せいてんの町、サイレントヒルで会おうね。しごとがおわったらぜったいにきてね、パパ

 最初は、夢の中でそう告げられた。死に別れたが故の、「よくあること」だと思って流した。

 せいてんの町、サイレントヒルで会おうね。しごとがおわったらぜったいにきてね、パパ

 次は、赤い手紙でそう告げられた。手に取れるが故に、「これはまさか」と受け入れられた。


 手紙が届いた。一年前に、火事で死んでしまったはずの娘から。
 とりあえず、小説の原稿は書き終えた。晴天の町、サイレントヒルへ行かなくては。


このSSは、決して、犯罪を推奨するものでは、全くありません。

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炎の章

 せいてんの町、サイレントヒルで会おうね。しごとがおわったらぜったいにきてね、パパ

 

 最初は、夢の中でそう告げられた。死に別れたが故の、「よくあること」だと思って流した。

 

 せいてんの町、サイレントヒルで会おうね。しごとがおわったらぜったいにきてね、パパ

 

 次は、赤い手紙でそう告げられた。手に取れるが故に、「これはまさか」と受け入れられた。

 

 だから大急ぎで、まずは小説の原稿を書き終えた。

 ひと仕事を終えたあとで、私は早朝から車を走らせる。娘が待っているらしい、晴天の町サイレントヒルへと。

 

 ――何年ぶりだろう、あそこへ行くのは

 

 まだ朝だからか、車内はほんのりと冷たい。気を紛らわすためのラジオが、耳にぼんやりと入ってくる。車内特有のにおいを鼻で感じ取りながらで、ふと、助手席へ視線を向けてみた。

 誰もいない。

 小さく鼻息が漏れた。

 

 助手席が空なのも当たり前だ。一年前に、娘は火事で死んでしまったのだから。

 

 だからこそ、あの真っ赤な手紙が届いた時は、「これはまさか」と思ったのだ。

 封筒なんてなかったし、住所も不明。けれども娘の文字で書かれていたとなれば――父親だからこそ、サイレントヒルへ縋るに決まっていた。

 

『――次のニュースです』

 

 何となくガソリンのメーターを見る、車と車とがすれ違う。聞き流していたラジオから、

 

『三人の少年を殺害した容疑で、指名手配を受けていたアイ容疑者が、先日警察署へ出頭してきました』

 

 子供を殺害という単語を耳にして、意識がラジオ側に傾く。

 

『調べに対してアイ容疑者は、『自分が全部やりました、刺したいという好奇心で三人の子供を殺しました。それでその子供たちが、自分の夢とか、自分の目の前に現れて、何度も責めてきて……耐えられなくなりました。ごめんなさい、反省しています、罪を償わせてください』と、犯行を全面的に認めているとのことです』

 

 さげすむように、鼻で唸る。よくある自責だなと、特に動揺もせずに思い、

 

『アイ容疑者は、サイレントヒルという町の出身で、周囲からは『大人しい男だった』と言われており……』

 

 ハンドルを握りしめる手が、びくりと震えた。

 サイレントヒルという、いま最も関心のある単語を耳にしてしまって――私は真っ先に、サイレントヒルの伝承を思い起こす。

 

 サイレントヒルには、人に、特に子供には優しい精霊が住んでいる。

 餓死した子供には温かいミルクを、病死した子供には薬を。子供に手をかけた大人には、相応の罰を

 

 相応の罰。

 私は「まさか」と思う。

 アイ容疑者のニュースを丹念に聞き入れながらで、私は呼吸を整える。事故を起こさないようにハンドルをしっかり握りしめた。乾いた唇を舌で舐めながら、私は、

 

 娘は、火事の中で死んでしまった。自分が、助けなかったからだ。

 だから、娘を「殺してなどいない」。

 断じて、断じてそう思うことにする。

 

 ――間もなくして、私はサイレントヒルへ到着した。駐車場に車を停め、キーを抜いては車から這い出て――私は、口を半開きにしながらでサイレントヒルを一瞥していた。

 

 数年前とは違い、晴天の町サイレントヒルは深くふかく霧がかっていた。

 娘と共に訪れた時とは違って、あまりにも静かすぎていた。

 

 ↓

 

 すこし数年前に遡る。娘が、間違いなく生きていた頃。

 

 私は小説家を生業としていて、よくよく娘と共に「取材」へ出かけることが多かった。妻は娘を産んで亡くなってしまったから、なるだけ娘に寂しい思いはさせたくなかったのだ。

 もっと正直に言ってしまえば、私の方からも、娘の傍にいたかった。一度家族を持つと、こうした依存からは中々抜け出せないものだと思う。

 元から好奇心溢れる私はともかく、娘の方はといえば――私の血を色濃く継いだのだろう。取材という名の「旅行」へひとっ飛びするたび、娘はよく笑い、時には不安になったり、けれどもやっぱり「楽しかったね、パパ」と感想を述べてくれる。幼いながらも読書家にまでなってみせて、将来は私のライバルになるかもしれないなあと期待していたり。

 

 そんな娘が愛おしくて、可愛く見えてしまうのは仕方がない。だから私は、現地で名産物を買っては、それを娘によくよくプレゼントしていたりもした。

 娘曰く「全部大切なものだよ!」とのことだが、特にメノウ(赤い石)の首飾りがお気に入りらしくて、肌身離さず身に着けてくれていたものだ。

 

 だから私は、当たり前のように「サイレントヒルという町に、取材しに行くぞ」と提案した。

 娘も、待ってましたとばかりに「行く行く! で、サイレントヒルって?」と質問してきたので、私は軽く、

 

 サイレントヒルは、晴天の町と呼ばれるくらい穏やかな場所らしいんだ。しかもしかも、精霊が住んでいるらしいんだよ。

 

 

 そうして娘と一緒にサイレントヒルへ到着した時、私は確かに「晴天の町だ」と思った。年季の入った家に気前の良さそうな喫茶店、ウン何年の歴史はあるであろう学校から病院まで、最低限のライフラインも揃っている。

 高い建築物なんて病院ぐらいなもので、空を妨げるものは何もない。左右には樹木が、少し歩けば野原が、目をこらせば森も見えてくる、なるだけ自然と調和しようとしているのだろう。だからか、日光もいつも以上に心地よく浴びられた。

 通り過ぎていく人の数も、それほど雑多すぎず、寂しすぎず。休日ということもあってか、のんべんだらりとした空気がよくよく伝わってくる。

 理想的な片田舎だなと、都会暮らしの私は思う。

 このまま散歩するのも悪くはなかったが、ここへ来た本来の目的は「取材」だ。サイレントヒルは晴天の町で、「精霊の住まう地」だからこそ、私と娘はここにいる。

 取材用のメモとペンを取り出し、めぼしいものは何かないかなと徘徊していれば――「こんにちは」、その一声で私と娘の足は止まった。

 

 ――こんにちは

 ――こんにちは。旅行者かな? 珍しいねえ……何か、見に来たのですか?

 ――ああ、それは……

 ――パパね、せいれいさんを取材するためにきたの!

 ――! へえー、ライターさんか何か?

 ――いえ、小説家です。……こういう者なのですが

 ――! ああー、あなたは! 知ってます知ってます、アクションにホームドラマ、サスペンスまで書いてますよね? 多才で羨ましい

 ――いえいえ

 

 頷きはしたが、何も多才あってのことではない。単に、「書いてみたい」という好奇心あってのものだ。

 推理小説家、SF作家など、一本筋が通った作家も数多くいるが――単に自分は、「我慢」が利かないだけの小説家だ。同じジャンルに留まれないだけの。

 

 ――ははあー……それで、次はファンタジーか何かを? とにもかくにも、ここを選んで下さったとは、ファンとしては光栄です

 ――どうもどうも。……そうですね、次はこう、非現実的なジャンルに挑戦してみようかなと

 

 これは本当だ。精霊の地に興味を抱いたのも、手がけるジャンルに「気分転換」を施したかったから。

 現地の人は、「ははあ」と興味深そうに微笑しながら、

 

 ――ここは精霊の住む地、観光スポットは沢山ありますよ。……お邪魔でなければ、案内しますが?

 ――良いのですか?

 ――ええ。実は私、この地の精霊を崇めさせていただいている「教団」の一員でして

 ――そうでしたか。何かすみませんね、こう、不純な動機で

 ――いえいえ、物語は人の感性を豊かにします。精霊も、人の役に立てたとして喜んでくれるでしょう

 

 私は、安心したように頷く。

 

 ――個人的に、私はあなたのファンでもありますからね。お手伝いが出来るなんて、光栄なことです

 

 私は、声を出して笑う。

 そうして教団の一員が、胸に手を当て、

 

 ――あなたにも、娘さんにも、精霊の加護がありますように

 

 娘の積極性と、サイレントヒルの寛容さのお陰で、小説に関する取材は容易にこなすことが出来た。教団の一員の言う通り、サイレントヒルには確かに、見るべき場所が多々あったものだ。

 それは小さな博物館だったり、教団が管理する小さな教会、更には精霊に纏わる伝承と、知れば知るほど聞けば聞く程、小説に対する熱意がふつふつと沸き上がっていった。

 教団の一員曰く、サイレントヒルに住まう精霊とは、人に対する情が深いものであるらしい。特に子供に対する愛情が色濃く、餓死した子供には温かいミルクを、病死した子供には薬を――子供に手をかけた大人には、相応の罰を与えるのだとか。

 

 それは興味深いですねと、私が頷く。そうしてメモをとっている間、

 

 娘が、誰かと話をしていることに気づいた。

 

 一体誰なんだろうと思い、サイレントヒルの街並みを一瞥する。けれども誰もいない。

 ここで娘と目が合って、「ぼわーっと光ってる女の子と、話をしてたの!」と喜色満面の笑みで言われた。

 私は首をかしげるばかりだったが、ここで教団の一員が「ほおー」と感心するように頷いて、

 

 ――君はきっと、精霊に気に入られたんだね。よかったね、おじさん羨ましいなあ

 

 空が夕暮れに染まって、教団の一員と別れを告げる。すっかり文字だらけになったメモ帳を片手に、さあ帰ろうと娘の手を軽く引っ張ろうとして、

 

 ――また、ここに行きたいな

 

 娘が、名残惜しそうに、サイレントヒルを振り返っていた。

 きっと、「友達」が出来たからなのかもしれない。

 だから私は、メモ帳をポケットにしまい、娘の頭を優しく撫でて、「ああ。必ず行こう」と、嘘偽りなく娘に告げた。

 

 ↓

 

 ここは本当に、サイレントヒルなんだろうか。ぼんやりと、そう思う。

 少し歩いて、娘の声がフラッシュバックする。違いないと、そう想う。

 

