トラック泊地周辺の海域を守護していた馬人騎士の姫と竜骨の姫。
最大の障害であった二隻の深海棲艦は失われた。
◇
金剛と空母水鬼が、青色を取り戻した海で対峙する。
空母水鬼は当初二隻いたのだが、既に一隻は金剛らによって沈められている。
残されたこの空母水鬼は、天龍と陽炎が南部で引きつけていた機動部隊の最後の一隻だった。海水の色の変化から作戦の成功を理解した天龍たちは、確実に勝てるように主力部隊と合流して殲滅戦に臨むことにしたのだ。そうして逃げに徹することで引き連れてきた敵機動部隊を、金剛らの攻撃が襲った。
空母棲姫は決して金剛に接近すること無く、大量の航空機を絶えずけしかけて、時には砲撃も交えることで消耗を強いてくる。
金剛としては残り燃料も心許なく、残敵の殲滅に備えてこれ以上無闇に中大破したくないという意識も相まって、強引に勝負を決めにいけない心理状態にあった。
「こらー!こっちにも攻撃してきなさいよ!」
「俺らも結構ダメージ入れてんだけど、タフだよなぁ……」
陽炎と天龍は、空母水鬼を挟んで金剛とは逆サイドにいた。
敵の背後から砲撃を続けながら溜息を吐く。背面は少しだけ玉座タイプに似た巨大な艤装が聳えていて、只でさえ硬い『装甲』を抜いたとしても有効打は望み薄だった。これでも『深海』が消えたことで多少は弱体化しているのだ。
……と金剛が、襲ってくる艦載機群を対空砲火で墜としつつ、大回りに位置を変えていく。そして何か剣のような物を手に持ち、目立つように高く掲げている。
次の瞬間、何かが風のように駆け抜けた。
気が付いた時には金剛が持っていた剣が消えており、背後でその剣を掴み取った士郎が、左手の長剣を振り抜いた姿勢で足場の上に立っていた。
空母水鬼の艤装上部が吹き飛んでおり、驚いたように振り向いた可憐な首が、ボトリと落ちた。
「……やーばいでしょあの人」
「死神みてぇ」
機動部隊迎撃にあたって、予め金剛にはトーコトラベル発動タイミングが委ねられていた。凛が時間を掛けて術式を組んだ完全版なので、音速移動によるダメージは無い。
陽炎たちは、自分らがあんなに苦労した敵があっさり沈んでしまって、ちょっと理不尽さを感じたりもしたが──
「あ、おい落ちたぞ」
士郎が足場の上でふらついたかと思いきや、盛大に水飛沫を立てて海に落下した。
金剛が慌てて引き上げている。
「……もしかして、かなり疲れてる?」
「考えてみりゃあ、気を落ち着ける暇もなく戦い通しだったからなぁ」
幾ら強くても肉体は只の人間なのだ。そろそろまとまった休養が欲しいところだろう。
『ヘーイ二人ともお疲れデース!一旦
『ゲホッ……ゴホッ……。天龍たちが、かなり削ってくれてたんだな。お陰で一発で終わったよ』
無線の会話に顔を見合わせると、互いに肩をすくめる。
「りょーかいです副司令官殿」
「休みてぇー。俺たちも流石に疲れたぜ……」
二人は金剛と士郎に合流すると、凛たちが一足先に上陸している夏島に向かう。
◇
士郎は金剛たち三人と共に陸に上がった。ちなみに金剛にお姫様抱っこされながらの上陸だった。
金剛に お姫様抱っこ されながら。
四人で並んで歩きながら、士郎は両手で顔を覆った。
「……もう俺は色々と駄目かもしれん」
「いつまで気にしてるデース?」
見た目以上に消耗していると判断された士郎は、金剛に捕縛された。そのまま強制的に抱きかかえられ、男としてはかなり情けない姿で島まで搬送されたのだ。
当初こそ抜け出そうと藻掻いてみたものの、戦艦として圧倒的な膂力を持つ金剛の腕はびくともしなかった。
「だってだな……。大の男が自分より小柄な女の子に抱っこされるんだぞ」
「まあ中々面白い絵面ではあったわね」
「……陽炎。頼むから他の皆には言うなよ」
「……ふへへ」
「返事して?」
尚も追求する士郎だったが、陽炎はのらりくらりと躱していく。
じとりとした目を向けていた士郎も、遂には諦めて溜息を吐く。
「はぁ……。だいたい金剛も金剛だ。女の子が、気安く男に密着するのは良くないだろ」
んぐ、と妙な声を出す金剛。
「そっ……そんな事言ってる場合じゃ無いデショ!?あんなフラフラの人に、足場を連続で飛び渡らせる方が問題デス、艦娘として!」
「でもなぁ」
「この話題まだ続くデス!?……アー、聞こえまセーン!」
損壊した『かぜなみ改』を停泊させている、唯一接舷できた波止場からしばらく歩く。『かぜなみ改』には何かあった場合に備えて荒潮が待機している。四人で歩く道は、舗装されていたコンクリがボロボロに砕け、脇からは草木が割り出して、文明が自然に飲み込まれている最中、といった感じだ。
