その夜、凛は大浴場で疲れを癒した後、宿泊棟の自分のベッドで仰向けに寝転んでいた。
同じように風呂から戻った士郎が声を掛ける。
「お疲れ様。遠坂、体は大丈夫か……って何だそれ」
凛は天井の照明に正八面体のクリスタルのような物を翳して、眺めていたのだ。他にも彼女のベッドには、よく分からない物品が数個散らばっている。
「雨樹提督の工房で見つけた魔術情報記録媒体、あと色んな呪体。……ほら見て士郎」
凛は呪体の一つを摘まみ上げて、士郎に示した。丸く膨らんだ根茎らしき物が、薄らと発光している。
「精霊根。凄く状態が良いわ」
「な……!」
士郎の驚きは、平民の魔術師としてみるなら控えめだったと言える。
これ一つで豪邸が建つほどの神秘と価値を秘めた代物である。凛などは地下工房でこれらを見つけた際、たっぷり三十秒は放心していたほどだ。
「え?勝手に盗っちゃうのか?」
「失礼ね!生存の為に役立たせて貰うの!いちおう叢雲に許可は取ってあります」
精霊根ならば、士郎でも魔術の教本で見たことがあった。なんでも、石像に植え付けるとそのまま動き出して強力なゴーレムになるらしい。
それにこれほどの呪体となると、魔術刻印の原料としても欲しがる新世代の魔術師は多いだろう。
「でも、何に使うんだそれ」
「それは考え中。海の上ではゴーレムなんて役に立たないからね」
それでも今は少しでも戦力が欲しい。それが凛や叢雲の本心だった。何故ならほぼ確実にマリアナ海溝に潜んでいるであろう敵は、先日倒した『海域浸透型』など比較にならないほど強力であることが予想されるからだ。
叢雲は凛にだけ、“敵の成長率を過小評価していたかもしれない”と零している。
彼女は実際的な思考の持ち主だ。
当初、正体不明の人間二人よりも、深海棲艦への最後の希望である自艦隊の保全を優先したように。
(いや、今にして思えばあの時は、大事な仲間に害がないかピリピリしてたのかもね)
どちらにせよ、彼女は凛好みの性格をしていた。
その叢雲にしてみれば、かつての提督の所有物としての価値より、今現在の自分の仲間を守れる力としての価値を、呪体に見出すのは当然だった。
「そっちの記録媒体からは、何か分かったのか?」
「それがねぇ、ロックを解く為の仕組み自体は分かったんだけど……個人の魔力パターン認証っぽいのよね。こればっかりは魔術で偽装とか出来ないし、お手上げよ」
「そりゃあ仕方ないな」
「あ~気になる!何が記録されてるんだか……」
凛は脱力してベッドに沈んだ。
そんな姿を尻目に、士郎は作り置きしておいた夕食を取りにコネクティングルームに向かう。
(そういえば、明日の船旅は計算では12時間は掛かる。食料を多めに積んだ方が良いか……)
手に持った缶詰を眺めながら、士郎はそんな事を考えた。
「そんな物まで作れるのか?」
「実際の物とは構造は多分違うでしょうけど、魔術的に似た効果を発揮すれば良いのよ。危ない状況になれば、士郎か金剛に使って貰うわ」
「了解だ。他に俺に出来ることは……」
凛から新たに作成した兵装の話を聞いた士郎がそう聞くと、凛はそうね、と少し考えて。
「そうだ、レンバスの劣化品。明日の出港は18:00頃でしょ?それまでに時間があったら増産しておいてくれる?」
「ああ、それなら遠坂が作るのを見てたからな。任せてくれ。一応レシピも確認したいけど」
「ん。紙に纏めとく」
レンバス。古くは北欧神話に登場するアールヴに端を発する有名な種族、所謂エルフたち。彼らが作る焼き菓子、携帯食料の名である。一つ食べるだけで、一日歩き続けることが出来るほど栄養価が高く、持ち運びに優れ、保存も利くという正に究極の行動食だ。
魔術師にも完全な製法の復元は出来ず、効能が似た劣化品しか再現出来ない。
とはいえ、それでも十分な疲労回復効果があった。
魔術師が再現したレシピでは、本来ならば大麦、植物性油、香草、薬草、粉末状にした茸、とある蝶の鱗粉などが使われているが、今は島で調達可能な種で代用するしかない。
「まあ時間もあるし、ゆっくりやれば。私はもうお休みさせて貰うわ」
記録媒体や呪体を片付けながら、凛が言った。
「そうだな、俺も対魔力の訓練が終わったらそうするよ」
士郎は部屋を後にする。
この日の夜も、何事もなく平穏に更けていった。
◇
翌日18:00。艦娘、というか軍隊的に言うならヒトハチマルマル。