 街並みは間違いなく、数年前のものと変わってはいない。気前の良さそうな喫茶店、町と調和しきった自然、少し亀裂の入った道路――小説家としての頭が、「ここだ」と認識する。

 けれども、どうしても、「ここなのか」という実感が沸かない。目の先も見えない、深い霧も原因のうちの一つだろうが、

 

「誰か、いませんか?」

 

 思わず、小さく弱音が漏れる。

 ここに来てからというもの、人という人を誰一人として目撃していないのだ。目を凝らして歩道を見つめようとも、気前の良い喫茶店を覗き見ようとも、一軒家のチャイムを鳴らしてみようとも、人の姿も声も伝わってはこない。霧だけが私の身を飲み込んでいく。

 本当に、こんなところに、私の娘がいるんだろうか。

 何のあてもなくさ迷い歩く、懐から赤い手紙を取り出しては読み直す、サイレントヒルで会おうねの文言。誰かの悪戯かと思ったが、この文字は間違いなく娘のものであって、夢にまで同じことを言われたのであって、辻褄そのものは合ってしまっている。

 物理的におかしいが、これが「精霊」の仕業だとしたらどうだ。アイ容疑者のおかしな体験談だって、サイレントヒルが絡んでのものだった。何より娘も、精霊に好かれていたらしいじゃないか。

 もしかしたら、サイレントヒルは、超常云々を引き起こせる何かがあるのかもしれない。

 情に篤いとされる精霊が、もしかしたら私と娘を引き合わせようとしているのかも。物理とか、科学とか、そんなものは抜きにして。

 

 携帯のライトを照らしながらで、前へ前へと進んでいく。霧は未だに晴れない、ろくな物音も聞こえやしない、肌寒くなってきた、緑色のジャケットを着直す。

 娘はどこに――左右を見渡すと、路地裏に通じているのであろう、狭い通路が。

 私は思う。まさかこんなところには、いやもしかしたら。

 路地裏特有の狭さに、暗さに怯みそうになるが、私はひと呼吸して、

 

 銃声が、鳴った。

 

 瞬く間に、私の肉体が震え強張る。情けない声とともに左右を見渡すが、人なんていない。

 そうなると――私は、路地裏に通ずる道を見据える。震える呼吸を隠さないまま、握りこぶしを作って、あらかじめ携帯のライトを切って、私は路地裏へ足を踏み込ませる。なるだけ鈍足に、警戒心を膨張させながら、肌寒さなんてすっかり忘れて。

 銃声。

 「くそくそくそ」罵倒。

 人が居た。

 すぐにでも駆け寄りたいところだったが、相手がどんな人間なのか、そもそも何が「くそ」なのか。ありとあらゆる不穏の可能性が頭の中に降り注いできて、私は及び腰のままで路地裏を歩んでいく。心の中で、「持ちこたえてくれ」とか願いつつ。

 

 男の悲鳴。

 

 これまで聞いたことのない「声」を耳にして、私は一瞬だけ死んだ、なけなしの判断力が蘇ると同時に、まずは後ろを見直し、なるだけ速足で前へ前へと進んでいく。

 気付けば銃声が途切れている、嫌な予感が収まってくれない。

 狭い路地裏を歩き切り、ひと部屋ぶんの区域にまで足を踏み入れてみて、

 

 銃を持った血まみれの男が、仰向けに倒れていた。

 

 小説家の頭が、まずは「死因」について勝手に分析し始める。

 腹を、鋭い何かに貫かれてのショック死。「丸い穴」が五つ並んでいたことから、少なくともナイフによるものではない。相手は動物か何かか。

 ――身も心も怯えながらで、私は冷静に、そんなことを考察し終える。「だいじょうぶか」と声をかけてみたが、血を流し、瞳孔を開き切ったままの男は何も応えてはくれない。

 一体何が――死体の周囲を調べようとしたところで、地面に転がっていたポータブルラジオが「ばつん」と唸り声を上げた。

 

『少年を一人、少女を一人射殺したとして、指名手配を受けているイッヒ容疑者は、周囲からはガンマニアとして名前が知られており、よく射撃場に赴いていた、とのことです』

 

 私の意識が、ラジオに引っ張られる。

 

『少女の両親は昨年、サイレントヒルから越してきたばかりで、娘と沢山の思い出を作っていきたかった。そう、インタビューしています』

 

 条件反射的に、ラジオを手に取る。よく聴こえているくせに、耳元にまで当ててみせる。

 

『行方知れずだったイッヒ容疑者ですが、いま、刺殺されたようです。動機は『人を撃ってみたかった、好奇心が抑えきれなかった』とのこと」

 

 私の目が、険しく歪む。好奇心という単語に、少しだけ肝が冷えた。

 

『以上、ほのぼのニュースをお送りしました』

 

 ラジオの電源が、「ばつん」と切れる。私は「え」と周波数を合わせようとして、「え」とアンテナの角度を適当に調整しようとして、ラジオは何も言わない。

 ――無音になったいま、冷静に思う。

 この死体がイッヒ容疑者のものなら、イッヒ容疑者は、「相応の罰」を受けたのだろう。

 あまりに荒唐無稽な考察だったが、ここは「精霊の住む地」だ。さっきの報道も、何かがおかしかった。手紙の件といい、霧といい、イッヒ容疑者の死因といい、ここは普通ではないのかも、

 

 ラジオから、音が漏れだしてきた。

 

 私は縋るように、ラジオに耳を傾けた。砂嵐(ノイズ)が静かに聞こえてくる、電波がまがりくねったような雑音が吐き出される、『サイレントヒルであおうね』、娘の声を聴いてひどく動揺して、

 背中が、ぞくりと震えた。後ろに、何かがいる。

 ――何だ。

 ノイズがけたたましくなったラジオを片手に、私はそっと、あえて鈍く、意を決して振り向いてみせ、

 

 私の膝くらいまでの、すっかり焼き焦げた子供が、私にゆっくりと近づいてきていた。

 

「きみ」

 

 声をかけたが、子供は返事をしない。よくよく見てみると、手から血がしたたり落ちている。指先があまりにも鋭い、あきらかに子供の、人間のそれですらない。

 小説家の頭が、瞬時に状況を把握した。この子供が「イッヒを殺した犯人」で、「銃を相手に出来る恐ろしい存在」で、「次は私」なのだという現実を。

 ラジオのノイズをバックに、私はイッヒの手から拳銃を引っこ抜く。安全装置を確認、トリガーガードに指を添えて、両手を上げてみせて――銃の取材をしていてよかった――私は何度も何度も、「私は敵じゃない」「私は何もしていない」「この男の仲間じゃない」「やめるんだ」。

 喉が焼き切れているのだろうか。子供が苦しそうに、「あー」と唸る。殺意むき出しの爪を私へ向けてきて、「やめるんだ」と最後の忠告をして、

 

 子供が、こちらへ駆け寄ってきた。

 照準器を子供の頭に据えて、歯を食いしばって撃った。

 

 頭から血を吹き出しながら、子供はふらふらと後ろに押し出される。けれども生きていて、窪みと化した両目が私を睨みつけていて、どうしても爪を私に向けていて、

 ――娘に会わなくてはいけないんだ。ほんとうに、ほんとうにすまない。

 謝罪と言い訳をかき混ぜながら、私は子供に三発の弾丸を撃ち込み――子供は、ぱたりとその場に倒れた。荒み続ける呼吸を制しないまま、ラジオのノイズを耳にしながら、照準器と子供しか眼に映さないまま、倒れた子供にそっと近づいて、

 子供が、駄々をこねるように手足を上下させた。

 生きてる、まずい、どうしよう。

 私は――目を逸らしながらで、子供の頭を打ち抜いた。子供は、もう動くことはなかった。

 

 ひとつの現実が過ぎ去って、私は「把握」した。ここは普通じゃない、ここには「敵」がいる。

 イッヒの遺体に対して、私は手で祈りを切った。そしてイッヒの遺体を弄り――何発かの銃弾を回収し終える。

 鼻息が漏れた。

 疲れた。

 けれども、娘と会わなくては。

 ひとたび冷静になってみて、ノイズが聞こえなくなっていることに気づく。銃撃の都合で、ラジオは地面に置いていたのだが――これは、使えるかもしれない。「普通の」ラジオじゃないからだ。

 ポータブルラジオをポケットにしまいこみ、拳銃を片手に路地裏から出ようとする。ひどい目に遭ったなと、そんな悠長なことを考えながらで、

 

 耳鳴りが、した。

 強烈な頭痛に、襲われた。

 苦痛の声が、漏れた。

 どこか遠くから、サイレンの音が聞こえてくる。

 

 一体なにが。なけなしの思考力を引っ張ろうとしたが、私の目が、本能が、すぐにでも惨状を把握してくれた。

 路地裏が、燃えている。

 逃げなければ、焼け死ぬ。

 おかしい、さっきまでは普通の路地裏だったのに。

 間、

 おかしくない。ここは普通の世界なんかじゃない。

 

 火の熱さを肌で感じ取ったのは、これで二度目。アパートの自室に閉じ込められた娘が、私に助けを求めたあの瞬間。娘が死んだ、あの日。

 今度は私がそうなるのか。けれどもなぜ、火は住民の不始末によるもので、私が原因ではない。

 となると――頭を振り払う。まずは、逃げなくてはいけない。

 頭痛もようやく収まってきて、ましに動けるようになってきた。火の熱さが肌に突き刺さるが、こうして走れるのも娘のお陰だと思う。娘に会うまでは、私は死ぬわけにはいかないのだ。

 短いようで長い路地裏を駆け抜けていく。窓から噴き出る炎、壁を伝う火柱、地面から芽生える火、好き勝手に燃えすぎて世界が黄色い。こんなの普通じゃない。

 手で炎を振り払い、熱い熱いと叫んで、煙を吸わないようなるだけ意識して、どこかサイレンの音を気にしながら――炎の壁が、出入り口を遮っていた。

 

 もうだめか。

 私は「いや」と首を払い、よくよく炎の壁を凝視する。壁の高さ自体はそれほどでもない、せいぜい私の膝くらいまでだ。高跳びしてみれば、生き残れるかもしれない。

 私は、「いや」と首を一振りする。生き残らなければいけないのだ。全ては――

 私は、全速力で炎の壁めがけ突っ込んだ。

 膝くらいまでの炎の壁を、飛び越えることが、

 

「がはぁっ」

 

 できた。

 うまく着地出来なかったせいで、私の身はアスファルト上に転げ落ちる。腕が、背中が痛かったが、どうにか頭は守り通せた。

 ――ぜんぜん熱くない

 倒れたままで、そう思考する。路地裏から脱出出来たのだろうと、改めて実感する。あれが火事なのだと、新たに知る。

 