周囲を見渡せば、所々に『深海』の名残である黒い残留物の塊が見られた。要石たる浸透型たちを失ったことで、その残留物も徐々に崩れて風に吹き散らされていく。
その光景を見ながら、士郎はあることに気がついた。
「……花や樹木は普通に生きてるんだな」
たった今まで深海化によって大気は薄暗く淀んでいたはずで、陸地には黒い魔力が堆積していたにも関わらず、草木は生き生きと葉を広げ、あろうことか鳥の声まで聞こえてくる。
天龍が頭の後ろで手を組みながら答える。
「深海棲艦が害を与えるのは基本人間だけだからな。前にも言ったろ」
「そういえば、そんなこと言ってたな」
それにしても、あれほど日照条件が悪そうに見えたのに、人間以外に全く影響が無いというのは士郎にとって驚きだった。
森を抜けて開けた海岸沿いに出た。
倒壊した家屋や、市場と思しき建造物の残骸が並んでいる。その間のちょっとした広場に、凛たちの姿があった。
先行していた彼女たちから聞いて分かっていたことだが、ここまでに深海棲艦の残党の姿は無かった。
そして、トラック“泊地”としての機能が活きていた頃の、結界の起点が何処かに隠されていないかを、凛は捜索していたのだ。
「いたいた、おーい掃討終わったわよ……司令?」
凛や叢雲たちを見つけて、駆け寄る陽炎だったが、彼女らは妙に深刻な雰囲気だった。龍驤と加賀はもどかしげな顔で、西の空を睨んでいる。
「ああ。みんな、お疲れ様」
ちらりと。
こちらに気付いて振り返った凛の表情は、険しかった。
士郎は短く尋ねる。
「何があった?」
「秋津洲たち西側の陽動組と連絡が繋がらないの」
「……!」
その言葉に背筋が冷えた。
「連絡が付かない、って」
「――――Hey龍驤、向こうとリンクさせてる艦載機は?」
「とっくに全機撃ち落とされとる。さっき捜索に追加で艦偵飛ばしたとこ。加賀と一緒にな」
ぎり、と無意識に士郎の握る手に力が入る。
「おいおい頼むぜ……。折角ここまで来てこんな……っ」
天龍が誰に向けるでも無く、小さく呟いた。そんな時。
『――――ザ……ザザ……す、応答ね……ます!』
無線から流れる、暁の声。
凛は弾かれたように咽頭マイクに手をやった。
「暁!?何があったの!?」
『凛さ――ザッ…津洲さんザザ……、にも居な――ザ……』
「秋津洲がどうしたの?他の皆は無事!?」
『……ザザッ……敵を倒ザッ……ザアアアア…………』
そこで無線は途切れた。
「暁!?応答して暁!……っ、どうして通信が安定しないのよ!」
吐き捨てるような言葉と共に俯いていた凛は、やがてハッと顔を上げて、海の向こうに浮かぶ大きな島、
「……
「ガキ共は西側担当だったな。おい提督!止めるなよ……」
天龍は言うやいなや速度特化の仕様に換装しつつ、西へ駆け出す。
「待って!」
「あぁ!?」
凛の静止に激昂しながら振り返る天龍。
対して凛は短く思考して。
「向かうなら多分北西が正解よ、ウェノ島の右を掠める方向。陽炎、龍驤と加賀も天龍に随伴して、暁たちが敵と戦闘中なら殲滅して」
「――了解。……すまん」
そう言うと天龍は、今度こそ風を切って飛び出した。呼ばれた三人もそれに続くが、陽炎以外は流石に追いつくのは難しそうだ。
凛は少しだけ歯痒そうに言った。
「なんで貴女が謝るかなぁ……叢雲と金剛はウェノ島に向かって。確か北側の滑走路付近にここの鎮守府があったわよね?そこに着いたら私たちも牽引術式で追い着くから」
士郎はその言葉が出た瞬間には、トーコトラベル発動用の
「……どういうこと?』
剣を受け取った叢雲が意味を問う。海に向かって駆けながらの質問なので、後半は無線に切り替わった。
「なーんか知ってる感覚がすると思ったら、ウェノ島の方から、アリマゴ島の結界と似た術式が拡大していってるわ。暁たちと無線が繋がりにくいのは、あの島が張りだした結界の影響かもしれない」
『は?なにそれ……ここの泊地機能がまだ活きてるっていうの?』
『ありえまセン……! 生き残りが居るのデスカ!?』
「それを今から確かめるの。味方とは限らないから、くれぐれも気を付けて」
◇
凛は地面にしゃがんで
士郎は視線の先に浮かぶ島――ミクロネシア連邦チューク州の主島であるウェノ島――を見ながら、耳元の受信機から手を離した。
「……今、加賀との無線も途切れた」
「やっぱりウェノ島の向こうに行くと切れるわね」
「……アリマゴ島の結界には、こんな通信阻害効果は無かったぞ」
