姿を隠したまま、万は地下から地上へと帰還する。
地下には他にも部屋があったのだが、まさか館の主人が地下に引き篭もっているということはないだろうと一直線に階段を上がった。
窓の向こう側は夏といえども流石にもう暗くなっており、館も若干不気味な雰囲気を醸し出している。
しかし、万はそんな事は特に気にも留めずに館の中を右へ左へ歩き続けるのであった。
第伍話 奇怪な人間
本当に何なのだ、この館は……。
とにかく広く、そのくせ定期的に発見する部屋は空き部屋が多い。
時たま室内の妖精が独りでに開いた(ように見える)扉に驚き慌てたこともあり、退屈はしなかったがとても疲れた。
次に見つけた部屋が空き部屋なら、一部屋拝借してしまおうと思っていると、次の部屋の扉がもう見えた。
いかがなものかと足を踏み出したその時、何かが体にぶつかる衝撃を感じて下に目線を向けた。
それと同時に前方から明確な殺気を感じ取り、反射的にそちらを見ると、目の前に刃物の切っ先が向けられていた。
「ッ……!」
なんとか声を抑えることに成功する。
刃物の持ち主は、使用人の格好をした銀髪の少女であった。
どこから、そしていつから目の前に現れていたのだろうか、まったく分からなかった。
数歩、音を立てずに後ずさると、少女が口を開く。
「そこにいるのは誰かしら? 三秒あげるから出てきなさい。もしくは出て行きなさい」
視線からすると、私の姿が見えているというわけではないようだ。
だが、そう言った途端に少女の姿が消えていた。
その代わりに、目の前には先ほどの刃物だけが眼前へと飛んできていた。
「なっ!?」
流石に声が出てしまうが、もはや形振り構わず全力で顔を横へと動かして避ける。
だが、それも間に合わず、大きく尖った耳が災いして刃物が耳を掠め、その上無様に床に転げてしまう。
今回は『鬼の仮面』が発動するが、耳の傷は治らない。
「今のは警告よ。次は今の十倍投げるわよ」
少女はいた。
私が歩いて来た方向からゆっくりと、普通に歩いて来た。
駄目だ、これは敵わない。
「降参です。ここにいるのは妖怪ですよ」
術を解き、立ち上がりながら両手を挙げて降参の意を示す。
ついでに先ほど無視した少女の問いにも答えておく。
術は他の面を被っても引き継ぐことは出来るが逆は出来ないから少し不便である。
「なんなのよ、あんた。あ、もしかしてお客様かしら」
これは、どうしようか。
客だと言えば接待してくれるのだろうか。
しかし、あまり嘘に騙されてくれる様な性格ではなさそうなのだが……。
「客だと言えば客ですね。一方的に私が会ってみたいと思っているだけですが」
「あらそう。じゃあ見逃す訳にはいかないわね。お嬢様を危険な目には遭わせられないもの」
駄目だった。
少女はおもむろに紙札を取り出し、今にも襲い掛かってきそうだ。
あれは……『すぺる』か。
しかし、私にはアレに対抗すべき力がない。
「早く出しなさいよ、話が進まないじゃない」
「いえ、私はそのようなものは持ち合わせていません。ですので、見逃すことを再検討して頂きたいのですが」
「駄目ね、あんた怪しいもの。使えなくても大丈夫よ、死にはしないから」
その死にはしない、というのが最も堪えてしまうのだが。
いや、そんなことよりもここはもう押し切るしかなさそうだ。
無抵抗のままやられる道理も理由もない。
「ならば、貴女にはお休みしていただきましょうか。ちなみに、お名前は?」
「そういえば言い忘れていたわね。メイド長の咲夜よ」
つい癖で名前を聞いてしまうが、私が今被っているのは『鬼の面』なので何も分からない。
分かるのはこの少女が人間であるということだけだ。
能力は推測するしかないが、……瞬間移動だろうか。
違うような気がしないでもないが、私の耳を削った刃物が床に落ちることなくいつの間にか消えてしまっていることや彼女の動きから考えると似た系統の能力だろう。
