バンディット   作:名無しのナナシMAX

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第二話

 

 

 

 

 季節は夏に差し掛かっているとはいえ、コーヒーカップの底で溶かしきれなかった砂糖のように、朝の空気の足元にはまだ肌寒さが留まっている。朝日によって溶かされていく夜のしじまを、ジョギングシューズの軽快なテンポが踏み散らしていく。

 

 海守市の中で北街と呼ばれる住宅密集地域の外周約十五キロを毎朝ジョギングするのが叢雲の日課であった。白と黒を基調として赤い差し色が入ったジャージに着替えて、時間は早朝五時に住んでいるアパートを出る。そしておおよそ一時間かけて決められたルートを走り抜ける。艦娘としての身体能力を持ってすればそれ以下の時間で走り終えることは十分可能であるが、それくらいのペースで走るのが疲れすぎず、寝起きの身体をフラットな状態に戻すには最適であった。

 

 火を入れられ徐々に熱を持つ身体。夜気を未だくすぶらせる大気に、吐き出した吐息がほどけて消える。

 

 こうして毎朝走っていると季節の移り変わりを直に感じられる。風の匂いが変わった。公園を通り過ぎると甘く華やかなツツジの匂いに包まれ、大きな日本家屋を囲む青々とした生垣は益々色味を深めていた。並木道にはクチナシやナツツバキの白い花が、新たに生まれたばかりの太陽の光を浴びて歓び輝き、青く澄み渡る空に吸い込まれるようにタンポポの綿毛が風に運ばれていく。

 

 開けた土手の上を走っていると川向こうの鉄道橋の上を電車が走っていく。ちょうど始発の時間だ。緑の風景が入り混じるのどかな景色を縦断する電車の転動音は、まるで街が活動を始めるための目覚まし時計のように響きわたっていく。新聞を配るアルバイト学生達の何度かすれ違い、住宅地からやや小高い造成地に建つアパートへ帰ってきた。

 

 

「ただいま」

 

 

 返事が無いのは分かっているが、そう言ってしまうのが幼い頃からの癖になっている。

 

 叢雲の住む『グリーンハイム白峰』は築五年目になる賃貸アパートだ。作りは木造の1LDKで、深いブラウンのウォールナットの床材でしつらえられたダイニングキッチンや、現在は寝室として使っている畳張りの和室など、全体的に落ち着いたデザインが入居の決め手として選んだアパートだ。それほど広くは無いが一人暮らしには十分であるし、叢雲自身それほど物を置くのが好きではないため家具も必要最低限の物しか置いておらず、ずいぶんこざっぱりとした部屋である。

 

 ジョギングシューズを脱ぎ、玄関の端に揃えてから、バスルームへ向かった。服を脱ぎ、運動直後でほどよく疲れて汗ばんだ身体をシャワーにくぐらせる。ジョギングの後に浴びるシャワーは夏でも冬でも冷水だと決めている。桜色に火照ったハリのある肌を水が滑り落ちる感触が心地よく、艦娘叢雲として固定された容姿である幼さを色濃く残しながらも女性らしい丸みを帯びた肢体をしばらくの間、水と戯れさせた。

 

 シャワーを止め、浴室から出ると、バスタオルで身体についた水滴を拭った。ジョギングに出る前にあらかじめ用意しておいた服に着替える。ワイドデニムパンツにボーダー柄のバスクシャツといった夏の到来を感じさせる涼しげな出で立ちである。

 

 カーテンを引き開ける。朝の柔らかな陽光が蔓延っていた夜の気配を洗い清めるように室内を満たした。

 

 身体を動かした後、シャワーで身を清めて日の光を浴びると、身体の中に溜まっていた澱みのようなものがきれいさっぱりこそぎ落ち、生まれ変わったような気持ちになる。朝のジョギングもシャワーも、結局はこの瞬間の心地良さを味わうことが最上目的の日課なのかもしれないと、叢雲はまぶしさに目を細めながら考えた。

 

 しばらく窓の前で伸びをして身体をほぐしてから、朝食の準備に取り掛かる。

 

