正義の味方が着任しました。   作:碧の旅人

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第46話 これより西へ

1月14日 02:28

 

 漂流状態にあった二式大艇から発った金剛は、無事に『かぜなみ改』と接触を果たした。

 接近してきた『かぜなみ改』に、加賀に背負われる形で士郎が運び込まれ、凛が速やかに魔術による治療に当たった。

 アリマゴ島から持ち出された物資も、全て『かぜなみ改』へと移され、金剛に抱えられた榛名を含め、全艦娘が巡視艇へ合流した後、二式大艇は秋津洲によって分解・霧散され嵐の海へ消えた。

 

 

 

 

 

 

「……この大量の血痕は?」

 

 『かぜなみ改』の操舵室で、加賀が荒潮や天龍に尋ねた。彼女の視線の先では、床の一角にまるで殺人現場のように血が飛び散っていた。不思議なことに、いつまで経っても凝固する気配はない。

 

「遠坂提督の血よぉ。魔術で無茶し過ぎた反動で、死んじゃうかと思うくらい傷だらけだったんだから……」

「掃除はするなって言ってたぜ。なんか理由があんだろ、黒魔術?とかで使うとか」

 

 凛と士郎以外の全員が、操舵室に集まっていた。皆一様に表情に疲労を滲ませ、休息が必要な状態ではあった。しかし先行きが不透明な現状では、何か議論をして気を紛らわせていないと、不安という重しがのし掛かってきそうだった。

 

「魔術を使うことで、怪我を……?それってもしかしてあの、海を持ち上げて滑走路を作った時のこと?」

「その時も見てられなかったけどぉ、ここの血はこの船を集中砲火からガードし続けてた時のものよぉ」

「……でもこんな血が出るような怪我も、治癒しちゃったのよね。さっき見たときは、外傷は無さそうだったし」

「流石に金剛さん達ほど早くはなかったけどぉ、一時間くらい掛けてじわじわと……ね」

「そういえば私もまだ聞いてなかったわ」

 

 陽炎と荒潮の会話に、叢雲が疑問を挟んだ。

 

「司令官があんな規模の現象を魔術で起こせるなんて知らなかった。一体何をどうしてたの?荒潮あんた、近くで見てたんでしょう?」

「分からないわよ……。呑気に質問できる状況でもなかったし。明確にいつもと違うなって思ったのは、あの綺麗な剣だけど」

「宝石剣が?」

「ああ、そんな名前だったっけ。その宝石剣が、杖みたいな形に変わってたのは覚えてるわぁ。樹が枝分かれしていくみたいな……」

「……」

 

 叢雲は黙り込んだ。魔術に関する門外漢がそれ以上考え込んでも、何が分かるわけでもなく。

 

「……状況整理やな」

 

 龍驤が呟くように言った。

 

「アリマゴ島で分かれて以来、お互いどうやってここに至るのか、今の内に情報共有だけでも進めておこうか」

「そうだね。遠坂司令官の治療が終わったら、すぐに次の行動を起こせる準備はしておくべきだ」

 

 響が同意する。

 艦娘たちは、離れていた間の自分たちの状況を、細大漏らさず報告し合った。

 

 

 

 操舵室の隅っこのシートには、鳳翔、金剛、榛名が並んで腰を下ろしていた。年長者グループの彼女たちの顔にも、流石に疲労が色濃く滲んでいる。普段は背筋が真っ直ぐに伸びている榛名や鳳翔でさえ、金剛と同様に壁にぐったりともたれ掛かっていた。

 鳳翔が、すぐ近くにだけ聞かせるように、ぽつりと声を出した。

 

「……金剛さん」

「ンー?」

「衛宮さんが仰っていたこと、どう思いますか」

「……」

 

 それは、この二人と電だけが耳にした話。

 艦娘の心は、旧海軍の艦艇が意思を持ったものではなく、記憶と力を制御する為に後付けされたものだという。

 

「電さんはああ言っていましたが、私としては自分の気持ちを持て余している状況でして……」

「フフ……駆逐艦(デストロイヤー)ガールズには聞かせられませんネ……」

「もう、私は真面目に相談しているんですからね」

 

