バンディット   作:名無しのナナシMAX

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 源治さんの創り出した「提督をみつけたら」に魅せられて、執筆を開始しました。
 楽しんでいただけるものになれば幸いです。




第一話

 

 

 

 それらの記憶を縁取る輪郭はおぼろげだった。

 

 夢を見ていると自覚した途端、外れていた意識のバイパスが徐々に肉体に繋がろうとしていた。

 

 それはどこかの山頂で、太陽が雲海の向こうに沈んでいた。黄金色に輝く雲と闇夜に沈んでいく山々の稜線を私は静かに見下ろしている。それがたまらなく幻想的で、まるで異なる二つの世界が混在しているようだった。

 

 そこがどこだったが今は覚えていない。あるいはテレビなんかで見た映像が夢の中で再生されているだけかもしれない。しかしこの独特で包み込まれるほどに濃縮な草木の香りまでは、テレビの映像だけで補完することはできない。木々を張り付かせた緑陰濃い山肌を、怖気づかせたように震わせる妙に物悲しい風の感触はその瞬間に幼い頃の私が感じたであろう感情の発露だった。私はこの景色を知っている。実際にこの場に立ったことがあるはずだった。

 

 太陽が山向こうに沈んだ。尾を引くように中天に向かって伸びていた陽光の残滓も、波が引くように太陽の後を追いかけていく。空が瑠璃色に染め上げられた。

 

 隣にあの人がいて、私の手を繋いで肩を並べている。

 

 私と同じ小さな手。私と同じ小さな背丈。

 

 夢は目覚めればいつかは消えてしまう幻のようなものだ。朝日が夜の闇を溶かすように、夢は現実の中で形を失ってしまう。

 

 それでも、それは忘れたくない夢だった。

 

 今はもう会えない大切なあの人に夢の中だけでは何度も何度も逢瀬を重ねた。同じ映像を繰り返し再生するように。何度も何度も同じ会話を交わし、同じように笑い、そして最後の別れの寂しさは何度繰り返しても褪せることのない喪失感を私に与える。そのたびに孤独や不安が身体の芯に捻りこまれ、嘔吐感に似た荒々しい感情の波は嗚咽となって私の口から零れ落ちる。

 

 私は夢を見る。

 

 それは結末の変わらない、幸せで悲しい夢。

 

 それでも私はまたこの夢も見たいと思う。たとえ結末が悲しみに満ちたものでも、何度でもあの人に会うことが出来るのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「センパイ。センパイってば」

 

 

 肩を揺り動かされる感触に、まどろみの底に溶けていた意識がパズルを組み立てるように急速に形を整えていった。

 

 叢雲が瞼をこじ開けると、そこはパトカーの車内だ。

 

 

「うなされてましたよ。大丈夫ですか?」

 

 

 運転席から身を乗り出して助手席に座る叢雲の顔を覗き込んできているのは新人として叢雲の下についている鈴谷だった。

 

 

「どのくらい寝てた?」

 

「十分くらいですかね」

 

「……そう、悪かったわね」

 

「やあー、別に大丈夫ですよ。最近パイセン忙しかったですもんね」

 

「パイセン言うな。まあ仕事に関しちゃ自業自得っちゃ自業自得なんだけどね」

 

 

 

 身体のコリをほぐすように目一杯に伸びをする。コンビニで購入したコーヒーをドリンクホルダーから抜いて飲む。……甘い。カフェオレだった。今の口の気分はどちらかというと酸味強めのブラックだというのに。カフェオレを鈴谷に「あげる」と言って押し付けると、後部座席に放り投げてあったコンビニの袋からゼリー飲料のパックを取り出して口をつける。

 

 

「無茶しましたもんねーパイセン。ひったくり犯を追跡していたはずなのに、ひったくり犯を脇に抱えて高さ四十メートルのビルから飛び降りたって聞いたときは何かの冗談かと思いましたもん」

 

「パイセンて呼ぶなっつの。だってあいつビルの屋上まで逃げて、捕まるくらいならここから飛び降りてやるなんて言うんだもの……望みどおりにしてやったわ」

 

「怖っ、この人こわっ」

 

 

 鈴谷は叢雲から渡されたカフェオレを飲みながら慄いて引きつった表情をしていた。

 

 

「罪を犯しておきながら自分の命を盾にして逃げようとするような馬鹿野郎には良い薬になるでしょうよ。飛び降りて地面に着地した後は借りてきた猫みたいにおとなしくなってたわ」

 

「紐無しバンジーのショックってのもあったんでしょうけど、コイツに逆らったらヤバイって骨身に染みたんじゃないっすかね」

 

 

 叢雲は、というより鈴谷も、艦娘である。

 

 艦娘とは人種、あるいは性別を区分するための特殊な符号のようなものだ。艦〝娘〟と呼称される以上、その言葉を冠するのは全て女性に限定される。

 

 艦娘とはどういった存在なのか、それを説明するには彼女達が始めて歴史に現れた突端である数百年前の戦いを――人類存亡をかけた人と深海棲艦の戦いについて触れなければならない。

