第6話 目覚める
冷たい水の中を沈んでいく。
――――沈メ。
水面が、波に合わせて煌めく光が、ゆっくりと遠ざかっていく。
――――沈ンデシマエ。
深くなるにつれ、水はますます冷たさを増していく。身体も、心も、じわじわと凍り付くように冷えてゆく。
遙か深いところから、怨嗟の声が響いてくる。
――――憎イ。――――ガ憎イ。恨メシイ。
この声は俺を憎んでいるのか。
もしそうなら、それは敵だ。倒さないといけない。俺にはやるべき事があるのだから。
――――沈ンデシマエ。暗イ海ノ底ニ。深イ闇ノ底ニ。
だというのに何故。
――――恨メシイ……。悲シクテ苦シイ……。辛クテ怖イ……。コンナ気持チノママナラ、イッソ
どうしてこの声を聞いていると、泣きそうなほど悲しくなるのだろう?
――――皆沈ンデシマエ。
ゆっくりと瞼を開く。
後ろに両手をついて身体を起こす。
「――――ぁ」
どうやら自分は、真っ白なベッドに寝かされていたらしい。
まだはっきりと覚醒しない頭を動かして、周囲を確認する。
ベッドは窓際に置かれていて、薄いカーテンが柔らかな陽光を透過させている。壁は暖かみのある赤煉瓦のようだ。他の周囲は白いカーテンで仕切られていた。その光景はまるで――――
「保健室……?いや医務室か?」
白を基調とした空間は、病院かそれに準ずる場所を連想させた。
どうして自分はこんなところで寝かされていたのだろう。
そう思い至った瞬間、全てを思い出した。
確か隣の県にある小さな無人島で、宝石剣の試運転を行ったのだ。それで、突然光に包まれて何も見えなくなった。気がつくと無人島で倒れていて、周囲の様子が一変していて、遠坂が苦しそうで……。
「っ!そうだ、遠坂!?」
彼女はどうなったのだろう。クジラのような謎の怪物によってボートが転覆した際に、彼女も海に投げ出されたはずだ。
急激に頭が冷えた。
最悪の結果に思い至って、心臓が停止してしまいそうだった。
すぐさま重い身体をベッドから降ろし、裸足のままで周囲を覆うカーテンを開けて外に出る。部屋の中には空のベッドが幾つも並べられていた。やはり医務室か何かのようだ。
「……ン」
突然の人の気配に驚いてそちらを見る。
すると別の窓際に置かれた丸テーブルで、少女が腕を枕にして眠っていた。
一瞬遠坂かと期待したが、すぐに違うと気付いた。
栗色の長い髪は変わった形の飾り――――カチューシャ、あるいはカチュームと呼ばれるものかもしれない――――で止められている。カーテン越しの陽光に心地良さげに緩んだ顔は、とても綺麗で整っていた。服装も見たことのないものだった。白地に赤い紐を通したそれは、ゆったりした袖も相まって巫女装束か何かに見える。しかし下は緋袴ではなくて黒の短いスカートである。大胆に肩を露出させたデザインのため、寒そうだなと思ったところで、違和感が頭をよぎった。
寒さを感じなかったのだ。今は十二月で、室内も特に空調が効いていないにも関わらず。
しかし今はそんな些事よりも遠坂を探さないといけない。目の前の少女は、状況から見ても敵ではないはずだ。俺が助かっているということは、遠坂についても何か知っているかもしれない。
「あの……」
声を掛けると、少女はゆっくりとテーブルから顔を起こした。ぼんやりとした表情で目を擦ると、スミレ色の瞳に俺を映してパチパチと瞬きした。
「……あ、アー、目を覚ましたんデスネ!良かった、心配したネー」
外見だけでなく、口調も特徴的な子であるらしい。個性的だが、変に似合っているように感じるのは、彼女の纏うどこか人間離れした雰囲気によるものだろうか。
「俺を助けてくれてありがとう。本当に助かったよ」
「ノー。感謝されるようなことじゃないデスヨ。ワタシ達は人々のために在ったんですから。それにしても驚きマシタ、まさか――――」
「それで、俺と一緒に海に落ちた女の子を知らないかな」
焦るあまり、少女の言葉に被せるようにして訊いてしまう。
「頼む、教えてくれ。大切な人なんだ……!」
しかし少女は気を悪くした様子もなく、それどころか俺を安心させるように柔らかく微笑んだ。
「心配要りませんヨ。その人なら――――」
「その人なら別の場所に居るわ。でもまだ逢わせられないわね」
突然入り口の方から声が聞こえた。そちらに目を向けると、扉は最初から開けっぱなしだったようで、そこから少女が新たに一人入ってきた。
目の前の栗色の髪の子よりもかなり幼く見える。
透き通るような水色がかった長い銀髪がサラリと揺れている。セーラー服とワンピースが合わさったような物を着ていることから、年齢は中学生くらいだろうか。そして何よりも目を引くのが、頭の上にある一対の機械らしき物体だった。兎の耳に見えなくもないそのユニットは、目の錯覚でなければ浮いている。
その子は手に奇妙な形の槍のような物を持っており、それで地面をコツンと叩くと言った。
「金剛。私はそいつを監視するように言ったはずだけど。まさかアンタまで寝てたんじゃないでしょうね」