 ぐったりしつつも少し拗ねたような声になる鳳翔。

 金剛はそんな彼女の様子に懐かしさを感じつつ、士郎の言ったことを脳内で反芻する。

 

 ……彼は電を気遣って言ったのだろうが、はっきり言って逆効果すぎる。自分は軍艦の生まれ変わりのような存在である、というのが艦娘の精神の基本にある……あったのだが、それを士郎は否定した。金剛だって、いきなりそんな事実を突きつけられて、何も思わずにいられるわけでは無い。

 

「……デモだからといって、ワタシたちの何かが変わるわけでもないヨネ?」

「それは、そうですが」

「ン。じゃあ全くの他人として。自分の中にある“その記憶”を見て、“その力”を借りて戦う事をどう思う?」

 

 鳳翔はしばらく考え込むように目を閉じて、

 

「――――――――」

 

 やや恥ずかしそうに、こっそりと金剛に耳打ちした。

 金剛は図らずも笑みを抑えられなかった。自分と全く同じ感想だったからだ。

 

「ホラ、問題Nothingネー。こんな事、知ってても知らなくても一緒デース。まあ無理して皆に知らせる必要もありませんケド」

「そんなあっさり片付けていいんでしょうか……」

「いいデース。ワタシが決めマシター」

 

 と、隣に座っていた榛名が、ぴたりと金剛に肩を寄せてきた。

 

「……なんだか先ほどから、榛名だけ仲間外れなのですが。お姉様、妹が寂しそうにしていますよ。榛名も混ぜてください」

「オーゥ……。別に大した話じゃありませんヨ。ただ、何があっても榛名とワタシは姉妹だ、って話デス」

「お姉様……!それは勿論です」

 

 榛名は感極まったように金剛に抱きつくと、急に冷静になって顔を上げた。

 

「ちなみに現状、榛名と衛宮さんではどちらが好きですかお姉様」

「くっ、コイツ……!ちょっと優しくしたら直ぐこれデース。……あー時間巻き戻らねーカナ」

 

 割と切実な声で天を仰ぐ金剛。とはいえ、今思い返してもあの時はあれが最適解だったのだ。凛と士郎に知られぬまま、皆が忘れてしまえば問題ない。と一人納得する。

 その様子を見た榛名は、これ以上踏み込んだら殴られるな、と薄らと理解した。

 

 

 

 

 それからしばらくして、階下の居住区から階段を上ってくる音が響いた。

 

「みんなお疲れさま」

 

 本人に先駆けて複数の宝石が浮遊してきた。それらは血溜まりの上まで移動すると、床に残った凛の血液を吸い上げ始めた。血液は宝石に触れると、内側へと吸い込まれていく。

 

「おっとと……二週間分ってとこか」

 

 船体の横揺れで、バランスを崩さないように手摺りに掴まりながら、凛が唸った。血を全て回収した宝石は、彼女の手元に戻る。

 血液には魔力が多く含まれているのだが、そんな事を知らない艦娘にとっては少し異様な光景に映った。響がハッとして凛に振り返る。

 

「それで、衛宮副司令は?」

「治した。今はまだ起きてないけど、もう心配要らないわ」

 

 それを聞いて皆一様に安堵の息を吐き出し、操舵室の空気がやや弛緩した。

 

「衛宮士郎だけじゃなくて。あんたも酷い有様だったんだから、今すぐ休んできなさいってば」

 

 壁に背を預け腕を組んだ叢雲が、気遣うように凛を諫めた。

 

「……私の見誤りじゃなければ実際、何度か心停止してたわよぉ」

 

 ぎょとした全員の視線が荒潮に集まり、次いで凛へと向かう。

 

「そうしたいのは山々だけど、そうも言ってられないわ」

 

 凛は叢雲の隣に並ぶように席に着くと、言葉を続けた。

 

「今後の方針も決めなきゃだから。でもまずは、無事に全員揃ったことだし……お茶にしましょうか。張り詰めてばかりじゃ切れてしまうのは、人も艦娘も同じでしょう?」

「――あ、それでは私が」

「私も手伝うわ」

 

 鳳翔が急いで立ち上がり、雷がそれに続いた。

 

 

 

 

