飛空駆逐艦『沢波』戦闘詳報   作:FRHDF

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ものすごく放置してました。FRHDFと申します。
「とある飛空士への夜想曲」の外伝、のようなものを目指しましたが……まあ、原作で描かれてなかったら独自解釈するしかないよね、うん。
そんなに長くは続きません、たぶん。というかぶっちゃけ続くかわかりません。まあ、期待せずに見守っていただきたく。



序章

 帝制天ツ上首都、東都近郊。

 帝制天ッ上海軍、第二艦隊第二水雷戦隊所属、飛空駆逐艦『沢波(さわなみ)』艦橋。

 そこでは、発進準備が順調に行われていた。

「電池スタック充填完了!」

 機関部からの連絡を受けて、艦長の草間少佐が淡々と命令を下した。

「機関始動」

「機関始動!」

 復唱に少し遅れて水素電池スタックの始動音が響き始める。

「機関始動よし。電池スタック、1番から3番、異常なし」

 スタックの調子は良好のようだ。蒸気タービンとはまったく異なる音と振動が艦を包み込む。

抜錨(ばつびょう)、揚力装置始動」

「揚力装置、始動します!」

 揚力装置を取り扱う揚力士官が揚力装置を始動させる。

 揚力装置の始動に合わせて海面にさざ波が立つ。すぐ近くに停泊していた僚艦も同様に揚力装置を始動させていき、静かな波間が消えていく。

「揚力装置始動確認。全揚力装置、異常なし」

「前方ペラ離水確認!」

「前方ペラ始動。微速前進、上げ舵10。前方揚力装置出力上げ」

 艦の前後から張り出したプロペラ計4基のプロペラのうち、海水から離れた前方の2基が始動する。前方の揚力装置の出力が上昇したことにより、床が傾き、やがて船体が水面から離れていく。

「離水確認。後方ペラ、水面から出ました!」

「後方ペラ始動。前進半速」

「後方ペラ始動。前進はんそーく!」

「旗艦『藤波』より発光信号。全艦、高度1000で単縦陣。我に続け」

「面舵30、『藤波』の後方につけろ」

「了解。おもーかーじ、30度よーそろー!」

 夏空の下、高度1000メートルで単縦陣をくみ上げる。飛空駆逐艦4隻。それが、かつて軽巡空艦2隻、飛空駆逐艦16隻を擁していた第一水雷戦隊のなれの果てだった。

 神聖レヴァームとの開戦から2年。戦局は、悪化の一途をたどっている。

 

 *

 

 中央海戦争。

 人類が初めて直面した大規模な戦争において、帝制天ツ上(あまつかみ)軍は破竹の大進撃を遂げた。天ッ上側としては東海における全レヴァーム拠点の殲滅および、今後レヴァームが天ッ上に対して容易に手を出せないほどの打撃を与えることを目的としていた。開戦前はこの目標の達成すら危ぶまれており、そういう意味では中央海戦争の開戦は博打の成分がかなり含まれていたものであった。

 しかし蓋を開けてみれば、レヴァームの戦力は事前の想定を下回り、天ッ上軍は西海に至るレヴァームの補給線を遮断することに成功。さらには西海に位置するトレバス環礁を占領、軍事拠点化した。

 さらに天ッ上軍は西海におけるレヴァーム有数の拠点であったサイオン島の攻略に成功。向かうところ敵なしの戦果は、天ッ上の国民を高揚させていた。

 それが崩れたのは、開戦からちょうど2年を迎えたエスト・ミランダ沖海戦のときだった。エスト・ミランダ沖海戦において天ッ上軍は保有する正規空母のおよそ半数以上に当たる4隻を失う大打撃を受けた。

 そして『沢波』が進空したのは、ちょうどその頃だった。

 

 *

 

 もともと『沢波』は揚力装置を持たない涼波(すずなみ)型水上駆逐艦の6番艦として就役した。全長118メートル、最大幅10.3メートル、基準排水量2000トン。武装は12.7センチ連装砲3基6門、25ミリ連装機銃2基4門、次発装填装置付き61センチ4連装酸素魚雷発射管2基8門を備える大型駆逐艦だった。また、艦内の電源を水上駆逐艦としては初めて交流化するなど、様々な新機軸を盛り込んだ新鋭艦だった。もっとも、その一方で旋回圏が大きく、速力も要求性能に達していないなどの問題も発生していたが。

 『沢波』を含む涼波型はレヴァームによる東海侵攻時の防衛戦力として重要な位置づけがなされていた。

 しかし、前述したとおり主戦場が西海に移った以上、大瀑布を越えられない水上駆逐艦の価値は低下したのである。これはまだ新しい涼波型も例外ではなく、同時期に建造された飛空駆逐艦が馬車馬のごとくこき使われているなか、母港で暇をもてあます日々が続いていた。