 間、

 

 冷え切ったアスファルトが、私の身も心も冷静にさせていく。先ほどの体験のせいで、やはりどうしても、一年前の出来事がフラッシュバックし始めてしまう。

 

 ↓

 

「パパッ! 助けてっ、パパッ!」

 

 私と娘が住んでいるアパートが、嘘みたいに燃えている。ほんの少し近づいただけでも、あまりにも熱い。

 三階のベランダから、娘が必死に手を伸ばしている。幼過ぎる女の子の声が、夜の世界に反響した。そして私と娘は、間違いなく目と目を合わせている。

 ――炎の勢いに恐れながら、とてつもなく後悔する。

 どうして自分は、三階に住んでいるんだ。どうして自分は、コーヒーを買おうと夜中に出ていったんだ。どうして自分は、ネタが思い浮かばないからって散歩なんぞをしたんだ。

 だからこうして、娘と私とが炎に引き裂かれてしまっているんじゃないか。

 

「パパ! 助けてッ!」

 

 アパートの住民か、或いはやじ馬が、私に視線を向けている。私は握りこぶしを作りながらで、遠くに響くサイレンを耳にしながらで、どうすべきか行くべきか待つべきかと、ぜんぜん冷静ではない頭で判断を促し、

 

 娘が、煙を吸って咳込んだ。

 私の足が、アパートめがけ真っ直ぐに突っ走っていた。

 

 三階までが遠い。

 すっかり炎に飲まれたアパートが、無遠慮に熱く黄色く眩しい。煙を吸わないようになるだけ姿勢を低くしつつ、その上で忙しなく動き回っているせいか、ひどく堪える。炎を何とかして避けながらで、不審火だか火の不始末だかを起こした奴を絶対にブン殴ってやると心に誓う。

 壁も窓も炎に侵食されていて、とてもでないが熱かった、息苦しかった。しかし娘のことを思うと、娘を失った「もしも」のことを考えると、味わいたくない喪失感のことを思考すれば――気づけば私は、自室のドアの前に居た。

 今助けるぞ。バックドラフトがなんだ。

 キーを差し、ドアノブを握りしめて、激痛とともに大きな声が出た。ひどい熱の帯びっぷりに「くそ」と悪態をつき、すぐさまジャケットを手のひらに巻いては即席のミトンにする。声を上げてまでドアノブを捻り、思いっきりドアを開けてみれば――

 

 炎の壁が、出入り口を遮っていた。

 

 この炎の高さは、私の膝くらいまでか。けれども子供の視点からすれば、それは越えがたい地獄の門以外に他ならない。

 だから娘は、ベランダまで逃げ出したのだろう。

 

「パパ!」

 

 ドアの開閉音が聞こえたのだろう。ベランダから振り返り、私に駆け寄ろうとして、

 

「あつっ」

「大丈夫か!? すぐに助けてやるからなッ!」

 

 娘と私とを遮る炎の壁が、今も今も大きくなりつつある。ここでもたついていては、娘だけでなく、己が身すらも危うくなるだろう。

 

「パパ……」

 

 私の言葉だけで、娘は安心しきったように微笑んでいる。まるで、神の姿を見つめているかのような。

 ――いつだったか。保育園で、娘は、「パパについて」の感想文を書いたことがある。その時に、「パパは、わたしのかみさまです」と、そう文字にしてくれたのだ。

 

 娘が産まれた時、私は心の底から大喜びした。その時に妻を亡くしてしまったが、現実に対する絶望だとか、死への欲求だとか、そういったものは一切抱かなかった。元気よく泣く娘が、いてくれたからだ。

 それからも、娘は私とともにいてくれた。小説を書いている最中に飲み物を持ってきてくれたり、取材の「助手」として大活躍してくれたり、私の書いた小説を頑張って読み通そうとしたり、一緒に動物園へ取材しに行った時なんて、娘ときたら「ワニだー!」と大はしゃぎした。それがたまらなく可愛かった。

 たぶん娘がいなければ、ホームドラマ小説「愛しいヘザー」を書けなかったと思う。反抗期あり、口論ありの筋書きだが、最終的には幸せに収束していく物語だ。家族とはこういうものだと、断じて書き切った記憶がある。根拠はもちろん、私の娘そのものだ。

 そんな、私の支えとなっている娘を失ってしまったら、私は、

 

 失うと、どんなふうになるのだろう。

 

「パパ」

 

 娘が縋るように、私に手を伸ばす。

 私は、

 私は、

 

 ――炎の壁に恐れをなし、娘に背を向けて、逃げ出した。

 そういうことに、した。

 

 ↓

 

 アスファルトから起き上がろうとも、サイレントヒルから霧が晴れることはなく、人も見られない。代わりに「敵」が居る。

 重く鼻息をついて、拳銃のマガジンの中身を確認する。ラジオの電源は点けっぱなしにしておいて、携帯は胸ポケットに挿しておく。ライトを確保する為だ。

 娘に会いたい――その一心で、私はこの街を、精霊の住まう地をさ迷い歩ける。そうでもなかったら、今頃は尻尾を巻いて逃げ出していただろう。

 さあ、行こう。

 誰も居ない街並みを一歩踏み出す前に、何となく、先ほど抜け出したばかりの裏路地へ目を向けてみて、

 

 裏路地への細道は、決して何も燃えてはおらず、焦げ目の一つも見当たらない、ごくごく普通のスポットとしてけろりと存在していた。

 やはりここは、普通でも何でもないらしい。

 

 

 そうして街並みを歩いて数分。私は数回ほど、「焦げた子供」や「羽の生えた焦げた子供」と戦う羽目になった。最初はやめてくれと懇願したが、「敵」は本気で私の命をつけ狙ってくる。だから「仕方がなかった」という免罪符の元で、私は命あるものに対して拳銃を放ったものだ。

 心身は疲れ果てたが、特に怪我などは負っていない。それもこれも、レーダーの役割を果たしてくれるポータブルラジオのお陰だろう。どういう原理かは不明だが、このラジオは、敵が接近するとノイズを放ってくれるのだ。敵との距離が近ければ近いほど、ノイズはけたたましいものになっていく。

 お陰で、不意打ちを食らう心配はほぼ無い。それでも全くもって安心できないのは、こんな普通じゃない世界に飲まれているからだ。

 他に、何か武器があればな――人を求め、使えそうなものは無いかと徘徊し続けていれば、

 

 霧の向こうに、人影が見えた。

 ノイズは聞こえてこない、となると生存者か現地の人か。

 表情を多少弛緩させながら、「待ってください!」と人影へ駆け抜ける。人影は施設に入ろうとしているのか、軽やかなドアの開閉音が聞こえてきて、ようやく顔が見える距離にまで差し掛かって、

 

「あ」

 

 間抜けな声が、漏れた。

 娘が、こちらに見向きもしないままで、施設の中に入っていった。

 判断力が鈍る、いきなりすぎて肉体までもが動かない。二秒ほどの時を置いて「はっ」と目を覚まし、娘の名前を連呼しながらで施設へ駆け寄る。

 白いドアのドアノブを捻り――開いた。ここに入れということなのか、嫌だといっても入るが。

 そこで私は、今更ながら、ここはどんな施設だっけとその場で見上げてみせて、

 

 アクセサリー店・マリア&メアリー

 看板には、こう書かれていた。

 

 ↓

 

 乾いた音とともに、ドアが後ろ手に閉じられる。

 電気は通っていないようで、店内はかなり薄暗い。今は真昼間であるはずだが、霧の世界がそうさせているのだろう。

 なけなしの、携帯のライトで店内を白く照らす。範囲は狭いながらも、カーペットやショーケースの中身が見られるだけでも十分だ。いつ何が出てきても良いように、拳銃のトリガーガードに手はかけておく。

 

 外の世界とは違って、密室とはろくに逃げ場がない。緊張しているからか、狭いせいか、己が呼吸音までよく聞こえてくる。後ろから軋む音がして、敏感に振り向いてはライトを照らすが――何もない。

 大きく鼻息をつかせ、改めて店内を探索する。

 ショーケース内へライトを合わせるたび、何万ドルもする装飾品が艶やかに光る。興味もその気もないくせに、「今ならバレないのだろうか」とか、そんな馬鹿なことを思考した。

 地面にもライトを向ける。店内に合わせた赤いカーペットを見つめてみて、私は、先ほどの遺体のことを思い出す。

 あれだけの、「本物の血」を見たのは、始めてのことだった。意外にも黒く、言葉に出来ない生々しさを覚えたものだったが――ひどく動揺しなかったのは、別に親しい者が死んだわけじゃなかったからか。それとも、イッヒという男が悪人だったからか。あるいは、私が酷い奴だからか――そうかもしれないなと、拳銃を眺めながらそう思う。

 

 めぼしいものは何もない。ショーケースも、地面も、天井も照らしてみたが、怪しいものも、「敵」も、そして娘も、発見することは出来なかった。

 先ほど見たものは、単なる幻だったのだろうか。

 何となく、ほんとうに何気なく、店を一瞥するように、ライトを大きく動かしてみて、

 

 焼き焦げたマネキンが、私のライトに射された。

 

 爆発的な緊張感が、この身に宿る。筋肉と理性とが、瞬間的に強張る。

 マネキンは壁際に立てかけられていて、サイズは私の膝くらい。つまりは子供のサイズで、娘とほぼ同じくらいで、「まさかまさか」と首を横に振り払いながらで、おそるおそるマネキンへ近づいていって、

 

 私は、見た。

 焼き焦げたマネキンに、メノウの首飾りが着けられているのを。

 

 意識が死にかけたと思う、「これが娘?」と馬鹿なことを考えたと思う。けれどもこの首飾りは、間違いなく私が、娘へプレゼントしたものだ。

 メノウの首飾りは、娘とともに焼き焦げてしまったはずなのに。

 それなのに今は、新品同様の輝きを私の眼に食いつかせている。

 

 ――まず、手が動いたと思う。

 純粋に欲しがったのだ、娘の生きていた証を。根拠もなく思ったのだ、娘と会うのに必要なものであると。

 そして、理性が瞬く間に激しく耳打ちする。それは本当にマネキンなのか、焼き焦げた「敵」と似ているぞ。下手に手を出したら、やばいことになるんじゃないのか。ラジオの力を信じているつもりだろうが、ここは普通の世界じゃないんだぞ。マネキンが動き出した瞬間にころっとノイズが鳴るんじゃないのか。

 

 そうかもしれない。

 けれども、やはり、娘の宝物を見過ごすわけにはいかない。

 だから私は、なるだけそっと、メノウの首飾りをマネキンから掬い取ってみせた。

 ライトに照らされたメノウが、まるで血のように光り輝いている。ここまで艶やかだったものかと、悠長に思考して、

 