「えっ、ええ。勿論デース!ちゃんと見張ってましたヨー?」
金剛、と呼ばれた少女は慌てたようにそう言うと、何故か俺の方に同意を求めてきた。
「ねっ!」
「えっと……」
どうでもいい事だが、金剛って変わった名字だなと思った。
「はぁ……。まあいいわ。それでそこのアンタ」
「は、はい?」
幼い外見に似合わない尊大な口調と態度に、やや面食らう。
「深海棲艦に襲われたんだってね」
「……シンカイセイカン」
聞いたことのない名称だが、あの化けクジラはそんな名前らしい。
水色の髪の少女は、そんな俺の様子にやや眉をひそめたあと、一つ向こうのベッドに腰を下ろして足を組んだ。短いワンピースのようになった裾から伸びた足には黒タイツを履いていた。金剛を見た時にも感じたことだが、やはり彼女らの服装は十二月という時期にしてはおかしい。何かが変だ……。
少女は手に持つ槍を俺に向けて言った。
「座りなさい。まだ本調子じゃなさそうだけど、今から尋問させてもらうわ」
「Hey 叢雲!いきなりそんな尋問だなんて!それに相手は人間ですヨ?」
金剛がやや怒ったように口を挟んだ。
水色の髪の少女は叢雲というらしい。
「
「……」
金剛か沈黙したのを見て、水色の少女、叢雲は俺に視線を戻した。
「座りなさい。質問に全て答えてもらうわ」
「その前にこれだけ教えてくれ。遠坂は……別の場所に居るって言ってた女の子は無事なのか?」
「無事よ。ここと同じような部屋で、加賀達に看てもらっているわ。じきに目を覚ますんじゃないかしら」
「そうか……」
安堵の息が漏れる。一気に力が抜けて、元いたベッドにへたり込むように腰を下ろした。
「……安心した。尋問でも何でもやってくれ、俺に分かることは全て話すよ。でも俺だって混乱してて、分からないことがあるかもしれないから――――」
「それはこっちで判断する。話が早くて助かるわ」
叢雲は依然として警戒を解いた様子もなく、槍を俺に向けたままだ。
金剛は、叢雲と同じベッドまで歩いて行くと、反対側に座ってこちらを向いた。
「それじゃあ質問よ。アンタ日本人ね。名前は?」
俺は最初から日本語で喋っているし、ここは日本だ。確認するまでもないことだと思ったが、素直に答える。
「ああ、見ての通り日本人だ。俺は衛宮士郎。もう一人の方は遠坂凛」
「アンタ達はどこから来たの?」
「俺たちは冬木市から来た」
「……訊いたことないわね」
冬木市は近年かなり発展してきているとはいえ、魔術に携わらない者にとってはただの地方の片田舎だ。彼女が知らないのもおかしな事ではない。
「**県にある街だ。その前は倫敦とか、世界各地を巡ってたんだけど、最近日本に帰ってきたんだ。それで、用事があってこの近くの無人島に……」
普通に話しているだけなのに、二人の顔が変わった。息を呑んで、狂人でも見るかのような表情だ。
「……それで、どうやってここまで来たの?」
強い緊張を滲ませながら叢雲が訊いてくる。しかし俺には彼女たちが何をそんなに気にしているのか全く分からない。
「勿論小型ボートでだけど。ああ、でもクジラみたいな化け物……シンカイセイカン?だかに沈められちゃったのか」
叢雲が一際厳しい目をして金剛に言った。
「訊いたわね。やっぱりこいつおかしいわ」
「……ええ。デスが」
「ですがもクソもないわ!こいつは人間に擬態した深海棲艦よ!言語機能は真似できていても理論が破綻してるじゃない。本当に……恐ろしいほどの擬態だったわ」
叢雲が身体から黒いオーラのようなモノを立ちのぼらせながら立ち上がる。次の瞬間には背中や手などに黒い金属で出来た武装のような機械が現れていた。
先ほど槍を向けられた時にも感じたが、それら全てから、魔力が発するものに近い感覚がする。
「ちょ、ちょっと待ちなサイ!叢雲!」
金剛が止めるが叢雲は気にした様子もない。
そのまま彼女は、一瞬で距離を詰めると、明確な殺意を持って槍を薙ぎ払った。
「……ッ」
慌ててベッドから飛び上がって回避する。ふわりと天井近くまで浮き上がり、下で残心を維持している叢雲と目が合う。
彼女たちから離れた部屋の反対側に着地して、身の潔白を訴えた。
「待ってくれ!俺の話のどこがおかしかったんだよ!?本当のことしか言ってないぞ!」
「その身体能力……!ハッ。もう隠すのはやめたって訳ね」
叢雲はもう完全に俺を敵だと認識しているらしい。話を聞いてくれそうにない。
槍の一撃で抉られたベッドの破片が、ハラハラと床に落ちる
「もう少し話を聞くべきデス。この感じ、彼は何か――――」
「忠言はこいつを倒した後よ。本領を発揮される前にここで潰す!」
再び払われる凶撃から、同じように飛び上がって身をかわす。
しかしそれは悪手だった。叢雲の背中の装備から伸びた砲門のような物が、俺にピタリと狙いを定めるのが見えた。一度見たとはいえ、恐ろしい正確さだった。そして足場の無い空中では、身を躱すことも出来ない。まるで三手詰めの詰め将棋のように、追い込まれてしまう。
「くっ……!」
直後、轟音を伴って砲弾が放たれた。
まるで将棋だな