 

 深海棲艦。それは突如として海から現れ、人類に対して無差別的に攻撃を開始した異形の怪物たちである。人類が初期に多くあいまみえたのは魚のような怪物である。いや、まるで鮫のごとく頭部を引き裂くような大きな口腔にぞろりと歯が並び、尾ひれにも見える白い後ろ脚といった生物的な特徴を持っていたため魚と表記されたが黒光りする鋼のような装甲を纏っているその姿はむしろ軍艦に搭載されるような魚雷を想起させた。

 

 それらを尖兵のように操る女性型の怪物がいた。

 

 蠱惑的な肢体をしていたが肌は死人のように青白く、鋼鉄の装甲や砲塔、機銃などが肉体と混ざりあっていた。それは海の底から現れ、タンカーなどの貨物船は言うに及ばず、まるで人類の生み出したもの全てが憎いと言わんばかりに港や街などを襲った。

 

 一体やつらは何者なのか。後に深海棲艦と呼ばれる怪物たちに対して、どこぞかの国が開発した生物兵器やら、しかるべき責任を負うべきは誰なのか、防衛体制をいかにして構築するか、激しい混乱の中で前後の定まらないような様々な議論が矢継ぎ早に交わされたが、そうしている間にも深海棲艦からの攻勢は苛烈になるばかり。更に近代兵器はなぜかそのほとんどが通じない。状況を打開するための決定打がほぼ見つからないまま、人類は場当たり的な対応を余儀なくされた。

 

 海から攻めてくる対処不能な怪物たちによって、じりじりと、じわじわと、徐々に磨り潰されていくように人類はその生存圏を狭めていく。

 

 いくつもの国が滅び、いくつもの命が奪われた。それは抵抗する術さえ持たせてもらえない一方的な蹂躙劇であった。

 

 ライフラインも寸断され、人々はその日を生きることで精一杯。ラジオだけが唯一の情報源となった。電波に乗せられて運ばれてくるのは、もはや取り繕うことさえ無為に思ったのか酷烈極まる情勢がそのまま放り込まれてくる。ニュースを流している時間以外は、幼い日を懐かしむような優しい童謡の調べが失われた数多の命や疲れきった人々を慰撫するように絶え間なく流され、染み入るように静かに深く、せめて最期は安らかにと、こうして世界が終わっていくのだな、という思いを誰しもが抱かずにはいられなかった。

 

 そんな時代の中で、彼女たち、艦娘は現れた。

 

 唯一、深海棲艦を打破する力を持った彼女達は、かつて護国のために散った軍艦が人の形として顕現した姿だという。艦娘は人を遥かに超える身体能力を持ち、艤装と呼ばれる特殊兵装を用いて海の上を走り深海棲艦と戦った。

 

 彼女達と、彼女達の力を支えた妖精と呼ばれる存在。両者の力添えがあって初めて人類は目の前に迫った滅亡に抗う手段を手に入れた。

 

 彼女達を率いたのは、生き残った人々の中から選ばれた提督と呼ばれる存在だ。艦娘と妖精と人間が協力し合って、それでも多くの犠牲を払い、深海棲艦との人類存亡をかけた戦いで勝利をおさめた。

 

 しかし。

 

 艦娘とは本来〝戦う存在〟だ。彼女たちは元来軍艦であり護国の化身である。滅亡の瀬戸際まで追い込まれた国を守るために生まれその身を削ったが、戦いの終焉はそれすなわちレゾンデートルの消失でもあった。そんな彼女たちに新たに生きる理由を与えたのは妖精たちだ。今の世ではいずこかに消えてしまったとされている妖精たちは、艦娘の身体を提督との間に子供がもうけられるように変えた。それから数百年。提督と艦娘の子供からいくつも代を重ね、ようやく人口も深海棲艦が現れる前ほどではないが回復をしてきた。もう当時の艦娘は存命でないが、彼女達と提督との間に生まれた子供の、その子孫から先祖がえりのような形で艦娘が生まれることがある。

 

 叢雲も鈴谷もそうした艦娘達の一人だった。

 

 

「始末書始末書また始末書。嫌になっちゃうわ」

 

「その程度で済んで良かったじゃないですか、マジで」

 

 

 艦娘であるため人一人を抱えてビルの屋上から飛び降りるなど容易いことだ……が、彼女たちとて年頃の女性と同じ感性を持っている。出来るからといって、やろうとは考えない……普通は。

 