 ラジオから、ひどく大きくノイズが鳴り響いた。

 焦げたマネキンが、私の首を握り締めた。

 

 不意過ぎて、頭の中が真っ赤に染まる。ろくなうめき声すら出せないまま、絞られる激痛と、強い吐き気に飲み込まれる。

 否応なく、死を思考し始める。無理矢理にでも、呼吸することばかりを考える。遂にはここまでかと思い――なけなしの理性が、娘と会えと訴えかけてきた。

 私は、メノウの首飾りを握りしめる。

 決して手放さなかった拳銃のことを、思い出す。

 震える手つきのまま、銃口を、マネキンの眉間に当てて、

 

 銃声。

 

 よほど堪えたのか、マネキンは私のことを手離す。私の膝は地につき、咳なんて止まってはくれなかったが、それでもマネキンからは目を離さない。娘と会うまでは、死ぬわけにはいかないからだ。

 マネキンの額からは、一筋の血がこぼれ落ちてくる。あれで死なないなんて――とは思わない。ここ数回の戦いで分かったことだが、マネキンを倒すには最低でも五発、うまくいけば三発ほどの弾丸で仕留められると判明しているからだ。この情報は、メモ帳にも書いてある。

 弾丸にも限りはある。

 だから私は、マネキンの頭に照準器を合わせ、「許してくれ」の一言とともに、

 

 ↓

 

 アクセサリー店から出て、大きく息を吸う。外は変わらず霧まみれだったし、曇天そのものであったが、少なくとも店内よりは息苦しくはない。

 ここが普通の世界でなくとも、外は外だ。未だ生きていることに安堵しつつ、わざとらしく大きく鼻息をつかせ、本当に娘はいるのだろうかと、何となく赤い手紙を取り出してみせて、

 せいの町、サイレントヒルで会おう。しがおわったらぜったいにきてね、パパ

 

 

 それからというもの、私はラジオのノイズ音を駆使して、「敵」をやり過ごすことが多くなった。「敵」は人外の耐久力が備わっているし、その分だけ打ち込むべき弾丸も多い。だから、必然的に「逃げ」に走ってしまうのだ。

 それでも戦闘に陥った場合は、無理矢理逃げ出すか(空を飛ぶ敵は特に)、「敵」を転倒させることにしている。そうやった後は――可哀想だが、頭を踏みつけて仕留めるのだ。

 許してくれと、心の底から誓う。

 私は娘と会って、話がしたいのだ。

 マガジンの残りを確認して、「少なくなったな」と呟いて、どうしたものかなと道路を歩めば――何か聞こえた気がした。もっと歩いてみる、けたたましい音が耳に入ってくる。更に歩み寄ってみれば、車のクラクションが吠えていることに気づいた。

 私は、急いでその場に向かう。

 

 

 そして見たものはといえば、まさに事故現場だった。

 車は建物に衝突して大破してしまっており、ありとあらゆる残骸が地にころげ落ちている。そして車の中に居たドライバーはといえば、ぴくりとも動いていない。おそらくは死んでしまったのだろう。

 ドライバーはハンドルに身を倒していて、その重みでクラクションを鳴らしていた――娘がいた手前、交通事故だけには気を付けていたつもりだ。だから私は、このドライバーのことを放ってはおけず、そっと、遺体を車から降ろしてやった。

 クラクションが止む、サイレントヒルが元通りになる。

 ひどい事故でも起こしたのか、ドライバーは血まみれで、首の骨が折れ曲がっていた。いやだいやだと私は首を払い、

 

 ドライバーが、何かを握りしめていることに気づいた。

 紙切れ?

 おそるおそる、そっと手を伸ばす。いいよな? 私はドライバーに語りかける。そしてそのまま、紙切れを広げてみせて、

 ――サイレントヒルの地図、だった。

 なんだ。私は小さく鼻息をつかせ、何となく地図を裏側にして、

 

 俺は、三人の子供にひどいことをした。子供の反応は、見て楽しいから。 イオ

 

 赤、血文字で、大きく、雑に書かれていた。

 少し動揺しながらも、冷静になったつもりで頭を回転させる――イオというのは、恐らくはドライバーの名前だ。そしてイオという男は、間違いなく悪人だった。

 恐らくイオは、「順調な人生」を送っていたのだろう。けれども運悪く、サイレントヒルに縁のある子供に手を出してしまった、だからこうなった。或いは、イオ本人がサイレントヒル出身者だったのか。

 どうでも良い、相応の罰を受けたのは確かだ。

 

 さて、

 念のため、地図は貰っておく。少なくとも、これで道に迷うことはないだろう。ここは普通の世界じゃないから、地図通りの地理を保っているかは不明だが。

 次に、車内をチェックする。何か使えるものはないかと、一通り点検した結果、

 

 血の付いた鉄パイプに、栄養ドリンク、血の付いたハサミを見つけた。

 ハサミはともかく、鉄パイプはよく使えるかもしれない。こびりついた血については、あえて敢えて無視する。栄養ドリンクも念のため持っていく。

 これで、やるべきことはやり終えたと思う。

 今一度、アスファルトの上に横たわるイオのことを一瞥して、「もういい」と視線を外して、どうするべきかと様子見してみれば――

 

「……ここ、本屋か?」

 

 今になって気づく。イオの車が衝突した施設は、「ブックストア・メイソン」という本屋であるらしかった。

 ――本屋という響きに、私の頭の中が遠くなる。

 小説家のあるべき場所でもあり、娘とよく立ち寄った場所でもあり、娘から「わたしは小説も読むのよ!」と自信満々に言われた、私の好きな場所。

 大きく、呼吸する。

 寄ってみよう。そう、思った。

 

 ↓

 

 入店し、慣れた手つきでライトを向ける。やや広い室内であるせいか、随分と暗い。

 静かに息を吸い、鉄パイプを握り締め、本屋をゆっくりゆっくり歩んでいく。経験上、何が出るか分かったものではないからだ。

 ――本屋を歩いている最中に、フラッシュバックする。私、小説も読めるんだよ。

 ――本屋だからこそ、フラッシュバックしてしまう。この本、くれるの? ありがとう、パパ!

 小説家として生きてきたせいか、本屋には思い入れがある。こんな状況なのに、ついつい新刊だの、ライバル作家だの、児童書に目を配ってしまう。私からすれば、アクセサリーよりも価値があるものばかりだ。

 足音を立てる、天井に視線を向ける、二階への階段を見つける、早速昇ってみる、誰かの走る音が後ろから、振り返れば誰もいない。

 鼻息をつく、正面へ視線を据える。近くで、本の落ちる音が聞こえてきた。体がぞくりと震えるが、「やっぱりこういう世界なのか」と実感して、ようやく二階にまで辿り着いて、

 

 私は、見た。

 新刊が飾られているコーナーと、ライトに照り返されている血だまりと、二本の脚を。

 

 私は思わず、口に手を当てる。これが普通の遺体ならともかく、上半身なんてものが、無かったから。

 乱暴なちぎれ具合から、私の脳味噌が「食われたか? 裂かれたか? ジーンズと靴から、男のものだろう」と生真面目に分析し始める。死んでからそれほど経過はしていないのか、悪臭の類は薄い。

 もっと、死体を照らしてみる。こんなことをした「犯人」の手がかりが掴めるかもしれない。私は、足だけとなった遺体にライトを合わせて――1枚の紙を、見つけた。

 迷うことなく、私はそれを拾い上げる。

 子供の死体の絵が、とても上手いタッチで描かれていた。紙の右下には「モア」の文字が、恐らくは作者名だろう。

 ――察する。こいつは、「自分の絵を描く為だけに」、子供にこんなことをしたのだ。

 ひどい奴め。当然の感想を述べようとした瞬間、耐え難い頭痛が、倒れそうになって、うめき声を、サイレンが聞こえ、急に熱くなりはじめ、

 

 曖昧な意識の中で、私はそれを見た。かさぶたのように剥がれ落ちていく壁を、焼かれ剥がれていく床を、炎に飲まれゆく本を、どこか遠くで倒れる本棚を、嘘みたいに口を大きく空ける巨大な怪物の姿を、

 ラジオの砂嵐が吹き荒れた。

 私の生存本能が爆発的に目を覚ます。

 体に鞭を打って、すぐさま拳銃に切り替えて、ライトを大口の化け物に当てて――私は、「ああ」と小さく声が漏れた。

 化け物は明らかに、「ワニ」だった。

 娘の一番好きな動物、「ワニ」だった。

けれどそのワニは、赤く黒く肌が剥がれ落ちていた。

 娘の影響で、私もワニのことが好きだったのに。娘とお話をする為に、ワニのことを沢山勉強したのに。それなのに今の私ときたら、そのワニに対して拳銃を向けている。

 ――首を振り払う。

 私は、娘を会わなければいけないんだ。許して欲しい。

 ワニは、何の感慨もなさそうに、私へ牙を剥けてきた。

 

 それから、どれくらいが経っただろう。

 燃え盛る本屋の中で、金網の床の上を走り回りながら、私はワニへ何発もの弾丸を、弾が切れれば鉄パイプで何度も何度も瞳孔を突いてみせた。途中で何度も噛みつかれそうになったが、そこは本を投げて応戦したり、時には軽やかなバックステップで回避してみせたりと、なけなしの戦闘経験が活きた瞬間だったと思う。

 最初こそ怯みはしたが、ワニはあくまでワニ、いきなり飛び道具を発したりはしない。だから私は、「優位に立つ」という思考を忘れず、鉄パイプで何度も何度もワニの瞳孔を突きさして、貫いて、

 ワニが、雄たけびと共に、その場にひれ伏した。

 安堵と疲労から、私は両肩で大きく息をする。この世界は何が起こるかわかったものではないから、全く油断せずにワニの動向を見守り続ける。そうして数秒、もしかしたら数分は過ぎたかと思えば――私の意識が、急に薄らいできた。

 

 

 目を覚ます、起きかけの馬のような声が漏れる。もう痛くない頭を支えながら、私は亀のように立ち上がった。

 場所は――本屋だ。床は木製で、壁もそう、特に涼しくも熱くもない、もちろん遺体やワニなんかもいない普通の薄暗い本屋だった。

 ライトを照らしながらで、あたり一面を一瞥する。相変わらず電気は通っていなかったが、これといって「異常」が無かったのは幸いだ。私はため息をつかせ、さっきはひどい目に遭ったなと一歩踏み出し、

 つま先に、何か当たった。

 一体なんだろうと、床にライトを射してみて――「ああ」、声が漏れた。

 「ワニ大百科」、ポケットサイズの図鑑だ。それを拾い上げてみて、懐かしいなとこぼして、ワニだらけのページをめくってみせては目頭が熱くなっていく。

 

 動物園へ行った帰り、娘は始終ワニのことばかり話していた。よほど気に入ったらしくて、口をあーんと開けてみせたり、指先を悪そうに曲げたりと、父の私としては笑みが止まらなかったものだ。

 「ワニ、好きかい?」「すき! かっこいい!」だから私は、帰りに本屋へ寄っていって、ワニ大百科を娘へプレゼントした。

 ――その時の娘の顔は、絶対に忘れない。

 しばらくは、娘はワニの蘊蓄を語ってくれた。一緒にご飯を食べている時も、車に乗っている時も、寝る前も、ずっとずっとだ。

 だから私は、このワニ大百科のことをポケットにしまいこんだ。一年前のように、焼き尽くされたくはなかったから。

 

 余韻に浸るように、ため息。久々に、どこか気が抜けた。

 そういえば、ここに置かれている新刊って何だっけ――小説家として、悠長にそんなことを考えながらで、注目の新刊コーナーへライトを浴びせて、

 

 事故で家族を失った女が、喪失感を荷に世界を歩むロードムービー。

 数々の名作を送り届けた本格小説家の、待望の新刊!