 昨夜のうちに仕込んでおいたカツオのみりん漬けをグリルで焼く。油と少しのバターを落としたフライパンでピーマンとハムとチンゲン菜を手早く炒め、しょうゆで軽く味付けをした。味噌汁は一人分だけを毎朝作るのが手間だったため、味噌に出汁を練りこんだインスタント品を使っている。あさりやしじみ、わかめや赤出汁など毎日違った味を手軽に楽しめるため自分で作るよりこちらのほうが気に入っている。今日は白味噌だ。

 

 作ったおかずを皿に盛り付ける。電子ジャーで炊いた米をよくかき混ぜ、たっぷりと空気を含ませてからお椀にふんわりとよそった。

 

 それらをお盆にのせてテーブルに運ぶと、クッションの上に腰を下ろし居住まいを正した。「いただきます」と手を合わせてから、もくもくと食べ始める。すっと背筋を伸ばし、箸で料理を少量ずつ口に運び、ゆっくりと味わい、咀嚼する姿は内面からごく自然ににじみ出るような気品を感じさせる。

 

 食べ終えて歯を磨いた後は、窓際に置いた一人用のソファに腰かけ、その日の新聞に目を通す。出勤の時間が来るとシ荷物を持ち職場に向かう。それが普段の彼女の日課である。

 

 朝目覚めてからここに至るまでの行動にほぼ違いは無い。日勤と夜勤での時間帯の違い、あるいは雨の日はジョギングではなく筋トレに変わるくらいだろうか。まるで電車の時刻表のように行動の一つ一つを区切る時間の使い方も正確だった。

 

 職場では独断専行上等の要注意人物などと恐れられている叢雲であるが、実生活はそんな悪評とはずいぶんかけ離れたストイックで機械的なものだった。しかしそれが彼女本来の気質だとするなら、普段見せる奇天烈な言動は何なのだろうかという話になる。

 

 少なくともこの叢雲は今までの叢雲とはどこか違った性向を持っていた。

 

 そもそも艦娘という存在は、生まれながらに艦娘としての記憶を保持しており、自我がはっきりしていくのと同時に自分が何者かを理解していく。性格の大部分は記憶によって形作られる。どんな環境で育とうと、すでに生まれた時から『艦娘の記憶』という揺らぐことも変容することも決して無い心の核のようなものが彼女たちの中にはあるため、まるで設計図どおりに張り巡らせた水路に水が流れるように、同個体の艦娘は比較的同じ性格になる。

 

 しかしこの叢雲のあり方はどこか歪だった。

 

 艦娘関連の資料において、叢雲という艦娘は戦闘においては好戦的で、媚びることを嫌い、気位が高く勝気な性格とされている。対してこちらの叢雲は好戦的で媚びることを嫌うという点においては同じであるが、喧嘩上等かつ唯我独尊といった様子で、例えるならお嬢様の皮を被ったガキ大将気質とでも言おうか。性格の僅かな差異など生まれ落ちた環境からくる誤差と言ってしまえば所詮そこまでの話である。しかし〝こうである〟とされた叢雲の性格と、こちらの叢雲の性格はそもそも根っこが異なる。人格を支える屋台骨となる部分が違うのだ。好戦的で媚びることを嫌う、というのは自分の感情を向ける他者の存在があって成立する能動的な言葉だ。対して喧嘩上等、唯我独尊というのは結局のところ『来るなら来い、あるいは侵せるものなら侵してみろ』といったように自分の中だけで完結している受動的な言葉だ。感情を自分から向けるのが先か、他者から向けられるのが先か。両者の言動の結果だけを見れば同じに見えても、その性質は対照的なものである。

 

 極端な話、この叢雲は一人で生きていける。心の寄る辺を他者に求めない。それは孤独に対する耐性が高いとも言える。かつての叢雲にもそういった傾向はあったが、この叢雲は殊更にそれが顕著であった。

 

 ここで話は戻る。前述した、叢雲のストイックで機械的な性質が彼女本来の気質だとするならば、普段他者の前で見せる奇天烈な言動は何なのかという話だ。

 

 それはまるで他者の前では〝叢雲〟という役割を自分なりの解釈で演じているようにさえ思える。

 

 なぜそうなったのか。そうせざるを得なかったか。真相はどうなのか。

 

 その答えは彼女が艦娘であるということに関係するのであろう。なぜなら確固とした艦娘の性質を根本的に変えてしまえるほどの影響力を持つものはただ一つ。

 

