1月13日 午前6:08
まったく想像していなかったわけではない。
アリマゴ島よりも更にマリアナに近いのだ。そうなっていてもおかしくは無い。いや、そうなっている方が自然だという考えは心の隅にあった。
それでも、トラック泊地壊滅の報せは随分と堪えた。
士郎ですらそうだったのだから、艦娘たちにとってその絶望の程は比較にならなかった筈だ。
「……龍驤の、言葉を、信用しないわけじゃないけど、じ、実際にこの目で確かめるまでは帰れない」
動揺を隠しきれない表情で叢雲が言った。海上で警戒中の荒潮から突っ込みが入る。
『危ないわぁ。そんなに近づいたら敵に補足されちゃうかもしれないし』
「それは……」
士郎たちには経験したことの無い規模の『深海』。荒潮の警戒は当然だった。
叢雲は言葉に詰まるが、彼女に同意する声が凛から上がった。
「私は、近づく価値はあると思う。こんな要衝、どのみち放置しておくわけにもいかないでしょう。偵察はいずれ必要になる」
『……まあねぇ。遠坂提督が決めたのなら否はないわ』
ではどうするか、ということでしばし話し合いが行われた。
結果として、水上/対空電探や
「l=√2Rh。h=20mとして、ざっくり16kmまで見渡せマース!」
「まあ直径100kmもある深海なんて見渡そうとしたら……上空800mまで跳び上がらなくちゃだしね」
「へ、へぇ……」
金剛と凛の計算の速さに慄然とする士郎。
ちなみに金剛に限らず、艦娘は基本計算能力が高い。第二次大戦時の艦艇では、艦砲射撃に必要な
つまりアリマゴ島の所属メンバーの内で最も頭の回転が鈍いのは……と、士郎はそれ以上深く考えないことで事なきを得た。
程なくして、秋津洲が言った。
「『深海』外縁部まで10kmに到達したかも」
『こちら龍驤、周囲に機影なし』
『こちら天龍、聴音機に敵推進音はねぇな』
外に居る二人によって、周囲の安全が保証される。
凛は士郎を振り返り、士郎はそれに無言で頷き船外へ向かう。
「上に昇るわよ叢雲、双眼鏡持ってきて」
「……」
叢雲は既に用意していた双眼鏡をぎゅっと握りしめると、凛の後を追った。
『かぜなみ改』の上に向けて伸びる、剣の螺旋階段。
それを叢雲は、凛に手を引かれながら一段ずつ昇っていく。
本来なら一人でも問題なく昇れるが、今二人の周囲は凛の姿隠しの魔術でほとんど透明化している。自分の足もよく見えないというのは、この状況ではかなりの障害となった。そんな中、術者の凛は透明化を看破できるため、こういった形となった。
そして士郎は勘だけで適当な足場を蹴り上がって、20mの高さに巨大な剣を作り出している。
「た、高い……」
ようやく一畳ほどの安定した足場に辿り着いた叢雲は、座り込んだ。
「なんか意外ね」
「……“船”が上空に慣れてるはず無いじゃない」
「いや、そうなんだけどね」
気を取り直して、叢雲は双眼鏡で西の水平線を見る。
「……っ」
夜明け前の暗い海でも分かるほどにはっきりと、水平線付近は黒く染まっている。間違いなく深海棲艦の支配する領域と化していた。
つまり。
トラック泊地に居た知り合いの艦娘たちも。
彼女らを率いた提督を始め、駐在していた多くの人々も。
一人残らず死――――
「叢雲」
双眼鏡を握る手に、凛がそっと触れた。
「握り潰しそうだったわよ」
叢雲はゆっくりと息を吐き出しながら、双眼鏡を下げた。
「大丈夫よ」
「……」
二人から向けられる気遣わしげな視線に、平気だと意地を張った。彼女個人にとって最も優先する事項は常に、仲間の無事だ。その為にはいつまでもこんな所で呆けていても仕方が無い。
まずは現状確認。
「……何か飛んでるわね」
「ああ。深海の艦載機……かな」
遠すぎて鮮明には判別できないが、水平線ぎりぎりの上空に、黒い点が幾つか舞っていた。自らのテリトリーを哨戒しているのだろうか。強力な敵艦載機として有名な物に、丸い形状の通称タコヤキ・猫ヤキ等があるが、それらとも異なる扁平形のフォルムに見えた。
しばらく『深海』と飛行体を観察していて、叢雲はふと気付いた。
(……もしかしてあの艦載機、
隣に居る、目の良さは折り紙付きの男にも聞いてみる。士郎は双眼鏡も無しに、あの黒い点を捉えているのだ。
「アンタはどう思……」
その言葉が止まる。
士郎はまるで、見えにくい物を見ようとするように、目を細めて彼方を眺めている。先ほどまで黒点を見ている時は、そんな素振りはしていなかった。
(何を見てる?)