 波は幾分か穏やかになり、『かぜなみ改』の揺れも小さくなってきた。とは言っても船体は未だ2、3秒ごとの下降と上昇を繰り返しているが。

 船室内は淹れたてのハーブティーの香りが立ち篭めている。

 

 叢雲はカップに口をつけ、ほっと一息ついてから口を開いた。

 

「それにしても、よく生きてたわね。心臓が止まったなんて私聞いてなかったんだけど」

 

 椅子に座ってその言葉には、探るような意図が含まれていた。心停止しているような状況で、果たして治癒魔術を使うことが可能なのか、という疑問。少なくとも士郎は、意識を失った状態では為す術なく死に向かっていた。

 

「あー……。私にはコレがあるから」

 

 やや逡巡する素振りを見せつつも、凛は左腕を捲くってみせた。そこには活性化中の魔術回路のように、今なお発光を続ける入れ墨のような紋様が、浮かび上がっている。

 

「魔術刻印っていうの。魔道の家系が代々継承する、魔術の研鑽の結晶よ。魔術師の全てと言ってもいい」

 

 そういう凛の表情からは、言葉では表せない程複雑な感情が見て取れた。

 

「私個人とは独立して詠唱させたり……便利ではあるんだけどね。これは魔術師にとって、“遺産”であると同時に“呪い”でもあるの。“魔術を極められなかった”という祖先達の無念まで籠もってるから」

「……ちょっと不気味ね、失礼な言い方だけど」

 

 歯に衣着せない叢雲の物言いに、凛は苦笑しつつも首肯した。

 

「まあね。――そして、この魔術刻印は継承者(わたし)が簡単に死ぬことを許さない。たとえ心臓が止まっていても新しい臓器のように蠢いて、継承者を蘇生させる。まるで、根源に辿り着くまで立ち止まることは許されない、って言うみたいに」

「……」

 

 魔術師という存在の、想像していた以上に常軌を逸した在り方に、叢雲までしばし口をつぐんでいた。

 やがて加賀が、手に持つカップを茫洋と眺めながらぽつりと呟いた。

 

「もしかすると雨樹提督も、同じような立場だったのでしょうか」

「……あ」

 

 叢雲が目を見開く。

 

「一族の無念を背負って、根源を目指すしかなかったってこと……?」

「……オーイ叢雲。どんな理由があろうと、あの提督が深海棲艦と繋がっていて良い理由はねぇぞ?」

「わ、分かってる!敵になるなら容赦しないから」

 

 軽く咳払いすると彼女は続けた。

 

「話を戻すけど。つまり、魔術刻印ってのがあるから、あんたは死にかけても治癒できて、刻印がない衛宮士郎は自力で治癒できなかったってわけね」

「そういうこと」

「成る程ね……」

 

 しばし船室に沈黙が降りた。

 

「……じゃあまあ休憩はこのくらいで良いでしょ。これからの話をしましょう」

 

 やがて叢雲が、空になったカップをトレーに戻しながら言った。

 

「次に私たちはどう動くべきか。考えはあるんでしょう?」

 

 凛はカップの内側に落としていた視線を上げると、小首を傾げた。

 

「……どうすれば良いと思う?」

「……。え、はぁ? ちょっと待って、まさか何も考えずに鎮守府を捨てたの!?」

 

 思わず声が大きくなってしまう叢雲に対して、あくまで落ち着いて人差し指を立てる凛。

 

「何も考えてない、は不正確よ叢雲。あのままだと、じわじわ削り殺されて人数を減らされるか、最悪全滅も考えられた。貴女も同意したでしょ?だからまず最初は逃走を選んだ」

「う……それはそう、ね」

 

 渋々といった様子で同意する叢雲。

 その隣で暁が、恐る恐る挙手して言った。

 

「あの、司令官。じゃあ今は全くのノープランなの?」

「あると言えばあるんだけど……出来れば最後の手段にしたいから、リスクの少ない案があれば先に聞きたいなー。誰か妙案のあるひとー」

 

 しばし考え込む一同。

 やがて龍驤が机に広がった海図を差して言った。

 

「ここから最寄りの泊地といえばトラックなんやけど、陥落してたしなぁ……。いっそ南下して、ラバウル、ブイン、ショートランド辺りに向かってみるとか?」

 