太陽が水平線に近くなってきた頃、かぜなみ改への食料や急造の新兵装等の積み込みが終わった。
今回の出撃メンバーには士郎と凛、操艦役の秋津洲は勿論のこと、叢雲、金剛、龍驤、天龍、荒潮。
乗船メンバー以外の暁型姉妹や加賀さん鳳翔さんたちは、桟橋上から手を振っている。
「かぜなみ改、抜錨。両舷前進微速、250°、ヨーソロ~!」
秋津洲によって巡視艇のエンジンが駆動し、士郎たちは片道約半日に及ぶ船旅へと出発した。
『どうかお気を付けて。無事に帰ってきてください』
「待っててネ、ハルナ。必ずトラックの皆と合流して、吉報を持って帰りマス」
榛名からの無線に金剛が答える。
士郎は後部甲板の柵に手を乗せて、かぜなみ改から伸びる航跡と、遠ざかるアリマゴ島を眺めていた。島の管理者として登録が終わっているため、島を隠匿する結界も士郎たちには関係がなかった。
「こーら!今の内に休んでおきなさい、長い船旅なんだから」
振り返ると叢雲。隣に並んだ彼女の淡い水色の髪が、潮風に掠われて綺麗に広がる。
「トラック……チューク諸島に着くのは明日の朝だったか」
「順調にいけばね」
目的地までの航路に横たわる『深海』は、中間地点のオロクル環礁まで攻略済み。それ以降も偵察機で確認出来た範囲では小規模の『深海』が二、三見つかった程度。
もちろん航路確保のために戦闘は行うが、激戦とまではいかないだろう。小粒の『深海』の場合金剛がいれば、外側から敵中枢を潰せる。それでも海水が黒いままの時は、凛の発案である前兆感知で『海域浸透型』を探り、予想外に敵が強力だった時は、最後の手段として士郎の固有結界で対処する。
戦闘が無ければ明日の朝6:00頃、あったとしても8:00頃には、太平洋戦争時に旧帝国軍のトラック泊地が存在していたチューク諸島が見えてくるはずだ。
チューク諸島について簡単に表現すると、珊瑚礁に囲まれた島々、である。周囲200kmに及ぶ世界最大級の環礁は、その内部に大小250近い島々を擁している。直径1km以上の島も10個ほど存在し、州都・ウェノ含む二つの島に至っては直径5kmを超えるらしい。
少なくともグレイ・グーの以前は沢山の人が暮らしており、日本統治時代にウェノに作られた飛行場もそのまま使われていたという。
戦時中は、環礁によって太平洋の荒波から隔離された高い泊地能力から、日本海軍の一大拠点となった。その時の呼び名がトラック泊地である。
アリマゴ島所属の艦娘繋がりで言うと、例えば水上機母艦・秋津洲は1944年にトラック島空襲によって中破相当の損傷を受けている。
「じゃあ俺も中で休もうかな」
「そうしなさい。今日は少し波が高い。酔うのが嫌なら仮眠でも取ればいい。でも、緊急時には叩き起こしてあげるから覚悟しておきなさい」
分かり易い気遣いと分かり難い気遣いが入り乱れていて、士郎は思わず笑いそうになった。
「……なによ」
「いいや?難儀な性分だなと思っただけ。結構優しいのに、わざとかってくらい分かりにくくしてるし」
一瞬ぽかんとした叢雲の頬に、じわじわと朱が差していくのを見て、士郎は「……じゃ」と手を挙げて、そそくさとドアから船内に退避した。気難しい所もある子なので、自分の無頓着な言動で怒らせる事も多々あると、経験から知っていたのだ。
巡視艇の内部には居住区も存在する。甲板より上にある構造物――主に操舵室――と違い、居住区は甲板よりも下にある。
操舵室の秋津洲と龍驤に手を振って、隅にある急角度の階段を降りるとそこが居住区。
まず団欒用の休憩室。
(……といっても、ファミレスの四人用テーブル席程度だけど)
金剛と荒潮が対角席に座って待機……或いは休息していた。
荒潮は難しそうな書籍を、退屈そうに捲りながら、時折自分の髪を弄ったり。そして金剛は、壁に背をもたれさせて目を閉じている。彼女の前のテーブルには、ハーブティーらしき飲み物が蓋付きマグに注がれて、固定用の窪みに落とされていた。しかし特に手を着けている様子は無く、ただ冷めていくだけだった。
まるで眠っているよう状態だが、最近の金剛には珍しくない光景だ。
(あまり無理するな……と言えない状況なのがもどかしいな)
単に寝付きが良いだけなのかもしれないが、彼女たちはいつもボロボロになりながら戦う。だからちょっとした事でも、戦闘の負荷による物では無いかと気になってしまうのだ。
休憩室の次は寝室。二段ベッドが幾つも詰め込まれた部屋。
本格的に眠る際はこちらを使用する。