 艦娘にとっての絶対であり、運命の相手であり、他の全ては些事であるとさえ言わせる存在。

 

 それが提督適正者と呼ばれる人間だ。

 

 叢雲はすでに自分の提督適正者と出逢っている。その邂逅こそが今の叢雲を形作る大きな切欠になったことは間違いなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そこは海守市の中央からやや離れた1DKの賃貸アパート。

 

 締め切られたカーテンの隙間から柔らかな朝日がさしこみ、街の様々な喧騒が一つに溶け合った潮騒のようなさざめきが、窓ガラスを通り抜けて室内へと穏やかに染みわたる。

 

 部屋の主はベッドの上で、タオルケットを頭から被り、まるで蚕の繭のような姿で眠っている。緩やかな寝息が寝具の隙間から漏れ出ており、呼吸に合わせてこんもりと盛り上がった繭はゆっくりと上下していた。

 

 目覚まし時計の電子音が鳴り響いた。

 

 寝床の主はタオルソケットに包まったまま、まるで亀が甲羅からのっそりと頭を出すように、目覚まし時計に向かって手を伸ばした。ほっそりとした腕で、よく手入れされた爪が綺麗に並ぶしなやかな指だ。指先をゆらゆらとヘッドボードの辺りでさまよわせる。眠りを妨げる騒音の源である目覚まし時計を探り当て、スイッチを押して黙らせると、力尽きたようにぱたりと腕が落ちた。それから幾許かして。

 

 

「んんんん~~~っ」

 

 

 自分に渇を入れるように、ただなんだか気が抜ける唸り声が上がった。眠気が色濃く蔓延る意識を奮い立たせ、貝と一体になったカタツムリのような関係になっていたベッドから起き上がる。

 

 タオルソケットを払いのけ、ベッドの上にちょこんと座った。

 

 

「ううむ……むにゃ……」

 

 

 鈴谷はまだ夢の中をさまよっているようにウツラウツラとしている。しばらくカカシのようにゆらゆら揺れてから、ようやっと目が冴えてきたのか、寝ぼけ眼を時計へと向けた。七時十分。普段ならすでに出勤の準備を始めなければならない時間だが今日は休日である。二度寝をしようかな、という誘惑が頭をよぎるが、それをやってしまうと一日だらだらとした意識のまま過ごしてしまいそうなので止めた。何より今日は午後一で用事があるのだ。朝のうちに部屋の掃除やら溜まった洗濯物を片付けてしまいたい。

 

 

「……顔、洗おっと」

 

 

 ベッドから立ち上がろうとして、ふと自分の格好に気づいた。上はシャツを羽織っているだけで、下はショーツ一枚が覆っているだけの、ほぼ裸同然の格好だ。そういえば昨日疲れて帰ってきてそのまま眠ってしまった。着ていた服は寝苦しさの中で自分で脱いだようだ。もし実家暮らしだったら両親から小言の一つは貰うであろう、だらしない有様だった。

 

 

「スカートは……布団の中で丸まってる……ブラは……うげっ」

 

 

 ベッドと壁の隙間に落ちて、ホコリが絡んでいた。とりあえず洗濯機の中に放り込んでおく。ついでにそのまま眠気覚ましのシャワーを浴びた。バスルームから出てバスタオルで身体中の水気を拭う。裸のまま家をうろつけるのは一人暮らしの特権のようなものだと思う。チェストを置いてある寝室に向かいながら、吸水性の高いセームタオルを髪に軽く押し付けるようにして水分を吸い取らせ、手ぐしで髪をとかし、毛先に向かって折りたたんだタオルで挟むようにして軽く叩きながら髪についた水分を拭う。

 

 手早く着替えたのは、フェミニンな白のフリルスリーブに黒のワイドパンツを合わせたミニマルシックなモノトーンスタイル。それは鈴谷の華やかな雰囲気を、過ぎず足りずに柔らかく引き立たせていた。

 

 タオルドライした髪をドライヤーで乾かすと、美容液やクリームで丁寧にスキンケアをする。

 

 

「さってと、朝ごはんでもたべましょうかねー」

 

 

 特にメニューは決めていなかったのでとりあえず冷蔵庫を開いてみる。

 