 ラバウル泊地は現在地から1,000kmほど南にある、パプアニューギニアのニューブリテン島に存在する。トラック泊地があったチューク諸島までよりも2~3倍の距離があった

 

「あっ……ごめん言い忘れてた。アリマゴ島脱出前に、暗号化した無線*1で誰ともチャンネル合わせずに、『ラバウル方面で集合』ってフェイク通信を飛ばしてたの。だから、もしかしたら敵が傍受して今そっち方面を捜索してるかも……」

「うわぁ……」

「し、仕方ないじゃない。そうでもしないとすぐに見つかっちゃうと思って……」

 

 敵が魔術師であることを想定して、解読しやすいように魔術世界では有名な暗号を使用している。

 

「でも私たちはこうして無事なんだし、結果的にファインプレーでしょ」

「よねぇ……。ラバウルなら、付近の泊地と連携して対処出来そうだし。……泊地が残っていれば、だけど」

 

 陽炎と荒潮が頬杖を突きながらフォローを入れた。

 

「他にやりようがあるとすれば……オロルク環礁付近(この辺り)を拠点に、時間を掛けてアリマゴ島に反復出撃。やがて奪還……とか?」

 

 これは秋津洲の意見。

 

「そのへんが現実的デショウカ」

「はい、榛名としてもその案か、もしくはラバウルに偵察を送っても良いかもしれません」

 

 金剛らからも好意的な声が上がった。

 しかし凛としては、余り好ましい状況ではなかった。アリマゴ島を奪還したとしても、泊地機能を復旧させるのに数ヶ月以上を要し、そこまでしてもようやく振り出しに戻る、という程度。

 かといって凛が最初に考えていた案は、彼女自身リスクが高すぎると判断した物だった。

 

(皆としてはアリマゴ島を優先したいだろうけど……うーん)

 

 と、その時。全く新しい発言者の声が、上がった。

 

「――いや、今はそれでは駄目だ」

 

 見れば、士郎が居住区の階段を、手摺りを支えに上がってきているのだった。

 

「ちょ、なにやってんのよアンタ!」

「この彼女にしてこの彼氏有り、って感じかな?」

 

 慌てたように腰を浮かせる叢雲と、冷静に凛と士郎を見比べる響。

 凛は、「一緒にしないで」と文句を言ってから、士郎に聞く。

 

「調子は?」

「疲労感は酷いけど、痛みはお陰様で。ありがとな」

「はいはい、どういたしまして。で、どういう事?」

 

 実際に傷を完全に治療した凛は、士郎の状態をよく把握しているため、それほど慌てずに対応する。そんな凛を見て、叢雲たちもある程度士郎の状態を察した。叢雲が、士郎を空いている椅子に座らせる。

 

「ああ、今俺たちが向かうべきはトラック泊地、目的はその敵艦隊の壊滅と泊地占有」

「……いや、丁度今朝……いやもう昨日か?負けて帰ってきたとこじゃねーか」

 

 天龍が突っ込む。

 

「それでもだ。トラック泊地を奪還するのは今しかないと、俺は思う」

「……詳しく聞かせて?」

 

 他の反論が入る前に、凛が士郎に促す。まさか自分が最初に考えていた案と、同じ物を士郎が持ってくるとは思っていなかったが、流れとしてはありがたい。

 

「アリマゴ島の周囲に発生した『深海』は、別の場所から少しずつ、俺たちに気付かれないようにリソースを持ってきたと考えるのが一番自然だ」

「まあ、一瞬で転移させた物とは考えにくいわね」

 

 凛が相槌を打つ。

 

「じゃあ、別の場所って何処だ?……普通に考えれば、それは他の『深海』だと思う。それで、アリマゴ島を襲撃した深海棲艦の中には、巨大なクラゲ型の重爆母艦があっただろう」

 

 遠征組が目を見開く中、士郎は駐留組だった六駆の四人や陽炎たちに、確認するように視線を送る。

 彼女らが大人しく頷くと、士郎は続けた。

 

「実はそいつら、トラック泊地にもいたんだ」

「つまり、あの深海棲艦たちは、トラック泊地からやってきたって事?」

「或いは、純粋な霊力に分解して運んできて、アリマゴ島の周囲で再構成した、とかも考えられる……かな。どちらにせよ、他の場所から持ってきた力って事だ。なにせ基本的に、この星全体の力の総量は変わらないらしいから」