 今回の騒動にくわえて今までも散々やらかしていると、最近叢雲の下についたばかりの鈴谷の耳にも届いている。逃走する違反車をとっ捕まえるのに並走したパトカーから相手の車に直接飛び移ったなんて話は序の口。動物園から逃げ出した猿を捕まえるため捕獲網をかついで一昼夜追い掛け回したあげく猿と一緒に逃走途中のコンビニ強盗をその捕獲網で一緒に捕獲した話やら、連続空き巣犯を捕まえるために標的にされそうな裕福な家の家主を丸め込んで、山に潜んだゲリラかといわんばかりに落とし穴やら跳ね上げ式の捕獲網やら対人感知センサーやワイヤーを用いたえげつないブービートラップを山のように一般邸宅に仕掛けたり(本署には無許可)と、やること為すこと度が超えている。上司からはよく「もう少し手段を考えて手順を踏め。頼むから」と叱責なのか懇願なのかよく分からない小言を貰っている。小言ですんでいるのは叢雲が艦娘という特異な立場である事や、誰よりも速く最善の結果を出しているからに他ならない。周囲からのやっかみもあるが当の本人はどこ吹く風で、懲りる様子は微塵も無い。鈴谷自身ここ数ヶ月傍でそのバイタリティーあふれる行動を間近で見てきたが、よく懲戒免職にならないもんだと変に関心したものだ。

 

 

「そもそもセンパイ、どれだけ始末書を書いても全く懲りてませんよね」

 

「さあ、なにを言われているかよく分からないわね」

 

 

 カラになったゼリー飲料のパックを歯でくわえたまま、唇の端を吊り上げ皮肉を浮かべたように笑う叢雲。眠気を引きずっているのか藪睨みのような眼も相まってやさぐれた感がものすごい。

 

 腹を空かせた獰猛な獣みたいな笑いを披露された鈴谷は若干どころじゃないくらいヒキながら、あらためて厄介な人の下についちゃったなあと思った。

 

 

「また〝バンディット〟がやらかしたって周りの人が噂してましたよ」

 

 

 鈴谷の言葉に叢雲は苦いものでもかみ締めたように顔をしかめた。

 

 

「それよそれ。最近しょっちゅう言われるんだけど。なにそのバンデイットって?」

 

「センパイの渾名らしいですよ。二代目バンディット」

 

 

 ここまでネジの外れた人種に初代がいたのかという問い掛けは恐れ慄いたような顔でその異名を語る同僚達にはできなかった。

 

 

「同じ無法者ならせめてアウトローにしなさいよ。いやそれも嫌だけど。バンディットじゃまるで山賊じゃないのよ」

 

「その辺のこだわりが鈴谷には全く理解できないんでコメントはパスしときますねー」

 

 

 叢雲と鈴谷は海守警察署の交通課に所属する女性警察官だ。今年五年目の勤続になる叢雲の下に、交番勤務を経て交通課に移動したばかりの鈴谷がつく形となった。

 

 理由は艦娘同士だからである。

 

 艦娘の身体能力は一般的な成人男性とは比べ物にならないくらい高く、いざという時にフォローできる立場に同じ艦娘がいたほうが望ましいという建前だ。もっとも二人の上司が新人である鈴谷をフォローするために叢雲の下につけたのか、それとも頭痛の種である叢雲の行動を少しでも抑制するために鈴谷をつけたのか、どっちがフォローする立場でどっちがフォローされる立場なのか、本当に暴走を危惧されているのは果たしてどちらなのかというのはお察しのところである。最近鈴谷自身も「あ、これ貧乏くじ引かされたパターンだ」と薄々感じ始めていた。 

 

 

「なによ。私の顔をちらちら見て。前見て運転しなさい」

 

「りょうかーい」

 

 

 当時鈴谷は警察学校を卒配して海守警察署の地域課で交番勤務に従事していた。本署から離れた交番に勤務しているとはいえ、住居と一体化した駐在所勤務でも無い限り管轄の警察署に出勤してから制服に着替えてから朝礼に参加することになる。必然的に同署に勤務している叢雲とも顔を合わす機会も訪れるのだが、その最初の一回目が非常によろしくなかった。

 

 つい艦娘の鈴谷としてのノリで「チーッス、鈴谷だよ。よろしくね!」とフランクな挨拶をかましたところこれが返礼だとばかりにリバーブローをお見舞いされれ、「警察(ここ)は完全な縦社会なの。覚えときなさい」とつっけんどんな言葉が「うごおおお」と女子にあるまじきうめき声を上げて地面に蹲る鈴谷の後頭部の辺りに投げ捨てられた。ちなみに鈴谷はその日の晩、同じく艦娘で友人の熊野に「なにさ、お高く止まっちゃってさ。鈴谷が悪いっちゃ悪いんだけど、なんだか気にいらなーい!」と電話口で盛大に愚痴った。そんなわけでファーストコンタクトは最悪であった。

 

 鈴谷は元々交通課を志望していたため、非番の日や交番勤務の合間で交通課を訪れ、業務外の時間で仕事を教わっていた。

 

 求められるのは即戦力だということを鈴谷はよく理解していたのだ。

 

 物覚えが良く要領も良い鈴谷は半年も経たないうちに、現場の仕事以外では交通課の職員と遜色ない働きができるようになっていた。それと同時に艦娘〝鈴谷〟としての華やかで端麗な容姿と人懐っこく快活な性格から交通課でも人気者となるのにそれほどの時間はかからなかった。そうなると生まれてくるのはやっかみやら男女の関係からくる軋轢であるが、そこはそれほど問題ではなかった。なぜなら鈴谷は艦娘である。男性人気を集めれば集めるほど多くの女性から敵愾心を受けることになるのが世の常ではあるが、艦娘は提督適正者以外と恋仲になることはないということが額縁入りで保障されているようなものだ。また男性からも手の届かない高嶺の華としての扱いをいつのまにか受けていた。