今この部屋に居るのは凛だけだった。カーテンが閉じられた所が、彼女が仮眠を取っているベッドだろう。準備やら解析やらで、なんだかんだ魔術を使いっぱなしの凛には、少しでも休息が必要だった。
寝室より奥には狭いキッチンやシャワールーム、トイレ、船長室があるが、士郎は凛同様に寝室で軽く横になることにする。
船長室は二畳ほどの空間にベッドと机が詰め込まれた個室だが、凛も士郎も使っていない。二人とも、操舵室までの移動距離が僅かでも遠くなることを嫌ったのだった。
先行しての警戒は今は天龍が、その次は荒潮が、と艦娘が交代で行うことになっている。夜間飛行が可能な偵察機も飛ばしているらしい。
士郎たちに出来ることは、十全な体調を維持して戦闘になった際に完全なパフォーマンスを発揮できるようにすること。
トラック泊地は健在だろうか。艦娘が居るとしたらどの程度の規模の艦隊だろう。皆の知り合いや姉妹艦と出会えるかもしれない。ふとそんな事が頭を過ぎる。
しかし、それらを追い出すように頭を振った。
(……じきに分かる、考えるだけ無駄だな。こういう状況では流れに身を任せるしかない)
そして、そういった流れには得てして逆らえない物だ。
二段ベッドの一つ、その下段に横になって、士郎は軽く目を閉じる。なるべく緊張を解くように、意識的に思考を排除し、五分足らずで眠りに落ちた。
◇
「――――」
目を開ける。
何か異常を感じたわけではない。言葉にするなら、ただの勘。
時刻を確認すると、22:05となっていた。予想以上に長い眠りになってしまった事を意外に思うが、その分いつになく体調は良い。
「……?」
僅かに違和感を覚えながらも、居住区から階段を上り操舵室へと出る。窓から見える景色は真っ暗で、操舵室も極力灯りを絞っているようだ。
士郎は一度短く目を閉じて、視力を魔術で強化する。目を開くと、昼間と然程変わらない視界が、水平線まで広がった。
操縦席に着いている秋津洲が、珈琲片手に振り返る。隣に座っていた金剛も、つられて同様に。
「……シロウ」
「悪い、随分楽させて貰ったな」
「ふふふ。お寝坊さんかも」
「俺が寝てる間、何か異常は?」
「ないかも。少し前にオロクル環礁を過ぎたから、何かあるとすればこれから」
つまり、中間地点を越えた辺りというわけだ。
ここから先は未開拓の航路。
士郎は頼れる仲間のコンディションを確認する。
「金剛、調子は?」
「……ダイジョウブ」
「?」
目が合った金剛は、何故が視線を逸らすとぼそぼそと呟くように言った。
士郎はその様子に内心で首を傾げる。
「……ちょっと、金剛さんと喧嘩でもしたの?」
「してない。秋津洲こそ何か知らないのか」
内緒話のような音量で秋津洲と言い合うが、当然両者心当たりはなかった。
「な、なんでもないヨ!」
慌てたように立ち上がった金剛だったが、大きめの波でも引っかけたのか、タイミング悪く船が揺れた。
「わ」
「おっと」
バランスを崩した金剛の背を、士郎の腕が支えた。オートバランサーを備えている艦娘ではあるが、戦闘時や意識的に使用していない時は、当然バランスを崩すこともある。
支えが間に合って良かった、と士郎が安堵していると。
「~~~~っ!」
ばっ、と飛び退くように金剛が離れた。微かに顔が上気しているように見えたが、暗闇の中なのではっきりとしない。
「えっと……大丈夫か?」
「ご、ごめんその……違うくて」
顔を覆っていた手がゆっくりと下がり、気を落ち着けるように長く息を吐き出すと「少し休憩してきマス」と言い残し、彼女は階段を降りていった。
最後に、士郎と秋津洲の耳は金剛の小さな声を拾った。
「全然無敵じゃなかったデスね……」
そして残される二人。士郎がぽつりと呟いた。
「……無敵ってなんだ?」
「さあ……」
◇
龍驤から、夜間偵察機が小規模の敵艦隊を発見した、と報告を受けたのはそれから程なくしての事だった。『深海』の存在しない海域に居ることから、はぐれ個体か哨戒部隊のようだ。
右15°、ここから15,000m以上先だという。
「規模は」
凛が操舵室から甲板上にいる龍驤に問うた。
『小さいなぁ。全部で7隻……約10ノットで南下中。北側からなら、余裕を持って迂回も出来るけど』
「強そうな個体は確認できる?」
『大きめの艤装従えとるヤツは中央におるけど、空母系の姫としか分からん』
