第捌話 全ては愛する汝が為に
進んで見ると、確かにそこにあった見えない壁は消えていた。
そう言えば、あれが結界だったのかそうでない何かなのかを聞いてなかったな。
廊下の奥は不自然なほどに暗く、あるのは一枚の扉だけだ。
その扉の前に立って見ると、その扉にも見たことのない魔方陣が描かれている。
想像するに、内側から開かなくする術か何かだろう。
扉に手をかけて開くと、鈍い音と甲高い音が響き渡る。
「失礼します。……誰かおられるでしょうか?」
部屋の中は廊下よりも圧倒的に暗く、『鬼の面』では夜目も利かないので何も見えない。
返事が返ってこないので、一歩前に進むと、その瞬間部屋が明るくなる。
驚いて周りを見渡すと、いつの間にか部屋の四方と上方に置かれた明かりに火が灯ったようだった。
改めて中を見ると、随分とひどい有様である。
壁や天井、床の一部は、どうやればこうなってしまうのかと思ってしまう程に砕け、原型を留めていない子供用の玩具、千切れ果てた絵本などが至る所に散らばっている。
極めつけは、普通に生きていれば、どうやってもこんな死に方はしなかったであろう何かの死骸までその中に混じりこんでいる。
臭いからすると、この中に人間はいないようだが、その程度のことしかわからない。
その時、もぞもぞと何かが動き出す。
いや、それは最初からそこにいた。
凄惨たる部屋の片隅に、ポツンと置かれた寝具の上に。
「ううん……。あれ? 部屋が明るくなってる。誰か来たのかしら」
そこにいたのは、誰かとよく似た帽子を被り、見たこのない異型の翼を生やした、小さな少女だった。
得体の知れない少女に、僅かながら恐怖を覚える。
名を尋ねなければ、と反射的に思うが、そうしてしまうと『鬼の面』が解除されてしまう。
気付かれる前に、一旦外に出ようかと後ろを向くと、いつの間にか扉も閉まっていた。
まずい、あの扉の術式が私の予想通りなら、逃げることが出来なくなったということだ。
いや、今の状態ならば扉を壊して全速力で駆け抜ければいける、か?
と、そう思った時だった。
キキッ。
突如、頭上で甲高い音が部屋に響く。
「あれ、またどっかの蝙蝠が忍び込んでたの? ……誰、貴方」
蝙蝠の鳴き声に反応し、こちらを向く少女と丁度、目が合ってしまった。
こうなっては、もう成るように成れ、だ。
「私ですか? 私は無郷万と言います。ここの主人とは……友人をやらせてもらっています」
友人は、流石に言い過ぎだっただろうか。
言いながら、どう言ったものかと思ったが、とりあえず友好的に言っておけば間違いはないだろう。
「あいつの友人? ふぅん、いいところに来たわね」
屋敷の主人に相手にあいつ呼ばわりとは、翼の形が異なるものだから違うかと思ったが、やはりレミリアの血縁者か何かだろうか。
それにしても、背中の汗が気持ち悪い。
私の思考を余所に、体の方は彼女の発言に嫌な予感を感じてしまっているようだ。
「……いい、ところですか」
にこにこと無邪気に笑う少女。
その少女の口から放たれる言葉。
「ええ、そろそろ新しい遊び道具が欲しかったのよ」
それは案の定、碌でも無いものだった。
言い終わると同時に、飛び上がる少女の手には、これもまた見たことのない物が握られていた。
「いっけーっ、レーヴァテイン!」
彼女がそれを振り上げ、そう叫ぶと、その先端から炎が現れ、瞬く間に巨大な剣のような形状になる。
壁や天井を物ともせずに破壊しながら、そのまま一直線に振り下ろされる。
「……なんと言うか、無茶苦茶ですねぇ」
最初は少々呆気にとられたが、連日繰り返された避けるだけの作業がここで役に立ったようだ。
彼女たちの意地の悪い配列の弾幕に比べれば、こんな直線的な攻撃はいかに強力と言っても恐れることなどない。
しかし、能力を使おうにも、『鬼の面』は言霊が重要なのでこの状況では使えない。
やれやれ、これだから問答無用で仕掛けてくるような相手だと大変なのだ。
何度も剣を振り回し、時たま思いついたように弾を飛ばしてきたが、そのどれもが当たることはなかった。
その最中、扉にも何度か剣が直撃したが、廊下に面する壁にも傷すらつかなかった。
攻撃が止み、見ると少女は笑っていた。
「やるわねぇ。でも、これならどうかしら?」
少女の体がぶれて二人に増え、そして、また二人増えて、同じ顔をした少女が計四人、宙を浮いていた。
そして、ご丁寧に同じ数だけ増やされた先程の武器を構えたところで、流石に止めに入る。
「まぁ、お待ちなさい。遊び道具と言っておきながら、貴女は遊んでなんていないじゃないですか。どうせ遊ぶなら、もっと楽しい遊びをしませんか?」
ぴたりと少女の動きが止まり、こちらの様子を窺っている。