「士郎?どうかした?」
同じように気になった凛が尋ねる。
士郎は何処か歯切れ悪く答えた。
「いや……なんだろう。『深海』より手前かな、僅かだけど空気が揺らいだような……」
「なにそれ?気のせいじゃ……ないわよね。士郎だし」
あっ、と士郎が声を上げた。
「また揺らいだ!なんだこれ……」
「……まさか」
凛は何かに思い当たったように呟くと、首のマイクを押さえた。
「金剛!電探の到達範囲は調節できるわよね?」
『……イエス』
「今すぐ対空電探照射、9km……いや8kmまでの範囲でお願い!」
「ちょ、なんなの突然」
叢雲の疑問に、凛は彼方を睨みながら答えた。
「私たちは今、魔術で見えにくい状態になってるの。で、もし敵にも同じようなことが出来たとしたら?」
「そんな……!」
「あそこに
その言葉と同時に、金剛が対空電探から霊波を照射した。
『Radarに感あり!デカっ……距離7,000mの位置に30mほどの飛行体、いえ浮遊体デス』
「はぁ!?」
指示を出した本人すらもギョッとしていた。
それも致し方ない事だった。30mといえば『かぜなみ改』と同程度の大きさだ。それが飛んでいるとなれば、深海の物としてはかつて無い異物。
「遠坂……!」
士郎は見た。
電探が照射された直後、遙か彼方の空中で何も無いところが揺らぎ、巨大なナニカが現れる瞬間を。
「何あれ!?光学迷彩?」
「クラゲが……飛んでる……?」
そう、それは30mを越える大きさのクラゲの形をしていた。
クラゲ特有の分厚い傘の下部分から、幾つも細長い触手が垂れ下がっている。その身体は、まるで深海の生物のように、夜明け前の薄暗い大気の中で発光、明滅していた。
そして広げた傘をゆっくりと閉じるように、孕んだ空気を押し出しながらこちらへ浮遊してくる。一見ゆっくりとして見えるが、その巨大さから15ノット程度は出ている可能性があった。
「降りるわよ、士郎!」
「ちょっ!?」
凛が叢雲を抱きかかえて飛び降りた。
質量操作と気流制御により、ほとんど衝撃無しで20m下の甲板に着地する。
士郎も足場を素早く飛び渡り、若干荒々しく隣に着地した。
「リン、シロウ!」
金剛と荒潮が駆け寄る。
凛は彼女たちに問いかけた。
「アレに見覚えは?」
二人とも首を横に振る。
「ありまセン」
「見たことも聞いたこともないわぁ。攻撃しても良いものかしら……」
揃って視線を向ける先では、巨大
未知の存在に対し、全員が戸惑いから短い空白を作ってしまった。
その時、世界が明け色に染まる。
「夜明けが……」
海も空も巡視艇『かぜなみ改』も、そして巨大クラゲも皆、陽光に照らされる。
その瞬間士郎の目は、巨大クラゲの身体が裏返ったのを目撃した。傘の内側が露出するようにめくれ上がり、内部に蓄えられていた物が解き放たれる。まるでオニイトマキエイ……マンタのような扁平な形をした、20機以上の深海艦載機の群れだった。その全長は巨大クラゲとの比較から、一機一機が5m近い巨体を誇ることが見て取れた。これまでに見てきた敵機と比べても段違いのサイズ差だ。
「やっぱり深海棲艦だったか!」
「まずったわ。ばらける前に撃ち落とすべきだったわね」
水音が連続して響く。
金剛、荒潮、叢雲の三人が抜錨し、かぜなみ改の前に出たのだ。
『リン、攻撃許可を』
「ええと、龍驤の艦載機で迎撃は……」
「ごめんやけど、あのサイズだと格闘戦で仕留めるのは厳しいと思う」
「了解。……目標は艦載機群、総員攻撃お願い!」
凛はマンタ型の艦載機を先に殲滅するように指示を出した。あの巨大クラゲは恐らく、空中に浮く空母か『浮遊要塞』に似た個体だろう。故に、艦載機を吐き出した後の本体の攻撃性能はたいしたことは無いはず。
金剛たち三人と、先行中の天龍から約6,000m先に向けて、大量の対空砲火が見舞われる。だがやがて、いつもと違う状況が明らかになった。