 

 もちろんそれでも嫉妬を受けることもある。その高い能力ゆえに、あるいは恵まれた容姿や愛されやすい性格だからこそ。しかしそれも艦娘だからという理由で大方は飲み込めるものだ。かつて故国を救った英雄で敬うべき特別な存在。それが艦娘に対する現代社会の風潮である。

 

 鈴谷自身の努力の甲斐あって、次かその次辺りの人事で交通課への異動がほぼ確実ではないかと言われるようになり、交通課でもすでに鈴谷を受け入れる空気が出来上がっていた。

 

 そんな中でも叢雲は我関せずといった調子であった。鈴谷も初対面での出来事を引きずって必要以上に近づかなかったというのもあるが、叢雲もこれという用事でもなければ必要以上に絡んでくることもなかったため、鈴谷の一方的なものであるが気まずい空気を感じていた。

 

 そして希望通りに交通課――細かく言うと交通指導係への配属となったその日、とりあえず叢雲と一緒に仕事しろと告げられた時は思わず「げっ」と小さく悲鳴を上げた。交番勤務の合間に交通課を訪れ仕事を覚えていく中で周囲の人々とコミュニケーションをこまめにとり、職場環境が自分にとって居心地の良い空間になるように努力した。その中で唯一、叢雲の傍だけは春の草原の中でただ一点雪が降り積もっている場所とでも言えばいいのか。自分の色が一切塗れていない領域だった。

 

 ……あちゃー。と、その時の鈴谷は自分の立っている場所がずぶずぶと地面に沈み込んでいくような気分になったものだ。

 

 しばらくボディーブロー対策でお腹に雑誌でも仕込んでおこうか、などとどこぞかのヤンキーみたいなことを考えていた鈴谷であったがその心配は杞憂に終わった。

 

 なぜなら、叢雲はたまにある過激奇天烈な行動にさえ目を瞑れば良い先輩であったからだ。新人だからといって甘やかさない厳しさはあるがキツイ言葉の裏に鈴谷を気遣っているフシが多々見受けられる。分からないことがあれば分かるまで根気よく付き合って教えてくれる。その上で鈴谷がなんらかのミスをしたとしてもそれは教える立場にある自分がすべからく被るべき責任だと言えるだけの度量があった。それは誰彼に良く思われたいとか点数稼ぎなど一切混じりっけのない本心からの行動だというのだからつくづく頭の下がる思いだ。

 

 破天荒で厳しくも人情深い叢雲と、楽天的だが面倒見がよく締めるところはきっちり締める鈴谷は性格的にうまくかみ合っていた。

 

 

「暑くなってきたわね」

 

 

 叢雲が窓ガラスの向こうを流れる町並みを横目で眺めながらぽつりと呟いた。

 

 海守市は本土南端の半島に位置する人口一〇万人ほどの小さな地方都市である。市の中心地には市役所や学校、図書館といった公共施設や、大型ショッピングモールを筆頭とした商業施設などが集約されており、北に大きな円形のカルデラ湖があり、南には円錐形の豪壮な山を仰ぎ見る。温暖な気候に育まれた自然に囲まれる海守市の町並みは、自然と融和した長閑な緑の町並みが広がっている。

 

 

「そろそろ台風がヤバイ季節ですね。気をつけないと」

 

「毎年毎年大変よ。少なくとも私が卒配してから大きな被害が出た年は無いけれど、この時期は皆ぴりぴりしてるわね」

 

「たしか十二、三年くらい前かな。大きなの来ましたよ、台風。ウチで飼っていたワンコの家が風で吹き飛ばされて、ぶつかったブロック塀に木片が突き刺さってましたよ。あれはマジでヤバかったですよ、ハイ」

 

「犬は大丈夫だったの?」

 

「ばっちり家の中に非難させときました」

 

 

 鈴谷は今の会話でふと思い出したことがあった。軽快にハンドルを操作しながら尋ねた。

 

 

「そういえばセンパイは外から来たんでしたっけ?」

 

「そうよ。生まれはここよりずっと北の方。冬は氷点下が続くような寒い土地柄でね。だから今も海守の夏は苦手。暑いもの」

 

「もう見た感じからして蒸れそうな髪型してますもんね」

 

 

 叢雲の長い髪は、モイストシルバーでまるで雲のようにふわふわとしたウェーブがかかっている。職務の関係上できるだけ邪魔にならないように肩口の辺りで髪紐でひとまとめにしているが、こうして車のシートに座っているとその長い髪が背中で押しつぶされてまるでシートカバーのようだ。うなじの辺りが蒸れるため髪をかきあげる仕草を鈴谷はよく見ていた。

 

 

「うっさいわね。こればっかりは〝叢雲〟としてしょうがないのよ」 

 

 

