「エイワズ」
遠坂が指先で軽く背中をなぞっただけで、俺にかけられていた精神抑制の呪いは解呪された。
あれから遠坂邸に戻ってきた俺たちは、居間のソファに揃って座り込んだ。
「はああぁ〜」
「きっついわね……」
臓硯との会談でかなり疲れてしまった俺たちだった。
体力ではなく精神が。
「でも、取り敢えず上手くいった、ってことだよな」
「そうね、これで私たちは互いに相手に手出しできない。令呪も手に入るし条件の項目に例外も入れ込めた。……これ以上ないってくらいの大成功ね」
「ああ、怖いくらいだな」
条件に付け加えられた物のうちの一つが『治療の為やむを得ない場合に限り、上記の制約に当たらないものとする』というものだった。当然臓硯には警戒され、反対されたが、遠坂の『一般人である桜が危険に晒される可能性がある以上、遠坂凛として見過ごすことは出来ない』という主張が違和感なく効いた。実際に第五次では、ライダーの宝具に巻き込まれた桜が他の生徒と同様に病院に運ばれた、という事実も遠坂の主張を補強したようだ。
「ともかく、契約は成ったわ。これで私たちは臓硯を攻撃することは出来ないし、向こうも同様ね」
「直接的には、だろ?」
「ええ、臓硯もそれは気付いてるでしょうね。どんな悪辣なことを考えてくるかなんて想像も出来ないから、最後の最後まで気は抜けないわ」
「だな……」
二人でぼんやりと宙を見つめる。
こんなふうに計画を口に出せるのは、ここが俺たちにとって最も安全な場所だからだ。魔術的にも、恐らくは物理的にも。
「まあ、今は目の前の不安要素を一つずつ潰していくしかないだろ」
「そうね。差し当たっては令呪に関する技術の習得、その次は宝石剣の試用運転ね」
「なんか、どっちも俺は手伝えそうにないな」
時計塔で色々学んだとはいえ、俺に出来ることはそう多くない。結局のところ、俺は剣製に特化した魔術師であり、それ以外を極めるのは魔術回路の特性上不可能だったというわけだ。
「じゃあ久しぶりにみんなに会ってきたら?藤村先生とか、一成とか」
「いや、それは今回の目的が終わってからでいいよ。聖杯戦争の時みたいに、みんなが巻き込まれるのはもう御免だ」
「……そうね」
いったん冬木から離れて改めて思ったことだが、ここは不安の種が多すぎた。異常なまでの霊脈の質と、聖杯、御三家と、それらに引き寄せられる外来の魔術師。正義の味方だの人助けだの言う前に、まずここに山積する問題をなんとかしないといけなかった。
俺はソファから立ち上がった。
「さて。じゃあ俺は夕食を作るから、遠坂は風呂にでも入っててくれ」
「夕食は今日は無くていいわよ?」
「そういうわけにもいくか。何もしないのは落ち着かない」
しかし遠坂はビシッと指を突きつけて言った。
「さっきまでかけてた呪い。アレかなりきつめにしたんだから、士郎の対魔力じゃ結構辛かったでしょう?いいから今日はもう休んじゃいなさい」
「……分かったよ」
俺のことなんて遠坂には全部お見通しらしい。
「けど、明日の朝からは俺が御飯作るからな。久々に本格的な和食が作れるんだし」
「倫敦でたまに作ってたのも割と本格的だったと思うけどね。けど、助かるわ。私はこれから、しばらく令呪にかかりきりになるだろうし」
その後は普通に風呂に入って、遠坂は自室で、俺は客室のベッドで眠りについた。日本に帰ってきた安心感や、呪いで疲れていたこともあってか、ぐっすり眠ることが出来た。
その後の数日は瞬く間に過ぎていった。
遠坂は自宅と間桐の屋敷を往復しながら慌ただしそうにしている。夜遅くまで間桐の魔道書と睨めっこしていることから、やはりかなり苦労しているようだ。もっとも遠坂について行った時に、臓硯から聞いたところによると、『腹立たしいくらい筋がいい』と言うことなのであまり心配はしていなかったが。
俺はと言えば、藤ねえや一成に会いに行くわけにもいかないので、慎二から、遠坂が知りたがっていたぶんまでかつての級友の近況を聞いたり、屋敷の掃除など家事全般をして過ごした。
そうして。
一週間もしないうちに、遠坂の右手の甲にはかつてのような令呪が宿っていた。一画だけだが。
「さ、流石に早すぎないか!?そんな簡単に習得できるものじゃないだろう?」
だが遠坂は疲れを滲ませながらも上機嫌で言った。
「当然よ。私を誰だと思ってるのかしら」
「いや遠坂が凄いのは知ってるけど、これは流石に……」
すると遠坂は一転して苦笑いになった。
「まあ今回はテストの回答を丸写したような感じだもの。それに聖杯のサポートもないから、込められた魔力も雀の涙みたいなものだしね」
「そうなのか……。それで、その令呪はちゃんと機能するのか?」
「それは今から確かめるわ」
え?