 食材はあまり残っていない。今日買い物に行かないとな、と思いつつ、一昨日の夜に作ったシチューが少しばかりラップして残っていたのを見つけた。食パンも残っていたので、シチューをパンに挟んだホッドサンドを作ることにした。

 

 買った当初はもしかしたらあまり使わないかなー、と思っていたホットサンドメーカーだったが、小洒落た手間をかけたい気分の時に使うことが多かったため重宝している。パンが焼きあがるのを待っている間に、就職して初めての給料で買ったミニコンポで、毎朝この時間に流れているラジオ番組を流しはじめた。起き抜けの神経は洗い立てのように透き通っている。テレビも好きだが、ついボーと眺めていると集中力を散らされる感じがするため、あまり朝は見ないことにしていた。ラジオパーソナリティの軽快なトークに耳を傾けているほうが、これから一日の活動を始める身体には程よい刺激であった。

 

 鈴谷は出来上がったホッドサンドを皿に盛り付け、脇にミニトマトと出来合いのコールスローサラダを添えて彩りを加えた。

 

 

「うむうむ、なかなか良い感じー」

 

 

 軽く焦げ目がつき、こんがり狐色に焼けたパンからはクリーミーなシチューの匂いが漂ってくる。グラスにアイスティーを注ぎ、食卓につく。

 

 

「いっただきまーす」

 

 

 そう声を上げて、ナイフで一口サイズにパンを切り、中からとろりとあふにれてきたシチューにパンを浸して口に運ぶ。「ん~」と満足そうに頬を緩める鈴谷。そういえば昨日は帰ってきてそのまま眠ってしまったため何も食べてなかった。

 

 

「昨日……昨日かぁ……」

 

 

 本当に大変だった。

 

 逃走車を追いかけまわして、挙句パトカーでの体当たりで無理矢理その足を止めさせた。その後当然の事ながら盛大に上司から盛大に(叢雲が)大目玉を食らっていた。ガチャガチャと騒がしい一日が終わり、体力的なものより精神的な疲れが大きかったのだろう。家に帰ってくるなり、泥のように眠ることになった。

 

 朝食を食べ終え、洗い物を済ませ、洗濯でもしようかと思ったその時。

 

 ピンポーン、と来訪者を告げるチャイムが鳴った。誰だろうと思い、インターホンの前に立つ。

 

 

「はぁい、どちらさまー?」

 

『おはよう鈴谷。叢雲だけど』

 

「あれ、センパイ? どうしたんですか?」

 

 

 インターホンから聞こえるのは叢雲の声だった。

 

 叢雲が鈴谷の家を訪ねてくるのは珍しかった。今までは飲み会などの帰りに酔いつぶれた鈴谷を送り届けてくれた時くらいだろうか。

 

 まだ苦手意識を持つ先輩の来報に、意識がわずかに警戒態勢に入った。杞憂だと分かってはいるし、どうにも嫌いになれない人柄なのは分かっている。事実鈴谷自身も叢雲に対してはずいぶん心を許している。しかしこうして不意打ち気味に邂逅すると、心の底に刻み込まれた苦手意識のスイッチが入ってしまう。初対面の時のレバーブローが未だに尾を引いていた。鈴谷はこれまでの人生、その快活な性格でそれなりに順風満帆に生きてこれたと思っている。陰口や妬みなどの悪意に晒される事も間々あったが、直接的な被害さえ無ければどうと言うことは無い。友人関係にもずいぶん恵まれ、あたたかな人の輪の中に身を置き、周りの人にも好情を持って触れ合ってきた。

 

 そんな鈴谷がほとんど初めてと言えるほど、苛烈で直情的な(かつ物理的であった)叱責を投げつけてきた相手が叢雲である。その時のショックというか衝撃というか。学生の頃に文化祭の準備でクラスメイトと和気藹々と催し物の準備を進めていた時に、その和やかな空気を氷の刃で切り裂くように、生活指導のパンキッシュ・マザーゴリラ(そういうあだ名だった)がさっさと帰れと怒鳴り散らしてきたことがあったが、叢雲との初対面の出来事で鈴谷の胸を襲来した感情はその時のそれに近く、それより深く、鋭く、鈴谷自身にもよく分からない棘のようなものを心の奥まったところに突き刺していった。それが拭いきれない苦手意識の原因だと分かっているが、