 叢雲は自身の髪をさらりと撫でながら口を尖らせた。激務の中でも手入れを欠かさない自慢の髪ではあるが、短くしたいと思ったことが無いわけではない。

 

 しかし艦娘は基本的に容姿が固定されている。どんな容姿の両親の元に生まれようとも、例えば叢雲なら〝叢雲〟という艦娘の適正をもって生まれた以上生後まもなく艦娘叢雲として決まった姿形に成長していく。そこに例外は無い。あるとすれば育った外的環境で顔つきなどに多少の差異があるくらいだ。

 

 

「センパイはなんでこの土地に? やっぱりアレ(・・)ですか?」

 

「……アレってアレよね。提督のことよね」

 

「ハイ」と首肯した鈴谷。艦娘は提督適正者と呼ばれる先天的な素質を持った人間以外に恋愛感情を抱くことは無く、また子供を授かることも出来ない。 全国には提督適正者が、引き寄せられるように集まる街、という都市伝説めいた噂がある街がいくつかあり、自分の提督を探している艦娘はわずかな可能性に縋るようにその土地を訪れる。ここ海守市もそんな噂がある土地の一つであった。

 

 

 叢雲は高くなり始めた太陽の日差しを遮るように帽子を目深に被りなおす。警邏中ということもありその視線は鋭く街並みや行きかう人々を観察している。しかしぽつりぽつりと語りだしたその口調は、まるで思いついた言葉をかき集めて一つずつ屑篭に放り込んでいくように、気が抜けていて投げやりなものだった。

 

 

「艦娘は提督を求める。運命に導かれるように、あるいは呪いのように……か」

 

「誰の言葉でしたっけ?」

 

「さあ? 覚えちゃいないわ」

 

 

 叢雲は車の窓に気だるそうに頭をもたせた。

 

 

「運命と呪い。その二つの違いって何だと思う?」

 

 

 含みを持たせた問い掛けに「はい?」と戸惑った様子を見せる鈴谷だったが、じっとこちらの答えを待っている叢雲にどんな答えを返すべきかと思い悩む。なんだか難しい質問だ。とりあえず投げかけられた質問に対して、自分の中でぱっと浮かんだ感情に対してパズルを組み上げるように思いついた言葉を当てはめた。その考えを「あー」と気の無い音を吐き出しながら咽喉の奥で言葉を整理してから話し始める。

 

 

「うーん……鈴谷は結構テレビでやっている朝の運勢とか見るんですけど、今日の運勢は大吉って言われればヤッタって思うし、凶って言われればテンション下がりますもん。それと同じで良いこと起こっているうちはこれは運命だと思えて、悪いことになればこれは呪われているって思っちゃう。結局は受け取る側の捉え方の違いじゃないですか?」

 

 

 そうかもね、と叢雲は小さく笑った。

 

 

「鈴谷はまだ自分の提督を見つけていないんでしょ?」

 

「ん、まあこう……ビビっと来たことはまだ無いですね」

 

 

 軽い口調で答えたが、鈴谷は一時期はそのことについてずいぶん悩んでいた。

 

 物心ついた頃から常に心が満たされないでいた。

 

 どんなときでも、なにをしていても。

 

 はじめて家族で訪れた海水浴ではしゃぎすぎて帰りの車の中で眠りに落ちる瞬間も、艦娘という特異な生まれで悩んで家を飛び出した夜も、一晩中そんな自分を探し回ってくれた両親の腕の中に飛び込んだ暖かさの中で、雪の降る中志望校に合格して喜び飛び跳ねてたときも、大学で仲良くなった友達と女子会と称して朝まで語り明かした夜も、初めて車の免許を取って親のお下がりの乗用車でドライブした海辺の景色の中でも。

 

 それはまるで黒い穴のようだった。

 

 どんなに楽しいことをしていても、どんなに幸せだと感じても、その胸の奥にぽっかりと穿たれた穴はまさに何かの呪いのように鈴谷の心を常に蝕んでいる。

 

 提督に会いたい。

 

 成長した今でも、いや今だからこそ、年を追うごとくますますその願いははっきりとした輪郭を持ち、想いは強くなる。

 

 消えること無く、逃げることも許されないその想いを抱えて毎日を生きてきた。

 

 幼い頃と違うことといえば、その飢餓感にも似た苦しさに振り回されるばかりだった心の誤魔化し方を覚えたことだ。

 

 ただひたすらに悩んでいると心が泥沼にどんどん沈みこんでしまうから、憂さを晴らすように今はとりあえず仕事に打ち込もうと決めている。それが自分の心を守るてっとり早い方法だと鈴谷も理解していた。

 

 なお提督が見つからない艦娘は往々にして同じ考えに行き着くため、世の中には艦娘の有力者が多かったりする。本人の才能があったとしても、一角の人物になれるほどの努力と情熱が提督が見つからないゆえの鬱憤や反動からくるものだとするのなら、艦娘の提督に対する信仰めいた愛情の深さをうかがわせている。

 

 

「センパイもまだですよね。そういう話聞いたことないし」

 

「私は……」

 

 