「鎮守府ごとに効果に差異があること自体は、不思議じゃないでしょ。アリマゴ島と同じように、この環礁全体を隠匿するなんて流石に不可能でしょうし」
言いながら凛は、完成した魔法陣の中へちょいちょいと手招きをした。
近寄っていくと、「ん……」とこちらへ両手を伸ばしてくる。
「……ああ、抱っこか」
「メインの牽引対象は士郎だからね。途中で落っことさないように、しっかり抱きかかえなさい」
「かしこまりましたお嬢様」
士郎が丁寧に抱え上げると、凛はしっかりと首に腕を回して抱きついてきた。
耳のすぐ横で話しかけられる。
「人間と……魔術師と殺し合いになるかもしれないから、そのつもりで」
「了解」
やがて足元の魔法陣が淡く輝き、二人は砲弾のような勢いでウェノ島へとカッ飛んでいった。
◇
トーコトラベルは発動距離が長くなるにつれ、緩やかに山なりの弾道を描く。
テュブロン島北端からウェノ島北端まで、10km弱。この飛行術式の正規の最大射程は不明だが、かつてライネスがロンドンから半日の距離まで接近していた魔眼蒐集列車まで飛んでいったことは、凛も聞いたことがあった。
海を越え、森を越え、ウェノ島北側の滑走路が近づいてくる。
段々と減速が始まり、アンカーを上に掲げている叢雲の手前でほぼ静止する。ふわりと士郎は着地し、凛は周囲を見回しながら士郎の腕からから降りる。ぶっちゃけると、恋人の腕の中であっても安らげない程度にはヤバい飛び心地だった。
士郎の模倣した術式は、電撃戦的な用途で使用された時の物であり速度重視の荒っぽい代物だが、今回は正当な術式を凛が細かく調整した。なお『魔女の箒』としての役割を士郎に背負わせることで術式を安定させているが、士郎には言わぬが花だろう。
「トラックの鎮守府があったのはあそこよ」
合流するや叢雲は、滑走路の南端付近の海岸を指した。
「……完全に倒壊してる、か」
「当然と言えば当然ね」
そこにアリマゴ島にあったような赤煉瓦の建物は無く、崩れた石材などが散乱しているだけだった。
「結界の出所は分かりマスカ?」
「普通に考えればそこの鎮守府跡地……なんだけど、不審な人影とか見なかった?」
金剛も叢雲も、揃って首を横に振った。
凛は憮然とした顔で腕を組んだ。
「そもそも今の今まで敵に占領されてた鎮守府が、どうして突然息を吹き返してんのよ……」
「こっちが知りたいわよ」
対抗するように腕を組む叢雲。
「きっと、生存者が何処かに潜んでいたのデスヨ」
金剛はそう言って大きく息を吸い込むと、背後の倒壊した廃墟群やその後ろの森に向かって叫んだ。
「誰か居ませんか――!!アリマゴ島から救援に来マシタ、金剛デース――!!」
四人ともしばし息を止めて耳を澄ますが、環境音以外に聞こえるものはない。
「……ワタシ、チョット奥の方まで探して来るネー」
「あっ、待ちなさい。単独行動は……」
小走りで旧市街跡へ向かおうとする金剛と、追いかける叢雲。
士郎はそれを見送りながらポツリと呟いた。
「簡単に見つからないなら、先に暁たちの救援を優先しないと」
そんな士郎を少し離れた距離からじっと見つめて、凛は息を吐いた。
「その時はそうね。取り敢えず私は、あの鎮守府跡を少し探してみる」
士郎に背を向けて滑走路を歩き出す凛。多くの謎、多くの迷いを抱えて、流石の彼女も何をするのが現状の最適解なのか、咄嗟に判断出来ないでいた。
「qjyv抑ngkhaf止?」
そんな時、前触れなく背後から響く音。まるでブラウン管越しに聞こえてくるような、奇妙な感覚。
驚いて凛が振り返ると、異様な何かが立っていた。
二メートルを越える白い痩身。
肉が削げ落ち、突き出た骨に皮が張り付いたような身体は、歪な
「あ……」
ソレはこちらへと手を伸ばす。
それだけで、自分はもう助からないのだと、そんな感覚に支配された。
そこを、士郎が急襲した。
異様な何かへと一直線に飛び込みつつ、干将・莫耶を脇腹へと最速で叩き込む。
戦艦水鬼の巨大な艤装すら切り裂いた宝具は、乾いた音と共に肉に2センチほど食い込んで、止まった。
「――は?」
思わず声が零れる。
異様な何かは、ピッと音を立てて士郎へと腕を薙ぎ払った。
慌てて剣から手を離し、数メートル飛び退る士郎。
「なんだこいつ……!」
その時凛が今まで聞いたことがない、悲鳴のような声を上げた。
強くて負けず嫌いな彼女がそんな声を発したことが、何よりも士郎には恐ろしかった。
「どうした、り……!」
彼女を振り返った士郎は、その絶望の表情が自分へ向けられているのを見た。
(なんだ?)