「ちょっと待て遠坂。なんで俺を見つめながら……っていうか令呪を俺に向けながら言うんだよ!」
「大丈夫よ。小動物ではもう成功してるから」
「サーヴァント以外にも使えたのかソレ!?てかいつ俺に繋げたんだよ!」
「士郎が寝てる時。魔術で眠りを深くしたから、全く気づかなかったわね」
思わず立ち上がって後じさる。
「毎度の事ながら俺を実験台にするのはやめてもらえませんかね師匠?」
「こんな事、信頼できる弟子たる衛宮君にしか頼めませんもの。それに間違いなく危険は無いって判断してやるんだから、いい加減師匠を信用してほしいわね」
「してるって!いつもは信頼してるぞ!」
でも遠坂いつも肝心なところでやらかすじゃん。
最近は大分マシになってきたとは思うけど。
「とにかくやるわよ!士郎は私の命令に強制を感じるかどうか、集中して。――――令呪を持って命じる」
遠坂が令呪の宿る右手を掲げる。
ああ、自分の命令権を握られるってこんなに不安なんだな……。
ありがとうなセイバー。俺みたいなへっぽこマスターと一緒に戦ってくれて。
「――――高ーく売れそうな剣を投影しなさい!!もちろん無理のない範囲で!」
なんだそりゃ……。
だが突然、俺の意思とは全く関係無しに、魔術回路に撃鉄が落ちる。
「な……!?」
全身の回路を魔力が駆け巡り、突き出した右手の先に像が現れ、瞬く間に形を結んだ。
ゴトリ、と投影された剣が床に落ちる。
「……成功ね。士郎、身体に違和感はある?」
「……無い」
「じゃあ完璧ね。これでまた一つ道が固まったわ」
遠坂は嬉しそうに言うが、俺は内心冷や汗が出た。
「……もう少し具体的かつ大人しい命令にするべきだぞ。勝手に身体が動くのはやっぱり少し怖い」
すると遠坂は不思議そうに首を傾げた。
「勝手に動くって、じゃあ士郎は今、命令を了解して投影したんじゃないの?」
「いや、ほとんど抵抗できなかった」
「……今のが抵抗できないとなると、やっぱり対魔力の低さは士郎の今後の課題ね」
俺としても、自分の魔術に対する抵抗力の低さはなんとかしたいところだった。なにせ前回の聖杯戦争では遙か遠くからのキャスターの魔術にあっさりと絡め取られてしまったのだ。そのまま俺は柳洞寺に夢遊病患者のごとく連れて行かれ……
そんなことを思い出していると、ふと気になることがあった。
「そういや、アーチャーの奴はどうしてたんだろうな。キャスターの魔術を打ち破ってたけど」
あの男に出来たということは、俺にも鍛錬次第では可能なのかもしれない。
しかし遠坂は少しおかしそうに笑うと言った。
「ああ、あなたには良いお手本があったわね。ふふ、でもアイツの持っていた対魔力はアーチャークラスの特性だから、多分素の抵抗力は今の士郎とあんまり変わらないんじゃないかしら」
「え、そうなのか?」
「多分よ多分。その代わりに、アイツは装備品で弱点を補っていたんでしょうね。あの赤い外套は一級品の概念武装みたいだったし、いつも使っていたあの双剣だって対魔力に補正が掛かるでしょう?」
「……あ、ああ。」
そうか、英霊になっても衛宮士郎は衛宮士郎のままで、都合良く強くなれるわけではないのだ。俺は俺に出来ることを、一つひとつ積み重ねていくしかない、ということか。
「まあ、その対策は私も考えておくし、そのうちなんとかするわ」
「ああ、悪いけど頼む」
「よし。で、それはそれとしてこの剣だけど……」
遠坂は床に落ちた剣を慎重に拾い上げた。
その直剣は刀身が納められた鞘も、柄も眩い黄金色だった。鞘には赤い装飾が施されていて、高貴な印象を与えている。
「気のせいかしら?この剣どこかで見たような……」
俺は先ほどとは別の冷や汗をかきそうになりながら剣を受け取った。
「全然気のせいじゃない。これは今も倫敦塔の宝物塔に保管されてる剣だ。遠坂も一緒に見てる」
鞘から引き抜くと、切っ先が折れたように無くなった形状をしている。
「じゃあ、これってまさか……」
「『慈悲の剣』カーテナ。イギリス王家に伝わる聖剣だな」