 鈴谷の言葉に叢雲は慮るように口を閉じた。

 

 提督関連の話題は艦娘にとってナイーブな問題だ。叢雲から始めた話とはいえ、もしかしてあっけらかんとした口調で尋ねたのが癇に障ったかもと焦った鈴谷はすばやく話題を変えにかかる。

 

 

「あー、すみません不躾でしたね。そういえばガードレールの端っこの丸まっている所って『袖ビーム』って言うんですよね。超ウケる」

 

「いやアンタ話題の変え方下手すぎるでしょ。いいわよ別に。隠すようなことでもないし」

 

 

 よくある話よ、と前置きをする。

 

 

「もう20年以上昔のことよ。艦娘としての記憶が少しずつ定着し始めた頃にね、会ったわ、私の提督適正者に」

 

「はやっ!?」

 

 

 艦娘としての自我が芽生え始めた頃というと生まれて一年くらいだろうか。思わず話の接ぎ穂を奪ってしまう形になった鈴谷の叫びだったが、誰もが驚くほどに早い出会いであることに間違いは無い。

 

 艦娘が自分と適合する提督と出逢える可能性は、一生涯のうちで運が良ければめぐり合えるかも、と言えるほどに低い。提督と出逢えないままその生涯をひっそりと閉じる艦娘も決して珍しくはない。国際的な艦娘組織であるKN(艦娘連絡会)は何とかして提督適正者を特定するための技術の確立を急いでいるが、いまだにその糸口は掴めないでいる。

 

 そんな中でこの世に艦娘として生を受けるとほぼ同時に自分の提督適正者と出逢える。それはとても稀有な事例である。

 

 

「でも、それっきり。顔もよく覚えていないし、名前も知らない。一体どこの誰なのか、全然分からない。私の中にはただ提督と適合したって結果が残っただけ」

 

 

 退屈したような、あるいは疲れたような表情に嘲笑めいた微かな笑いが口元を掠めた。

 

 

「……センパイはその提督を探して海守に?」

 

「別にそうじゃないわよ。上に言われるまま配属されたのがココだったってだけ。まあもしかしたら提督を持ってない艦娘だったからって人事担当が気を利かせて提督適正者が集まるって噂の海守に配属させたのかもね」

 

「あー、そうかも」

 

「まあ辞令が出てすぐに『これは憐れみのつもりっ!?』て人事に怒鳴りこんだんだけど」

 

「センパイってホンットにメンドくさいですねっ!?」

 

 

 高いプライドや精神性が複雑に入り組んで、余人から見ると大層ややこしい人柄である。叢雲は鈴谷の言葉に怒るでもなく片膝を丸めてその上で頬杖をつき口を尖らせ愚痴っぽく語りを続ける。

 

 

「私も今振り返るとどうかと思うんだけどね。案の定、決まった人事に口を出すな、ってお説教付きで追い返されたわ」

 

「ですよね!?」

 

「だから私も初めて会った時の鈴谷の態度に対してどうこう言える立場じゃないの。悪かったわね」

 

「んおっ」

 

 

 つい変な返事が出た。

 

 普段の言動がアレな感じなだけに、そんな殊勝な様子で素直に謝られると……なんだか照れくさいやら困ったやらで返答に詰まる。

 

 

「なに? 私が素直に頭を下げるのがそんなに変かしら?」

 

 

 叢雲が車外に向けていた視線を鈴谷に向ける。胡乱げな瞳でじろりと睨む。いじけたようにも照れているようにも見える。鈴谷はバンディッドなどと揶揄されて恐れられる先輩が垣間見せた可愛らしい姿に思わず「ふひひっ」と噴出した。

 

 

「このっ、なに笑ってんのよ……! 酸素魚雷を食らわせるわよ!」

 

 

 当然のように激昂する叢雲。案外宣言どおりに本当にやりそうな言葉だった。

 

 ぺこぺこ謝罪する鈴谷。しかし申し訳なさそうにしている態度の底から友人同士ではしゃいでいるようなおどけた調子が立ち上っている。叢雲もそれをとがめることは無い。しょうがないわね、と言わんばかりにふん、と鼻を鳴らす。

 

 

「ま、いいわ。私みたいに目をつけられないようにせいぜい頑張りなさい」

 

「にっひひひ、あっざーっす!」

 

 

 その時だ。

 

 ギャリリリ、という激しい擦過音が街の空気を切り裂いた。

 

 叢雲と鈴谷の乗るパトカーの五十メートル前方の十字路を一台の軽自動車が通り過ぎた。信号は赤。一度急ブレーキをかけたようだが、止まりきれないと判断したのか、エンジンが唸りを上げて車は加速。そのまま十字路を走りすぎていった。

 

 

「追うわよ」

 

 

 表情を引き締めた叢雲が短く指示を飛ばす。

 

 

「あいさ了解」

 

 

 鈴谷はアクセルを踏み込む。信号無視をした赤い軽自動車のすぐ後ろまで距離を詰めると、叢雲が拡声器で呼びかける。

 

 