 

 添えつけられたホワイトボードには、そう書かれていた。

 たくさんの文庫本が、台に所狭しと積み重ねられていた。

 

 タイトルは、「アンジェラの旅」。

 今朝、私が仕上げたばかりの小説だ。

 

 

 サイレントヒルで会おう。しがおわったらきてね、パパ

 

 だいぶ気絶していたらしく、外は随分と暗かった。あと少し経てば、本格的に夜が訪れるだろう。

 地図を広げてみせて、本屋に斜線を描く。調査済み、という事だ。

 ――どうしたものか。

 痒くもない頭を掻く。ラジオの無反応にほっとしながらも、私は栄養ドリンクの蓋を開け、気分転換とばかりにそれを飲み干していく。

 まもなく、「はあ」と声が出た。

 心身共々、何だか落ち着いた気がする。慣れてきたとはいえど、私はただの小説家に過ぎない。時には、こうした休息も必要だ。娘もきっと納得してくれるはず。

 さて。

 携帯の残りバッテリーを確認しては、ほっとする。もう一度ライトを点火させては胸ポケットに差し込み、鉄パイプを握り締め、どこまでも行くぞと一歩踏み出して、

 

 遠くから、間延びしたサイレンの音が聞こえてきた。

 「あの」サイレンかと思ったが、頭痛はない。注意深く耳をすませ、それが道路から伝ってのものだと感づき、闇夜めがけ目をこらしてみれば、車の白いライトが私の目をくらませる。

 一瞬、ライトが車の側面を照らす。バンタイプの形状に、赤いラインの入った白い車体、忙しなく赤く発光するパトライトは――間違いなく、救急車のものだった。

 私は迷うことなく、救急車を追う。恐らく行きつく先は、病院だろう。

 

 ――追うしかない

 

 すぐにでも、私は救急車を見失った。それでも私は、地図を頼りに病院まで駆け抜けていく。

 途中で「邪魔」が入ったが、ワニに比べればどうということはない。すまないと込めながら、私は鉄パイプを振るう。

 

 ↓

 

 病院――正しくは、アルケミラ病院前へ着いた。ここで「ようやく」ではなく「いつの間にか」と思うあたり、私は呼ばれるべくして呼ばれたのかもしれない。

 冗談じゃない。

 すっかり使い慣れた鉄パイプを片手に、確実に前方を照らしながらで、私は前へ進んでいく。散々やっておいて「不法侵入だな」と思うが、ほんとうに何を今更だ。

 片田舎に似つかわしくないほど、病院の敷地はずいぶんと広い。病院そのものも三階建ての立派な佇まいであったし、待機状態の救急車もそこかしこに見受けられる。やはりどの町にも病院は必要なのか、それとも別の「何か」が回っているのか、理性がうっすらと陰謀論を推測する。

その間にも、人影はいないものかと察したが、どこにも――パトランプが点火中の救急車が一台、私は「人か」ではなく「嫌な予感がする」と思いながらで、現場にまで駆け寄る。

 

 結果は、「嫌な予感は的中した」だった。救急車の前にはストレッチャーが野ざらしに放置されていて、「患者」は両足、胴体ともどもベルトできつく拘束されていた。念のため「だいじょうぶか」と声はかけてみたが、患者はうんともすんとも言わない。

 当然だとは思う。血を流し、変色し、頭まで膨らみきった患者が、生きているはずがないのだから。

 主に、頭を中心に攻撃されたのだろう。きっとこいつもロクでもない男なんだろうなと思い、遺体そのもの、ストレッチャーの周辺、救急車内を照らしてみて、

 

 あった。少年少女の「ひどい」写真数枚に、写真の裏側には「2017年 ×月△日 ラッキーショット! byウオ」とマジックで書かれてあった。ウオとは、この男の名前なのだろう。あとは、救急車内にはとても似合わない散弾銃と弾薬、血の付いた軍用ナイフ。

 写真の内容といい、散弾銃といい、ナイフといい、恐らくはウオという男も「相応の罰」を受けるべき人間だったに違いない。けれどこの時ばかりは、武器(遊び道具)を持ってきてくれたことに対して、ひそかに感謝する。さすがに、散弾銃に鉄パイプ持ちは、きついものがあったからだ。

 お礼といっては何だが、ウオを拘束するベルトを外して、ストレッチャーから解放してやった。鉄パイプともここでお別れ。

 手で軽く祈りつつ、私はアルケミラ病院へ向かう。

 

 ↓

 

 病院内は、冷たかった。

 最初に、そう思った。

 それほどまでに病院内は暗く、広く、静かだった。僅かにノイズが鳴っているからこそ、尚更そう思う。

 ――探索するにも、まずは「敵」を排除しなければ。

 散弾銃を手にしたが、可能であればナイフで仕留めるつもりだ。弾薬は可能な限り温存しておきたい――ナイフの握り方も、取材しておいてよかったと思う。

 一筋だけを照らすライトを頼りに、私は前へ前へと歩んでいく。受付を通り過ぎていって、曲がり角に強烈な気配を覚え、なるだけ敵意と殺意を抑えて、曲がり角から通路を覗き見てみれば――いた、看護婦めいた何か。

 あくまで「めいた」だ。身体つきはともかく、片手には物騒な鉄パイプを握りしめていたし、そもそも頭そのものが丸く大きい。あれでは泡のようだ。

 私はそうっと看護婦「めいた」敵に近づく。ふらふらと歩く看護婦もどきが途中で立ち止まり、何が苦しいのかその場で痙攣する。私はすかさず歩みを早め、看護婦の首筋めがけナイフを突き立てる。人のものではない悲鳴を上げて、看護婦は間もなくして前に倒れた。

 何度も思う。

 看護婦は人間じゃない。

 私は、人を殺したことなど一度もない。これまでも。

 血まみれのナイフを鈍く抜き取り、ノイズのおさまりを確認する。

 どうしたものかと、私は静まり返った病院内を一瞥して――「あ」と、間の抜けた声が出た。

 

 「ナースセンター」。そう書かれたプレートが、私のすぐそばにあった。

 

 ↓

 

 ナースセンター内に入って、テーブルの上を、壁を、棚を、私はあてもなく探索を続ける。元から暗く、ライトの範囲も限られているため、余計に時間がかかってしまう。

 鍵みたいなものがあればなと、何となく思う。重要そうな場所を目の当たりに、いざ扉を開けようとして「鍵がかかっている」なんてものは、心境的にあまり良くはないからだ。

 鍵、或いはこの「事件」の手がかりになりそうなものは――あるわけがないと思う、そもそも「事件」として成立しているかどうかも怪しいし。

 私は小さくため息をつかせ、いっそのこと鍵探しに没頭するべきかと頭を掻いて、

 

 物音がした、

 私の背筋が、びくりと動いた。

 

 なけなしの記憶を振り返る。さきほどの音は、地面に何かがぶつかったような。

 ノイズ音はない。それを幸いにしながら、私は病院の床めがけライトを照らす。

 物音に導かれるのなんて、ここ数回何度もあった。今回も、その「たぐい」かもしれない。

 だから私は、絶対に見逃さないよう、床だけに視線を向ける。最初は数分かかるものかと思ったが、意外とあっさり、それはすぐにでも見つかった。

 

 床には、「患者カルテ」と書かれた赤いファイルが一冊、落ちていた。

 それをそっと拾い上げて、何となく左右を見て、「申し訳ないが、読ませてもらう」と思考する。そうしてファイルから、カルテの一枚を取り出してみせて、

 

 ヨー 26歳 男性 出身地、サイレントヒル

 現在は死亡が確認されている。死因は、鋭利な刃物により、刺されたことによるショック死。

 ヨーは子供と遊ぶことが好きだったが、時折、夜遅くまで子供を連れまわすことがあった。子供の両親から何度か注意を受けたが、ヨーは決して、欲求を止めることができなかった。

 問診の結果、「夜遅くになれば、子供は心細くなる。その結果、自分を頼りにするようになる。それが快感だった」とのこと。

 ひと一倍、支配欲が強かったとされる。

 

 そして昨年、ヨーは、ひとりの少年を引き連れて姿を消した。このことは誘拐事件として取り上げられ、ニュースになったが、残念ながら子供は遺体として発見された。

 まもなくしてヨー本人も、刺殺された遺体として発見される。ここ、サイレントヒルで。

 

 ごくりと、唾をのんだ。こいつも間違いなく悪人であり、相応の罰を受けたに違いない。

 小さくため息をつく。

 次にカルテを取り出す、悪人。また一枚、カルテを読み始める、悪人。不謹慎ながらも、こうした資料を読むのは嫌いではなかったりする。

 

 そして、最後の一枚を取り出す。次はどんなものが来るのだろうと、決して褒められない好奇心を胸にして、

 娘の名前と年齢。

 変な声が口から出た。

 浮ついた気分なんぞは消え失せ、ファイルそのものを落とし、娘のカルテそのものを両手で持つ。そんな馬鹿なと思ったが、カルテには確かに娘の名前と年齢が、理性が「ここは普通の世界じゃない」と必死に訴えてくる。

 

 娘の死を、改めて読まなくてはいけないのか。

 けれども、そこから逃げてはいけない気がする。

 残酷なものを見るような目つきで、私はカルテの文章を辿った。

 