その棘を抜き取る方法が自分でもいまいち分からないので対処の仕様が無い。 時間が解決してくれるだろうと思ってはいるが、これからしばらくは仕事でよく接する相手だけにできるだけ早急でこの苦手意識を克服したいとは思っている。しかし今一その取っ掛かりが掴めずにいた。

 

 叢雲は不思議そうに尋ねてきた鈴谷に対して、ややあきれたように言葉を返した。

 

 

『どうした、って……さてはアンタ、忘れてたわね』

 

「忘れてたって……あ」

 

 

 そういえば二、三日くらい前にそんなことを言ってたような気がする。というか言っていた。完全に忘れていた。

 

 インターホンの向こうで叢雲がジト目でこちらを見ている気がする。とりあえず笑って誤魔化す鈴谷だった。

 

 

「あ、あはは……とりあえずドア開けますねー」

 

 

 足早に玄関に行き、チェーンロックを外し、鍵を開く。ドアを開くと苦笑いを浮かべた叢雲が立っていた。

 

 

「どうもセンパイ、おっはようございまーす」

 

「おはよう。はい、これ」

 

 

 そう言って差し出されたのはファイルケースに収まったいくつかの資料だった。

 

 

「今日の講習の資料よ。この間失くしたって言っていたやつ」

 

「あ、あーあーあー」

 

 

 ようやく完全に思い出した鈴谷が何度も頷いた。そんな鈴谷を「やっぱり忘れてたわね」とジト目で見遣る叢雲。

 

 

「いやあ、これこれ、待ってました。助かりましたよセンパイ、あっざーす」

 

「調子いいんだから」

 

 

 誤魔化し交じりの高めのテンションで礼を言う鈴谷に、しかし叢雲は気分を害した様子は微塵も無い。

 

 叢雲が渡したのは今日鈴谷が休みを取った理由である『講習』に関する資料である。この講習は艦娘が必ず年に一回受けるもので、自動車の免許の更新と同じで指定された期日内に受講することが義務付けられている。内容は、大雑把に括ると現代社会での艦娘としての心構えについてである。

 

 鈴谷はその講習で使われる資料を実家に置いて来ていた。探せばすぐに見つかるとは思うが、叢雲が今年分の資料をくれるというので、そのためだけに仕事が忙しい中実家に戻るのは面倒だしせっかくだから好意に甘えようと……そんな話をつい三日前にした。

 

 

「ところで昨日は大丈夫だった? だいぶ無茶したから。体のほうは重巡だし私よりよっぽど頑丈だから大丈夫だろうけど、精神的に疲れたでしょ」

 

「あ、無茶したって自覚はあるんですね」

 

 

 そりゃあね、と頷く叢雲。

 

 

「昨日は聞けなかったんですけど、なんであんなに早期決着を? ぶちギレたってだけじゃないような気がするんですけど」

 

 

 思い起こすと昨日叢雲は、犯人の逃走経路そのものに対して何らかの焦りを見せていたように思える。逃走者を追走する車中で「このままじゃマズイかも」と言っていたような気もする。鈴谷の疑問に叢雲は「ああ、あれね」と思い至り、答え始めた。

 

 

「あの日はあの道路の先の工場で小学校の工場見学があったのよ。万が一ってこともあったし早急に決着つけなきゃ駄目だって思ったの」

 

「え、そんなことどこで知ったんですか」

 

「そんなことを近所の小学生が話してたのよ。たまたま聞いて覚えてたわ」

 

 

 所々で高スペックの片鱗を覗かせるなあと感心しながら、鈴谷は更なる疑問をぶつけた。

 

「それあの(・・)副署長に言ったんですか?」

 

「言うわけ無いじゃない。何言ったって頭ごなしに怒鳴るだけなんだから。あの杓子定規に何言ったって命令違反は命令違反だとしか言わないわよ」

 

 

 叢雲はふん、と鼻を鳴らした。

 

 

「じゃあ私は今日仕事だから行くわね。面倒な話ばかりだけど居眠りなんかしちゃ駄目よ」

 

 

