれる形で参加した。
結果として私たちは二人とも生き残り、聖杯は破壊された。
しかしそれでめでたしめでたし、という訳にはいかない。
記録によると、第四次聖杯戦争においても天の杯……『聖杯』は成就せず、破壊されたらしい。つまり、勝者の願望のために消費されるはずの魔力が消費されなかったのだ。その結果、本来六十年のスパンを置くはずだった第五次聖杯戦争はわずか十年後に行われた。同じように考えるなら、小聖杯の破壊という第四次と同様の結果に収まった今回も……
実際に聖杯の真実に触れた私だからこそわかる。
だがそれを魔術世界中に公表したところで意味はない。多くの魔術師にとって最も重要なことは『根源』への到達であり、たとえそのために世界がどれほど被害を受けようと気にも留めないだろう。
だから私は今、とんでもなく壮大な計画を構想中なのだ。
私が
そうして私の問題を片付けた後でこそ――――
――――私は衛宮士郎に全力で向き合うことが出来るのだから。
空港のロビーを二人並んで歩く。
士郎は大きめのキャリーバッグを、私は小さいキャリーバッグとアタッシュケースをまとめて転がしている。
隣を見れば、士郎の足取りは心なしか軽い。
随分と久しぶりに故郷へ帰ってきたのだ。当然といえば当然だろう。
高校を卒業し、二人で日本を離れロンドンの時計塔へ入学。魔術の知識と技術の徹底的な研鑽を限界まで積み重ねつつも、魔術協会に所属することを断って二年後に途中で退学。その後一年間、世界各地を転々としながら実地経験を積み、幾つかの成果を手に日本へ帰国。
これが私たちの大まかな軌跡である。
私、遠坂凛の足取りも士郎と同じように軽い。多分表情だって柔らかくなっているだろう。もちろん士郎が隣にいることも原因の一つではあるが、最も大きな原因はアタッシュケースの中に厳重に保管されている、とある魔術礼装である。私たちがある目的のために手にした成果。その最たる物がこれだろう。『士郎が無事であること』と『難題を解決しうる手段を持ったこと』。この二つを両立できたことで、私の目的の片方はほぼ解決の目処が付いたのだった。
冬木市へ向かうバスに乗り込みながら、私はこれを手に入れる事になった経緯を思い出していた。
「遠坂家当主、遠坂凛と申します。此度は急な来訪にも関わらず迎え入れていただき、心より感謝致します」
アインツベルンの冬の城。
森の結界に囲まれた美しい城の中で、凛は出迎えたメイドに謝辞を述べた。斜め後方では、士郎が従者然とした佇まいで控えている。ロンドン留学中にあのいけ好かない女の元で、執事として働いていた経験が生かされていた。あの女に感謝なぞ死んでもしないが。
内心の緊張は表情には全く出ていない自信があった。しかし予定よりもスムーズに招き入れられたことが不信感を抱かせた。
本来なら、自らの魔術工房にほかの魔術師を立ち入らせるなど有り得ないことだ。それが二千年近い歴史を持つアインツベルンなら尚のこと。今回協力を取り付けるために色々と手札を揃えてきたのだが、こんな対応は予想外だった。私は神経を研ぎ澄ませて相手の真意を探る。
「遠坂家御当主様、及び従者様の来訪を歓迎致します」
メイドは感情のない声と瞳で答えた。
雪のように白い肌と髪。そして紅い瞳はかつての聖杯戦争で出逢ったあの少女を思い出させた。
「それで、今回はどういった御用向きでいらっしゃったのでしょう」
抑揚の無い声でメイドが続ける。
それを聞いて、後ろに控えていた士郎が前に出た。差し出した手には小さな包みが乗せられている。
「それは?」
「こちらは、先の聖杯戦争でのイリヤスフィール様の遺品でございます」
士郎の拙いドイツ語に、メイドの瞳が僅かに見開かれた。
「城の焼失が激しく、これだけしか見つけられませんでしたが、いつかお返ししたいと常々思っておりました」
「……確かに受け取りました。遠方よりお持ちいただき、感謝します」
先ほどまでとは僅かに違う静けさでメイドが答える。