 現在は死亡が確認されている。死因は、火事による焼死。時刻は夜の10時。

 火の回りが思った以上に早く、娘が起床した時には、既に退路は炎で絶たれていたという。

 全焼する寸前に、保護者である父が駆け付けたものの、父は娘を見捨て、逃走をはかった。

 あくまで事故として処理され、父は今もなお捕まってはいない。

 

 ――小さな写真が、貼り付けられていた。

 ――その写真は、黒焦げのマネキン、違う、娘だった。

 

 大きく、息を吐き出す。カルテの「見捨て、」という文言を見て、歯を食いしばる。

 私は、殺してなどいない。炎を前にして、怯んだんだ。そういうことにしておいてくれ。

 カルテに対して、私はどうしても否定の意志を貫けなかった。あの頃の記憶に対して、私は「仕方がなかったはずだ」「怖かったはずだ」「炎を恐れたはずだ」「殺してなどいないはずだ」、理性と本能と小説家の頭が何度も言い訳し続ける中、

 

 私の内側から、何かが這い出てきた。

 有象無象の言い訳を潰しながら、「良心」という絶対強者が、こう言った

 

 お前、小説の為に、

 

 ぴんぽんぱんぽーん

 

 不意に、明るめのチャイムが暗闇に響き渡る。私の意識が、あっという間に現世へ引きずり込まれる。

 

 ――様、444号室より、娘さんがお待ちしています。

 

 ぴんぽんぱんぽーん

 

 施設全体に、優しげな女性の声が響き渡った。たぶん、病院のお知らせか何かだと思う。

 ――あえて大きく、重く鼻息をつかせる。天井を見て、向かうべきところを見定める。

 行くしかない。

 カルテをテーブルの上に置く。探せるものは探し尽くして、キーリングを片手に私はナースセンターから出る。

 

 ↓

 

 二階、三階まで登っていく過程で、私は何匹もの「看護婦の形をした敵」を手にかけていった。

 途中で発見されることはあれど、私はいたって冷静に距離をとって、散弾銃の引き金を引いていったものだ。なるだけ敵の頭を狙い、そのたびに風船が割れたように破裂していく。最初こそ「ひどい」と思ったものだが、四匹目ともなると「またか」と忌々しく思うようになった。

 そして私は、四階の階段に足をかけていく。物言わぬリノリウムの床、何の感慨も無い白い壁、淡々と反響する足音、静かなラジオ、耳鳴り、後ろから足音、壁しか映さないライト、いつまでも冷たい空気。それらを肌に沁み込ませながらで、私は階段を登り切って、

 私は、見た。

 物言わぬ金網の床、何の生気も無い赤焦げた壁、立ち止まるしかない足音、静かに吠えるラジオ、耳鳴り、前から足音、僅かしか映してくれないライト、とてつもなく熱い空気。それを肌に刻まれながらで、私はぐっと拳を作り、意を決するように鼻息をつかせ、前に進むしかない。

 

 ――数人の敵を始末しながらで、私はようやく「444号室」の前にたどり着く。

 そして私は、ドアに貼り付けられてあった「紙」に、何もかもがくぎ付けとなっていた。

 

 パパについて

 わたしには、ママがいません。けれどいつも、パパがわたしのことをあいしてくれました。

 パパはすごいんです。いっぱいのものがたりをつくったり、しゅざいりょこうにつれていってくれたり、ワニと会わせてくれたりして、ほんとうにすごいんです。

 だから、さびしいと思ったことはいちどもありません。

 パパは、わたしのかみさまです。

 

 そっと、作文用紙を剥がす。それを二つに折り畳み、胸に抱いて、感情という感情が胸を裂いて出てきそうになる。

 ドアを開けて、「パパ」と出迎えてくれたら。或いは、何でもないようにベッドで眠ってくれていたら。

 両肩で、呼吸する。

 どうなろうとも、娘と会いたいのは間違いない。会って、助けなかったことを謝りたい。できるなら、この街から一緒に出ていきたい。

 作文用紙を、ポケットに入れる。

 あえて我がままな願望を想い残したまま、私は勢い良く、444号室のドアを開け、

 

 火事の後のような個室が、まずは私の目に飛び込んできた。

 ここで私は怯んだが、よくよく見てみると、ベッドは綺麗なままだ。心電図らしい機械は「0」を刻んだままで、それ以上は何も語らない。患者とを繋ぐ赤いコードを、ライトの光で辿っていって、おのずとベッドそのものに光が照らされて、震えながらもベッドに近づいて、

 

 見た。

 傷の一つもない、娘の寝顔を。

 

 意識が、死んだと思う。息のし方を、忘れたと思う。目と口なんて、馬鹿みたいに開いていたと思う。

 体が震え、もっともっと近づいて、私は小さく、そっと、娘の名前を呼び掛ける。

 

「迎えにきたよ」

 

 娘は、何の反応も示さない。心電図が示す数字は「0」、当然そのものの受け答えだった。

 ここまで来て、これなのか。

 改めて、娘の顔を見つめる。母の血を色濃く受け継いだ容貌が、とてつもなく愛おしい。聞き慣れた寝息まで聞こえてきそうな寝顔が、あまりにも物悲しい。一年ぶりに見る眉、唇、鼻までもが、私の目頭をひどく熱くさせる。

 寝る前に、本を読んだこともあった。時には小説を朗読させてもらって、すごいなあと感嘆したこともあったっけ。ワニのぬいぐるみをプレゼントしてあげれば、娘は大はしゃぎの大盤振る舞い。しっかりした子だったから、説教をしたり、怒ったりすることも少なかったような。

 思い出とともに、感情が溢れ出る。たまらなくなった私は、娘の頭を撫でようと、そっと手を伸ばして、

 

 娘と、目が合った。

 

 ぜんぶ、止まった。

 部屋が、熱くなっていった気がした。

 

 娘の目が、間違いなく、この私だけを見つめている。能面のような顔つきのまま、血の通っていない目つきをして、手を伸ばしたきりの私を、ずっとずっと睨みつけている。

 ――どのくらいまで、世界が死んだのだろう。

 私は娘に囚われたまま、どうすることもできない。目を逸らす気にもなれなかったのは、これが「最後の」機会だとでも思ったからか。

 何か言わなければ、父として言葉を発しなければ。

 

「な、」

「パパ」

 

 凍った。

 

「どうして」

 

 ほかに、何も聞こえてこない。

 

「どうしてあのとき、助けてくれなかったの?」

 

 部屋が、熱くなっていく。

 

「どうして?」

 

 私は、

 

「……それは、炎が怖くて、死ぬのが恐ろしな、」

「うそつき」

 

 部屋に、火が回ってくる。

 

「パパは、わたしをみすてたんだ」

 

 ラジオのノイズが、小さく響きだす。

 

「パパは、わたしをころしたんだ」

 

 ラジオの砂嵐が、暴風のように吹き荒れる。

 

「じぶんのために、わたしすらも『取材』したんだ!」

 

 娘が燃える、焼き焦げる、目が溶け瞳孔が窪んでいく、それでも私を睨みつけたまま。それがひどく恐ろしくみえて、逃げ出そうと判断する前に足が動いて、膝くらいまでの炎の壁が出入口を遮っていた。

 私は、それを飛び越えていく。

 

 ↓

 

 病院内は、嘘みたいに炎上していた。

 私は不思議と、「信じられない」とは思わなかった。ただただ「ありえること」と認識しながら、私は三階、二階、一階と、必死になって逃げだしていく。ありとあらゆる全力をかけているというのに、私の頭の中では、「取材」という単語がいつまでも飛んで回っていた。

 思う。

 

 子供というのは、大人のことをよく見ている。

 

 一階まで駆け下りる。途中でナースめいた敵と遭遇するが、そんなものは腕を払って倒す。熱さに眩暈を起こしそうになりながらも、私はようやく出入口のドアにまで差し掛かって、乱暴に体当たりを繰り出して――

 

 まだ、病院に留まっているものかと思った。

 町全体が、焼死していた。

 

 思う、根拠もなく思う。私は、追い詰められていっているのかもしれない。そろそろ、娘と会えるのかもしれない。

 振り返る。この私を照らし、あざ笑うように、病院は今も今も燃え続けている。出入口も炎に飲まれていて、もう後戻りはできそうにない。

 冷静に、鼻息をつく。

 まずは地図を広げてみる。次に何をすべきか、娘がきっと教えてくれるはずだから。私が憎くてたまらないからこそ、会いたがっているはずだから。

 ――次に行くべきところは、決まった。娘が「きてね」と、血文字で教えてくれていたから。

 改めて赤い手紙を確認して、感慨深いような、納得するような、そんな表情をしながら「ああ」と応える。

 

 肉片のこびりついた、赤さびた金網の床を歩んでいく。ラジオのノイズを耳にしながら、私は銃を握りしめる。闇の一筋だけを照らすライトから、決して目を逸らさない。建物という建物は、火傷したかのように焼け焦げていた。

 

 サイレントヒル会お。したらきね、パパ

 

 次の目的地、「ブルークリークアパート」まで歩んでいる最中、私は妙な現場を目にした。

 金網と化した道路の上で、羽の生えた子供――人型が、地に留まっている。それを私は「?」と首を傾げてみせた。

 羽の生えた、焦げたマネキンは、大抵はいつも滞空し続けている。そこで視界が合ってしまえば、飛行型は執拗に追いかけてくるのだ。

 一見すると厄介に見えるそれだが、実際は割と脆い。鉄パイプで一突きするなり、弾丸を打ち込むなりすれば、飛行型はすぐにでも地に落ち、まるで命乞いをするかのようにもがき始める。これは念のため、取材メモにも書き残してある記録だ。

 だから私は、純粋に「珍しいな」と思う。ラジオのノイズを耳にしながら、あくまで散弾銃を両手に、私はそっと飛行型に近づいていって――柔らかい音が、すっと耳に入ってきた。

 まばたきを三度、もっと音の正体を探ってみる。飛行型は地に首を伸ばしながらで、何かをついばんでいるようで、私の頭が瞬時に「あ」と閃いて、

 

 飛行型が、こちらに目を向けてきた。

 私は、迷うことなく銃を撃った。

 

 人型は仰向けに倒れ、子供のように手足をばたばたと動かし始める。焼き焦げたそれは明らかに人間のものではないが、間近で見るとやはり、私の良心が「子供だ」と認識してしまう。

 けれども、放置するわけにはいかない。私は娘と会うまで、絶対に、死ぬわけにはいかない。だから私は、人型の頭を踏みつけて黙らせた。

 深い鼻息。

 改めて詳しく、現場をライトで照らし始める。最初から嫌な予感はしていたが、いざ目にしてみると、私は「やっぱりか」と思う。

 

 先ほどの人型は、遺体の肉をついばんでいたのだ。お陰で遺体の損傷は激しく、特に顔面は見てもいられない惨状と化している。これでは荒地だ。

 次に目に付いたのは、後生大事に握り締めているライフルの存在だった。ご丁寧にライフルのホルスターまで体に括り付けていたから、この遺体はハンティングが好きだったのかもしれない。

 ――ハンティングね。

 嫌な予感はやっぱり的中するもので、ライフルと弾薬、ホルスターを回収している最中、遺体のポケットからは一枚のメモがはらりと落ちる。見たくもなかったが、武器を拝借してもらう手前、私は顔を歪めながらメモを見て、

 

 ボークの、チルドレンハンティング!