 その日々が終わりを告げるかに見えたのは、ヴィクトリア海海戦の直後だった。

 ヴィクトリア海海戦の勝利により、天ッ上軍は重大な問題に直面することとなった。飛空駆逐艦の不足である。ヴィクトリア海海戦の勝利とそれに伴うサイオン島の占領は、西海における作戦海域の拡大を意味していた。その結果として発生したのが飛空駆逐艦の不足だったのである。

 天ッ上軍は、飛空艦艇の調達に優先順位をつけていた。これは、飛空艦艇の建造には莫大な予算が必要とされるために行われていた。この順位は空母、戦艦、重巡空艦、軽巡空艦とつけられており、駆逐艦はその最後だった。当時は主力飛空駆逐艦として燦雲(さんうん)型およびその小改良型の秋雲(あきぐも)型の建造が進められており、さらに次世代の主力駆逐艦として島風(しまかぜ)型の開発が進められていた。そのうえ、機動艦隊の直衛を目的とした高月(たかつき)型防空駆逐艦も建造されていたのである。いかに当時飛空駆逐艦が必要とされていたのかが分かる事例だ。しかし、あまりに急激な作戦海域の拡大はその就役と戦力化を待つ余裕を奪い去っていった。そこで考えられたのが、まだ艦齢の浅い水上駆逐艦に水素電池スタックと揚力装置を取り付け、飛空駆逐艦として改造することだった。

 改造の対象となったのは『沢波』を含む涼波型と、その改良型である不知火(しらぬい)型の合計16隻。これら16隻を改造することにより、船団護衛に充当されている燦雲型をはじめとする生粋の飛空駆逐艦を主力艦隊の護衛に充てる計画だった。

 優先順位の低い護衛などの任務から生粋の飛空駆逐艦を解放し、それによって主力艦隊の戦力を強化する。そういった青写真を、天ッ上海軍軍令部は描いていたのである。

 『沢波』に対してその改造工事が施されたのはヴィクトリア海海戦の直後からであり、エスト・ミランダ沖海戦の直前に改造が終了した。しかし、改造工事が終わってばかりであったため『沢波』がエスト・ミランダ沖海戦に参加することはなかった。このことを、当時の『沢波』乗組員は非常に悔しがったという。しかも、『沢波』と共に第9水上駆逐隊を組んでいた同型艦『山波(やまなみ)』、『朝波(あさなみ)』、『荒波(あらなみ)』の3艦は一足先に改造工事を終え、補給艦の護衛として作戦への参加が決まっていたのだからなおさらだろう。しかも、本来は『沢波』も参加する予定だったが、改造工事の遅れがそれを不可能としたのだから。

 『沢波』乗組員は、無念の念を抱きながら進発する同型艦を見送った。

 だが、進発した同型艦のうち2隻は、帰ってこなかった。

 エスト・ミランダ沖海戦では潜水艦によって4隻の正規空母が失われたことが強調されるが、その影で補給艦をはじめとする支援艦艇やその護衛艦を喪失したことはあまり知られていない。

 『山波』、『朝波』、『荒波』の3隻は不知火型から改造された『夏雨(なつさめ)』とともに第71飛空駆逐隊を編成。不知火型4隻から編成された第72飛空駆逐隊とともに第三水雷戦隊へと編入され、軽巡空艦『高千穂(たかちほ)』、『音羽(おとわ)』の指揮の下に補給艦『杵崎(きねさき)』、『洲崎(すのさき)』以下支援艦艇と、陸戦隊を乗せた輸送艦4隻の護衛を行っていた。

 そこに、レヴァーム潜水艦隊が襲いかかった。レヴァーム側の記録によると、このとき第三水雷戦隊の護衛する艦隊に襲いかかったのは当時最新鋭のデル・エステル級潜水艦6隻。これら6隻は各艦で包囲陣形を取り、巧妙に連携しつつ攻撃を加えた。攻撃を受けた艦隊はどうにか揚力装置を始動させ空に逃れようとしたが、その結果として生じた隙につけ込まれて大きな被害を出した。離水を試みて無事だったのは『荒波』と軽巡『高千穂』のみにとどまり、軽巡『音羽』、駆逐艦『山波』、『朝波』、『不知火』、補給艦『洲崎』の5隻は撃沈され、輸送艦も3隻を失った。

 なお、補給艦『杵崎』や唯一生き残った輸送艦『武智丸(たけちまる)』、第72飛空駆逐隊の各艦は離水を諦めて水上を逃げ回っていたため無事だった。

 エスト・ミランダ沖海戦後、『沢波』は生き残った『荒波』と新たに改造が終わった『黒潮(くろしお)』、『陽炎(かげろう)』とともに第71飛空駆逐隊を再編、『高千穂』の指揮する第三水雷戦隊の一員として船団や空母の護衛に当たった。