と、いうことは私のとるべき行動は限られている。
「私の名前は万といいます。先手必勝、『貴女は私の後ろには来られません』」
彼女の能力が瞬間移動であるならば、必ず私の背後に移動して攻撃してくるはずだ。
そうでなかったとしても、得体の知れない相手と戦うときは大概この制限を使えばなんとか対処できた。
ちなみに、この状態で私が後ろを向いても別に相手がどうなるわけでもない。
あくまでも『来られない』だけであって、存在できないわけではないからだ。
相手からしたら私の体の周りが見えない壁で囲まれているようなもの……らしい。
実際自分ではよく分からないが、そう言われたことがある。
「? 何を言っているのか知らないけど、先手は私よ。メイド秘技『殺人ドール』」
彼女が唱えた瞬間、幾つかの刃物が彼女の体の周りで1本1本高速で回転している。
ふと周りを見ると、ここは廊下だった筈なのだが、いつのまにか天井が恐ろしく高くなっている。
外観は廊下のまま、まるで講堂のようになってしまっている。
彼女の能力は、私の想像よりもかなり上等なものなのかもしれない。
と、思っていると回転していた刃物がこちらへ向かって飛んでくる。
「はっ!」
膝を曲げて高くなった天井に向かって跳び上がり、そのまま飛行する。
そして彼女を見ても、もうそこにはいない。
どこにいったのだろうか、と顔には出さないが焦燥感に駆られてしまう。
すると、まったく想定していない方向から声が飛んでくる。
「羽もないのに飛べるなんて、流石妖怪ね。かわせるとは思わなかったわ、自信作だから」
確かに、私は今飛んでいる。
どうでもいいことだが、私も翼がないのに飛べる原理は分からない。
そもそも翼がなければ飛べないと誰が定めたのか、それは言わずもがな人間である。
人間の想像から生まれた私たち妖怪が、常識と呼ばれるその定義を無視できるのは当然であると言えるだろう。
と、そう思っていたのだが……。
「……うまく化けていますね。妖気や霊気など、欠片も感じ取れませんでしたが」
咲夜と名乗った少女は、私の正面に平然とした顔で腕を組んでいた。
……この少女が人間だと思ったのは、私の気のせいだったか?
「失礼なことを言わないでもらえるかしら。それよりも、あんた私に何かした?」
こちらの発言の真意に気付いていないのか、あえて無視してるのかは分からないが完全に聞き流されてしまった。
私も本気で言った訳ではなかったので別にかまわないが。
「さぁ? どうでしょう」
惚けてみるが、彼女の視線がより厳しくなっただけだった。
私が定めた制限に気付いていないようだが、今の段階で何か役に立っただろうか?
相手が刃物を使う以上、『鬼の面』をおいそれと解除するわけにはいかない。
条件を満たした瞬間、体のどこかに重傷を負ってしまいそうな獲物を使う相手に、戦闘前から『鬼の面』を被れたのは良かったが、あまり有効な制限が出来たとは思えないのだが。
「何かしたのね。……もう次で最後よ、奇術『エターナルミーク』!」
彼女が目を瞑って唱えた途端、彼女の体が青く光り始める。
その光った体から青く光る弾が飛んで来るが、先ほどの刃物での攻撃のように私を狙ったものではなく、それこそ下手な鉄砲の如く滅茶苦茶に飛ばしてくる。
左右に体を振って避けながら、意外なものだと思う。
先ほどの様子や自信に満ちた言動から、刃物での攻撃が1回しかなかったことと『すぺる』とやらがたった2つで最後ということが、だ。
最後と言った時に、若干意気消沈した顔が印象深かった。
しかし、こちらも悠長にかわし続けているわけにはいかない。
今の状態ではそんなに長く飛ぶことは出来ないし、何よりも弾の数が増え続けて隙間が見る見るうちになくなってきている。
まだ埋まっていない弾の隙間を潜り抜け、近づきながら拳を握って力を込める。