 スコア 去年☆☆☆☆ 今年☆☆

 

 歪みきったメモだった。

 私はメモを踏みつけ、ライフルの弾薬を確認して、遺体に対して軽く祈りを切る。

 さて、

 うんざりした気分のまま、私はブルークリークアパートの方角へ目を向ける。瞬間、「?」と私は首をかしげ――

 

 私は、すぐにでもブルークリークアパートへ走っていった。

 アパートからは黒煙が立ち上っていたから。間違いなく、燃えていたから。

 

 ↓

 

 

「パパッ! 助けてっ、パパッ!」

 

 ブルークリークアパートが、嘘みたいに燃えている。ほんの少し近づいただけでも、あまりにも熱い。

 三階のベランダから、娘が――頭を叩いて、もう一度確認する――娘が、必死に手を伸ばしている。幼過ぎる女の子の声が、夜の世界に反響した。そして私と娘は、間違いなく目と目を合わせている。

 

「パパ! 助けてッ!」

 

 遠くに響くサイレンを耳にしながらで、私は歯を食いしばる。これが幻だろうが何だろうが、次にすべきことなんて、一つしかない。

 

 娘が、煙を吸って咳込んだ。

 私の足が、アパートめがけ真っ直ぐに突っ走る。

 ――絶対にパパが、助けてやる。

 

 壁から階段まで、火の気がこびりついて離れない。火から放たれる黄色が、私の目をくらませる。煙なんて酷かったし、進めば進むほど熱さが肌に突き刺さるが、自分のことなんてどうでもよかった。

 自分の命にかえてまでも、娘を助けなければ。

 それだけでも私は、恐ろしい炎の中をかき分けられる。死を二の次にできる。娘を救うことこそが、かみさまである私の使命だった。

 三階――私はすぐにでも、「自室」の前にまで駆け寄る。ドアノブめがけとっさに手が出たが、ここは一旦落ち着いて、ジャケットを手に巻き付ける。即席ミトンの完成だ。

 声を張り上げながら、私はドアノブを捻り上げる。そして私の眼に飛び込んでくるものは、一年前の自室、膝くらいまでの炎の壁、私を見て立ち尽くす娘。

 

「今、助ける!」

 

 私は躊躇うことなく、これまで通りに炎の壁の真上をジャンプして、

 

 ↓

 

 気付けば私は、金網の上に突っ立っていた。

 何が起こったのかと左右を見渡し、娘はどこだとライトを照らして、綺麗なマネキンが視界いっぱいに広がった。

 悲鳴が漏れた。

 散弾銃を構えた。

 数秒もかかって、マネキンがマネキンであることに、ようやく気付けた。ラジオも静かなものだったし、完全に毒されてしまったらしい。

 

 ため息。

 ここはどこだろうと、私は周囲を照らす。目立ったものはといえば、アクセサリーを展示するショーケースの群に、先ほどのマネキン、壁には高価そうな振り子時計、白いドアの傍に配置された「焼却炉」。

 私の頭が、閃きに躓く。

 ここ、何処かで見たことがある。最初は「マリア&メアリー」かと思ったが、マリア&メアリーよりは少し狭い感じがするし、そもそも振り子時計なんてものは無かった。けれど何処かで見たんだよなと、私は腰に手を当てて、

 じゃらりと、音がした。

 何だろうと、ポケットに手を入れてみれば――メノウの首飾りが、

 

 あ。

 

 この店は、数年前に入店したことがある。確か名前は「アクセサリー店・契約の指輪」。

 とある地を取材する傍ら、私は「契約の指輪」に寄っていって、娘に対してメノウの首飾りをプレゼントしたのだ。動機は、「長い取材に付き合ってくれたから」。

 その時の娘の顔ときたら、撮影しなかったのが実に勿体ないと思うくらいの笑顔だった。心にだけ残すのには、あまりにもかけがえが無さ過ぎるほどに。

 メノウの首飾りを握りしめながらで、私は何となく実感する。

 ここは、「焼死した」娘の思い出だ。

 だからこの店も、焼き尽くされてしまっているに違いない。

 ――焼却炉のすぐそばにある、白いドアを見つめる。

 思い出を辿っていけば、いつか必ず、娘と再会出来るはずだ。なぜならここは、「普通じゃない」世界だから。

 

 向かうべき場所は、決まった。

 白いドアめがけ、歩み始める。淡々とした足音とともに、いつになく強張った体を傍らに、ドアに張り付けられた赤い紙と目が合う。

 こう書かれていた。

 

「焼却炉に、わたしとの思い出をひとつなげすてれば、ドアはひらくよ。わたしを焼いたんだから、それくらいできるよね」

 

 こう、書かれていた。

 死にそうなくらい、呼吸が荒む。血の気が、なぜだか熱くなる。

 言い訳するように、何度も何度もドアノブを捻っては、ドアを引いたり押したりする。ドアは頑なにぴくりとも動かなかったし、鍵穴らしい鍵穴も見当たらない。いくらドアのことを睨みつけても、視界の片隅には焼却炉が映り込むだけ。

 ――思う。

 娘は、なんて賢い子なんだろうと。

 これまで以上にメノウの首飾りを握りしめながら、私は首飾りに関するアルバムを頭の中で開いていく。そのどれもが、何もかもが、私にとってはあまりにも尊かった。

 

 わたしすらも『取材』したんだ。

 

 仕方のないフラッシュバックが巻き起こる。私は世にも情けないうめき声を上げながら、最後にメノウの首飾りのことを強く見つめ続け、いつまでもそうして、ようやく焼却炉の中に入れることが出来た。娘と会うために。

 ――何も起こらない。

 憂鬱そうに「ああ?」と漏らしたが、焼却炉のことを少し調べただけで、悲鳴のような「ああ」が出た。

 

 焼却炉には、オンとオフのスイッチがあった。現在はオフのまま。

 オンにするには、当然、自分の手で動かすしかない。

 

 思う、強く思う。

 娘は間違いなく、私の将来のライバルになれるだろうと。

 

 少しばかりの時間を食って、私はようやく焼却炉をオンに出来た。

 獣のような唸り声とともに、焼却炉の中が燃え始める。メノウの首飾りが、いともあっさり燃えては溶けていく。やがては炎の海に飲まれていって、ドアからは金属音が弾けた。

 ……さあ、行こう。

 

 ↓

 

 迫られた状況は、先ほどとほぼ変わらない。

 アクセサリー店の次は、動物も人もいない夜の動物園に放り込まれた。金網の床に肉片だらけの檻、あちこちでさ迷い歩く黒焦げの「敵」と、雰囲気そのものは元の動物園とまるで違ってはいたが、構造そのものは「昔」とあまり変わらない。念のため取材メモに、手書きの地図を描いてはいったが、あまり必要がなかったかもしれない。

 

 それはまだ良い、問題にもならない。私にとっての本題は――思い出の焼却だ。

 私は今、大きなゲートの前に居る。見上げれば「またきてね」の看板が飾り付けられていて、ゲートの傍には赤さびた焼却炉がぽつんと放置されている。ゲートにはもちろん、「焼却炉に、わたしとの思い出をひとつなげすてれば、ドアはひらくよ。わたしを焼いたんだから、それくらいできるよね」の赤い張り紙つき。

 ――ポケットから、ワニ大百科をそっと取り出す。

 当たり前のように、頭の中の時間が巻き起こされる。

 ワニの蘊蓄を聞くのが、ワニの真似を見るのが、大百科をプレゼントした時の顔を思い出して、「はあ」と、息が出た。

 ワニの写真が印刷された、ワニ大百科の表紙をやさしく撫でる。心の中で、何度も何度も「すまない」と謝りながら、私はそれを焼却炉に入れて、スイッチをオンにする。

 

 ゲートが開く。先も見えない闇の中へ、私は引きずり込まれていく。

 

 

 見覚えのある焼け落ちた山道、思い出深い金網の村、情景をくれた肉片だらけの列車、それら全てが混ざった保育園と、私は、娘の思い出を着実に踏みしめていった。

 敵はまだいい、対処はできる。迷路めいた構造も別に良い、地図さえ描けば迷わない。問題は、

 

「これ、か」

 

 保育園から出る為の扉を前にして、私は「作文用紙」を片手に立ち尽くしていた。傍にはもちろん、焼却炉。もはや、赤い紙によるアドバイスすらない。

 何度も何度も、娘の文字で書かれた作文用紙を読み直す。私にとっての、一生ものの宝物を強く見つめる。「写真に撮ればいい」という発想が芽生えそうになったが、いまの私に、そんな「資格」はない。

 ――素晴らしい文章だ。

 私は、素直に心の底からそう思う。だからこそ丁寧に、封印するようにして、作文を折りたたむ。

 

「ありがとう」

 

 焼却炉に原稿用紙を入れながら、同時に思う。

 私はどうして、あんな判断を下してしまったのだろうかと。

 私は結局、小説家を書く以外に、生きるすべを持たない生き物だったんだろうなと。

 

 焼却炉のスイッチをオンにする。間もなくして焼却炉が作動して、原稿容姿が炎に溶かされていく。娘の宝物が、私の手で殺されていった。

 そして、扉から弾ける金属音が鳴る。これが最後であるようにと、私は強くつよく祈って、ドアノブを強く引いて、

 

 真っ暗闇の中に、私はいた。

 目と鼻の先に、娘の後ろ姿と、私の作業机が、ぽつんとあった。

 

「――パパ」

 

 後ろ姿のままで、語られる。

 

「どうして、わたしをころしたの?」

「……それは」

 

 それは、取材の為。

 

「わたしよりも、小説がだいじだったんでしょ」

「……ちがう」

「うそつき」

 

 それは、「傷ついた者」を、リアルに描きたかったが為の、

 

「あつかったんだから、いたかったんだから」

 

 どうしようもない、

 

「そらへにげるための、はねがほしくてたまらなかったんだから」

 

 ――好奇心の、ため。

 

「パパは、ほんとうはわたしを助けられたんでしょ、そうでしょ?」

 

 頷く。

 

「心の底から、傷ついてみたかったんでしょ?」

 

