それは二人が倫敦の時計塔へと赴く前のこと。
弟子である士郎に、師である凛はこう釘を刺した。
「いい?士郎。魔術は秘匿されるべき物で、一般人に知られちゃいけないのは分かるわね。でもあなたの場合は、投影魔術を『他の魔術師』に知られるのもマズいの。固有結界は言うまでも無く、ね。命の危険を感じた時以外は、極力隠していなさい」
それは何故かと士郎が聞くと、凛はこう返した。
「士郎は投影魔術以外はからっきしだけど、逆に士郎の投影魔術は他人による再現が恐らく不可能よ。つまり士郎が死んだらこの世から失われてしまう奇跡。だから魔術協会に知られてしまったら、連中はなんとしても『希少なサンプル』を保存しようとするでしょうね。士郎、あなたホルマリン漬けになって永遠に保管されたい?」
士郎は音がしそうな勢いで首を振った。
凛は困ったように笑いながら言う。
「でしょ?だから、協会から『封印指定執行者』なんて死神を差し向けられないためにも、バレないよう注意なさい。でも安心して、上手くごまかす手はあるから。例えば、あらかじめ剣を投影しておいて隠し持つとか。これなら投影の瞬間は見られないからリスクはかなり下がるわ。他にも――――」
アインツベルンや間桐との交渉の時は、安全を確信して情報開示に踏み切ったのだが、それ以前は色々と工夫を凝らすことで、士郎はなんとか今まで『封印指定』される危機から逃れ続けてきたのだった。
身動きの取れない空中で、不可避の砲撃が迫る。
奔る思考は雷光より速く。あらかじめ突き出された手は射線を遮るように。
投影が形を成す直前の、展開された不定形の魔力が、砲弾を弾いてずらした。弾かれた弾丸はそのまま煉瓦の壁を抵抗なく突き破って外に抜けていった。
ライフル弾よりは遅い。拳銃よりは早いか。
実体がある。
運動量と物理破壊力が釣り合わない。魔力か。
一瞬で様々な思考が巡る。
それは叢雲も同じようだった。
「装甲持ち!?クソッ、侮ったわ。次は本気で――――」
協会関係者である可能性を考慮して曖昧な投影で防いだのだが、上手く勘違いしてくれたようだった。だが状況は改善しない。
「頼むから待ってくれ、何が何だか――――」
しかし返答は無い。小柄なその身体に、先ほどまでとは比べものにならない力が漲ってゆく。肉食獣が飛びかかるために力を溜めているようにも見えた。
もはや交戦は避けられない。そう思った時、叢雲の後ろにいた金剛が目に入った。
彼女は短いスカートのままで大胆に片足を上げると、素早く踏み下ろした。
巨大な鉄塊が落下したかのような音が響いた。床は砕けて隆起し、ベッド群を押し上げる。俺も叢雲も、突然の事態に対応できずに体勢を崩してしまう。音圧が壁のように身体を叩き、窓側の壁が吹き飛んだ。
ただの少女が足踏み一つでこれらを引き起こしたことが信じられない。俺は慌てて吹き飛んだ壁から『外』に転がり出て、そこで周囲の様子に呆然とした。
「――――は?」
到底十二月とは思えない夏の蒼穹。
頬を撫でる風は、乾いた冬の物とは大違いだ。
花は紅く、水は碧く、息づく緑はどこまでも深く――――
南国の景色がそこに広がっていた。
「――――っいや、今はそれよりも」
我に返って警戒を戻す。ただの人間があれほどの膂力を備えているなんて考えられない。いったい何者なのか。
立ち篭めていた煙が晴れると、金剛の姿が現れた。何故か叢雲を後ろから抱きすくめるようにして捕らえている。
「ちょっと放しなさいよ!なにすんのよ金剛」
「てーい」
じたばたとする叢雲の首筋に、割と容赦なく手刀が落とされた。
ぐったりと力を失う叢雲。
いろいろ急展開過ぎて、状況把握が追いつかない。取りあえず金剛に敵意は無い、のだろうか?