疑問に眉を顰める士郎の耳に、ボトっと何かが落ちる音が届く。そちらを見れば、人間の腕が落ちていた。
成人男性と見られるわりと筋肉質な左腕で、不思議と見慣れたものの気がした。
何故か自分の左腕が気になって視線を落とすと、あるべき腕はなく、肩口から勢いよく血が吹き出ていた。
「……」
大変な事になった、と妙に静かに状況を俯瞰する自分がいた。しかしそれは冷静だというわけでは無く、次にどう動けばいいのか、全く浮かんでこない。
腕を拾う?
敵を倒す?
それとも一旦引く?
視界に影がかかる。眼孔や鼻梁がない能面のような貌が、覗き込むように見下ろしてくる。枯れ木のように長い腕が、士郎目掛けて振り下ろされる。
「あ――」
こんなにあっさりと、終わる。何も分からないままで。
鋭利な指先が士郎に届く寸前。
鈍い音を立てて、ソレは吹き飛んだ。
「ッらあ!」
いや違う。
金剛はスラスタ噴射の勢いに任せて宙を舞うソレに追従し、滑走路上に蹴り落としたソレを踏みつけて、まるで地上でサーフィンをするようにアスファルトを削りながら滑走する。
鉄を削るような大量の火花が飛び散った。
「そらっ」
そのままボードを乗り捨てるようにソレを蹴り飛ばし、浮いたところに十二門の主砲斉射が撃ち込まれる。爆炎がソレを覆い尽くした。
「……シロウ!」
土煙に覆われた敵の死体を確認する前に、金剛は士郎の安否を確認するため振り返った。
それを見ていた士郎が堪らず叫ぶ。
「駄目だ!避け――」
「え――」
白い痩躯が、ダメージをまるで感じさせない疾さで土煙から飛び出し、金剛の背後で細長い五指をアスファルトに突き刺して急制動をかけている。
次の瞬間にはソレは金剛を通り過ぎる位置に立っており、金剛の両脚が太股から切り落とされていた。
「金剛……!」
それ以上は金剛に関心を失ったように、再び能面が士郎を向く。
しかし士郎の後方から叢雲の砲撃が連続して飛来し、それは蜘蛛のように素早く回避行動をとった。
その間に金剛は、修復を終えている。叢雲は敵を士郎たちから引き離すため、敢えて近くまで飛び込んでいく。
金剛と叢雲の挟撃による、消耗戦が始まった。
「ぐ、あ……」
肩口を押さえながら、士郎は呻いた。
鼓動に合せてズキズキと。切断面よりも寧ろ、頭が割れるように痛い。痛みが大きすぎて脳が誤認を起こしているのだろうか。
すぐにでも加勢に駆けつけたいのに、身体に力が入ってくれない。身体は寒く、視界は暗く、気力は萎えてしまった。
仮に腕を切り飛ばされることがあっても、気合いで戦い続けてやる。以前からそんな心積もりはしていた筈だったのに。
しかし、現実はこのザマだった。これ以上無茶をすれば失血死してしまうと、本能が死を恐れて自己保存に走っている。……けれどそれは当たり前のことだ。
だってこんなに痛いのだから。
片腕を失ったのだから。
これ以上戦えなくても仕方がないじゃ――――
「……あ」
そこで思い出した。
これまで共に戦ってきた、少女たちの姿を。
「いつも、こんな……痛みを」
たとえ修復できるとしても、痛みを感じないなんて筈がない。今は瞬く間に修復を行う金剛たちも、かつてはどれほどの期間、どれほどの回数、この痛みに耐えたのか。これまでも、そしてこの今も。
もはや大したことじゃないと、笑い飛ばせるくらいに苦痛に慣れてしまうまで――!