「失礼しますよ、ってあれ?」
少女の目の前まで到着し、腕を振り上げたところで一応声をかけたのだが、その瞬間またもや彼女が消えてしまい、間抜けな声が漏れてしまった。
周りにあった青い弾も消え去り、辺りは静寂に包まれる。
すると、突如空間が歪み、とっさに目を瞑る。
今の無防備な技も罠だったのかと思い、すぐさま目を開けると、そこは数分前と同じ高さの廊下に戻っていた。
「もう一度聞くけど、何かしたでしょう」
そして、少女も普通に目の前に立っていた。
本当に最後だったようだ。
彼女はなにやら少々困惑しているようだが、ここはそれを利用させていただこう。
頭を出来る限り回転させ、有効な台詞を探し出す。
「したかもしれませんが忘れてしまいましたよ。この館の主人に会うことが出来たら思い出せるかもしれませんねぇ」
言い終わった頃には彼女の姿はなく、と思っているとまた同じ場所に立っていた。
まったくもって不思議な少女だ。
「この道を真っ直ぐ進むとお嬢様に会えるわ。あんたと話がしてみたいそうよ」
どれだけ便利な能力を持っているのだろうか、うらやましい。
しかし、話がしたいというのはありがたい。
ならばもう大丈夫だろうと『鬼の面』を解除する。
「もう何もしてませんよ」
「あらそう」
またも彼女の姿が、
「本当ね、やっとナイフを回収できたわ。全然数が足りないわね、もっと増やさなくちゃいけないわ」
速い。
速過ぎて思考もままならなかった。
それはさて置き、どうやらあの刃物の数量が足りなかったようであり、私の後ろに飛ばした刃物を回収できなかったから、あんなに早く勝負がついてしまったらしい。
思いつきとは偉大なものだと過去の自分を賞賛する。
「早く行かないと、お嬢様の気が変わっても知らないわよ。私も掃除しなくちゃいけないし、余計なことはしないように」
それはいけない。
もとより主人に会う以外の目的はあまりなかったのでさっさと会わせて頂こう。
しかし、結局彼女の能力は何だったのだろうか。
「貴女の苗字はなんというのですか? 言ってませんでしたよね?」
「十六夜よ、十六夜咲夜。どうでもいいけど、あんたは何の妖怪なの?」
「ただののっぺらぼうですよ。苗字は……」
……本当にただの興味本位だったのだろう、言い終わるよりもずいぶん早く彼女は消えてしまっていた。
いや、消えてしまったわけではないか。
個体名『十六夜咲夜』種族名『人間』能力『時間を操る程度の能力』
随分と人の身には過ぎた、強力な能力だった。
しかし、見たところうまく使いこなしていようであったし、末恐ろしい少女である。
この館の内側やあの尋常ではない広さの図書館も、おそらく彼女の能力を応用したものなのだろう。
時間と空間とは下手をすると神にも匹敵するような能力であるが、彼女には野心というものはないのだろうか。
「おっと、早く行かなくては」
それとも、そんな彼女が従順になるほど素晴らしい主なのか。
彼女の助言通り、主人の機嫌を損ねてはいけない。
ようやく会えると安堵と高揚の中に、若干の緊張も混じりこんでくる。
楽しい日だ、本当に。
「掃除……掃除……。まったく、妖精は当てにならないなぁ」
咲夜は自分の部下に当たる妖精メイドたちに苦言を漏らしつつ、窓を拭いていた。
頭の中では先ほどのことを考えていた。
「ナイフ、どうしようかなぁ。う~ん」
パチュリー様にお願いしたらどうにかなるかしら。
もっとスペルカードを試してみたかったのに、まぁ相性が悪かったから仕方ないか。
また美鈴にでも試してみるか。
「そういえばお嬢様のスペルカードの調整は終わったのかしら」
まぁいいかと続け、続々と窓を拭き続ける。
知らない間に出会った少女たちからドンドンと不吉な言葉を重ねられてゆく万。
万は再び太陽を拝めるのだろうか。
正直移動中に出会う咲夜の話が一番難しかったです。