 うなずく。

 

「小説の方を、えらんだんでしょ?」

 

 ――うん。

 

「私をころした成果が、朝できたばっかりのしんさくなんでしょ?」

 

 アンジェラの旅。

 家族が「事故」で死んでしまい、深く傷ついたアンジェラが、何も考えずに世界へ飛び出すロードムービー小説。それが、今朝仕上げたばかりの、私の新作だった。

 執筆速度は、これまでのものよりも一番早かったと思う。アンジェラの傷心を描くにしたって、何もかもを投げ出す過程にしたって、喪失感による言動にしたって、何もかもが「リアルな経験」に基づいて、生産されていったものだから。

 

 今までの私は、どちらかといえば「幸せな話」を描くことが多かった。大きな喪失感を得たことがない私は、それぐらいしか発想できなかったから。

 だからこそ、小説家としての私が「絶望感」を欲するのは、ごくごく当然の成り行きだったのかもしれない。それを獲得出来る「チャンス」が、一年前の火事だった。

 

「――ゆるさない」

 

 当然の、言葉だった。

 あの時の私は、父として手を伸ばすのではなく、好奇心のままに逃げ出したのだから。

 

「ぜったいにゆるさない。精霊も、おこってる」

 

 世界が、熱くなっていく。

 

「パパのこと、かみさまだとおもってたのに」

 

 背を向けたままの娘が、燃えていく。

 

「ぜったいにゆるさない」

 

 娘が、振り向く。

 一年前に見た、「娘の焼死体」そのものが、私のことを確かに間違いなく確実に睨みつける。空へ飛ぶための黒い羽根が、娘の背中から生えてくる。

 立ち尽くす私は――あろうことか、ライフルをホルスターから引き抜き始めた。私が父であろうと、相手が娘であろうと、相応の罰を受けるべきだと自覚しようとも、

 これまで培った生存本能が、どうしようもなく、「死にたくない」と叫ぶ。小説家としての私が、「もっと書きたい」と吠えやがるのだ。

 

 ――腰から、じゅっとした熱さが込み上がってくる。何があったとポケットをまさぐってみれば、今まさに燃えかけている、娘からの赤い手紙が、

 

 しね、パパ

 

 最初は、手紙でそう告げられた。「ああ」と、声が出た。

 

「しね、パパ」

 

 次は、娘からそう告げられた。「ああ」と、肯定した。

 

 それでも私は、狩猟用ライフルの銃口を、娘めがけ定めてしまった――違う、定めた。

 

 

 娘と戦って、何分が経過しただろう。

 娘は何発もの弾丸を撃たれようとも、呪詛を呟き続けた。ただひたすらに殺意を込めながら、爪や炎で私を殺そうとした。絶対強者の良心が「お前それでいいのか」と叫び続けるが、支配者たる生存本能が「撃て、じゃないと死ぬぞ」と、私に発破をかけてくる。小説家としての私が、「もっと書きたい」とやかましい。

 ――娘の為といいながら、これか。

 私は見苦しく叫びながら、空飛ぶ娘めがけ、弾丸を放つ。多少距離を置かれようとも、確実に動物を狩る為の弾丸は、娘の体に間違いなく埋め込まれていく。

 たぶん、これまでの戦闘経験がなかったら、私はあっさり死んでいただろう。

 狩猟用ライフルの弾が切れようとも、私は焦らずに散弾銃へ切り替える。娘との距離を詰めて、眼球の無い娘の顔を間近にして、泣き叫んで、私は銃の引き金を引いた。

 

 それが娘への、精霊への決定打になったらしい。

 

 娘は苦しげに呻きながら、仰向けに倒れる。あの日の炎に巻かれたまま、血だらけの娘が泣き始める。

 ――死んでしまいたいぐらいの罪悪感を、産まれて初めて抱く。

 聞きたくなかった、けれど絶対に耳は塞がなかった。見たくなかった、けれど絶対に目を逸らしはしなかった。生存本能が「はやく」とうるさいが、戦いが終わったいま――何だか、すごくどうでもよくなって、すごく冷静になっていって、

 

「パ、パ?」

 

 燃え盛る娘に対して、私は迷うことなく、抱きしめていた。

 今更と、罵られても仕方がない。娘を二度も殺したくせにと、正論をぶつけられても受け入れるしかない。サイレントヒルと縁をもって、その上で子供に手をかけた以上、相応の罰を受けるのは当然の流れだ。

 今も、そしてこれからも。

 

「パパ、だめ」

「いいんだよ」

 

 熱い。けれど、生きてきた中で、最高に冷静になれている。

 

「私が全部悪いから、お前の言うことは全部正しいから。だから私は、お前に殺されるよ」

 

 ため息。

 

「遅すぎた、けどね。ごめんね、お前の事を撃ってしまって。痛かっただろう? だからこれからはずっと、パパのことを焼き続けて欲しい」

 

 酷い激痛がする、肌が焼かれていく、呼吸すらできない。

 でも、これが一番正しい選択なのだ。新作も出来上がった以上、何の悔いもない。

 

「わたしは、ばつを、うけつづけるよ」

 

 意識が消えていく。

 そのとき、「パパ、あいしてる」と聞こえたのは、都合の良い幻聴だったのかもしれない。

 

 

――

 

 どこか、間延びした音が聞こえてくる。軽やかな音が、規則的に流れてくる。

 徹夜明けのような調子で、私は鈍く目を覚ます。ここは何処だと目先に目を配れば、丸い輪――車のハンドルだっけ――「こん、こん」と聞こえてくる方向に視線を傾けてみれば、黒い「目」と私とがにらみ合いになって、思わず情けない声まで上がった。

 いやいや待てと、冷静になる。あれは「黒い目」なんかじゃなくて、サングラス、

 

「もしもし?」

 

 人の声がかけられて、私の体全体が瞬く間に強張っていく。そんなことをして数秒か、或いはそれ以下か、頭の中で「何をしているんだ、私は」と溜息、そして安堵。

 

「あ、はい」

 

 ここが車内ということに気がつき、私は遅れて窓を開ける。バイクに跨った、サングラスをかけた女性と目が合って――女性は「失礼」とサングラスを外して、その青い瞳が露わとなる。

 青い服装から察するに、警官らしい。

 

「この車から、クラクションが鳴りっぱなしだったもので、心配になって声をかけてみたのですが……大丈夫ですか?」

「! あ、ああいえ、何ともありません、本当に大丈夫です」

「本当ですか? 運転はできそうですか?」

「はい、大丈夫です、ほんとうに」

 

 警官相手だからか、思わず、口調ともどもかしこまってしまう。

 それを察してか、女性警官は「そうですか」と、柔らかく口元を曲げて、

 

「疲れているようでしたら、無理をせずに休んでくださいね」

「はい。お手数かけました、申し訳ありません」

 

 ――そうして、女性警官の姿があっという間に遠くなる。バイク特有のけたまましい音を耳にして、ほんの少しだけテンションが上がった。

 早朝の下、駐車場の中で、私は両肩で呼吸する。手を見て、足を見て、取材メモ以外に何もないポケットをまさぐって、もう一度だけ大きく、大きく呼吸した。

 それから何となく、ここから歩き出す。何の変哲もなく散歩しているだけなのに、私の目の通じて、ありとあらゆる光景がそっと入り込んでくる。

 

 年季の入った家に気前の良さそうな喫茶店、ウン何年の歴史はあるであろう学校から病院まで、最低限のライフラインも揃っている。

 高い建築物なんて病院ぐらいなもので、空を妨げるものは何もない。左右には樹木が、少し歩けば野原が、目をこらせば森も見えてくる、なるだけ自然と調和しようとしているのだろう。だからか、日光もいつも以上に心地よく浴びられた。

 

 私は間違いなく、あの場所に立っている。

 娘との思い出の地、晴天の町サイレントヒルに。

 

 

 一通りの観光を済ませた後、私は車で帰路についていた。

 

 ハンドルを両手で握り締め、安全運転を心がけながらも、私の頭の中が憶測でいっぱいになる。

 私はどうして、今もなお生きていられるのだろう。私と「それ以外の悪人」と、何が違っていたのだろう。

 娘は最後に、何と言って私の前から消えたのだろう。娘は、安らかな場所に身を寄せているのだろうか。

 何を考えたところで、好きに結論づけたどころで、結局は手前勝手な解釈にしかならない。冷静ぶっているように見えて、私だって――私こそが、自分本位な人間なのだから。

 

 けれど、たぶん、きっと、母親譲りの心優しい娘は、私のことを見逃してくれたのだと思う。それは「生きて罪を償え」ということかもしれないし、もしかしたら「一生罪を背負っていけ」という突き放しなのかもしれない。

 けれど、何はどうであれ、私はこのように生きている。

 娘は私と違って、命を奪うような子なんかじゃない。

 これだけは、父親として、絶対に譲れない断定だった。

 

 人の乗る車が、私の車と当たり前のようにすれ違う。早朝特有の朝日が、私の意識と肌へ溶け込んでいく。遠目を見れば、たくさんの鳥が空を横切っていった。

 娘がくれたこの世界が、とてつもなくどうしようもなく愛おしい。体全体が弛緩していくのを感じる。今の私の顔ときたら、意味もなく笑っているはずだ。

 

 ――気が抜けたのだろう。これまでに体験した不思議な出来事について、私は悠長に回想し始める。

 全てのはじまりとなった、赤い手紙。恐ろしくも幻想的だった霧の町。心が形となった「敵」。闇の中で膨れ上がる感情や生存本能。起こるべくして起こったはずの現象。焼死した世界。娘を手にかけた時の、どうしようもない後悔と、自己嫌悪と、命すら捧げていいと思ったあの瞬間、

 

 パーキングエリアに、車を止める。そして車から出ないまま、大急ぎで取材ノートをポケットから取り出す。

 書くものはといえば、決まっている。これまでの体験を、娘を手にかけたあの心境を、精霊の住まう地で体験した何もかもだ。

 私の手が、まるで止まらない。「取材」結果を記していくたびに、次から次へとアイデアが沸いてくる。今度は、冒涜的な主人公を据えてみようかなどうしようかな、それともオカルトを全面に押し出してみようかな。本のタイトルは、そうだな――

 

 私はまた、好奇心のままに娘を題材にしようとしている。

 その結果として、娘の、精霊の怒りを買うことになろうとも、

 

 

 私の中から湧く、創作の炎は、もはや自分にすら止めようがなかった。

 

 




ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。

今回は主人公の「伏線」に、初挑戦したと思います。どこまで情報を出せばいいのか、どこまで書けば良いのか、難しかったです。

「こうした方がいい」等のご指摘、ご感想があれば、お気軽に送信してください。

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