 

 これは以前、凛が発言していた事だ。

 

「“グレイ・グー”とかを除けばね」

「ああ。……結論として、トラック泊地に広がる『深海』は、()()()()()()()()()()()可能性が高い」

 

 このまま時間が経てば、アリマゴ島まで遠征していた余力が、チューク諸島まで戻ってきてしまう。そうなれば、トラック泊地攻略の難易度は大幅に上がると、士郎はそう言っているのだ。

 

(……有り得ない話では無さそう。いえ、これはひょっとしたら、敵の裏を掻くカウンターになるかも……)

 

 凛は艦娘たちの様子を盗み見た。

 叢雲は乗り気では無さそうに見える。常に慎重を期する彼女としては正常な反応だろうか。

 反対に天龍や加賀、陽炎などは好戦的な瞳をしている。負けず嫌いというか、やられたらやり返したいというのが彼女らの心境だろう。

 

(あとは……そういえば金剛は?)

 

 金剛ら三人がいるシートの方に目を向けて、自分と同じような目をした金剛と視線がかち合った。恐らく彼女も凛と同じように皆の反応を窺っていたのだと、凛は察した。詰まるところ、彼女自身は中立。否定的ではない。

 

(いける)

 

 凛は椅子から立ち上がって声を上げた。

 

「時間がない。私は士郎の案に乗ってみて良いと思う。一度手を尽くして挑戦してみる価値はある。……反対意見があれば、今の内に遠慮なく言って」

 

 たっぷり十秒待って、結局反対の声は上がらなかった。

 

「……決まりね。これより本艦は進路を西へ。目標はトラック泊地、チューク環礁に広がる100km超えの巨大深海よ」

「皆、しんどいと思うが力を貸してほしい。俺たちは拠点を取られたけど、代わりに今日敵の要衝を一つ貰う。今の内にしっかり休んで作戦に備えてくれ」

 

 凛と士郎の弁に、全員の「了解」が重なった。

 

「……いや、そもそもアンタが一番休まなきゃなんないでしょーが。ホラ、さっさとベッドで寝てこい怪我人」

「わっ、ちょ……」

 

 叢雲が士郎の背中をゲシゲシと蹴って、居住区の方へ押し込んだ。

 

 

 

 

 

 

1月14日 05:44 

 

 金剛は甲板に出て海を見渡す。

 雨は既に止んでおり、風も強くない。波は未だ高いが、チューク諸島に向かうにつれて穏やかになりつつあった。

 

 ふと気配を感じ、艦橋の側面の手摺りを伝って二階部分に登ってみる。

 

「リン?」

 

 艦橋二階を取り囲むベランダのような通路に、彼女はいた。手摺りに身体を預けて、流れる雲を眺めている。

 

「今は少しでも体を休めてくだサイ、索敵警戒は艦娘がやってますカラ」

 

 そう声を掛けると、凛はぼんやりとした視線を金剛に向け、困り顔で微笑んだ。

 

「ごめん。……中々寝付けないの。まだあの時の興奮が収まらなくて」

「あの時?」

 

 眉を顰める金剛に対し、凛は視線を自分の左手に落とした。よく見れば、微かに震えている。

 

「そう、二式大艇を飛ばすために、海水で滑走路を作ったとき。強大な神秘に繋がったから、この身体が――魔術師としての身体が、喜びに打ち震えている感じがする。ティータイムを挟んでも、まだ弛緩してくれないの」

 

 金剛はその時のことを思い出していた。自分は士郎に掛かりきりで直接見てはいないが、これまでの凛の活躍と比較しても次元の違う規模の力だったはずだ。

 

「自分でも、あんな事が出来るなんて半信半疑だった」

 

 金剛が詳しく尋ねていいものか考えているうちに、凛の方から話し始めた。

 

「あんな事?」

「この世界で最初に宝石剣を使用したとき――すぐに帰還できると思い込んでいたあの夜に、頭の中に誰かの思念が流れ込んできたの。“宝石剣を真に使いこなせるのは魔法に到達した者だけだ。第二魔法へと至らない者が、自身を今以上に変革させたところで、出来ることは変わらない”ってね。……ほんっと、馬鹿にしてるわ」

