ルーミアの家から出た後、万が向かった先はさして大きくもない山であった。
どこか懐かしいような、不思議な感覚に促されながら、その山を目指す。
人気のない獣道をのらりくらりと歩きながら、万は何を思うのか。
第弐話 霧の湖にて
ルーミアの寝床からなるべく妖気の少ない道を通っていたが、案外時間もかからないものだ。
はてさて山に住む妖怪といえば心当たりが多すぎて特定できないが、一体何がいるのやら。
そのまま直進して山の麓辺りまで来ると、先の方が白い靄で見えなくなっていることに気付く。
あれは、霧だろうか。
なぜあそこだけ、あのように霧に包まれているのか。
不思議だが、好奇心を大いに刺激される光景に、少し早足になってしまう。
「……涼しいですねぇ」
突然背筋を駆け抜けた寒気に驚いて、思わず声が漏れてしまう。
霧の中に入り、何歩か歩いているとなぜか急激に冷えだした。
何も冬のように寒いというわけではないが、七月も半ばに入ろうとする今日にしては些か涼しすぎる。
よくよく見ると、霧の内側にはそれなりの大きさの湖があるようだ。
対岸には先ほど目的地である山があるのだが、それよりもとても興味深いものが目に入った。
湖の中心には、昔の日本では有り得ないような窓の少ない赤い洋館が見え隠れしている。
「コレは……進路変更決定ですねぇ」
なんとまぁ、面白そうなものがあるものだ。
あのような悪趣味な館の主は十中八九人間ではないだろう。
はてさて、どんな妖怪が住んでいるのだろうか。
問答無用で襲ってくるような危険な妖怪がいる可能性を考慮すると、今の状態で出向くのは得策ではない。
最低でも『天狗の面』の状態になっていたいところだが……。
どうすればいいかと辺をうろついていると、徐々に涼しくなくなっていくことに気がつく。
これはどうしたことかと思い、引き返すと再びだんだんと涼しくなる。
元の位置まで戻り、なおかつ進むと冷気は増していき、心なしか霧も濃くなった気がする。
そう長く歩くこともなく冷気の元へと辿り着くと、そこでは少女が気持ちよさそうに眠っていた。
ただの少女ではない。
髪から服まで青色で統一しており、地に着いた背中からは透明な6枚の羽が生えている。
よく見ると彼女の周りにある草花は元気がなく、触ってみるとパキパキと割れてしまう。
どうやら凍っていたようであり、冷気の出処はこの少女で間違いないようだ。
気持ちよさそうに眠る少女の顔は特に人間と変わりはなく、背丈もルーミアと同じくらいだが、こんなところで一人で眠っているということは相当な実力者なのだろうか。
それともただ単に暢気なだけな阿呆なのか。
判断はつかないが、こうも無防備な姿を見ると、どうしても悪戯心が湧いてしまう。
少しして、準備を済ませて寝息をたてる彼女の傍らにしゃがみ込む。
「スゥ、スゥ」
「もし、こんなところで寝ていると妖怪に襲われますよ」
「スゥ、……ん~誰だよぉ、私は、ぅわあ!?」
肩を揺らすと少女は目を覚まし、寝ぼけていたのか反応は遅れたが見事なまでに驚いてくれたようだ。
いつの世も、この瞬間が何にも勝る快楽である。
「あ、あんた、顔がないじゃない。お、落としたの?」
少女は、少々怯えながら大分トンチンカンなことを尋ねてきた。
今の私の顔には目も鼻も口もなく、人の世で伝えられる一般的な『のっぺらぼう』の形相となっている。
そもそも私は、『面を喰らう程度の能力』を持つ面を常時身に着けている。
いや、顔に着けているといったほうが正しいだろうか、どちらでもいいが。
面は半身でもある私の顔を喰らっている。
なので着けていようがいまいが顔は変わらないので、着けている方が何かと便利なのである。
この面は装着すると、まるで本物の顔の皮のように張り付き、鏡に映る自分でさえも面を被っているなどとは思えなくなる。
そして、今は本来の面の姿である、言うなれば『のっぺらぼうの面』を被っている状態だ。
のっぺらぼうの本分は人を喰うことでも襲うことでもなく、ただ驚かせることであり、その時生まれる驚愕や恐怖といった感情が、私の力となるのだ。
そろそろ少女の顔からその感情も消え始め、警戒心と怒気が露わになってきたので顔を元に戻す。
「な、なによあんた、妖怪? あたいに喧嘩売るなんていい度胸ね!」
随分とお怒りになった少女は飛び上がり、攻撃態勢に入る。
その様子に、もしやと思い、話を続ける。
「まぁ落ち着いてください、喧嘩など売っていませんよ。ただ聞きたいことがあり、頭の良さそうな方がいたので声をかけたんです」
「頭が良さそう、ってあたいが?」
「他に誰がいるのですか。そんなに聡明な顔をして」
「ふん、あんた見る目はあるみたいね、顔はなかったけど。いいわ、何でも聞きなさい」
……もう顔は戻したのだが、いや、思惑通りいったのだから何の問題もないか。