「……なら迂回はダメ。ここで潰しておくべきだと思う」
凛は士郎の方を振り返った。
「攻撃は士郎と、金剛龍驤コンビでお願い。8,000mの距離から殲滅して。あ、攻撃はこの船上からにしてね」
何故そんな指示をしたかというと、なるべく味方の砲撃音等で、
「了解した」
「了解デース。でもその距離だと、シロウは厳しいのでは?」
士郎の隣に立つ金剛の様子は、普段通りに戻っていた。
先ほどの態度から、何か嫌われたのかな、等と考えていた士郎だが、どうやら違うらしいと分かり安堵する。
「士郎、どうかしら」
「やってみるよ」
小規模の敵に対して突っ込んでいって、『かぜなみ改』を危険に晒すのは割に合わない。出来るならアウトレンジで終わらせるに越したことはない。
それだけでなく、こちらの世界にきてから不自然な勢いで、能力が向上を続けている感覚が士郎にはあった。聖杯戦争での急成長とも違う、言い知れない違和感。
どこか空恐ろしくはあったが、今の状況では好都合だと考えるしかなかった。
「多分届く」
『かぜなみ改』が行き足を止める。その甲板上には金剛と龍驤、そして凛の姿があった。
金剛は既に龍驤の偵察機――十分に敵から距離をとって飛行中――と情報連結を完了しており、水平線の先に居る敵の姿を補足していた。
(少し不安だったけど、やっぱり戦闘時には勝手に冷静になっちゃいマスね、これ。……まあいいデスけど)
さっきまで割と普通の女の子っぽい感情だった気がするんだけどなぁ、と目線を上に向ける。
士郎は操舵室の屋根よりも少し上、海面から8~9mに出現させた剣を足場にしていた。敵艦隊を直接視認出来るだけの高さを、無理矢理確保している。とは言ってもこの闇夜において、8,000m先にある人間サイズの標的を視認している事実は驚嘆に値する。
その手にはいつもと同じ、黒い洋弓。
士郎の視線が確認するように金剛へ向けられた。
無言で頷くと、金剛は背後の艤装を長距離狙撃形態へと変形させた。金剛の身体の約三倍の規模で展開するそれは、まるで列車砲を従えているかのような威容。
「リン、甲板の防護は大丈夫デスカー?」
「強化は終わってる。遠慮は要らないわ」
凛は攻撃ではなく、砲撃時の衝撃から船体を保護する役目を担う。
金剛は砲腔に砲弾を装填する。弾種は三式弾の変わり種。対地・対艦性能を高めた榴散弾。対航空機用の砲弾を、無理矢理砲撃戦に転用する。
ぎり、と軋むような音が聞こえる。
士郎が矢を番え、弓を引き絞る音だ。
「15秒後。13、12、11、10。……」
士郎のカウントが止まり、残りは金剛が脳内で引き継ぐ。倍近くある弾速を考慮し、士郎の攻撃着弾から一秒後に三式弾が周囲に降り注ぐように計算して……。
「Fire!!」
巨大な砲炎と共に砲弾が撃ち出される。同時にノックバックに耐える両足の主機が、火花を散らして船の甲板を削る。その火花も巨大な砲炎も水平線に遮られて、敵から直接見られることはない。
そして数秒の後に、士郎の矢が放たれた。
金剛のそれよりも低い軌道を描いて飛翔する矢は、すぐに闇夜に呑まれて見えなくなり――――
金剛と龍驤は艦載機を通して、空母系の姫級個体が爆炎に包まれるのを見た。
直後、追撃とばかりに榴散弾の細かな弾子が、周囲の取り巻きに降り注いだ。
「うわぁ……一撃かいな」
「修復する様子もない!カナ!」
龍驤の呟きに、次弾を放ち、即座に再装填を行いながら金剛が答える。
爆炎が晴れた後には、姫級の艤装らしき残骸が散らばるのみ。
艦隊の頭領が突然消えてしまい、取り巻きは右往左往している。
そこに次々と榴散弾が降り注ぎ、全ての敵に損害を与えてゆく。
最後の一隻が海の藻屑と化すまでに、それほど時間は掛からなかった。
◇
その後も小規模な戦闘が何度かあった。しかし射程距離の差というものはとても大きく、士郎も凛も、もちろん金剛たちもほとんど消耗無しで済んでいた。
やがて後方――東の空が白み始める。夜明けだ。
予定では間もなく目的地に辿り着く。
しかし、誰一人として明るい表情を浮かべる者はいなかった。
「……それは、確かなのね」
操舵室に戻っていた凛が、偵察機を飛ばしている龍驤に無線で再度問う。
隣にいる叢雲の拳が、音が出るほど強く握りしめられた。
『ああ、残念ながら、間違いなく』
龍驤の声も低く重い。
『チューク諸島の周囲には、直径100km以上の『深海』が形成されとる。……トラック泊地は敵の手に落ちた』