 鈴谷に資料を渡し、立ち去ろうとする叢雲。キュウ、とモーターの駆動音のようなものが鳴る。それは叢雲の足元から、性格には叢雲が履いている靴から聞こえる。その靴の概観はパンプスに近いが、踵部分はスケートシューズのようなブレード状になっており、踏みつけ部にはボールローラーが組み込まれている。履き心地云々以前にそもそもの靴としての機能を損なっているような奇妙なつくりになっている。

 

 

「センパイ、まだそのタイプのリンダム使っているんですか?」

 

 

 リンダム。

 

 それは半世紀以上昔、イギリスのとリンダム社が艦連と共同開発した陸走式模倣型脚部艤装の通称である。

 

 艤装とは船体や機関に取り付けられる装備のことで、艦船の化身である艦娘の装備も艤装と呼称される。その中で脚部艤装(多くは靴のよう足を覆い、海を走る機能を備えた装備)はある意味、艦娘が艦娘であることの根幹を支える装備である。艦娘は人と変わらぬ姿形や心を持っているとはいえ、艦船の化身である。海を行く船としての機能を支えているのが脚部艤装。これ失くしては艦娘という存在は成り立たない。

 

 人類の生き残りを賭けた大戦は遠い過去のものとなり、平和な時代が訪れていた。当時すでに英国の自転車業界で一、二を争うシェアを誇っていたリンダム社が次世代の交通手段、あるいは新たなスポーツ競技になることを見越して、海を身一つで自在に走ることを可能とする艦娘の脚部艤装に目をつけたのが事の起こりである。

 

 とはいえ、艦娘に限らず一般の人々でも使用できる艤装という前代未聞のコンセプトを販売できる形に持っていくために多くの課題があったという。 技術面ではもちろんの事、人類を救った艦娘という、ある種神格化された存在の領分に踏み入る行為に対する各所からの反発も多くあった。

 

 しかし艦娘という存在をより身近にと考える、艦娘主導による艦娘のための相互扶助を目指す国際的組織である艦連(艦娘連絡会)からの協力を得られたことがプロジェクトを躍進させる大きな切っ掛けとなる。ただし艦連が関わったことにより、利権の確保やら特権の保守といった商売に関わる人間にとって毒にも薬にもなる言葉がプロジェクトの方向性に作用した結果、開発していた模倣型脚部艤装には『陸走式』という枷が嵌められることになる。 海はあくまで艦娘の領域……、それがこの世界の不文律である。艦娘はどうしても世の中において〝普通〟という括りの中に収まらな特異な存在である。人類の救済者という側面はあれど、それは大昔の話。世情が移り変わる中で、人と艦娘の関係性に変化が生じることなどいくらでもありえる。艦連は常に艦娘の立場から人との適切な距離感をいかにして保つかを模索し続け、実行するたの役目を担っている。過分に侮られず、かと言って必要以上に恐れられることなかれと、いつの時代も両者の架け橋となるために世界の表と裏で動き続けてきた。

 

 閑話休題(それはさておき)

 

生みの親である社の名前をそのままの形で冠した陸走式模倣型脚部艤装リンダムは、世に出るやいなや爆発的にヒットした。艦娘本来の艤装のような魔法や空想の中に片足を突っ込んだようなオーバースペックの塊ではなく、現在の人類の科学力で可能な限り近づけた模倣品でこそあるが、そのスペックは世の中に新たな刺激と流行を生み出すに足るものであった。

 

 超小型かつ高性能なモーターを内蔵し、艦連からの技術提供により現実化が可能となったホバーシステムにより地面との摩擦抵抗を極限まで減らしながら、踏み込みの加減により相応のグリップ力を生み出すこと両立させた。 直線を走る疾走感はオートバイには及ばないが、非常に小回りが効き、まさに背中に羽が生えたような躍動的かつ立体的な動きで様々な技を魅せる新世代のアクティブスポーツとして広く世間に認知されることに成功した。流行も浸透すれば常識となる。現在は世界中で大小様々な大会が開かれ、ジャイロやバランサーを主とする安全技術の向上により自転車などと同じく軽車両扱いで公道を走ることも可能となっていた。

 

 もちろん一般人だけでなく艦娘にとってもリンダムはスポーツに交通手段でと身近な道具である。元々が艦娘の艤装のコンセプトにより得られた着想だというのだから、親和性が低いわけは無い。

 