「イリヤスフィール様の最期をお伝えしたい。アインツベルンの御当主にお目通り願えませんか」
「……」
士郎の申し出に対し、メイドは長い間沈黙した。そうして士郎が諦めかけたとき。
「……アインツベルン当主ユーブスタクハイトは、もうおりません」
「えっ……?」
「それは、この城にいらっしゃらないということでしょうか。それとも」
言葉を失う士郎に代わり、私が先を促した。
メイドは視線を士郎から私に向けた。
「いいえ。あの方は、”我々では第三魔法、
「……っ」
それは様々意味で衝撃だった。
ひとつは当主ユーブスタクハイトが機能を停止した、という発言。明らかに人間の死を形容する言葉では無い。アインツベルンは人造生命体の製造において名高いが、今の言葉は当主その人までもがホムンクルスであることを示唆していた。もしかするとアインツベルンにはもう人間の後継者はいないのかもしれない。
もうひとつはアインツベルンが聖杯戦争から手を引くということ。聖杯戦争において始まりの御三家と呼ばれるアインツベルン、遠坂、マキリ。その中でもアインツベルンは最古参である。それが連綿と積み重ねられてきた永い探求を無駄にしてまでのそ悲願を、聖杯に託す願いを諦めたというのか。
しかしこれはある意味朗報であった。第四次・第五次のような災厄を繰り返さないためにも、聖杯を求める者がいなくなるのはこちらとしてもありがたい。
更に、自分たちでは第三魔法を為し得ないと確認したとはどういうことなのか。次の聖杯戦争でアインツベルンが勝利すれば成就は可能なのではないか。
「どうして……」
多くの疑問が絡み合って、気がつけばそう呟いていた。
「我々はこれまであらゆる手を尽くして聖杯戦争に臨んできました。そして前回マスターとして送り込まれたイリヤスフィール様はマスターとしての最高傑作。そのイリヤ様でさえ届かなかったことで、我々は第三魔法に届かない、と。そう認識されたのです。もうアインツベルンに当主は無く、残された我々も緩やかに朽ちてゆくでしょう」
「でも、一族の悲願は?聖杯に託す願いはどうなるのですか……?」
自分には関係の無いことだと分かっていても、根源を目指し続けてきた魔術師の家系の端くれとして、訊かないわけにはいかなかった。
メイドは僅かに首を傾げた。
「悲願……?我々の悲願は第三魔法の成就です」
背筋が寒くなる思いだった。
根源へと至るのではなく
何か願いを叶えるのてもなく
ただ第三魔法の成就を願う。
それはアインツベルンの歪みと妄執を分かりやすく表していた。
もしかすると、遥か昔に第三魔法を目指したアインツベルンの祖たちには、崇高な理念なり目的なりがあったのかもしれない。しかし気の遠くなるような放浪の末、彼らは目的を見失い、ただそれがそこに存在するということを確かめたいが為に聖杯を求めたのだろう。
そして、その願いも最早手放された。
「そう、ですか……」
アインツベルンの永きに渡る探求。その最期を知り私は暫し目を閉じた。
その上で一歩踏み込む。
「本日私たちはある御願いに参りました、聖杯戦争の歴史に決着をつけるために」
結論として、私たちは協力を取り付けることが出来なかった。聖杯を求めなくなった相手に対しては、私が用意していた交渉の手札も意味を成さなかったのだ。本来なら、次回の聖杯戦争でアインツベルンが確実に勝利できると思わせる条件を提示し、見返りに大聖杯の詳しい仕組みなどに関する技術を要求するつもりだったのだが。
しかし意外にも、もう一つの願いは聞き入れてもらえた。ほとんど無償で。
「こちらが条件を満たす個体でございます」
連れてこられたのは、アインツベルンの礼拝堂。魔術儀式を行う最も重要な場であった。そこで一人のホムンクルスを紹介される。言葉を話す能力は無いらしい。目を伏せて静かに立っていた。
「この人が…?」
「ええ。彼女はイリヤ様の機能を補助する存在。その更に予備にあたる個体です。