彼女は叢雲を、俗に言う『お姫様抱っこ』すると、外に逃れていた俺に声を掛けた。
「ふう……。あ、シロウさん、荒っぽい真似してゴメンナサイネ。この娘もホントは悪い子じゃないんですヨ。ほら、こんなに可愛い寝顔デス」
実際は寝顔では無く苦しげに気絶しているのだが、それは一旦置いておいて。
「だ、大丈夫なのかその娘」
「Yes、私たちは丈夫に出来てマスから。特に『ここ』に居るなら尚更」
「そうなのか……」
とにかく分からないことだらけだった。
ここは隣の県の離島では無かったのか。だとすればどこなのか。
彼女たちは、そしてあの化けクジラは何者なのか。
頭が痛くなりそうだ。
混乱する頭を押さえて問いかける
「なあ、あんたたちは一体何者なんだ?」
金剛は口を開いて答えようとして、不意に耳元を片手で押さえた。そのまましばらく何かを聞いていたが、了解の意を返すとこちらへ向き直った。どうやら無線か何からしい。
「お連れの女性、リンさんでしたっけ?彼女が目を覚ましたみたいネー」
「本当か!」
「ええ、どうやら貴方たちには予想以上に複雑な事情があるようデス。混乱しているように見えますから、二人で状況を整理して、それから情報交換するネー」
それは本当にありがたい話だ。
しかし、先ほどの二人の様子から、俺たちには敵である疑惑が掛けられていたはずだ。それなのに金剛に気にする素振りが無いのは何故なのか。もしや罠に誘い込まれているのだろうか?
「何してるデスカー?こっちデース」
しかし遠坂が居ると言われた以上、一刻も早くこの目で直接無事を確かめたいのも事実だ。叢雲を抱っこしたままこちらを振り返る金剛に、ついて行くしかなかった。
金剛に連れられて、赤煉瓦で統一された倉庫や宿舎のような建物群の間を歩く。
道端の茂みが見慣れない綺麗な花を咲かせていたり、遠くにはヤシの木が見えたりする。
やはりどう考えても見覚えの無い場所だった。
気温は二十度以上はあるかもしれない。冬着の自分では暑いはずだ、と考えたところで、ようやく自分が入院患者が着ているような病衣であることに気付いた。誰かが着替えさせてくれたのだろうか。今まで気がつかなかったとは、自分は余程混乱していたらしい。
「そういや、さっき医務室が粉々になっちゃったんだが、大丈夫なのか?」
「え゛……っと、まあ普段は全く使われてないし、これから向かう先に別の医務室もあるし、問題nothingネー」
「そうなのか」
「そ、そうなのデース!……まあそのうち頑張って修理しマス」
話しているうちに赤煉瓦の棟の一つに案内される。その中の一つの扉を三度ノックして、金剛が言った。
「連れてきましたヨ。入りますネー」
「どうぞ」
部屋の中からは落ち着いた女性の声。
金剛は叢雲を抱きかかえたまま、器用に扉を開けて入室した。俺も恐る恐る続くと、内部を見渡す。
そこは俺が目覚めたのと同じような医務室で、中には四人の女性がいた。
壁際に、眼帯を付け、帯刀している少女が一人。白と青の和装の女性が一人。
ベッドの横に割烹着姿の若い女性が一人。そしてベッドで上体を起こしているのが……。
「遠坂!」
「衛宮君……」
急いで駆け寄ろうとして、ピリッと緊張した空気――――殺気とも呼べるかも知れない――――を感じて立ち止まる。見ると壁際の眼帯少女が鋭い目を向けていた。俺は自分が警戒されていることを思い出し、軽く両手を挙げた。
「悪い。気が逸ってた。こちらに敵意はありません。……遠坂と話をしても?」
誰も返事をしなかった。
「……んぅ。」
「Oh、オハヨウゴザイマス叢雲」
「こん……ごう?……っ!アンタねぇ!」
叢雲が目を覚ました。また襲いかかられるのは怖いので、出来ればもう少し気絶していてほしかった。
「……へぇ。なんだか綺麗な女の子ばかりじゃない?衛宮君?」
なんでお前まで敵みたいになってるんだ遠坂。互いの無事を確認した後の第一声がそれなのか。
だが取りあえず元気そうで安心した。無事で本当によかった。
思わず安堵の息が漏れる。
一方で金剛の腕から脱出した叢雲は、俺たちの警戒と金剛への詰問を同時に行っていた。
「何故邪魔をしたの」
「……彼らを敵だと判断するのはまだ早いと思いマス」