先のトンチンカンな言葉や表情や感情が目まぐるしく変わることから察するに、彼女は中々に単純なようだ。
見た目どおり、と言ってしまえばそれまでだが。
単純な者は馬鹿にすれば何処までも怒るし、おだてればどこまでも機嫌をよくする。
つまり、とても御しやすい。
「それでは早速、と、その前に自己紹介をしましょうか。私は無郷万です、どうぞよろしく」
「あたいはチルノよ。よろしくするかどうかはあたいが決めるわ」
個体名『チルノ』種族名『妖精』能力『冷気を操る程度の能力』
妖精、か。
ここに来るまでの道中で感じていた視線や囁きは、もしかすると他の妖精のものだったのかもしれないな。
以前旅をしているときはあまり見なかったが、書物で見た限りでは日本でいうところの魑魅魍魎と似た印象を受ける種だ。
両者とも森羅万象の様々なものの化身として存在し、総じて力が弱いが大きな違いとしては妖精は陽気を好み、魑魅魍魎は陰気を好むという点か。
彼女は冷気、または氷の妖精というところだろうか。
陽気を好むというわりには、陽気に嫌われそうな能力である。
「あなたはいつもここにいるのですか?」
「そうよ。ここはあたいの家だもの」
そう言って得意げに指を指す方向には氷でできたかまくらのようなものがあった。
ここは霧で日光が届きにくい。
彼女がこの場所に住むのも自然の道理ということか。
「とても涼しそうな家でうらやましいですね。あなたはいつもこのように一人でいるのですか?」
「……なによ、文句あんの?」
これはいけない、余計なお世話だったようだ。
「いえいえ、滅相もない。あなたは妖精というには力が強いようですからね」
「当たり前よ、あたいは強いからね。あんたも氷づけににするわよ」
「戦う前から降参させていただきますよ」
「あっそ。でも、あんたはムカつくから、いっぺん凍っちゃえ」
チルノがそう言い放つと同じに私の両足が下から膝の辺りまで凍りつく。
「あっはっは、もうこれで動けないでしょ……?何それ」
私の顔を、いや額を指差すチルノ。
それもそうだろう、私の額には先ほどまでなかったはずの2本の角が生えている。
「チルノさん、『貴女の能力は、私の半径三十センチ以内では無効化される』」
言うとともに私の足を封じていた氷が消える。
いや、厳密にはチルノが凍らせる前の水蒸気に戻ったのだ。
これは『鬼の面』という状態だ。
この時の私の能力は『あらゆるものを制限する程度の能力』である。
発動条件は、外部から攻撃される、または何らかの能力を行使されることである。
対象の動きから能力など、様々なものを制限できるが、範囲や限度を定めなければ使えない、少々面倒くさい能力だ。
さらに、その範囲や限度が大きければ大きいほど、効果が弱くなってしまう。
例えば、『チルノは能力を使えない』では限度を定めていないので効果はないし、『チルノの能力は私の半径一キロメートル以内では無効化される』だと範囲が広すぎて長時間効果が続かないのだ。
これくらいなら、時間を定めていなくても1日は持つだろう。
しかし、今回のような制限だと多少欠点がある。
「な、なによ、生意気ね! 喰らえっ!」
そう叫んでチルノが巨大な氷柱を作り出し、こちらへ向かって飛ばしてくる。
そんなに速度が出ていないので容易に避けることが出来るが、今回の欠点はこれだ。
もはや『鬼の面』で制限されたので、チルノは私を氷づけにしたりすることは出来ないが、能力で作った氷で物理的に攻撃されてしまうとどうしようもない。
さっきのはあくまで私の足の周り、つまり、半径三十センチに存在する水蒸気をチルノが能力で凍らせたから、水蒸気に戻ったのだ。
そこ以外で出来た氷はただの氷なので、消滅させることなどできはしない。
瞬間的に効果的な制限を考え、尚且つそれを可能にするために条件を定めなければいけない。
強力だが、短期決戦には少々使いにくい能力である。
「落ち着いてください。私はあなたと戦う気はないですから」
「うるさい! あたいは、あんたみたいなのに負けたりしない!」
何本も何本も氷柱を飛ばしてくるが、当たりはしない。
それもそのはず、今の私は『鬼』だからだ。
といっても私自身が元は非力なのっぺらぼう故、本来の鬼の力を再現することは出来ない。
実際には、本物の鬼の半分、いや、おそらく十分の一ほどの力があるかないかといった程度だが、それでものっぺらぼうよりは遥かに強く、ましてや妖精の攻撃が当たるようなことはない。
「だから、勝ち負け以前に戦う気はないと言っているでしょう」
「なによ、あたいは強いの。一人でいても強いから、だからあたいは強くないといけないのよ! あんたみたいな弱そうな奴に負けるもんか!」
「……なるほど」
やはり氷の妖精でも妖精は妖精のようだ。
陽気が好きだが、自らの性質が故に近づくことができない。