「……体は、剣で……」
自分に言い聞かせるように呟く。
硬い剣で出来ているから、
敵は不気味だが、ソレそのものは怖くない。
衛宮士郎が立ち向かうべき恐れは、常に自身の内側から生じるものだ。そして諦めろと囁く自分にだけは、いつだって抗っていける。
細く息を吸って、吐く。
震える足に力が戻る。
切断面を押さえていた手を離し、立ち上がりながら、血濡れの掌に投影した莫耶を握り込む。
「……士郎?」
どこか恐る恐るといった凛の声が、耳に届く。見れば彼女は、しゃがみ込んだまま『
士郎は視線を正面に戻し、確かめるように一歩一歩進んでいく。
「いやっ、やめて……!お願いだから……!」
そんな言葉が聞こえても、止まることは出来なかった。どんな理由があったとしても、命懸けで戦っている仲間を、ただ見ていることなんて士郎には――。
◇
無造作に振るわれる腕の
完全に無駄に思えるオーバーリアクションな回避行動だが、艤装の一部がガリッと削れ、金剛の背後でビシッと滑走路が割れた。
金剛は全く効果の見えない砲撃を、それでも続けつつ思考する。
(やっぱり。ガラスのように無色透明な、刃のような何かがあるネ……)
士郎の左腕を奪ったのもこれだろう。一見すると単なる徒手空拳にしか見えない厄介な攻撃だが、士郎の宝具による長射程斬戟を見ていたからこそ躱しようもあった。
(むしろ、技の冴えだけ見れば、シロウより数段以上劣ってマス! デスガ、気になるのは――)
金剛の疑問を引き継ぐように、反対側から叢雲が叫んだ。
「なんなのコイツ!砲撃も艦載機も使ってこないんだけど!」
そうなのだ。この敵はこれまでの深海棲艦と違い、飛び道具を使う気配がない。ひたすらに見えない斬戟や抜き手などを、恐ろしい速さで繰り出してくるだけ。こんな深海棲艦は初めてだった。
――いや、そもそも
(これは本当に深海棲艦……ナノ?)
鬼級や姫級に見られる、女性的な意匠が見られないのもそうだ。自分たちは一体何と戦っているのか、という疑問が金剛の中で生じていた。
だが、束の間の均衡は唐突に終わりを告げた。
「「!?」」
ぐにゃりと視界が歪んだ、と思ったときには、周囲一帯の地面から、植物のような、触手のような何かがびっしりと生えてきたのだ。
あまりの気色悪さに二人は、反射的にうねる地面から跳び上がる。
(あっ、しまっ……)
ソレの片腕が、勢いよく伸びた。
跳び上がっていて回避行動の取れなかった叢雲が貫かれ、血を吐く。腕は尚も伸び続け、叢雲は滑走路を越え、100メートル以上離れた旧市街跡に突き込まれた。
着地した足元には、先ほど生えてきた何かは綺麗さっぱり消えていた。
(幻……覚っ? そんな真似が)
残った右腕が、金剛を貫かんと伸びる。
それを右舷側の装甲板をガリガリと滑らせることで受け流し、叢雲を縫い止めている方の腕を至近距離から吹き飛ばしてやろうと、ガラ空きの懐に飛び込んだ。
そしてそれは失敗だった。
がぱっ。
そんな音がして、金剛の目の前でソレの肋骨が展開した。こちらを捕食しようとする、悪魔の口のようだった。
「い”っ!?」
そのまま為す術なく、体中を肋骨に串刺しにされ、宙に持ち上げられる。
「ク……あっあっあっ!」
金剛の身体が雷に打たれたように痙攣する。突き刺さった骨を通して、金剛の中の大切な何かが吸われていく。それに比例して心を絶望が満たしていった。遂には星幽体駆動形態が解けてしまう。
もう二度と幸せを感じることはないような、そんな感覚。金剛に出来るのは最後の瞬間まで、敵を睨み続けることだけだった。
だが。
「やめろテメェ――!」
カッと音を立ててアスファルトに短剣が突き立つ。そして一拍をおいて
斬ッ!