そんなものがあるのか、と問われているようだ。
「『弾幕ごっこ』というのは、ご存知ですか?」
こんな所にいるようでは、知っているかどうかは分からないので確認をしなくてはならないだろう。
「知っているわよ。あいつがやり方だけ教えに来たけど、あんなのつまらないわ」
「あれの何が面白いの?」
「あれに比べたら、まだ絵本を読んでるほうが楽しいわ」
「あいつが持ってくるものは大概つまらいけどねー」
ただ分身しているだけかと思ったら、四人の少女が矢継ぎ早に喋りだす。
とは言っても、それぞれに自我があるというわけでは無いようだ。
「そうですか? あの方法ならば少しばかり力のある人間ならば我々と対等に、そうですね、遊ぶことが出来るのですよ」
戦うことが出来る、と言いそうになったが、一応は少女に合わせておく。
私が今やることは、万が一にでも私が死ぬ可能性を失くすということだ。、
「え、そうなの? そんなの知らないわ」
「だって、そんなの聞いてないもの」
「やれるようになっときなさい、って言われただけだけだったわ」
音もなく、分身が一人消える。
少なからず、動揺しているのだろうか。
「なるほど、強要されたから面白くないと感じたのですね」
まるで人間の子供のような理由だ。
「違うわっ、そんな理由なんかじゃない!」
「そうよ、子供じゃあるまいし」
また一人、静かに消える。
声を荒げて否定したのが本人なのだろうか、どうやら感情までは分けられないようである。
「ならば、なぜやろうとしないのですか?」
本人と思わしき方が俯き、ゆっくりと降りてくる。
「そんなの……」
宙に浮かんだままの彼女がそう呟き、消える。
降りてきた彼女は、脱力したようにペタンと、所謂女の子座りで床に座り込む。
まだ俯いたままで、表情は帽子と髪の陰になってしまっている。
「……だって、だって、あんなの、一人でやってもつまんないんだもん。あいつは、あれから来てくれないし、せっかく作っても、誰も、誰も来ないんだもん。あんなの、何も、楽しくないんだもん」
少女は今にも泣き出しそうになりながら、そう呟く。
その様子と言葉に、嘘は見受けられない。
正直、これは予想外の展開である。
「あの方も、貴女が完成させたらここに来て、遊ぼうとしていたのではないですか? 練習が必要なら私が付き合いますよ、多少は慣れていますから」
出来る限り、言葉を選んで声をかける。
泣いている者の相手は、長く生きてきた中でも一、二位を争うほど苦手なものである。
だがしかし。
「余計な、お世話よ。うう、グスッ、うわああああああああああああん!」
余りの声量に、思わず耳を押さえてしまう。
どうやら私は、言葉選びを間違えてしまったようだ。
どうしていいか分からず、とりあえずその場を離れ、扉に近づいて見ても、やはり扉は開かない。
軽く嘆息をついていると、少女の声が小さくなり、間を置かずにピタリと止んでしまった。
もしやと思って少女を見ると、泣き疲れたのか眠ってしまっていた。
すると、意外にも生きていたらしい蝙蝠の鳴き声が再び聞こえ、今度は思い切り嘆息をついてしまうのだった。
そう時間も掛からずに、少女は目を覚ました。
どうやら、彼女の名前はフランドール・スカーレットというらしく、レミリアの妹だそうだ。
肝心の能力は分からないが、使わずとも非常に好戦的な性格な上に能力を使わなくても強いことは分かった。
眠る前に、あんなことを言ってしまったので、すぐにでも相手をさせられると思ったが、そんなことはなかった。
どうやら彼女は情緒不安定の気があるらしく、久しぶりに生きている者を見て興奮してしまったそうだ。
「それで、どうなったの?」
自己紹介を済ませた後、生きた人間を見たことがないと言うので、旅先での出来事を話しているのが現状だ。
彼女は寝具に腰掛け、私は床で胡坐をかいて座っている。
「ええ、その子は無事に生き延びましたよ。私もまさか、村一つを滅ぼす盗賊の頭領が、捨てられた赤子を拾って育てるとは思いも寄りませんでした」
しかも、その子は頭領を親と思いながら成長し、その後に他の盗賊員から真実を聞き、泣きながら頭領を殺したのだから人間とは分からないものである。
非道を尽くす人間が、どのような最後を迎えるのかと盗賊団に紛れ込んで終始見ていたが、あれは正に予想外だった。
「人間って、面白いわね」
様々な話を聞き、一段楽して少女が放った感想は、たった一言だけだった。
その一言に、どんな想いがどれ程詰まっているのかは分からない。
目を輝かせているフランドールを尻目に、部屋をぐるりと見渡す。
……四百九十五年間、この窓もない部屋で過ごすというのはどんな気分なのだろうか。
そんなフランドールの気持ちも、閉じ込め続けたレミリアの気持ちも分からない。