 

 凛は、つま先で床をコツコツと蹴りつけながら怒った。彼女が思い出しているのは、あの夜流れ込んできた、いけ好かない感じの思念。

 

「勝手に人の限界を決めつけて何様のつもりかしら、って怒りは湧いてきたんだけど……実際元の世界には帰れなかった訳だし?宝石剣を使っても、並行世界から魔力を引っ張ってくる以上のことは出来なかったから、やり方を変えたの」

 

 懐から宝石剣を取り出して、凛はそれを前方へ掲げた。一度軽く深呼吸すると、宝石剣へと魔力を流し込み、流動、変化を起こしていく。イメージするのは、幼き日に父が見せてくれた技。宝石で小さな馬を作り出して見せた父に、自分はただ無邪気に目を輝かせていた。

 

「魔法使いにしか十全に使いこなせない礼装なら、私にも使えるように作り替えれば良い。未熟者が扱えない機能は削る!必要な機能だけを残して拡張、特化させる!」

「……!」

 

 金剛が見ている中、宝石の刀身部分が枝分かれし、その分かれた枝先も更に分岐してゆく。同時に柄の部分も長く伸張し、1メートル弱になった。

 

「……綺麗」

 

 金剛は思わずそう呟いた。

 もはや剣ではなく、魔法の(ロッド)のようだ。先端の宝石部分は、無数に枝分かれした水晶の樹となり、光の透過によって燦めいている。その宝石の樹はまるで、無数に存在する並行世界分岐の概念を表しているかのようだった。

 

「宝石剣改め、“宝石杖”ってとこね。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()事に特化させた礼装」

 

 繰り返し宝石剣を使用する中で凛は、材料と時間さえあれば自力で宝石剣を再現できる程度には、構造や術式を理解するまでに至っていた。

 だからこそ、分かる。どこがどの機能を司るのか。どこを書き換えれば必要な現象を引き起こせるのか。あの夜流れ込んできた思念情報も、それをサポートした。

 よく分からない奴に頼るのは釈然としなかったが、利用できる物を捨て置くなんて緩い真似も、信条に反する。

 

 そして、本来この宝石剣は衛宮士郎の投影物である。それが、これほど形状を変えても破綻していないのは、本人を除けば世界で一番士郎の投影に触れてきた凛の、卓越した技術によるものか。或いは宝石剣が元来、これだけの変化を許容する拡張性を内包していたのか。

 

 

「……」

 

 金剛はその神秘的な杖を、まじまじと見つめていたが、やがてあっ……と声を上げた。

 

「もしかして、コレがあるからトラック泊地攻略に踏み切ったデス?」

 

 凛の説明が正しいなら、十の並行世界と並列化すれば、凛の能力は十倍になるのだろう。実際にアリマゴ島で見せた、200メートルもある海水の滑走路を作れる程の力。それを自在に振るえるならば、これほど頼もしいことはない。

 しかしそれに対して凛は、ゆっくりと頭を振った。

 

「……残念だけど、自由自在に使えるほど便利な礼装じゃなかったわ。さっき初めて使ったときは、瀕死でしばらく戦闘不能になったし」

「そういえば……スミマセン、失念してたネ」

「それからもう一つなんだけど……体内の魔術回路の損傷が完治しないの」

「えっ……?」

 

 凛は、困ったなぁと言いたげな表情で言った。

 

「何度も治癒を施してみたけど、どうしても治せないくらい傷んだ箇所が残ってる。……多分、この宝石杖を使えば使う程、私の魔術師としての性能は低下していくと思う。今の私では、さっきと同じ規模での滑走路は作れない」

 

 金剛は慌てて凛を諫めた。

 

「じゃあ今無理して使わなくてもっ……」

「ああ、魔術を使わずに宝石杖を組み上げるだけなら平気よ。でも、なるべくなら使っちゃいけない事は確かね。この礼装の最大出力は、なるべくマリアナ海溝での戦いに取っておきたいもの」

 