と、二人を縫い止めていた肋骨と左腕が、纏めて切り飛ばされた。
士郎は靴底を削って勢いを殺しつつ半回転し、右手に握っていた鳥の翼のように巨大化した莫耶を構え直した。
重症の身体を牽引術式で加速することで、無理矢理斬戟の威力を引き上げたのだ。
宙吊りだった金剛はそのまま地面に崩れるように落下した。
「――――
凛の声が響く。
アスファルトや土砂で形成された巨大な蛇が、白い痩躯へと巻き付いた。そしてそのまま砕き殺す勢いでギリギリと締め上げていく。
士郎は急いで金剛に駆け寄った。莫耶を地に突き刺して、片方しかない手で金剛の目元を拭う。
金剛はその時初めて、自分が涙を流していたことに気付いた。
「すまん、……もう少しだけ力を貸してくれ。俺も頑張る」
どう考えてもこれ以上無茶をすれば死ぬような身体で、士郎はそんな事を言った。
そんな士郎を見て、金剛は初めて士郎と凛に会った日のことを思い出した。
海中から助け出した二人の人間。ベッドで眠る彼らを見たとき、自分に残された命は全部この人たちの為に使おうと、そう決めたのだ。
「そう、デシタ……」
立ち上がると、刺さった肋骨が抜け落ちて地面に散らばった。
「士郎、金剛を連れて逃げなさい! はやく!」
凛が叫ぶ。
いつの間にか砂礫の蛇には、何故か植物が根を張り枝葉を伸ばしていた。それにつれて土塊が崩れてゆき、蛇は力を失っていく。
「無理だ。都合のいい逃げ場なんて何処にもない」
「……Yes。ここで倒すしかありまセン、リン!」
金剛が言い終わると同時に、『世界蛇の岩影』が振りほどかれ、巨大な蛇は滑走路に叩き付けられて土塊へと還った。
「駄目! 勝てない――!」
凛の叫びを背に、士郎は白い痩躯へと襲いかかる。
一足で七メートルの距離を詰め、懐に入り込んだ士郎は莫耶を上へと跳ね上げる。対して『ソレ』は、超常の反応速度で迎え撃つ。先ほどは万全の状態でも効果のなかった攻撃。
しかし――
ガキィイン
と、士郎の莫耶と『ソレ』の拳が拮抗する。
『ソレ』は微かに驚いたような音を出した。
(イメージしろ。)
あの日の剣戟を、赤い背中を幻視する。
今の自分は片腕を失っている。
振るえるのは最も使い慣れたこの剣だけだ。
(こんな場所で、立ち止まっていられるか。)
振り回される腕に沿って、襲い来る不可視の斬戟。
左腕を奪われた一撃を今度はきっちりと避けていく。
持てる全てを駆使して、一秒後の生存を勝ち取り続ける。
(速く。上手く。より強く。)
振り下ろされる一撃を。最速を以て迎え撃つ。
自分と相手の重心。剣を振り抜く角度。踏み込みのタイミング。
全てが組み合わさって、一撃の威力を跳ね上げていく。
(いつか、あの場所に、あの背中に追いつくために。)
それでも、長くは続かない。
強がっていても肉体は瀕死だ。
呼吸は乱れ、剣筋は鈍り、遂には致命的な隙を晒す。
「――Fire!」
その隙を、彼女が殺す。
星幽体の翼は折れても、狙い澄ました一撃が『ソレ』の追撃を妨害する。
その一瞬の猶予で、士郎は再び次の一瞬へと息を繋ぐ。
「――っおおおおおお!」
裂帛の気合いと共に、連続して鶴翼が振り抜かれる。
攻撃が幾度も打ち合わされ、『ソレ』の体組織の微細な破片がパラパラと舞う。
「――」
『ソレ』の胸部が展開し、士郎を刺し殺さんと肋骨が伸びる。
士郎はその瞬間を待っていた。外皮が硬くとも、体内ならば。
隙間を縫うように、逆手に持った莫耶を、露出した心臓のような部位に突き立てた。
「xnvdinb@qk掛――!」
『ソレ』は断末魔のような叫びを上げて――
ばくん、と素早く肋骨を閉じた。
「――は?」
思わずそんな声が出た。
だって、士郎は胸の内側に腕を突き入れていたのだから。そんな状態で肋骨が閉じれば。
「……くそ」
残った右腕さえも食い千切られた士郎は、そんな風に無念を吐き出すしかなかった。
『ソレ』の胸部から、士郎の腕を噛み砕く音が響いてきた。『ソレ』は先ほどの断末魔が嘘だったかのように――いや、実際嘘だったのだろう――変わらぬ調子で士郎に手を伸ばす。
「ダメェ!」
金剛が士郎を抱き締めるようにして飛び退き、白い痩躯へ向けて砲撃する。
しかし砲弾は全て弾かれ、動きを僅かに阻害しただけだった。
「j未bhikpr熟ipw」
金剛は何故か『ソレ』が嗤ったように思えた。
その枯れ木のような手と広げたままの指が、こちらを串刺しにしようと伸ばされる。