対空砲火が命中しても、なかなか撃墜まで至らないのだ。
『オイオイ硬すぎねぇかあの飛ぶ絨毯……!』
「っ、まだ遠いし機銃や高角砲じゃ埒が空かない。主砲で狙うしかないネー」
その時、度重なる被弾に耐えかねたのか、ようやく一機のマンタが抱えていた爆弾らしき物を数発、投棄した。
海に落ちたそれらは爆発し、高さ2、30mはあろうかという水柱を生み出した。
「……!」
『あのマンタ、超重爆撃機か……!』
凛の戦慄と、叢雲の焦りの混じった叫びが重なった。
あの規模の攻撃を連続して食らった場合、今まで凛が使用してきた魔術障壁では耐えきれない可能性が出てきた。トラック泊地無き今、この巡視艇を失うことはマリアナ攻略の手段を喪う事と同義だ。自分も対空砲火に参加するために、凛は船首甲板に備え付けられたブローニングM2重機関銃へと向かう。魔改造と魔術によるアシストで、有効射程が本来の倍の4,000mまで引き延ばせることは、前回確認済みだった。
見たところ、マンタ型重爆はそれほど機敏な動きは出来ないようだ。速度も航空機としては遅い。
艦娘や深海棲艦が擁する艦載機は、かつて存在した本物ほどの速度を持たない。サイズが全く違うのだからそれも仕方の無い話である。その中でもあのマンタ型重爆は特に遅いようで、流石に巨大クラゲよりは速いが、時速100kmに届くかどうかといった所らしい。
「距離は……」
ブローニングM2重機関銃の近くに取り付けておいた測距儀*2のファインダーを覗き、優雅に空を泳ぐマンタ型を視界に納めつつ、ダイヤルをキリキリ回して調節する。
「5,000mか……まだ遠いわね」
士郎ならば、敵の緩慢さも相まってそこそこ命中が期待できる距離だろう。というか実際に宝具の矢を命中・撃墜している。
だがこちらはまだ弾薬に余裕があるとはいえ、補充の効かない貴重品。凛の性格上、魔術のアシスト込みで確実に当てられる距離まで無駄撃ちは出来ないし、射撃時もセミオートでいくつもりだった。
「(これを凌いだら一旦引くべきかしら……って、ん?)」
ふと測距儀の焦点を、後方の巨大クラゲに合わせた凛は、異変に気付いた。
本物のクラゲよろしく傘を上に、触手を下に向けて浮遊していたソレが、傘を進行方向、つまりこちらに向けていた。まるで巨大な瞳のように見えて、気味が悪い。
「(いったい何を)」
そう思う凛の視線の先で、巨大な傘がゆっくりと回転し始めた。外縁から中心に向けて光が集まっていく。それはまるでエネルギーを充填しているようで――――
「
慌てて『
「(間に合わな――)」
最後に見えたのは紅色の光。そして落雷のような轟音が全身を叩いた。
◇
士郎は意識を取り戻した。
「……っ」
何か行動を起こすよりも先に、身体が酸素を求めて喘ぎ、酷く咳き込んだ。
「士郎っ!」
咳き込みながら、最愛の人の声を耳にする。
彼女が無事だった事に一先ず安堵しつつ、呼吸をなんとか落ち着かせる。
「良かった、無事だったんだな、とおさ」
「良くないっ」
強く抱き締められる。
ああ、また失敗してしまったのか、と士郎は妙に冷静に受け止めた。
「守ってくれたことは感謝してる。……でもこんなんじゃ、いつか誰かを守って士郎が死んじゃう」
「ごめん……」
心からの物だったその謝罪は、自分でも嘘くさい空っぽの物に聞こえて、思わず逃げ出したくなった。
「そう……そうデスよ、シロウ。何か変デス。なんでいつもアナタの咄嗟の助けが間に合うんだろうって、思ってたケド」
凛の背後に立っていた金剛が、何かに気付いたように呟いた。
「自分の命に無頓着なんだ。自己の危機に対してまったく足が竦まないカラ、あんなに早く行動に移せるんじゃないデスカ?」
「……それは」
「どうしてそんな……」
その先は言葉にならなかった。
どうしてそんなことが出来るのか?