「……高く売れそう?」
「そりゃあ値段なんて付けられないほどだと思うけど。でもそんな事して関係者に見つかったらとんでもないことになるぞ。遊びでも人目に晒すべきじゃないな」
俺は直ぐに投影を虚空に消した。
それを見た遠坂は残念そうに溜息をついている。
「遠坂、投影品を売ろうなんてどう考えても悪い結果にしかならない」
「……分かってるわ」
若干いじけたように言う遠坂。
「売る相手と目的にもよるでしょうけどね。それよりあんな大層な剣を投影して本当に平気だったの?『無理の無い範囲で』って言ったから、大丈夫な筈ではあるんだけど」
俺は少し考えた。宝物塔で見た説明を思い出す。
「確か…俺たちが見た現存するカーテナは、一度失われたオリジナルの複製だったと思う。そのせいで神秘がある程度弱まってたのかもな」
もっとも、この二代目も相当な歴史と神秘を併せ持っているようで、充分『宝具』たり得る代物だ。
「そういうことね」
遠坂は頷くと、空気を切り替えるように言った。
「それじゃあ令呪の件はある程度解決って事で、いよいよ次は宝石剣の試運転よ」
宝石剣。
遠坂家が大師父と仰ぐ『第二魔法』の使い手、キシュア・ゼルレッチ・シュバインオーグが生み出した魔術礼装である。空間に様々な平行世界へと通じる極小の穴を穿ち、大気中に満ちる
つまり、これがあれば魔力を無限に供給することが出来る。そんな危険な代物の試し撃ちを行うのだ。気持ちも自然と引き締まる。
「わかった。それで、何処でやるんだ?」
「もう考えてあるわ。場所は海上よ」
それは意外な選択だった。魔術をだだっ広い海で行使してしまって大丈夫なのだろうか?
「正確には無人島ね。隣の県に割と大きな離島があるでしょ?その更に北に行くと小さな無人島があるの」
「もっとどこかの山奥とか、ここの地下工房とか、それこそアインツベルンの工房でそのままやったほうが良かったんじゃないのか?」
「それは駄目よ。もし失敗して崩落なり地形崩壊なりさせちゃったら大事じゃない。アインツベルンの魔術工房なんて壊しでもしたらどれほどの損害額になるか……。その点海上だったら痕跡も残りにくいじゃない。多少爆発とかしても“地球の丸み”で陸地からは見えなくなるし」
そういうものなんだろうか?実際、聖杯戦争の戦闘だって世間には知られてないわけだし。
あと爆発って聞こえた気がしたが、宝石剣って爆発するんだろうか?するんだろうな。遠坂の宝石って凄く爆発するし。
「分かった、場所については遠坂に任せる。でも、無人島となると船が要るな……」
「そのための士郎よ。いつの間にか船の操縦出来てたでしょ?」
「ああ」
行動の幅が広がると思って色々挑戦していた時期があったのだ。ちなみに空を飛ぶ系の免許にはまだ手を出していない。船舶免許とは掛かる費用も日数も段違いで、とても手が出せなかった。
「じゃあ決行は三日後。それまでに各自体調は万全にしておきましょう」
「了解だ」
もう少しだ。
もう少しで準備が整って、桜を助けることが出来る。
遠坂と桜が、本来の姉妹として仲良く過ごせるようになるかもしれない。
この時の俺は、そんな幸せな未来に胸を躍らせていた。
俺と遠坂を待ち受ける運命に気付くこともなく――――。
数日後、間桐慎二は携帯端末でニュース記事を何の気なしに流し見ていた。
「ん……?」
ふと目に留まったのは隣の県での出来事を報じた記事だった。衛宮士郎から、そこで遠坂と実験を行うことを聞いていたために意識したのだろう。
「島の沖合で大規模なガス爆発を確認、ねぇ……」
記事では、海底のメタンハイドレートから出たメタンガスが何らかの原因で引火したのではないかと推察していた。本島から大分離れた無人島付近であったためか、今のところ死傷者は確認されていないという。
慎二は気になって士郎に電話してみたが、電波が届かないか電源が入っていない、という無機質な音声が帰ってくるだけだった。
遠坂凛の誕生日になんとか投稿