 叢雲の履いているリンダムは型式はずいぶん古い。現行モデルは普段使いをしても違和感が無いスニーカータイプが主流であるが。叢雲の履いているものはやや角ばったデザインで大部分を金属的な部品で構成されている。艦娘本来の艤装に比較的近い外観をしている。鈴谷の記憶が正しければ十年くらい前に流行ったタイプで、出すところに出せばプレミアがつくような代物だ。

 

「ああ、これ? 学生時代にアルバイトしたお金で初めて自分で買ったものよ。愛着があるからずっと使ってるの」

 

「……コレ、なんだか、めっさ改造してません? ストラクチャーがエグいことになってるんですけど……」

 

 

 しゃがみこんで叢雲が履いているリンダムをまじまじと凝視する鈴谷。ストラクチャーとはリンダムの靴底に集約された機械的なパーツの総称である。それらを照覧した鈴谷は若干引いたような表情を浮かべていた。

 

 

「エグいって何よ? 最新のパーツ組み合わせているから中身は別物よ」

 

「金額的な話ですよ。ブレードはともかくデッキやアンクルキーパーまで私でも知ってる高級メーカーのロゴが刻まれてるんですけど」

 

「数少ない趣味だからね。買ってから金額的に後悔したことは無いわ」

 

「せめてパーツ元の国は統一しましょうよ。これじゃ多国籍状態……っていうかスゴッ! よくここまで規格の違うパーツ組み合わせましたね」

 

 

 外観で分かるだけでも、使われている技術が根本から違う物や、パーツのサイズ的にまず嵌め込めないような物がある。それでいてそれぞれのパーツのバランスは問題なく取れているようだ。

 

 

「それはほら、加工したりコンバーターを使ったり、場合によってはパーツの構造をいじったり……とか?」

 

「それ、ほとんど違法改造じゃ……」

 

 

 リンダムは国際的な組織である艦連が技術面での元締めと言うこともあり、改造についての規定は割りと厳しいものがあった気がする。

 

 鈴谷は警察官的に見逃していいものかと真剣に考え……あ、この人も警察官だということを思い出した。頭に思い浮かんだいくつかの選択肢の『見て見ぬ振りしよう』にカーソルを合わせるか迷っていたところで、流石に違法品扱いされるのは癪に障るのか叢雲も間髪を入れずに否定してきた。

 

 

「ちゃんと問題ないか調べたわよ。さすがにメーカーの保障は対象外になったけど」

 

 

 それでいいんだろうかと思ったが、流石に人の趣味の領域にあれこれ口を出すのは野暮と言うものだ。

 

 趣味の事になると口が滑らかになるのは叢雲も例外では無いらしい。そのことに気づいた鈴谷はなんだか妙にほほえましい気持ちで、いつもより幾分か弾んだ口調でパーツについて朗々と話す叢雲の声に耳を傾けた。

 

「……と、悪いわね。変に語っちゃって」

 

「いいですよー。なんだか可愛いセンパイも見れましたし」

 

「は、はぁっ!? 何よそれ!?」

 

 

 にししと、笑う鈴谷に顔を赤く染めて掴みかかる叢雲。指摘されて恥ずかしさも倍増したらしい。

 

 

「まあ、あれです。とにかく今回の改造は会心の出来だったって話ですよね」

 

「この……っ、ま、いいわ……ええ、部品の噛み合わせがいつも以上に良かったみたいで……なんというかフィーリングが合うわね」

 

 

 鈴谷は驚愕に目を見開き、唇を戦慄かせた。

 

「フィー……リン、グ? センパイ、名詞以外で横文字使えたんですか……?」

 

「私のこと馬鹿にしてんのアンタ!?」

 

 

 なぜかIT分野に造詣が深かった未開の地の原住民を見たような反応を返され、これには流石に拳を固める叢雲。真っすぐいってぶっとばすと言わんばかりに腰を低く落とした。

 

 

「やー、ほら。戦場を〝いくさば〟って読んじゃう系女子じゃないですかセンパイは」

 

「言わんとしていることは分かるんだけれどもね!」

 

「にっひひひ♪ 冗談です、さーせん」

 

 

 両手を顔の横でひらひらとさせて降参のポーズをする鈴谷に叢雲は口惜しそうに拳を引っ込めた。

 

 