どうしてそんな歪な価値観をしているのか?
金剛自身何を言いたいのか、まだ心の内を整理しきれていなかった。
「そこまででいいでしょう金剛、少なくとも今は」
金剛の隣に現れた叢雲が、士郎と目線を合わせるようにしゃがみ込んだ。
「状況を説明しましょう」
そう言われて士郎は周囲を見回す。ここは船内――操舵室のようだ。
こうして金剛たちまで集まっているということは、危機は脱したのだろうか。
「まずアンタが、あのクラゲの攻撃を防いだ直後。船への直撃は防げたけど、何故かアンタは意識を失った」
「……多分、電気とか麻痺毒に似た性質の攻撃だったの。
凛が説明を補足した。
「なるほどね。……で、私たちは急遽最優先でクラゲを集中攻撃して、再度攻撃させる前に完全破壊した。その後は全員で変な大きい重爆撃機を殲滅して、なんとか進路を東へ、逃げ帰っている途中が今よ。二機目、三機目のクラゲも対空電探で炙り出しはしたけど、重爆をバラ撒く前に遠くまで逃げ切ったからか、もう追ってきてない」
「そう、か……」
あのような敵が複数控えている、そのうえ過去最大の規模を誇るトラック泊地の『深海』。かつて無い脅威であることは間違いないようだ。
「とりあえず士郎、今はゆっくり休んで。焦って操舵室に運んですぐに治癒魔術を始めちゃったけど、ベッドならもう少し寝心地いいはずよ」
「そうする。あの、遠坂……」
「ん?どうしたの士郎」
凛の優しい表情を見て、その先を続けようとした士郎だが、結局言わず仕舞いに終わった。
「いや、なんでもない。何かあったら呼んでくれ」
未だ僅かに力が入りにくい身体を引き摺るように、士郎は階段下の居住区へ向かった。
(口で言っても信じてもらえないかもしれないけどさ……)
それは、彼の心に起こったちょっとした、けれど重要な変化。
(遠坂から見たら、変わらないように思えるかもしれないけど。最近俺、死にたくない……って、自分の未来を未練に思うことがたまにあるんだ)
けれど思いは行動で示さなければ意味が無い。
軽率に口にして良いのか、士郎には分からなかった。
◇
1月13日 16:12
トラック泊地からの帰路は、戦闘が一切発生しなかったとしても半日近くは掛かる。アリマゴ島へ着くのは普通に考えて本日の18:00以降になる見込みだった。
そして実際に予定通りに進み、たった一度の対潜戦闘を経て、残り二時間ほどで帰投出来るという時。
「痛……っ」
凛の胸元に刺すような痛みが走った。
ペンダントのようにチェーンに通していた金属製のリングが、焼けるように発熱していたからだ。
それはほとんど気まぐれで用意した礼装。対になるように二つ存在し、片方が壊れるともう片方は発熱してそれを知らせる仕組みだった。そしてもう片方を凛は、アリマゴ島から動くことの無い榛名に渡していた。
つまりこの事態は、アリマゴ島に何らかの異常が起こっていることを示していた。
未知の深海の戦力考えるの楽しい(苦しい)
気分はFuture is wild