士郎を抱えたままで、それ以上咄嗟に逃げることも出来ず、金剛はせめてもと士郎に覆い被さった。
鈍い音が響く。
砂礫で出来た蛇が、『ソレ』の腕を阻んだ音だった。
――二匹目の『
『ソレ』は苛立たしげに凛の方を振り返ろうとして。
すぐ真横に立っていた凛の、怒りに燃える瞳と視線が合った。
「――――死ね」
『宝石杖』が突きつけられ、莫大な火焔が噴出する。否、正確には炎ではなく空属性の
金剛は、自分と士郎が巻き添えを食らわないよう、なんとか凛の背後まで退避する。
だがその程度の神秘は、『ソレ』には通用しなかった。エーテルの奔流の中で、全く意に介さず凛を狙おうとする。
「
禁断の扉が一切の躊躇無しに開かれる。
これより数多の世界の中で、“ここ”こそが全ての起点である。確定され得ぬあらゆる世界は、黙して随せよ。そう呼び掛ける呪文であった。
直後、噴出する火焔の量が、一瞬で数十倍に膨れ上がった。
石油のパイプラインでも爆発したのかと疑うほどの炎が、一帯を焦がしてゆく。
そして、そこで終わりですらなかった。
「
莫大な炎が、細く束ねられていく。
噴き出す炎が赤から青に変色し、音は際限なく大きく高くなっていく。
ロケットエンジンとしか表現しようのない炎の噴射が、100メートル近くまで水平に伸びていた。
大量の砂塵が巻き上げられ、アスファルトは見る間に赤熱・融解を越えて沸騰する。
その極限環境の中で、『ソレ』は藻掻いていた。数十メートル後退しながらも、パキパキと、体中から薪の爆ぜる音をさせて、一歩ずつ凛に迫ろうとする。
「そんな……」
金剛は絶望しそうになった。こんな地獄を具現させてすら殺せないなら、もうどうしようも無い。
しかし凛の反応は違った。彼女は小さく舌打ちすると、空いている手で『
「――属性追加。
凛の言葉に合せて、火焔の色が僅かに変化していく。しかし、際だった効果には繋がっていない。
「……火素が足りない」
苛立たしげに呟く凛は足で地面に
凛の右後ろへと導火線のように火が延びていき、滑走路脇の茂みに燃え移り燃焼させた。それにより十分な火素が発生し、最後の属性が追加可能となる。
「
ジェット噴射が一際強く輝き、中で藻掻く『ソレ』の全身から炎が噴き出した。
今度こそ本物の断末魔を上げたかもしれないが、どちらにせよ掻き消されてこっちまで届かない。
凛の攻撃は緩むことなく、その後もしばらく敵を焦がし続けた。
◇
士郎は倒れ伏したまま、ぼやけた視界に目を凝らす。
視線のすぐ先には、脱力したようにぺたりと座り込む、凛の背中があった。見えている手足からは血が滴っている。
更に数十メートル奥には、あの敵が全身を黒く炭化させて倒れていた。起き上がろうと腕に力を込めているが、全く上手くいかない。やがて輪郭がゆらりと崩れると、その姿は空中に溶けるように掻き消えた。
それはこれまでの深海棲艦の最期と比べて、何処か違和感があった。逃亡を許してしまった、のかもしれない。
脅威が去って、凛はようやく息を吐き出している。そして士郎の方を向く。
途端に端正な顔が歪み、その青い瞳から、次々と涙が溢れていく。
「う、ぐ、うぅぅううっ……」
泣かせた。
もう何も痛みを感じない今の士郎にとって、その事実が何よりも痛かった。
何処で間違えたのだろう。
そもそもの情報が足りない中で、ここまで来た。
作戦だって綿密とも完璧とも、とても言えない。
今回に限っていえば、彼女が言っていた通りに逃げていれば、もっとマシな結果になっていただろうか。或いは、もっと前の段階で――
……分からない。
「士郎……。しろう、しろう……」
自分も第二魔法の使いすぎでボロボロだろうに、凛は士郎を治療しようと近づいてくる。
“俺は大丈夫だよ”。そう言いたかったが、もう声を出す余力もなかった。
そんな士郎の目の前で。
「――止まれ」
凛の首に、背後から黒鍵が突きつけられていた。
「……ぅぁ?」
喉から引きつったような音が出た。
黒鍵を持っているということは、この男は代行者――魔術師の天敵だ。
「貴様、魔術師だな」
何故、どうしてここで
今すぐに立ち上がらないといけないのに、指一本動かせないどころか、今の士郎には両腕がなかった。
凛は男の言葉など聞いていないかのように、士郎だけを見つめている。
士郎の視界が暗く閉じていく。
こんなところで意識を手放すのか?