他の妖精とも仲良くしたいが、孤立し、強くなってしまったから力の加減も出来なくなったのだろう。
今のような些細なことで攻撃してしまうような性格では、近づくどころか疎まれ、遠ざけられ、そしてまた孤立し……。
それを繰り返すうちに、自分は他とは違い強く、強いから一人でいるのだ、と考えたのか。
しかし、だからこそ負けてしまえば自分は強くないということになり、矛盾を生じてしまうわけだ。
難儀なものだ。
「なんにせよ、貴女では今の私に勝つことなんてできませんよ。あきらめなさい」
「はぁ、はぁ、なんなのよ、あんた。一人でいるのなんて慣れたのに、変なこと言うから思い出しちゃったじゃない」
私の言葉を聞き入れたのか、疲れてしまったのかは分からないが攻撃が止む。
やれやれ、やっと終わったか。
と、思ったその瞬間、
「油断したわね! これでも喰らえ!!」
一本の氷柱が一瞬で出来上がり、先ほどとは比べ物にならない速度で飛んでいる。
避けることが出来ず、反射的に両手で掴み、体を回転させてそのまま力任せに投げ返してしまった。
「「あ」」
互いの声が重なり、チルノの体に氷柱が突き刺さったかと思うとそのまま四散した。
どうしたものかと思って立ち尽くしていると、さして時間もたたぬ内にチルノは再生した。
どうやら、妖精は不死身なようである。
自然の具現化なのだから不思議ではない、のだろうか。
完全に再生したが疲れているのか、ぺたんと座ったチルノに向けて口を開いた。
「すみません。攻撃する気はなかったのですが、つい反射的に」
「……もういい」
「と、申しますと?」
「うるさいわね、一回勝ったぐらいで調子に乗るんじゃないわよ! 次は負けないからね!」
と言ってそっぽを向いてしまう。
次があるのか……。
若干憂鬱に思いながら『鬼の面』を解除し、『天狗の面』に戻す。
『鬼の面』の制限は条件を満たした後に一度だけしか使えないので、ずっと被っていても利点はない。
ちなみに、『天狗の面』は私の意志か私の意識が完全に途切れれば解除される。
どうやら完全に機嫌を損ねてしまったようなので、先へ進もうと思い声をかける。
「本当にすいません。私はそろそろ行くとしますので、またご縁があったらお会いましょう」
「会うわよ、絶対に。勝ち逃げなんて許さないわ」
「できれば今度はゆっくりお話したいですね。……ああ、ちなみに、ですが」
老婆心ながら、ふと思ったことを伝えることにした。
「なによ」
「貴女は強いですよ、十分なほどに。ただ、最強ではないだけです。上には上がいるだけで、貴女は決して弱くはない。弱者に強さを見せ付けるのではなく、強者に挑み、より最強を目指すことをお勧めします。少なくとも、私からすれば貴女は強敵でしたよ」
嘘ではない。
私が能力の持たないただののっぺらぼうだったならば、初手で足を凍らされたあの時で、もはや詰みだっただろう。
「あ、当たり前でしょ! 覚えてなさいよ、絶対にコテンパンにしてやるんだから!」
また余計なお世話だっただろうか。
悔やんだところでどうしようもないのだから気にしないことにしよう。
それではまたと言い残し、館へ繋がる道がないものかと歩きながら探すことにした。
「チルノちゃーん!」
久しぶりに惨敗を経験して休んでいるチルノの名を呼ぶのは名もなき大妖精だった。
彼女もチルノと並ぶ程ではないが他とは違う強さを持っている。
名を持たないのは、元々は名をつけられない程に普通の、ただの一妖精だったからである。
万が予想したチルノと妖精たちのいざこざも、実のところは過去の話。
大妖精と出会い、複数で遊んだり悪戯したり、その楽しさを知ってからはチルノは弱者を虐げるようことはしていない。
あくまで、他の妖精に関してのみであることだけが考えものではあるが。
大妖精に呼びかけられてもチルノは応えない。
「チルノちゃん、どうしたの? 他の子もすぐ来ると思うから、今日は何して遊ぶ?」
チルノがなにか難しいことを考えているような珍しい顔をしているので、また何か悪戯でも考えているのだと思って大妖精は声をかける。
「ねえ大ちゃん、さいきょうってどう書くの?」
「え、それって漢字のこと?えっと、こ~……だったかな?」
大妖精は指で地面に『最強』とつたない字で書き上げる。
それを見て、チルノはにっと笑顔になる。
「最強か、かっこいいじゃない。大ちゃん、あたい最強になるわ!」
「え、どうしたの? なにかあったの?」
先ほどの神妙な顔が信じられないほど、いつにも増して元気があふれるチルノに戸惑う大妖精。
そんな大妖精を尻目に、チルノは腰に手を当てて高笑いを続けるのであった。
大妖精の設定は完全に想像です。
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