『前の車の運転手さん、左側に寄せて停車お願いします。前の車の運転手さん停車お願いします』

 

 

 赤い軽自動車に反応は無い。男が二人乗っている。運転席の男はバックミラーで、助手席の男はサイドミラーでパトカーの存在をちらりと確認した。

 

 

『運転手さん、停車してください』

 

 

 もう一度呼びかける。

 

 赤い乗用車の男二人がわずかに顔を見合わせた。助手席の男が何らかの指示を出したよくに見える。すると車は徐々にスピードを落とし路肩に車を寄せた。そのまま停車するのかと思いきや、歩道まで車の頭を突っ込ませそのままハンドルをきってUターン。パトカーの前を横切るように進路転換、そして急加速。パトカーとすれ違うように走り去っていく。一瞬、赤い軽自動車に乗る男二人の顔がはっきり見えた。どちらも三十代くらい。パトカーに乗る叢雲と鈴谷の顔を凝視していた。口を真一文字に結んで睨むような力強い視線は、あきらかにこちらの指示におとなしく従うつもりは毛頭無いと告げているようだった。

 

 

「鈴谷っ、逃がすんじゃないわよ!」

 

「了解! 鈴谷にお任せ!」

 

 

 鈴谷はアクセルを一気に踏み込みパトカーを急加速、ハンドルを一気に切りパトカーのヘッドが対向車線にもぐりこんだ所で、一息でサイドブレーキをひいた。後方タイヤがアスファルトの地面を斬りつけるような擦過音を掻き鳴らす。車体を安定させるための絶妙なタイミングでサイドブレーキを戻し、再びアクセルを踏みつける。

 

 エンジンが急回転、唸り声を上げたパトカーはすでに方向転換を完了。逃走した車に追いつくために走り出した。

 

 叢雲もパトライトとサイレンのスイッチをすでに入れていた。鋭く尖ったような音が耳をつんざくように鳴り響く。

 

 叢雲は無線を手に取る。

 

 

「至急至急、海守35から海守本部」

 

『海守本部です、どうぞ』

 

「現在逃走車両を追跡中。阿多喜から白浜通り方向」

 

 

 パトカーに鈴谷は運転手として、叢雲は通信士として乗り込んでいる。そういった役割分担以外にも違反謙虚の際に『証人』の役割もかねるためペア以上での同車が基本である。ハンドルを握っているのが新人の鈴谷だがこれはある意味珍しいことだ。パトカーは普通に運転する分には普通免許さえあればいいのだが、『緊急走行』があるため運転するためには普通免許の所持に二年以上の運転経験を前提とした上で、適正試験や運転技能試験などの警察車両運転技能認定に合格しなければならない。艦娘であるということで諸先輩より優先的に試験の順番を早めてもらえたが、難関とされる試験そのものは紛うことなく実力で突破していた。

 

 叢雲は本部への通信を終えると、ここからが本番だと再び拡声器を手に取った。前を走る逃走車に叩きつけるように叫ぶ。

 

 

『前の車、止まりなさい!』

 

 

 逃走者はパトカーからの制止を無視。更にスピードを上げる。追走するパトカーも、決して逃がしはしないと更に加速。道の両脇に等間隔で植樹されたコニファーの清涼とした緑の色がまるでサーキットと化した道路とそれ以外を区切る境界線のようだった。獣の遠吠えのように唸りをあげるエンジン音によって、街のくぐもったような騒音が車外へとはじき出される。スピードメーターの針がまるで弓を引き絞るように振れていく。窓の外を流れる景色は次々と後方へ流れていった。

 

 

『緊急車両通過します。パトカーの前の運転手さん左に寄ってください。緊急車両通過します、緊急車両通過します』

 

 

 けたたましいサイレンの音に気づいた他の車が何事かと道路の端に寄せて徐行気味に走っていた。周りの車に注意を呼びかける鋭い声と、逃走者に制止を呼びかける叩きつけるような怒声。穏やかだった街の一角はやにわに騒然となった。

 

 

「あいつら必死に逃げすぎでしょ、なんなんですかね!」

 

「盗難車を乗り回している時点で後ろ暗いもん抱えてるのは間違いないわね……『ほら停まりなさい!』」

 

「盗難車って何で分かるんですか?」

 

「ナンバーに覚えがあるわ。三ヶ月くらい前に駅前ショッピングモールの駐車場で盗難された車よ」

 

 

 ちょうどその時無線が鳴った。本部からで、内容は叢雲の言葉とどんぴしゃり、照会した逃走車のナンバーが盗難届けが出されている車のナンバーと一致したとのことだ。「ね?」と叢雲。鈴谷は「三ヶ月も前のことよく覚えてますね」と尊敬八割、呆れが一割、からかい一割の声の調子で返した。

 

 逃走車とパトカーは人通りの多い街の中心部を抜け、海岸通へと差し掛かった。叢雲たちの要請を受け、増援のパトカーもこちらに向かっているとのことだ。およそ三十台超のパトカーを逃走経路となりそうな経路に大きく展開、検問を敷いてまずは逃げ場をふさぎ囲い込む手はずのようだ。