遠坂はどうなる?
嫌だ。
やめてくれ。
……もしこの次があるならば。
絶対に同じ失敗はしないから。
だからどうか、死なないでくれ。
それが、最後の感情だった。
◇
「貴様、魔術師だな」
「……」
そう問い掛けられても、凛は士郎を見つめ続けた。
そして士郎が目を閉じて、それでも呼吸が続いているのを確認してから。
「……だったら何?」
凛は男を振り返った。
「……っ」
黒の外套に身を包んだ白髪の初老で、欧州系の顔立ちをしている。
男は凛の顔を見て僅かにたじろいだ。
まともな戦闘が出来るような状態ではなかったが、いざとなれば命と引き換えに、男とその血縁者全てを呪い殺すぐらいはしてやろうと、凛は捨て鉢な頭で考えていた。
そして時間さえ稼げれば、刻印が徐々に彼女自身を治療していく。
「剣を降ろしなサイ」
金剛が、艤装の砲門をカチリと男に向けて言った。
「この二人は、ワタシたちの命デス」
「魔術師の人形風情が……。貴様も向こうの娘と同じようにしてやろうか?」
金剛の目が細められる。
彼女は威嚇用に抑えていた主砲の装薬をこっそりと五倍に増やした。もう霊力が底を尽きかけているため、これが限界だった。
「……叢雲に何をしまシタ」
「安心しろ、白堰で拘束しているだけだ。今はまだ」
睨み合いが続く。
だが、こんなことをしている場合ではないのだ。一刻も早く士郎を治療しなければ命に関わる。
そこに新たに女性の声がした。
「なんじゃあ、これは。何がどうなっとるのじゃ?」
凛は思わず叫びだしたくなった。
(また新手……!)
現れた女性は本職の巫女のような白衣に緋袴を着ており、中学生くらいに見える黒髪の少女だった。
何処か艦娘に似た雰囲気を感じるが、金剛からそれらしき反応は無い。
そしてその少女は、ぐったりとした秋津洲を軽々と抱えていた。
「秋津洲……!」
思わず呟いた金剛に、少女は片目を閉じて微笑んで見せた。
「この娘の事か?水底に沈んどったから、来るついでに引き上げたんよ」
そして少女は、黒衣の代行者へと向き直った。
「ほぉれ、何しとる。そないな意地悪せんと、治療させたりーな。死にかけてはるやん」
「……貴様も人形か?邪魔するなら」
「
「……!?」
何が起こったのか。
10メートル以上離れていたはずの少女は、突如として男の眼前に立っていた。秋津洲を抱えたまま、巫女装束を微塵も揺らすことなく。
令呪による空間転移ですら、これほどスムーズにはいかないだろう。
思わず固まった初老の男を、無造作にぐいーと片手で押しのけて、少女は笑う。
「うん。取り敢えず、わえが一番強いっぽいな! 見守っといたるけん、治療してあげ。邪魔しそうなら叩いたるさかい」
複数の方言が入り交じったような、なんとも奇妙な話し方で、少女は言った。
「……ええ、ありがとう」
状況が掴めないながらも、この少女は敵では無さそうだ、と判断した凛は礼を言うと、ふらふらと立ち上がった。
代行者の男も、今はそれ以上動くつもりはないらしかった。
こうして事態は、一応の終息に向けて動き始めた。
そして、まだ誰も気付いていない事実が一つ。
みんなが集まっていた場所から少し離れた草陰。そこには、蛍石のような形の結晶。衛宮士郎が持ち出してきた、雨樹提督の魔術情報記録媒体。激闘の間に上着からこぼれ落ちたのであろうそれが、ひっそりと転がっていた。
――――何故か魔力パターン認証が、解除された状態で。
三章セントエルモが指す方へ 終わり
大変お待たせしました……
次回は幕間を投下した後、(多分)新章開幕です。
……取り敢えず士郎はゆっくり休もうね。どんだけ連戦してんだよお前。
章の締めくくりとしてかなり賛否分かれそうな気がしてアレですが、もし良ければ感想など頂けると参考&励みになります。
※『白堰(ハクセキ)』というのはこの代行者が使う概念礼装です。黒鍵・灰錠よりもマイナーで扱いづらい設定。