 しかし、レヴァームの進撃は想像よりも速く、西海の一大拠点となっていたトレバス環礁を失った。この時点ではまだ西海にサイオン島が残っていたものの、サイオン島まで補給物資を届けることが出来ない以上、天ッ上軍は西海の拠点を失ったも同然だった。

 この段階で天ッ上軍の作戦行動は東海にほぼ限定されることとなり、せっかく改造工事を受けた『沢波』もその価値を失うかと思われた。

 しかし、天ッ上軍は飛空駆逐艦の新たな活用法を見いだした。それは、サイオン島への物資補給であった。いまだにサイオン島には最強と名高い音無航空隊が残存しており、天ッ上軍はどうにか補給物資を送り航空隊を維持しようとした。しかし、低速の輸送艦では物資を届ける前に全滅するため補給は困難であり、高速の駆逐艦を利用して物資を届けようとしたのである。

 駆逐艦を利用した輸送隊は特別輸送隊と命名された。第一次輸送隊はトレバス環礁失陥直後の皇紀3212年6月に進発した。このときはエスト・ミランダ沖海戦を生き残った第72駆逐隊4隻のうち3隻が武装を下ろして物資を搭載し、残りの1隻が護衛を担当した。

 この輸送作戦は輸送量こそ少なかったものの成功を収め、以降も継続して実施されるようになった。だが、これほどの成功を収めたのは初回のみで、2回目以降は毎回1隻から2隻の損害を出すようになった。

 『沢波』を含む第71飛空駆逐隊もこれに参加したものの、このときは護衛であった『陽炎』が撃沈され、物資を積載していた『黒潮』が大破航行不能、『荒波』が中破し、『沢波』も小規模な損傷を負った。『黒潮』は敵の鹵獲(ろかく)を防ぐために自沈され、ここに第71飛空駆逐隊は実質的に壊滅した。

 任務を終え母港である大刀洗港へ帰港したのちに、第71飛空駆逐隊は解隊。『沢波』と『荒波』はこれまで花形とされていた第二水雷戦隊第二飛行駆逐隊へと編入。

 花形とされた部隊にすら改造飛空駆逐艦が配備される。

 このことからも、天ッ上軍の戦力がどれだけ消耗していたかがわかるだろう。まともに動かせる飛空駆逐艦はどれだけかき集めても19隻程度であったのである。そのほとんどが(形だけとはいえど)機動艦隊をはじめとする主力の護衛を行う第一水雷戦隊に配備されていたのだ。第二水雷戦隊といえども所属するのはわずかに8隻の駆逐艦のみだった。しかしそれも、レヴァームとの小競り合いで日々消耗していき、レヴァームの本格的な侵攻を目前とした今となっては4隻が残るのみであった。

 

 *

 

 梅島。

 伊予島と淡島の中間より多少伊予島よりに存在するその島は、当初レヴァーム側からは完全に無視されていた。伊予島はまだ無視できない規模の基地があったものの、梅島は無視しておいたとしても支障はないと判断されたのである。

 しかし、その判断が覆されたのは伊予島において第1海兵師団が大打撃を受けてからであった。敵中に孤立した伊予島に対し、梅島から夜陰に紛れて物資が運ばれていたためである。また、来たるべき淡島占領作戦の際に梅島の存在が補給線を脅かしかねない。そう言った理由から、レヴァーム軍の梅島攻略は決定した。

 当時梅島には1500名からなる海軍陸戦隊と2800名からなる陸軍金谷支隊が駐留していたほか、真電改12機と急降下爆撃機と雷撃機が4、5機ずつ残存していた。敵の攻勢をはねのけるのには不十分すぎるが、後方攪乱には使える程度の小戦力といえたかも知れない。とはいえど、レヴァーム軍は輸送船団に対しても充分すぎるほどの護衛を投入しており、この程度の戦力ではかえって返り討ちになる可能性の方が高かった。

 そのため天ツ上軍は、伊予島への増援として確保しておいたものの投入できなかった宮原支隊4800名の増員を検討した。しかし、この程度では焼け石に水としかいえず、金谷支隊を指揮する金谷中佐、海軍陸戦隊指揮官であった前橋少佐の2名は反対した。だが天ツ上軍上層部は伊予島が想定以上に長期化したことから梅島においても同様の効果が期待できるとして、いささか強引に増援を決定した。

 増援部隊を輸送するのは水上巡洋艦『龍田(たつた)』、『天龍(てんりゅう)』。水上駆逐艦『(たちばな)』、『(なし)』、『(かば)』、『(ひいらぎ)』の6隻。護衛として選ばれたのは、もはや抜け殻に等しい第二水雷戦隊第二駆逐隊だった。