 そう言うと凛は、宝石杖を元の宝石剣の形に戻した。

 しばらく二人で並んで、次第に明るくなっていく空を眺める。 

 

 

 

 そろそろ船内に戻るよう、金剛が促そうと考えた頃。不意に凛が、何かに気付いたように「あ」と零した。

 

「そうだ、言うの忘れてた……。ありがとうね金剛、士郎に適切な処置をしてくれて。お陰で士郎を失わずに済んだ」

「イエそんな、別に大したことは……エ?」

 

 ギギギ……と錆び付いた機械のように、ぎこちなく凛へと振り返る金剛。

 

「しょ、処置……とは」

 

 恐る恐る尋ねると、凛は何故か楽しそうな……というか愉しそうな表情で自らの口を指さした。

 

「知ってる?人間の体液ってね、魔力を沢山含んでるの。例えば血液とか……唾液とか」

 

 あ、これ完全にバレてるわ。

 金剛はそう理解した。他の艦娘から聞いたとかではなく、士郎を治療する際、口内に金剛の魔力が残留していることに気付いたのだろう。

 金剛は瞬時に謝罪・弁明モードに移行した。

 

「スミマセン別に下心があったワケではないのデスあの時は治療のことで頭がいっぱいデシテ」

「いや別に怒ってないから、そんなに謝らないでよ」

 

 チラリと顔を上げると、凛の不満そうな顔があった。

 

「あなたは士郎の命の恩人なんだから、もっと堂々として」

「……」

 

 その凛の態度に、金剛の中で違和感が膨らんだ。それは以前から時折感じていた事だ。逡巡はあったが、自らの感じた疑問をこれ以上秘めてはおけず、彼女は凛に問い質した。

 

「……リン?シロウのことが本当に好きデスカ?」

「どうしたの藪から棒に」

「だっておかしいデショウ。普通恋人が他の人とキ、キスしたなんて知ったら、嫌な気持ちになると思いマス!ワタシならなりマス!それだけじゃなくて、以前はシロウのいる浴場に、他の子と乱入したり……絶対変デス!」

 

 思っていたことを一息に捲し立てる。

 すると凛は、気まずそうに視線を彷徨わせた後、観念したように溜息を吐いた。

 

「……そうね、あなたの言うとおり。白状するとね、私、どうあがいても貴女たちでは恋敵になり得ないと思ってるの。高をくくってるの」

「っ、それは、どうして。艦娘だから……?」

「違う。だって、私と士郎は絶対に元の世界に帰るって決めたもの。なら、最後には絶対貴女たちと別れる事になる。だから……」

 

 そう言うと凛は頭を抱えた。

 

「ああぁ……!我ながらダサすぎる!だから明確に言語化したくなかったのよ、こんな打算まみれの考え……!でも今の私には全てにおいて優雅に振る舞う余裕なんてないの。本当は余り嬉しくないけど、士郎と貴女たちがある程度親密になるのは、寧ろマリアナ攻略にとってプラスだと考えちゃうの」

 

 凛は息を整えると、ぷいとそっぽを向いた。

 

「幻滅したでしょ」

「え……と、まあ少しは」

 

 凛に対する洗練された大人の女性、というイメージは崩れたかもしれない。だが、よく分からなくて不安だった士郎に対する心情が明らかになったことで、親近感は増した。

 

「フフ。デモまあ、だったらワタシももうチョット、シロウにアタックしてみまショウカ?」

「……っ」

 

 ジロリとこっちを睨む凛に、仕返しとばかりに今度はこちらがニヤニヤと笑う。

 

「恋敵になり得ないんデショ?……そういう子供っぽい顔も可愛いと思うネー」

「あんまり、調子に、乗るなー!」

「アハハ!」

 

 狭いベランダのような通路でのじゃれあいは、叢雲がやってきて二人をベッドに叩き込むまで続いた。

 

 

 

*1
艦娘用の霊波を模倣




鳳翔さんが新米艦娘(最初の空母娘)だった頃、
教育は先達の空母がいないので少し先輩の金剛が当たっていました。

今でこそ大和撫子然とした鳳翔さんですが、
最初の頃は初めて遭遇した戦艦ル級にびっくりして海の上で腰を抜かし、
溺れかけたりもしていたそうです(金剛談)。
 
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