だが、弾幕ごっこのことをこの娘に教えたということは、外に出そうとはしているのだろう。
あいつと呼んだり、会話の合間で姉に向かって悪態をついている様子からすると、そのことに気付いてはいないようだが。
私がもし、こんな風に閉鎖的な部屋に閉じ込められたら、どうするだろうか。
「……あ」
なぜ、今まで思いつかなかったのだろうか。
『鬼の面』を被っている今ならば、簡単な話ではないか。
「どうしたの?」
「いえ、ここから出る方法を思いついたのです。あ、申し訳ありませんが、貴女を出すことは出来ませんよ」
少女の顔が、まるで花火のように一瞬だけ咲き誇り、そして散っていった。
非常に悪いことをしたような気分になってしまうのは何故だろうか。
また泣かれたら堪らないので、急いで付け加える。
「あのですね、また来ますから。貴女も休んで待っているといいですよ」
俯きはしたものの、泣きはしないようだ。
いや、そもそも泣かれるよりも、馬鹿にされたと怒りだす方が不味かったな、今回は何ともないようなので別にどうでもいいが。
「……絶対よ」
フランドールはそう小さな声で呟いて指切りをした後、もう寝るからと布団に潜ってしまう。
私も、もう出ようと扉まで近づき、手を触れる。
「『この扉は、一度だけ、私を防げない』」
触れた手に力をこめて、前へと突き出す。
すると、その手は扉をすり抜け、そのまま私は部屋の外へ完全に出ることに成功する。
この扉が、ただの扉であれば、この様なことは出来ない。
扉はあくまでただの扉であり、制限しようがないからだ。
しかし、誰かの術が掛かり、何かしらの『通さない』という能力を得ている扉ならば、それを制限することが出来るのである。
無機物相手でも、条件をつけないと能力を発揮できないことは情けないが。
「ああ、やっと出てきたわね」
横から掛けられた声の主は、パチュリーであった。
「おや、待ってくれていたのですか?」
「ええ、どうやって出てくるか気になったからね。少し休むといいわ、ひどい顔してるわよ」
本当に、可愛げのない少女だ。
しかし、お言葉に甘えて休ませて頂くとしよう。
死ぬ気になって走るのは、やはり遊びのときよりも疲れてしまっていたようだ。
無言で図書館の中に入るパチュリーの後に付き、図書館の中に入る。
今日は久方ぶりに、よく眠れそうだ。
万が扉をすり抜け、出て行った後のことである。
笑顔で眠っているフランドールのベッドの脇に、一匹の蝙蝠が飛んできたかと思うと、何処からともなく数匹の蝙蝠がそこに集まり、人の形へと変貌する。
いや、元に戻ったと表現すべきか。
その正体は言わずもがな、レミリア・スカーレットである。
「案外、いい拾い物だったわねぇ。頑丈だし」
部屋の中にいた蝙蝠は一匹ではなく、何匹もいて、部屋の至る所にに隠れていたのである。
「本当に手が焼ける子だわ。せっかくスペルカードの作り方と使い方を教えてあげたのに、作るだけ作ってほったらかしにするんだもの」
レミリアが、眠る妹の頭を撫でながら言う。
実は、最初のレーヴァテインで、分身である何匹かがやられ、誰も知らずにダメージを負っていたことは秘密である。
「ま、これでフランのスペルの調節もうまくいくでしょう、咲夜ーいるー?」
「はい、ここにいますよ、お嬢様」
音もなくレミリアの隣に現れる咲夜。
最初に灯りをつけたのも彼女であり、扉を閉めたのも彼女である。
ちなみに、今は開きっぱなしになっている。
咲夜の姿が消え、灯りが消えて元の暗闇に戻る。
「私のいないところでは、あいつって呼んでた癖に、どんな夢を見ているのかしら」
そして、レミリアがもう一撫でして、手を離そうとした時だった。
「……お姉さま、私、外に出たい」
驚いて妹の顔を見るが、どうやら寝言だったようだ。
ここ何十年かはもう言わなくなったが、かつては部屋の外まで聞こえてきていた悲痛な叫び。
あの時は、顔を背けていたくなる程に顔を歪ませていたが、今のフランドールの顔は幸せそうな笑顔である。
フランドールの頬に、優しく口付けをする。
「フフ、そうね。屋敷の外はまだ難しいでしょうね。でも、もしも、私たちが全員倒されてしまいそうな人間がいるんだったら、少しぐらい出してあげても大丈夫でしょうねぇ」
レミリアは小さな声でそう呟き、まるで子を想う母のように微笑む。
何もなかったかのように振舞う吸血鬼は、今日も今日とて両手を広げて霧を出すのだった。
……この数日後、紅い霧は幻想郷を包み込み、外の世界まで届きそうなほど広がってしまう。
そんな中、異変を解決するために二人の人間が立ち上がり―――
紅霧異変は原作通りの流れですので、特に書きません。
次は、紅霧異変解決後の後日談です。