「理由は?」
「ここにどうやって辿り着いたか分からない。叢雲はそう言ったけど、逆に装甲持ちほどの深海棲艦がここに入り込めるとも思えないネー。男性型の深海棲艦も聞いたことがありまセン。それに……一応『威嚇』もしておいたネ。私たちが一筋縄ではいかないと分かってもらえたはずデス」
「確かに今まではそうだった。でもこれからもそうだとは限らない。奴らは常に危険度を増しているわ。それにアンタは最初からそいつを危険視していなかった」
「本当に人間かも知れないんですヨ?その場合、先ほどの行為は私たちの存在理由を否定してしまう!」
「それでもよ。人間じゃなかった場合は、最悪全ての希望を失ってしまう。一体何を考えているの!優先順位は明白でしょう?万が一にも『ここ』が落ちれば、それこそ全部終わりなのよ!?」
叢雲の口調は責めるというよりも懇願するようなものだった。
「それ……は」
叢雲の指摘に心当たりがあるのか、金剛は返事に詰まった。
彼女は俯いて答える。
「……sorry。叢雲の言う通りネ……」
「金剛。私は貴女がどれほど強くて深慮であるか、よく知っている。それなのにどうして……」
「ゴメンナサイ。自分でもハッキリ分からないネ。でもこの二人は絶対に人間だって、そうおもったんデス……」
「分からないって、そんな」
叢雲も困惑しているようだ。どうやら金剛が見せた一面が、彼女にとって珍しい物だったようだ。
叢雲は金剛の顔を覗き込んでギョッとしたように固まった。部屋に居た他の面々にも驚きが広がる。
「だって、初めて二人を見た時に心の奥から思いが溢れてきたんデス……。ああ、この人達は私たちが守らないと、って。今まで何も守れなくて、全て失ってしまったけど、ようやく出会えた。今度こそ自分たちの役目を果たそうって。だから……」
金剛の頬を涙が伝う。
その涙の理由は、出会ったばかりの俺には知ることが出来ない。しかし、彼女にとって俺たちとの出会いが重い意味を持ったのだということは推し量ることが出来た。
「ああもう……。しっかりしてよね、アンタは皆の精神の支えなんだから」
「うん……」
叢雲は溜息をつくと、そう言って自分の袖で金剛の涙を拭う。金剛もされるがままだった。
「はぁ……。分かったわよ。あんたがそう言うならもう少し様子を見るわよ。人を助けたいってのは私だって同じだし」
叢雲は俺と遠坂に視線をやりながら言う。
「そいつらが本当に人間ならね」
俺は遠坂がいるベッドの隣に立たされている。
叢雲は部屋の対面側にある豪華なソファに足を組んで座っている。その周りに、金剛や他の少女達が控えていた。相変わらず尊大な態度だが、妙に様になっているのは彼女が皆の纏め役だからなのだろうか?
叢雲が遠坂に対して口を開く。
「さっきソイツにも訊いたけど、今度は貴女に訊くわ。貴女たちは何者で、何処から来たのかしら?」
遠坂は少し迷う素振りを見せたあと、答えた。
「どうやら随分おかしな状況になってるわね……。私は遠坂凛よ。こっちは……恋人、の衛宮士郎。**県の冬木市からこの島の近くにある無人島に用があって来たわ」
その俺と同じ答えに、叢雲の周囲の少女達が困惑しているのが分かる。叢雲の視線が厳しくなる。
俺は思わず口を挟んだ。
「ちょっと待ってくれ。遠坂、俺もそう思ってたんだけど、ここはあの島じゃないみたいなんだ」
「はあ?
「座標?……いや本当だって、気候がまるで違う」
遠坂は困惑しつつ、叢雲の方に疑問を投げかける。
「じゃあここは何処なの?私たちは本当に、冬木市から程近い離島にいると思っていたんだけど」
「金剛。カーテン開けてくれる?」
それに対して叢雲は、側にいる金剛に声を掛けた。金剛は今はもう落ち着いたようだ。
「いいわ、本当に分からないって言うなら教えてあげる」
金剛が窓の薄いカーテンを開けて、外の景色が露わになる。すぐ目の前に広がる楽園の景色を見て、遠坂の瞳がゆっくりと驚愕に染まってゆく。
叢雲は、外の景色を片手で示しながら言った。
「ここは陸地から遠く離れた太平洋の只中、南海の孤島よ。ようこそ、『アリマゴ島鎮守府』へ」
叢雲は、『艤装は改二だけど服装は改のまま』ってことで