 

 

「そういえば……このままじゃマズイかもね」と何事かを思い出したように叢雲は表情を曇らせた。

 

 叢雲の小さな呟きは、車や人通りの多い市外を抜けたため精神的に若干ゆとりが生まれた鈴谷の耳にも届いた。ハンドルを握る手はすでに汗ばんでおり、湿り気を帯びてきたパトロールグローブを口にくわえて外しながら「なにがですか?」と尋ねた。

 

 その時だ。

 

 前方を走る逃走者が窓から何かを放り投げた。

 

 拳よりやや大きい固形物。缶、いや瓶だ。おそらくジュースの瓶。このままではフロントガラスに直撃する。

 

「ッ!」鈴谷は小さく舌打ちすると、すぐさま猛スピードで飛来する瓶を回避しようとする。急ハンドルとブレーキングによる加重移動、再加速などの車体を立て直すための手順が頭の中を稲妻のように駆け巡り、実行に移そうとしたところで、その瓶を回避した場合にもし後ろに他の車がいたら、あるいは他の重大事故に繋がる可能性はないのか、という考えが回避行動に移りかけた鈴谷の思考をわずかに鈍らせた。ルームミラーで後方を確認する。それは瞬くようなわずかに一瞬だが、艦娘の動体視力をもってすればそれで十分。問題無い。これは避けても大丈夫だと判断する。

 

 しかしわずかに遅かった。それは零コンマ何秒といった時間の差だろう。

 

 完全には避けきれず、猛スピードで飛来した瓶はパトカーのドアミラーにぶつかって甲高い音を上げて砕けた。

 

 

「……んにゃろう」

 

 

 よくもやってくれたな、と静かに深く激しかけた鈴谷を押しとどめたのは酷く冷淡な叢雲の声だった。

 

 

「鈴谷、体当たりよ。アクセル全開。右後方からぶつけてあいつらの車をガードレールに叩きつけてやりなさい」

 

 

 鈴谷が信じられないものを見る目で叢雲を見遣ると彼女は腕組みをしたまま顎をくいっと相手の車に向けた。窓を開けていたためドアミラーで砕けた奴らの投げ捨ててきた瓶の中身を顔面に被っていた。襟から胸元までびっしゃりと塗れている。幸いなことにガラス瓶の破片で怪我はしていないらしい。中身はジュースだったらしい、甘い香りがふわりと車内に充満する。柑橘系のフルーティーな香りだがこの場この瞬間においてリラクゼーションの効果などカケラもありはしなかった。

 

 こっちの肝まで冷えるような冷静な瞳が空恐ろしく、緩やかに口角を上げている様はまさに酷薄としか形容できない笑みである。手に持っていた拡声器のマイクをゆっくりと定位置に戻したのはもはや勧告すらする気は無いという意味だろうか。おこ、とかぷんぷんとか、冗談めいたものが一切無い怒り具合である。

 

 もしかしたら聞き間違いかもしれない、そうであってほしいと思いつつ恐る恐る鈴谷は叢雲に尋ねる。

 

 

「あの、今なんて?」

 

「体当たりよ、行きなさい」

 

「それ最後の手段っていうか、増援も来るし検問も敷いているからそこまでしなくても……」

 

「行きなさい」

 

「ここ日本ですよ。シカゴのハイウェイとかじゃ……」

 

「行きなさい」

 

「このパトカー先月納車したばかり……」

 

「行きなさい」

 

「あのぉ、私おなか痛くなったんでそこのコンビニに……」

 

「じれったいわね。前の車を見てハンドルしっかり握ってなさい。砲の照準を狙い定めるみたいに……ねっ!」

 

 

 助手席から身を乗り出して足を伸ばして、あろうことかアクセルを踏んでいる鈴谷の足の爪先の上に自分の爪先を重ねて、そのままアクセルを踏み込んだ。

 

 

「ちょっとおおおおおおおおお――っ!?」

 

 

 ぎゅん、とフロントがせり上がるのではないかというほどの急加速。

 

 そして、衝撃。

 

「ぶっ」エアバックに圧され座席に押し付けられる鈴谷の耳に、がりがりとガードレールを削る音と共にまるでシェイクでもされているような断続的な衝撃が襲い尻が跳ねる。 

 

 横目で見える叢雲もエアバックで頬や上半身を押しつぶされながらも、その視線はパトカーに押され前方でガードレールにバンパーを卸されている逃走車を睨みつけてた。

 

 

「よし行くわよ!」

 

 

 アクセルから足を離し、エアバックを押しのけ車外に飛び出す叢雲。「ほら、神妙にしなさい!」と逃走車の運転手を外に引きずり出すのを見ながら、よろめきつつ車外に出る鈴谷。

 

 

「そういえば職場の他の先輩が言ってったっけ……『(バンディット)にハンドルを握らせるな』って……」 

 

 

 今日退勤前にでも上司に叢雲とのペアを解消させてもらえないか嘆願しようと割と本気で思いつつ、自分も逃走車の運転手の確保に向かう鈴谷であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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