「くっ、ここで怒ったら私の心が狭いみたいな空気を出すんじゃないわよ」

 

 

 ある意味それも人徳と言うものだろう。

 

 

「もう、私行くわ。ちゃんと講習受けてきなさいよ」

 

 

 そう言って玄関から出て行こうとする叢雲に、鈴谷は考えるより先にその言葉を口にしていた。

 

 

「センパイ、いいお店知っているんですけど良かったら今夜飲みに行きません?」 

 

 

 苦手だけど嫌いじゃない。この人に対する隔意は結局のところ自分の気持ちの問題なのだから、たとえ迷惑がられようと、胸の置くのしこりが綺麗さっぱり無くなるまでこっちからガンガンに攻めていってやる。少なくとも今までの人生そうやって人間関係築いてきたのだから、とりあえず躓いて転ぶまで――完全に拒絶されるまではこの手法で突き進んでいこうと決めていた。

 

 

「あー、どうですか?」とやや自信なさげに尋ねてみる。

 

「……ちゃんと案内しなさいよ?」

 

 

 叢雲は鈴谷を見て悪戯っぽくにやりと笑い、扉を開けて出て行った。鈴谷は「ッシ!」と腰の辺りで拳を引くように小さくガッツポーズをした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 叢雲は署に出勤する道中でぽつりとひとりごちた。

 

 

「ホントに一緒にいてこっちが困るくらい良い子よね……」

 

 

 ああまで真っすぐにこちらの懐に飛び込んで来ようとする姿勢は眩しいやらくすぐったいやらでどうにも戸惑ってしまう。

 

 

 叢雲自身、自分の心根がどういったものかはよく理解している。自分で自分のことは冷たい性格だと思っている。しかしそれをどこかで否定したい気持ちはある。善人でいられるならば、心の赴くままに他者の禍福に気持ちを寄り添わせることが出来るのならば……他者への好意を素直に口に出せるならば、それはどれほど素晴らしいことだろう。本来それは決して誰に咎められるわけでもなく、なんら阻むものは無いはずだ。

 

 心をがんじがらめに絡め取っている鎖は、他ならぬ自分自身が生み出したものだった。

 

 こうすれば楽に生きられる、という人生の取扱説明書みたいなものは心の中ですでに出来上がっていて、実行に移せばそれなり(・・・・)の効果は見込めるだろう。少なくと今、心に抱えている重石のいくらかは取り除けるかもしれない。

 

 しかしそれは芝居を行う演者と何が違うのだろうか。

 

 脚本の無い自分の人生を、他者を模倣して演じる。滑稽な話だ。

 

 もはや何をどうすればいいか分からない。しかしそれでもたった一本だけ、自分の中で揺るがない柱がある。

 

 

「私は艦娘……特型駆逐艦五番艦、叢雲」

 

 

 少なくともそれだけは何者にも覆せない答えで、生き方の指標のようなものだ。

 

 

「それで……いいじゃない」

 

 

 胸に手を当て自分に言い聞かせた。

 

 歩行者信号が青に変わり、鳥の鳴き声のような点滅音がなった。

 

 そこは市の中心地。警察署に程近い交差点で、ちょうど朝の出勤ラッシュとかち合う時間帯ということもあり人通りも多い。小さな地方都市で、会社組織が集中している地区とはいえ、交差点を埋め尽くすほどの人が行き交う。 入り乱れる人混みの中で、不意に、その気配を感じた。

 

 

「え……?」

 

 

 叢雲を驚き、振り向いた。

 

 そこにはあいも変わらず打つて押し寄せる人波がある。突然立ち止まった叢雲は、行き交う人々にとっては迷惑な障害物でしかない。冷ややかな視線が降り注がれる中、叢雲は狼狽したように呟いた。

 

 

「てい……とく……?」

 

 

 そんなはずは無い、と思いながら。

 

 幼い日の僅かな邂逅の中で感じた暖かな空気の中でたゆたっているような心地良さが……それを胸の奥からあふれさせていた心の扉がこの瞬間に僅かに開いた気がした。

 

 

「き、気のせい……よね……?」

 

 

 胸を脈打う鼓動を押さえつけ、咽喉の奥でくすぶったような緊張した空気を吐き出し、全ては気のせいだと自分に言い聞かせ、叢雲はその場を立ち去った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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