 

 *

 

 このときの第二駆逐隊は旗艦が『沢波』と同型の『藤波』を旗下に、秋雲型飛空駆逐艦の『浜雲(はまぐも)』、次世代の主力飛空駆逐艦として設計された『島風(しまかぜ)』。これに『沢波』を加えた4隻で編成されていた。本来なら性能が同じ同型艦同士で駆逐隊を編成するのだが、戦局の悪化がそれを不可能としていた。もっとも、『島風』にはそもそも同型艦が建造されていないので同型艦同士で駆逐隊を組めないのだが。

 東都沖を出発して二日後。第二駆逐隊は大刀洗湾湾口に到着した。ここで、水上駆逐艦から改造された『沢波』と『藤波』は着水する。一方、もとから飛空駆逐艦として建造された『浜雲』と『島風』は埠頭のぎりぎりまで着水せずに航行する。これは『浜雲』と『島風』の2隻が生粋の飛空駆逐艦であるため、水上航行に不向きな船体形状をしているためであった。『沢波』と『藤波』はもとは水上駆逐艦であったため、水上航行専用のスクリューを装備している。係留時のことを考えると早めに水上に降りた方が楽だったのだ。

「高度100、降下率異常なし」

「降下率そのまま。上げ舵10」

「上げ舵10。降下そのまま、ヨーソロー!」

「水上スクリュー準備」

「水上スクリュー準備完了」

「高度50、40、30、20」

「ペラ停止、フェザリング急げ」

「ペラ停止! フェザリグ確認」

 フェザリングとは、プロペラの角度(ピッチ)を最大角に設定し、進行方向と垂直にすることによって抵抗を抑えることだ。『沢波』と『藤波』はプロペラが水面下に設置されているため、このようにしないとプロペラが脱落する危険性があった。

「着水!」

 ザァッ、と音を立てて水面に降りる。ほとんど衝撃もない。

「『藤波』より旗旒信号。両舷前進半速、針路そのまま」

「両舷前進はんそーく! 針路そのまま、ヨーソロー!」

 第二駆逐隊はその後、湾内の埠頭に停泊した。

 大刀洗湾には大型の艦船が入港可能な埠頭が三ヶ所ある。うち二ヶ所は大刀洗要塞と直結した軍用埠頭であり、『龍田』以下輸送隊はそこで物資や兵員の積み込みを行っていた。

 現在第二駆逐隊が使用しているのは、市街地のすぐ近くにある埠頭だった。そこはかつて民間の埠頭として使われていたのだが、中央海戦争開戦の頃から軍に徴用された場所だった。もっとも、戦局の悪化した現在ではほとんど使用されなくなっている場所でもあったのだが。

 かつては空母や戦艦が所狭しと入港していた大刀洗湾にも、今となってはその面影すらない。漁船と同じ船体の哨戒特務艇や小型の掃海艇、大型発動艇と呼ばれる上陸用舟艇や内火艇(ランチ)の姿がちらほらとあるだけだった。

「副長、思い出さないかね」

 『沢波』艦長の草間が副長の仁科に言った。仁科はただ、うなずくだけで賛同の意を示した。

「あの頃は、まだ勝っていたんだがなぁ……」

 草間の言うあの頃とは、『沢波』が飛空駆逐艦に改造する最中のことだろう。仁科にはそれがわかった。

 艦から降りた草間の視線の先には、黒塗りの乗用車が一台止まっていた。乗用車の傍らには、開襟背広型の軍服を着た運転手がたたずんでいた。陸軍の者だろう。大刀洗要塞の管理はそのほとんどを陸軍が行っていた。

その運転手はうだるような暑さのこの天気の中でも、冷たく、無表情だった。

「……副長。司令部に、顔を出しに行くぞ」

「はっ」

 司令部からの迎えであることは容易に想像がついた。ここから大刀洗要塞司令部までは距離がある。少なくとも歩いて行くような距離ではなかった。

近づくと、運転手は「中西兵長であります。要塞司令部までは私がご案内します、少佐殿」と、やはり無感情に言った。草間も、やはり無感情に「よろしく頼む、兵長」と返した。

運転手との挨拶をしつつ、仁科は思った。

さんさんと照りつける日差し。うるさいほどの(せみ)の声。鮮やかな夏色の空。なぜその全てが、たまらなく空虚に見えるのだろうか、と。




 果たして、独自解釈盛り込みすぎたのですが大丈夫なのでしょうか……?
 原作では大型の空母や戦艦は出てきても小型の艦があんまり出てこないんですよね。
 あまり語られることのない、小型艦の知られざる戦い、みたいな空気を感じていただければ幸いです。

作中に登場する駆逐艦『沢波』は旧海軍の親潮型をモデルにしています。やっぱり小g(以下略)
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